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松岡平市君 私は従前
運輸委員でもございませんし、今日は突然
運輸委員に替りまして初めての
委員会に出て参りました。御承知のように
洞爺丸その他の船舶の
事情が明らかにな
つて、直ちに参議院の議院運営
委員会の理事会を開きまして、大
事故であるために、
現地に
遭難者への
弔慰並びに差当
つての
事故の
調査ということで、議長の命によりまして
現地調査に参りました。
而もその団の団長という資格で参りました
責任者であります。実は休会中でもありまして、院議に基くこうした
調査団の
報告というものを
報告する
方法というようなものの前例がございません。単に口頭で議長に一応の
状況を
報告したにとどめておりますが、この
委員会は、二十七日に
事故が起
つた直後に
委員会をお開きに
なつたにもかかわらず、
現地の
調査を
委員会としておやりにな
つていらつしやらない。私
たちは
弔慰ということを兼ねた
調査でありましたけれ
ども、ともかく
事故直後に
現地に行
つて一応の
調査をしたという立場のものでありますので、私はこの
委員会において、私
たちの
調査しましたことを御
報告申上げれば、何らかの皆さま方の御審議の御参考になるものと
考えるのであります。ただ
調査の期間は極めて短
時日でありまして、なお
事故直後でありまして、
現地は
遺体の捜索
引揚げというようなこと、或いは
遭難者の遺家族関係者等の応接、或いはすでに活動を始めた
海難審判所或いは警察等の
調査というようなもので、関係者が殆んど忙殺されておるということで、我々は落着いて諸般の点を
調査することには大変不自由でありましたけれ
ども、それから又、これはいずれ
運輸委員会において徹底的な
調査をなさるはずだ、それが本筋であるとも
考えましたので、詳細な突つ込んだ
調査等はむしろ省略して帰
つた、こういうようなことであ
つて、この
事件を専門にすでにいろいろと各
方面から検討しておられる
委員各位に対して多く参考になるような
報告はないのじやないかと、こうも思うのであります。
ただ要点一、二を申上げますというと、問題の
洞爺丸は、当日の二時四十分に定時ならば出港すべき船であ
つた。ところが、恐らくはこれは
気象台の発した暴風警報を重視した結果であろう、出港をとめております。そうして一遍積込んだ貨車もおろしております。それが
あとで又再び貨車、客車を積込んで、そして六時三十九分に桟橋を離れて出港しておる。当日の気象
状況を見ますというと、丁度十七時から十八時の間は殆んど無風
状態にな
つております。併し十八時三十九分、船の出ました十八時三十九分には、この十七時と十八時の間の無風
状態の前に暴風雨警報が発せられてから後、相当強い風が吹いております。その前に吹いたと殆んど変りない強い風にな
つて来ておる。このときに出て行
つた。船が結局出さえしなければ
事故は起らなか
つたであろうし、もう一番この
事故の
原因として
只今同僚
委員諸君から
お話にな
つて、いろいろ御
質問になりました点の疑惑を生む私は鍵だと思います。一遍暴風雨警報で出港を思いとどま
つた。それが相当風が強くな
つて来ておるときに、六時三十九分という時間を
限つてどうして出港して行
つたか。出港すると同時に間もなくこれは仮泊いたしております。で、仮泊するつもりであるならば旅客をおろして差支えなか
つたと思うのです。出てすぐもう間もなく、出たら間もなく仮泊をしてしま
つておる、こういう措置をどうしてしたか。そこに、例えば先ほど
重盛委員から
質問がありましたその船には
国鉄関係の相当重要な人物が乗船している。東京に会議に出席しなければならぬために時間を急いでお
つた人たちが数人乗船してお
つた、こういうことです。それからなおそれには、前に第十一
青函丸、これが米軍の兵隊を乗せて、一遍出港しておるのです。それが風のために引返して来ている。そうして引返して船客を下船さしておる。その下船した船客、即ちそれは主として、或いは全部であ
つたかと思うのですが、米軍兵士である。約六十名、これをこれに乗船せしめておる。まあそこで私
たちが行きました
調査の際にも、いろいろ
只今重盛君の
質問された点、或いはその十一
青函丸から乗り換えた米軍の圧力と申しますか、早く青森に行きたいという希望に
船長が動かされたんではないかというまあ疑惑が世間に持たれていろいろと風説も起
つておる。で、要はここのところを十分に各
方面から解明すれば、この船がどうして出たか、或いは出なければならなか
つたか、そこの間に誰が出港をさせたか、これはもとより船を出港するしないということの
責任は全部これは
船長にあるにきま
つております。併し
国鉄というあの大きな機構の上から
考えてみて特に
連絡船という特殊の立場から
考えてみて、これが
船長一存で出港したり、或いは出港しなか
つたりするものか。少くとも
青函鉄道局というあの
連絡船を掌
つておる大きな機構があるわけであります。その機構が
船長を相当に動かすものか動かさないものかという点を解明すれば、少くともその辺の
事情は明らかにな
つて行く、こういうふうに我々は了解して参りましたし、その点の解明が今後各
方面で、特にこの
委員会等におきまして十分力を注いで解明して頂かなければならぬことであろうと
考えております。
それから特に気付きましたことは、
只今重盛委員から
質問がありました当日の少くとも
国有鉄道の関係者、特にこれは
青函局でありますが、
青函鉄道局があの暴風雨警報下に十分なる警備
態勢にあ
つたかいなか。むしろなか
つたのじやないか、こういうことであり、これに対しての
天坊副
総裁の御回答は必ずしもはつきりしておらぬと私は
考えております。私
たちの
調査いたしました範囲におきましては、警備
態勢、暴風雨警報下におけるああした
連絡船を運航せしめる
青函鉄道局というものについて、我々素人が期待し、若しくは希望するがごとき警備
態勢は必ずしもとられておらなか
つたのではないか、私
たちはさよう判定いたしました。先ほど来一年間に欠航するということは冬季風雪の甚だしいときに何回かある、そのほかにはめ
つたにないが一、二回だ、こういうふうな御
説明でありましたが、少くとも一年間に何回かは欠航をしておられる。併し未だ曾
つて暴風雨等のためにあそこで
事故等は殆んど起
つておらない。
従つて長年の経験になれて、我々素人が、局外者が暴風雨警報下に船を動かすときの気がまえということについて、私はなれ過ぎて
国鉄当局は必ずしも世人が期待するがごとき警備
態勢下になか
つた。
青函鉄道管理局長は当日札幌の会議に行
つて帰
つて来て、二時何分かに
函館に着いた、そうして四時半頃まで管理局の局長室において自宅に
引揚げた。船は二時四十分に出るはずのものが出なか
つた。それが六時三十九分に出ておるが、この間のいきさつは局長は殆んど全部知らない。船が出なか
つた、或いは出たというような事実はいずれも
遭難後、かなり遅れてでありますが、
遭難後局長
自身が聞いた、こういう
状況であるし、又船の桟橋等についている船をどうするというようなことについては、運航指令というものがあ
つて、そうして一応
連絡指揮というような形をと
つておるようでありまするが、これに対しても、通常の順番で当らしたに過ぎない。別段ああいう暴風雨警報下だから、船を運航するためには特別の注意を払
つたというような事実は、遺憾ながら私
たちは発見することができなか
つた。当日は日曜であります。先ほど日曜だけれ
ども、幹部は全部午後は出た、こういうような
お話でありましたが、或いは出られたかも知れませんが、少くとも
現地の
調査に行きました私
たちは、暴風雨下に船をとどめるかとどめないか、或いは出すか出さぬか、出した場合にこの船が青森に四時間半のあの航路を無事に行くか行かぬかということについて深甚なる注意を払い、或いは万一の場合の警戒をするというようなことはどこにも発見できなか
つた。恐らくは長年の平穏なる運航になれて、こういうことに対しては別段の注意を払わなか
つたということが私は真相ではなかろうか、かように了解して参りました。
次に申上げたいことは、私
たちは二十九日の午後当地に現場に到着いたしまして、直ちに
青函鉄道局の人々、特にその際には
天坊副
総裁もお目にかか
つたわけでありまするが、そこにお目にかかりに参りますと、廊下に
遭難遺族、或いは関係者というものが殺到いたしておりまして、沈没船内にいる、或いは海底或いは海面に漂流しておる
遺体の捜索
引揚げ等に対して、甚だ
鉄道が冷淡である、何ら力を注がない。僅か数名の
潜水夫を出して船の周囲を探
つておるに過ぎない、こういうような訴えがありました。第一番に、その点について関係者に
質問いたしましたところ、事実これは
潜水夫、或いは潜水用具等の準備が間に合わなか
つたということは明らかのようでありまするが、ともかく、併しこれを間に合わせるということについて非常な、遺族などに、これまでして頂いても間に合わないのだということを十分了解せしめるに足るだけの手段は講じておらなか
つた、かように了解しております。事実、
函館において、直ちに雇入れ得る
潜水夫の数或いは潜水用具というものはもうはつきりしております限られたものであり、非常に遠隔の地から、人だけでは困る。船、その他の用具を持
つて来なければならぬわけでありますから、
たちどころにはできないけれ
ども、できなければできないで、できるだけのことはかくのごとくしておるということを十分立証するに足るだけの活動がしておられるとは我々
考えなか
つた。
従つて、第一段にこの点について
当局に十分なる警告を発した。その後、私
たちの滞在期間中には逐次その
方面についても効果が上
つて来たようでありますが、遺族
たちも漸く安堵をしたという
状況でありました。この
原因については、
遭難事件後、直後でもあり、いろいろと関係
当局も非常に多忙を極めておられたというようなことからやむを得ない
事情もあ
つたに違いありませんが、何となしに、我々があそこへ全然まあ
事故関係者としてではなしに、
現地に到達したときの空気それ
自体から察知いたしまするというと、多少警告を発せざるを得ないような
状況下にあ
つたということは率直に申上げて差支えないと思います。その他の点につきましては、私
たちがここで、特にこの
委員会にあの
調査団全体としての感じとして御
報告しなければならぬというような事柄はなか
つたと思います。
気象台、海洋
気象台があります。これは台長等にも会いまして、気象通報を如何にしたかと、特に
国鉄関係にどういう通報をしたかと、これに何らかの誤まり、或いは間違い等がなか
つたかというような点も十分
調査いたしましたが、特に取立ててこういう点において
青函或局いは
洞爺丸船長の
判断を誤まらしめたという顕著なる間違い等は発見いたして参りません。
それからなお海上保安庁について、
事故前或いは
事故後の諸般の措置について
調査いたしましたが、海上保安庁といたしましては、
事故前にも十分注意
態勢をと
つておるし、それから又
事故後にも現在のあの設備その他においてやり得るだけの手は尽したと、遺憾ながら生存者を僅か数名、一隻の救助船が救助したと、大半の乗客に対しては何ら手を尽すことができなか
つた。これはもう気象
状況その他においてやむを得なか
つたと了承して参りました。
なお御
質問等があれば、私がここで
調査いたしました経過については如何様にもお述べいたします。
私は御
質問を頂く前に
国鉄当局に一、二お尋ねをいたしたいと思います。先ほど
天坊副
総裁が御
報告になりました
遭難者或いは
遺体の
引揚げの数その他につきましては、これは
洞爺丸以外の他の四船舶の乗員を含んでおるのかどうか。