○一松政二君 そこでまあ国の
予算や、いわゆる必要ということは、私は
同僚議員と多少
意見が違うことは、私はものごとをやるときに、必要のないことはやらない、必要があ
つてやるのだけれ
ども、何か
政府が仮に企てたりなんか始めて、必要のないことを
予算に盛るわけはないでしようから、必要ですが、それをやめよう
つたつて必ず必要なものばかりでやめられない。私は先ほ
ども、運輸
大臣に同情いたします。それは来
年度の
予算というものはなみ大抵では組めないということを私は
考えておりますが、
運輸省の中でやりくりをされるならば私はできると思うのですが、それを
運輸省が或る程度
要求を掲げて行けば必ず私は難関にぶつかるだろうと思う。そこで殊に
行政整理をしたり、それから
予算を減じたり、而も来
年度は、巷間伝えるところによれば、二割引きした者は次官でも
大臣にするぞというような冗談口を総理がきかれたのかきかれないのか知らんが、新聞には出ているわけです。それほどの切詰め
予算をしようとするところへ、私はこの問題は、
希望は幾ら
希望してもよろしうございますが、実現上には非常な私は困難が伴うだろうと思うわけです。そこで、国民全体のいわゆる
気象台に対する感じからすると、私はこれはもう失礼な申分になれば御免をこうむることにいたしまして、つまり
定点観測を八年間、約七年間ですか、まあ続けた。それからそれを若しやめたら、これは一応今までそこでそういう研究をや
つていたのだから、その分だけがそこが空白になるということは当然
考えられますが、それによ
つて直ちにどういう結果が現われるかということは、これは非常にむずかしい問題だろうと思いますし、例えば
台風のごとき
予知をいたしましても、最後に
日本に上
つて来るときの方角というものは、これは殆ん
どもう来て、
定点を離れて非常に近寄
つたところの方角がこれを決定して、これが
日本に
災害を及ぼすか及ぼさないかが非常に問題にな
つているだろうと思います。この
職員組合の書き物を見ても、
ちよつと近く大震災がある、まあ、この間の地震が陸地に近か
つたら前の関東大震災以上のものであ
つたかも知れんということが、六十年の大震災の周期を
考えれば、
日本はもう三十年たてば、或いは三十年か三十五年か、二十五年になるか知りませんが、その近所になれば関東大震災以上の大震災が、過去の大正十二年の震災以上の大震災が
日本に来る。或いはこれは必定である。学者から言えばやはり必定であるでしよう。ところが、それに対する何らか今
措置をと
つているかというと、まあ耐震家屋をこしらえる、或いは耐震耐火の家屋をこしらえる程度以上に私は何人も準備していないだろう。それで長い
予知は或いは
災害を直接防止するという面にすぐどれだけの効果があるかということは、これはもう
気象台長としても言えないのが当り前であります。
従つて、まあ
気象台というものに対する
予算を
台長が非常に取りにくい問題も、恐らくどうもさつぱり天気
予報当らんじやないか。雨が降るというので折角傘を持
つて行
つたら、こんな天気にな
つたというような感を、これはもうすぐ身近かな問題だけの問題で、天気
予報の正確さというものが戦前と戦後とどのくらい変
つているか。或いは
定点観測をや
つたためにどれだけの一体利益があ
つたかというようなことを聞かれた場合に、私はなかなかそれは答えにくいと思うのです。それで恐らくあ
つたほうが非常によいし、又それが関連して他の
観測にも便益を与えるものであろうと思うのです。
従つて私は国の
予算が許せばそういうものは多々ますます結構なことに違いない。違いないが、差当り国民に必要な、身近かに国民に必要な問題が一番取上げられて、比較的縁が遠い、或いは将来長くにおいてその効果が現われるというようなものが犠牲になる。で、今日私はまあ
アメリカがやめて来たということは、
アメリカの
国防費の節約は
アメリカは非常に真剣に
考えておる。四十億ドル、五十億ドルなんという金は、これは
日本の金に直したらもう
ちよつと想像もつかない程度の大した
金額になるが、それだけのものを減らそうとしておりますから、
アメリカとしても容易なことではない。
従つて日本がその穴を埋めようとすることは、来
年度の
予算でできるんなら私もそれにあえて反対いたしませんが、なかなか難事中の難事であろう。
運輸省の中からそれじやこれを削
つて気象台に廻せと言
つたら、削られるほうはあれも必要だと言うに違いないので、私は
大臣がこの問題を処理されるには、なかなか、
答弁は一応やさしくできましても、実現の上には非常な困難を伴うものであろう。それに対して
運輸委員会としていろいろな
希望なり御
意見もありますが、何か私は決議でもするというようなことであれば、まあ一応今日はそういう問題は出ないだろうと思いますけれ
ども、それはもう少し国
会議員としては考うべきところがありはしないかと私はまあ
考えておりますが、今の差当りの、端的に言
つて、先ほど
大臣が申されました、戦前はなか
つたのだと、私もさように
考えます。あ
つたこととなか
つたことが、過去の今日までの
観測所が国民に対して、極く大づかみにして、どういう点が国民に非常に裨益してお
つたか。戦前はこういうことはわからなか
つたのだけれ
ども、あれがあ
つたためにこれだけのことができたのだという何か二、三の特例でもありますれば、それを承わりたいと思うのです、
気象台長から。戦前と戦後の今の比較です。
定点観測のあ
つたこととなか
つたことを、学問上の問題は別です。これはあ
つたことがいいにきま
つておる。私はそれを論争しようとは思わないけれ
ども、国民は
費用を出すためにはその便益を期待するので、ただ学問のために学問をさせるというのじやなくして、それが子を生んで来る。或いはこれだけの利益があるからこうさせるのだということが、私は国民が税金を払
つてそれを使
つているゆえんだと思うのです。
従つて何か国民にそれがためにお土産があ
つたかどうか。こういうことがお土産なんだという端的な事例がございましようか、伺いたいと思います。