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相田参考人 お手元に資料を差上げてあるはずでございますので、これを一応ごらんになりながら、私の
説明をお聞き取り願いたいと思います。
今、前
新潟鉄道
管理局長の
間瀬孝次郎氏がいろいろ事情を
説明されました。しかしながら、その中において非常に事実と相違している点があるし、非常に重要な点をおおい隠していることが明らかにな
つております。その問題について、私はただいまから当時の
内容を具体的に御
説明申し上げたいと思います。
この資料にありますように、あるいはまた間瀬
局長が言われましたように、遵法
闘争とかあるいは
休暇闘争というものを、国鉄の労働
組合が全国にわた
つて実施をしたことにつきまして、特殊な問題として、
新津駅構内に十二月一日に
事件が発生した、
従つてこの
内容についてだけ事実を正しく述べるということを前提とされましたが、私もこの点が
当局が一番重く見た点であろうと思いますので、この点にだけ重点を置いて、
説明を申し上げたいと思います。
資料の二番に「十二月一日の事実それに至る背景は次のようなものであ
つた」と書いてありますが、その
内容を
説明申し上げますと、十一月三十日午後四時ごろ
組合側は地方
当局に対して、中闘の指令によ
つて新津車掌区の
組合員に対して三日間に一日ずつ
休暇をと
つてもらうことに
なつた、
従つてそのことを通告をするということを
総務部長、労働課長に
申入れを行いました。同時に、現地の
新津車掌区においては、個人名を明らかにいたしました
休暇請求書を
車掌区長に対して請求をいたしております。それで私
たちの
休暇は、十二月一日から三日間にわた
つてとるということにな
つておりましたが、私
たちは、やはりいろいろな紛争を避け、しかも
列車の運行を、十分にとは行かないまでも、重要
列車はどうしても確保して行かなければならない、こういう紛争を避けるという立場から、前日に
申入れを行いまして、現地における混乱をできるだけ避けようと努力をいたしました。当日三十日に
休暇請求をいたしました
人員は、当初
組合側の計画といたしましては、おおむね五十名ということであ
つたのであります。ところが、この資料に書いてありますように、この
休暇闘争について、やはり若干
当局と
話合いをする必要があるというので、
話合いを持ちました際において、
当局は、
組合側は、中闘の指令でやるのだからこれはいたし方がない、しかしながら旅客と重要な貨物の
列車だけはぜひとも確保したい、またふだんは不
定期列車とか臨時
列車、あるいはそう重要でない
列車もあるわけですが、そういう重要でない
列車は
運転休止の措置を事前にとりたい、こういうことを
当局は申してお
つたわけであります。それに対して
組合側は、
当局の考え方に対しては、
組合側としても同感である。そのようにわれわれは大体想定して、
組合としても一応
列車の運行、あるいは
車掌が休むとどういう
状態になるかということは、しろうとではありませんので、大体の予想はついております。
従つて最初われわれは旅客
列車と重要
貨物列車だけには影響を与えないように努力をしよう、こういうことを想定しておりましたので、私
たちは
当局の考え方に賛同いたしました。
従つて当初大体五十名を休ませる予定のところ、
当局のいろいろな
意見を聴取いたしまして、大体七名から八名、この
人員を減らすことにしよう、こういうことで、われわれは最終的には、ここにありますように、四十三名の
人員を休んでもらうということに決定をいたしたわけであります。この四十三名の
人員は、
新津車掌区の総員二百四十八名から言いますと、大体一割七分であ
つて、そう大きな
休暇人員ではないのであります。中間の指令は、三日間に一日ずつ大体
休暇をと
つてもらいたい、こういう指令でありましたので、平常から行けば、一日大体三割
程度の人だけが休む、いわゆる三割賜暇というかつこうになるわけであります。ところが、われわれとしては、前段に申し上げましたように、旅客
列車と重要な
貨物列車には、どうしても影響を与えてはいけないという、そういう大乗的な見地から、第一日目にはわずか一割七分の
人員に
休暇をと
つていただくということに決定をいたしたわけであります。
さらに
組合側としては、当日いろいろな混乱なり紛争なりが起きると、後日非常に困りますので、われわれはぜひとも紛争を避けたい、こういうことから、強く申し入れましたところ、
当局は、
局長は行けないが、
総務部長、労働課長は現地に行
つて、
組合側と問題が起きた場合には、そのときそのとき一緒に話し合おうじやないか、そこで紛争が起きないように努力をしようじやないかということを確約をいたしております。
従つて組合側としては、この
休暇を請求いたします際に、一日目が非常に問題が起きる可能性がある。すなわち紛糾とかその他が出て来る可能性があります。しかしながら、一日の
組合側が請求をした
休暇人員を休ませれば、大体二日、三日の
運転にはそう支障がないという
状態が出て来るわけであります。そういう点から、一日に休ませた
人間を
当局が
乗務させるというようなことになると、二日、三日には非常に困るからということを、再三申し上げてお
つたのであります。これは前の本
委員会で、広島の方からいろいろ事情
説明をいたしておりましたが、休んだ
人間をひつぱり出して
乗務をさせようとすると、必ず二日、三日
乗務に重大な問題が起きて
列車が混乱するという
状態が出て来るわけであります。
従つて、そういうことも
当局に対してわれわれとしては分に申し上げてお
つたわけであります。こういうふうにわれわれは事前に、
休暇に入る前の日に、こういう措置を講じ、
当局と誠意をも
つて話し合うという態度をとりましたので、このような
状態で行けば決して紛争は起きないものであるということを確保をいたしまして、十二月一日から
闘争――いわゆる
休暇の
実施に入
つたわけであります。
休暇の
実施については、十二月一日になりまして、大体十時ごろから
闘争に入りました。普通であるならば、朝早くから
闘争に入ることも必要でありましたが、朝はどうしても重要
列車が多いということで、
組合側としては、紳士的に大乗的な見地に立
つて、できるだけ時間を遅らせて
休暇に入
つたわけであります。
ところが、その日になりまして、
当局は一体どういう措置を講じたかと申しますと、前日両者がお互いに良心をも
つて交渉をした
内容を平然と破りました。破
つた内容を申し上げますと、ここに書いてありますように、ピケによ
つて車掌区に入れない
休暇請求者――われわれは説得をするという意味でピケを引きます。そうして説得に応じて帰
つて行
つた車掌さんを、
当局はかり集めて、間瀬
局長が申しましたように、強引に、
組合でいいますと、いわゆる職制の
人たちを配置しておいて、うちに帰ろうとする
車掌さんをどんどん呼びもとして、それを強引に駅長室にひつぱ
つて行
つた。駅長室でどういうことをや
つたかといいますと、そこから隣の駅まで公安官をつき添わせて公安の自動車に乗せていわゆる公安官という
一つの警察的な役目の
人たちに監視をさせながら隣駅まで自動車をも
つて運んだ、こういう態度に出ました。
従つて、結論的に申し上げますと、この態度というものは、一名も
休暇の請求を認めない、しかも合法的な立場に立
つて休暇の請求をした
車掌さん
たちを、人権無視という形で、職制の力を利用し、しかも公安官まで動員して隣駅に送
つたということ、合法的な立場に立つ
休暇請求を一人も認めないという立場を、地方
当局としてはと
つたわけであります。こういう形でや
つたことは、必然的にどういうことになるかと申しますと、その結果、
当局は隣の駅まで
車掌を輸送いたしましたので、隣の駅までの間の線路は、現実に
車掌がいなくなるわけであります。そのために、ここに対しては隣駅まで
車掌なしに乗せるか、あるいはまた
車掌としての
資格のない人――これはいわゆる
運転考査というものがありまして、この考査に合格し、そうしていろいろな定められた携帯品を持たなければ、
車掌としての
資格がないわけであります。そういうような
車掌の
資格を無視して、
運転考査に合格をしない
人たちまでも、隣駅まで
車掌代理として乗せて行こうというその意図が、この公安官をも
つて自動車で隣の駅まで送
つたという事実の中に、はつきりとうかがわれたわけであります。さらに前日に、大体地方
当局はいたし方がないという形で、紛争が起きないように
運休を認めてお
つた列車の運行をさせるとか、あるいはまた臨貨まで
運転をさせるというようなことが出て参りまして、最初から
組合に対して非常に極端な挑戦的な態度で出て来たわけであります。
このようにして問題の発火点になりましたいわゆる二六四
列車の
事件が発生をいたすわけであります。二六四
列車というのは、
新津から郡山の方に行く磐越西線の
列車であります。この
貨物列車は、入れかえ代用
列車といいまして、各駅に入れかえ用貨車をつけたり切離したりする
列車である。しかもこの
列車には、代用車といいまして、小さい車扱いではなくて、小口の荷物を輸送する貨車がついておるわけである。
従つていかにこの二六四
列車が、磐越西線の
車掌省略をするこにのできる簡易線区であ
つたとしても、入れかえなり代用車というものがついておるとすれば、必ず
車掌を乗せなければならないわけです。しかも平常の慣行からいいまして、いかに磐越西線が
車掌省略線であるといえ
ども、常にこういう場合には、安全のために
車掌を乗せてお
つたというのが現状であ
つたわけであります。
組合側は、
当局に緩急車に呼んだ人を乗せるとか、
車掌の
資格のない人を乗せようという意思があるかないかをいろいろ監視をしお
つたわけです。ところが監視の最中に、
新津駅の助役が急に発車の合図をいたしましたので、
組合側の監視
職員は非常に怒
つたわけであります。監視
職員は、現実に毎日現場で
運転規程を守
つて働いている人である。
従つて運転規程を常に守れ守れと言
つておきながら、こういうときになると
運転規程を守らせない、こういうことに対して非常に大きな怒りを発しました。その結果、やはりわれわれはこの
列車には
車掌を乗せなければならぬ筋のものである。しかも
列車の安全ということから言
つても、この
列車には、具体的に申しますと、馬を積んで人夫が乗
つてお
つたという車もあ
つたわけであります。こういう
列車に
車掌を乗せないということは、非常に遺憾であるということをわれわれは常に言われている。方を守るという立場から、また安全という立場からもこの
列車の発車を阻止しなければならないということを覚悟いたしまして、そうして線路上に出てこの
列車を停止せしめたわけであります。この点について、間瀬
局長は非常にあいまいにいたしております。なぜ
組合側は線路上に出たのかという点をおおい隠して、ただ発車合図をしたところが、
組合側が機関車の前に出たのだ、こういうふうに非常に物事を表面的にとられて、
当局がとるべき手段を全然とらなか
つたという点をおおい隠している点が、非常に重要なことであると思います。
こういうふうにして、一応この二六四
列車は、われわれは発車を阻止いたしました。ところが前日に
組合側としては、問題が起きたら必ず
当局と話し合うということにな
つておりましたので――
当局は今までそういう
話合いを破
つて参りましたが、
組合側としては、そういう立場を依然として守
つて行かなければ、
あとにな
つて問題が起るというので、どうしてこういう
列車を強引に発車をさせようとするのかということを、
当局に対して
申入れを行いました。ところがこのときに、
当局の貨物課なりあるいは
運転の面に携わ
つている
人たちが、どういう暴言を吐いたかと申しますと、
列車を発車させなければそれでいいんだ、だんだん機関車の前に出てくれ、そうすれば証拠があが
つて首を切るのに非常に簡単だ、そういう非常に問題にならない非常識な暴言を吐いておる。またどうしても
当局が出すというなら、われわれは、代用車あるいは中間で入れかえをするような貨車は、一応連結を解除して発車をさせたらよいのではないか、こういう建設的な
申入れもいたしました。ところが
当局はこれに対してどういうことを言
つたかというと、そんなことをすれば発車する必要がないのだと言
つて、
組合の誠意ある
申入れに対して、全然考慮を払わないというような態度を示しました。
当局は、
運転の安全を確保せい、そうして
運転規程を確実に守れと言
つておきながら、
列車に
車掌を乗せないなどということはとんでもないことだ。普通の場合、助役が
車掌の乗車したのを見きわめないで発車合図をしたということによ
つて、非常に大きな罰を食
つたこともある。あるいはまた
車掌が
列車に乗り遅れたために、非常にしかられたという事態もある。こういうことを
当局から常に言われておりますので、
組合員は真剣にな
つてこの
列車を発車させてはならないという立場をとらざるを得なか
つたわけであります。こういうふうにわれわれは二四六
列車を、正しい立場から発車阻止をいたしました。ところがまた
当局は、その後二六四
列車を臨時
貨物列車として発車をさせようといたしました。この場合も同じ経過をたど
つたので、われわれはやはりいろいろ話し合
つたが、
話合いがつかないでこの
列車を
運休に至らしめたいというのが現実だ
つたのであります。
従つて、これ以後
当局は、間瀬
局長が言われましたように、四七一
列車。七七六
列車、六六三
列車、これも全部同じような
状態のもとに
運休をいたしました。
しかしながら、ここで十分先生方の御理解をお願いいたしたいことは、七七六、六六三
列車というようなものもこういう事態に立ち至りましたけれ
ども、われわれがこういう
状態をいつまでも続けて行くとすれば、必ず旅客
列車や重要
列車に影響があるということから、当時地方本部の全
責任を負
つていた私、それと戦術
委員長をや
つておりました
大瀧君が、一生懸命にな
つて組合員を説得して、
当局が正常な
車掌を乗せて出そうとするならばぜひ発車をさせてくれ、こういうことで何回も
組合員のやじにもまれながら、あるいはまた
組合用語でいうつるし上げられながら、
列車を出させたというような
状態が何回もありました。この具体的な
内容については、一番最後の五番に書いてありますように、二六四
列車は
運休になりました、六六三
列車はこういう
状態に
なつたと
局長は言いますが、この
列車は、
当局の要請をいれて、
組合側としては怒
つておる
組合員を説得して、正規の
車掌を乗車させて、
あとでこの
列車番号をかえて発車させており、また四七一
列車も、
当局の要請を十分にいれてこれを九四七一
列車として
組合員を説得してわれわれが出しておる。こういう
状態があ
つたわけであります。
従つてそういう経過から申しまして、
組合側といたしましては、
当局から
処分を受けるどころか、賞状ぐらいもらわなければならぬ、こういう積極的な立場に立
つておるということが現実だ
つたわけであります。
以上結論といたしまして世間に非常に大きな問題にな
つており、あるいはまた地方
当局が誇大宣伝をしております線路上において
列車の運行を害した、こういうことはま
つたく表面的な見方であ
つて、その事態が起きた原因を全然おおい隠しているということが言えると思うのであります。
従つて、これを
理由にしての
組合側に対する
責任追究ということは、ま
つたく的はずれであると同時に、
責任の所在というようなものは、むしろ当時の
局長でありました
間瀬孝次郎氏が負うべきであ
つて、
組合としては、この問題の
責任の追究ということは、てんで的はずれであると考えておるわけであります。特にこの間において、
当局が違法と挑発というものを平然と出して行
つた。特に紛争を好んで引起す態度をと
つたということは、明らかに地方
当局が
組合の弾圧を策しているといわなければならないと思います。しかも、ここで重要なことは、これは真実であるかいなかはともかくとして、本庁の間獺
局長が非常に強硬にわれわれの
処分を主張したということであります。しかもこのような、今まで私がずつと
説明を申し上げましたような
状態の中において、間瀬
局長がわれわれの首を切
つたということは、どういうところに原因があるとかいうことを
組合で討議いたしました。この結論といたしまして、
組合側として得たところのは、最近地方
当局の中において、いろいろな不在の事実が明らかになりつつあります。それを
調査し、そうしてただすことが
組合の
責任であると考えまして、
組合側はこの問題をいろいろ
調査いたしておるわけでありますが、この
調査が明らかになると、
当局にと
つてはとんでもないことになる。こういうことから、それを指導し、その
責任の地位にある
相田、
大瀧という両名の首を切ることが、これらの問題を解決することに最も重要なことではないかというふうに地方
当局は考えたであろうということを、
組合側としては
会議の席上において推定し、結論づけておるのであります。これはもちろん一方的であるという御批判もあろうと思います。けれ
どもこれも
一つの重要な因子としてこの問題の追究に当
つていただきたいと考えるわけであります。
特に一番最後に申し上げたいことは、十一時ごろ地方
闘争委員会から電話指示がございまして、この電話指示の
内容は、
新潟地方本部
組合員が、線路上で
列車の発車を阻止したことは当然である。そのような事態をあえて引起したところに原因があるのであるから、これは
当局の
責任なんだ、
従つて中闘は
当局と話し合
つて次のことをきめたから、そのような
行為は
話合いの上でやめてくれということがいわれました。この
内容を申し上げますと、本庁では、
新潟当局に対して、
車掌を乗せないで発車をなせるようなことはしないようにただちに中止をさせる。
従つて組合側は、そのようなことを地方
当局がやめるとするならば、当然のこととして線路上で
列車をとめるというようなことはしない、この問題を後日の問題に残して
処分の対象やら処罰の対象やらにしないということを確約したという電話指示がございましたので、われわれは中央の考え方を了として十二月一日の
闘争を打切
つたというのが真相でございます。
以下非常に長々とまとまりのないことを申し上げましたけれ
ども、よろしく事実の追究に当
つていただきたいということをお願い申し上げまして、私の
説明を終らしていただきます。