○
小林(絹)
委員 次は、ソ連のいわゆる緩和
政策についてお伺いしたいと思います。
外務大臣は過日の御演説中に、世界の
情勢が緩和の兆を
示して来たことを申されております。ソ連新政権がはたして緩和
政策をとるかどうか、その後緩和
政策の内容ばどうなりつつあるかということであると思いますが、ソ連問題の世界的権威者の一人とされておるルイス・フィッシャー氏は、この正月に毎日新聞に載せた特別寄稿の中で、ソ連にと
つては今対外的な冒険をいどむことよりも、
国内の整備、指導力の刷新強化が急務であると言
つておるのであります。ソ連が最近と
つておるコルホーズ農民に対する緩和
政策であるとか、消費物資の増産による民心の収攬、一方には政権強化のための粛正等から見ましても、フイツシヤ氏のこの説はうなずかれると思うのであります。またマレンコフ首相は、昨年末アイゼンハウアー大統領が原子力国際管理の新
方式を提案したのに対して、討議することを受諾しておものであります。また本年正月マレンコフの米ソ親善のメッセージを
アメリカのINS通信社のキソグスベリ・スミス欧州局長の文書による
質問と回答の形をも
つて、モスクワのタス通信社が発表しておる。またラジオで世界中に枚送されたのでありますが、この中でマレンコフは、何よりも米ソ
関係の改善が必要である、米ソ親善のきずなの強化を妨げるような本質的な障害はないと言い、また世界平和を確保するため最も重要な措置は、原爆、水爆などの大量破壊
兵器の使用を禁ずる
協定を結ぶことであると言
つております。しかしながらソ連のいう国際緊張の緩和ということが、はたして世界の人々の一般に
考えておるものと同じであるかどうか。これにつきましてAPの記者のウィリアム・ライアンはこう言
つておる。国際緊張の緩和とい
つても、ソ連の指導者にと
つて都合のよい限られた内容のものであ
つて、無条件の全面的な緩和が望まれているのではなさそうである。
国内の人心がゆるみ独裁
政治の基礎を危くするほどの効果を持
つてはならないわけである。つまり緩和は二つの陣営が真の平和共存に向
つて進むことでなく、共産主義と資本主義との対立はそのままで、自由諸国の団結がゆるんで、共産
侵略のことなどを忘れてしまうほどに、自由主義
国家間の競争対立がはげしくな
つて、共産陣営に対する圧力が弱くなることを目的とする緩和であ
つてはならないというわけであります。
次一は、この間行われましたベルリンでの四国外相
会議でありますが、これは五年ぶりに開かれたのであります。これは私はこう
考えておる。もともと決裂する性質のものではありません。戦争
関係国の跡始末について、四国がそれぞれの主張の異なる点を、面と向
つて明らかにしたのでありますが、今後来るべき多くの
会議の前座の役割を果したという点において、大きな収穫であつたと
考えるのであります。その
会議の内容の一、二を拾
つてみますと、モロトフは種々の問題を個別的に取上げる前に、世界平和の基礎としての見地から、ソ連を目標とする北大西洋
条約の廃棄、欧州軍の解体、これが第一であるということを主張いたしております。また中共の国連加入を従来と同様に強く主張しておるのでありますが、もちろんダレスはこれに反対をしておる。ただ、朝鮮や仏印の跡始末の
会議には、中共をも出席せしめることにな
つておるのであります。おそらくこれは十五、六箇国から二十箇国くらい出るのじやないかと思うのでありますが、それが来る四月二十八日にジュネーヴで開かれる。この
会議には
わが国は招かれることはありますまい。しかし、非常に重大な関心を寄せなければならぬと思うのであります。そしてその成行きに対しては適時適切な外交手段をおとりにならなければならぬと
考えます。また過般バーミユーダで行われました英米仏三国の会談では、コミュニケには出ておりませんが、英米仏、特にチャーチルから、世界
情勢の緩和に強い
発言があり、
アメリカの現にや
つておるマツカーシズムに対しても、それをあまりひどくやられるとソ連を直接間接に強く刺激するから、
アメリカ国内において強大にならぬように、なるべくそれを押えてもらいたいということを言
つておるのであります。これらの
会議や諸般の
情勢から見まして、形勢緩和ということは世界中がみな望んでおることは確かであります。今後あるいは近き将来において、この四国外相
会議の前座の役割がだんだん本舞台にな
つて、三頭
会議であるとか四頭
会議であるとか、原子力の
会議であるとか世界軍縮
会議であるとかいうようなものが、出て来る
可能性はあるのじやないかと私は
考えるのであります。これも
外務大臣から後にまとめて御答弁を願いたいと思うのであります。
今申し上げました
アメリカでのマツカーシズムでありますが、これは上院議員のマッカーシーが
中心にな
つてや
つておる、いわば右翼活動であります。赤の活動に対する反動であります。またマッカーシーは次期の大統領候補にも出たいというような
考えがあるようでありますから、一層馬力をかけているのじやないかと思うのでありますが、これはソ連のスパイがだんだん手広くな
つて来ておる。原爆の製造過程はロシヤへ知られておる。ロシヤは五箇年で原爆ができた、水爆については九箇月でロシヤはやり出した、それらにつきまして、ヒスのスパイ
事件は有名でありますが、ヒスは御承知の
通りヤルタ
会議にはアンダセクレタリーとして大統領に随行して行つた人で、ソ連のために非常に有利な活動をしたことが後にわかつた。またモルゲン党のホワイト、これはアチソンなんかと友だちで同列の地位におつた人で、統合参謀本部の要職にお
つたのであります。これも赤であつたことがわかつた。
政府機関の中に強く赤が浸透しておるということは一般に見られておるのであります。そこでこのマッカーシー党の目的は、この赤の活動の排撃、アンチロイヤリテイの活動を根本からたたき直そうというのが目的でありまして、現在では各省のおもな役人にもみなスパイをつけておるという話であります。この
勢力はだんだん拡大しておる。そこでバーミユーダの会談においてチャーチルがさつき申したような希望を述べたわけであります。そこで
わが国の場合はどうか、これはうわさでありますから保証はできませんけれ
ども、
政府が重大法案の
一つとして検討して用意しておつた極秘書類の内容が、外へ筒抜けにな
つておつたというようなこともいわれておる。近く
アメリカから
MSAの
関係で貸与を受ける新
兵器の構造の秘密保持等につきましても、
保安庁長官においても特別な御配慮があることと存じますが、いずれ法案の提出もあろうと存じますから、この提出を待
つて検討いたしたいと存じます。
次は、日米
関係について大体どういうふうな
見通しであろうか。それには従来の経過等も
考えなければならぬのでありますが、
アメリカは、もともと外国には干渉する
考えのない国であ
つたのであります。国は広いし、資源は豊富であるし、自分のことだけをや
つておれば、人の世話をする必要がない。世界のいろいろなことに
関係しない。特にこれは、大統領モンローのときのいわゆるモンロー・ドクトリンでありますが、この
思想は、シベリア出兵にあたりましても反対した
人たちが持
つておる。そうして
アメリカは、特に東部の
国民は、ヨーロツパの問題については興味があるが、東洋の問題については関心がきわめて少いのであります。中部地方の新聞な
ども、このごろはどうか知りませんけれ
ども、私が知
つておる限りは、
日本の政変や内閣の更迭などは、小さな活字で二行か三行くらい書いておる
程度であるのであります。また西部、ことに太平洋に面したカリフォルニア州などでは、土地の問題、移民問題、写真結婚問題等の
日本との間にいろいろな問題が起
つたのでありますが、それでも
日本のことはよく知らないのであります。大学の総長が、
日本にはアイアン・ブリッジがあるのか
——日本には鉄橋があるのか、
日本には大学があるかというような問いを発したり、また
相当な知識階級の人が、
日本は支那のどの辺にあるのだと言うくらいに、東洋のことを知らない。いわば
アメリカ全体が東洋のことは知らない。ヨーロッパに対して重点を置いて来た国柄だけに、東洋に対しては非常に目をあけるのがおそか
つたのであります。そこでソ連が強くな
つて来た、ソ連との対抗が始まつた、東洋の重大性がだんだんわか
つて来たというのが、今日の実態であると思うのであります。第一次大戦のときにはドイツ語に
圧迫を加え、第二次ごろにはそれはやらなかつた。また
日本では戦争中には、たとえばゴー・ストップというような
言葉は、外国語だからいかぬということで、とまれ・進めという
言葉にかえた。向うは
日本語研究というものは非常に奨励をしたのでありまして、まことに視野が広い。世界的の
考えを持つた
国民の
考えはうらやましいと私は思
つておるのであります。また今日、
日本の歴史とか文化とかいうものを非常に知りたが
つておる。四、五日前の船でも、
日本の大工、左官、庭師、建築の監督、技師などが
アメリカに行きました。これは
日本の生活なり
日本の文化の一端を知る目的で、ロックフェラー財団の寄付金をも
つて、またこちらでも二千万円ばかり寄付金を集めることにな
つておりまして、ニューヨークの近代美術館で、来る五月から十月まで
日本家屋五十坪ほどの予定でありますが、展覧するはずであります。これは後にメトロポリタン博物館に寄付することにな
つておりますが、おとといの新聞では、ブラジルのサンパウロにも
日本の茶室をつくるために、大工、左官が立
つて行
つておるということを書いております。戦前には、
日本は外務省を通して
相当な宣伝費を外国で使
つております。ことに
アメリカで使
つておりますが、しかし、それには
政治的のにおいが非常に強いものですから、効果が少かつた。しかるに今では、
アメリカが自分から進んで
日本を知りたが
つておる。
日本のほんとうの姿を見たいということを
考えておるのであります。現に多数の留学生や視察な
ども続々来ておるのでありまして、外務省も、どうかこの
機会を利用されて、この
機会を失しないように、
各種の文化団体その他ともよく提携されて、外国に
日本をよく知らしめることについて、従来もや
つておりますけれ
ども、今後一層御
努力を願いたいものであると
考えるのであります。日米
関係の推移を見ますと、もちろん初めはきわめて悪い、終戦後はたいへん悪か
つたのでありますが、だんだんよくな
つて、今では非常によいと思うのであります。初め悪か
つたのは、
アメリカはたびたび戦争をしましたけれ
ども、いつでも受けて立
つておる。
アメリカは宣戦布告をしないで戦争をしたことは一ぺんもありません。しかるに真珠湾の
攻撃は宣戦布告なしにやられた。これは
アメリカ国民の感情に非常に大きな焼印を押しつけたのであります。その後また戦争による
アメリカの損害が非常に多かつた、犠牲が多かつたという事柄もありまして、
日本に対する報復
——リタリエーシヨンというものが
アメリカの国論にな
つたのであります。ところがだんだんよくな
つて来たのは、戦闘態勢を
とつた艦隊が、暗夜に相模湾から上陸して占領軍政をしいた。これは二ちようピストルを持
つて出て来たというような厳戒をして来たのでありますが、
日本側はどうしたか、
日本側においては、友遠方より来るとでもいうようなきわめておちついた表情で
——これは私は
日本の
国民の偉いところだと思
つて、よくや
つてくれたと思うのでありますが、彼らを迎えた、握手とほほえみをも
つてわれわれは占領軍の上陸を迎えたのであります。そして占領行政に対して終始協力して参りました。これらが、
アメリカ国民の多くが
日本に対する認識を非常に新しくして来た大きな原因の
一つであります。またそれとともに、一方数年間多数の
アメリカの兵が来て交代して
アメリカへ帰り、また
アメリカの
人たちが
日本へ来て、親しく
日本人に接して
日本の風俗習慣を知り、これらが本国へ帰
つて日本の美点を宣伝してくれたのであります。今日では、
アメリカの
国民の関心はアジアに向けられておる。直接の原因は、申すまでもなく戦後のソ連の台頭でありますが、アジアは世界人口の大部分を占めておる。地域は広いし、資源はゆたかであるし、多くの人材がある。アジアの
人たちは、アジアにおいて多くの人材を有することを忘れておる。しかし世界は知
つておる。
わが国においても多くの人材を擁する。
わが国の
政治家の動きについては、今日は世界各国が見ております。どの
政治家はどうしておる、どれはどういう
政策政見を持
つておるかということは、今世界注目の的にな
つておるのでありますが、とにかく地域は広くて.資源が多い。このアジアは、大きな目を見開いて見なければならぬことは当然であります。世界の平和、人類の福祉のために、アジアの安定と開発に対する積極
政策を
アメリカは今とらんとしておる、とらなければならぬ。
アメリカのアイゼンハウアーは、大統領に就任します前に、首脳部を連れて朝鮮を視察に来ました。これは選挙のときに
国民に約束したことを果すためであります。ニクソン副大統領も来た。ダレスとかジャツドとか、 ロバートソンとか、財界政界の多数の人々が続々来ております。来た
人たちは、みながみなまで
日本をよく理解して行くとは限りません。けれ
ども、来たならは来ただけの効果はあつた。そこでこちらへ来た
人たちの滞在日数を見ますと、東京が一番多いのです。東京をアジアの
中心としておる証拠であります。私は思うのに、東京は今やアジアの
中心であり、
日本はアジアのリーダー・シップを与えられんとしておると
考えるのであります。
日本は自己保存のために、たびたび戦争を賭して来たのでありますが、いわばアジアの経験者である。
アメリカの東洋
政策を助けると申しますか、指導すると申しますか、われわれはパイーツトの役目をして、
日本はアジアの指導者にならなければならぬと思うのであります。これも後に外部
大臣から、これらについてまとめて御答弁を願いたいと存じます。
次は、占領軍政下においてどういうことが行われたか。これは初めは悪くて中ほどよく、だんだんよくな
つて、後には非常によく
なつたというこの占領
政治下において、しからば総括してどうかといいますと、
日本において行つたいろいろな占領下の
法律や制度の中においては、
日本に適しないものがある。これは吉田
総理も、か
つて日本の国情に適せざるものについては着々とこれを是正するということを言
つておられるのでありまして、もとより当然のことであります。このいろいろやつた中には試みにやつたものもあります。
アメリカでや
つていないことを
日本でやつたものもある。また
アメリカ人からして見ますと、
アメリカが今日まで有史以来繁栄をしておるのは、こういう制度、こういう
法律でや
つて来たから繁栄をしておるので、
日本もこれをやればよろしいという
考えでやらせたものもある。けれ
ども日本がよく検討して、
日本の国情に合わないものは遠慮なくなり直したらいいじやないかというのが
アメリカ人の
考えであります。そこでアと現在いろいろな交渉、折衝もありましようが、
アメリカの言う
通りにできることはたくさんある。できることは相談をしてやつたらよろしい。その意味において、
アメリカから見れば、
日本は親しむべき苦手であるというような
立場に
日本がた
つてよろしいのじやないか。しかうしてそれが、長い前途のためには日米両国のためによい結果を来すものではないかと
考えるのでありますが、以上の三点について
外務大臣の御答弁を伺いまして、次に質疑を続行いたします。