○岡良一君 私は、ただいまの
厚生年金保険法案につきまして、
日本社会党の立場から、具体的な数字に即しての分析、希望はるる長谷川君より申されましたので、簡潔に
原則的な点についての希望を強調いたしたいと思うのであります。(
拍手)
今日、各党がお互いに競
つて社会保障制度の
実現を主張いたしておりまするが、しかし、現在の
わが国の
社会保障制度の
体系の中で、今日行われている
年金制度ほど各個ばらばらであ
つて不統一きわまるものはないのであります。その
関係上、
社会保障制度審議会もすでに三回にわた
つてこれが整備と統一を勧告いたして参
つたことは、諸君も御承知の通りであります。
公務員の
恩給といい、地方公共団体の共済組合
年金制度といい、公共
企業体
従業員のそれといい、また民間産業
労働者の
厚生年金といい、私学教職員の
年金制度といい、実にこれらはま
つたく無
関係に
制度化され、多年にわた
つて放任されて参りました結果として、
年金を受ける資格においても、これが
支給を開始する
年齢においても、受取る額においても、
年金給付に対する国庫の補助率におきましても、ま
つたく各個ばらばらであ
つて、従
つて厚生年金保険法の今度の
改正では、このように不完全、不統一な
年金制度を一本にとりまとめようという大きな理想があ
つてしかるべきであ
つたと思うのである。しかるに、今回
政府が
提出いたしましたこの
年金保険
法案は、なるほどその一条一条はぬかりなく整えられてはおりますけれども、ただそれは立法上の技術的な巧妙さにとどまり、われわれの期待する
現行年金制度の統一、進んでは全国民を
対象とする
国民年金制度の実施に対しての何らの意欲も示されておらないことは、まことに遺憾千万と申さねばならないのであります。(
拍手)
すでに憲法二十五条の理念によ
つて明らかに国の責任において国民の
最低の
生活を保障されていなければならないにもかかわらず、
公務員の普通
恩給が六万円になんなんとするとき、
労働者の
年金が
年額わずかに千二百円に捨ておかれておる。本
改正をも
つてしても、本年から
支給される
坑内夫の
年金は四万円にも満たないのであ
つて、これでは法の前に平等であるべき国民の
生活権がまだまだきわめて不平等な状態に放任されておるばかりではなくて、古色蒼然たる明治時代の遺物、官尊民卑、官僚独善の思想が現在の
年金制度に強く温存されておる。(
拍手)このような事実は、国民を主権者とする今日の民主主義の
原則とは絶対に相いれないものと言わなければならないのである。(
拍手)
特に現在の
経済事情から見ましても、また世相から見ましても、
日本の老人たちはほんとうに不安な気の毒な立場に立
つておる。甘えの新聞を見ても、老人夫婦の自殺がしばしば伝えられておる。従
つて、私どもは、今日
わが国において、
社会保障制度の中でも特に国民の老後の
生活に対しては、いち早く責任ある保障の道を講じ、
日本の老人たちをいたわることを急がねばならないのであ
つて、これは
政府の当然の第一義的な
社会保障制度の課題であろうと思うのである。
現に英国においては、六十才を越えたおじいさん、六十五才を越えたおばあさんについては一週間に千三百五十円の
養老年金が
支給され、しかも有料老人ホームが至るところにつくられ、その一週間の
支払いは千五十円、二百五十円の小づかい。しかも、英国の老人たちは、養老院の門をくぐるときにも、堂々と自己の
生活権に対する自覚を持
つて老人ホームに入
つておる。
日本のように、肩身狭い思いで、民生
委員のお世話にな
つて養老院に入
つておるのとは事かわ
つておる。このような老人ホームにおいて子供の遊び場がある。一体老人ホームに子供の遊び場があるのはと私が
管理者に尋ねたところが、日曜日などになると、かわいい孫たちがこのホームにや
つて来て、おじいさんやおばあさんと遊ぶのであると答えたのである。これは英国
社会保障制度の一点景ではありますけれども、しかし、ここにこそ人間の
生活の権利と社会の国民に奉仕すべき義務とがま
つたく渾然として溶け合
つた新しい民主主義の家族
制度の姿があるのである。
すなわち、われわれは、今ただちに実施し得ないとしても、当然に五入以下の
事業所においてもできるだけすみやかにこの
年金法の適用を急ぐべきであり、これを通じて将来における全国民、自営者にもこの
適用範囲を拡大すべきであろうと信ずるのである。このような状態にある
労働者が三百三十万、百三十万の
事業所という実に大きな
部分を占めておることは、すでに長谷川君も指摘された通りである。
年金額について見ても、本年はいよいよこの
改正によ
つて三万一千円平均、さらに
引上げられる
修正案によ
つて三万七、八千円ではありますが、
日本の基幹産業たる炭鉱労務者、なかんずく重要なところの坑内労務者が、十数年の間営々として働きながら、しかもその労働によ
つて生産の能力を失
つたときの
年金額が、
個人の過失に基く
生活困窮者に
支給される
生活保護法に基く
生活扶助額よりも低いということは、保険理論の上からも絶対に納得することはできないのである。(
拍手)
あるいは
年金支給年齢にしても、
恩給法によ
つて官吏は若年停止ではあるが四十五才から始まる。しかも、本案により民間
労働者は六十才にしなければならないという
理由は、いずこにも見出すことができない。
政府は、五十五才における雇用率は相当の高度に達しておるから六十才でさしつかえがないと言
つておられますが、それならば、当然
恩給法もそのレベルにレベル・ダウンをするのがほんとうである。こういうところにも、いまだに残存する官僚独善の弊風を明らかに見て取ることができる。
標準報酬についてもそうである。健康保険は三千円から刻んで三万六千円、船員保険は四千円から三万六千円、本法は一万八千円に押えておるが、
社会保険審議会の
審議過程を見ても、
政府が日経連の主張に完全に屈服したことを物語
つておる。その結果保険料の収入が低くなり、その結果は
労働者に与える
年金支給額が低くなるという悪循環を来しておるということは、明らかに
政府が、日経連の代弁者とな
つて、
労働者の保険ではなく、経営者の
利益をはか
つておるものと言われても、これまた過言ではないと私は思うのである。われわれの主張する三万六千円とするならば、年間保険支出額は十五億であるが、
標準報酬を三千円から三万六千円とするならば、その収入増は二十三億であ
つて、優にわれわれの主張する
年金額は払い得るのである。
また、
積立金方式の変更、数十年後には二兆億にも達せんとする
積立金の効率的
運用、国庫補助の増額なぜ北ついては、すでに長谷川君より指摘されたので私は申し上げません。
とにもかくにも、今日
社会保障制度の
実現は世界政治の骨格とな
つておるのである。各国の
政府が社会保障の予算については逐次軍事費と対等の形においてこれを重大に取扱
つておることは、数字が明らかに示しておる。いわんや、今日
政府が国民に耐乏
生活を訴えんとするならば、
政府みずから犠牲
負担の
均衡をはかるべきであり、このためには当然に
生活安定を骨子とする
社会保障制度の拡充と
実現を急がなければならないはずである。しかるにもかかわらず、
政府はMSAの受諾に伴い防衛費の義務的支出を千三百億、
社会保障制度費を八百八十億に押えておる。このようにして、国民の
生活安定を軍事的な冒険政策の犠牲に供せんとしておる。
か
つて、孔子の高弟であ
つた子貢は、師の孔子に対して、まつりごとの要諦は何であるかと聞いたところが、兵を足し、食を足し、民これを信ず、と答えておる。国防のことをはかり、国民
生活を安定して、そうして
政府を国民が信頼することであると答えておる。この三つに対して二つしかできないならば何をすべきかと聞いたところが、孔子は静かに、それならば、兵を足すことはやめても国民
生活の安定をはかり、
政府を国民が信頼することであると答えておる。しかるに、今日吉田
政府は、打続く汚職と疑獄の中で、ま
つたく民これを信ずるどころか、ほうはいたる国民の輿論は、吉田
内閣の退陣を要求して立ち上
つておるのである。この吉田
政府は、MSAの義務的防衛支出によ
つて国民
生活の安定を破壊せんとする、言葉をかえて言うならば、兵を足さんとするがためには食を足すことを犠牲にしておるのである。春秋の筆法ならずとも、死せる孔子とともに生ける八千四百万の国民は吉田
内閣をして永遠に走らせることを、私はこの機会に強調いたしまして、私の
討論にかえる次第であります。