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斎藤参考人 ただいま御指摘になりました問題について、順次私の一応
考えつきましたことを申し述べることにいたします。
大阪高等裁判所におきましては、
裁判官会議は月に原則として一回ずつ開いておるわけでございますか、
裁判官会議以外に、高等
裁判所に常任
委員というものが五名ございまして、その常任
委員と、それから高裁長官とで、
裁判官会議に付議いたします事項の案を
考えたり、あるいは付議事項に関する資料を準備したりいたしまして、
裁判官会議を開きました場合には、そういう常任
委員の提案その他報告、調査材料、そういうものを基礎にして
会議をやります。きわめて迅速に
会議は進行いたしておる様子でございまして、高等
裁判所に関する限りにおいては、別に
裁判官会議の運営によ
つて困難を感じておるようなことはございません。
司法行政事務をそういう
会議体でやらずに、特定の責任者が専行するという旧
裁判所構成法時代のやり方は、なるほど責任の所在も明確でありますし、また迅迷に機動的にやれる、そういう特長もあると思うのであります。特定の責任者が専行したからとい
つて、司法行政の結果は
一般に知れわたるものでありますから、必ず
一般の
批判にたえられるだけの公正さを持
つたものでなければならないと思いますので、その
意味で私は、旧
裁判所構成法時代の司法行政とい
つても、一部の人が誇大に言うように、情実によ
つてなされてお
つたとは
考えないのでございます。
従つて旧司法省時代の司法行政の実質が、現在の
裁判所法による司法行政に比べて必ずしも不当でないというように
考えるのでございますけれども、司法行政、特に人事行政につきましては、これはいろいろの見方で
批判ができますので、行政を専行する責任者がいかに公平にや
つておると確信いたしましても、見る方の人はいろいろ裏面の事情を想像したり、せんさくしたりして、その人事行政について
批判が出るということは、これは防ぎようがないと思うのでございます。ところで、
裁判所法の
裁判官会議の
方法で司法行政をやるということは、確かにそういう面においては公正の担保にな
つておるという特色があるんじやないかと思いますので、とにかく
現行法で
裁判官会議の
制度ができているのですから、できるだけその
制度の運用面を
考えて、現在の
制度を維持すべきが相当でないかと私は思うのであります。
裁判官会議の
方法で司法行政をやりますことは、責任の所在を不明確ならしめるということが確かに言われるのでございますけれども、これは一つ一つの司法行政の内容を分析して
考えますならば、必ずしもその責任の所在が明確でないことはないと私は思うのでございます。一口に
司法行政事務と言いましても、その中には議決によるものもありましようし、また議決したことを現実に執行するというものもありましようし、また所属の職員に対する平素の監督というようなものもございましようし、それからまた会計法上の行政
事務もあるのでございますが、そういうぐあいに一つ一つの司法行政の内容を
考えて行きますと、それに応じた責任者というものが
考えられるのではないかと思うのであります。
裁判官会議といたしましては、その中で議決の
方法によるものだけについて責任を持
つておるんじやないかというように一応
考えるのであります。
次に臨機適切の
措置がとりがたいということも言われるわけでございますが、これは御
承知のように
下級裁判所事務処理規則というものがございまして、それによりまして長官なり所長が応急
措置をする権限を認めております。なお先ほど申しましたように、常任
委員というようなものを設けまして、行政
事務の一部分の委任もできる、こういう便法も認められておりますので、それらの
方法を活用いたしますれば、ある程度臨機適切の
措置もできるのじやないかというように
考えます。それから、
裁判官本来の任務に支障を来す、こういう非難もございますが、確かに旧
裁判所構成法におきましては、大審院の
下級裁判所に対する監督権というものはなか
つた。そのわけは、そういう
裁判官本来の仕事にできるだけ負担をかけない、そういう
趣旨の
規定と思いますけれども少くとも
下級裁判所といたしましては、
裁判の実務にさしつかえるほど支障を来しておるとは
考えられないのでございます。それから現在地方
裁判所長が第一線の
裁判事務充実という見地から、
裁判の実務をやらなければならぬのじやないかということを
最高裁判所でも常に指示しておるようでありますが、私は
裁判官会議をやめまして、
司法行政事務を長官、所長にや
つてもらうことにするということは、長官、所長、そういう方々も
裁判事務の実務をやらなければならぬのだ、そういう方針と逆行することになるのじやないかというようにも
考えるのでございます。ただ人事行政につきましては、
会議体でやるということが最大公約数的な結果になりがちだ、人事行政をやる上においては信賞必罰を明らかにするとか、あるいは優秀者を適当に抜擢するということは、部内の空気を刷新する
意味で非常に必要なわけでございますけれども、
会議体で人事行政をやることになりますと、どうしても最大公約数的な、いわゆる無難な順序主義に堕する危険があるのじやないか、こういうことが懸念されるのでございます。しかしこれも
制度の運用面でそういう弊害の起らないようにする努力をすれば、ある程度カバーできる問題であろうと思います。要するに私の
意見といたしましては、
現行法の
裁判官会議で司法行政をやるというこの
制度は、維持していい
制度ではないか、そういう
意見を申し上げた次第でございます。
それから次の
上告制度に関する問題でございますが、
上告制度に関する問題といたしましては、
上告の
範囲をどうするかということと、
上告の審判の
方法をどうするか、こういう
二つの問題があろうと思うのでございます。まず
上告の
範囲について
考えてみますのに、一方においては
上告を
制限しなければならぬのじやないか、こういう
意見と、一方においては
上告の
範囲を広めるべきじやないか、こういう
意見が
考えられると思うのでございますが、
刑事訴訟法に関する限りにおきましては、私は現在の
上告の
制限というものはまず妥当な限界にあるのじやないかというように一応
考えるのでございます。ただこれは非常に
とつぴな議論かもしれませんが、上省だけでありませんで、控訴と
上告両方に通じました上訴
制限の一つの問題といたしまして、私の個人的に
考えておりますことは、
現行法の検事
上訴制度というものは
考え直す余地があるのではないか。検事から控訴し、検事から
上告をする。こういう
制度の存在価値というものをわれわれはもう一度
考え直す必要があるのではないかということを
考えておるのであります。
刑事訴訟法も
民事訴訟法と同様に
当事者主義ということをよく言われるわけでございますけれども、
民事訴訟法の
当事者主義というものは、申すまでもなく平等の、対等の
当事者と理念的に
考えていいわけでございますけれども、刑事
訴訟の
当事者、すなわち検察官の代表しておる国家と被告人側、この
当事者が平等のものではないことは申すまでもないのでございまして、国家側、言いかえれば検察官側は犯罪の捜査の過程を含めて相当強力な権力を与えられておりますし、また検察庁という厖大な
機構を背景として被告人側と対立しておるものでありますから、力は一方が非常に強いということは認めざるを得ないわけなんでございまして、さような国家と構成分子という配分的の政治関係をつかさど
つておる刑事
訴訟におきましては、検察官が第一審の
手続であらゆる努力をして、そうして第一審の
裁判所が判断を下したことについては、国家側はそれを尊重するということがあ
つてしかるべきではないかという
考え方からして検察官
上訴制度というものは、もう一度われわれは
考え直す必要がある。もちろんその検察官
上訴制度をやめるということの反面としては、控訴審の
機能については多少影響があるかもしれませんけれども、一応上訴
制限の問題として私はそういうことを
考えておるわけでございます。それから今度は逆に
上告の
範囲を広めるべきじやないかという議論、ことにこれは
一般の
法令違背についても
上告の申立てを許すべきではないかという御議論もあるようでございます。御
承知のように現在の
刑事訴訟法におきましても、控訴審におきましては
法令違背が控訴
理由にな
つておるわけなのでありまして、その条文といたしましては、
刑訴の三百七十七条から三百八十条までの四箇条の条文があるわけであります。三百七十七条と七十八条はいわゆる絶対的控訴
理由にな
つておる。それから七十九条、八十条は、
訴訟手続違背と適用
法令の誤りの場合は
判決に影響のあることが明らかな場合というふうにな
つておりますが、これらすべてを含めて
法令の違背ということになるわけであります。私が新
刑訴で満五年間や
つて参りました感じからいたしまして、
刑訴の三百七十七条ないし三百八十条による控訴
理由というものは非常に少いのであります。現に高裁の
判例集をごらんになりましても、この四箇条に関する
判例というものは少いわけでございますので、この
一般の
法令違背について
上告理由を認める、こういう実際的の必要がどういう実例で起るのかということが、私にまだよくのみ込めないのでございますが、かりにそういう
一般的の
法令違背が、もちろんこれは数は少くてもあることはあるわけなんでございますから、それについて
上告を認める、こういうことにするのがいいかどうかという問題につきましては、私はこの
上告申立てとしては、これはやはり現在の
憲法違反、それから
判例抵触、この
二つの場合は具体的の
事件の
救済ということ以上に、
法令の
解釈の統一を必要とする
理由の強い場合でございますので、四百五条で
上告申立ての権利を認めておるわけなんでございますが、そうでない、
一般的の
法令違背の場合、私はこの場合は当該の
事件の
救済という点にむしろ重点があるんじやないかと思うのでございまして、この場合はむしろ四百五条の中に入れずに、次の四百六条という、現在では御
承知の
事件受理の申立てとして認めておりますこの方に入れるというのが筋じやないかというように
考えるのでございます。これは私の非常に言い過ぎた議論かもしれませんけれども、理論としては私はこの
上告ということは、これは
最高裁判所にするものでございまするから、われわれとしては
最高裁判所というものは信頼のできるものでなければならぬ。
国民一般の信頼のできる人物で
最高裁判所を充実するということは、これは国家の責任であるわけなんでございますから、そういう一つの前提に立ちますならば、
上告ということは、理論的にいえばすべて許可
制度でもいいんじやないか。
最高裁判所が十分信頼できるならば、その
最高裁判所が
上告事件として取上げる価値のあるものということを認める
事件を取扱えばいいので、それはわれわれは
最高裁判所がそういう恣意に流れた不当な
取扱いをすまいということを前提にして
考えるならば、私は
上告の
範囲というものは、
最高裁判所の
上告審の許可制でもいいのじやないかというようにも
考えるのでございますが、さような
意味でこの
一般の
法令解釈については私は、四百六条のいわゆる
事件受理の申立ての
方法で、やるとすればやるのが筋じやないかというように
考える次第でございます。
それから
上告審の審判の
方法として
考えますことは、簡易
裁判所で
取扱いまする
刑事事件の
上告審は高等
裁判所でいいんじやないか、こういう議論もあろうかと思うのでございますが、この点につきましては私は
反対の
意見でございまして、なるほど民事
訴訟の簡易
事件は、
上告審は高等
裁判所でございますけれども、高等
裁判所が
上告審になる
事件につきましては、控訴審は地方
裁判所ということになるわけでございます。民事
訴訟における第二審
手続と第一審
手続というものは、実質的にそう大差はないのでございますので、地方
裁判所が簡易
裁判所の控訴
事件をやるということもいいのでございますけれども、刑事
訴訟事件におきましては、御
承知のように控訴審の構造が事後審を原則とするというようにな
つております関係上、地方
裁判所自体の第一審
手続と、簡易
裁判所の
事件を地方
裁判所がかりに控訴審としてやる場合の事後審の
手続とは、性質が非常に違いますので、一つの地方
裁判所にそういう性質の違
つた手続をやらすということが妥当でないのじやないか、そういうことが一つの
理由。それからもう一つは、
刑事事件につきましては、
上告の
範囲もおよそ合理的な
範囲に
制限をなされており、
従つて最高裁判所の負担軽減という点も、民事
訴訟におけるほど強くはないということ。それから
判例、
法律、
解釈の統一という面から見ますと、できるだけ最高で
上告審をやるという方が
効果的であることは申すまでもないのでございますから、さような
理由で簡易
裁判所の
刑事事件の
上告審も最高でやるべきだというように私は
考えておる次第でございます。
それからもう一つ、
上告の審判の
方法として
考えられますことは、
一般の
刑事事件の
上告事件は、
最高裁判所とは別の
裁判所、たとえば東京高等
裁判所に
上告部というものを設けて、そこで取扱うべきだ、こういう議論もあるように拝承いたしておるのでございますが、この案についても私は大体四つの
理由で
反対の
意見を持
つております。第一は、これはもうすでに言い古されておることでございますが、さような
方法は四
審級になるということでございます。
上告部意見を主張される方は、それはもう四
審級にな
つてもいいのだということで、水かけ論かもしれませんけれども、
審級を一つふやすということは、それだけに
訴訟を渋滞せしめるという結果になろうと思いますので、それが第一の
反対の
理由でございます。それからもう一つは、私はきわめて短期間でございますが、一年半ほど弁護士をやりまして、
裁判を受ける側に立
つた経験がございますのですが、その当時の気持と申しますか、感覚から申しまして、
裁判を受ける者としては、いやしくも
上告を許される
事件については、
最高裁判所の判断を受けたい、こういう気持はすべてあるのじやないかと思うのでございます。
上訴制度というものは、
当事者にとりましては一つのあきらめの
制度であるような場合もございまするので、
上告ができるのに
最高裁判所でない別の
裁判所の判断でがまんしなければならぬのだということは、どうも困るのじやないかという気持、これが第二の
理由でございます。
第三の
理由といたしましては、われわれ
下級審の
裁判官の
立場から感じることでございますが、もし
最高裁判所が
一般の
上告事件を取扱わない、
憲法問題とごく少数の特殊の
事件だけしか取扱わぬで、
一般の
上告事件は別の高等
裁判所の
上告部どまりになる、こういうことになますならば、われわれ
下級裁判所と
最高裁判所の精神的
なつながりというものが現在以上に非常に稀薄にな
つて来るんじやないかと思うのでございます。しかし
最高裁判所は
最高裁判所である以上、全国の司法行政の元締めをすることになるわけだろうと思うのでございますが、そういう
下級裁判所とのつながりの稀薄に
なつた
最高裁判所が全国的の司法行政をやるということは、われわれ
下級審の
裁判官から見まして、どうも歓迎すべきことでないんじやないかというのが第三番目の
理由でございます。
第四番目の
理由といたしましては、
最高裁判所の地位が非常に高くな
つておるということはまことに
けつこうでございますが、これは何も
憲法違反の問題を取扱うからというだけのことではなくて、立法権、行政権に対立した司法権というものの全体的の最高の
裁判所だという点に、
最高裁判所の地位の高いゆえんがあるんだと思うのでございますから、
上告事件の大多数を取扱わないというようなことになれば、かえ
つて最高裁判所の地位を軽からしめることになるんじやないかと
考えます点が第四番目の
理由でございます。
以上のような
考えで、
一般の
上告事件について旧大審院に当るような特殊の
裁判所を設けて行こうという
考え方には賛成できないのでございます。
次に、最高裁の
機構の問題でございますが、結局この
機構の問題は
上告制度の問題とうらはらをなしておるわけでございまして、刑事
訴訟につきましては、先ほど来申し上げておりますように
上告制度は一応妥当な限界で
制限されておるというように
考えますし、また民訴につきましては先般
改正が実施せられたわけなのでございますから、さような結果がわか
つた上でならばまたいろいろの議論も出ようかと思いますが、
最高裁判所の
機構としては当分そういう情勢を見きわめる必要があると思うのでございます。もし将来現在程度の
上告制限をや
つても
最高裁判所の負担が非常に過重になるような場合には、私は必要な限度における増員ということもやむを得ないんじやないか、増員を
考えるよりほかはないと思うのでございます。ただ一部の議論として、
最高裁判所の判事を増員する場合に、現在の
裁判官以外にBクラス的の
裁判官を増す、こういう
意見もあるように承るのでございますが、
裁判官の独立という
立場から
考えまして、さような、Aクラス、Bクラスというような二手の判事をこしらえるということにつきましては賛成いたしがたいという
考えを持
つております。
次は控訴審の構造に関する問題でございますが、私は、大体において現在の控訴審の構造を維持すべきだ、こういう見解を持
つておるわけなんでございます。事後審
制度は第一審の
裁判の欠点を是正するのに十分でない、こういう非難があるのでございますが、御
承知のように、現在の控訴審の
手続は、事後審が原則ではございますけれども、必要に応じて事実調べということもやれる道がございますし、ことに第一審
判決を受けてから後の量刑事情たとえば示談をしたとか弁償したとか、こういう事情を控訴審の
裁判でしんしやくできるかというような問題につきましても、私は前からそういうことはでざるのだという積極説をと
つてお
つたわけなんでございますけれども、この点も、昨年の秋の
刑訴の
改正でさような量刑事情のしんしやくができるようになりまして、控訴審の
機能というものは、運用のいかんによ
つては相当に拡大されておると思うのでございます。九大の井上教授が、
刑事訴訟法の論点という書物の下巻で、
刑訴の控訴審においては職権主義というものをあまり振りまわしてはいかぬのだ、言いかえれば、控訴趣意で主張しておることだけについて判断をすればよいので、それ以外のことに
裁判所が頭をつつ込む必要はないのだ、たとえば控訴極意が事実誤認を主張しておる場合に、
裁判所は、事実誤認ではないのだ、有罪なのだというふうに
考えれば、たといその刑の量定が重くとも被告人の方で刑の量定についての控訴趣意を出しておらなければ
裁判所としては控訴棄却すればよいのだ、こういうことになる御
意見を書いておられますが、われわれ実務家としてはさような
考えは持
つておりませんので、たとい
当事者の主張しておりません原
判決の欠点でありましても、それが
判決に影響があると認められるものは実際われわれ職権で原
判決を破棄しておる実例もございます。また証人の申請、検証、そういう証拠調べにつきましても、
当事者から全然申出のない
事件を
裁判所側の職権で控訴審で事実調べをしておるという実例もございます。さようなわけで原則は事後審でございますけれども、運用さえよろしければ、言いかえれば、個々の
事件をよく見まして、必要のある場合においては事実調べをやることもできるわけなんでございますから、運用よろしきを得ますれば、継続審に近い結果が得られるわけでございますので、控訴審の構造としては現在
通りの構造を維持するのが相当だと思います。もしこれを旧法当時のような覆審
制度にかえるということになりますと、
大阪高等裁判所あたりの
実情で申しましたならば、第一おそらく
法廷が間に合うだけできないのじやないか。覆審
制度になりますれば、現在は刑事部は五部でございますが、少くとも倍近い部数がいると思うのでございます。それに応じた人を集めるということも、非常に困難でございますし、第一
法廷自身がそういうことはできない。現在でも
二つの部で一つの
法廷を使
つておるというようなこともあるわけでございますから、覆審
制度になるということは、そういう人的、物的の施設の点から言
つて破産してしまうような結果になるような気がいたすのでございます。
それから刑事
上告の
範囲を、
判決に影響を及ぼすべき
法令の違反というように拡張をした場合、この点につきましては、私の
意見はさつき
刑訴の四百六条式のものにするならばすべきだということを申し上げましたが、お示しになりました問題の
趣旨は、
判決に影響を及ぼすべき
法令の違反を四百五条の
上告の申立ての権利とした場合に、控訴審及び一審の
手続というものにはどういう影響があろうか、こういう
お尋ねのようでございますが、この点は十分
考えてはおりませんけれども、私は一審
手続及び二審
手続については、別段影響はない、言いかえれば
判決に影響を及ぼすべき
法令違反を、かりに
上告申立ての
範囲に入れるとしても、そのことと一審、二審の
訴訟手続の構造ということには、必然的の関係はないんじやないかというように、一応
考える次第でございます。
それから次に、
最高裁判所裁判官の任免
方法ということでございまするが、これは在朝在野から適当な方の選考
委員会というようなものをこしらえるとか、あるいは
国会の指名によるとかいろいろの案も
考えられるかと思いまするが、私はとにかく
最高裁判所というものが現在ある以上は、その
最高裁判所で仕事をする
裁判官の任免ということにつきましては、
最高裁判所側の意向、希望、そういうものも十分に反映できて、それがしんしやくされるという一つの慣行ができることを非常に希望する次第でございます。
一般の
裁判官の任用
制度につきましては、別段の
意見を持
つておりません。現在の
最高裁判所から名簿を出した者から、内閣が任命する、十年で任命がえをする、こういう
制度でいいのではないかというように
考えられる次第でございます。
判事補の
制度、これは非常にむずかしい
制度であると思いますが、理想を申し上げますれば、
裁判官というものは弁護士あるいは検察官から適当な人をとるのが理想だと思うのでございますけれども、それには
裁判官の待遇というものを是正しなければ、そういうことはなかなか実現できそうもありませんので、結局現在の判事補
制度というものもやむを得ないものとして残
つて行くように思うのでございます。
簡易
裁判所の特任判事の
制度につきましては、私は
裁判制度としては成功しておる
制度とは
考えておりません。
裁判所書記官あるいは
事務官を優遇するということは、そういう人たちの本来の地位において特任
裁判官に
なつたのと同じような優遇を与えるという
方法で、できればそれが一番理想的だと思うのでございますけれども、そういう
方法がもしどうしてもできないということになりますと、
裁判所書記官及び
事務官の士気の高揚あるいは優秀な人を補充するという一つの
方法として、特任
制度もやめるわけには行かないと思うのでございますが、決してそれが理想的な
制度とは
考えていないのであります。
大体お命じになりましたことに対する私の
意見は以上でございますが、最後に一言だけ述べさせていただきたいことは、
裁判のやり方につきましても、
一般の
批判を拒むことができないことはもちろんであります。またさようなことをすべきものではない、
裁判のやり方についても、
一般の
批判は歓迎すべきことなのでございまして、特に
国会、
学界、弁護士会、検察庁、そういう方面からわれわれのや
つておりますことにつきましては十分の御
批判を受けて、その
批判によ
つて司法
事務の運用の改善ということができるのじやないかと思います。
制度としての
改正はできるだけ慎重にや
つていただきたいということをお願いする次第でございますけれども、
制度の
改正ではなくて、
制度の欠陥と思われているようなことが運用の面で相当是正できる機会があるように思うのでございまして、その
方法といたしましては、
裁判所のやり方についてこういうことをや
つていることはけしからぬじやないかというように、具体的の事例をお示しくださいまして、
裁判所のやり方について
批判を加えていただいて、運用面の改善をはか
つていただくことができますれば、われわれ
裁判官としては非常にありがたいことだと思
つておる次第でございます。