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中島参考人 ただいまの御質問は、なかなか的確な御返事はできないと思いますが、明瞭な点を申し上げますと、明治維新以後のことについて申し上げますが、やはり官尊民卑という思想だろうと思います。と申しますのは、例の明治維新によ
つてできました新しい政治の権力を握つた人々は明らかに旧藩時代の時系統の人であつた。また歴史的な事実としては、それに結びついた経済人もまた独立では何もなし得ないのであ
つて、そういうような、つまり元の身分
関係であつた時というようなものに結びついて政商というものが出て来たと思うのであります。
それからもう
一つここで
考えなければなりませんのは、明治の政府はとにかく啓蒙政府であつたという事実があつたと思うのです。と申しますのは、よく民度ということが言われまして、しばしばこれは誤解の種をまきますが、文化史上から申しますと、どう
考えましても、明治の何年かまでは、政府が啓蒙的でなければ近代化することができなかつた。現代から
考えまして、この近代化というのはかなり条件付の近代化でありまして、この戦争に至るまで非常に古いものが残
つたのでありますが、とにかく明治の政府は大体において啓蒙的でなければならなかつたということは認めなければならぬと思います。今日の目で見ますと、きわめて古風であり、民主主義の目から見れば、とんでもない権力政治であつたということを言い得るかもしれませんが、それは今日から見るのでありまして、当時の政府は明らかに啓蒙的であつた。すなわち
役人というものは、一方ではそういう藩閥政治と申しますか、そんなようなものと結びついて、古くからの権力を持ち、かつまた同時に新しい政治の面においても啓蒙的な面があ
つて、一歩を先んじていたということから、実質的な優秀性があつたと思う。これはいろいろ逆の例もございましようが、大体において国を治めるというような形がある程度まで実際に成立し得たということは、私も認めざるを得ないのです。しかるにこれが大正前後になりましてからいわば逆転したのでありまして、明治の途中までは、民間の
意見というものはたまにはありましたし、政治家などの中には識見の高い人もあり、
学者の中にもそういう人もありましたが、これは少数の例外でありまして、大体民間の
意見というものと政府の
意見が対立する場合には、やはり政府全体に対する少数の民間の有識者の争いという形に
なつたと
考えるのであります。それ以外の普通の庶民はどうにも抵抗できない、と申すよりは、何も
意見の発表もできなかつたという状態にあ
つたのではないか。そこからどうしても官尊民卑ということが出て来るわけであります。その官尊民卑に対抗した自山民権論者というものがございましたが、これは少数でありました。むろんこれも歴史の上から申しますと、大きな役割を果しておりますが、とにかく抵抗してもやられてしまつたというのが
実情だろうと思います。ところが、大正近くになりますとそうは行きませんで、これは主としてやはり啓蒙政府並びに民間のそういう少数の有識者の努力によりまして教育その他が向上し、つまり
公務員でない、当時の
言葉でいわゆる
役人あるいは官吏でない者の中に大勢のりつぱな者が出た。簡単に申しますと、いまさらこういうことを申し上げまして、はなはだ恐縮でありますが、元は教育を受けるということは、ほとんど
役人になるということが前提であつたと言えます。また政府もそういうつもりでいわゆる官学をつく
つたのであります。ところが次第にこれが充実いたしまして、大正の初め、あるいはすでに明治の末期あたりからは、
大学を出たから
役人になるというようなことは全然ないのでありまして、
役人になりたい者は
役人になるが、それ以外に民間にも出るという者が多くなりました。そこで官尊民卑という形がくずれて来たにもかかわらず、その当時の制度としての官僚制度は、依然として民の上に臨むという形を持
つていた。そしてまた比較的大多数のさまざまの認識はやはり遅れていたと見なければならぬという事実は、私が申し上げるまでもないと思うのであります。今日はこれがますます逆転いたしまして、
一般の人間、人民、国民、いろいろな
言葉で申しますが、そういう普通の人たちと申しても、われわれもその中へ入るのでありますが、それと、今申し上げた
公務員あるいは特別の有識者というものの区別がきわめて少くな
つているという事実があるのであります。私はこれは戦後における顕著な現象だと思いますか、一例を申し上げますと、戦争直後に私が警察官養成の学校に頼まれまして講義をしたときには、手も足も出なか
つたのであります。非常にかたい頭でありまして、法解釈学と申しましても、これ以上固まれば法は動かぬと思うほどがんこの相手でありまして、これを近代的に解きほぐすのにはえらい時間がかかるかと思
つていたのであります。しかるに最近様子を見ますと、それがなくな
つて来ている。たとえば
公務員の中でもそういうかたい頭がほぐれて来ているということがあるのであります。それと同時に、官尊民卑というものが権力主義からさらに
便宜主義に移
つて来たと見るのであります。つまり途中までは権力があるから何でもできたし、また啓蒙的であるからひつぱりもできたけれども、その後すでに大正期からその徴候は見えておりますが、戦後になりますと、もうそういうふうな特別に養成され、特別な技能を持つた人間というよりは、ある一定の
職務についている、ある一定の
事項を行政的に処理できる、かような点が非常に重大にな
つて参つたと思うのであります。すなわち官尊民卑というものも、もちろん権力主義じやなくて、
利益主義にな
つて来た、こういうふうに
考えるわけであります。これは現在でも私はその点を認めるのでありまして、そこから顔というものも出て来るだろうと思う。元の顔はやはり結局権力主義と結びついた顔なのであります。いかなる顔といえども、これは人と結ばなければどうにもならなかつたということが言えるのであります。先ほど
お話が出ました右翼などの顔にいたしましても、それだけで幾ら力んでみたところでどうにもならぬ。調べて行きますと、警察と縁があるとか、あるいは何省の何と縁があることによ
つて顔をきかしていると思う。このような状態は今日はよほど減つたと思いますが、しかし今度は
利益に関連して今の顔役というものがあるとするならば、これは
日本では統制経済をや
つておりませんが、にもかかわらず割当その他のさまざまなことがあるとすれば、それを左右できるような何ものかの機関と直接結びつかなければ
意味がない。これは明瞭なんです。このような現象が世界でどうかという御質問でありますが、今のような概略を通じまして、私は世界にもあり得るとは思いますが、今では非常に減
つておる、そうは行かなくな
つているということもやはり感ずるのです。それならばどういう証拠に基いてそういうことを立論するかと言われますと、これはまた明確な論拠がないわけであります。か
つてあつたということが私どもには明瞭にな
つておる。
イギリスでも
フランスでもどこでもか
つてはやはり一種の顔があつた。また権力主義があり、また利害と結びついたいろいろなボスのようなものがあつた。これは
アメリカについても申せます。
アメリカも御
承知の
通りアル・カポネという、主としてアルコールの密造でありますが、ああいうことをやつたボスがおりまして、これに対してはどうにもならないでたいへんな腐敗を来したのであります。今日の
アメリカにもいろいろなことがあると思いますが、しかしアル・カポネ時代のようなことはもはやないと
考えられます。それは何からそういうことがわかるかと申しますと、これは
自分の専門でありますが、文学の作品なんかを見ましてもだんだん話が
違つて来ておるわけです。そういう者が出て来て活躍するというような文学作品は非常に古い印象を与えておる、また古いこととして書かれておるということがあるわけです。これに引きかえまして、
日本では現に出ております小説の中に最も頻繁に出るのが顔役なんであります。これは現代小説はともかくとして、
日本で依然として挾客を扱つたようなものが好まれる。浪花節なんかことにそうであります。私は別に浪花節の攻撃をする意思はありませんが、浪花節で森の石松といえば文句ない。
相当なハイカラな方々が、すし食いねえ、酒飲みねえと言うと、にやにやつとして笑
つておるということがこれを立証しておるのです。これは
日本でもだんだんなくなるであろうが、明治以来のさまざまな経過からいたしまして、現にわれわれの中にもこれがあると認めざるを得ない。従
つて今度の
法律のようなものは特に
日本で
意味があると認めるのです。これは
フランスでは第一次大戦と第二次大戦の間にスタヴィスキー
事件というものがありまして、
公務員の腐敗というものが非常な問題に
なつた。おそらくそのスタヴィスキー
事件というものは
日本の外務省にも報告が来ておつたと思うのですが、最後まで何のことかわからなかつた。なぞの小説のようなかつこうにな
つておりますが、もしこれを
法学的に解釈いたしますならば、おそらくあつせん贈
収賄というようなことに
関係していたのだろうと思う。従
つて検察官も十分これを追究できない、また弁護人の方もなかなかあぶない橋を渡らなければならぬということがありまして、わけがわからなくな
つたのであります。これはまつたくの想像でありますが、
フランスといえどもついこの間までそういうことがありまして、おそらく同様な
趣旨において
立法して来たのではないかというふうにさえ
考えられる。これは歴史的な事実でありますから、お調べくださればその
事件と
立法がどちらが先か明瞭になりますが、スタヴィスキー
事件があ
つてから
フランスでは
公務員の
汚職に対しては非常な神経質にな
つておる。そうして監視の目が届くようにな
つたのです。いまさらこういう
法律があるというふうにお感じになるかもしれませんが、そうではなくてこれはあ
つたのであります。そうして
フランスの場合には、これは
日本の場合にも当てはまりますが、権力主義によ
つて役人がいばるということではなくて、やはり
利益を左右するという点からいろいろな問題が起つた。モン・ド・ビエテといいますが、公設質屋に関する
涜職事件がありまして、やはり当然
公務員が
関係していたわけであります。顔その他についての諸
外国との対比は非常に不明確でありますが、最近まで
外国にも比較的あつたが、今はない、少くとも減
つておるのではないか、これは現在の世界における
社会道徳の非常な進歩によるものと
考えております。それが
日本では残念ながら立ち遅れているという事実をもとにいたしまして、やはり
日本はまだ顔の世界ではないかということを比較的に申し得るのではないか、こういうふうに
考えます。