○猪俣
委員 第一に共犯理論でありますが、一体フアツシヨ政治家というものは、共犯の理論の拡張解釈という方向に向うことは、ナチスの御用刑法学者がいわゆる拡張共犯理論として世界に示したところであります。あの破壊活動防止法等によりまして、広く扇動という
ような言葉をむやみに使いましたことは、これはフアツシヨ的傾向であり、いわゆるナチスの拡張共犯理論の亜流的な立場をとるものであるとわれわれは
考えておるであります。そこで共犯の理論によりましてこれを拡張して処罰するということは、罪刑法定主義と矛盾するのであります。いやしくも民主的な刑法を持つ国におきましては、社会の必要に応じ、社会現象の進展に伴いまして、判決の積み重なるごとに、立法を促進するという情勢が生れ、ここに新立法が出て来るのであります。現在の判例を点検いたしますと、もうこの刑法百九十七条のあとう限りの拡張解釈を
裁判所でもや
つておる。それをやらぬと社会の現象に合わぬ
ように
なつて来ておるのであります。これはだんだんと進展して参りまして、大審院とか最高
裁判所の判決として確立して来ておるのであ
つて、これ以上は進めない状況に相
なつて来ておる。これ以上進むとなるならば、これは拡張解釈の名において立法経過をたどらざる裁判官の恣意的な
法律の適用ということになるおそれがあり、罪刑法定主義と衝突するのであります。私
どもはこの実情にかんがみまして、これは新しい立法を促すべきものであるとして立案をいたしましたところであります。そこで共犯理論に対します私
どもの解釈は、さ
ような態度をと
つておるのであります。一体刑罰というもの、刑法の解釈というものは厳密にしなければならぬということは、これはもう法学生の一年生から習
つておるところであります。これには推理解釈は許されないという厳密なる態度をとる学者もありますが、私
どもは少くとも類推解釈を絶対に許さないという態度は、牧野英一博士とともにとりませんけれ
ども、しかしむやみに
便宜に乗じまして、この類推解釈をや
つて行きますと、これは今言
つた罪刑法定主義のらちを越えることに相なるがゆえに、社会の事象からどうしても必要になりましたならば、新しい立法をして、も
つて世人の向うべきところを知らしめることこそ法治国の原則かと存じまして、私
どもはこの立法をしたのであります。今佐瀬
委員は、これは刑法百九十七条の予備的な行為を罰するんじやないかと申しましたが、しかし私
どもは、予備的な行為として処罰を求めておるものではないのであります。これは独立犯として処罰を求めておるものであります。だから本犯が正しいことをし
ようがしまいが、それはさつき申した第二義的なことであり、第一義的には、佐瀬
委員も申した通り公務員の廉潔、公務員たるの地位にある者は
国民の信頼にこたえなければならぬ、義務違反、さ
ような
意味におきまして、結局において公務員がその地位を売るという、このこと自身に違法性があり、その地位を利用して他の公務員に顔をきかせ働きかける、しかもそれには利益をとるということが伴う、このあつせんということと利益をとるということ自身が公務員としての廉潔、義務に違反し、全体の奉仕者としての憲法の要請に違反し、
国民の信頼あるいは
国民の期待を裏切る行為であるという
意味で、独立の法益としてこのあつせん公務員を処罰するのでありまして、何も職務を持
つている公務員の予備としてこれを処罰するのではございません。ただ、先ほど申しました
ような法益は、公務員の廉潔、
国民の信頼にこたえる、義務違反という
ようなことをあつせん収賄罪として第一義的に
考えておるものでありますが、しかし第二義的には、やはりその職権を持
つておる公務員に顔をきかせて働くならば、一つには、その働きかけられました公務員が不適正なる公務の執行をする危険性が多分に出て来る、また一つには、一体金をもろうて顔をきかす
ような男は、自分の職務に関したことなら、なおさら不公正なことをするんじやないかという世人の疑惑が生れます。すなわち信頼にこたえるゆえんではありません。そういう
意味におきまして、そのあつせんする公務員自体の行為、賄路をもら
つてあつせんするという、すなわち自分の地位を売るということ自体が、これは公務員の憲法上の規範違反であり、社会の信頼を裏切るという、
国民の公僕として義務違反である。これは私
どもは本犯に従属する
ような犯罪として処罰の要求をしておるものではございません。なお佐瀬
委員は、賄賂ということにすべきじやないかという御説でありますが、これは佐瀬
委員と同感でありまして、私
どもは賄賂としてここに提案しておるのでありまして、その御心配はないと思います。この百九十七条の四としまして、「斡旋ヲ為スコト又ハ斡旋ヲ為シタルコトニ付賄賂ヲ収受シ又ハ之ヲ要求若クハ約束シタ」とや
つておりまして、これは賄賂罪として統一いたしておりますから、その点に対してはよくこの法文をお読みいただきたいと存じます。
それからいま一点、これは独立の単行法とすべきじやないかという御心見であ
つたかと存じますが、今まで申しました
ような私
どもの理論構成におきましては、これは刑法の涜職罪に一条加えることか至当でありまして、独立罪とすべきものではない、法益が共通であり、共通の
国家の機構、公共団体の機構の構成員としての義務違反ということが、窮極の
法律的な根拠でありますがゆえに、これは刑法の一部
改正という立場をとることが至当だと
考えておるものであります。