○
岡田(修)
政府委員 私
どもこの
船主の選考につきましては、世間から
疑惑の目をも
つて見られておるということで、こういう
計画造船を始めました最初から細心の注意を払
つてお
つたのです。必ずこういう
疑惑の目を向けて来るだろうということを私
どもは十分に承知しておりました。そこで、
船舶公団時分には、先ほど言いましたように
船舶公団で大体七割程度の
財政資金を持ち、
あと三割は
船主が
自分で集めるということでや
つた。そしてそのときとりましたのが
入札制であります。自己
資金を少しでもたくさんつけた
船主から選んで行くということで第四次までや
つたのです。ところがだんだん入札でや
つて行きますと、
政府がせつかく七割の
財政資金をつけてや
つておるのに、
船主が非常に競争します結果、それが五割になり、あるいはもつと下り、せつかく
財政資金を厚くしてつぶれかか
つておる
日本海運を助けてやろうという
政府の意図に反するような結果に
なつて来た。もう一つは、自己
資金が百万円でも多ければ、たとえば名もない今出ておりますような
日本海運のようなものが新
造船をや
つて、
日本郵船のようなものが落ちるというような不公平が出て来た。それで見返り
資金を使うように
なつた第五次から、
海運業者、
造船業者それから中立、私
どもで約二十人くらいの
委員をこしらえまして、その
委員に
運輸省でつくりました詳細なデータを渡しまして、そうしてそのデータによ
つて希望
船主に対し記名で採点をしたわけであります。それで一定点数以上のものには無条件でやる、一定点数以下のものは抽籤でやる。これに対しましては記名で採点をいたしましたが、私
どもこれは正確にあまり言うことはできませんが、民間の方は
船会社、造
船会社みなひもつきがあるのです。従
つて記名採点でありますが、必ずしも公平な結果が得られておらない。それから一定点数以下のものは抽籤できめるということが、非常に悪平等になるという批判があり、欠点があ
つた。これは第五次であ
つたわけです。しかし官民合同の審査ということも一つの
方法じやないかというふうな気持でお
つたわけです。ところが、六次になりまして、その六次は二回にわけてやりましたが、その最初のときは、これはいろいろのいきさつがありまして、銀行側が
船主を選んだ。と申しますのは二十二、三万トンくらいつくる予定でありましたが、銀行側が
財政資金五割では
あとの五割を出すことができない、七割まで
財政資金を上げてもらいたい、こういうことでGHQに盛んに運動した。これは一万田総裁が先頭に立
つて運動した。ところがGHQがどうしても七割まで
財政資金を引上げることをがえんじなか
つたというので、そこで
市中銀行は、
自分で今まで運動した
建前上、どうしても予定のトン数以内に収めなければならないというので、大きな銀行筋が集ま
つて、二十二、三万トンでありましたかつくる予定のものを十五、六万トンに押えてしま
つた。従
つて銀行が
融資するということを認めた
船会社だけがつくるということに
なつた。そこで
運輸省は銀行が
船会社に
融資するものだけを見てやるということに
なつた。これに対しまして、銀行が船をつくるみたいだ、
運輸省は何をしておるのかというような非難が非常に起
つた。また銀行側からも、いろいろ得意先
関係が輻湊しておるのに銀行が
船主を選ぶ
責任を負うのはまつぴらだ、もう今度限りにしてもらいたいというふうな意見が出たのであります。そこで六次の後期に参りまして、それでは前の官民合同の審査
委員会を使おうかというときに、GHQから、民間側の上に立
つて割当をしたり何かするようなことに参加する、そういう
委員会を設けちやならぬ、こういう指令が出た。従
つて、先ほどの審査
委員会というものを使うことができない。そこで
考えましたのが、アメリカあたりでもよくや
つております聴聞会というやつであります。この聴聞会をやりますのも、直接
船会社に
関係している者がや
つたのでは先入観がある。そこで
船会社と比較的
関係の薄い
官房長あるいは船員局の課長、船舶局の課長、それから私
どもの方の課長でも比較的
関係の薄い者がやる。こういうことで、各申込みの
船会社を一応全部呼びまして、そうして各
船会社のいろいろな事情を聞いた中で、共通の一つの基準を出し、その基準をもちまして――これはいつもや
つておる
方法ですが、一人がとか、あるいはごく少数の者が決定するということをしませんで、いつも
大臣の前で両次官、
関係の局長、
関係の課長、それから事務を担当しておる補佐官、こういう者が全部集まりまして――これは六次の後期、七次の前期もそうですが、比較的
関係の薄い者が聞いた事情、その基準、こういうものをいろいろ
大臣の前で
説明をいたしまして、そこでみんなが討議をしてきめる、大体こういうのが六次の後期と七次の前期でや
つた方法でございます。それからさらに、それでも
運輸省の者だけでや
つているではないかという批判があ
つた。そこで
造船合理化審
議会というものがございまするので、そこで選考の基準をきめてもら
つて、その選考の基準に当てはめて
船会社を選ぶということを七次の後期までや
つております。ところが八次になりましてなおそれでも選考基準に非常に幅がある。そこで私
どもは、その
船主を選ぶ民間側の選考
委員というものを設けたらいいということを
造船合理化審
議会に提案したのです。ところがそのときは、いろいろ議事録も残
つておりますが、これは
運輸省がや
つた方がいいという意見が大多数でした。これは、船のことを
知つている人は
船会社や造
船会社のひもがついておる。知らない人は全然わからない。だからそんな選考
委員会で選ぶよりも
運輸省で選んだ方が、公正だ、こういう意見で、小
委員会で、われわれの方が選考
委員を置いてくださいということを提案しておるのに対して一ぺん否決をされたことがあります。しかし私
どもは、こういうものを
運輸省だけでやるのはいろいろ批判の余地がある。従
つてぜひ置いてもらいたいということで、さらに押し返して選考
委員を置いてもら
つた。そのときはやはり詳細なデータをこしらえまして選考
委員は石川一郎さんとか、村田省蔵さん、あるいは工藤昭四郎さんとか、あるいは当時の銀行協会の会長、こういう
人たち、それから
造船協会の会長、
船主協会の会長、こういう
人たちを選んでいただきました。その前に詳細なるデータをと
つたのであります。私
どもの方は
大臣、次官、
関係の局部課長全部出席してそこでいろいろ審査を進めた、こういうことであります。それで第九次からは開銀ができまして、先ほど言いましたように、
運輸省は航路
計画、
造船計画、それから市銀方面から聞いた各社の資産、信用、大体こういうものを中心にして、
大臣の前で次官、
関係の局長、課長全部集ま
つてや
つた。開銀は開銀の方でそれぞれや
つて、それを両者が一緒に打合せる、こういうふうにいたしまして、私
どもとしては、今まで私
どもの
考え得る最良の
方法を尽した、こういう
考えを持
つております。しかしこれに対しましてもいろいろの目で世間が見ておられるようでありますが、私としては
ほんとうに批判の余地のない、いい
方法があればどんな
方法でもとりたいという気持を持
つておる次第でございます。私
どもがこれに対していかに戒心し、注意してその
方法を
考えて来たかということを申し上げておきます。