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1954-03-13 第19回国会 衆議院 補助金等の臨時特例等に関する法律案特別委員会 第5号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十九年三月十三日(土曜日)     午前十時五十分開議  出席委員    委員長 葉梨新五郎君   理事 岡村利右衞門君 理事 羽田武嗣郎君    理事 松岡 俊三君 理事 井手 以誠君    理事 杉山元治郎君       生田 宏一君    小枝 一雄君       鈴木 善幸君    綱島 正興君       山本 友一君    内藤 友明君       山下 春江君    長谷川 保君       川俣 清音君    平岡忠次郎君  出席政府委員         法制局長官   佐藤 達夫君         法制局次長   林  修三君  委員外出席者         参  考  人         (静岡大学教         授)      鈴木 安蔵君         参  考  人         (一橋大学教         授)      田上 穣治君     ――――――――――――― 本日の会議に付した事件  補助金等臨時特例等に関する法律案内閣提  出第四九号)     ―――――――――――――
  2. 葉梨新五郎

    葉梨委員長 これより会議を開きます。  補助金等臨時特例等に関する法律案を議題といたします。  本日は、参考人といたしまして静岡大学教授鈴木安蔵君、一橋大学教授田上穣治君の御両人が出席されておりますので、本案に関連いたしまして、国会立法権内閣予算編成権等の問題につきまして御意見を伺うことといたします。  議事の順序は、まずお二人の御意見伺つた後に質疑をいたしたいと存じますから、さよう御了承願います。  それでは、まず最初に、静岡大学教授鈴木安蔵君にお願いいたします。
  3. 鈴木安蔵

    鈴木参考人 憲法第四十一条の解釈について意見を申し上げます。  この条文につきましては、学界においても大体のところ二つ学説が存在しておると思うのであります。私個人の見解は、自分の著書憲法概論」その他において述べましたので、もう繰返す必要もないのでありますが、本委員会における参考人として一応簡単に申し上げますと、第四十一条は、私の考えるところでは、当然に、憲法典明文でありますから、単なる宣言的な、あるいは単なる政治的な方針を述べたものではない。憲法の各条は法典の一条として法規範であることは申すまでもないのでありますが、私は当然裁判規範ともなり得る、そういう厳密な法規制を持つものと考えるのであります。そういたしますと、学界の一部にありますように、あるいは、しいてそういう言葉を使うならば、多数説であるかもしれないのでありますが、この国権最高機関であるという規定と、国の唯一立法機関であるという規定は、おのおの違うのであります。  まず、前者から申しますと、国会国権最高関であるという定めは、いわば政治的美称であり、決して厳密な規制を持つた規定ではないということであります。その論拠はもう申し上げるまでもないと思うので省略いたしますが、しかし私はそういう考え方はおかしいと思う。憲法の一条々々は、そういう単なる政治的美称政策の宣言であるというふうに解すべきものではない。これは、先ほど申しましたように、当然厳密な法規制として解釈する。最高機関ということをもしもそういうふうに解釈いたしませんならば、何も憲法の、ことに国会の章の最初にそういうことを掲げる必要はない。近代議会政治のもとにおきまして、たとえば、最も厳密な権力分立原則といたしておりますアメリカ憲法につきましても、このような規定はないにかかわらず、多くの憲法学者政治学者は、アメリカにおけるコングレス及びセネートが、たとえばプロフエサー・デイモックの著書から引用いたしますならば、ザ・センター・オブ・ポリティカル・グラヴイテイ、政治的中心中心である、アメリカにおける国会アメリカ政治における中心である、こういう説明をしておりますが、そのようなことはもう当然の常識となつておるのでありまして、ことに憲法条規においてそういうことを定めておるのは、そういう常識以上に特に厳密な法規的な規定を必要とすると考えたからであると思うのであります。そうしますと、国権最高機関であるということは、憲法自体において、たとえば第八十一条において一定最高機関制に対して例外的なものを設けた場合は別でありますが、その他すべての場合において最高機関としての権限を保有するもの、こう解釈するのが正しいと思うのであります。  次に、唯一立法機関ということの意味は、これこそ本日の論点であると思うのでありますが、私ども考えるところでは文字通り唯一立法機関である。もちろん憲法は、政令であるとか、最高裁判所の規則であるとか、若干の法規範について他の国家機関一定の条件のもとにこれを制定することを許しておるのでありますが、そういうことを別といたしまするならば、可能な限り国の法規範国会の議決を経る、国会を通して制定される、こういうことを憲法が要求しておる。国の立法作用について国会以外の他の国家機関が関与しない、あるいはこれを分有しない、こういうことを要求しておるものと解釈しなければなりません。また、一切の法規範原則として法律という形態をとるべきものであるということを要求しておるわけであります。  ところで、立法作用とは何であるかということは、もう説明の要はないのでございますが、しかし本日の論点に関する限り、次のことは明らかにしておかなければならない。すなわち、立法作用の実際について見ますと、まず法律案なりの原案起草されなければならない。それが国会に対して提出されなければならない。それが審議討論されなければならない。ある場合には修正、ある場合には無修正最後にそれについて表決がされなければならない。しかも、日本国憲法のもとにおいては、第五十九条によりまして、国会の可決がありました場合に法律案法律となること、明文定めている通りであります。しかしながら、立法過程最後まで完了しますためには、形式的ながら公布ということがなければならない。つまり、原案が構想され、起草され、提案され、審議討論され、表決され、ここにおいて法律が成立するのでありますが、それがさらに公布される。このすべての過程立法過程、このすべての作用立法作用というのであります。しかるに、もしも、この唯一立法機関であるという明文があるにかかわらず、これらの立法過程のうちのある過程を、ことにこの立法作用自身実質的な決定作用であるものについて、他の国家機関がこれを扱う、あるいは他の国家機関がこれに大幅に参与する、こういう制度がありましたならば、私は四十一条に言う唯一立法機関であるというこの定めがその実質を侵されると思うのであります。従つて、四十一条を冷静に解釈いたしますならば、すべての立法作用の全過程にわたつて、これは国会のみが行う、国会以外の国家機関はこれに関与しない、こういうことでなければなりません。もちろん憲法は、第七条におきまして、公布についてこれを天皇国事行為としておるのでありますか、すでに五十九条があるのでありますから、立法作用実質的な完成において天皇行為は何ら影響がない。従つて、ただいまの行為を侵すものではないと思うのであります。しかるに、この立法過程のうちのきわめて重要なる原案起草原案提出ということは、もう何人にも明らかなように、一般修正とかそういう作用がありますけれども法律案の成立につきましては、原案が非常に大きい役割を演ずることは言うまでもないのであります。つまり、原案の書き方によつて、その後相当討議修正をなされましても、もしも否決されない限りは、かなり原案趣旨というものが生きる。つまり立法作用のうちの原案起草というものが非常に大きい役割を演ずる過程であると考えなければなりません。そういたしますと、そういう重要な過程であるところの原案起草を他の国家機関が扱う、あるいは他の国家機関がこれをもつぱら行うということが制度として定められますならば、第四十一条の趣旨は没却される、でありますから、現行内閣法第五条が内閣総理大臣法律案提出権を認めておる。しかも、実際の制度として、法制局というものが最初からそういう法律案立案に当ることを重要な職責として設けられており、また実際の問題として、重要な法案はほとんど法制局において審議起草して、内閣を通して国会提案される、こういうような制度があるわけでありますが、これは私は第四十一条の明文からしておかしい。たとえば、われわれと同じ立場に立つ先輩の佐々木惣一博士あるいは大阪大学の磯崎長五郎教授等学説は、そういう現在の制度をもつて、四十一条の明文に反するものである、磯崎教授のごときは、明白に憲法違反定めであると断定をしておるのでありまして、私自身もそういう立場に立つておるものであります。  問題は、第七十二条に、よりまして、内閣総理大臣内閣を代表して議案提出することを認めております。これか内閣法第五条の根拠になつておるようでありますが、第七十一条に言う議案とは何であろうか。議案という観念は、一般的に申しまして法律案を含むことは、これは疑いない。また、憲法におきましても、議案という言葉法律案をも包含しておると考えられる点はあるのであります。しかしながら、すでに第四十一条において「唯一立法機関である。」という定めがある。ことに第七十三条は内閣に関する章のうちの一条でありまして、ここに議案という言葉がありましても、四十一条を考え、またこの内閣の章の一条であるということを考える場合に、ただちにごの議案ということのうちに法律案が含まれていると言う二とはできない。内閣自身憲法上の権能のうちに、法律案立案する、こういう権能が認められておりまするならば、七十二条の議案は当然に法律案を含む概念であると解釈してよろしいのでありますが、すでに申し上げましたように、この日本国憲法のもとにおいては、そういうことは全然ございません。明治憲法の場合と根本的に異なるのであります。従つて、私は、当然に現在行われているような制度は、これは政策論としてその方が妥当であるかどうかということはあらためて問題になりますけれども憲法解釈としてはおかしい。それは憲法に反する制度であると考えるのであります。  なお、この国会法を見ますと、少くとも両院法規委員会あるいは両院法制局というものを設けておる。これは、かつて明治憲法下における議院帝国議会においてはなかつた制度でありまして、国会法立案者は、当然に立法権――起草し、提出する、そういう権限国会が独占すべきものと考えておつたものではないかと思われるのであります。  なお、現行国会法は改められておりますが、最初国会法が可決されましたときの両院法規委員会規定を見ますると、最初国会法の九十九条には「両院法規委員会は、両議院及び内閣に対し、新立法提案並びに現行法律及び政令に関し勧告し、」云々とあるのであります。これは、やはり私どもと同じ立場に立つ者から、かんじん国会法自身において憲法違反定めをしておる、つまり両院法規委員会というものが両議院及び内閣に対し、新立法提案並びに現行法律及び政令に関し勧告するというのは、これはまさに内閣が新立法提案をなし得る、そういうことを前提とした規定であつて内閣法第五条とともに憲法違反定めである、こういう批判を公表したことがあるのでありますが、その後、その改正理由は私ども拝見しておりませんけれども、幸いにしてこの内閣に対して新立法提案等について勧告するという点は削除されまして、現行のように単に「新立法提案又は現行法律及び政令に関して、両議院に勧告する。」という正当な定めに改められておるのであります。それが正しいと思うのであります。  以上が私の見解の大要であります。
  4. 葉梨新五郎

    葉梨委員長 次に、一橋大学教授田上穣治君の御意見を聴取することにいたします。
  5. 田上穣治

    田上参考人 本日参考人としてお呼出しを受けたのでありますが、実は私は、法律予算関係、また国会の方で予算を伴う法律案提案する、あるいはこれを議決することが適当であるかどうかというような問題につきまして、多少御質問があるかと思つて参つたのでありますが、ただいまのお話で、問題の焦点が少し違つておりまして、法律案内閣の方から出すことができるのであるか、もつぱら衆参両院の方から法律案提出すべきではないかという問題のように伺いましたので、はなはだ用意不十分でございますが、簡単に意見を申し上げたいと思います。  今、鈴木さんからお話がございましたが、憲法四十一条の解釈といたしまして、国会国権最高機関であるということは、文字通り認めるべきであると私は考えるのであります。この点は本日の問題とはあるいはなつていないかと思いますけれども、これは内閣との関係においては確かに国会が優越しておる。けれども最高という以上は、裁判所との関係においても国会は優越しなければならない。しかるに、新憲法は、別に八十一条で、法律合憲性審査最高裁判所に少くとも認めておるのでありまするから、その点で、国会最高機関ではないのだろうという意見が一方にあるのであります。しかしながら、私は、憲法八十一条の法律合憲性審査は、元来が司法権範囲において裁判所が行うべきものであり、従つて、具体的な事件について訴訟が提起されたときに、原則としては、訴訟当事者範囲において民事あるいは刑事、行政事件などの判決をするに必要な限度において合憲かいなかを判断するにすぎないのであつて、いわば立法権に対する監督を行うものではない。国会内閣に対して行政権についての監督を行いまするが、裁判所の方は国会の行う立法権に対して一般的な監督権は持つていない。そういう点で、私は、国会の上に立つて国会監督するものはない、だから、文字通り国会国権最高機関であると考えるのであります。  ところで、この原則が、本日の問題であります国会唯一立法機関であるということに関連があると思うのであります。この点で、あるいは先ほどの鈴木教授の御意見と多少違つて来るかと思うのでありまするが、アメリカ憲法のように、厳格な権力分立立法権国会行政権内閣という基本的な点はそうであるといたしましても、特にアメリカでは厳格に分離いたしまして、その結果、内閣あるいは政府の職員は国会議員を兼ねることができない。国会の方からは不信任決議を、出すことはできない。また反対に、大統領政府国会解散することができない。これはきわめて徹底した権力分立であります。これから当然に、政府大臣と申しますか、行政各府の長官は、国会の本会議出席をし発言することができない。委員会に対しましては別でありますが、委員会を通して辛うじて国会政府との結びつぎがある。委員会とそれから政府与党、これがアメリカにおける国会大統領政府とを結びつけるものでありまして、この点英国のような議院内閣制を認めている国とは根本的に違つておると思うのであります。  そこで、私の申し上げたいことは、アメリカにおいては国会最高機関ではない。そうではなくて、これは立法権を担当しておりまするが、行政権立法権司法権、なかんずく司法権立法権とは、決して明確に、上下と申しまするか、つまり国会の方の優位、国会裁判所に優越するという原則は認められていないのであります。もしわが新憲法がこの純然たるアメリカ式憲法でありまするならば、国会唯一立法機関ではありまするけれども最高機関ではなくなるのじやないか。反対に、国会国権最高機関であるというならば、その限度においては、英国のごとき、イギリス憲法のような制度が認められているのであつて、その点で私は唯一立法機関であるとは考えますけれども、ただ、それがアメリカのような意味の厳密な立法機関であるのか、あるいは、従来政府が認めて参つておりますように、法律発案権については政府にも認められるのではないか、このあたりが、唯一立法機関であるということと最高機関であるというこの二つの根本的な国会の性格、これを突き合せてみますると問題になるように考えるのであります。先ほど鈴木教授から御指摘がありましたように、新憲法の七十二条で、内閣総理大臣内閣を代表して国会議案提出するという言葉がございます。そこで、この議案が、内閣法で書いてありまするように法律案を含むかどうか、この点について学界の方でも従来からしばしば争われて来ておるのでございます。おそらくこの特別委員会におきましても、その点が御議論になつておることと存じまするが、この憲法規定では、私の考えでは、必ずしも明確に結論は出ていない。議案の中に法律案が含まれるという見方もございますが、しかしそう簡単には言い切れないので、含まれないという有力な見方もございまするから、学説はわかれているのでございます。確かに新憲法アメリカ憲法原理にならつている部分が多い。特にそれは、たとえば基本的人権規定のごときは、私ども英国式の、あるいは従来のドイツ流憲法ではなくて、アメリカ憲法色彩が非常に強いと思うのであります。しかしながら、他方におきまして、先ほどの、国会が国憲の最高機関である、また衆議院解散なり内閣不信任決議などを認めておりまする点では、何と申しましてもアメリカよりはむしろ英国憲法イギリス制度に範をとつておるように考えるのであります。そこで、そうなりますと、この七十二条で議案とあるのは、一体法律案が含まれるのかどうか、もしこれを、日本の憲法が、この点で内閣国会関係は、アメリカ憲法よりはむしろイギリス制度従つておるのであるというふうに考えますと、議案の中に法律案が一応考えられることになると思います。  ただここで、蛇足でございますが、イギリス制度は、実を申しますと、政府法律案を出すのではなくて、内閣から出します場合でも、結局国務大臣議員資格において出すことになつております。ただ、しかし、それは普通の議員提出法律案とは違つて、特別な優先的な取扱いを受けておるように存じますが、厳密に申しますと、政府の名において法律案を出すのではない。けれども、しかし、これは実質においては単純な議員提出法案ではなくて、政府提出法案と見てよろしいのではないかと考えるのでございますが、これは英国にならつた議院内閣制をとつておりまする大陸のドイツとかフランス等のほかの多くの国を見ますと、ほとんどが政府からも、また各議院の方からも、いずれからでも法律案を出すことができる。なお、きわめて古いと申しますか、君主主権色彩の、強いかつてのヨーロツパの憲法などを、見ますと、中にはもつぱら法律案政府から提出する、あるいは君主提出するとありまして、議院の方は、国会はただそれに対して賛否を決するだけという場合もございますが、これはもちろん今日のわれわれの参考にはならないのでございます。だから問題は、議院内閣制を認めておる多くの国、またはイギリスのごとく実質的に内閣衆参両院のそのいずれからでも法律案か出せる、その意味で、七十二条の議案の中には法律案を含むという解釈と、もう一つは、アメリカ憲法にならいまして、政府からは法律案が出せない、理由は、先ほど鈴木教授がおつしやいましたように、法律案発案立法作用の中の重要な部分ですから、もちろんこれは単純な行政事務ではないのであつて、だから、そうなると、もうすでに何パーセントか、かなり内閣の方に立法権が移つてしまうという御意見は、そういう理由でございます。ただ、繰返し申し上げますると、私の意見は、大体国会内閣関係は、わが新憲法アメリカ憲法よりもむしろイギリス流議院内閣制従つておるのではないか、だからその点で、むしろ反対法律案内閣の方から提出できないという、そういう反対の明瞭な規定がなければ、内閣法案提出権を認めてよろしいのではないかと思うのでございます。  なお、内閣法規定には、繰返し先ほどから指摘されましたように、法律案内閣から出せるということがございますけれども、これはただ法律規定でございますから、憲法解釈するときのきめ手にはならない。だから、もし憲法解釈として、アメリカ憲法の、ごとくわが国においてももつぱら国会の方に発案権があるということであれば、内閣法規定はもちろん憲法違反のわけで、その限度においては無効である。またこれに関連する同家行政組織法その他の法律規定は無効になるはずでございます。でありますから、私ども考え内閣法にあるからどうというのではなくて、もつぱら憲法規定考えてみたいのでございますが、ただ憲法議案とあつて、明確でない。そこでイエスともノーともはつきり出ていないのでありまして、一歩しりぞくと申しますか、基本的な原理はどこにあるのか、国会内閣の基本的な関係は、わが憲法は、司法権の場合とは違つてアメリカよりむしろイギリス制度に近いのではないかという議院内閣制を認めている、これが内閣法律案提出を認めてよろしかろうと考える私の意見でございます。  なお、申し足りないこともあるかと思いますし、またこれに関連する他の問題もあるかと思いますが、この程度にいたしまして、御質問をいただきましたらお答えを申し上げたいと思います。
  6. 葉梨新五郎

    葉梨委員長 これより質疑に入ります。質疑は順次これを許します。綱島正興君。
  7. 綱島正興

    綱島委員 田上教授に御意見を伺いたいと思いますが、ここで重要な問題は、憲法七十二条の規定のうち、議案提出に関して「内閣総理大臣は、内閣を代表して」という規定がございます。代表してという意味を私は相当重く見なくてはならないと思いますので、従つて代表して提出するのでありますから、七十三条の内閣が持つておる権限の中に含まれていないものは内閣にすでに権限がないものであるから、代表する資格はないことに相なりますので、従つて、もし議案というものの中に法律案を含むといたしますれば、しいて歪曲して議論を申しますれば、七十三条の一項にある一般行政事務の中にこの立法行為のうちの立案権が入るのである、従つて提案権もこの中に入つておるのであると解釈するほかないと思われます。一体内閣組織英国法内閣でやつておる、こういうようなことは、なるほど一部そういうところもあれば、そうでないようなところもあるようですが、そういう漠然たる外形的な援用から、一体この厳密な規定をそういうふうに解釈して学問的に成立するのかどうか、これが一点。それから、この七十二条の規定が、七十二条によらずして、他の遠い意味での権限国会に加わるとか、あるいはこういうふうにあるとか、こうなるだろうとかいうようなことだけでは解釈されぬだけではなく、およそ憲法改訂というものは、先例も多少いわれますけれども、大体当時の国民の了承するところとなるところの国家意思決定を基礎といたすのであるから、他の例証がこうであるとかいうようなことは、割合に他の類似規定とは違つて憲法に関する限り成文に明記されておるものによるにあらざれば、他の法律と異なり、憲法改訂は必ず国民一定革命的意思に基いてなされるという立法事情等よりかんがみて、憲法というものはその条章に規定されておる成文を忠実に解釈することが憲法解釈の最も妥当な態度ではないか、学問的態度ではないか、これが一点。まずこの三点の御意見を伺います。
  8. 田上穣治

    田上参考人 はなはだ鋭い私の痛いところをつかれましたので、十分なお答えができないかと思いますが、第一点の七十三条に「内閣は、他の一般行政事務の外、左の事務を行ふ。」と確かにございます。私先ほど申し上げましたが、七十二条の議案が、法律案提出が単純な行政事務であるというふうには考えないのでございます。ただ憲法で七十三条に内閣権限がございます。しかしその他にも、たとえば、これは大いに御議論があるかと思いまするが、国会の召集でありまするとかあるいは解散とか、もちろんこれは、一方におきまして天皇国事行為になつておりまするから、内閣事務ではない、だから、七十三条にあるように、もつぱら内閣行政事務を行うのであるという説明もできるかと思いますが、私どもは、実質的には天皇国事行為というのは内閣行為である、ただ形式的には天皇行為でありまするが、実質的な決定権は内閣にある、そういうわけでありまするから、内閣憲法上行う職務は必ずしも七十三条の規定だけではないと思うのでございます。七十二条の議案提出も、厳密に申しますると、七十三条からは説明ができないように思うのでございます。しかしこれは行政事務に関連はある、行政事務に含まれませんけれども立法はもちろん行政に関連があるのでありまして、その意味で全然無関係作用とは思えないのであります。そこで問題は、七十二条の方でございますが、七十二条の解釈として、この議案という言葉はきわめて漠然とした言葉であります。これが予算案は当然含まれるといたしましても、法律案が含まれるかどうかは規定では明確でない。けれども、七十二条の規定からこれは含まれないことが明瞭だとも言い切れないのじやないか。ただいまの御質問は、七十三条の一般行政事務でないから、従つて七十二条の議案の中には法律案が当然含まれないという御意見のようであります。がむしろこの問題は、先ほど鈴木教授から御指摘がありましたように、唯一立法機関というこの四十一条と七十二条との関係議論されるべきではないか。他の法律を引きますとあるいはお上がりを受けるかとも思いますが、地方自治法などではよほどアメリカ大統領制度が採用されておる。御承知のよりに知事、市町村長等は公選でございます。しかしながら、地方自治法においても、やはり条例案、議案の中には、そういつた法律案に相当するものを知事、市町村長の方から議会に提出することが認められている。もちろんこれはアメリカ憲法とその点では違うのでございますが、公選の長、知事、市町村長を持つている地方制度においてもそのように考えられる。これはもちろん七十二条の規定解釈するときの当然の根拠というわけには参りませんけれども、私ども考えまするのは、七十二条の字句に明らかに反するならば、ただいま御指摘のように、そういう解釈が間違つている。けれども、七十二条の規定自体はいずれとも解釈ができるかなり不明確なものである。その意味解釈いたしまするときに、もつぱら七十三条との関連でこれが法律案を含まないというふうにお話なつたようでございいますが、私はこの点唯一立法機関という国会の性質、地位とつき合せまして議論があるかと思うのであります。立法権の中で法律発案権は重要な部分には間違いかない。この新憲法は、この点国会内閣とは本質的に無関係な独立なものではなくて、むしろ内閣はある意味では常設された国会委員会の、ごとき形をとつておるのでございますから、その点で英国あるいは大陸の諸国に多く見られまするような法律案提出内閣に認めることが憲法の字句に反するというふうには思えないのでございます。簡単でありますが、以上で……。
  9. 綱島正興

    綱島委員 ただいまのお話では、四十一条との関連で解釈すべきだというお話でありますが、それはもちろんです。そのことはあとからお尋ねいたそうと思つてつたところであります。問題は、七十二条、七十三条に列記してあります箇条、この文の構成から見ても、この点に非常に意味があると思う。特に内閣を代表して議案国会提出する、内閣総理大臣内閣を代表するという文句は所々にございますが、いずれもそのことについては厳密な解釈ができることになつておるようでございます。特にこの七十二条に「内閣を代表して」とあるのはどういう意味であるかというと、他の箇条、しかも七十三条に内閣の職能を大体一般行政事務と包括して書いてございます。一般行政事務のほかに特に列記しなければならぬものだけは、特に箇条として列記してございます。この箇条の中には、外交に関する事前、事後の承認を求むる議案予算案あるいは特赦、大赦、こういうようなものが特に列記されておる事情等の点から、これは関連して解釈をいたさなければならぬ事情であると考えるのであります。もちろん、この最高唯一立法機関であるという点については、これは本則的な問題でございますから、その点に重点を置いて解釈いたさなければならぬことは異論ないのですが、ただ公布ということが国事行為になつておるという点でございます。この公布は、法律案の審議決定の中にいついつこれを公布するとかいうようなことがちやんときまつておるのであつて、特に国会の意思発動を要せず、行政的には自動的に行われるものでございますから、たまたま法律文の公布が国事事項になつていようとも、そのことは、国会唯一なる立法機関であるという権能に対しては、いささかもひびの入ることでもなく、本質的の事柄にも属さないのであります。  問題は、先ほど鈴木教授が申されました通り、立案という立法行為一般行政事務であるか立法行為であるか。これはおよそ学問上論争がないところで、立法行為に間違いないと思う。立案ということを非常に軽い意味で道しるべの指をさしている指の張札のように見るか、立案というものが法律制定の上において意義がある、そうしてウエートの重い、しかも非常な影響力を持つものであるかということ、このことが非常に重大な問題になります。が、国会唯一立法機関であることの保証を妨げるについては、国事とは一向関係がないものと見なければならぬ。学問的にこれをとらえて来て、そういう箇条があるからということでは、ちよつと私は受取れない議論だと思う。問題は、先ほども申し上げるように、七十二条及び七十三条の憲法の列記の事情、成文上の体裁及び文言、こういうところから非常に重く見なければならぬことと、四十一条の規定を裏づけする立法体裁、法規体裁であつてこのことはむしろ七十一条の規定を重からしめる、明確ならしめる事情になりこそすれ、他に内閣の構成が、総理大臣国会議員より選ばれ、他の国務大臣も大体半数以上は国会議員から選ばれなければならぬといういわゆる議院内閣制をとつておるというような事情からして、立法権立案権提案権は内閣にもあるという解釈には私はならぬと思う。そういう事情を言うことは、実は立案の事情から申し上げますならば、先ほどもおつしやつた通り、この点に関してはむしろ大体アメリカ法にかたどつておると見なくてはならぬ。ましてや、日本は、実は国会の独立が阻害されたために、非常な戦争上の被害をこうむつた直後の状態において憲法が制定せられて、国会がそういう意味において重きをいたさなければならぬという考え方が、ひとりアメリカの助言のみならず、国民の確信の中に非常なウエートを持つておる。それがいつとはなしにだんだん便宜主義になつて参りまして、日本の自由主義運動の過程が割合短かかつたこと、割合国民の中に行きわたつていないことに乗じまして、学問も歪曲されて来、立法も歪曲されて来、いろいろな問題が出て参つたものと見ることが、私はこの憲法解釈上正しい見方である、こう思うのであります、従つて、その歪曲した規定がいかほど山ほどありましようとも、そのことは憲法の本来の規定の本質をいささかも加減乗除いたさないものである、そういう意味において、先ほど鈴木教授が言われました通り、最高の機関であるとか唯一立法機関であるとかいう言葉は、実はこれは重く解釈しなければならぬ。これを軽く解釈して、わきにこういう箇条がある、あるいははなはだしきは、こうも解釈できるじやないか、こういうようなことでは、私は本質の論争に入らない、こういう考えを持つておるのでありますが、それに対するウエートの問題、どういうところに重点を置いて解釈する方が、ほんとうに憲法学上の解釈としてこの憲法の条章の取扱いが妥当であるか、こういう点についての御所見を伺いたいと思うのであります。
  10. 田上穣治

    田上参考人 ただいまの御質問は一一ごもつとものようにに考えるのでございますが、もう一度意見を申し上げますと、七十三条の方の内閣の職務、そこに列挙してありますことは、もつぱら内閣が責任を持ち、内閣が執行する、国会が条約を締結するのでもないし、法律を誠実に施行することも国会ではなくて、内閣の責任であり、また予算の作成も――予算提案につきましては、法律案と違ってわれわれもこれはもつぱら内閣発案権を持つ。恩赦などもすべてそうでございまして、その点が、七十三条に列挙してありますことと、七十三条のただいま問題になつております法律発案権とは、少し違うように考えるのでございます。  そこで、もちろんこれは、ただいまの綱島さんの御意見も、その点については御異論はないかと思うのでございますが、ただ七十三条の一般行政事務という点でございます。先ほど私が申し上げましたのは、大事の国事行為には、法律公布だけでなくて、もちろん御承知のように国会の召集もあるし、衆議院解散もあり、その他重要なる選挙期日の告示などもございますので、これらは国会に関する立法権にもちろん直接関係はないと思いますけれども、しかし事は国会に関する重大なものであり、もし憲法改正のような一種の立法論が許されますならば、あるいは国会の、ことに常会の召集のごときは、アメリカ憲法のように、一定の期日をあらかじめ法律できめておいて自動的に会期に入るということが、立法権の独立、立法行政権力分立から言えば望ましいことのように思うのでございます。そういうふうに一般行政事務には当然には含まれないものが、国事行為という形で、実質内閣決定権を持つておるというものもあるのでございまして、その点で、これは少し横道でございますが、七十二条の議案の中に、一般行政事務では割切れない、含まれない法律案がかりに含まれるといたしましても、それはなおほかの今の国事行為などの例を見れは、必ずしも不自然ではなかろうと思うのでございます。そうして、もう一つ今御意見を承りましたが、もちろん七十二条の総理大臣議案提出するというのは内閣を代表して行う。この点は私どももまつたくそのように考えるのでございまして、総理大臣一個の、たとえば総理府の権能事務というようなものではなくて、内閣を代表する、従つて閣議また国務大臣全体の責任において総理大臣法案を出すというふうに考えるのでございます。  そこで、根本の点でございますが、先ほどからの御指摘の四十一条でございまして、これも先ほど簡単に申し上げましたように、四十一条には「国権最高機関」ということと「国の唯一立法機関」ということが並べて書いてございます。この二つは、鈴木教授も御指摘になりましたように、ともに重要な規定でございまして、最高機関はどうでもいい、これはただ儀礼的な表現であつて、かんじんなのは唯一立法機関であるというふうには私は考えないのでございます。そうなつて参りますと、実はここに問題がある。単純なアメリカ憲法原理従つておりますならば、最高機関ということがはなはだ影の薄い、不明確なものになるのであります。私は唯一立法機関ということは間違いないと思う。それも憲法の根本の原理だと思いますが、同時に国権最高機関であるという点もまたすこぶる重要な憲法原理であると考えるのでございます。そうなりますと、この点で二つを一緒にいたしますと、日本の憲法は単純なアメリカ式憲法ではない。だからそこに、表現はあるいはつたないかと思いますが、唯一立法機関ということは、一方で最高機関ということと結びつけて、にらみ合せて考えるべきである。もしアメリカ憲法であるとすれば、唯一立法機関という点では大いに徹底いたしますが、最高機関というところではなはだ不徹底な結果になると思うのでございます。従いまして、英国式最高機関という性質、地位、これを十分に考慮した上で唯一立法機関ということを考えたい。そういたしますと、この点はもう御議論がないと思いますが、私ども解釈では、唯一立法機関というのは、法律の成立要件として、法律はもつぱら国会の議決のみによつて成立するものであり、天皇の裁可は必要でない。簡単に申しますと国会のみで法律ができる。もう一つは、国会以外のところでは立法が行えない。たとえば、内閣政令でありますとか、あるいは最高裁判所の規則、自治体の条例、いろいろ類似の現象がございますが、これは国会が行う立法作用とは違うし、またそこに国会唯一立法機関たる地位を侵すものであつてはいけない。だから、たとえば国会の制定した法律最高裁判所の規則とが抵触すればもちろん法律が優先する。内閣政令に至つてはさらに明瞭でありまして、法律の委任あるいは法律を執行するためでなければ、要するに特別な法律を前提として初めてそのわくの中で内閣政令考えられるのでありまして、そういう点で唯一立法機関たる国会を除いては立法考えられないし、また国会のみで正式の立法ができる。これが唯一立法機関という私ども解釈でございまして、この点、もちろん旧憲法などとはまつたく違つた憲法の特色であると考えるのでございます。はなはだくどいようでございますが、四十一条で二つ原則が示されている。唯一立法機関ということはもちろん重要であるが、同時に国権最高機関ということも十分に考慮すべきである。そうなりますと、単純なアメリカ憲法のような原理解釈では割切れないものが出て来るしそのあたりから、この七十二条の議・案の中にも法律案が含まれるという結論が出るのではないか、こう考えるのでございます。
  11. 葉梨新五郎

    葉梨委員長 鈴木安蔵君より補充意見の陳述をしたいとの申出があります。これを許します。
  12. 鈴木安蔵

    鈴木参考人 先ほど憲法解釈論を申し上げたのでありますが、若干自分の解釈論に対して政策論及び法社会学的な観点を補充意見として申し上げたいと思います。ただいままでの質疑にも若干関連すると思うので、申し上げる次第であります。  最初田上教授に……。こういう機会はやはり学会の集まりと同じように利用さしていただきたいと思うのであります。私も、日本国憲法における内閣国会との関係については、アメリカ型でない、イギリス型の議院内閣制をとつているということは、自分の著書にも特に力説した次第であります。ただ、ただいま田上教授の言われた中に、特に反対の明瞭な規定がない場合には、当然に議院内閣制イギリス型の原理によつて解釈するのが合理的で、あるという言葉があつたと思うのでありますが、私は第四十一条の「唯一立法機関である。」こういうのは非常に有力な反対規定ではないか。これさえないならば、私どもはこの議案の中に法律案も含まれていると、イギリス型に解釈してもよろしいと思うのでありますが、どうもこの四十一条の「唯一立法機関」ということは非常に強いものである。この点は、有力な反対の明瞭な規定がない限りは、イギリス型の原理によつて解釈してよいという点に若干疑問を抱くのであります。これは論点であります。  さて政策論といたしましては、やはり憲法は何よりも先に法解釈をいたすのでありますけれども、こういう重要な問題については、特に政策論としてどちらが憲法全体の趣旨に基いて合理的であるかという考慮も人づてよいと思うのであります。そうしますと、政策論としては、現行制度の中では、憲法自身明文をもつて法律案提出について政府がなすことを禁じていないのだから、しかも政策的にそうした方がより合理的なのだから、こういうような考え方もあるだろうと思います。その点をちよつと述べてみたいと思うのであります。  ある学者は、かりに内閣には提出権がない、そう憲法解釈定めましても、実際問題として総理大臣初め有力な閣僚はほとんど国会議員なのだから、それは各人が議員として出せばいいのであつて、実害がない、同じことではないか、こういう意見かあるのであります。これはもつともな意見でありますが、しかし私はそれでも相当違うと思う。そう簡単に考えるべきではない。必ず法律案提出――原案起草、その提出ということは国会のみがなし得る、国会議員のみがなし得るのである、こういう制度、こういう観念か徹底いたしましたならば、現在のように国会法制局あるいはその他各省の官吏たちに依存する、もつぱらそういうところに重要な法律案起草を――依頼はしないけれども、当然のこととして考えるというような考え方がなくなつてしまう。そうすると、国会法定めておる両院法規委員会なり、各院の法制局なりというものは、もつと本格的に絶えず現在の法制局よりもはるかに十分の準備と人員とをもつてこれに当る、国会議員おのおのも自分たちのみが法律案を出せるものだ、出すべきものであるということになりますと、各党の政務調査会なども、もつとそういう点に焦点を置いてふだんから準備をする、こういうことがありませんと、これは第三者として拝見しておつた感じでありますけれども、現存のようにこまかい法律案はもう自分たちはあまり興味がない、研究する必要もないというような弊害もなくなつてしまうのではないか。政策論としましても、私は、単に議員としても出せるのだから決して大して実際の相違はないというような考え方を捨てて、法律案は必ず国会のみが、国会議員のみが発案できるのである、こういう制度に徹底する方が、政策論としても妥当であると思うのであります。  それから、もう一つ法社会学的に見ますと、この憲法自身が、御承知のようないきさつで、必ずしも体系的に一貫していない点がございます。これは大切なことでありますから、あえて申し上げるのでありますけれども明治憲法は、その基本原理において、私どもとうてい今日賛成できない、これはもう言うまでもない。しかしながら、あの井上毅という実際に一番大きい起草役割を果しました方は、今日そのいろいろな資料を見ましても、非常によく勉強されておる。私は、帝国憲法発布五十周年記念の際に、衆議院の憲政史編纂委員として約三年間つぶさにその資料を拝見したのでありますが、これはもう、そう言つては非常に僣越でありますけれども、実にりつぱなものであつて、今日なおこういう問題が起つて参りました場合に、この井上毅氏の書いた重要資料を見ますると、非常に比較憲法的な研究も、正確になされておる。必要とあれば、当国会図書館に私どもの集めたその資料が十分そろつておりますので、引用したいのでありますが、こういう問題に関してもつぶさに非常によく研究されておる。今日なおそれを学界に出してもさしつかえないように調査されておる。従つて、基本原理は私ども容認できないのでありますけれども明治憲法は非常に体系的に一貫して、厳密な法解釈にたえ得るよりな条文構成を持つております。しかるに、日本国憲法は、これはただ一般に英米系統の学者の常でありますけれどもドイツ法学的な、あるいは井上毅氏の取上げたような明治憲法的な原理の精密さ、体系の緻密さに欠けておるのではないか。同時に、一方から言うと、近代民主主義の常識で、あまりこまかい法律論よりも、そういうよき意味常識、良識によつて判断してあやまちがない、こういう長所もあるわけであります。そういう長所はございますけれども、どうも憲法の条文の書き方においても必ずしも精密でない。それが今日のようにこの議案法律案が含まれるかどうかというような議論も起つて来る一つの理由であります。のみならず、明治憲法のもとにおきまして、最初は、明治憲法の草案起草の際には、専制国家の常といたしまして、帝国議会議員法律発案権というものを認めない、そういう草案を最初考えたことがあるのでありますが、さすがにそれは、いやしくも帝国議会を開いて政府だけが法律案を出すということはあまりにも非合理だろうというような意見で、御承知のように明治憲法第三十八条の明文ができまして、政府法律案を出せるし、また議会も出せる、こういうものになつたのでありますが、御承知のように、実際問題としましてはもう圧倒的に政府提出案が多くなつた。そういう長い日本の議会政治の伝統があるところへ、この懸法ができましたときに、私どもは第四十一条によりまして一切そういう従来の縄法制度は変革されたと考えたのでありますけれども、占領軍がこの憲法の運用について必ずしも厳密にこの憲法の条文規定を理解しなかつた点があるのではないか。外部から見ておりましても明らかなように、むしろ便宜的に、この各省の官僚たちを媒介体といたしまして、いろいろ、こういう法律案をつくれ、ああいう法律案起草して来い。できましたものはまた優秀な渉外の官吏たちがこれを英文に直して、先方のオーケーをもらう。つまり国権最高機関として、国の唯一立法機関として、国会憲法上そういう地位を与えられておりながら、そういう権能を独占せしめられておりながら、占領軍の便宜によつて絶えずそれを無視して、相かわらず政府の役人を通していろいろな法律案を指示する、そうしてそれを政府から提出せしめる、この方が占領軍としては非常に便利でもある、そういうことのために、いつの間にか国会議員の人々も、――長い明治時代の議会政治の慣習と、それからまた、これは明治憲法に根拠を持つた行き方でありますけれども、しかし、明治憲法のもとにおいても、帝国議会がもつと積極的に法律案を出してよかつたはずでありますが、議会政治の欠陥からいたしまして、政府提案という考え方が支配的であつた。そこへ持つて来て、占領期間中の、ただいま申しましたような便宜的の事情もありましたために、いつの間にか国会議員自身が、この国会立法機能というものは、出された原案について大いにこれを批判したりあるいはこれを修正する、最後にこれを可決するか否決するか、自分たちだけができるのだ。そういうところに立法作用というものも尽きるように思い違いした点があるのではないか。法社会学的に見ると、そういう伝統がありますために、今日四十一条の、このように明瞭な唯一立法機関という規定を、案外正確に解釈できなくて、そうして内閣法もそういう頭でつくつてしまう。先ほど申しましたように、国会法においてすらも、最初は、内閣が当然に新しい立法について提案することができるような、そういう思い違いした条文をつくつたということになるのではないか。この点はこの際十分に考えまして、やはり憲法四十一条に基いたような内閣法、またそういう制度をつくることが大切ではないか。それは、政策論としても、そういうふうに憲法四十一条の定めるような趣旨制度を改める方が望ましいのではないか。以上補充意見として申し上げます。
  13. 井手以誠

    ○井手委員 国権最高機関であるとか、あるいは唯一立法機関であるとかにつきましては、すでに質疑がなされましたので、進んで両先生にお尋ねいたしたいと思います。それは予算法律関係でございます。憲法によりまして、財政処理の権限内閣に与えられておりまするが、国会はこれを監督する上位の機関であることが明確に示されておるようであります。従つて、行政府国会の意思に反した財政処理をしてならないことは申すまでもないと存じます。そこで、お尋ねいたしまするのは、国会中心の財政が確立されておる点についての一般的な御見解、それから具体的には内閣法律を誠実に執行しなくてはならないという厳格な規定義務が明示されておりますので、先刻も申しましたように、国会の意思に反していろいろなことをしてはならない。特に田上先生にお尋ねしたいのは、内閣にも法律案提案権があるとも考えられるというお言葉でありましたけれども、いやしくも誠実に法律を執行しなくちやならないという義務規定がある以上、国会が一旦きめて成立した法律、たとえば補助金などに関する法律についてこれを減額するような改正案を考えるべきことでは絶対にないとは私は考えておる次第でございます。まずこの点について両先生から一般論と具体論のお答えをいただきたいと存じます。
  14. 田上穣治

    田上参考人 法律予算関係でございますが、ただいま御質問がありましたように、私も法律政府が支出しなければならない金額を予算の上で削つて予算を編成するということにつきましては、非常な疑問を持つているのであります。むしろ法律予算に優先するものである。もちろん、予算は、これは政府決定するものではなく、やはり最終的に国会でおきめになるものでありますから、その意味においては政府だけに責任を負わせるということはできないかと思います。しかし、結果といたしまして、たとえば法律上支出しなければならないものが予算にないからというので支払われなかつた場合に、国民の方からは違法として争うことはできるのではないか。つまり、そこに既得権というような問題が起きますると、国民政府関係におきましては、それは予算ではなくて、法律に根拠のありますものは法律によつて権利義務が生ずるのであります。国民の権利なり政府のこれに対応する義務が生ずるのであつて予算に計上されていないから、従つて政府は義務を免れるということはできない。これはやはり私は違法だと考えるのでございます。  ただいまの初めの方で御指摘がございましたが、旧憲法違つて、新憲法は財政処理につきまして国会の非常に強い権能を認めております。この点もやはり新憲法国会最高機関であるとうたつたその一つの現われであると思うのでありまして、立法権以外に八十三条で一般的財政処理についての権限国会監督を行う。従つて国会の許しなくしては、政府は財産を管理し、売り払い、あるいは国民から税金をとり、さらに国民に補助金を出すというようなこともできない。すべては国会政府に対して財政的に監督権を持ち、国会の議決に属するということになつておるのでございますが、そうなると、旧憲法では考えられなかつたいろいろな新しい結論が出て来ると思います。旧憲法では、多少議論がありましたが、予算に計上されてなくても政府は必要とあれは金を使うことができた。もちろん、使つた場合には、これは国会との関係で政治的な責任を問われることはあつたでありましようけれども、違法ではない。法律的には何ら非難されない。ところが、今日の解釈といたしましては、少くとも国会政府関係では、予算にない金を政府は使うことができない。これは単なる政治的な責任の問題ではなくて違法なのである。むしろ憲法規定に反する。だから絶対に予算にない金は使えない。しかし、それなれば、法律規定の上では支出をしなければいけないとなつておるときに、予算にないから使えないとすると、政府は進退に窮するのであります。  この問題はあるいは御質問範囲から離れるかとも思いますが、私は、これは政府国会関係政府国民関係とわけて考えますと、予算にない金を使つた場合はどうか。これは政府国民関係においてはその支払いは有効であるけれども政府国会に対して責任を負わなければいけないし、また国会との関係においては違法あるいは憲法規定に反すると非難を受けるわけであります。実際にそういうことは不可能だと思いますが、しかしながら、また反対に、予算に忠実に、政府法律上支払うべき金を支払わなかつたというときは、これは国会との関係では問題はないのでありますが、政府は、国民に対しては法律上の義務を怠つた、義務に違反したという意味において、国民との関係ではあるいは訴訟で責任を問われるかもしれない。この点と、もう一つは、御承知のように予備費として計上されていなければ、予算に載つておりません剰余金などを政府が支出することは、旧憲法では、これも学説は多少わかれておりましたが、大体は承認されておつたのでありまして、国会の事後承認があれば政治的にも問題は解消した。ところが、新憲法では、追加予算あるいは予算修正しなければ、政府はそういつた予算に計上されていない費目あるいは金額については絶対に支払うことができない。そういう点で従来とは非情にかわつていると思うのでございます。ただ、今の御質問に対するお答えとしては少し焦点がはずれたようでございますが、私は、予算法律関係では、政府法律上補助金を一定限度まで支払う義務があるとされている場合に、予算の上でこれを減額いたしまして国会に出すということは、これはやはりそのままでは――そのままと申しますか、国会が同時にその基本となる法律をかえない限りは、政府は違法の責任を免れないと考えるのでございます。
  15. 井手以誠

    ○井手委員 私がお尋ねしておりますのは、おつしやるように国会権限がきわめて強い、行政府監督する、特に財政について国会監督する立場にあるという前提のもとに、補助金などについてすでに義務支出を課した法律ができている以上は、国会の意思がはつきりきまつていることであるのに、それを減額するような国会の意思に反した法律案の起案を行政府がすることができるかどうか、こういうことでございます。先般田上先生は、内閣にも法律案提出権があるようでもあるという御説明でございましたので、かりにあるといたしましても、そのように国会の意思に反した改正法律案を出すことができるかどうかということをお尋ねいたしておるのであります。先刻の御説明はあとでお尋ねしたいと思つたことで、好都合でしたけれども、まずお尋ねしたいのはその点でございます。
  16. 田上穣治

    田上参考人 簡単にお答え申し上げます。今のような意味法律案を出すことはできると考えますけれども法律案を出したから、当然に政府はその限度で、また国会がその法律を可決する前に、すぐにその修正さるべき従来の補助金に関する法律の執行の責めを免れるかというと、そうではない。その法律案法律となる前には、従来の法律はもちろん生きておるのでございますから、その法律によつて、これを誠実に執行しなければならない、かように考えます。
  17. 井手以誠

    ○井手委員 そうしますと、先生は、国会の意思に反してもそういつた改正法律案内閣提出することができるというお考えでございますか。意思に反するという意味は、おかしいようにもなりますが、現有執行されておる法律というものは国会の意思によつて決定したものである。たとえば、ある事業については二分の一を補助するという義務支出を規定したことは、一つの国会の意思であると考えておりますが、これを変更するということを、いかに内閣法律案提出権があるといつても、そういうことができるかという私の質問であります。重ねてお伺いいたします。
  18. 田上穣治

    田上参考人 先ほどお答えいたしましたように、法律案を出すことは私はさしつかえないと思うのでございます。それは国会の意思に反するかどうかということは、出された法律案に対して、国会がこれを否決されるか、あるいは可決されるか、あるいは審議未了で終るかという、それによつて初めて明らかにされることであつて、されたら、ただちにその提案されたものが最初から明らかに国会の意思に反する、そういう判断はちよつとむずかしいのではないかと思うのでございまして、前の国会でそれが可決された法律でありましても、今日の国会は、御承知の会期不継続でもって、これに反対の意思表示をする議決をすることも可能であるし、あるいは、同じ議員の方々でありましても、心境の変化で、いろいろ従来の法律を――政府のそういう提案に対しては、よろしい、かえるというようにお考えになつているかもしれないし、それは大体情勢で当局はわかつていると思いますけれども、しかし、やかましく言えば、その提案だけではまだ国会の御意向は明瞭でないのでございますから、私は、法律案を出すことは、先ほど申しましたような意味において、可能であると考えるのでございます。
  19. 葉梨新五郎

    葉梨委員長 井手君、時間の関係で、川俣君に……。
  20. 井手以誠

    ○井手委員 ちよつと大事なところをやつておるのですから……。この問題はお尋ねしたいことがたくさんあるのですが、この点についてもう四、五分伺つてから、川俣さんにお願いいたしたいと思います。  その点で、もちろん鈴木先生は明確だろうとは考えておりますが、念のために鈴木先生の御意見を承りたい。
  21. 鈴木安蔵

    鈴木参考人 後法は前法に優先する、またそう申し上げなくても法律案が改正されるということはあり得るのでありますから、ただいま御質問のような法律案政府が出すことが、憲法のの四十一条からいつて正当であるか違法であるかということは、この問題を別にいたしますと、田上教授の答えられたように、前にそういう法律定められたら、当然政府としましてはこれを誠実に執行する責任を負つておるのでありますけれども政府ないしは与党の考えによりまして、違つた立法をして、違つた国会の意思を求めることが今の情勢において必要である、こう考えました場合には、そういう違つたような、ただいま問題のような法律案を出して国会の意思を求めるということは、これはさしつかえない。ただ、根本論に入りまして、こういう法律案政府自身が出してよいかどうかということは、私先ほど申しましたような意見からいつて、私は、政府が、こういうものとはいわず、法律案提出することは憲法上おかしいと思うのでありますけれども、その制度が一応まだ無効の判定を受けないで有効に行われているもとにおいては、法律論としてはさしつかえないと思うのであります。
  22. 井手以誠

    ○井手委員 ではこの一点だけで一応打切りますが、ただいままで論議されましたことで、国会国権最高機関であるという前提から、まず国会の意思が決定したあとで、それに従う予算を組むのが正しいのではないかという建前を私どもはとつておるのであります。従つて補助金等に関して予算を減額しよう、そういう予算を編成しようと思う場合には、まず改正法律案提出して、それが決定を見た上でこれに従う予算を組むのが正しい行き方ではないかと考えておるのでありますが、この点についての両先生の御意見を承りたいと思います。
  23. 鈴木安蔵

    鈴木参考人 ただいまの点はまつたくその通りだと思います。いやしくも前にそういう法律ができておる。それは誠実に執行する義務を負うておるのでありますから、予算案の編成に関しましては、既存の、ことにそういう義務的に一定の支出を定められた法律がありますれば、可能な限りそれを尊重する。もしもどうしても予算を編成する上においてそういう法律を誠実に執行できないという考えでありますれば、何よりも先にその法律の改正を求めまして、国会の意思を確定してもらいまして、そうしてそういう予算案をつくるというのが、当然、憲法といわず、一般日本国憲法下における内閣予算編成権という立場から言いまして妥当だろうと思います。
  24. 田上穣治

    田上参考人 私も、今鈴木教授からお話がありましたように、その点はまつたく同じ意見でございます。ただ一言つけ加えますと、実は今の御質問と少し違うかもわかりませんが、政府は初めの予算案においては、法律上執行するに必要な経費を予算に計上してある。ところが、国会の方で今度は予算を減額したという場合も実は同じ問題があるのでございまして、私はそういう場合にも、国会法律上必要なあるいは義務に属するような費用を予算の上から減額する場合にも、やはりあるいは議員提出法案か何かでもつてとにかく立法的な措置をまず講じられて、そうして予算を減額さるべきであつて法律できまつておる、政府が支出する義務があるような経費は、これは予算の上でみだりに削るべきではないというふうに考えておるのであります。
  25. 葉梨新五郎

    葉梨委員長 川俣清音君。
  26. 川俣清音

    ○川俣委員 私は、両参考人にお尋ねしたいのですが、特に田上参考人にお尋ねいたしたいと存じます。私は今ここで憲法の根本論をお聞きしようとは思わないのでありますが、田上説をとる場合、各種の弊害が拡大されて来るおそれがあると思われないかどうか、この点なんです。私があえてこの質問をいたしますのは、この前の委員会において、内閣法制局長官が見えまして、最終決定国会の審議にゆだねることによつて国会立法権を尊重したことになるという解釈までいたしております。これはあたかも田上説をとつて意見のように見えるのであります。しかし、こういうことまで拡大して行くということは、これは将来非常な危険を伴うのではないかという懸念を持つのであります。なぜかと申しますと、現憲法中心主体は、何と申しましても民主政治の原則の上に打立てられたものであつて、現憲法下においては、民主主義をゆがめることは断じて許されないという立場をとるのではないか。もしもこの立場を捨てて参りますならば、最終決定国会の審議にゆだねることだけによつて民主主義が守られるという考え方をいたしますならば、これは、現在の独裁国においても、何らかの形において、形式的には最終決定をやはりある大衆機関にゆだねるという形式はとつておる。形式だけで民主主義が成り立つということは考えられないのでありまして、こういう考え方を拡大して参りますと、少数で多数を支配するというような傾向が生れて来るのではないか。これについて綱島委員憲法論をされたと思うのであります。そこで、この現憲法の基礎がアメリカ流であるか英国流であるかということについて議論があるようでありますが、田上教授も、これは国権最高機関だという説をとると英国型をとるべきである、こう言われたのでありますが、この英国型ですら、内閣提案権がないわけです。そこで、この弊害を除去するために、実質的には内閣議案を出すという形をとつてはおりますけれども、形式的には、やはり国会議員としての提出権政府にも認めておる、こういう形をとつておる。そういたしますと、憲法七十二条の総理大臣内閣を代表してということまで立案権があるということになりますと、あなたの説も非常な拡大された解釈を行われる余地を残すのじやないか。むしろ英国型よりも旧憲法型にまで拡大されて行くようなおそれがないとあなたは断言できるかどうか。どうも今の政府は自分の都合のいいように解釈する。鈴木教授が言われたように、占領下において占領軍の都合のいいように解釈せられた。その伝統をもつていたしますると、あなたの学説をさらに拡大して便宜的な解釈に陥るような結果になることを、学者として良心的にいかにお考えになるか。その点をお答え願いたい。
  27. 田上穣治

    田上参考人 ただいまの御質問に対しまして、私も大体はまつたく同感なのでございまして、法制局長官が、これは私新聞でしか存じませんけれども発案はそれほど重要なものではない、法律の最終の議決が国会権能であるならば、それで十分であるともし言つたとすれば、それは私もちろん賛成し得ないのでありまして、先ほどもちよつと申し上げましたように、法律立案は、立法手続の中ではかなり重要な働きを持つている。全面的に修正するというようなことはなかなか困難でありまして、否決するなら別といたしまして、法律が通るならば、そのうちの内容は大部分がすでに発案の段階でできているというふうに私も考えますから、発案権は重要な立法作用の一部であると考えるのでございます。  ただ、繰返し同じことを申し上げて恐縮でございますが、先ほどお話しました英国式議院内閣制ということでございますが、これはもちろん、イギリス内閣から法案を出すことしは形式的にはなつていないのでございます。しかし、その他の議院内閣制をとつておる多くの国、現在のフランスとかドイツとかいうような多くの国におきましても、ほとんどが政府側と国会と、この両方に法案提出権を認めておるようでございます。もつとも、私あまり外国の憲法そう一つ一つこまかいところまで存じませんので、正確なお答えにならないと思います。そこで一言蛇足をつけさせていただきますと、ただいまの御懸念でございますか、確かに、今日のわが国は、政府が衆議院において過半数を持つていない。その意味においては政局不安定で、もしもこれに反して衆議院が十分に内閣を信任しそして政局が安定しておるような場合には、これは議院内閣制の特色として、国会の方から法案を出すことと、内閣の方から出すこととは、それほど違いはない。ただ、政府与党が比較的少数であります場合には、政府から提案することは、あたかも少数の方から出すごとであり、しかもそれか決定的な意味を持つということになりますと、国会立法権を害するように見受けられるのであります。議院内閣制の特色は、包括的に内閣国会において信任するかどうか、これか根本でありまして、すでに信任しておる――もちろん不信任決議をお出しにならなくとも、信任投票をされたかどうか、そこらが問題になりましようか、包括的に内閣を信任しておるという前提であるとすれば、その場合には、率直に申しまして、重要な立法作用部分でありますが、内閣の方に法案提出権を認めても、それほど危険はないと考えるのであります。繰返して申しますが、アメリカの場合は、国会の方で大統領政府に対し信任とか不信任という意思表示をしていない。またできないのであります。だから、率直に申しますと、あるいは国会議員の大多数が大統領政府反対かもしれない。そういう場合になお独立に法案提出権を認めますと、これは今御指摘になりました非常に危険なことになるのでありまして、国会立法権はまつたく侵されてしまう。ところが、議院内閣制でありますと、その個別的な法案提出する前に、包括的に内閣を信任するかどうか、この問題があるのでございまして、もし国会内閣を信任できるならば、その内閣から法案を出すことは、それほど、政治的に見まして、あるいは憲法解釈といたしましても、国会立法権を脅かすものではない。これが私ども考えでございます。この点でもアメリカ式憲法イギリス式の憲法で、今の御懸念が非常に違うのじやないか。アメリカは全然そういつた信任、不信任ということができないのでございますから、そうなると、どんな不都合な非常識政府か出て来るかもしれない。その場合になお法律案提出政府に認めることは、はなはだ危険である。しかし、根本において内閣国会で信任されておる議院内閣制のもとにおいては、法案提出権を認めることによつて国会立法権が無力になるとは思えないのでございます。
  28. 鈴木安蔵

    鈴木参考人 学者の学説が政治的にどういう影響を持つということを考えないかという根本論で、これはもちろんそういう責任を回避するのではありませんけれども一般に私ども学界の末席におりますと、そういう問題を出されましたときに、学者は非常に困るのであります。佐々木惣一先生のごときはこれを厳重に戒められるのでありまして、学者は自分の発言が実際政治に対してどのような影響力を持つかというようなことを考えるべきではない、これはちよつと私どもと違うのでありますが、つまり真理であるかどうか、これをひたすら考えなければいけない、自分の発言がこういうことになつたらどうかというような第二義的なことは考えてはいけない、そういうことでありまして、その点は御了解いただきたいと思うのであります。ただ私は、先ほど申しましたように、政策論として、法制局長官の言うようなことは、これは解釈論として間違いであるばかりでなく、政策論として非常に危険である。ことに日本においては危険である。これは御質問と同じでありますが、ただ、田上説と今おつしやいましたが、学界一般考えておりますように、第七十二条の原案法律案が入るというような解釈が、一方において、すでに田上教授説明されたような、そういう根本論も前提とされておるのでありますから、ただちに法制局長官の意思と同じようなものとは考えられない。しかし、政策論として見ますと、やはり解釈論としても不正確であるし、政策論としては今の日本においては望ましくない。ただ私どもはこういう反対論を聞くのであります。議員立法鈴木説のように認めるというと、いたずらに選挙区の部分的な利益を代表して、そして国政全般の観点から見て望ましくないような法律がむやみに提案されて、いたずらに混乱する。またそれがお互いに妥協し合つて、君の方の提案を通すから、これも認めろというような望ましくない結果が起つて、かえつて政策論としてまずいのではないか。こういうのは、私ども国会の現状をつぶさに知りませんから、判断を差控えるのでありますが、理論的にはそういう懸念もあると思うのであります。しかし、私個人としては、それにもかかわらず私は議員立法という点を拡大する。それから、現在の制度を改めて、憲法の要求するように、法律発案はすべて議員国会が独占するようにした方が、かりにそういうような理論的に考えられる弊害がときにありましても、それによつて国会が本来の立法権者としての重責を十分に自覚し、官僚による非常に形式的な、ある場合には国民大衆の基本利益を十分に考えないかのような法律案というものは出なくなるために、その方か究極においては望ましい。過渡期において若干の、そういう部分的な利益のための、いわゆるおみやげ案的な法律案提出が頻繁に行われましても、そういうことは、おのずから国民の、また議員自身の良識によつて次第に克服されて行くのでありまして、あくまでも官僚提案内閣提案ということは、実質的には法制局の官吏の立案提案ということになるのでありますから、その弊害をためる方が正しい。しかもそれが憲法明文解釈した正しい解釈と一致するにおいては、なおのこと私はその方がよいと考えております。
  29. 川俣清音

    ○川俣委員 続いて田上参考人にお尋ねいたしたいのです。綱島委員から七十三条と七十二条の関係をお問いいたしましたところ、それよりも四十一条の関係で御説明なつた。ところが、日本の現憲法は、常識的には英国型とアメリカ型の中間にあるというような解釈か漠然と行われておる。田上さんも大体この説をとつておられるようなのであります。そうすると、七十二条を内閣を代表してというところまで拡大されて行くということは英国流上りもさらにほかの欧州流になり、さらに旧憲法流になるおそれがこの七十二条にはあるのではないか、これは内閣を代表してですから個人です、そこまで拡大して七十二条を見るべきかどうかということになると、綱島委員が七十三条と七十二条の説明を求めたというのは、私はここに根拠があるのではないかと思う。それが一点です。  それから、もう一つの点は、今鈴木参考人から、学者の意見を拡大解釈されて、それがために弊害が及んだことを学者の責任にさせられることは不本意だということですが、現に、これは速記録をごらんになつてもよろしいのですが、法制局長官意見は、学者の多数説をとっておるのだ、あたかも田上教授もわが説をとつたごとき発言があつたので、これをお尋ねしたのです、ところが、今田上参考人の御意見を聞くと、そこまで拡大解釈されては困るということですが、そこまで拡大解釈している速記録をごらんになつてごらんなさい。はなはだしいのは、最終決定国会の審議にゆだねるだけで、十分四十一条を尊重したのだという解釈までしている。こうなつて参りますと、これは恐しい事態だと思う。これは、政治的に見ますと、少数内閣であつても、解散で脅かして予算審議を進める、予算を伴う法律案を出して来る、また解散で脅かしてというようなことになつて参りますから、内閣法律案提案権を認めて参りますと、少数内閣でも、解散権を持っている以上、相当有力な発言権を持つことになる。これは、今日の段階において、予算審議があれだけ最後までうまく行つたということは、何といいましても相当解散に脅かされたことは事実なんだ。これは、国会議員の意思に基いたというよりも、解散という恐しいもののために屈服した形であります。人によつては違うでありましようが、およそ世間から見られる点はその点にある。そうして参りますると、予算審議権が非常に優先的な力を持つておるいうことになる。今度の提案説明によりましても、明らかにこの点を露骨に現わしております。提案説明によりますと、予算の編成に伴い、「右に即応して法的掛縄を講ずる必要があるのであります。」ということなんです。予算を編成したために法律の改正が必要である、法律的措置を講ずるというのであつて、この提案説明によると、法律があつて予算を編成するという考え方ではない、これは内閣が出した提案理由です、ここまで拡大して参りますと、まつたく四十一条というものは無力になるというふうにお考えにならないかどうかという意見を、田上さんと鈴木さんにお聞きいたしたい。
  30. 田上穣治

    田上参考人 初めの方のお説部分でございますが、これは法制局長官の言つたことの速記録でも拝見しませんと、私も一新聞多少は存じておりますが、正確なお答えはむずかしいかと思います。ただ、しいて申し上げますれば、学界の通説とか、あるいは佐藤長官が私どもと同じような意見であるというようなことか、何かもし漏れておるといたしますと、それはおそらく、今の御指摘の点というよりも、むしろ法律発案権衆参両院ばかりか内閣の方にもあるという点であろうと思いますが、その点では実は私どもも何も意見違つていないのであります。ただ、先ほどの御質疑お答えいたしましたように、立法作用立法の手続の中で、発案の段階というものはかなり重要な意味を持つておるという点では、今の川俣さんの御意見と私まつたく同様なんでございます。その点、もしそれは非常に軽いものであつて最後の議決権さえ国会にあればそれで十分であるというような御説明があつたといたしますと、それは私の考えとは大分違うように思うのでございます。  それから、おしまいの方の御質疑部分でございますが、今回の補助金等臨時特例等に関する法律案提案理由には、御指摘のような部分がございますが、これは、先ほどお答えいたしましたように、法律政府が支出すべき補助金は、その法律をかえない限りは政府側に義務がある。従つて、本来は当然予算にこの金額を計上すべきであるというふうに考えるわけであります。憲法七十三条の「法律を誠実に執行し」というのは、予算にないからしかたがないといつて逃げることはできないのでありまして、予算にないとあるとを問わず、内閣は誠実に執行する義務がある。これは私は明確であろうと存ずるのでございます。ただ、これも少し説明が不十分かと思いまするが、予算は結局国会において御決定になるのであつて、同会あるいは衆議院、参議院がこれをお認めになつた以上は、その法律を額面通り実施しなくてもよろしい――少くとも実施しない場合、これは法律を誠実に執行しないことになるでございましようか。その場合の政府の責任は、第一に国会に対する責任なのでございますが、そのかんじんの国会がそういつた緊縮予算をお通しになつた以上は、その点では、国会内閣の責任を追究しないというように同氏は理解するのでございます。これはしかし今の国会の本意ではない、解散をもつて脅かされているからというお話がございましたが、そうなればまた話は違つて参りますけれども、結果といたしまして、もし予算国会を通過いたしますると、その限度では政府の責任は解除される。だから法律を執行する点で不十分な結果が起きましても、国会は少くとも政府の責任を問うことはしない。そうなりますと、国民の方からいろいろ不平が起きるでありましよう。しかし国民は、それによつて権利を侵された者が裁判所に訴えろなり何かいたしまして、権利を主張することはできると思うのであります。予算にないからと言って、政府国民に対する法律上の責任は免れることができない。けれども、かんじんの国会内閣との関係におきましては、予算国会がお認めになつた以上は、その予算の金額が不足でありましても、法律を誠実に執行しないからという責任は、結局不問に付せられるのではないかと考えます。  それから、解散の点で、これはただいまの御質疑の主要点ではないと思いまするけれども解散は、ただいま御指摘になつたように、解散権で議員の方を脅かすという効果はあるかと思いまするけれども、しかし、法律論といたしましては、解散を同じ内閣が二度行うことはできないことになつております。総選挙後の新しい内閣、これがたまたま最近のように同じ内閣総理大臣によつて構成される。これはただ選挙の結果とか、そういった偶然のことでありまして、本質的にもうしますと、同じ吉田内閣でも、解散前の内閣と、新しい国会において氏名された総理大臣内閣と別のものでございますから、それだけでは必ずしも多数党の独裁政治という危険はないのじゃないか、もっともこれは政治の実際を知らない机上のの空論とおつしやるかもしれませんが、私は実は実情をあまり存じませんので、ただ憲法の条文の上から見ますと、解散を同じ内閣が二度行うことはできないように思いまするから、その点はさように考えております。
  31. 鈴木安蔵

    鈴木参考人 補助金云々の法律案提案理由を拝見いたしますと、確かに「右に即応して法的措置を講ずる必要がある」と書いてありますので、当局はこれはきわめて簡単に考えたのでありますけれども、私は、川俣議員の御質問のように、非常に重大な問題だと思います。それについて、すでに公立高等学校定時制課程職員費国庫補助法その他問題になつておりまする法律が出会の意思として確定しておるのでありますから、予算を編成する当局は、何よりも先にそれを生かすということで、予算編成に臨む当然の義務があるのであります。しかるにどうもそれをしておった形跡がない俗に言う緊縮政策という政策は、私は国民の一人として賛成でありますが、そういうことの必要上、どうしてもこの法律に示された義務を執行できないということになれば、何はさておいてもまず法律案の審議を求めて、国会の意思を確定した上で、それに基いて予算案を編成すべきでありまして、そうではなしに、予算案を先にやつてしまつて、右に即応し、てこういうふうに法律を改正したいというような態度は、当局が憲法上要求されておるところの法律を誠実に執行する、いわゆる国民の代表機関として定めるところの国会の意思の通り、法律を十分尊重するという考えにおいて少し足りないのではないか。これはまさに非常に重大な問題であると私は考えるのであります。  それでお答えは尽きるのでありますが、解散につきまして一言いたしますと、解散議員諸君に非常に恐怖であるということは、これは確かにそうであろうと思います。そういうことは別といたしまして、解散について日本国憲法はあまり正確に定めていない。本日の論点ではありませんが、ただ次のことだけは御参考に申し上げておきたいと思うのであります。イギリス議院内閣制をとつておると私どもは判断いたしますので、第六十九条以外の場合にも内閣解散し得るという解釈をとつております。が、しかし、内閣は、必要と認めた場合いつでもできるというものではない。第七条に定めるところの天皇国事行為としての解散は、内閣の助言と承認があればさしつかえないのだ、そういう簡単なものではない。あくまでも国事行為としての解散でありますから、解散詔書の公布という形式的な意味でしかない。第七条をもとにして、内閣が六十九条の場合以外にも随時解散ができるというような解釈は許されない。しからば、どういうところに第六十九条以外の場合に解散し得る憲法上の根拠があるかと考えまするならば、それは、国権最高機関である国会国民の代表機関である、国民は主権者である、この点に私は解散権の根拠があると思うのであります。すなわち、その代表機関としての、最高機関としての国会が、はたして主権者たる国民全体の意思を誠実に代表しているかどうか。国権最高機関たるにふさわしい実体を持つているかどうか。その点に合理的に疑うに足るべき事情が起つた政府が判断いたしました場合に、これを主権者たる国民の輿論に問う。主権者たる国民の審判に求める。ダイシーがイギリス政府解散権について述べておりますように、主権者たる国民の判断を求めるに足るという十分の合理的な理由が推定される場合に、初めて解散することができると思うのであります。行われた解散についてこれを判断いたしますと、そういう点が稀薄なんじやないか。つまりイギリスの議会政治においても、かつてしばしば行われましたように、たとえばロブスンというイギリス憲法学者が指摘しておりますが、ダイシーの説のように、主権者国民の正当な判断を求めるに足る合理的な理由がある場合とされてはおるけれども、実際政治の問題においては、しばしば反対党を牽制するために、反対党の議員を脅かすために解散というものを政治的の武器として使つておる、これはイギリス憲法解散原理からいつても許すことができないという批判をしておりますか、私は同じことが言えるのではないかと思う。ちよつと御参考までに申し上げておきます。
  32. 川俣清音

    ○川俣委員 時間がないので、もう一点だけお尋ねして他に譲りたいと思います。学説として、七十三条から見まして、当然法律を誠実に執行して行かなければならない責任が内閣に負わされておりますので、法律の改正以前に予算編成をするということは好ましくないということだけは明らかになつたと思います。そこで、問題は、本来でありまするならば、一歩譲りまして政府法律案提出権がありといたしましても、これはやはり予算編成以前において、あるいは同時において内閣政策が立てられるのでありまするから、その政策に伴いまして、当然法律案も準備せられ、少くともその準備に伴う予算の編成がなされなければならないと思う。ところが、現実においてはそうじやない。予算が編成せられまして、これにぶつかるところの法律がどこにあるかと探しまわつて、ただ一つか二つ落しておる。現に一つ二つ落ちている。そういう予算の編成権というものを非常に重要視するような傾向というものは、七十二条を拡大解釈するから生れて来るのではないか、こう考えるのです。内閣提出権があるから、従つて予算を編成することの方が主であるというような考えで、唯一立法機関の四十一条の方を従であるというようなしきたりが今日生れて来たのではないか。ここで七十二条の議案なるものについてよほど厳格な解釈をしていただかないと、これを濫用する政府が生れて来るおそれが生じて来たという現実の姿だけは見のがし得ないと思うのです。そこで学者の責任を追究したいということを申し上げたのですが、それはそれだけにいたしまして、少くとも好ましくない形のものが徐々に出て来ておる。今鈴木参考人が指摘したように、右に即応して法律的措置を講ずる必要がある、予算を主にして法律を従にした考え方がここに出て来ているのです。この根拠は何かというと、七十二条だ、こういう説明なんです。これはどこから出て来たかと言えば、七十二条から出て来たのだ、こういう考え方だ。これは私は質問はこの程度にいたしたいので、私の意見だけを申し上げますか、こういう形が出て参りますと、四十一条が空文化されて、独裁への移行がはげしくなつて来やせぬかということをおそれますために、学界においても十分御研究願いたいし、こういう法律案が違憲という理由で提訴できるものかどうかということをひとつお尋ねして、私の質問を終りたいと思います。
  33. 田上穣治

    田上参考人 御質問お答えする十分な学力がないのでございますが、ただ最後の違憲として提訴する、訴訟ということになりますると、これはもうすでに何回か判例がございまして、具体的な事件、つまり原告の個人的な権利が侵されているという場合においては、一般的、抽象的にはこの法律について合憲か違憲か、そういう問題、あるいは予算のきめ方が憲法違反とかいうふうなことは訴訟では争えないと考えるのでございます。もちろんこれも反対学説がございまして、ことに先ほど名前が出ましたが、佐々木先生のように、憲法八十一条の解釈としてさしつかえないというふうなことも言われるのでございますが、少くとも現在の判例では、そういう訴訟はむずかしいように考えるのでございます。  それからもう一つは、これは質問でないというふうにお断りがございましたが、一般的に申しまして、私は今の川俣さんの御意見、つまり法律を重んぜよ、予算をもつてみだりに法律を変更することはいけないという御意見にはまつたく御同感でございます。その点私も平素から大いに強調いたしているのでございますが、ただ一言つけ加えますと、予算の方を法律よりも重く見るということは、これはフランスのかつての歴史などを見ますと、ある意味国会中心という形でありますと、予算の効力を非常に大きく強く見るのでありまして、たとい法律に何とあろうと、予算が通らなければ絶対に政府はその法律を執行してはならないというふうにフランスは従来考えておつたのでありますが、これは国会権力を非常に強く考え立場なのでございます。従いまして、逆に法律の方が予算よりも強い、予算法律をかつてにかえることができないというのは、どちらかというと、今回は別でございますが、一般には政府にしばしば利用される議論なのでございます。これはどうしてかと申しますと、法律の方は、一度通りさえすれば、あとは改正したい限り何年でも続く、国会がどんなに反対されましても、廃止法案とか改正法案をお出しにならない限りはその法律が永久に効力を持つ。だから政府は、国会と無関係に、安心してその法律によつて権力を用い、政治を行うことができるのでございます。予算の方は、これは御承知のように毎年決めなければなりませんから、そこで予算を通すか通さないかというこの点で国会政府を厳重に監督できるのでありまして、少し露骨に申しまして政府をいじめるというか、政治的に見て政府を押えつけるのには、予算の審議を中心にした方が実際にはやりよいのでありまして、だからその点で、予算が重大である。法律に何とあろうと、予算になければ政府は金を使つてはいけない。だから、極端に申しまして予算を返上すると申しますか、全面的に否決いたしますと、どんなに法律政府は金を出すあるいは金をとることができるようになつてつても、全然政治がやれないというふうに、フランスなんかの考えであればなるのでございます。ところが反対に、日本の旧憲法、あるいは旧憲法と違うのですけれども、私どもがさいぜん申し上げておりますように、法律ですでに国会がおきめになつたものは、これは予算が何とあろうと永久に政府は義務を負い、同時にこれに権利も持つ、こういう形になりますと、政局は幾分安定する。言いかえれば、その限定で、継続費で大体お気づきになるかと思いますが、法律はやはり継続費のごとく、長い間何年も効力を持つのでありますから、その点で、あるいは予算をむしろ法律よりも一層重んじなければいけないという御意見国会の中から出て来るのではないかと期待しておつたのでありますが、私自身は、今の御質問のように、御意見とまつたく同じでありまして、法律なりあるいは国庫債務負担行為でありますか、そういうふうな形で国会がすでに議決をし、一旦御承認になつた以上は、政府は当然それを執行すべきものであつて、その後予算がどうあろうと、原則としてはその点予算よりもむしろ法律の方を重んずべきであると考えるのでございます。
  34. 葉梨新五郎

    葉梨委員長 井手君、時間がないのでごく短時間にお願いします。
  35. 井手以誠

    ○井手委員 実は、せつかく両先生においでをいただいて非常に貴重なる御意見を承り、私も相当時間をかけて御質問を申し上げようと用意をして来ましたが、時間がないのが非常に残念でございます。こういうことはやはり初めから予定を立てて時間割をきめてやつていただくと非常に都合がいいかと思いますが、残念ながら一時になりましたので、私はあまり質問を申し上げません。  最後に、鈴木先生にちよつと伺つておきたいと思いますことは、ただいま川俣委員から質問がありました、予算法律を縛つてつて、あとで改正案を出して行くということについて、私はどうもこれは不当というよりも違法だと考えるのであります。その点を鈴木先生にも承り、同時に、いま一つは、各種の法律案は補助金を交付するということを主題にしてつくつたのが相当多いのであります。その補助金の金額を中心とする法律案を十把一からげにしてたたき切つて行こうというこの臨時特例がはたして妥当なものであるかどうか、その点についてもあわせてお尋ねを申し上げたいと存じます。
  36. 鈴木安蔵

    鈴木参考人 第二の点は、あまり私は研究しておりませんので、十分にお答えする確信がございません。第一点につきましては、たとえば先ほど川俣議員からの御質問がありましたが、第七十二条にも関連しますが、むしろ第七十三条の法律を誠実に執行する、こういう規定のみならず、憲法全体に掲げられておりますところの特に議員、国務大臣その他の一切の公務員は憲法従つてまた法律を擁護し、尊重する、こういうような根本的の態度において少しく足りないのではないか、そう考えるのであります。ただ、憲法は、これは非常に大きい争いがあるところでありますが、法律予算というものをどう考えるか、ある学説によると、憲法がいつておるところの法律という観念のうちに予算というものは入つておる、だからして、この日本国憲法予算法律の一種と見ておるのである、一応便宜的にわけてはいるけれども、そういうものと見ておる、従つて法律公布あるいは法律政令等の承認、こういうことにすべて予算はもう入る、こういうことを主張する学者もあるわけであります。しかしその方か、国権最高機関たる国会、また国民主権の代表機関である国会、そういう点から見れば、そういう学説が筋が通つていると思いますけれども、しかし私どもまだ十分にその学説に賛成する確信を持つていません。なぜならば、憲法は御承知のように法律予算というものを一応形式的に扱いを別にしておるのであります。しかし、ただいまの学説に含まれている考え方は私は一応全面的に採用いたしませんけれども、これは重要であると思う。少くともこの予算というものを法律からわけておりまして、予算については御承知のように提出権内閣にも認めている。しかしこれは、一般解釈されておるように、予算提出権内閣に独占せしめるものである、こういう解釈は私は成り立たないと思う。つまり第一の説が非常に参考になるというのは、そういう意見でありまして、この考え方が国民主権の原理に立ち、国会最高機関であるとしておる。また第八十三条の定めがある点から考えまして、予算提出権内閣に独占せしめたものであるというのは、これは行き過ぎた解釈である。それは明治憲法的の考え方が頭にあるためにそういうふうに憲法を読み違えたのである。つまり、予算というものの性質上、これを編成して国会提出するのは政府をして当らしめるということの方が、総体的に見て便利である、合理的であるから、憲法法律案とは違つてそういうものを認めておるのではありますけれども、それは何も独占せしめるものではない。予算案について国会発案する、提出するということは便宜上内閣をしてせしめるけれども、ある場合には予算案編成自身国会においてすることもこの憲法は禁じてはいない。従いまして、本日に関係ありませんけれども、争いになりました議院の増額修正ということが憲法上許されるか許されないかということは、日本国憲法の場合には問題にならない。議院が当然そういう予算について発議する、予算を編成するということも憲法上許されておりますから、必要に応じて予算の増額修正を出すということは一向さしつかえない。全面的の予算返上論も当然憲法上の根拠がある。  さて、予算法律をそういうふうに一応わけてこの憲法では考えておると思いますが、しかし、以上述べましたような趣旨からいたしまして、この予算についても、国会が最終的の決定権のみならず発議権も持つておるという点から言いますと、ある場合に万やむを得ない技術的な理由によりまして、つい気がつかなかつた政府としてもそれは非常に怠慢ではあるけれども、こういう法律にこういう義務が課せられているということを、はなはだ申訳ないか見落しておつた、これはどうしても至急この法律を改正して、すでに御承認になつ予算案に即応するようにいたしたいから、まげて御承認を願いたい、こういうような場合が善意に解釈しましてあり得ると思うのでありますが、そういう場合には、やはり財政に関する最高の議決機関としての国会が、その観点から、その法律を誠実に執行すべき政府の重要な義務を見落しておつたことはけしからぬけれども、しかしなお道が残されているのでありまして、その予算案について国会の意思を表明することは、これはただいまのような万やむを得ない事情でありました場合には許されますし、またそういう場合に備えて、予算案を含むすべての財政処理の権限について、国会最後の議決機関としての資格憲法が保障しているのであろうと思います。ただ、今回の提案がそういう万やむを得ないような技術的な理由、あるいは非常に見落しておつたというように善意に解釈されるかどうかということは、ただいままで拝見しました限りにおいては、こういう臨時特例に関する法律案は、相当国民生活に益のある、また私ども関係のある文化的な事業に関する補助金を含めておるのでありまして、こういう法律定めておつたものを、あらかじめ国会の承認を経ずして緊縮予算という方針をきめて、予算案の方だけを削つてしまつて、そうしてそれに応じてあとから法律上のつじつまを合せるためにこの法律案を出したというふうであれば、それは私は政治的に不当であるばかりでなく、この憲法全体の精神及び第七十三条に定めておる法律を誠実に執行するという点において非常に欠けるところがあるのではないかと考える次第であります。
  37. 葉梨新五郎

    葉梨委員長 これをもちまして参考人各位に対する質疑は終了いたしたものといたします。  この際参考人各位に一言お礼を申し上げます。本日は、御多忙のところ御出席をいただき、貴重なる御意見をお述べいただきまして、本委員会今後の審査の上に参考になることが多かつたと思います。ここに厚くお礼を申し上げます。  次会は明後十五日午前十時より開会いたします。  本日はこれにて散会をいたします。    午後一時八分散会