○
鈴木参考人 先ほど
憲法解釈論を申し上げたのでありますが、若干自分の
解釈論に対して
政策論及び法社会学的な観点を補充
意見として申し上げたいと思います。ただいままでの
質疑にも若干関連すると思うので、申し上げる次第であります。
最初に
田上教授に……。こういう機会はやはり学会の集まりと同じように利用さしていただきたいと思うのであります。私も、
日本国憲法における
内閣と
国会との
関係については、
アメリカ型でない、
イギリス型の
議院内閣制をと
つているということは、自分の
著書にも特に力説した次第であります。ただ、ただいま
田上教授の言われた中に、特に
反対の明瞭な
規定がない場合には、当然に
議院内閣制、
イギリス型の
原理によ
つて解釈するのが合理的で、あるという
言葉があ
つたと思うのでありますが、私は第四十一条の「
唯一の
立法機関である。」こういうのは非常に有力な
反対規定ではないか。これさえないならば、私
どもはこの
議案の中に
法律案も含まれていると、
イギリス型に
解釈してもよろしいと思うのでありますが、どうもこの四十一条の「
唯一の
立法機関」ということは非常に強いものである。この点は、有力な
反対の明瞭な
規定がない限りは、
イギリス型の
原理によ
つて解釈してよいという点に若干疑問を抱くのであります。これは
論点であります。
さて
政策論といたしましては、やはり
憲法は何よりも先に法
解釈をいたすのでありますけれ
ども、こういう重要な問題については、特に
政策論としてどちらが
憲法全体の
趣旨に基いて合理的であるかという考慮も人づてよいと思うのであります。そうしますと、
政策論としては、
現行制度の中では、
憲法自身も
明文をも
つて法律案の
提出について
政府がなすことを禁じていないのだから、しかも
政策的にそうした方がより合理的なのだから、こういうような
考え方もあるだろうと思います。その点をちよつと述べてみたいと思うのであります。
ある学者は、かりに
内閣には
提出権がない、そう
憲法の
解釈を
定めましても、実際問題として総理
大臣初め有力な閣僚はほとんど
国会議員なのだから、それは各人が
議員として出せばいいのであ
つて、実害がない、同じことではないか、こういう
意見かあるのであります。これはもつともな
意見でありますが、しかし私はそれでも相当違うと思う。そう簡単に
考えるべきではない。必ず
法律案の
提出――
原案の
起草、その
提出ということは
国会のみがなし得る、
国会議員のみがなし得るのである、こういう
制度、こういう観念か徹底いたしましたならば、現在のように
国会が
法制局あるいはその他各省の官吏たちに依存する、もつぱらそういうところに重要な
法律案の
起草を――依頼はしないけれ
ども、当然のこととして
考えるというような
考え方がなくな
つてしまう。そうすると、
国会法に
定めておる
両院法規委員会なり、各院の
法制局なりというものは、もつと本格的に絶えず現在の
法制局よりもはるかに十分の準備と人員とをも
つてこれに当る、
国会議員おのおのも自分たちのみが
法律案を出せるものだ、出すべきものであるということになりますと、各党の政務調査会な
ども、もつとそういう点に焦点を置いてふだんから準備をする、こういうことがありませんと、これは第三者として拝見してお
つた感じでありますけれ
ども、現存のようにこまかい
法律案はもう自分たちはあまり興味がない、研究する必要もないというような弊害もなくな
つてしまうのではないか。
政策論としましても、私は、単に
議員としても出せるのだから決して大して実際の相違はないというような
考え方を捨てて、
法律案は必ず
国会のみが、
国会議員のみが
発案できるのである、こういう
制度に徹底する方が、
政策論としても妥当であると思うのであります。
それから、もう一つ法社会学的に見ますと、この
憲法自身が、御承知のようないきさつで、必ずしも体系的に一貫していない点がございます。これは大切なことでありますから、あえて申し上げるのでありますけれ
ども、
明治憲法は、その基本
原理において、私
どもとうてい今日賛成できない、これはもう言うまでもない。しかしながら、あの井上毅という実際に一番大きい
起草の
役割を果しました方は、今日そのいろいろな資料を見ましても、非常によく勉強されておる。私は、帝国
憲法発布五十周年記念の際に、衆
議院の憲政史編纂委員として約三年間つぶさにその資料を拝見したのでありますが、これはもう、そう言
つては非常に僣越でありますけれ
ども、実にりつぱなものであ
つて、今日なおこういう問題が起
つて参りました場合に、この井上毅氏の書いた重要資料を見ますると、非常に比較
憲法的な研究も、正確になされておる。必要とあれば、当
国会図書館に私
どもの集めたその資料が十分そろ
つておりますので、引用したいのでありますが、こういう問題に関してもつぶさに非常によく研究されておる。今日なおそれを
学界に出してもさしつかえないように調査されておる。
従つて、基本
原理は私
ども容認できないのでありますけれ
ども、
明治憲法は非常に体系的に一貫して、厳密な法
解釈にたえ得るよりな条文構成を持
つております。しかるに、
日本国憲法は、これはただ
一般に英米系統の学者の常でありますけれ
ども、
ドイツ法学的な、あるいは井上毅氏の取上げたような
明治憲法的な
原理の精密さ、体系の緻密さに欠けておるのではないか。同時に、一方から言うと、近代民主主義の
常識で、あまりこまかい
法律論よりも、そういうよき
意味の
常識、良識によ
つて判断してあやまちがない、こういう長所もあるわけであります。そういう長所はございますけれ
ども、どうも
憲法の条文の書き方においても必ずしも精密でない。それが今日のようにこの
議案に
法律案が含まれるかどうかというような
議論も起
つて来る一つの
理由であります。のみならず、
明治憲法のもとにおきまして、
最初は、
明治憲法の草案
起草の際には、専制国家の常といたしまして、
帝国議会の
議員に
法律の
発案権というものを認めない、そういう草案を
最初に
考えたことがあるのでありますが、さすがにそれは、いやしくも
帝国議会を開いて
政府だけが
法律案を出すということはあまりにも非合理だろうというような
意見で、御承知のように
明治憲法第三十八条の
明文ができまして、
政府も
法律案を出せるし、また議会も出せる、こういうものに
なつたのでありますが、御承知のように、実際問題としましてはもう圧倒的に
政府提出案が多く
なつた。そういう長い日本の議会政治の伝統があるところへ、この懸法ができましたときに、私
どもは第四十一条によりまして一切そういう従来の縄法
制度は変革されたと
考えたのでありますけれ
ども、占領軍がこの
憲法の運用について必ずしも厳密にこの
憲法の条文
規定を理解しなか
つた点があるのではないか。外部から見ておりましても明らかなように、むしろ便宜的に、この各省の官僚たちを媒介体といたしまして、いろいろ、こういう
法律案をつくれ、ああいう
法律案を
起草して来い。できましたものはまた優秀な渉外の官吏たちがこれを英文に直して、先方のオーケーをもらう。つまり
国権の
最高機関として、国の
唯一の
立法機関として、
国会が
憲法上そういう地位を与えられておりながら、そういう
権能を独占せしめられておりながら、占領軍の便宜によ
つて絶えずそれを無視して、相かわらず
政府の役人を通していろいろな
法律案を指示する、そうしてそれを
政府から
提出せしめる、この方が占領軍としては非常に便利でもある、そういうことのために、いつの間にか
国会議員の人々も、――長い明治時代の議会政治の慣習と、それからまた、これは
明治憲法に根拠を持
つた行き方でありますけれ
ども、しかし、
明治憲法のもとにおいても、
帝国議会がもつと積極的に
法律案を出してよか
つたはずでありますが、議会政治の欠陥からいたしまして、
政府提案という
考え方が支配的であ
つた。そこへ持
つて来て、占領期間中の、ただいま申しましたような便宜的の事情もありましたために、いつの間にか
国会議員自身が、この
国会の
立法機能というものは、出された
原案について大いにこれを批判したりあるいはこれを
修正する、
最後にこれを可決するか否決するか、自分たちだけができるのだ。そういうところに
立法作用というものも尽きるように思い違いした点があるのではないか。法社会学的に見ると、そういう伝統がありますために、今日四十一条の、このように明瞭な
唯一の
立法機関という
規定を、案外正確に
解釈できなくて、そうして
内閣法もそういう頭でつく
つてしまう。先ほど申しましたように、
国会法においてすらも、
最初は、
内閣が当然に新しい
立法について
提案することができるような、そういう思い違いした条文をつく
つたということになるのではないか。この点はこの際十分に
考えまして、やはり
憲法四十一条に基いたような
内閣法、またそういう
制度をつくることが大切ではないか。それは、
政策論としても、そういうふうに
憲法四十一条の
定めるような
趣旨に
制度を改める方が望ましいのではないか。以上補充
意見として申し上げます。