○井堀委員 それでは
大臣の今のお言葉で非常に私はふに落ちぬことが
一つありました。それはこういうことで決して労働
団体を拘束することでないということを主張されるために、あえて用いた言葉だと思いますが、少くとも今日の時代に政権を担当されまする
政府の閣僚の一人として、今のような不用意な言葉は私はどうかと思うのであります。というのは、この
法案は、またいろいろ御説明をされると思いますが、たとえば第三条の中にありまするように、「
教育を利用し」というその「利用し」は、だれが利用したかしないかを
判断する立場は、この
法律からいうと決して教員自身にはないのです。その
判断するのは、申すまでもなくこれはそれぞれの教員を雇用するもしくは監督する立場にあるわけです。だから労働問題でいいますと、雇い主と被雇い人の
関係にある雇い主側の立場を代表する人がその認定をするわけであります。でありますから、もうこの言葉を持
つて来て縛れば、教員の自由というものはどつちからでも——私がその立場に立
つてこの
法律を握るならば、教員の
団体行動を縛ることは自由にやれます。私にこれを与えますならは……。それかおわかりにならぬことはなくて、とぼけておいでになるのではないか。(笑声)それほど今まで過去の経歴からい
つて、そういうことはいやというほど承知しておられる。たとえて申しましよう。あなたの時代のときのことを申し上げたがよかろうと思う。私はきつい経験を持
つておるのであります。それは暴力
行為等取締規則という
法律が、たしかあなたのときじやなか
つたかと思うのでありますが、制定されたことがあるのであります。暴力
行為等取締規則という
法律は、当時の議会の提案の趣旨弁明を見ましても、あるいは討論の際における
政府側の答弁を見ましても、一致して
言つておることは、これは労働運動やあるいは農民運動を取締るものでは断じてない、すなわち
刑法でいう脅迫の罪や暴行の罪が
規定されておるのに、多衆を仮装しもしくは多衆の威力を背景にして
行つた脅迫あるいは暴行の罪は一段と重い
刑罰を科するという特別
刑罰主義であります。こういう
法律が一番懸念されるのは労働運動や農民運動という、
団体行動を伴わなければにつちもさつちも行動のできない
団体に、これがややもすると悪用されるおそれがあるが、そういうことはないかということを、何回も繰返して尋ねておるのであります。決してそういう心配は微塵もないということを弁明しておきながら、実はこの
法律ができてからその後の実績を見ればおわかりのように、労働争議に飛び出して来ております。私もこのために六箇月の刑を受けたことがあるわけであります。そのときの言葉はこうであります。これが
法律にな
つて流れて来て、検察当局がそれを
判断して告訴をし、裁判所がこれに
判断を加える場合に、たとえば
労働組合でありまするから、いろいろ——今のように公然たる労働運動の許される時代ではありませんから、争議団、労働者の
組織団結を維持して行くために、罷業団から脱落して行く者を阻止するために、今で言うならば何でもないピケライン及び戸別訪問をやるわけですが、そうしたときに、お前仲間に入
つていなければいけないぞ、仲間を裏切ると、支部の大勢の諸君が、あるいは争議団の多数の人が、あるいはひどいのになると、おれたちという、たちという言繋が複数を
意味するというので、暴力
行為等取締規則にひつかけて、
刑罰を受けておる、こういう苦い体験をわれわれは持
つておるのであります。でありまするから、それよりもこの
法律はもつと危険なのであります。その危険なことがお気づきにならぬとするならば、大問題でありまして、むしろ逆にお気づきにな
つて、こういう
法案で特殊の行動をする者を取締ろうとしておるのではないかとすら、私は疑いを持つのであります。それは疑えば疑えぬことはありません。なるほど、今日の
日本の労働
団体のすべてを言うことができるのでありまするが、中には矯激過激なる思想を持ち、あるいは直接行動によ
つて政権を奪取しようとする意図を持ち、あるいはそういう思想を背景とする人々が、
団体の中に勢力を扶植し、あわよく行けば、その
団体を牛耳
つて目的を達する手段にしようとする動きのあることは、これはもう世界共通の事実であります。しかしこれを
法律で縛り制度で縛ろうという愚かを繰返しておる国は、フアツシヨかもしくは一党独裁をとる国以外には
考えられないことであります。民主
主義の国といたしましては、私はそういう愚を繰返すことはおそらくなかろうと思うので、こういうしつこい質問をいたしておるわけであります。でありますから、もし
教育が一部の人によ
つてゆがめられておるということが問題になるならば、それはどうして解決をすればいいかということは、それこそあなたがおつしやるように、おのずから問題は別になるわけであります。あなたの言質をとるわけではありませんが、この
法律によ
つて教育の正しい方向を求めるということと、これによ
つて団体行動をするところの教職員の行動を牽制し、もしくは縛ることは別個だとおつしやいましたが、そういう器用なことはできるものでないことを、よもやあなたがわからないで答弁をしておると私は思わぬのであります。そこであなたのはつきりした見解を聞こうと思うのでありますが、今教員
組合の諸君が
労働組合を運営いたしますために、いろいろな
議論がなされております。そういうことは十分御調査にな
つたと思うのでありますが、その中には、あるいは共産
主義を奉ずる人々の意見が議案になり意見にな
つて出ておるかもしれない。あるいは民主的な意見を持つ人々の主張も多く出ておる。あるいはもつと保守的な立場をと
つて、労働運動としては相いれないような見解に基くような
議論も出て来ておるのであります。そういう意見が民主的に総合されて、正しい方向を推し進めて行くというのが、今日
団体行動であり
組織活動であります。もしそのほかに
組織活動があるというならば伺いたいのであります。すなわち
組織活動を行うということは、
組織というものは機械ではありません。意思がある。意思のない
組織などというものはありません。でありますから、今日民主
主義時代における
組織とか
団体行動というものについては、人格が尊重されて来るのであります。その人格は個々の人格ではなくて、総合された人格を
意味するのであります。これまで申し上げれば 今とぼけておいでにならぬとするならば、私はあなたに教えるほどの立場ではございませんが、こういう
組織のあり方というものを正しく
認識されておりまするならば、この第三条の
規定と労働運動とが何らの摩擦も起さなければ、それによ
つて被害をこうむるものでないという御
議論をなさるのでありますならば、これは一々労働運動に対する見解についてたださなければならなくなるのでありまして、そういうことでありますと数時間を要するかと思うのでありまして、迷惑を避けたいと思うので、あなたの良識に訴えて御答弁を願
つておるわけであります。全然そういう懸念がないと言い切るとするならば、私どもはこの問題をもう少し掘り下げて討議しなければならない。その懸念があるとすれば、この辺に対してどういう割り切り方を持
つているかを
お答えを聞かなければならぬわけであります。くどいようでありますが、もう一度その点に対して歯にきぬを着せないで率直な意見をお聞かせいただきたいと思います。