○伊藤(郷)
委員 一昨日の
委員会におきまして、
文部大臣は恐るべき思想的な侵害にさらされておるからこういう
法案を出した、こういうことを申されましたところ、
野党の方から、あまりそういう実例が爼上に載
つておらぬ、そういう資料を出せということで本日午前にこの資料が配付されたと思うのでございます。思想には思想をも
つてしたければならぬ、
教員の自粛と反省によ
つてこういう
法律案をつくらなくとも守れるのだという声が高いのでございますが、もちろん賢明な
文部大臣はそれを知らないでこういう
法律案を出されるものではないと思う。
現実がもうすでにその段階を
通り越している。もう黙
つていられないということからこの
法案を出したと思うのでございます。そこで昨日の
理事会におきまして、北海道に参りますことは、日程の
関係もございまして行けなくな
つたのでございますが、北海道におきまして武佐事件というのがございます。この武佐事件がどうして有名であり、重大であるかと申しますと、昨年
義務教育の全額国庫負担法が上程せられまして、朝野両党非常に争
つた当時、同僚
坂田道太代議士が、二月二十五日だ
つたと思いましたが、平塚の討論会の席上において、当時の日教組の岡
委員長と討論いたしました。その討論会の折に、中共の中国人民救済総会から日教組に七十四万円送られたということを話に出したところが、岡
委員長は、中共から金の来たことは事実だ、それをわけるように日教組と何とか相談してもらいたいということを言
つて来た、しかし断
つておいた、こういうことにな
つておりますが、この問題はあの総
選挙のま
つただ中におきまして問題となりまして、日教組の方からは
坂田代議士並びに当時の岡野文相を訴えた、また
坂田代議士は名誉毀損で、これを訴えるというふうに、天下の耳目を聳動させた、この中共から七十四万円来たとか来ないとかいうことの含まれている事件でございますから、申し上げたいと思うのです。私は今年の一月二十一日に中標津に参りまして、調査して参りましたので、責任を持
つて申し上げたいと思います。少し時間がかかりますが、札幌から釧路までは急行列車で十一時間かかります。釧路で乗りかえまして中標津という町役場の所在地まで行くのに四時間かかります。ここは秀麗きわまりない斜里獄の下でございます。武佐というのは、役場所在地の中標津の次の上武佐駅でおりて、それからまた三十町ほどある所でございます。その武佐において起
つた事件でございます。杉原春夫という人、これは現在三十二才でございますが、樺太の豊原中学を出まして、それから東北帝大の工学部を卒業し、文部省の
学校教育局専門
教育課にも嘱託としておりましたが、二十四年の九月にレツド・パージになりまして退職し、
ちようど親がただいま申しました根室の武佐部落の中
学校、三学級でございますが、そこの校長をしておりますので、そこへたよ
つて教官として就職したのが二十五年の三月三十一日でございます。それから警察の手入れを受けましたのが翌々年の二十七年の四月二十日の午前七時三十分でございます。標津警察署員清水警部以下六名が手入れをしたのでございます。これは政令三三五号違反容疑でございます。そのときにたくさんの共産党の文書が押収せられたことは時間の
関係で略しますが、その手入れの当時も吉田内閣の犬であるということを警官に対して言
つておるこのことはいいでしよう。しかし生徒を前に並べまして、この売国奴の顔を見よとか、あるいは暴漢に対してくわをも
つて臨み右を投げろというようにして教唆しておる。こういう言動は私はま
つたく
教員として行き過ぎだと思う。大体この杉原教官の
学校内外における政治活動の実態はどうであ
つたかと申しますと――私の申し上げますのは公平
委員会における速記あるいはテープ・レコーダーを通じて申しておるのでございます。たくさんの証人から聞いております。共産党でなければ国民の味方にならない。野坂氏や徳田氏でたければ
日本を救うことはできない。そういうりつぱな人をなぜ追放しておるのか、あるいはお前の父親は共産党でりつぱなものだ。お前の父親は共産党であるが、お前は共産党に傾かないからお前はいけないと言
つてなぐられた生徒があります。その生徒は今は青年にな
つております。あるいはまたもくせい号が三原山にぶつか
つて墜落いたしましたときには、こういうこと々言
つておる。桜木町事件には少額しか見舞金をくれなか
つたのに百万円もや
つておる。それは金持が乗
つているからであるというように、片方は公共企業体であるというようなことは一切言わないで、そういう階級意識を植えつけておる。あるいはこういうことを言っている。朝鮮の休戦
会議は、ソ連が
会議のじやまをするのではなくて、米国が長びかせて
日本に基地をつくるためだ。こういうことを数学や英語の時間に教室で話したということでございます。あるいは北海道の方でなければ御存じでないかもしれませんが、白鳥警部事件というのが札幌にございました。北大の手入れをした白鳥警部が自転車に乗
つているとき、夜うしろから来て殺された。その白鳥警部の殺されるのはあたりまえだ。殺されても大して同情する人はないのだというようなことも生徒の前で、放課後でございますが言うております。つづり方指導などもま
つたく行き過ぎであ
つた。たくさんの宣伝文を自分で印刷して生徒や部落にまいている。本人みずからアカハタを生徒に渡し、あるいはまた部落の人にも渡しておる。学芸会のごときも学芸会と言わずに、平和祭と申しまして、アカハタに掲載されておるとか申しますが、私はあまりアカハタは読んでおりませんが、山城物語というような劇を好んで演出をする。あるいは前進座が中標津に参りますと、午前中に授業を打
切つて、三十町もある上武佐駅まで生徒を引率して、それから汽車に乗
つて観劇をさせておる。映画でも「きけわだつみのこえ」というようなものでなければ絶対に見せに行かせない。こういうような徹底した政治
教育でございます。さらにこの政治
教育を
通り越しまして、私が義憤にたえないことは、有志や自分に対して反対しておる父兄の子供に対しては、心身ともに圧迫を加えた。ただ
精神的でなく、体にまで圧迫を加えた。星喜八という生徒は十数回なぐられて、それまでは記憶がおるが、あとは意識不明で昏倒しておる。あるいはまた父兄会副会長満原の父はたぬきで、お前も子だぬきだ。前から見ればずるいからわからないが、うしろから見れば尾が見えるのだからわかるというように
精神的な打撃を与えた。そのためにこの生徒は、とうとうこの武佐中学におるに耐えられなくなり親戚が岩見沢におりますので、その岩見沢の豊中中学に転校したような始末でございます。また修学旅行なども徹底しておりまして、百三十名かの生徒がおるのですが、そのうち九名だけ引率して札幌に行
つておる。この年はこの先生の思想動向がおもしろくないために、この杉原教官をまじえまして、父兄はことしは修学旅行はやめようということの打合せをなし、杉原教官も了承してお
つたにかかわらず、九名を連れて行
つておる。その九名のうち九名は、六名が先生について行くというので上武佐駅まで見送りに来たのを、親の了解もなしにむりやりに札幌に連れて行
つておるのであります。しかも九名の生徒に対しまして、伊藤信子という女
教員と杉原教官ともう一人まだ発令にた
つていないところの吉田清正という三人が行
つておる。同時に北海道
教育委員会事務局の規定する三泊四日までは届出なくてもいいが、四泊五日以上は届出なければならないという規定を無視して、修学旅行に連れて行
つておる。そしてどうしたかというと、生徒を北大の会場に連れて行
つて、そこではもうすでにこの武佐事件の真相というパンフレットが用意せられたり、生徒が武佐事件の真相ということについてむりに発言させられたりしておる。これはま
つたくうそではないのでございまして、発令されないで引率に行
つたところろの吉田清正という青年が証言をしておるのであります。なお七月十八日には杉原春夫は、さらに札幌に出かけまして、大山郁夫の歓迎会に行
つて、武佐事件の真相を演説しておる。あるいはこの杉原
教員に
影響を受けた伊藤信子という女
教員は、五月十九日に根室の北映座に参りまして、前進座の幕合いを借りて、武佐事件の真相を発表したり、あるいは八月六日には伊藤信子が札幌に行きまして、平和反戦大演説会に出席して演説し、
日本共産党員杉原も演説をしておるのであります。
これに対しまして
関係機関の処置はどうであ
つたかと申しますと、こういう言辞に深き憂いをした地元民は、第一回は町長が根室に参りまして、道
教育委員会の根室
事務局長富岡忠義氏にこういう
教員を処置してくれということを申しているのでございますが、簡単にそういう事実はないと言
つて断
つております。第二回目に行
つたところが、今度は調べると言
つて約束している。第三回目に中標津町の佐藤甚平という町
議会議長が行
つたところが、そういうひどいことがあるなら、それじや調べようとい
つて調べたところが、ま
つたくそれと間違いない、今度は何とかする、こう言
つているのでございます。しかしまことに奇怪なことは、そう言
つた次の日に、北海道
教育委員会の根室
事務局長は網走の
事務局長に転任している。自分が処置すると言
つていながら、そうしてあしたもう出発することがわか
つていたがら、それを秘匿して、ただ善処を促して出発をしたというようなわけで、まことに疑惑が中標津町において今日持たれておる。しかし結局杉原、伊藤の両教官は二十七年の八月十五日に退職処分せられたことは問違いがない。しかしながら退職したのではございますが、今日私が申し上げるのは、いまだにこの事件のあとがくすぶ
つておりまして、中標津町の平和を害し、町民に非常な迷惑をかけているということでございます。それは北海道
教員組合――北教組と申しますが、北教組の黒島副執行
委員長と大石組織部長が最初ば代理人として、その後代理人はかわりまして、山沢組織部長とかあるいは星野、小笠原書記次長とか、あとはしばしばかわるのでございますが、これらの人々が杉原の代理人とな
つて町の公平
委員会に提訴して、すでにことしの一月に至るまでに五回開いておりますが、一々完全速記を要求せられまして、全部テープ・レコーダーに収めてありますので、非常な出費が重な
つて町は因
つております。また退職したとはいいたがら、杉原
たちは今日なお
学校の当直室に住まいしておりますので、新たに町は住宅
なつくらなければならなか
つた、こういうわけで迷惑を与えられております。これに対しまして北教組は、全国五十万の
教員組合の総力をあげてあくまで闘うのだ、こういうことを絶叫しておるそうでごいます。
このようにこの事件が長引いた
理由は一体どこから来ておるのであろうかということを町の人々に私が尋ねましたところ、それは北教組の圧力が道
教育委員会にかか
つているからである。あるいはまた根室の
事務局長富岡忠義氏も、
先ほど申しましたような事情によりまして、これらの
考え方、これらの行動を幾らかでもかばいたいような動向にあ
つたと見られた、こういう点が遅れた原因だろうと思う。さらに大事なことは、中共からこの武佐事件の闘争資金として七十四万円送られて来たということが、杉原の証言中に出ているそうでございますが、非常に彼らを力づけたということでございます。うわさではございますが、この七十四万円はまだ全部使
つておらないで、今日中標津の北海道拓殖銀行の支店に貯金してあるということが、町内のうわさにな
つてお
つたのでございます。
以上武佐事件の報告を私は終
つたのでございますが、そこで
文部大臣に
お尋ねいたしたいまず第一番目は、地教委をどうするかということでございます。午前の
委員会におきまして、地教委の任意
設置の
法案が
野党から
提案せられて、非常な活気を呈したのでございますが、この任意
設置ということは勢い地教委の廃止ということになり、また
辻原委員たちは、結局は
地方教官
委員会の廃止ということが自分
たちの
教育上の
考え方だということを申されたのでございますが、この事件を通じて見ましても、もしこの中標津というところの実態をよく把握してお
つたところの地教委が中標津に――当時は地教委のなか
つたころでありますが、あ
つたとしたならば、約二年間にわたりまして、こんなわかり切
つたことを長く引きず
つて、町民に暗黒な気持を与えなくてもよか
つたろうと思う。
地方教育委員会があ
つて初めて目が届くから、こういう問題が片づけられると思うのでございますが、この
地方教育委員会の
制度に対しまして、任意
設置であるとか廃止であるとかいうようなことな折々聞くということは、非常に動揺を与えるのでございまして、この際
文部大臣は地教委存続の声明なせられますかどうか、その強い声明があ
つて初めて今回上程せられているところの第一の
法案が生きて来ると思うのであります。