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吉野参考人
北海道農業試験場の作物
部長をしております
吉野でございます。急遽
参考人として招集を受けまして準備も不十分の点もあろうかと思いますが、できるだけ整えてまかり出たわけでございます。
九月二十六日には衆議院の
農林委員会の
委員の方々がお
見えになりまして、その当時の
冷害を主体にごらんになられた。ちようど当二十六日は日曜日でしたが、午後から荒れて参りまして、七時過ぎには例の十五
号台風がえらいあばれ方をいたしまして、
北海道では従来見られない
台風被害を目のあたりに体験したわけでございます。この前おいでくださつたときには、
冷害のことを主体にお話いたしましたが、きよう重ねて
冷害のことをお話することは、私としては恐縮に存じております。しかし話の順序から、簡単でもやはり
冷害のことをお話しなければならぬだろうと思
つております。しかし最も力を入れて申し上げたいのは、十五
号台風がその後の
北海道の
稲作に及ぼした影響ということを重点的にお話してみたいと思うのであります。
今年の春先の気象台の予報から申しますと、技術的にあるいは品種的にあるいは土地改良的に、いろいろな方面からみてか
つての状態と今日の
北海道の
稲作状態は著しく異
つていまして、技術水準は非常に上
つております。ああいう
程度の気象予想であるならば、何とか八分作くらいまでは収めることができるであろうと
考えてあらゆる技術的な面を総合して実は本年の
稲作を出発したのであります。従
つてそれに呼応いたしまして、エージエントなりあるいは実際に生産をいたす農家も非常に張り切
つて冷害克服に邁進したわけであります。ところがそれが大事な時期に——この大事な時期につきましては後ほど御
説明申し上げますが、低温障害が来、さらに成熟の末期におきまして、あるいは中晩生など登熟中すなわち末期というよりは成熟の中期におきまして
台風害にあい、相次いで霜、雪によ
つてとどめをさされたわけであります。従
つて総合的に見て、今年の
北海道の
稲作は遂に五分作も至難の状態に
なつたということは、農家の努力、またそれを指導した指導者側の非常な昼夜をわかたぬ指導も、効薄く遂に
なつたことは非常に残念でなりません。今年の
稲作冷害を過去の
冷害と対比すれば、
昭和二十年あるいは
昭和十六年、こういう
冷害年よりはもつと気象的に見ますと深刻な悪い状態に置かれたというふうに
考えられます。私は
昭和十九年からさかのぼ
つて六十年間をとりまして豊凶を分類してみたわけであります。青の部分が反収一石にならない年柄、つまり凶作であります。これが六十年間に十五回ある。それから四俵以上、つまり一石六斗以上をとつた年、これを豊作と一応
考えてみますと、これも十五回ございます。あとの三十回というのが六十年間に平年作を収めておる、こういうふうに見られたのであります。従
つて百年間に二十五回ずつ凶作と豊作とがあり、残つた五十回というのが平年作ということになります。それをもう少し詳しく申しますと、
北海道では百年間に七十五回以上平年作以上を収めることができる、こういうことになるわけです。そこでわれわれはこの二十五回の凶作をいかに克服するか、こういうことで今までわれわれ試験研究
機関は努力研究して来たわけであります。まだまだ研究しなければならぬことは、ことしの凶作によ
つても数えられておりますが、とにかくそれによ
つて——もしこれが研究が進んでおりませんならば、ことしはおそらく大正二年に次ぐところの大凶作に
なつたろう、つまり一俵そこそこの凶作に
なつただろうと、結果から私
どもは
考えておるわけです。それが一俵から二俵近くまで、あるいは二俵以上もとれる農家が出て来たということは、今までの土地改良、あるいは品種改良、あるいは議会方面で非常に心配してくださ
つておるところの温床その他の保護苗しろの奨励、病害虫防除の徹底、こういうようなことによりまして、今日の水準ではどうやら大正二年ほどの実害をこうむらないでしのぎ得たということになるのではないかと思
つておるのです。
これらの凶作の年あるいは豊作の年の中から代表的なものを拾
つてみますとこの表になります。
北海道の稲は日本の西南暖地の稲と生理生態型が全然違うのであります。つまり端的に申しますと、温度に関する感温性が非常に鋭敏で、温度が高ければ栄養体が十分できないうちに穂が出る、温度が低ければ生育が非常に停滞して生育期間が長くかかる、こういう性質を持
つておる。それの極端な例を申しますと、
北海道の稲を、たとえば関東の鴻ノ巣あたりに持
つて来てこちらの苗植えの時期にやりますと、温度が高いゆえにもう苗しろで穂が形成されてしまう。遅れた場合でも本田に移植してすぐ穂が出てしまう。稲の栄養体が極く小さなままで穂が出てしまう。これは
北海道の稲が高温に対して非常に鋭敏であるからであります。ところが九州方面の稲は御
承知のように晩植いたします。
北海道の稲は晩植いたしますと、温度が高いときですからすぐ穂が出てしま
つて、米の経済的生産はできはしない。九州の稲は、いや九州ばかりでなしに四国あるいは東海、近畿方面の稲は、
北海道の稲と生態型がまつたく違うのです。これは日が短かくな
つて来ると——年間で日が一番長いのは夏至ですが、七月にな
つて来ますとだんだん日が短かくな
つて参ります。一日の日照時間が短かくな
つてくるとすなわち九月中旬以降に穂が出てくる。それで十一月ころに収穫できるようにな
つているわけです。西南暖地の稲は、一日の日照時間の長短に対して非常に敏感な性質を持
つています。日の長いうちは栄養体をつくるが、短かくな
つて来ると普通の栄養成長が生殖成長にかわるというように、根本的に西南暖地の稲と
北海道の稲の生態型が違うのです。そして東北だとか北陸だとか、中間にある地帯には、この
北海道の感温性と西南暖地の感光性の二つが組合わさつた中間性の生態型にな
つており、
北海道にだんだん近くなるに従
つて、その中間型は
北海道の性質を強く帯びて、感温性が感光性よりも強くな
つて来る。南に行くに従
つて感光性が感温性よりまだんだん強くなる。細長い日本に分布しておる稲は、そういうふうに地帯々々の気象条件に感応してそれぞれの生態が選ばれ、分布しておるのであります。同じ稲とい
つても、そういつた生理生態的の性質はそれぞれの地域で違うのであります。そこで
北海道の稲が温度に対して敏感なわけですが、今までの
北海道の米の豊凶を見ますと、温度の高低によ
つて豊凶がきま
つているように見られます。もちろんそれに次いで相関の高いのは日照でありますけれ
ども、日照よりも顕著に相
関係数が高く出て来ているのは温度の高低であります。そこで温度の点につきまして豊凶の年柄を吟味して参りますと、この図の帯の間は大体平年の圏内であります。算術平均しますと、この赤い帯と青い帯の境界線が算術平均された、いわゆるよく使
つている年の平均気温線です。けれ
ども年によ
つてその平均から平年作の年が動いていますから、その幅を見て計算しましてこの幅を現わし平年圏温度としました。言いかえますと、この幅の範囲に温度が上り下りしているような年柄であれば、大体平年作を収める見通しが
考えられる。もしこれが平年圏の帯を上まわる、こういうところに出ることが多ければこれは豊作の年であり、それからこの平年圏の帯から下まわるようなことがあれば凶作年であるというふうにみられるのであります。解析をしてみるとなるほどそうな
つたのであります。その一例として最近の
冷害の
昭和二十年をと
つてみますとこういうふうにな
つております。ここでちよつと平年に入
つてここでまた出て来て、それから八月上旬に行
つて平年の方に入
つて行つた。それから凶作の大正二年ですが、こういう大凶作年は、今まで
北海道に明治三十五年と大正二年の二回あるのであります。反当二斗以下です。この黄色の線が大正二年でありますが、これは初めから終りまでずつと低い。それから
昭和十六年は初めはそう低くない。そうして夏に行
つて低くな
つて、また八月中旬以降にな
つて平年に行つた。こういう年です。凶作の年を見ますと、二十年のように春先ぐつと悪くて、そうして夏にちよつとよかつた。それから
昭和十六年のように、春先はそんなに悪くないけれ
ども、夏で悪く
なつた。こういうふうに二つの対象的な年柄がある。それから
昭和十七年は割合に平年作の年ですが、この年はこの点線で表わした、こういうふうな年柄であります。それから
昭和二十三年は、
北海道では珍しい豊作年でしたが、春先からずつといつでもよかつた。これは大豊作の年であります。そういうふうに、大体この帯の間を行
つておれば平年作、これが下まわれば凶作、春先下まわ
つて夏がこうちよつと入ればこれはある
程度米がとれる。このような年は生育遅延が主体とな
つて冷害とな
つて現われますが、早生種とか、早出来のものはとにかくとれる。それから
昭和十六年のように、この青い線で示してあるものですが、初めはそんなに悪くなかつたんですが、ここへ来ると低温とな
つて、このため生殖成長に行
つて障害が起きてきたのであります。こういうような年柄にわかれて参ります。
それでわかりやすく申しますと、これらの凶作の年、豊作の年を、私の方で豊凶試験場ができて以来の豊凶考照試験を対象として調べてみますと、明治ごろの古いものは試験場ができておりませんので、
調査がありませんけれ
ども、大正年代からのものはと
つてあります。凶作の年は大正二年、十五年、
昭和六年、七年、九年、十年ですが、この図のこの線を平年線として、これらの圏内をしまつた回数、下まわつた回数を度数分布図で示しますと、凶作の年は春先がいいこともあるし、悪いこともある、また秋にな
つていいこともあるし、悪いこともある。豊作の年もやはり同じように、春先がいいこともあるし、悪いこともある、秋がいいこともあるし、悪いこともあるわけです。まあ豊作の年は凶作の年よりもいいことの方が多少多いようですけれ
ども、特に違うのは、七月中旬から八月上旬にかけてです。凶作の年は、常に平年圏から下まわ
つておるわけですが、豊作の年はこれと対蹠的に必ず上まわ
つておるというわけです。言いかえますと、七月中旬から八月上旬にかけての温度の高低いかんが、
北海道の米のとれるとれないということを決定しておると、こういうことが言えるわけであります。このことは別の
数字的な、統計的な
調査から見ましても、相
関係数から見ましてもやはり言えるわけです。七月中旬から八月上旬の相
関係数は大体七〇ぐらいにな
つておりまして非常に高い。そこでわれわれといたしましては、米がとれるとれないはこのときの天候、つまり気温が高いか低いかによ
つてきまるのであるから、いかにして外気温が低く
なつたときにこれを守るかということが、栽培学の方から見た一番大事なねらいどころになるわけです。またこれを育種学的に見たときには、いかにしてこの時期の低温に対して強い品種を育成するかということが非常に大事なことであります。更にもう
一つ大事なことは、こちらの図でごらんにな
つてわかるように、年によ
つて春先は悪いけれ
ども、夏へ行
つて高くなることもあるし、あるいは十六年のように、春先はいいけれ
ども、夏にな
つて低くなることもあるのです。このような危険をいかにしてずらすか、これは回避策になりますが、ずらすくふうをするわけです。もし一ぺんに全部この時期——八月上旬なら八月上旬に出穂することをやりますと、危険が集中いたしますので、七月の下旬から八月の下旬ぐらいまでの間に危険を分散するようにするわけです。こういう分散策というようなものを耕種肥培に
考え、早中晩の品種の組合せとか、あるいは
稲作法の組合せとか、栽植密度の問題、肥料のやり方とか、そういうようないろいろの点についてくふうをしておるわけです。先ほ
どもちよつとお話しましたように、過去の
冷害をわけてみますと、
昭和二十年のように春先からずつと天候が悪くて、ただ遅延したために、そうして秋詰まりに霜にあ
つて青枯れてしまつた場合には、稔実障害があまりない、ただ登熟障害が出て来るわけです。しかし遅延の場合にも大まかにみて二
通りある。つまり春先が悪くて遅延する場合と、登熟期間の秋に行
つて悪くて遅延する場合、それから両方が重
なつた場合が出て来ることがあります。これは主として栄養生長期間に天候が不順で、気温が低かつたために出穂や成熟が遅延するということになります。それから障害型
冷害というのは、栄養成長が済んで七月の中旬になると普通は生殖成長に入
つて来るのですが、つまり実を結ぶための成熟をするわけなんですが、その頃に低温不順ですと、幼穂の分化期の低温障害が起ります。この幼穂の分化は
北海道では普通出穂前二十二、三日ごろですが、その時の穂の長さを見ると二ミリぐらいにな
つています。その頃から米の倉庫といいますか、米を結ぶためのいれ物の頴花ができますけれ
ども、その頴花の数がきまつたり、あるいは頴花は枝につきますが、この枝が枝梗であ
つて、そういうようなものが分化します。その当時に低温ですと退化頴花ができます。ことしはそれができておるのですが、低温になると、つまり退化頴花が出て来る。ちようど糸くずを散らばしたように、チリチリとした、もみの形をしない痕跡が出て来る。それを私は退化頴花と申しておりますが、その出方にはやはり品種間に低温抵抗性の差異があります。私
どもの育成したこれは品種ですけれ
ども、こういうような違いがございます。その低温障害がつまり貯蔵庫の数をそれだけ減らすわけです。それから間もなくいたしまして、ちようど出穂前二週間前のころになりますと、いわゆる性細胞ができる時期がございます。稲のからだすなわち栄養体の細胞の染色体は二十四ですが、性細胞の方の花粉あるいは胚というようなものになりますと、その半分の十二の染色体数です。二十四が十二に減数する作用が行われるわけです。つまり栄養細胞が生殖細胞にかわ
つて来る。そのときに父方になるのは花粉であり、雌の方は胚嚢の中の方にあるわけでありますが、受粉によ
つて、雄の花粉が花粉管を出し、この花粉管が伸長しその後胚嚢内の珠孔から卵の中へ行
つて両性の核が結びつくわけです。すなわち
一つの雄核は卵核に結びつく、他の
一つは極核と結びつくのです。つまり二重の受精が起
つて、卵核と結びついたものがいわゆる胚になり、それが来年種としてまかれた時に芽とな
つて出て来ます。われわれが食べる大事な白い部分は胚乳で、これは雄核と極核とが結びついて発育したものであります。だから完全に米になるのには、丈夫なりつばな花粉ができ、花粉管が元気に伸びて、珠孔から入
つて雄核は健全な卵核と極核とに結びつかなければ米ができません。ところがそういつた健全な花粉と胚嚢とが成り立つためには、先づ今の減数分裂が完全にわかれて行かなければならないわけです。その減数分裂のできる時期に低温になると、分裂の途中で、これは細胞学的には少しめんどうで恐縮ですが、ここに核盤というものができなければならぬし、分裂したものが両極にむか
つて規律正しく並ばねばならぬし、また縦裂も行わればならぬのであります。そういう時に低温にあいますと排列がうまく行かなかつたり、中には核盤がうまくできなかつたり縦裂が行われなかつたりして、いろいろ不則な分裂が行われ、普通の正常の花粉ならば一核よりないのですが大小さまざまな多核をもつた畸形の能力のない花粉ができて来るのであります、それから雌の方でも、これは大体四分子にわかれるのですが、そのうちの三つは消失してしまいまして、
一つだけが完全に残らねばなりません。この雌の方は割合に低温障害の危険が少い傾向を持
つていて、比較的に安全です。花粉の方は非常に低温障害の危険が多いわけです。これは生物の方から見てもおもしろいことだと思います。子孫保存のために危険なものは数がたくさんでき、安全なものは割合に数が少いということは、非常におもしろい現象だと思います。魚なんかでも、
北海道ではにしんがとれますが、にしんの数の子は非常にたくさんある。あの中で
ほんとうに健全に育つものはそんなにない。途中で外敵にあつたりするので危険率が高いから、数の子が多いのであるまいか。私は植物と対比しておもしろいことだと思います。この花粉の母細胞は分裂によ
つて四分子とも残るが、安全な胚嚢母細胞は、分裂して四分子中
一つより残らぬというようなことは
考えさせられる問題であります。このように減数分裂の時期に低温にあうと、受精機能を出穂前にすでに失
つておる。それからかりに十二ずつにわかれまして花粉ができたにしても、今度は花粉を包んでおるところの袋、これは御
承知のように葯ですが、この葯の内側の面にタペイト層があります。このタペイト層は、できたばかりの花粉——これを私
どもは小胞子と言
つておりますが、——小胞子が栄養をと
つて花粉管を出し、受精をする元気のいいところの花粉にするために栄養を与える機能を持
つているわけであります。そのタペイト層は薄い層ですが非常に細胞のきちんと並んだ層なんです。そこから花粉に栄養が補給されるわけです。ところがそのタペイト層が人間で言えば胃がんに
なつたようになる。低温のためにがんができまして、そしてその栄養を送るみずからの機能が破壊されてしまう。破壊するばかりでなくて、今度の分裂は済んだけれ
ども、栄養が十分とれないで、完成されない栄養不十分の小胞子を包んでしまいまして、とうとう花粉をしなびさしてしまう、いわゆる稔実の悪い不稔花粉ができるわけです。これがちようど出穂前の一週間前後の時期の低温によ
つて起るのです。これは品種によ
つて多少違いますけれ
ども、大体以上の三つの障害が穂ばらみ中における大きな低温障害で、稲の結実を著しく悪くするのであります。すなわち
冷害の最も強く現われるのは、穂ばらみ期間の低温による稔実障害であります。
それからその次に来るのが、出穂開花期の低温であります。府県ではちようど二百十日が恐しいと言われますが、これはそれに該当するわけです。
北海道の場合には、普通出穂開花は八月上旬ですが、出穂開花期の低温よりも、穂ばらみ中の低温が非常に恐しいのであります。ですから要約すれば
北海道では七月中旬から八月中旬の時期にこれらの大事な生育過程が行われる。つまり生殖成長を営むための大事なもとの
機関がつくられるわけですからその大事な七月の中旬から八月の上旬にかけて低温であると米はとれなくなり、高温であると米はとれるというわけであります。ですから七月中旬から八月の上旬の間の温度が高いか、低いかによ
つて北海道の米のとれ方がきまるわけです。それを細胞生理学的に申しますと、ちようどこの生殖成長の大事な営みが行われるときに天候不順でありますと、稲にいろいろの障害を与え、凶作になるわけです。ただいまも申しました胚嚢の母細胞の減数分裂あるいは花粉の完成期のタペイト層の肥大というような、障害の結果は、この標本のように白桴とな
つて現われております。
それからもう
一つ生理的に問題になるのは、低温が極端になりますと、稲の茎葉や穂が黒変することがあります。これは病菌によるものではありません。生理的な障害です。そしてそれが強くなりますと、中が腐りまして性器が全部腐
つてしまい、機能を失
つてしまう、そういうことがあるわけです。これは
昭和六年あるいは九年のときにも出ておりますし、十年のときにも出ており、今年もそれが出ております。それから
一つの穂の開花は一斉ではなく、穂の先の方から——枝の先の方の条件のいいところからだんだんと下の方に向
つて次々と咲いて行くわけですが、今年は一穂の開花に長日を要し、一株内でも一箇月を要しています。
それから今年の
冷害は、過去の
冷害とどういうふうな違いがあるかということを次にお話してみたいと思うのですが、これが平年の気象の図ですが、今年はこういうふうに気象がずれて来ております。これが五月、六月、七月、八月、九月というように半旬別に表に現わしたものであります。今年の作付前の気象台の予想では、この点線の推移をたどるだろうということだ
つたのです。そしてここのところが高くな
つて、ここで低くなりそれからまた高くなるという予想だ
つたのですが、この大事な七月の第二半旬から八月まで低くな
つております。これが予想と著しく違つた点であります。もしここのところで上るのであれば、私
どもはわせを使つたり、あるいは稲ができ遅れしないような保温苗を用いるとか、栽殖密度を高めるとか、肥料も窒素を減らして燐酸を多くやるとかいうことで、相当のところまでは行けると
考えていたわけであります。ところがここが低かつたために予想をくつがえされました。しかし耕種技術が非常に進んでおりましたので、六分作は何とかとれるだろうという見通しを立てておつたんです。幸いにここで平年と同じくらい上
つていますが、また八月の第二半旬に下
つております。そして九月に入
つて例年の八月ぐらいのいい天気にな
つたのであります。これがもう少し早く来てくれれば、かなりこれでよく
なつただろうと思いますけれ
ども、これがここまで来て、例の九月二十六日の
台風でぴしやんとやられて、霜以上の障害を受けて、まつ白くな
つております。霜以上ということはどういうことか、それは先ほど申しました頴花がついているところの枝の部分が白くな
つてしま
つております。葉はずたずたにな
つてしま
つて、脱粒したということであります。一体玄米が太るのは葉や茎でできたところの貯蔵養分が稈や枝梗から移行されて行くわけであります。その通路、つまり貯蔵養分の転流が遮断されてしまつたということになるのでありまして、このたびの
台風の影響というものは、ただ単に脱落したというだけでなくて、乳熟の途中にあるものにと
つては、貯蔵物質の転流が遮断されたことになります。ですから
台風被害というものはこの二つがダブ
つて来ております。この九月の第六半旬に来まして、霜が来た。第六半旬の霜は、水霜
程度でございましたから、霜害防除を二、三回繰返すことによ
つて、かなり守ることはできたんですが、十月に入りましてからは強霜になり、特に五日、六日、七日、八日、連続的に低温になりまして、七日には雪が降つたりしまして、もうここで決定的に作柄がきまつた形です。
台風が来たときに皆がだめだろうと言
つて刈
つてしまいますので、私はそれに対して注意したのですが、よく見るとまだ中には枝梗も生きている枝梗があるから、それを助けようという下心で、もう少し様子を見てから刈ることにしてくれということを申しまして、様子を見ているうちに厳霜が来たわけです。それが農家はこれで万事休すというので、目下盛んに刈
つております。盛んに刈
つておりますものの刈り手の数が少いものですから、非常に人夫賃が上
つて、女手一人千円からしておりまして、それで奪い合いの状態であります。この調子で行けば、凶作ですので、農家もできるだけ節約して自分の手で刈らなければならぬだろうと思いますが、このままおけば、今年は相当雪の下になるだろう、こういうふうに
考えられます。この表は、今年の半旬別に見た表ですが、今年は昨年に比べてひどいことを、この気象の表でもわか
つていただけると思います。秋にな
つて九月はちよつとよかつたけれ
ども、昨年はもちろん秋はよかつたけれ
ども、本年よりも早くに高温にな
つておるわけです。ことしは遅く高温が来たために、うまくない面が、昨年とことしの
作況の大きなわかれめです。
それから、これはことしと
昭和二十年、遅延した年の比較ですが、道内の主要試験
機関のデータをもらいまして、急いでつく
つて来たのがこれらの図表であります。この黒いのが
昭和二十年、赤いのがことしです。ことしはもう
一つ春先天候が悪かつたために、こういうふうに遅れて来ております。これは苗しろ日数期間の遅れはそうありませんでした。それは四月が順調であり、五月も末ではちよつと悪かつたけれ
ども、まあそんなに大した変動はなかつたということが言えましよう。ただ五月の十日ですか、種をまいたばかりで、
台風に似たような強いものが来て、温床が飛んで非常に世間を騒がしました。そのためにちよつと頓挫したことはありましたが、まずまず温度から見ますと、そう
北海道の春先としては特別なものではないと
考えます。ところが六月に入りまして悪か
つたので、とめ葉日数が去年よりどのくらい長かつたかというと、これだけです。か
つては
昭和六年にそういうことがありましたが、
昭和六年以上です。
昭和六年も天候が悪かつたために生育が遅延したのです。それからことしは、とめ葉が打
つて、出穂するまでの日数、これを私
どもは穂はらみ日数と言
つておりますが、その穂はらみ日数も延びております。大体穂はらみ日数は二週間くらいですが、それも五日ばかり延びております。それから登熟日数、この登熟日数というのは、出穂から成熟期までの日数ですが、その日数をと
つてみますと、平年だと、四十日かかるのが、ことしは途中で霜にあ
つてしま
つて未熟のままに
終つたものが多いわけです。私
どもの見込みとしましては、五十五日くらいかかる
予定でありましたが、統調の方で五十日くらいにな
つておりますけれ
ども、それ以上要する見込みのものが多か
つたので
被害甚大となりました。それが霜に当
つてしまつた。ことしの全体の生育遅延はどれくらいになるかというと、これとこれと、これらを合算しなければならぬから、大体一箇月遅延したことになります。そうして夏には先ほど申しましたように、こういうふうな平年より二、三度低い、はなはだしいときには五度くらい低温であつたくらいですから、著しい低温障害を来したわけです。言いかえますと、大正二年に次いだ遅延と障害、この二つが重な
つて来た混合型の
冷害年であるということが言えるのであります。
そこで私
どもは、春から穂はらみ期の低温を守るために深水灌漑をするように言うて注意して来たのです。これは水をかけておきますと、ただ単に外気温より水の温度が高いばかりでなく、その稲の生えている範囲内の空中の気温をも、水のおかげで多少高く保つことができるからであります。幼穂の形成、穂の卵が形成されたころは、稲の穂は地ぎわにあるわけです。ですからこの時の低温は、一寸の水を張
つてお
つても保護されるわけです。この図のように横軸は温度で低い方から、十度、二十度と高い方に刻んであります。こちらの縦軸は地上から稲草が生えておる高さに応じ、下から上の方へと高くな
つてゆきます。すなわち十センチ、二十センチ、三十センチ、五十センチ、七十センチ、百センチ、百五十センチとな
つており、百五十センチくらいになりますと、水を一寸の深さに入れてお
つても温度は外気温と同じくらいになります。この図は従
つて温度の垂直分布を時間的に示していますが、水を二寸張
つておると、五十センチくらいまでは、水を張つたおかげで気温は多少実質的に高く保つことができています。地ぎわにある穂の卵は、幼穂形成期に水を深く張ることによ
つて温度を高く保ち、
冷害を緩和することができます。これが夜明けの五時です。これが晩の九時です。さらにこれがとめ葉期ころになりますと、いわゆる穂はらみ期間で穂の先端の位置は地表一尺くらいのこの辺に来る。こういうふうに水を一寸張つただけでこういうふうに外気温よりも午前五時なら下ほど高いのですが、ともかく穂の周囲をより高温に保つことができるわけです。この垂直分布図はことしの
調査であります。それが五寸以上の深水になると効果はさらに大となります。すなわち深水の
程度を高めることによ
つて漸次低温障害を軽減できます。これは昨年の
冷害の年にやつた実験ですが、外気温が、最低気温で十度八分のとき、五寸張つたものは十八度に保つことができる。それから三寸のものは十七度に保つことができる。一寸五分では十五度をちよつと越しますが、外気温が水一寸張つただけで六度五分、五寸も張つたならば七度五分も高く保つことができる。日中の温度の高いときはどうかというと、これは逆に低くなる。しかしこれは低くなりますけれ
ども、大体稲の生育の上から
考えてそう極端な低温ではないから差し支えありません。平均いたしまして、深水によ
つて二度近くを常に高く保つことができるということになります。さようなことで、ことし私
どもはこの期間を水で守ろうとしたのだが、ことしは気象的に申しますと、これは新しい表現になりますが、いわゆる晴冷型と申しまして、オホーツク海の高気圧が頑強に
北海道の空に停滞したものですから、日中はよく晴れておりますけれ
ども、朝晩非常に寒い。そのおかげで梅雨前線の北上が八月中旬になり、この間こちらの東北とか関西方面は盛んに雨が降
つたのですが、
北海道では雨が降らず非常に困
つたのです。その期間に旱魃が起きたわけです。すなわち六月の下旬から七月の下旬にわた
つて、雨らしい雨は七月の一日にちよつと降つたきりで、あとほとんど雨が降らず、水用には地割れが多発した状態で、私
どもは水を深くかけてくれということを言うこともできない様でした。ただ水を多少でも、一寸でもかけられるところに対しましては、できるだけ深水してくれということを申しましたけれ
ども、一般には遂に実行できかねました。こうした旱魃はさらにこの
冷害を一層助長し拍車をかけたことになります。今年の
冷害の一特長とも言えましよう。こういうふうに
考えております。
それからもう
一つの特異現象は六月の上旬、中旬——五月の下旬から多少入りますが、苗植えころや苗植え直後が低温であつたために、低温性の害虫であるヒメハモグリバエが全道的に大発生、
被害したことであります。そのヒメハモグリバエが出たために苗が腐りまして、補植したり再播したりしました。三本植えしたものが一本にな
つてしまつたり、あるいは株がなくな
つておそくな
つて苗植えしたり、直播したりしました。こういうようなことでこの標本はさし苗しないものに対して、したものがどれだけ生育が遅れたかを示すものであります。さし苗しないものはこれほどまでによく稔
つたのですが、さし苗したものは生育が遅れてまだ青い状態です。よく稔つたものは十五
号台風によ
つてひどく落されております。実入りのいいものほど
台風にひどく落されております。未熟のものは白くな
つてしまつたわけです。
それから、品種によ
つてことしは危険の分散を
考えたのですが、予想からにらみ合せてやらしたのですが、やはり作付の多いのは何とい
つても中性種に置かなければなりません。ことしは中性種であ
つても遅れ穂が、どうしても生育ずれで遅れが著しくなるから、できるだけ一株の栽植本数を多くして、出穂があまり散らばらないようにとあらかじめ指導して来たのですが、ヒメハモグリ
被害や低温害等で、一株の中の親穂と分けつ稈との出穂、開花のずれが一箇月にわた
つております。それで主桿と分けつ稈の登熟状態は非常に差があります。それから品種によ
つて非常に抵抗性の強い、実入りのいいものがあり、これは品種改良したものですが、中には経済的収量は多いけれ
ども、不稔が非常に多い品種がございます。この中で特に目立
つたのは、普及されている
面積の多い照錦と早生錦が特に不稔が多い。ところがまたもう
一つ普及
面積の多い農林二十号あるいは栄光、農林二十号の場合は、親穂はいいけれ
ども分けつ桿は非常に稔実が悪い。栄光はやはり稔実は比較的いいけれ
ども、九月にな
つて出穂したために遅れ穂が非常に登熟途中でやられてしまつた。こういうことです。一般に早く花が咲き実が入つたものは脱粒し、おそく出穂し乳熟中のものは
台風で白く枯れ上つたということです。
それで
台風を次に話しておきたいと思います。この写真は私がみずからと
つて来たものですが、空知のいわゆる泥炭地として有名な石狩泥炭地帯に中村農場というりつぱな農場がありまして、そこに大きなりつぱな事務所がございますが、この屋根が飛んでしま
つて家がいびつにな
つてしまつた。これの前の倉庫はつぶれてしまつた。又れんが建のりつぱな倉庫がございますが、それな
どもひびが入
つております。石狩川が約十間ぐらいうしろに流れているのですが、そこの所にこの家の屋根が飛ばされて、流れてしま
つて跡形もない。それからこれは私
どもの泥炭地研究室の入りぎわにある防風林ですが、これは約十間ぐらいの幅で、ふだんは鬱蒼として向うの見通しがつかない防風林です。それが
台風で折られてしま
つて、この
通りにな
つています。こういう
台風が吹いたために、ここに脱粒もみがありますが、これは大体一俵ないし一俵半の脱粒状態を示しております。それの残つた方の穂は、こればいいもみが落ちてしま
つて悪い貧弱なものがついておる。あるいはしいなのようなものがついてお
つて、残つたものがよくない。すすきのような状態になりました。それを具体的にしますと、生育の進んだものはこういうふうに脱粒がひどい。これは同じたんぼの中の株について調べたのですが、これは同じたんぼの中で脱粒が割合に少いものです。こちらになりますと穂切れがあつたり、あるいは脱粒がひどくてすすきのようにな
つております。それから生育の遅れたものについてはそちらほど脱粒はないけれ
ども、こういうふうに細り上
つてしま
つている。霜でやられたので生理機能を失
つてしま
つて、細く白く枯れ上
つている。これらのものは乳熟期のものですが、できたところの米——できたとい
つても無理に米と名付けてしまつたものですが、
災害なかりせば、いつもですと大体千粒で二十二グラムぐらいある品種なんですが、たつた十五グラムぐらいで、ほとんど人間が食うような米ではありません。まずまずにわとりが食う米、しいなに近い青い米、そういうふうな状態です。おそらくことしはそんなことで、
台風の
被害は脱粒で大体平均的に見まして反当一斗ぐらいは落ちておると私は思います。
それから貯蔵養分の転流機能を遮断されたことによる
減収が更に加わります。実験によりますと、とめ葉を乳熟期に人工的に切
つてしま
つて貯蔵養分を送る機能を遮断してしまいますと、品種によ
つて違いますけれ
ども、一割から三割の
被害があるわけです。そういう栄養物質の転流機能の破壊ということとあわせて
考えますと、特に栄養物質の転流機能の遮断につきましては、早生品種よりも中晩生種に大きく来ておりますので、これは全体の作柄の上から見ますとウエートが大きく響く。そういうふうに
考えて来ますと、
冷害と切り離してこの
台風の影響というものは二割から三割の
被害が見込まれるのじやないか。従
つてただいま統調が今総動員でいろいろ
調査しておりますが、たとえばこの前の指数でしたか七〇%という
北海道の分作が出ておりましたが、今後と
つてもあんな七〇%の分作は望めません。このことを御了解願えれば仕合せだと思います。いずれ次々と
調査して
資料が参りまして、だんだん秋下りになるでしよう。昨年はだんだん秋上りになりましたが、ことしは反対にだんだん秋下りになるだろうと思います。この現象が少し違うのではないかと思います。一番残念なのは、この十五
号台風が来なければ、かほどまでの惨状に行かなかつたと思いますが、これによる
被害が
北海道の稲つくりの大場所である上川、空知、それから道南の前田、発足、余市あるいは渡島、胆振、石狩管内、こういう大事な大場所に大きいとみられます。しかもこれらの産地は、
北海道の米の生産上ウエートが大きいのだから、それだけにこの
台風にやられたということは、
冷害の方と併せ
考えて、こういうような
災害はいままでに珍らしく、
北海道として経験したことのない大
被害だと思われます。その上に霜が大きく、雪が早かつたということがだめ押したものだと思います。
以上簡単な
説明ですけれ
ども、非常に乱暴な
説明で恐縮でしたが、終ることにいたします。(拍手)