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足鹿委員 第一の点につきましては、先刻の
綱島委員にお答えいたしました点を若干敷衍して御答弁にかえたい。すなわち今日政治によ
つて解決されない問題は何
一つないではないか、特に
農民の場合はそうではないか、こういう
綱島委員の御
質問の
趣旨と同様の御
意見であ
つたと思いますが、その
通りであります。だからとい
つて経済的な問題が閑却されていいのではない。すべてを政治的に解決しなければならないということ自体、
農民は
意識しておらない。いかに
自分たちの農業経営やあるいはその基盤である農業生産力の
基礎諸
条件が、他の産業に比べてきわめて貧弱であるにもかかわらず、なぜ国の施策に正しく取上げられないかということについて、それが政治につなが
つておるということを漠然と知
つておりながら、事実は知
つておらない。また
肥料なり電気料の問題なりあるいは農産物
価格の問題にしてみても、
経済的な面から
農民は自覚を起すのでありまして、いきなりこれに政治的な
目標を与えて行くということは、そのこと自体私は
農村の
民主化と
農村の健全な組織化ということとほど遠い、いわゆる
政党の走狗になる危険性を持つものであると思う。正当な
経済的な問題については、保守
政党であろうと革新
政党であろうと、真剣に
農村の問題を
考える人であるならば、
農民組織を割るような
考え方は持たないであろう。ただそれがいきなり政治的に走
つて行こうとするところに
組合の分裂が起き、組織の混乱が起きて、ひいては
農民の組織力の分散となり、
経済力の弱体とな
つて、今日の
状態に拍車を加えておるのでありまして、ただ単に
農民の問題に限らず、中小企
業者の問題あるいは
労働者の問題あるいは漁民の問題にしましても、まず
自分たちの生活の周囲にあり、
自分たちの職場の周囲にある
経済的な問題にその当事者が目をさますことである。そこから出発して行く。すなわち高度の政治
目標を与えて、一定の政治的イデオロギーに引きずろうとするところに、今日の
日本農村の非常な不幸があると私は思います。真に
農民が大同
団結して行くためには、
経済的な面を重視して行く、その間にあ
つていろいろ
運動の過程を通じて、真に政治に対する眼が開けて来る、
批判力が生れて来る、こういうふうに私
どもは見ておるのであります。そういう点については、
綱島委員なり足立委員とも、表現の方法は違
つておりますが、そう大きな食い違いはなかろうと思います。これはもうわれわれ日常一挙手一投足がすべて政治につながりを持
つておるのでありまして、そういう議論から行きまして、
経済活動よりも政治的にはつきりした方がいいではないかという議論も一応成り立ちますが、そこに今までの
農村の組織化が停滞した大きな原因があるのではないか、そこを反省しておるつもりでありますので、この点は御了解を願いたいと思います。
一党一派に偏する傾向があるが、そういうことのないように
規定すべきではないか、こういう御
趣旨の御
質問であ
つたと思いますが、私は先刻、
組合と政治
団体との
関係について申し上げましたが、どの党を支持するということ、とどの党の政策を支持するというということとは、私は違うと思います。党を
農民組合が総会において支持するということになりますと、これは非常な弊害がただちに出て来る。どの党のどの農業政策が
農村にいいのか悪いのかということを、
組合の民主的な
機関に諮
つて決定すべきものである、こういうふうに私は見るのであります。それがまず第一段階である。そうしてそういう段階を経て、
組合を組織しておる個々の
農民の政治的自覚、政治的理論の発展によ
つて、あるいは保守党の好きな者は保守党に行く、革新
政党の好きな者は革新
政党に、個々の意思によ
つて進んで行くでありましよう。
従つて一党一派に偏してはならないということは、民主主義の原則をそれによ
つて曲げることにもなりますし、そのこと自体は
農村の発展に寄与しない。むしろそれは自主的にどの
政党を支持するということよりも、私は
日本の現状においては、
農民組合であろうと
労働組合であろうと、まず
政党政治に対する判別の第一着手は、
政党の持つ農業政策とその政策を実現するところの情熱あるいは実行力を持
つておるかいないかということから、
農民の判断を自主的に決定せしむべきではないか、それ以上、
政党を支持する、支持しない、どの
政党がいいか悪いかということは、
農民でなくても、国民の一人として当然判断するのでありまして、この
経済活動を行う
農民組合について
一つの政治
団体との
関係を
規定する場合には、飛躍があ
つてはならない。今申しましたように、特定の
政党が掲げたその農業政策を見て、それが
農村のためにいいか悪いかという
考え方が判断の出発であり、そしてそれは民主的な
組合の
機関において支持がきめられることになるのが、私は現段階ではなかろうかと思う。しかしこれは地方の
実情によ
つていろいろ違いますから、必ずしもそれによ
つて強制して行く
考え方もありませんし、また本
農民組合法案を通覧していただきますればわかりますように、この
法案がかりに成立して実施に
なつたといたしましても、いやならばこの
法律の適用を受けなければいい、今のままでや
つてもいいのでありまして、そういう点においてこの
法案は何ら
農民に
一つの強制を行わんとするものではなくして、
農民の意思によ
つて組織がつくられ、そうしてそのつくられたものが、この
組合法の適用によ
つて保護を受けようと思えば、これによる承認をとればいいのでありまして、その必要ないものについては、現在あるような
農民組織でそのまま
農民活動を
行つてよろしい、こういうことになろうかと思います。その点はそういう
意味において御了解を願いたい。
第三点の
農業委員会との
関係いかんということであります。これは一昨日の公聴会において中央農業
会議の中村事務局長が正しく
指摘されました。
農業委員会そのものは自主的な
農民の組織であるのか、あるいは国の行政機構の末端であるのかという点になりますと、両者の性格を持
つておるような複雑な現在の機構であります。すなわち市町村
農業委員会が現在
行つておる
農地行政については、
農地法に基きまして国の
農地行政を担当しておる、それに国は必要な経費を支出いたしておることは、足立委員も先刻
御存じの
通りであろうと思います。これをつかまえて
農民の民主的な組織であるということは、その面に関する限りにおいては、民主的な
形態をと
つておることは事実でありましても、これが
農民の自主的、民主的な組織だ、
従つてこれが
農民の
利益代表
機関であるという断定を下すことは、これはいかようの
立場に立つ者といえ
ども困難ではないか、私はかように思うのであります。しかも今度のこの複雑な内容を有する
農業委員会法の一部改正案は、これを
農民の
利益代表
機関と
規定し、そして中央官庁に対する建議あるいはその諮問に応ずる、こういう
一つの
農民利益代表
機関的なものを与えんとするところに、今度の
農業委員会法の改正の非常に根本的な矛盾と申しますか、問題点があるのではないか。しかもこれには国が相当額の補助を与えておる。国の補助を受けたものが、時の権力者に対して正当な
意見を述べ得るかどうか、すなわち国の
経済的、財政的
保護を受けておる
団体が、真の
農民の声の時の権力者に向
つて、あるいは
社会に向
つて発表し得るような気魂が現在の
農業委員会に求めることが可能であるかどうか、また改正されたこの
法案が通過したあかつきにおいて、そういうふうになり得るかどうかということについては、私
どもは残念ながらノーと言わざるを得ない。先日の中村事務局長の陳述の点を私ま
つたく同感に思うのであります。
〔芳賀
委員長代理退席、
委員長着席〕
そこで私はこの際、私
どもの
農業委員会の改組についての
基本的な
考え方を申し上げておきますならば、まず
農業委員会の持
つている農業技術、
農地問題の処理、米の供出の事務、この三つの
農業委員会の持
つている任務を、これは仮称でありますが、
農地委員会等の、
農地を専門に取扱う、いわゆる行政庁的な機能を十分に発揮し得るように、この際
政府は
農地法を改正して、元の
農地委員会の姿を
基本法である
農地法に織り込んで、そうして
農業委員会の職員のこれによる吸収によ
つて、一元的に
農地法に基いて
農地問題が処理されるような、進んだ構想を
政府はむしろやるべきではなか
つたか。これを怠
つて、議員
立法に依存をして当面を糊塗するがごとき態度は、おそらく
政府の怠慢であ
つたと私は思う。もつとこの点については、
日本の
農地問題の現状を直視し、いかに各地における
紛争がたくさんあるかということを、
政府みずからも知
つておきながら、これに対して抜本的な対策を怠
つたというところに、私
どもはこの
農業委員会法に対する
基本的な問題点として
考えざるを得ないのであります。そのことによ
つて、末端における
農業委員会の
農地担当の書記の身分の保障等もできますし、進んで従来の長い経験を生かして使
つて行くことができるのではないか。こういう点をまず第一点として
考え、第二点の農業技術の問題については、今度の
農業委員会法改正案が非常に問題をはらんでいる。それは経営指導員として当初
政府が
考えたものを、
提案者によ
つては職員というあいまいな言葉を使
つて、そうしてこの二つのものを残そうとしておられる。これは農業技術のあり方に対して、すつきりとした
考え方を当面糊塗して、これをお茶をにごそうという意図があるのではないかとすらわれわれは
考えざるを得ない。むしろ先日の公聴会において、京大の大槻博士がこの席から述べられたように、私はブロツク程度までは改良普及員、高度の専門技術普及員が国の財政支出によ
つて設置せられ、この専門技術員の技術を受入れる体系として、いわゆる村の農業技術員の制度が確立をされ、その確立された農業技術員の身分は、私は生産から販売までという
立場から、農業
協同組合にこれは一元化すべきものである。これはあくまでもその村の世話やきであり、ただ単なる高度の農業技術員ではなくして、夫婦げんかの仲裁までやる、ほんとうの村人の選んだ村人の技術員、そういう
意味で、世話やき
活動を含めた広い
意味における
農村の専門的な世話やきと、これに技術、経営を持たせたならば、さらに鬼に金棒でありますが、そうい
つた者を村に配置し、高度の専門普及員、技術員の指導を、これを村の情勢に咀嚼して現地に実施して行く、そういう形を私は打出すべき性格のものじやないか。そのことによ
つて農業委員会を否定するのではなくして、
農業委員会の機能をさらに高度にあげながら、しかも現在
農業委員会がねら
つている
一つの
目的を十分に達成し、伸張して行くことができるのではないか。米の供出に関する事務の問題につきましては、もともと
農業委員会のないときには、食糧調整
委員会の機構において、十分これは食糧管理法の一環としてなされた実績もございます。
従つてこれは町村の行政の一環とし、食糧管理法との
関係においてこれを明らかにいたしますならば、いわゆる現在の
農業委員会が担当しております食糧供出、
農地事務、農業技術、こう三つがそれぞれところを得て解決ができるのであります。こういう
考え方自体が、農業
団体の再編成の私
どもの
基本的な
考え方であり、そこに
農民組合法案が成立することによ
つて、これと相ま
つて農民の
利益機関としては
農民組合が単一に当
つて行く、こういう形が真の農業
団体の再編成の
一つのあり方ではなかろうか。
考え方ではなかろうか。そういうふうに
考えておるのでありまして、われわれが形式的に
農業委員会をぶつつぶせとか、あるいは
農業委員会に対して非常におもしろからぬ
考え方を持
つておるというふうに宣伝する人がありますが、私
どもは真摯な
立場から
考えて、
農業委員会の機能を、当面を糊塗することではなくて、これを正当に伸ばして行くことを真剣に
考えましたがゆえに、ここにあえて
農民組合法を
提出いたしましてこの間を調整しようということにいたしたような次第でございます。