○島田参考人 本
法案の中に盛り込まれておる要点は幾つかあると思いますが、その中で特に二点、
一つは
保安林の区域を拡充するということ、それからもう
一つは、必要があればこの
保安林を買い取
つて国有
保安林にして行く、この二つの点につきまして私の
意見を述べてみたいと思うのであります。
私をお呼び出しになりましたのは、おそらく学識者という
意味でお呼び出しであると思いますので、これらの諸点に関しましても、世界の各国における
保安林行政の動向から見まして、
——時間がございませんからきわめて簡単に申し上げますが、こういう二つの点についてどう
考えるかということに限定して申し上げてみたいと思います。
結論を申しますと、大体におきまして穏当なやり方であると思うのであります。各国の
保安林に関しましての立法の形を簡単に分類してみますと、三つになるかと思うのであります。
一つは
保安林に関しての特別立法をするやり方であります。
一つは
日本と同じような、一般森林法の中に
保安林を
規定するというやり方であります。もう
一つは
保安林に関して全然立法のないという形であります。
第一点の特別立法の形は、その典型的な例を申しますと、これは戦前のドイツ、プロシヤのやり方でありますが、プロシヤにおきましては、一般の森林施業に関しましては自由主義をと
つておるのでありますが、特に
保安林に関しましては、これが公共安寧に及ぼす影響等を
考えまして、
保安林に関してだけ特別立法をしておる、こういう形であります。でありますから、つまり特別立法をするというのは、森林に関しての政策が、自由放任主義もしくはそれに近いという場合に
考えられる行き方であります。
第二の一般森林法の中に盛り込むという行き方は、ヨーロツパの中央の多くの国がと
つておるやり方であります。
第三番目の
保安林に関しての立法が全然ないという行き方は、
保安林に対してその国が全然
考えていないということではありませんで、この例の典型的なものはアメリカでございまするが、
保安林的な
性格があるものは国が持
つて、そして国で
保安林を維持して行けばいいじやないか、こういうふうな
考え方、つまり民有林において
保安林というものはないから、
従つて民有林を縛るところの森林法の中でこれを
規定する必要がない、こういうふうな行き方であります。この点につきましては、
あとの買取りのことにも関連いたしますので、後に申し上げます。
そこで
保安林の制度の行われておりまする国におきして、この
保安林の編入をどういうふうにしてや
つておるかと申しますると、大体二つの流れがございます。
一つは、国が
一つ一つの森林について検討いたしまして、これを
保安林に編入すべきやいなやということを決定して行くやり方であります。これを私は自発的職権主義と申しておりますが、自発的職権主義による編入であります。こういうような制度をと
つておりまする国は、ヨーロツパにおきましてはスイツツルやイタリアや、それからドイツでは南ドイツの大部分がこういうやり方をと
つておるのであります。
もう
一つのやり方は、その森林が
保安林になることによ
つて直接利益を受ける
人たち、むろんこれは単に一人や二人の人のために
保安林を設けるということではございませんから、ある地域の最大多数の者のためでありまするが、そういう地域の利害
関係者が申請した場合に、これを国が審査いたしまして入れるというやり方であります。これを私は利害
関係者申請主義というふうに申しておりますが、こういう主義をと
つておる国もあるのであります。
そこで
日本の現在の
保安林行政は、今申しました二つの主義の中のどれであるかと申しますると、森林法を見ますると、皆様御
承知のようにこの二つの主義をあわせ
規定しておるのであります。国が自発的に
保安林に入れることもできるし、利害
関係者の申請があ
つたものをま
つて、これを編入し、あるいは解除するというふうな行き方もできる、こういうふうに
なつておるのであります。ところで
日本の
保安林行政というものは、明治三十年の旧森林法に初めて
規定されたものでありまするが、その後の
保安林の編入の実際の行政を見て参りますると、
日本の国全体といたしましては、森林の約一割が
保安林に
なつております。むろんこの
保安林の地域的な分布の状況というものは、各地域の地勢、風土等によることでございまするから、全国一律に一割であるわけではございません。ところで今申しましたような気候、風土に応じまして、この
保安林の分布が均等であるかと申しますると、私の見るところでは、必ずしも均等ではないように思います。と申しますのは、ただいま申しましたように、
日本の
保安林が自発的職権編入主義と、
関係者申請主義と両方をうた
つておりまして、あまりはつきりしておりません
関係上、府県によりましては、明治三十年以来この
保安林を職権主義によりまして、かなり大きな網をかぶせた
地方もございまするし、また
関係者申請主義によりまして割合に消極的であ
つたというようなところもある。そういう
関係で現在の
保安林の
日本全国における分布状況は、必ずしも寛厳よろしきを得ていない、かように私は思
つておるのであります。
そこで今回の
保安林整備臨時
措置法の中の第二条であ
つたかと思いまするが、この第二条の中の
保安林整備計画というものを見ますると、私はこの二つの主義の中の職権主義による編入ということに重点を置いて行きたいというような、
一つの政策上の中心の移行を認めるのであります。そういう点に関しましては、先ほ
ども申しました自発的職権主義によ
つて保安林をきめておりまするところのスイツツルやイタリアの例等を見ましても、特にスイツツルの例のごときは、あたかもわれわれが土地を持
つておりまするときに、すべての土地が土地台帳に記入されておるのと同じように、
一つの
保安林の林籍というものが
最初に同じものさしをも
つてはかられて、そして入れられておるという点で、非常に
保安林政策上の一貫した趣旨が流れておるように思うのであります。それに一歩近づかしめるものであると
考えまして、この第二条におけるところの
保安林整備計画というものに私は期待をおく次第であります。
なお
保安林政策に関連いたしまして一番大きく問題とされておりまする点は、各国における
保安林国有論というような
考え方であります。
保安林のような、公共の安寧のために、いわば森林所有者がその犠牲をこうむらなければならないものは、相なるべくは国民全体の幸福を
考えることを本来の
目的とするところの国がこれを持ち、国が国民のためにこの施策をすべきであるというような
考え方でありますが、これをしさいに検討いたしますると、この
保安林国有論の中でも積極、消極など三つの分類ができるかと思うのであります。
一つは、
保安林というものは全面的に国有にすべきであるというような
考え方で、これは先ほど申しましたアメリカの
考え方のごときものであります。
第二番の
考え方は、第一番の
考え方は望ましいことであるけれ
ども、所有者が
保安林であることを認容し
——と申しますか、
保安林であることを
承知でなお自分が持
つていたいというようなものについては、これを強制的に買わないでもいいじやないか。それで
保安林に入れられるならば、自分はむしろその森林を手放したいというようなもののみを国が買い上げて、そして
保安林国有にだんだん一歩近づけるという行き方にすべきである。これもやはり
保安林国有論の
一つの
考え方だと思うのであります。
もう
一つは、これは
保安林国有論と言
つていいかどうかわかりませんが、きわめて消極的なものであります。一体現在
保安林に国有のものもあり民有のものもある。国有の
保安林というものを国が維持すべきか、あるいは国がもし森林を
民間に開放するような場合に、この国有の
保安林のごときものでも場合によ
つては
民間に移してもいいかどうかというような議論が行われるならば、そういうことには反対である。少くとも現在国有の
保安林というものは、国家が永遠にこれを存続維持すべきである、というふうなきわめて消極的な
考え方であります。
以上のうちで、一番と二番が、
保安林国有論として注目すべき
意見ではなかろうかと思うのであります。そのうちの第一の形のアメリカの
考え方でありますが、これに関しましてはこまかいことは申し上げませんが、御
承知のようにアメリカは、きわめて国の歴史が浅い国でありますので、従いまして林業政策というものもきわめて歴史が浅いのであります。初めのうちは、森林というものに対する林業政策というものはほとんどなか
つた。ところがだんだん開拓が進んで参りますと、水源涵養その他の
関係で、森林を開放したためにいろいろな悪い影響が出て来た。そこで急に
保安林政策というものに目ざめまして、一旦開拓地として払い下げてしまいました土地で、保安的な性質のあるものは、これをいかにして
保安林的にするかということを
考えたときに、
保安林立法によらないで、そういうものは国がどんどん買い上げて、そして国有
保安林としてや
つて行けばいいじやないかという
考え方であります。従いましてアメリカにおきまして、現在
保安林的な意義を持つものは、まだ
民間に開放されないであるところの国有林の中で、保安的な性質があるものを一応検討いたしまして、これはいかなる理由があ
つても、将来
民間に売り払わないという
一つの検討をいたします。それからさらに、もうすでに
民間のものに
なつてしま
つたけれ
ども、これは
保安林にすべきだというものを買い上げて行くという行き方であります。この
保安林の買上げに関する立法は、一九一一年のウイークス・ローという
法律によりまして
最初始められまして、その後一九二四年、一九二八年、その後もいろいろ関連の
法律はございますが、いろいろなそういうような
法律の中で、
保安林的森林の買上げということを
規定いたしました。御
承知でもございましようが、アメリカの
法律は
一つ一つの
法律の中へ、その
法律に必要とするところの予算を明記しておるわけでありますが、
一つ一つの年度別の予算を明記いたしまして、これを立法いたしておるのであります。大体買取りの状況を申しますと、これは合意の上の買取りでございまして、強制買取りは
規定いたしておりません。
民間のものと相対ずくで、合意のものを買い取るという形で、これを
規定いたしておるのであります。
今回の
保安林整備臨時
措置法を見ましても、この買取りに関しましては、私これを分類いたしますならば、ただいまの分類の中の第二の形、所有者がこれを承諾するならば、国が買い上げるという行き方を原則としておるようにこれを理解したのであります。もちろん強制買取りの
規定もございますが、この強制買取りの
規定に関しましては、条文を見ますとわかりますように、これは森林法による森林計画の指定事項に違反したものに関してのみ、いわば罰則的な強制買上げでありますので、これはこの
法律の中の原則的な
規定ではないように思うのであります。この点に関しましては、いろいろ問題があるかと思いますが、時間が参りましたので簡単に申します。これは理論的に申しますと、違反に対する
一つの罰則でありますから、その罰則の
考え方といたしましては、幾つかの段階があるかと思うのであります。
一つは、その命令にどうしても違反する者に関しまして、これを強制執行する、あるいは強制第三者代行をするという
考え方が、まず第一段階であろうかと思います。それから第二段階といたしましては、これを強力な国家管理のもとに置くということが、第二の段階だと思うのであります。それから第三の段階として、これを強制買取りして国のものにしてしまうという段階があるかと思うのであります。そこで、そういうふうな段階を
考えましたときに、この違反に対して強制代行、強制執行のようなことに関する余地が、森林法運用上そういうようなことに期待ができないかどうかということが、まず第一に検討されると思います。それからその次に、所有は移さないでも国家管理のもとに置いて、そうしてこれを実行して行くというふうな
考え方、これが第二の段階。それから第三の段階が、国が買い取るという段階になるかと思うのであります。これらのことに関連して、ひとつスペインの森林法の例を御参考に申し上げてみたいと思うのですが、このスペインの森林法におきましては、こういう
保安林が、森林所有者が造林しないで放置してあ
つて、保安的な任務を果していないというものに関しましては、これを国が買い上げますが、これは永久買上げの形ではありませんで、一時的な形で買上げをいたしまして、そうしてこれを国が造林いたしまして、保安的機能を果させる。将来その森林所有者が、その森林を自分に返してほしいというような希望があります際には、その森林
経営に関しまして信用が置けるならば、これを元の森林所有者に売りもどしてやるというような
規定をいたしておるのでありますが、これもつまり強制買上げに至る前の
一つの段階の
考え方の示唆になるのではなかろうか、かように思
つております。
大体冒頭に申し上げましたように、この
法案の中の二点に関しまして、私の
意見を申し上げました。