○安岡
参考人 私が安岡でございます。私も最近旅行を続けておりまして、帰
つて参りましたばかりでございます。
従つて今度のこの反
民主主義対策協議会とか
中央調査社設置に関しましては、ただいま矢部先生の
お話の、ことく私も予備知識を一向に持ちませんでしたが、お招きを受けまして、大体かくあろうという推定のもとに、かつ今日はこれに
関係の
内閣委員の方々のお集りと存じまして、忌憚なく
意見を申し上げることをお許し願
つて私の私見を申し述べるつもりで
参つたのであります。その点御了承をお願いいたします。
まず結論から申し上げますと、現在の状況のもとにおいては、この種の
機関を新設することは不得策であると信じます。私はそれよりもむしろ既設
機関を正当に充実し、強化することを可とすると
考えるのであります。その理由は、この種の問題は、理論的にも実行的にもきわめて困難でありまして、かつ失敗しやすい。元来これは常々私がことごとに感じておるのでありますが、私の最も敬愛する一人の大政治家、蒙古の大宰相に有名な耶律楚材という人があります。これはおそらく歴史を通じて古今の世界的な人物だろうと思いますが、この人の名言、これは相当人口に檜灸いたしております。それは「利を興すは一害を除くにしかず」という言葉であります。そういうことの
説明はしばらくお預かりにいたしまして、今度の問題もやはりこの名言に当てはまる一例と
考えるのであります。
その理由を
説明いたしまするが、第一に私も、これは
先ほど申し上げましたように推定でございますが、このことは要するに国家の政治的秩序を根本的に破壊しようとする
意図のもとに行われる主義行動を取締ることを
目的とするものである、かように存じます。ただ
調査研究するだけならば
政府としては無意義であります。やはり強い政治的
意味を含んだ実行問題、取締り問題であると推定いたします。
しからば第二に、その取締りは徹底を要するのであります。耶律楚材をあげましたが、ついでに東洋政治学の重要な古典であります書経の中におもしろい言葉があります。それは「薬若し瞑眩せずんば厭の病癒えず」というのであります。すなわち薬が病人に目まいを起させるほど徹底しないというと病気というものはいえるものではないというのです。最近できる、病気によくきく新薬な
ども同じことでありまして、よほどからだにこたえるくらいに徹底して服用しなければ、いいかげんな服用ではかえ
つてあとで病菌の反撃力を強くして始末に困るものであることはいろいろ実験されておることでありまして、この政治上のこういう取締り
機関な
ども、やはりやるからには徹底しなければかえ
つてこれは有害であります。失敗になりやすい。その
意味において私はソ連や中共の政治がよい
参考になると思います。ソ連や中共などの共産党国は、御
承知のように実に絶対的な権力を持
つて徹底的に弾圧政治を行うております。あの粛清と称する殺籔、投獄、強制労役、何ものをも辞せずして徹底的に行
つておる。あれくらいにやられますと、人民はそれこそ書経流に言いますと、瞑眩とい
つて目まいを起しまして、ほんとうにいわゆるきくのであります。その
政策がききまするし、かつ人間の、特に近代文明人心理に特有な、いわばサド・マゾヒズム的な病的な心理にも満足を与えまして、あれは非常に有効であります。この書経のついでに、日本人には有名な禅書を
一つ引用しますが、碧巌録、これはだれ知らない者もない禅書でありますが、この碧巌録の第五則に、名高い雪峰という和尚の公案が出ております。その中に「大凡宗教を扶竪するには、須く是れ英霊底漢にして人を殺して眼駈がざる底の手脚有
つて、方に立地に成仏すべし」という名言がある。つまり大よそ一宗一派を立てるような
一つのドクトリン、
一つのイデオロギー、
一つの信仰、何でもよろしい、そういうものを新たに打立てるほどの人間は、よほど度胸がすわ
つてお
つて、人を殺しても目玉をばちつかさぬくらいの腕前があ
つて初めて成仏できるというのです。これは非常におもしろい真理、実理でありまして、ソ連や中共共産党国のやり方を見ておりますと、これはまさに真理を運用しておる観がある。彼らの戦略、政略を見ておりますと、たとえば孫子、老子とか六韜、三略とかいつたような東洋兵学をそのままにや
つておる観があるのであります。これは偶然の暗合かもしれませんが、孫子などの完全なロシヤ語訳のあるところを見ますと、案外ごれは偶然の暗合でないかもしれません。そこへ行きますと、自由諸国というものは、信念の上から言
つても
政策を実行する点から言いましても、はなはだ不徹底であ
つて、そのために、最近の新薬と同じことで反作用が強くて、さつぱり薬がきかぬばかりでなしに、有害であるというようなことが
考えられる。その哀れな例は
アメリカのマツカシーなどでありまして、マツカシーほどの勇気もない日本の政治家が、マツカシーよりももつと悲惨な失敗をしてまことに見るに見かねる。不遠慮な話でありますけれ
ども、はらはらするのであります。
そこで第三に、その
政策の徹底を期するためには、まず
政府に確固たる政治的信念と強靱な政治力を要すると信じます。そうでなければその反撃に破れてかえ
つて混乱を招くわけであります。そこで反
民主主義活動対策協議と申しますが、一体
政府はそれではどういう政治的思想、信念を持
つておるのか、これがまず問題と思います。明らかに
政府は、いわゆる
民主主義を奉じておることは間違いありますまい。ところが
民主主義というものをはたして明確に把握しておるかどうか。言うまでもなく、これは欧米その他の政治学者の一致して論断しておることでありますが、すべて
民主主義というものは単なる一片のイデオロギーや法理論ではありません。これは民族の長い生活と歴史の間から生れて来た政治的良識とその習慣との体系化したものであります。
そこでたとえば自由諸国で申しますると、
民主主義には大別いたしますとイギリス流の
民主主義があり、
アメリカ流の
民主主義があるわけであります。イギリスのごときは、御
承知のようにローマのシーザーが二度もイングランドを征服いたしまして以来、繰返し繰返しあるいはアングロサクソンあるいはノルマンがあるときは北から、あるときは対岸のフランスからというふうに盛んに侵略征服いたしまして、イギリスにあの王室及びその
政府をつくつた。今日キャビネットという言葉をまだ使
つておりますが、あれは文字
通り内閣、すなわち被征服者である人民を向うにまわして、奥まつたその征服者の宮殿の一室で政治を検討いたしました。文字
通り奥まつた部屋、
内閣であ
つたのであります。それをそのまま使
つておるわけです。そこで王室
政府はいかにしてその被征服者である人民を統治しようか、これに対して民衆の方はこれにいかにして抵抗しようかという、長い君主及び
政府と人民の対立闘争のうちにだんだん彼らの良識が働いて、こういうことをいくらや
つてお
つてもしかたがない、何かもつと賢明な幸福な
方法がないかということに思いをいたして、次第々々に
暴力では結局もたらすことのできない賢明にして幸福な結果を討議、デイスカツシヨンという
方法でひ
とつ実現しよう、そこでお互いに忌憚なく
意見を闘わせて、そうしてきわめて良識的な結論を導き出して、一旦決定したことには虚心坦懐に従来の行きがかりを捨てて服従して行こうというのがイギリスの議会政治で、彼らのいわゆるデモクラシーというものに
なつたわけであります。だからある党が反対派の言うことを寛容に、寛大に聞かなく
なつたら、あるいはその結論に対して謙虚に聴従、服従しなく
なつたら、もうイギリス派のデモクラシーは自殺であります。
アメリカのデモクラシーはよほどこれと趣がかわ
つておりまして、これまた申し上げるまでもなく旧大陸の
政府、結局政治にあきたりなかつた連中が新大陸に押し渡
つて、はげしい気候やら、猛獣毒蛇やら、原住民やらと戦
つていわゆるフロンティアという辺境に向
つて勇敢にいどんで行
つて、いわゆるパイオニア、開拓者たちが自力、自治をも
つて開拓した社会がだんだん発達したものであります。その発達すなわち一村落から州となり、合衆国というふうに発展するにつれて、その上級社会に自分たちの信頼する代表者を送
つて、その代表者の賢明なる討論の結果にやはり謙虚に聴従して行こう、これが
アメリカのデモクラシーで、国民がそういう自力、自治という能力を失い、自分の信頼する代表者を推さなくなり、またそれらの討議、決議を重んじない、服しないということに
なつたら、これは
アメリカのデモクラシーの自殺であります。日本は
従つてデモクラシーの原理から言えば日本デモクラシー、日本的
民主主義を生み出さなければならぬのでありますが、それはイギリス型に属するか
アメリカ型に属するかと言えば、日本の歴史を振り返
つてみれば
説明をするまでもなく、いずれにも属しません。おのずから別個のもので、両方の長所をとることはまことにけつこうでありまするが、そのままに軽々にまねをすることは許されない歴史であり、伝統であり、民族的個性を特別に持
つております。その
意味から言
つて、一体
政府は、
政府のいわゆる信奉する
民主主義というものがどういうものであるかということをもつと明確に国民に教育する必要があると思います。今私
どもが広く国民各階の人々に接して一様に困
つておることは、
民主主義というものがどういうものであるかということがさつ。はりわからないということで、これがわからなければ憲法の改正も何もとても期待できたものではないのであります。
そこで
民主主義しかりとすれば、反
民主主義とは何であるかと言えば、言うまでもなくこれはいわゆる
共産主義ないしはソビエト群、マルクス・レニニズムあるいはレニニズム・スターリニズムというもの及びすなわち共産党
活動、及びフアッシヨとかナチスとかいう俗にいわゆるフアツシヨの名で呼ばれる極端な右翼主義
活動、これであろうと思います。ところがソ連はソ連でやはりデモクラシー、
民主主義と言
つております。ヒトラーやムソリーニでさえ彼らのナチスやフアツシヨをやはり
民主主義と称しております。すべていわゆるエキストリーミズムというもの、
従つてそれがほんとうの
民主主義でないということをこれまた明確に国民に教えなければなりませんが、それがはたしてどれほど今日よく行われておるか、これは非常な疑問であり、また遺憾な点であります。率直に申しますると、いずれのデモクラシー、
民主主義にせよ、私はいずれにも共通して非常に簡潔に、よくその本質を把握しておると思う名言は、イタリアのマツチー二の申しました「プログレス・オブ・オール・スルー・オール・アン、ター・ザ・リーディング・オブ・ザ・ベスト・アンド・ワイ、セスト」国民のすべてを通ずる最も善良にして賢明なる人々の指導のもとにおける国民全般の進歩である、これであろうと思います。これは日本デモクラシーにも通ずることであります。
そ、こでいかなる場合にも必要なことは、国民のすべてを通じてえこひいきなく、へんぱなく国民の最もすぐれた人々を指導者に出すということでありますが、今日日本に流行しておるソー・コールドのデモクラシーの風潮というものは、そういう国民のすぐれた指導者を出すということよりも、漫然と大衆に迎合するという風が強いのではないか、そういうことにおいて非常な自粛反省をすると同時に啓蒙を要する、そういうことを
考えて来ますと、こういう
機関を新設するのに非常に大事な根本的条件を欠いておると思うのであります。そしてかりにこの種の
機関を新設するといたしますと、さしあた
つての必要条件として、この種の
機関には思想や識見のすぐれた有能なスタッフをそろえなければならない、それから
関係諸
機関との調和
連絡がよくとれなければならない、それから
目的とするところの取締りを要する破壊
活動の工作分子に運用されないという確信がなければならないが、これがまた容易でないことで、そこでそういう条件を完備するためにはどうしても最初に申しましたようにすぐれた政治力がいります。それは言いかえますと、第一に国民に魅力のある優勢な保守党というものがなくちやならぬ、第二に賢明にして有能な
政府が確立しておらなければならない、これが動揺してお
つてはいけない、こういうことを
考えますと、むしろ私はたとえば
内閣調査室であるとか、公安
調査庁というような既設
機関を中途はんぱにしておかないで、これをもつと正しい
意味において有力有能なものに充実強化する、そして今言つたような日本的
民主主義を国民の中につくり上げるのに必要な国民の啓蒙を、マス・コンミニユケーシヨンのあらゆる筋を通してこれを活用指導する、あるいはまた国民各界の実質的指導者、代表者の大会を頻繁に開いてこれらの人々と懇談し、これらの人人に籍し、奨励してそれぞれの
機関、
団体を通じて国民の政治教育を普及徹底さ七るということに努力を傾けた方が賢明ではないかと思う。これ、いわゆる軽々しく利を興すことを
考えるものではなくして、害を除く賢明なる方策である、かように信ずるのであります。
簡単にこれだけ私の所見を申し述べておきます。(拍手)