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篠田説明員 去る二十六日の夜半から二十七日の早朝にかけまして稀有の
暴風によりまして
青函連絡船に非常な大椿事が起りましてまことに残念に思う次第でございます。
被害の
概況を御
説明申し上げますると、
青函連絡船は常時十四隻の船を持
つております。
客船四隻の貸
物船十隻という隻数で
青函間の
輸送を確保してお
つたのでございますが、当日
旅客船の
洞爺丸が夜半に
沈没し、そのほか第十一
青函丸、
北見丸、
日高丸、
十勝丸の四隻の
貨物船を失
つたわけでございます。その
沈没の様子は、大体お
手元に上げてあります
資料に書いてあるような要素がいろいろ錯綜いたしまして
沈没したのでございますが、大体船尾から大波が浸入し、
貨車甲板が浸水して除々に水が
機関室に入
つて運転不能に
なつたというような
状況、あるいは
貨車緊締具が切れて
貨車が転覆するという
状況で
船体が横転したというような現象を呈しているように見受けられます。これも今後さらに詳細に
調査いたしませんと、各船とも必ずしも
同一の
原因によ
つて沈んだ―共通した点はあるとは思うのでございますが、必ずしも
同一という条件までには至らないと思
つております。またこの沈んだ船のほかに
大雪丸、それから第六
青函丸というのが
ちよつと軽い傷を受けたのでございます。それで非常に多数の人々の
遭難を惹起いたしまして非常に残念であり、また非常にお気の毒に思う次第でございます。
洞爺丸の現在までにわかりました
状況は、死亡の確認された方方が二百二十六人、生存の判明いたしました方が百二十三人、いまだ行方のわかりません方が七百九十三名、合計千百四十二名、このほかに
外国人の方が六十二名とな
つております。なおこのほかに
乗組員も
相当の
被害をこうむ
つておるわけでございます。それで、
被害船舶のうち第六
青函丸は大体
修理が終りまして動くようにな
つておりますし、
大雪丸も近々動けるような
状態になるものと思われます。なお、この
事故を起しましたときに
摩周丸という
客船は
浦賀ドック、第七
青函は
函館ドックに入渠してお
つたのでございますが、第七
青函はすでに
稼働状態に入りましたし、
摩周丸も近々のうちに
稼働状態に入れる、これも
修理を促進いたしまして短縮して、近々のうちに
稼働状態に入れるという
見通しが立
つたのであります。それで後ほど、その
残つた船でわれわれとしてこの
青函の
輸送ルートをどういうふうに開いて行くかということをお話し申し上げたいのでございまするが、その前に一応今回の
事故におきまして一番大切なことは、何事を置いてもなくなられた
方々並びに行方不明になられた
方々を早く
処置しなければならないという問題に当面しておりますので、
事件が起りますと同時に、
国鉄におきましては
本庁の
総裁室に
対策本部をただちに設置いたしました。なお
事故の
関係の
方々の御
相談を受けるために
相談所を
本庁、上野、仙台、
青森、
函館、
札幌等の各駅に開設したのでございます。なお
事件発生と同時に、
営業局長を空路
現地に派遣いたしたのでございます。その後引続いて天坊副
総裁、
片岡理事、
兼松外務部長を
現地に派遣いたしたのであります。
関係家族への
措置といたしましては、
遭難者へのお
見舞並びに御
遺体の引取りの旅行については
無賃扱いとして御便宜を供与することといたし、さらに
現地における
宿泊等の御便利も与えておるというような
状況でございます。なお
見舞金は
遭難者の
留守宅に
見舞者を派遣いたしまして、五千円をとりあえず贈与いたしました。なお
現地の
青函管理局長名義の
香奠及び
見舞を一万円と、
総裁名義のお供物を捧げておる次第でございます。なお各御家庭に御帰還の後は、
総裁名義の
香奠五万円を霊前に供えることにいたしておる次第であります。なお
現地におきまして
犠牲者の
収容加療等の
措置に万全を期しておる次第であります。なお
青函地区で足りませんので
北海道の
札幌地区その他の
地区からそれぞれ
人員を派遣いたしまして、万全を期しております。なお行方不明の御
遺体の
捜査につきましては、この
事故の起りました直後、残りました
連絡船の
船腹を利用いたしまして、
遭難の一番
現地に近い
函館の
湾内に二十七日に全面的に
救命艇をおろしまして、全海域を捜索いたしましたし、さらにその後引続き
海上保安庁並びに自衛隊の御協力を得まして、
国鉄の持
つております
港内に使います
補助汽艇も利用いたしまして、
函館湾内の潮流の
関係で流れておりはしないかと推定される地点に、さらに前進して、現在
捜査を続行しておる次第でございます。なお
船体の中にそのまま残
つておられると推定されるものもございますので、これもただちに実施したのでございますが、二十七日はまだ
天候が回復いたしませんでダイヴアーを入れましたが、波のために暗くて見えないで、昨日は二十体くらいの御
遺体を収容できたようでございます。さらに関東、
関西方面の
潜水夫を集めておりますので、今後の
見通しとしましては、ここ数日のうちに三十五名の
潜水夫を入れることが可能になると思
つております。
次に
輸送上の
措置でございます。
事故発生と同時に
青函航路の
旅客並びに荷物の
取扱いを停止いたしたのでございますが、二十七日にとりあえず御
遺族の
方々等をお運びしなければなりませんので、大
至急残つております羊蹄丸で
輸送を実施いたしたのでありますが、昨二十八日に大体下りのお客さんが二千七百五十二人、上りが二千三百三十四人、大体現在
青函航路で日常
輸送しております
人員の
程度を
輸送することができたのでございます。それで本日からは
旅客の面については御迷惑をおかけしないで済むという
状態まで回復いたしたのでございます。なお
貨物につきましては御
承知のように
相当の
船腹を失
つておりますので、この回復は非常に困難なのでございます。現在残
つております
船腹で、最高の
能力を発揮いたしまして、秋の繁忙時に備えたいと思
つております。大体今年の
計画といたしましては、
青函は十八運航を実施いたしまして、
貨車にして六百四十両を片道送りたいという
計画であ
つたのでございますが、今回の
事故によりまして、全
能力を出しまして
計画の八〇%
程度に回復するのがやつとではないかと思います。この
事故発生と同時に下関にあります
徳寿丸をただちに回航いたす手はずにいたしまして、これは一日に
青森に到着いたし、
旅客輸送の便に寄与することができるものと思
つておりますが、なお
宗谷丸をもちまして
貨物の
輸送を補うべく考えておるわけでございます。さらに今後の
見通しといたしまして、どういう
輸送の要請の出るかに従いましては用船ということも考慮しなければならないと考えておる次第であります。
以上簡単でありますが、御
説明を終ります。