○帆足
委員 日本社会党を代表いたしまして、今次の電力料金改訂に対して絶対反対の意を表明するものであります。この内容につきましてはすでに同僚永井
委員、加藤
委員、
齋木委員から完膚なきまで分析し、批判し、粉砕し尽した
ところでございますから、簡略に国民各層各界にわが党の要望並びに今後の対策、意見を申し述べます
意味におきまして、反対の内容につきましてしばらく申し述べたいと思います。
第一にこの改定案は、その提案までの手続、発表方式等がきわめて民主的でないのみか、表面上十億円も電力料金を引下げるというような印象を与えて、実際はその後に来るべきものを予想しており、今次の電力料金の、内容的には引
上げにな
つておりますこの案は氷山の一角として、やがては石炭条項その他の条項の援用並びに改訂並びに夏冬料金の一本化等の
措置によりまして、大幅の電力値
上げを前提として出されておりますことは何人の目にも明らかでありまして、かくのごとき明朗性を欠いた、いわば欺瞞的な方法をも
つて資料の提出が行われておるということを私はきわめて遺憾に存ずるものでございます。すでにその証拠には、各重要産業の代表並びに主婦、消費産業、
中小企業の代表の意見を先般当
委員会において聴取いたしました
ところが、各代表から出ます意見は、各産業の別なく、保守急進の別なく、一様に今次の
政府の案の出し方は不明朗である、その内容が理解しがたい、かりに常識をも
つて判断するならば、われらの産業はそれぞれかくのごとく大幅の電気料金の値
上げとな
つて、今日すでに不況の中にあえいでおる
ところの日本の基幹産業のみならず、輸出産業、
中小企業、国民生活等全面的危機を招来するものであるという痛切な叫びが速記録に載せられたのでございます。これらのことを
考えましただけでも、
政府当局は民意に徴して、この問題を全面的に再検討し、従いまして今次その氷山の一角が現われました
ところの改訂案をも含めて再検討することが私は至当であ
つたと思うのでございます。
第二は事ここに至る原因としては、占領軍の占領下において、現象的に日本は国土が小さく
なつたではないか、しかるに電力の
設備は戦前に比べて大きい、ゆえに火力電気の補修も水力電気の開発も別に急ぐ必要がないのみか、これを開発するごときはも
つてのほかであるという占領軍の日本基幹産業弱体化
方針に抵抗せず、これに追随しておりました結果が、私は電源開発の立ち遅れを来した第一のゆえんであると思う。これはアメリカ占領軍
当局も責めらるべきであると同時に、それと行をともにした
ところの保守
政府に重大な責任があると思うのでございます。同時にこの占領下の政策に便乗し、十八世紀的な自由主義の時代錯誤の原則に便乗して、すでに
一つに統一され、民主化の方向に進むべきであ
つたところの日本の電力事業を、そして日本の民族にと
つて最高にして唯一の重要資源の
経営形態を九分割してばらばらに小刻みにしてしまい、さらにその上にこの公共性を必要とする企業を原則としては利潤追求の私企業的形態に還元したということが、電力事業の公益的性格と私益的性格との矛盾の十字架に立たしめた今日の原因の
一つであると思うのでございます。しかるがゆえにこの時代錯誤と無定見に対しては、私は今日の自由党政権がよろしく責任を負うて、今日の十八世紀的自由主義の理念を信じておるこの政党、そして経済の計画化という言葉すらが総理のお気に召さぬような政党、この政党にと
つては、すでに今日の電源開発並びに水力電気の問題を審査する資格がもはやないと言われても返すべき言葉がないというのが、遺憾ながら今日の実情である。かくのごとき政策のそのなれのはてが今日の混乱を惹起した原因であることを思うときに、私は大いに
政府当局においては反省していただかねばならぬと思います。
第三には、この電力事業というものかすでに各界各層から
指摘されましたように、日本民族の共同の財産であ
つて、一産業の利益、一資本の利益に偏重すべきものでないのみか、ただ
一つの国際的に有利なる民族エネルギーの根源でありますから、それらのことを勘案いたしますと、日本における電力事業というものは、他の諸外国と比較にならぬくらい、国民的あるいは民族的あるいは公共的、社会的性格を名実ともに明確にして運営しなければならぬ性質のものであります。かくのごとき性格のものであるならば、政策のこれに対する支援も、
国家資本その他
国家諸政策の便宜も、迅速にしてかつ十分納得の上に行われ得るのでございますけれ
ども、利潤追求の私的
経営形態に分断されております今日、これらの諸条件を整備することとの間に、適応しない種々なる要素がありますことが、事態を一層困難ならしめておることをわれわれは認識しなければならぬと思うのでございます。
第四に、もとより公共的色彩があるとい
つても、今日の資本主義の組織下においてのみならず社会主義のもとにおいても、独立採算ということは重要な問題であ
つて、いたずらに損をして、赤字を出して
経営しろなどということは、今日の成熟したるわが左右社会党は、決してそういうことを言うものではありません。しかしてまた、今日の
状況のもとで電力
会社の
経営者に非常なる困難がありますことも
承知いたしておりますが、この矛盾を解決する方法は、十八世紀的な、ドン・キホーテ的な政策にもど
つてこの矛盾が解決し得るものでもなく……(「町の演説だ」と呼ぶ者あり)まして諸君が演説されるように、ただ自由経済々々々々、なすがまま、あるがままにすれば、やがては公益の結論を見出すというような大道的演説の原則は、すでに通用しなくな
つてしまいました。
従つてただ
経営が行き詰まれば電気料金を
上げればよいというような単純な原則では、遺憾ながら問題の解決ができない
ところに問題があるのでございます。
従つてこの際電力政策並びに電力事業
経営形態の根幹に触れた
ところの再検討をすることが必要であるということは、すでに保守陣営においても、改進党の山手さんからただいまきわめて詳細に
指摘された
通りであります。もはやこれは国民の圧倒的輿論とい
つてもさしつかえないと思います。これは単にイデオロギーの問題でなくして、日本の客観的現実がそれを要求しておると見なくてはならぬと思います。従いましてこの際、
電気事業者も明朗に
経営し、安んじて電源開発に邁進し、労使の
関係を筋道を立て、合理的協力をかち得、民族的なその任務を担当し得るような諸環境をつくることこそが政治の役割であると思うのでございます。従いまして結論といたしまして、私
どもは今日このとき、このような
状況に置かれております電力産業の矛盾を解きますために、電気料金値
上げの方法による方式には絶対反対であることを明確にいたします。しかしてこれが代案といたしましては、われわれは電力政策並びに電気企業の全面にわた
つて、これが日本民族エネルギーの根源であるという見地と、開発を必要としておるという事実と、さらにまたその公益的性格に即して検討を加えまして、各界具眼の士の協力を得まして、電力政策並びに電力機構の再検討を要望したいのでございます。わが党は各界各派のこれら合理的輿論と相呼応いたしまして、いずれ具体的代案を国民の前並びに
政府に提出いたしますが、おそらく来年の春までには自由党内閣は当然退場し、そして国民の手によ
つて新しい情勢ができることと思いますので、それとも相呼応いたしまして、また保守陣営の中でも具眼の士がありましたしならば、私は、当然この問題は取
上げらるべき性質の問題であろうと思いますが、国民の輿論と呼応して再検討いたしまして、すつきりした形態で電力政策が遂行され、需源開発が行われ得るような形態に持
つて参りたいと存ずるのでございます。
最後に、私
どもがこう申しますと、それではその形態はどういう形であるかと言われるでございましよう。十八世紀の初頭にアダム・スミスが富国論を書きましたときは、彼は、株式
会社などというものは人様の資本を預か
つて経営するものであるから、放漫
経営に陥り、結局今日の英国市民の道徳と教養の水準のもとでは、それは非能率
経営になるであろう。
経営というものは、よろしく個人の私欲、物欲と結合したものでなければ、真の能率を発揮できないであろうということを、先駆者アダム・スミスですら当時申しました。そして、現にアダム・スミスの生きていた時代には、株式
会社というがごとき武士道とそろばんをあわせて必要とするような近代
経営形態は、さすがの大英帝国の市民もこれを採用することができず、公益に名をかり、多くの人の資本を集めるという株式
会社は、その第一期においては、おおむね泡沫
会社とな
つて、そして個人
会社のみが栄えたという時代は確かにあ
つたのでございます。諸君は過去の中国の家族主義的、利己主義に眠
つていた時代の中国で、株式
会社ですらが
経営できなか
つたことをよく御
承知でございましよう。しかしアダム・スミスなき
あとに、やがて英国市民の教養が高くなり
——今日の自由党の教養の水準は、私はちようど英国のアダム・スミスの出た当時のものであると思います。それを読むと実によく理解できます、しかし今日の保守党
——私は必ずしも保守が悪いのでなくして、その上に
意味と反動という名前がついている保守だけが悪いのであ
つて、健全なる保守なら、ある程度の
経営はできると思います。英国もそれを遂に突破いたしました。アダム・スミスなき
あと十数年後には、遂に株式
会社の組織が、国の産業の根幹になるに至りました。そのときは英国市民の道徳性並びに英国市民の教養というものは非常に高く
なつた。それがコモンセンスある民族にな
つたのであります。今日のわが国の現状において、真に能率を
上げようとするならば、私益と私欲と結びつかなければ、真の能率
経営はできないと説く
ところのこの自由党内閣の意見は、まさにアダム・スミス以前のものであるといわなければならない。もはや単なる利潤の唱道、個人的利益の唱道のみにあらずして、理性と祖国に対する友愛と国民に対する奉仕の高い観念を持
つて、それに適応した
経営形態を探し求めるということが、すでにでき得る
状況が今や成熟しつつあるのであ
つて、そういうような観点のもとで、私たちは新しい形の公益形態はどういうものであるかということを、諸君とともに語り合い、われわれもそれを提示せねばならぬ
ところに参
つていると思います。今日私は演説をしようとしているのでなくして、日本の国民の目前にある課題がいかに重安な問題であるかということを、保守の諸君に説いて聞かせ、訴えようとしているのであります。諸君が罵声と潮笑の声をも
つてこれを迎えるとすれば、諸君の教養の水準かそれを示しておる以外の何ものでもないと思います。中国に参りまして私は驚きました。新しい形態の企業が生れてお
つて、そこには労使両利、公私兼顧、そういう形の企業形態が生れておりました。私たちはそれをすぐそのままの形で日本に持
つて来ようなどとは思いません。日本には日本に適した形があるのですけれ
ども、この民族全体の運命をにな
つておる企業の
経営形態が、過去の利潤追求本位の私的
経営であ
つてよいでしようか。国民が何千億の資本をそれに投下し、そして国民の命運がそれによ
つてきまるような産業の形態が、過去の私欲追求の企業形態ではたして日本の青年たち、壮年たちが満足するかどうか、それに満足するのはおそらくただ自由党の一部の諸君ではないかと私は思います。
従つて問題がこういう点にもあるということを申し述べまして、わが党はかかる観点から今次の改訂案に賛成し得ないのみか、絶対に反対の意思を表明する次第でございます。