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齋藤(昇)
政府委員 ただいまの点は、これは
警察大学の中における訓練というものには私はないと思
つておるのでございますが、いわゆる
警備情報と申しますか、率直に申しますと、共産党の地下秘密活動、ことにその軍事活動というものを、われわれ治安当局としてはどうしても知
つておく必要があるわけであります。ところがこの共産党の秘密地下活動というものはきわめて秘密が厳守され、そして秘密裡に軍事組織をつくり、あるいは軍事活動を行うというきわめて危険な存在でありますので、われわれといたしましてはこの情報をどうして把握をするか、この秘密の活動をどうして捜査をするか、これにつきましては相当の技術、訓練というものが必要であるわけであります。
従つてそういつた
方面の
仕事を担当しておりまする
国家地方警察及び
自治体警察の
職員の
人たちを講習の形でときどき技術の講習をいたしております。そこで写真をたとえばひそかに写す方法とおつしやいましたが、あるいは大衆の集団暴力行為がある、この場合に写真機をよくわかるようなところでや
つておると、かえ
つてたたき落されるおそれがある、あるいは潜行幹部と思える者が出入りをしておる、どうもそうらしいが、しかしさりとて何らかの証拠がはつきりしないと、逮捕をすれば人権の毀損になる、そこでこれをひそかに写真をと
つて、はたして潜行幹部であるかどうかということを確かめる、そのためにはできるだけ人に気づかれないで写真をどうしてとるかというこの技術の訓練も必要であるわけであります。ただこれらをやるにいたしましても、今日の
法律を侵すというようなことは絶対にあ
つてはならないのでありまして、何ゆえにこういうことをやるかと申しますと、人権を絶対に毀損をしない、
法律に触れない、
法律の許す範囲内においてわれわれの捜査技術の練達によりまして、今日の
制限されたあるいは
刑事訴訟法あるいは各種の
法律というものを守りながら、われわれの
使命をどうして果すか、
従つてこれらの訓練と申しますか講習の根幹は、いかにしてわれわれは民主
警察を守り通すかというまずその信念の涵養から始まりまして、その信念に基きまして
法律を侵さないでやれるわれわれの限度、そうしてその限度内においていかに
使命を果すかという講習をいたしておるのでございます。
従つて家宅侵入を企てるとかあるいは窃盗を働くとか、そういうような法に触れるようなことは、これは厳に戒めておるのであります。先ほどおつしやいました警視庁のある警邏の巡査でありましたでしようが、家庭を訪問をして、そうして書籍を見せてくださいと言
つて書籍を見たというようなことは、もしそれが事実であるとすれば、この実情は私は確かめておりませんが、私が想像をいたすのに、本人の誤つた何らかの
考え方から、そういうようなことをしたのじやないだろうか。われわれといたしましてはだれがどんな本を読んでおるとかなんとかいうような事柄は問題になるのではありません。警視庁のその巡査もおそらくこういつた
警備情報の収集に当る専任の
使命を持つた者ではないと思うのであります。さようなあやまちを犯させないために、こういつた方に従事いたします者につきまして、そういうあやまちのないように、しかも
使命を果すための講習をいたしておるのであります。金庫をあけるとかあるいは手紙をあけるとかいうことをおつしやいましたが、人の金庫を、しかも
法律を犯してあけるというような指導は全然いたしておりません。手紙をあけるにいたしましても、信書の秘密を犯すというようなことは絶対にないように
注意を加えておるのであります。しかしながらある協力者が封に封印せられた書類をひそかにわれわれに手渡してくれるというような場合に、その封印がはがれたというようなことがわか
つては協力者に迷惑をかけるわけでありますから、これがわからないようにどうして明けるか、これはただそういつた場合だけでなしに、いろいろな
意味におきまして、われわれ捜査に当る者といたしましては、必要な場合が多いのであります。あるいはトランクその他のかぎをあけるにいたしましても、一々かぎ屋を呼んで来なければあかないということでは因りますので、そういうような事柄も必要に応じて技術を身につけておく必要がある、かように思
つておるのでありますが、これらの技術を具体的にいついかなる場合に
行使するかということは、先ほど申しましたように、どこまでも
法律を犯さない、そうして人権を損傷しないということを第一の前提といたしまして
行使すべく指導いたしておるのであります。また現実にそういつた捜査に当る場合の個々の具体的な指導は、それぞれの
府県あるいは自治体の
公安委員会、
警察長が責任をも
つてこれらの指導をいたしておるのであります。ちようどわれわれが犯人を逮捕したり、あるいは
自己を防衛するために、
拳銃の訓練をさせたり、あるいは逮捕術の訓練をさせたりしておるのと同様に
考えておるのであります。