○
斎藤(昇)
政府委員 確かにお説の
通り、
公安委員会の管理は
個々具体的なそのこまかいことまでは、
指揮はいたしておられぬと思います。ただ包括的に
指揮監督はいたしております。ただ気のついたことは何でも言える、何でも注意される、そうして聞かなければしかるべく処置をされるというような状態にな
つておるのであります。たとえば、
あとで
自治体警察の方から御説明があるかもしれませんが、
人事権にしましても、自活体の
警察本部長以外の
人事につきましても、
公安委員会の
承認を得なければならぬということにな
つておりましても、事実上はたとえば
警察署長より以下あるいは警部以下は、これは隊長に委任をするということはや
つておられるだろうと思います。また先ほど
お話がありましたように、当時新しい
警察が発足いたしますについて、どういうようにこれを運営して行くべきかというので、GHQの方からその運営の指針といいますか、日本では
公安委員会制度というものをまだ運営した経験がないから、
公安委員会はこういうように運営をして行くべきものだ、そういう
意味から東京の警視庁等においてその規程や何かのこまかいところまでGHQの方で見て、大体これを手本としてやつたらよかろうというように私は指導はあつたろうと思います。そのときの
公安委員会の
考え方というのもは、
公安委員会は総括的に管理を
指揮監督をするのだけれども、しかし
個々の、あすこの強盗
事件を、おれは被容疑者はあれだと思うから、あれをつかまえて来いとか、あるいは、鑑識の仕方はそれではいけないから、こういうやり方でやれとか、そういう専門的な
指揮のことじやないのだ、大きな目から
警察としては行き過ぎがないか、あるいはある方面の方の取締りが不十分でないか、人権を侵害するというようなことがないかという
意味のコントロールをやるというのが、本来の建前であるから、
従つて警察長あるいは
警察官、これは
警察の専門家でありますから、時計などについて
考えれば時計の修繕工、これが
警察官あるいは
警察本部長だ、しかし
公安委員はその修繕工に対して、この時計のどこをどう直せと直し方を指擁するのではなくて、この時計が狂うとる、これを直せ、その直し方がおそい、直し方が下手だというように、その包括的な
指揮をするようにという指導であつたと私は思
つております。従いまして
公安委員は
警察のこまかい技術的なことを何も知らない、浮き上
つているというように、
一般的に言われる場合が多いのでありますけれども、それはそうではなくて、
警察が一党一派に偏した事柄をや
つている、あるいは
警察官がどうも今の民主
警察のあり方に反したようなやり方をや
つておる、そういつた面で
指揮監督をされる、こういう立場にあられると思うのであります。従いまして、市会とか
府県会あるいは国会等において問題になりますような事柄、これはすべて
公安委員とされましては最も
関心を持たれて、その
指揮監督をされる事項であると私は思
つておるのであります。この
警察法の改正につきましても、私はか
つてのような
警察国家になるような、
警察権が濫用されるような
制度にな
つては、これはまことに相済まない。少くとも私が
政府から方針を授けられてこの
法案をつくりましたといたしましてもしかし私のそういつた
法案立案の責任というものもあるわけでありまして、私が今後
警察をしりぞきました際に、あのときにあんなことをやつたという、
あとでほぞをかむかかまないか、かむようなことがあ
つてはならない、これはあらゆる方面から検討して、私の今までの少くとも経験その他から
考えて、これならば
中央の政治によ
つて左右されるということもないであろう。また
地方の政治によ
つて警察の末端が左右されるということもないだろう。どんな人が
長官になり、どんな人が国務
大臣として
公安委員長になられましても、この
制度の保障がある限りはその心配はなかろう。こう私は確信をいたしております。