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1953-12-11 第19回国会 衆議院 地方行政委員会 第2号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十八年十二月十一日(金曜日)     午前十一時十三分開議  出席委員    委員長 中井 一夫君    理事 加藤 精三君 理事 床次 徳二君    理事 西村 力弥君 理事 門司  亮君       前尾繁三郎君    山本 友一君       吉田 重延君    藤田 義光君       北山 愛郎君    滝井 義高君       伊瀬幸太郎君    大石ヨシエ君       大矢 省三君  出席政府委員         自治政務次官  青木  正君  委員外出席者         総理府事務官         (自治庁行政部         長)      小林與三次君         建 設 技 官         (河川局長)  米田 正文君         建 設 技 官         (河川局治水課         長)      山本 三郎君         参  考  人         (茨城警察隊         長)      長岡  篤君         参  考  人         (茨城北相馬         郡布川町長)  山田 正雄君         参  考  人         (茨城北相馬         郡布川町議会議         長)      星野  薫君         専  門  員 有松  昇君         専  門  員 長橋 茂男君     ————————————— 十二月十日  地方自治法の一部を改正する法律案門司亮君  外七名提出、第十六回国会衆法第七七号)  地方財政再建整備法案床次徳二君外三名提出、  第十六回国会衆法第八七号)  昭和二十八年における冷害により被害を受けた  地方公共団体の起債の特例に関する法律案(吉  川久衛君外二十三名提出、第十七回国会衆法第  八号) の審査を本委員会に付託された。     ————————————— 本日の会議に付した事件  地方自治及び警察に関する件(小貝川問題関係  事件)     —————————————
  2. 西村力弥

    西村(力)委員長代理 これより会議を開きます。  中井委員長おいでになるまで、私がかわつて委員長の職務を代行いたします。  地方自治及び警察に関して調査を進めることにいたします。昨日の理事会おいて決定した小貝川事件に関して参考人布川町長山田正雄君、布川町議会議長星野薫君、茨城国警隊長長岡篤君、以上三人を参考人として、その実情を聴取いたしたいと思いますが御異議はございませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  3. 西村力弥

    西村(力)委員長代理 御異議がないと認めまして、それでは最初布川町長山田参考人よりその実情を聴取いたします。発言は各参考人大体十五分ぐらいにお願いいたします。  次に布川会議長星野薫君より実情を聴取いたす段取りにいたしまするが、まず布川町長山田参考人にお願いいたします。山田参考人
  4. 山田正雄

    山田参考人 小貝川河口つけかえ問題に関することに端を発しまして、先般新聞記者に対する取材妨害事件その他の事件が起りました。この事件のよつて来るところは、与えられたわずか十五分間にまとめるということは、非常に困難だと思いまするが、できるだけ早く御説明を申し上げます。  大体この問題は二十七年六月三十日に建設委員会おいて討議されたのでありまするが、建設省側におきましては、私たちが要求するところの技術的な説明、あるいはまた補償問題に対する十分なる説明を与えてくれないのであります。私は布川町長といたしまして、私自身がなるほどそうだ、これならば我慢しなければならないというところまで頭に入らない限り、町民各位に対して私が、これは協力すべきだというふうに勧めることは、できない立場にあるのでございます。それでありまするがゆえに、私は国会国会法第七十四条により質問をすること三べん、茨城県議会質問すること二へん、しかも建設省におきましては、何らこれに対して肯綮に当る答弁をしてくれないのであります。小貝川口をつけかえるという問題につきましては、まず第一に考えられることは、小貝川口をつけかえないで、現堤補強によつてこれに対処することができるかどうかという問題、さらにいま一つは、つけかえしなければならぬということなら、どの路線によるべきかという問題に分析されるわけであります。そこで私は二十七年の十二月十一日に、社会党左派勝間田清一氏の名義をもちまして、国会法七十四条による質問提出したのでございます。それに対して十二月の十九日付をもつて回答書が参つておるのでございます。その回答書によりますると、幾多事項があるのでありまするが、私はまず建設省が発表したところの理由書の方から抜萃しまして、小貝川川口をつけかえないでも、現在の堤防を補強することによつて、対処することができるかという質問をしたのでございます。それに対する政府答弁は、ここに資料もございまするが、小貝川の現在の堤防を補強することによつて、破堤等は防ぎ得るが、利根本川からの逆流は相かわらずであるから、その沿岸の排水は従来通り不良である、こういうような答弁が来ております。現在の堤防を補強することによつても、堤防のこわれることは防ぎ得るということを、はつきり言つておるのであります。ゆえに私はこの点についてなお十分の検討建設省がなすべきであると考えるがゆえに、まず小貝川つけかえ問題は、ここから始めなければ相ならぬ、かように考えたわけであります。小貝川口をつけかえなければならぬとしたならば、しからばどうなるかといえば、これについてはまた四つの案がある。今までに提出されたものでは、実に五つの案がある。一つはやつてみたが失敗した。失敗したがその結果として、またやり直しをしてみようとした案が四つあるわけである。ところが建設省におきましては、昭和十四年に一つ決定した案があるが、この案のかわりに、頼まれたから、いわゆる背割案という今度の案をつくつてみた。これは目黒河川局長が、二十六年八月六日の茨城県会における小貝川総合開発委員会の席上で、はつきり答弁しておるのであります。つまり幾多の案を検討したのではなくして、小貝川総合開発委員会におきまして、昭和十四年に確定したところの捷水路案、いわゆる富永案と称するもの、工学博士富永正義さんがつくられたところの案、昭和二十二年から昭和二十五年まで、どうしてもこれでやらなければ小貝川は助からないと、頑強に建設省におきましても、茨城当局におきましても主張したところの案、その案を昭和二十五年三月十九日の小貝川総合開発委員会で白紙に返してしまつて、これにかわる案として、幾多の案を検討したかというと、そうじやないのであつて背割案というものを提供して来たのでございます。それでありますから、私たちとしては今申し上げたように、現堤補強はどうだということを聞くと、現堤補強については限度があるというようなりくつを言つているのですが、富永案廃案にするために背割案を出しただけであつて、その他の検討はまつたく加えられないという事実が、国会における三回の質問によつてはつきりわかるのであります。それでありますから、この点背割案には納得行くところの説明が、まだされておりません。ほかの二人の村長さんも、まさにその通りなのであります。幾多の変遷を経まして、ことしの十月十五日に、小貝川総合開発委員会におきまして、いわゆる補償対策案というものが立てられました。まさに笑止千万な案でございますが、いずれにいたしましても、その十月十五日の大会の席上においても、なお三町村長背割案が納得行かないということ、そのためにわれわれは町村長として、背割案の実施については、絶対に建設省協力を申し上げることができないということを言明したのであります。ところが建設省態度は、しからば三町村長から協力を受けないで、個々別々にやつて行こう、任意買上げをやろうというような方針のもとに、十月二十日前後から、二人あるいは三人が一班となりまして、こそこそと個別折衝という名目のもとに、いわゆる促進派といわれる賛成者のところをまわつて歩いたのでございます。時あたかも農家におきましては、麦まきであつて、非常に忙しい。そのために非常に不安を感じた。忙しいので、働き手はみな外に行つておる。そのために留守番はばあさんか子供しかおりません。そういうところにのこのこ入つて来て、測量でもされる、そういうことは常識的には考えられませんが、農家方々はそういうふうに心配されたのであります。そういうふうに心配された結果は、何とかして対策を立てなければなるまいということに相なりました。時たまたま十月二十八日、消防秋季臨時点検がありました。また永年勤続者の表彰状の伝達もありましたが、その日に偶然ほかの用件で来たところの建設省のお役人さんと、布川町の一部の農家との小ぜり合いが起きたわけであります。ちようど消防器具を出しておつたところに、自動車が来ましたものですから、狭い道でございますので、そこから追い返されたということに相なりました。さらにまたその十月三十日には、ここにおいで長岡国警隊長さんと、いま一人警備部長さん、この方が新しくかわられたばかりで、小貝川の問題をよく御承知でないという話でありましたので、私は水戸まで出向きまして、従来の折衝の経過をるる御説明申し上げたのであります。それまで私はいろいろと非難、中傷を受けたそうでありまするが、大体私たちの行動について、警察隊長さんもある程度納得していただいたようでありました。ところがその三十日、私が水戸に出ておつたその日に、隣村の文村というところの一部落におきまして、建設省係官が二、三人入つて来ました。そのために農家のおばあさんがこれを見つけまして、来たぞ来たぞというようなわけで、バケツをたたいてみんなに知らせたというような事件が起りました。そのときにも、朝日新聞通信員と読売新聞、二人の通信員がその場に居合せました。若干小突かれたというようなことも起りました。そういうような問題の起る原因がどこにあるかと申しますと、これは遠くこの小貝川河口つけかえ問題にまつわるところの一つの因縁であります。これは先ほど申し上げましたように、明治の末年から五つの案があり、しかもどの案も拳骨によつておつぱらわれておつたのであります。今度の問題どころではない、もつとひどいことがやられた。しかしそれは建設省係官測量方々だけだつたので、このたびのような問題にはなりませんでしたが、個々別々の問題には非常な迫害を受けた。そのためにみんな追いやられて、御承知通り布川の方はまじめにおとなしくやつておるために、これがこちらに押しつけられた。その考え方が、いいか悪いかは別ですが、自然にそういうような気分が醸成されておるのであります。そのためにどうしてわれわれとして押えがたい一つ潜在意識があると私は考えております。そういうところからこの二回の事件が起つたのであります。そこで私はこれを非常に憂えまして、十月三十一日に、きようお見えになりませんでしたが、取手地区警察署長にお会いいたしました。この方は非常に私のことをよく了解してくれておりまして、さらに建設省方々がこの署長さんを通じて、私に面会をしたいというようなあつせんを頼まれておつたということも、ちよいちよい聞いておりました。またちようど建設省関東地方建設局工務課長である千葉直之君からも、何とか局面打開について相談に乗つてくださいという書面が来ておりました。それでありますから、この際建設省に向つて町村長を除外して、こそこそ入るようなやり方はやめてもらいたい、そうしないと、どうも不測事態が起りそうだからというような申入れをすることに、私が署長さんと相談して、さつそく十月三十一日に、取手というところから建設省直通電話千葉氏に連絡をとり、そうして十一月二日に私は松戸の建設省用地事務所に参りまして、千葉工務課長と一時間半にわたつて懇談したのですけれども、その結果は、今までのやり方はまずかつたから、それでああいうやり方は一応とりやめにしよう、ところがそのかわりに、関東地方建設局長なり建設次官なりと懇談するようにお願いしたい、こういうような向うからの注文がありましたので、それはみなと相談の上で、さらにほかの村長とも相談の上で、しかるべく善処しよう、こういうことを約して帰つたのが、十二時過ぎであります。十一月二日のその午後になりまして、私が役場におつたときに、茨城県の県庁詰記者クラブ諸君——当番朝日新聞記者たそうでございます。茨城県庁出入り新聞社通信社は九つあるそうでございますが、その幹事であるところの朝日新聞記者から、三日はちようどお休みになりますので、あさつての四日に記者十数名が建設省係官現場説明を求めて、そうして布川町の方の意向、つまり建設省のお役人さんと私たちとを同席させて、その上で、新聞の材料を求めようというような目的のもとに、四日に行きたいという申越しがあつたのでございます。そこで私は今申し上げたような、外部からの刺激のないようにというような工作をしたばかりでありまするので、新聞記者諸君だけでおいでくださるならばよろしいが、建設省係官見えると、どうも今のところぐあいの悪いようなことになりそうだから、そのことだけはやめてほしい、どうか新聞記者諸君だけで来てください。新聞記者諸君だけでおいでになるならば、私がくまなく案内をする、そうして新聞記者諸君に頭に入れておいてもらつて、日をあらためて茨城県庁なら県庁建設省係官とあるいは県知事、土木部長まで入れて、私の方の三町村長が出頭して、その上でやつてもいいから、そういうような方法にしてもらいたいから、新聞記者諸君だけでおいで願いたいということを私が申し上げたのであります。非常に強く、きつく哀願、懇願をいたしたのでございます。新聞記者諸君の方におきましても、私が強硬にそういう主張をいたしましたので、結局それではみんなで相談の上、またあらためて返事をしようというので、一旦電話を切つたわけでございます。ところが約三十分ほどしてから再び電話がかかつて、ともかくも建設省役人現場説明を求める、そのために建設省係官と県の土木部係官とを同道するからひとつよろしく頼む——よろしく頼むという言葉は用いなかつたように覚えておりますが、こういうふうにやるからと、一方的な言葉であつたように私は記憶しております。そこでそれは困つたことである、そういうことをやられては、私には責任を負いかねないようなことになる、そういう事態が起きたら困る、それだからどうか先ほどのように新聞記者諸君だけでおいで願いたいということを、重ねて要請したのでありましたが、いずれにしてもそういうようにして行くからというところで、電話は切られてしまつたのであります。もちろん新聞記者諸君が、建設省係官を連れておいでになるということ自体は、私は別に異議のあるわけではありませんけれども、周囲の情勢というものが、今申し上げたような状態に相なつておりまするがゆえに、私はそこまで申し上げたのでありました。ところがそれを押して来られました。もちろん町当局におきましても、あるいは町民各位おいても、相当に気がいらいらしておつたというような点はありましたでしよう。そのためにああいうふうな不測事態が起きたということは、結果から見て、まことに私は遺憾に存じております。しかし私としては、その善後処置につきましても、やはり相当に苦慮したつもりでございます。新聞記者諸君が河中に投ぜられたために、あれほど大きく事が宣伝され、さらにわれわれも非常な非難攻撃を受ける立場に置かれておりまするけれども、事情は以上申し述べたような次第であります。  この小貝川の問題についての資料は、これだけ持つて来ておりますので、さしつかえなければ先生方に一部ずつお配りしてもよろしゆうございます。失礼いたしました。
  5. 西村力弥

    西村(力)委員長代理 それでは資料の配付をお願いします。  次に町会議長星野参考人にお願いいたしますが、この問題に関する町議会としての動き、ことに新聞記事によ  りますと、町議会おいては町の防衛組織をつくるということを決議せられたというようなことがありますので、今町長さんのお話になつたあとの、そういう動きをされたことを中心お話を願いたいと思うのです。星野参考人
  6. 星野薫

    星野参考人 私議長の席をけがしましたのは、二十六年の五月でありまして、その以前からこの小貝川の問題については、冨永案について相当下流部おいて猛反対があり、いろいろな事情が起つたために、地盤が悪いとかいうような観点から廃案になつたというので、結局二十六年の八月に小貝川総合開発委員会に傍聴に行きました際に、町村長さんからいろいろ進言がありましたときに、建設省目黒河川局長が、委員会からこう申されたのを覚えております。冨永案はいいことはいいのだが、いろいろな事情があるから、ほかによい方法はないかというようなお話で、結局建設省は、それならばどこかいいところというわけで、現在の背割堤案に持つて来た。しかしこの背割堤案なるものがはたしてよいか。地元としては全然この背割堤案はやつてもらいたくない。なぜといえば、小貝川そのものは、逆流によつて切れるということは、切れれば逆流するので、実際は私どもあの付近にありましたけれども、逆流したのは二回か三回です。いつもそうでない場合が多いのです。それで布川あたりは、場所は高地なので、かつてな話か知らないけれども、決壊しても、小貝川の決壊ならば大した影響はない。利根川の堤防が決壊したならばとんでもないことになる。そういう観点からどこまでも反対をし続けて参つているわけです。それで先ほどお話したように、ある一部の力によつて、南へ南へと押しつけられて、現在の背割堤案になつたということに対しても、非常に私としても町の人としても強力な反対をし続けるつもりです。背割案をされるということに対して反対をし続けて来たそもそもの原因は、向う地域町村として土田さんを会長とした促進期成同盟会というものがあるので、それに対抗するために、反対期成同盟会をつくつた。これは私ども議員にならないうちからのことと思いました。
  7. 西村力弥

    西村(力)委員長代理 発言の途中でございますが、事件内容については、町長さんからお話がございましたので、町議会としての動き、ことにさきに申しましたように新聞記事に出ましたごく最近……。
  8. 星野薫

    星野参考人 事件内容でございますか。
  9. 西村力弥

    西村(力)委員長代理 内容そのものよりも、町議会がどういう決議をされ、どういう動きをされたかということを中心といたしまして……。
  10. 星野薫

    星野参考人 それを今話すわけであります。土田さんが、これらの促進期成同盟会というものをつくつたについて、反対するがために反対期成同盟会というものをつくつた。たまたま二十六年の五月と思いますが、NHKの録音班が来たときに、何か元気のいい名前はないか、それでは反対期成同盟会を、郷土を守るための郷土防衛隊としたらいいだろうというので、そこで改称したわけです。その後この問題について反対をし続けて来たわけであります。この防衛隊組織というものは町議会の全員、それから町の各種団体長、それに各町内の区長、こういうようなもので構成されて、それに対して委員会を開いていたのであります。今度の事件前に、ちようど説得班が一週間ばかり前から来ていて、委員会を開いてそれに対処しようじやないかというような話で委員会を開いた。それはちようど十月二十六日と思つたですが、まずそのときに協議事項としては役場前に本部を置いて、それから町民説得班が来たという知らせをすることと、まあそのくらいで、それでたまたま二十八日に、そのことは私知らないのですけれども、消防器具秋季点検と永年勤続者の表彰をするというようなお話で、たまたまそこに建設省説得班が来たのでぶつかつてつた事件最初です。なお十一月の二日だと思いましたが、町長さんより新聞記者が来るというようなことを聞いたので、それは困つた新聞記者だけ来るならいいが、建設省役人が来るということを聞いたのでそれは困つた、というのは前月の三十日に問題があつて——問題というと何ですけれども一説得班が来て少し小競合いができたので、何か間違いでも起らなければいいというふうに思つていた。そこに来たので、四日の日にああいう事件ができて、何とも代表者として残念に思つている次第です。
  11. 西村力弥

    西村(力)委員長代理 事件発生後、町議会で決議されたことはございませんか。
  12. 星野薫

    星野参考人 事件発生後、ありません。大体以上です。
  13. 西村力弥

    西村(力)委員長代理 それでは次に茨城国警隊長長岡さんにお願いいたします。国警側としましては、この問題が長きにわたつて非常な問題をかもしておつたので、それに対する取扱いの態度をどういうぐあいにずつとせられたかという問題、それから警察権の発動をしなければならないと判断された事情、その後のこれに対する治安予防対策、そういうものについての御発言をお願い申上げたいと思います。それでは参考人長岡篤君。
  14. 長岡篤

    長岡参考人 委員長からお話のありました点について、私たち警察の者の見ておりましたこと、及びとつて参りましたいろいろな手段を申し上げたいと思います。私が茨城県の隊長として着任しましたのは九月の四日であります。それ以来大体三箇月になるのであります。着任しまして前の隊長から、いろいろな事務の引継ぎを受けたのでありますが、その中に当面の注目すべき事項として、小貝川つけかえ問題が引継ぎ処理の中に残つていた。大体の説明は、これは長年の間の懸案事項でくすぶつたままになつているのだということ、但しこの問題は非常に重視しなければならぬ問題だと思うから、よく注意しておつてくれ、こういう意味説明があつたのであります。なおその書類のうちに、私が見て非常にけげんに思つたのでありますが、地元では、昭和二十六年の春以来、郷土防衛隊組織しているという記事があつたのであります。非常にけげんに思いまして、これはどういうものかということを、係の者に聞きましたところが、先ほど議長さんでしたか、説明のありましたように、実は反対の、いわば期成同盟会のような性質のものを、少し威勢をよくするためにこういう名前をつけたのだ、実態は規約もないし、構成のメンバ一もはつきりしていないというふうに自分たちは聞知している、こういう意味説明があつたのであります。着任早々でありましたので、署の巡視などで、非常に忙しかつたので、それ以上その問題を確かめることをようしませんでした。ちようど九月の十九日だつたと思うのでありますが、関東地建伊藤局長さんが私のところにお見えになりまして、着任あいさつかたがた、この問題についての事情説明に来たというふうなお話であつたのであります。そのときのお話では、小貝川の河口つけかえの問題が、背割堤案が実はそのままになつているので、建設省としては早急にこの問題を解決しなければならぬ、今まで地元人たち説得相当手を尽した、あらゆる考えられる方法を講じて手を尽したのであるが、どうしても地元の納得を得ることができない、しかし建設省としてはこれ以上遷延することはできないので、近く法に基きます強制立入り調査をやることとなるだろう、ついてはその場合には、今までのいきさつから考えて、相当な、あるいは幾らかの事故が起るかもしれぬ、その意味警察としても十分注視しておつてくれというような意味お話があつたのであります。いろいろ事情を聞いてみますと、建設省の方ではどうしてもつけかえ工事は強行しなければならぬ。それから地元布川、文、東文間、主としてその三箇町村でありますが、その犠牲になります地元人たちは、背割堤案については絶対反対だ、生命を賭しても、血の一滴が残つている限り、この問題については勇敢に行動して反対をするというような態度をとつておる。そういうことになりますと、このままでほうつて置けば、早晩激突が避けられないのではなかろうか。警察的な立場からいいますと、できればその激突を避けることが必要だということから考えまして、いろいろな対案を考えたのでありますが、やはり現地の事情を見る必要があると考えまして、私十月の二十三日だつたと思いますが、警備部長と一緒に、こつそりでありますが、現地の事情をずつと見て参つたのであります。その結果大体の概念は得たつもりでありますが、なお詳細な事情を聞く必要がありましたので待つておりましたところが、建設省方々が二、三回にわたつて私のところへ参られまして、やはり立入り調査をやりたいというような意味お話があつたのであります。その際に私は、今まで建設省の方から聞きますると、説得に手を尽したと言うが、あるいはそうかもしれないが、できるだけ強制的な手段によつて地元を刺激するということは避けなければならぬと思う。だからできるだけ話合いでもつて、問題を円満に解決するように進めてくださいということを、建設省の方にはお願いしました。なお地元の方にも何らかの意思表示をしたいと思つたので、三箇町村を管轄しております取手地区署長を通じて、本日出席せられております山田町長さんにできれば会いたいというような意味のことをお話してあつたのであります。山田町長さんの方から、それじや三十日の日に出向いて説明するからというような話だつたのであります。三十日の日に町長さんは一人で私のところへ参られまして、先ほどお話になりましたような、このつけかえ問題の長年にわたる沿革をるる御説明になつたのでありまして、その際私は町長さんにこういうことを申し上げたと記憶しております。なるほど地元事情はわかりました、しかし警察立場からいいますと、背割堤案がいいか、あるいはそのほかのいろいろな案がありますが、どの案がいいかということは、われわれしろうとにはわかりませんし、また個人的な考えを持つことがあつたにしろ、警察としては、どの案を支持する、どの案を強行すべきだというような意見を言うべきじやない、政策的な問題については、あくまでも中立を穿つて行かなきやならぬと思う、しかし警察として黙つていられないのは、もしこの問題を中心として暴力行為その他不法越軌の行為が起れば、それはどうしても断固たる処置をとらざるを得ないのだ、地元の指導者であられる山田町長さんが中心となつて、その点をよく考え直して、一般の町村民の人にも徹底してくださいという意味のことを申し上げたと記憶するのであります。ところがその同じ日の三十日に、先ほど説明がありましたように、布川町に隣合つております文村のある部落で、建設省人たちが戸別説得に参りました際に、半鐘が鳴らされて路上に大勢の人が集つて来て——四、五十人だつたと私の方へはあとで報告が参つておりますが、結局手は出さなかつたけれども、何しに来た、帰れと言つて、そのけんまくによつて建設省人たちは、要務を果さずに帰られたというような事件が起きたのであります。その事件はまだ警察的に見まして処置すべき程度にまでは至つていない。それに同じ日に町長さんを通じて暴力ざたは避けるようにという意味地元に対する要望を伝えましたために、おそらくそういうことは将来少しはかわつて来るんじやないかと、半ば期待して、そのままにしておつたのであります。ところが一日に布川の町におきまして関係三箇町村反対の総蹶起大会が行われました。そしてその席上いろいろなむずかしい問題がきめられたと思うのであります。たとえば防衛隊が本部をつくり、役人が来た場合には半鐘をたたいて町民を集めて阻止する。防衛隊員によつて巡察隊をつくて、役人の立入りを看視する、こういう意味のことがきめられたというふうな報告を受けたのであります。しかしまだその程度の——そういうふうな意思表示はありましたが、なお地元が冷静に行動されることを期待して、そのままでおつたのであります。二日に新聞記者人たちが現地の視察に行きたいというふうな企てがあり、地元との間で二、三やりとりがあつたということを、四日の朝私たちも聞きました。ところが四日は、私はちようど翌日全国隊長会議が東京においてありましたので、水戸を立つてつたのであります。出発する前にその報告を聞きましたので、警備部長にこういうふうな指示をしておいたのであります。地元を刺激するということはよくないことじやないか、避けなければならぬことじやないか、それで建設省や県の人を、あくまでも連れて行くというふうに記者人たちが言つているそうであるが、できるだけ刺激しないように慎重な態度をとることが望ましいという意味のことを申し、さつきの建設省の出張所がありますので、そちらの方に警察としての意見を伝えておくように言つて、私東京に参つたのであります。ところが、ちようど問題になりましたような、四日の記者団と県の係官に対します暴行事件が起きたのであります。私五日に帰りまして、すぐ善後処置に当つたのであります。六日だつたと記憶しておりますが、ちようど町長さんと布川議長さんと、もう一人石井という方が、私のところと、それから新聞記者団に、あの事件が非常に遺憾であつたというような意味の陳謝をされに参られたのでありまして、そのとき私は、事件事件として警察では措置をする、当然のことであるが、断固たる措置をする。今後できるだけこういうことが再び起らないように、いろいろ注意してほしいという意味のことを申し上げて帰つていただいたのであります。その結果九日に第一次の検挙で十三名、十八日に第二次の検挙で四名、合計十七名を検挙いたしました。この全部はその当時現場におつて、直接手を出すか、あるいは脅迫的な態度に出た人たちばかりであつたのであります。十一月の二十六日になりまして、水戸地検の土浦支部の方で、そのうちの十五名が暴力行為等処罰二関スル法律と、傷害の罪によりまして起訴され、二名が起訴猶予になつたのであります。  その後の問題でありますが、その後は、これはいろいろな見方があると思いますが、警察として見ておりますことは、漸次地元人たちは冷静な態度をとりもどして来ていると思うのであります。暴力ざたは避けなければならないというような空気は、漸次高まりつつあるということが言えると思うのであります。そういう見方ができると思うのであります。また一方いろいろな団体、政党から、地元に対する働きかけもあるようでありますが、大体において冷静さをとりもどして来ている。しかし建設省の主唱しておられます背割堤案については、あくまでも反対するというような空気は、依然としてかわらない状態である、こういう見方を私たちはしております。今度の四日の事件、それに対する手入れ、これは非常に不幸な事件でありますが、こういう暴力ざたに対しては、相手が新聞記者人たちであろうと、あるいは建設省や県の役人であろうと、あるいは一般の市民であろうと、対象はだれでありましても、またどういう理由がありましても、暴力ざたについては看過し得ない、警察としては全勢力をあげて、その暴力行為に対する解釈はするつもりだ、こういう意味のことを、私もしばしば機会あるごとに表示しております。この表示は今後もそういう態度でもつて行きたいという意味のことを表示しているのでありまして、政策的な問題については今後とも警察は立ち入らない、しかし不法越軌の行為に対しては、あくまでも断固たる処置をとるという気持はかわりはない、そのつもりで警察力をあげて事態の推移を注視しているということを申し上げたい。
  15. 西村力弥

    西村(力)委員長代理 それでは質問を許しますが、政府側として青木自治庁政務次官、小林自治庁行政部長の二人が見えております。なお建設省河川局長は今来るように言つておりますので、間もなく来ると存じます。質問の通告がございますのでこれを許します。門司亮君。
  16. 門司亮

    門司委員 私最初に聞いておきたいと思いますことは、建設省河川局長が、参りませんので、事件の起つたその真相を、はつきりつかむことが実はできません。従つてただ表面に出ている問題についての御質問だけを申し上げたいと思うのでございます。  これは町長さんによく伺つておきたいと思いますが、私にもこういう経験があるのであります。かつて神奈川県の県会議員をやつておりましたとき、今の相模ダムをこしらえますときに、あの湖底に沈んで参ります日連村をどうするかということになりまして、これらの人たちの補償あるいは立ちのきという問題に直接携わつて参りました私といたしましては、大体事件内容並びに町民方々の気持ではわからないわけではないのであります。しかしながら問題は、こうすることがこの河川の氾濫を防止する唯一の策であるとするならば、これは当然地元民はやはり大きな見地に立つてこれを受入れるべきである、しかしその間においてはいろいろな問題がありますので、当然地元町民諸君の理解と納得を得なければならないことはもちろんであります。このことのために、今建設省がこちらに来ませんので建設省がいかなる手を打つて来たか、どういう尽力をして来たかを知ることが私どもはできません。それで一方的に聞くこともいかがかと思いますので、いずれ建設省から参りまして、それらの点が十分になつてつたかどうかということについて、一応確かめた上でなおお聞きしたいと思いますが、私どもがここでお聞きをいたしますることは、そういう問題は単に建設省の持つておりまする意見というものを、建設委員会のようにこれが是であるか非であるかというような根本的な河川の改修自体については一応別といたしまして、こういう不祥事件が起つておる。しかも今の町長さんのお話を聞きますると、私どもがこれまで調査して参りましたのと、ほとんど符合しておる。幾たびかこの問題は明治以来起された問題である。そのたびごとにこの問題はげんこつ、言いかえますれば、すきやかまで大体この問題が立ち消えになつておる。このことは暗に暴力によつて、それらの問題を片づけて来たというようにしかわれわれには受取れない。このことは事案の上から見ますると、きわめて重大な問題でありまして、もしこうしたことが許されるとするならば、それはまつたく無警察状態である。一体警察は何のためにあるのかわからぬことになる。同時に地方の行政の問題から見て参りましても、必ずしも地方の円満ということははかり得ないのではないかというように私は考えておりますので、第一にお伺いしておきたいと思いますことは、この合流点のつけかえに対して、今の町長の御説明を聞きますると、反対の期成同盟をつくらなければならなかつた一つ原因として、他にこれを促進する一つの団体があるというように私ども承つたのでありますが、それらの団体はいかなる構成でそういうものを形づくつておるのか、その点をひとつこの際お聞かせ願いたいと思います。
  17. 山田正雄

    山田参考人 ただいまの御質問はまことにごもつともでございます。しかし私が何ゆえに反対しておるかと申しますると、ダムのような場合に比べまして、この特定の所でなければならぬという結論が出ておらないということでございます。この小貝川合流点つけかえというものは、御承知のように明治末年以来の問題であつて、先ほど申し上げました通り、初めにやろうと計画し、しかも予算まで通つた案があるということ、それを何かの拍子にわきへまた持つて来たということ、いま一ぺんは明治の末年に計画したやつが、建設省の技術の権威というものがなかつたために、一有力者あるいは政治家のために—一ぺん仕事をやつてみたのでございます。やつてみたのでございますよ。これは佐原の小野川公園の石にも刻んでありますし……。
  18. 門司亮

    門司委員 発言中ですが、ちよつと私委員長から御注意を願つておきたいと思います。私が聞いておりますのは、内容につきましてはいずれ建設省から参りまして、今までのいきさつをよく伺いませんと、一方的に聞くということは、不見識でありますので、そのことには触れておりません。私の意見を少し申し上げただけでありまして、今聞いておりますことは、お話の中にこの問題に賛成しておるような団体があるということですが、もしそういう団体があるならば、その団体の構成をひとつお聞かせ願いたいということだけを聞いておりますので、それだけのお答えを願えればけつこうだと思います。
  19. 西村力弥

    西村(力)委員長代理 参考人にお願いしますが、答弁は要点をひとつ……。
  20. 山田正雄

    山田参考人 ただいまの御質問にお答えいたします。促進というのは、これは小貝川改修期成同盟会というのがございます。それは大体におきまして五十箇町村ほどを中心にしたのでありまして、その中心人物は元県会議員であるところの土田右馬太郎という方でございます。そうしてその目的とするところは、小貝川の合流点をつけかえてもらいたいということであつて、背割堤によつてつけかえろということではないということを、はつきり申し上げておきます。なお県におきましては小貝川総合開発委員会というものをつくりまして、そこで補償対策や何かを促進し、いわゆる利益を受ける町村は百二十箇町村ありとしてそこから運動費をとつたり、見舞金と称する金をとつて仕事をやつております。この点もつけ加えておきます。
  21. 西村力弥

    西村(力)委員長代理 なお建設省河川局治水課山本三郎君が参つておりますので、関連ある場合にはどうぞ……。
  22. 門司亮

    門司委員 それではあとは一応町議会議長さんにお伺いしたいと思うのでありますが、事件が起りまして、新聞の報ずるところによりますと、その日であります四日の日の午後七時に、町の緊急臨時町会というものが開かれて、そこで今後も引続いてこのような不祥事態が起るかもしらない、従つてそれについては今後町会議員の方が、必ずこの郷士防衛事務所といいますか、本部に一応詰めるということが第一の条件として考えられておる。その次には背割案反対運動については、今後とも犠牲者が出ると考えられるので、町民は各部落によつてこれの救済といいますか、そういうことだと私は考えられるのでありますが、いずれにいたしましても各区域ごとに資金カンパを行おうということが議決されておる。さらにその次には、町民山田町長中心反対運動に関して一心一体の活動をするということの三項目が決議された、こう新聞は報じておるのでありますが、この事実はこの通りであるかどうかということを一応聞いておきたい。
  23. 星野薫

    星野参考人 ただいまの御質問にお答えいたします。あの事件発生後さつそく緊急町会を開きました。それはちようどここにも県の国警隊長さんがおりますけれども、そのときに申した通り町長さんには口のすつぱくなるほど言われた。暴力はやるな、そういうことでこの反対は勝つものではないから、決してやるなというわけだつたのですが、自己の財産を守るために結局町民はああいうようなことをしでかした、私としてもまことに遺憾に思うというようなことで、今後そういうことのないように、町会としては全力を尽して未然にこれを防止するというようなことを協議しました。
  24. 門司亮

    門司委員 今私がお聞きしましたのは、さつき申し上げました三つの事項が、町会においてほんとうに決議されておるかどうかということであります。
  25. 星野薫

    星野参考人 三つというのは会の緊急町会で決議したことですか。
  26. 門司亮

    門司委員 これは一つ一つメモでもとつていただいたらけつこうだと思うのです。これは必ずしもそのままの文章ではないと思いますが、「今後も引続いてきのうのような不祥事態が発生する可能性があるので、今後町議一名が常時郷土防衛隊本部に詰める」こう書いてありますが、このことについてはそういう決議をされたかどうか。
  27. 星野薫

    星野参考人 それはその晩方きめて、各一名ずつ詰めることにいたしております。それは町長さんも何かと用事多いことで、いろいろ連絡上に議員一名詰めたらいいだろうというようなことで、それは確かにきめました。
  28. 門司亮

    門司委員 その次に「背割堤案反対運動には、今後とも犠牲者が出ることが考えられるので、町内各区域ごとに資金カンパを行う」ということになつておりまするが、これもその通りでございますか。
  29. 星野薫

    星野参考人 それはその晩の緊急町会できめたことでなく、委員会でその前にきめております。
  30. 門司亮

    門司委員 これは委員会できめられたということでありまするが、そういたしますると、何か委員会があるということになりますが、この委員会はわれわれから考えますると、どの委員会できめたか。議会の中にある委員会——たとえば土本委員会でおきめになつたのでありますか。それとも町会議員の正式な機関でなくて何か……。
  31. 星野薫

    星野参考人 郷土防衛隊委員会でございます。そこできめたと思つております。
  32. 門司亮

    門司委員 そうしますと、その次にあります「町民山田町長中心反対運動に関して、一心一体の活動をするなど三項目を決議した。」と書いておりますが、この三番目はどうでございますか。
  33. 星野薫

    星野参考人 それは防衛隊委員会できめております。
  34. 門司亮

    門司委員 そういたしますと、新聞記事が誤りだということになつて、一項目だけが議会できめられて、あとは議会できめたわけではないというふうなお話でございますので、私はこれをそのまま受取つておいてもいいと実は考えます。しかし今のことで私が念押して聞きますことは、治安の関係から考えて参りますると、少くとも町民から選ばれた町会議員の諸君が、こういう不祥事態が起るであろうから、そのことのために資金カンパをするというようなことは、私どもは了解に苦しむのであります。これがたとえば他の団体でありましてもそうでございますが、不祥事件というものは起さないというのが建前であつて、将来起るであろうからそれに一応の資金カンパをして行くというようなことは、これは自治体のとるべき態度ではないと私は考えるので、実は聞いておるのでございます。しかしそのことが幸いにして郷土防衛隊会議できめられたということになれば、これは自治体の意思表示でなかつたものと、私は解釈するのでございますが、しかしそのことの真偽は私どもには多少疑いを持たざるを得ない形がありますが、そのことを詳しくここで聞くことは避けます。  この機会にもう一言聞いておきたいと思いますことは、警察隊長は先ほど事件のその後の形は、やや冷静であるというふうにお話になつたのでございますが、実際は町議会できめたか、あるいはこれが委員会できめられたのか、私は真偽のほどを、ここではつきり申し上げるわけには参りませんが、いずれにいたしましても、自治体といたしましては、こういう不穏当なことがきめられておる。従つてわれわれから考えてみますと、今の隊長さんのお話と少し違う。不祥事件が起るということを予測したということから、隊長は今その後は冷静になつておる、そういう事件についてはできるだけ避けるようになつておるというようなお話でありましたが、私どもそれは事実は相当つておるのじやないか、かなり杞憂すべきものではないかというように考えるのであります。この点について今の隊長さんの御意見は、先ほどの御説明そのままを受取つてよろしゆうございますか。
  35. 長岡篤

    長岡参考人 先ほど三つの点について、例をあげて御質問になりましたが、私たちも実は御指摘になりました三つの事項が、町の幹部の人たちの間できめられたという情報は持つております。それを受取つたたちの考え方、解釈を申し上げたいと思うのであります。  町議一名が防衛隊の人と一緒に行動するということについての意義でありますが、これは二つの意味にとれると思つております。一つは、単に若い消防団員だけを中核とした防衛隊だけにまかしておけない、そういうふうな若い人の行動はともすると熱気になるから、少し分別のある町会議員の人たちも入つて、事実上の制御をして行こうじやないかというような意味でその決議がなされたのか、あるいは若い防衛隊員だけでこの問題を担当さすには重大な問題だ、町議も町全体となつて、最も強く行動しなければならぬというような意味でこれをきめたのか、その点が確認できなかつたのであります。私は現在でもどちらの意味つたかということは、まだどちらとも解釈できぬような状態だと考えるのであります。  それから今後とも犠牲者が出るだろうからというようなお話ですが、私の聞いておりましたのは、これは事件の起きましたその日でありますから、どうせ今度の事件——四日の事件で犠牲者が出るだろう、その場合の差入れとか、あるいは家族の人たちの援護とかいうようなことで、金がいるだろうから集めようという意味で、金を集めているというふうに聞いておつたのであります。今後もこういう事件が続発するだろうというような意味で、あの場合やつたかどうかという点は少し疑問だと思います。  第三の点でありますが、今後反対運動は町長が先頭に立つてやるから、町長に従つて来いという意味の決議であつた。これも確かにそういう決議があつたと私は記憶いたしますが、それはやはり同じような意味にとれるのであります。町長さんの立場として、おれの言うこと以上に出るなという制御する意味で言われたのか、あるいはおれが先頭に立つて反対をもつと強く推進するのだという意味で言われたのか、その点も確認できなかつたのであります。実は現在でもまだその点が、私の方ではどちらの意味かということも、はつきり確認ができない状態でおります。そういう意味でありまして、先ほど上げられました三つの点で、すぐ地元おいて今後も防備の行為が続発するというふうにお考えになるのは、少し考え過ぎじやないだろうかという気がいたします。それから地元のその後の態度でありますが、当初警察で手入れしました際、確かに警察警察力をバツクとして、背割堤案を推進しようとしているようにとれる面が、相当つたと思うのでありますが、あるいは希望的な観測かもしれませんが、少くとも暴力はできるだけ避けなければならない、こういう究気は全部じやないにしましても、相当広がつて来つつあるということは、現在確かに自信をもつて言えると思うのであります。ただそれでは今後こういう事件が絶対に起らないかという点でありますが、この点につきましては、私はやはり農民の人たちの、あるいはそういう河底に沈むかもしれないというような立場にあります町村民の気持から考えまして、指導者の人々が、かりにいろいろ押えようとしましても、その場の空気いかんによつて、あるいは絶対に起らないというふうに断言するのは、これもまた早断じやないか、こういう見方をしております。
  36. 門司亮

    門司委員 警察隊長のお考えによつて、私の考え過ぎではないかという注意を受けたのでありますが、私は考え過ぎとは考えておりません。少くともこういうことが決議されて、町会の本部に一人ずつが詰めなければならないということは、郷土防衛隊というものが存在しているということであります。一つの団体であります。従つてその行動が場合によつては行き過ぎるであろうということはわかり切つている。この団体に対して、間違えば暴力行為が起るであろうというような懸念があります。この団体をそのまま放置しておくことが治安上の建前からいいか悪いかということを、一応聞いておきたいと思います。
  37. 長岡篤

    長岡参考人 現在でも防衛隊は存在して、おります。それで防衛隊が好ましいものであるかどうかという点について、御意見を求められますならば、私は好ましいものではないということを申し上げたいと思います。ただこれを放置しておくかどうかという問題になりますと、こういう団体を解散させる法的な手段はないのでありまして、ただ事実上町の指導者の方々の判断によつて、解散さすことができる。その事実上解散したらどうかという意味の警告といいますか、勧告といいますか、こういうものを出すことは、警察としてもさしつかんない問題だと考えております。  それでこの問題は、実は先ほど申し上げませんでしたが、まだ事件が全部片づいていないのであります。現在捜査中にありますものも一部分あるのでありまして、そういう事件の落着を待つて、適当な方法防衛隊が解散した方がいいのじやないかという意味の勧告を警察として出したらどうかということを、目下考えております。
  38. 門司亮

    門司委員 私は今の考えておるということと、法的に何らの手段がないということ等については、一応警察立場から、そういうことがしやくし定規に言えると思う。しかし少くとも治安の大任を持つておいでになる警察隊長としては、こういう不祥事件の起らぬように対処するのが、警察本来の使命であると思う。単なる犯罪の起つたものを検挙することが警察の使命ではないのです。私はそんなことぐらいはおわかりだと思う。従つてまずその前の問題を聞いておきたいと思います。事件は四日の日に起つておる、その事件の四日の日には隊長は大体報告を受けて知つてつたという話である。しかし五日に警察隊長会議があるからそれに出て来るために、その事件には間に合わなかつた、こういうお話つた。同時に龍ケ崎の県の出張所には話をした、こういうことであります。この場合に、もし警察がほんとうにこの問題を処理されようとするならば、警察の所管が違いはしないか。ここは取手警察だと思いますが、どうですか。警察立場からこれを協議されるというなら、当然所轄警察に向つて注意を促すべきである。なるほど県の土木出張所に対して、あなた方がなした、事件が起らないように、地元役人が行くと事件が起るから、君らの方で出て来ないでくれぬかという注意はよいと思う。しかし事件が起り得るであろうということが予測されて参りますならば、当該警察としては、所轄警察署に言われることが当然だつたと思う。取手警察に対してあなたの指示されたのはどういうことであつたか、一応聞かせておいていただきたいと思います。
  39. 長岡篤

    長岡参考人 おつしやるまでもないことでありまして、警察事件が起きたからそれを処置するというだけでもつて満足すべきでないことはもちろんであります。できるだけ事前に予防的な措置を講ずることが必要なのでありまして、そのためにこそしばしば機会あるごとに警告あるいは自重を要望するとかいうことを、お願いして来たのであります。  それから四日の事件の起きた日のことでありますが、もちろんこういう事件が起ることがわかつておりますれば、私はその場にとどまつておるというのが至当だつたと思う。ただこの点であるいは見方が甘かつたのではないかというような御指摘があるかもしれませんが、率直に申し上げますと、新聞記者人たちが行くのだ。しかもある程度まで町長さんと話は済んでおる。それが私たちの耳に入つたのはずつとあとでありますが、そういうことからして、話合いの上で行くのであるし、なるほど説朗するために建設省や県の人がついて行くかもしれないが、それはつけたりの問題で、おそらくずつと自動車で町を通行するだけに違いない、そういうふうな考えを持つておりました。それで事件が起らないものというふうな考えを持つて行動したのであります。  それから龍ケ崎の建設省の出張所に対して、慎重な態度をとつてほしいということを抽象的でありますがお願いいたしました。それと同時に、所轄の取手警察の方にも、事件が起らないと思うが、きよう新聞記者団の一行が現地に行くだろうから、一応注意をしておくようにというような意味の連絡はとつております。
  40. 門司亮

    門司委員 そのことの明確さを知ることのために、取手警察署長さんにおいでを願つてつたのでありますが、おいでになりませんので、今の隊長の意見を一方的な意見として聞いておきます。  そこでさらに聞いておきたいと思いますことは、この事件の発生は四日であつて、検挙が九日あるいはその次の日に行われておる。しかも町長は、その以前に警察を訪問し、さらに新聞記者のクラブを訪問して、一応陳謝の意を表されておる。このことは検挙とは別な問題であつて、当然警察警察としての処置をとるべきであるということはわかる。しかし二百名の武装警官をもつてこれを行わなければならなかつたほど、町の情勢は悪化しておつたかどうかということであります。     〔西村(力)委員長代理退席、委員   長着席〕
  41. 長岡篤

    長岡参考人 二百名の武装警官を出動させたことについての御質問でありますが、あの当時の事情を申しますと、制服警官は百四十五名でありますが、その百四十五名の警官の出動を命令するだけの必要は確かにあつたと思うのであります。またその判断は誤つていないというふうに現在でも考えております。武装警察官というふうなお話でございますが、刺激をできるだけ避けるという意味で拳銃は所持させないとか、あるいは言動には特に注意させるというような注意は配つてつたつもりでおります。
  42. 門司亮

    門司委員 今のお話では九日にそういう町の状態で百四十五名と言われておりますが、百四十五名であるかどうか、新聞には二百名と書いてある。しかしいずれにいたしましても、これらの事件警察が円満に処理して行こうとするには、さきに町長さんがお見えになつて、了解を得るといつては、少し言い過ぎだと私は思いますが、一応お話になつておる。そういたしますならば警察といえども、この町長あるいは町民の意思をくんで、そうしてこういう大がかりな威圧的な処置をしなくても済んだのではないかと思うのです。これは私も今まで長い間労働運動をやつおりますので、いろいろな事件に遭遇いたしておりますが、警察もいろいろなことをやつておる。お互いの話合いの上において、その当時暴行を働いた者の引渡しを責任者に要求するというようなことが、ある程度行われていた。ことに町長自身が町の責任者であります関係において、いろいろそれが悪かつたという意思表示をされております以上は、それの結末はいずれかの犠牲者と申しますか、それについての責任者をお出しにならなければ、問題は解決つかないであろうというくらいのことはおわかりであると思う。この町、あるいは町長が当時誠意を披瀝いたしておりますのに、その町長の誠意の披瀝というものがほとんど買われない。わずかな、全町あげても三百五十戸かそこらの小さな町でありますここに、ほとんど家数の半分以上という警察官が、しかも朝の寝込みを襲うということになれば、町民の恐怖感というものは非常に大きなものになります。警察が住民に対して恐怖感を抱かしめるというようなことは、警察行政の上において最も愚劣な策だと私は思う。少くとも警察はあくまでも民主警察の建前において、取締るべきものは取締る。なすべきことは警察立場から行うということは、当然行われなければならぬ。しかし少くとも先ほどから申し上げておりますような、住民に威圧、あるいは威力というような形の上において、警察任務を執行するということは、明らかに官治行政下における権力行政のあり方だと私は考える。従つて今の答弁だけで私は満足するわけには参りません。それは町会が決議した三つの事項に対するあなたの御答弁内容でございます。その答弁はきわめて好意的には答弁されておる。私どもは町会の決議をあなたのように受取つてはおりませんが、町会では、今後こういう事件が起るという場合があり得るから、一名の町会議員を詰所に派遣する。さらにそういう事件が起るかもしれないから、各区域ごとに資金カンパを行う。これらのことは新聞紙でありますから、私は必ずしもそのままには受取りませんが、そう書いてある。それに対してあなたはそういう事件が起らぬように、親切に詰めれておるのである。同時に将来こういう事件を起すから、あるいは起るから、そのことを予測して資金カンパをしたのではない。四日の犠牲者には金がいると思うから、それを援助するための資金カンパであるというふうに、きわめて町会に対して善意の御解釈をされておる。私はそうは思つておらないが、これだけ善意に解釈なさるならば、四日に事件が起つて、翌々日かに、わざわざ町長があなた方を訪問されて、誠意を披瀝されておる。これをあなた方は全面的に受入れらるべきであつた。このことをあなたが受入れられるならば、何を好んで朝まだき多くの警察官を動員して検挙しなければならなかつたか。私は警察隊長としてのあなたの真意を疑う。現に私どもが今日問題にしておるのはこの点であります。町がまつたく無警察状態に置かれておるということを町会では決議しておる。このことを非常に憂えるのであります。このことを私どもきようは十分ただして参りまして、そして正しい民主警察のあり方がどうであるかということ、あるいは町政の民主的運営とはどういうものであるかということを十分研究し、調査したいためにおいでつておるのであります。先ほどの御答弁の御意思と、あなたの今お答えになりました御意思は、非常に大きな食い違いを持つておると思うのでありますが、この点については、今のところ一体どういうようにお考えになつておるか。私が繰返してはつきり申し上げておりますように、隊長の言われたように四日の事件に対しては、そういうことの起らぬように、消防団だけにはまかしておけないから、町会議員が出て、ある意味おいては鎮圧するとか、そういうことの起らないように防止する。第二項については、こういうことは将来起り得ない。ただ四日の日に起つたものについてだけの資金カンパをきめたのだ。きわめて好意ある御解釈である。この御解釈の上に立つならば、しかもそれは九日でありますから、それから五日も日がたつておる。当然その親心で町長なり責任者にお話を願つて、こういう威圧的な検挙をなさらなくても済んだのではないかというように、私自身は考える。この点について隊長はこれを行き過ぎであつたとお考えになるかどうか、これは当然であつたとお考えになるかどうか。
  43. 長岡篤

    長岡参考人 民主警察のあり方、特に警察力をいたずらに威圧的な方面に使うべきではない。こういう意味門司委員の御見解でございますが、そのお気持は私もすつかり同感でございます。当初からその気持で行動しておるつもりであり、現在でもその気持はかわつてないつもりであります。ただ事態をどういうように受取るかという点について、私の考え方がまだ御了解得られないようであります。その前にちつと申し上げたいと思うのでありますが、先ほど御指摘になりました三点についての私の解釈であります。私が三つとも非常に好意的に考えておるというようにおとりになつたようでありますが、私の申しましたのは、犠牲者に対する資金カンパの点は、確かにあの事件についての資金カンパだ。これはまだ検挙されておりません。きよう検挙されるか、あす検挙されるかわからないような状態にあつたときでありますから、その点についてはあの事件の資金カンパだつたと私は考えております。ただあと二つの、町議一名が詰めるという真意は、どこにあるかという解釈、あるいは町長について来いと言つたその問題はどう解釈すべきか、好意的に善意に受取るべきか、あるいは悪意に受取るべきか、——善意、悪意という問題でないかもしれませんが、好意的に受取るか、あるいはもつと非常に深刻に受取るべきかという問題については、現在でも両方の考え方ができ、まだ私としては決定に達してないということを先ほど申し上げたのでありまして、あのときの真意は全部事件をこれで食いとめようというような意味で、決議になつたのだと解釈するというふうに、私は決して申し上げておるのではないのであります。それから事件の起りました翌々日——六日の日に町長さんがお見えになりまして陳謝の意を表し、しかも警察側と今後提携するについては、できるだけ協力を惜しまないという意味発言がありました。それからあとで聞いたのでありますが、取手警察署長のところへも参られて、同じような発言があつたと聞いております。しかし私はその場合に、こういう意味で返事をしておいたのであります。被疑者の検挙ということについては、警察で独自の立場からやる。どういう事件でありましても、町の幹部の人たち、有力者の人を通じて、参考人とか被疑者を出頭させるというようなやり方を、とるべきでないと私は考えておりました。事実少し言いにくいことでありますが、その後参考人として現在に至るまで、相当の人の出頭を求めておるのでありますが、その場合には、明らかに打合して来られたのではないかと想像されるような状態になつて来ておるのであります。あの場合一挙に十三名の被疑者の人たちの身柄をとつたということは、私は事件はつきり解決する上において役立つたのだ、間違つていなかつたと現在でも考えております。それからただ町長さんに、できれば協力してほしいと思つた点は、被疑者を確認することと、証拠を集めることであります。その点について町長さんは、あの渦中にいられたのでありますから、できればその点について協力を願いたいと考えておつたのでありますが、残念ながらその後、私ではありませんが、係の者が町長さんからお聞きしました場合には、かんじんのところに行きますと、逃げていられるのであります。これは町長立場としてやむを得ないと思うのでありますが、そういう点で今後検挙をし、事件を固める上において、実際上の協力は得られない、こういうふうに考えたからであります。
  44. 西村力弥

    西村(力)委員 関連して国警隊長にちよつとお伺いしたいのですが、資金カンパは四日の事件に関連して、犠牲者が出るために決議せられたのだとあなたは断定せられておるが、そのほかの二つについては、好意的であるか、あるいはもつと深刻な内容を持つかということは、今もつて判断ができない。こう仰せられますが、しかし警察はそういうぐあいに瞑想にふけつて思索をもてあそぶというようなことではならぬと思うのです。そしてこれはどちらとも判断がつかないままに投げておつて、もし深刻な決意を持つてそういう決議をされたのならば、これは治安上の問題が出て来る。これははつきり予測されるわけです。そういうことであるならば、町長さんあるいは議長さんたちと腹を割つてお話になつたらいいのじやないかと思うのです。それをなさずに、哲学者のようなぐあいにやられるのは少しおかしいじやないか。そういうことをなさつたことはありませんか、それをお伺いしたい。
  45. 長岡篤

    長岡参考人 御指摘のように、いたずらに思索、瞑想にふけるというのは、警察としてとるべき態度でないことは確かでありますが、ただ非常に解釈に苦しむという場合もあるのであります。それは結局その後の動き、状況によつて判断するよりしかたがないと思うのでありまして、今のところ最後的な結着をつけるところまで行つていない。町長さんを前に置いて言うのは非常に言いにくいのでありますが、地元新聞記者人たち町長さんに対する批評でありますが、指導力といい、手腕、力量といい、非常に大したものだ。まさに一個の怪物であるというふうな言い方をしておられて、非常に残念でありますが、私自身もその点についてまだ結論は得られない状態なのであります。
  46. 門司亮

    門司委員 もう一つ隊長に聞いておきたいのですが、隊長は武装警察官でない、こう言われたのですが、隊長はピストルを置いて行けと言つたという話であつたが、写真が出ておりますが、この写真は違いますか。警察官がちやんとピストルを腰に下げて、棒を持つて、鉄かぶとをかぶつてつておりますが、これでも警察では武装でないとおつしやるのですか。一体どうですか。
  47. 長岡篤

    長岡参考人 武装警察官の定義でありますが、その写真はおそらく当日の写真だろうと思います。私は拳銃を下げて行くなと言つたのは、一般の分隊員でありまして、そのうちの特に幹部の者だけは、それを持つて行くことを許したのであります。
  48. 門司亮

    門司委員 私は実はそういう武装の定義というような答弁を、ここで聞こうとは考えておらなかつた。一体この写真に載つている警察官は、私は幹部とは考えない。中に私服の警察官が入つて、そして検挙している。その家の前に立つている人が、鉄かぶとをかぶり、ピストルをちやんと持つて、棒をこう持つてつている。私は少くとも警察隊長がそういう命令をされても、事実はやはり武装警察官がおつたと考える。私は、一体武装警察官というものは何だというような、武装警察官の定義をここで聞こうと思つていない。今日の武装警察官というものが、どういう性質を持つてどうしなければなら在かというと、われわれは相手におい相当の反撃があり、あるいは相当な問題を起すであろうということの予防策であると思います。これは威圧的なものじやありません。もしあなた方が、鉄かぶとをかぶり、ピストルを持つて、そして隊を組んで行くことが、警察の威圧であるとお考えになつていたら、それは非常に大きな誤り、だと思います。私は終戦後の日本の新しい警察をこしらえるときに、当時国会におつてこれの起草の一部分に携わつて来ている。その当時における考え方は、警察態度というものは、今までの官吏警察の、おどかす警察はやめよう、できるだけ民主警察にしようということで、今日警察官にピストルが許されており、あるいは棒が許されているということは護身用であります。決して威圧するものじやありません。しかも最近においては、ピストルを持たしていると往々にして間違いを起すから、できるだけふだんはピストルを持たさぬようにしよう。今日の民主警察のあり方からするならば、日本の国民は全部ピストルは持つておらない。アメリカのように、個人々々が凶器——と言うと言い過ぎかもしれませんが、ピストルを持つことを許されておらない。そういう国民自身が何ら他人に危害を与えるような、そういう飛び道具を持つていないときに、警察官だけが常時ピストルを持つて歩くことはいかがなものか。従つてこれはやめた方がいいという考えも今日あるのであります。これはきわめて常識的な意見だと思います。にもかかわらず、あなたは今幹部だけにこれを許したということであるが、写真で見ると、この人は幹部とは思えない。どの辺から幹部と言うか、その幹部の定義というようなことになると、これまためんどうなことになると思いますが、いずれにいたしましても、私どもが常識的に考えて幹部とは受取れない人の服装であります。そういたしますならば、明らかに普通の巡査の諸君が武装しておつたとしか私は考えられない。これは明らかに護身用であると私は考える。そういたしますならば、今隊長お話のように、町にはどうも不穏の空気があつたから、こういう処置をとつたというようにお考えになるのは、一応私にもうなずける。しかし問題になるのは、こういうことが治安の確保の上でよかつたか悪かつたかということである。今お話のように、この事件というものは、単なる博徒やあるいは不良のけんかではありません。これはきわめて大きな政治性を持つている一つの問題であります。こういうきわめて大きな、長年にわたる政治性を持つた事件の発生した後におきましては、ことさらにこの点私は警察当局としては注意すべきであると思う。これが博徒の集まりであつたり、あるいは不良少年の集まりで、切つたつたのけんかなら、これは武装を許してもいいかもしれない。しかし何十年という長い間、地元にとつてはきわめて大きな政治問題として扱われているその問題が、たまたまここに発生いたしましたときに、何か国家が、いわゆる国家地方警察と申しても一つの国家の機構であることに間違いはございません。それが町民のこうした憤激に対して、威圧的な態度と思われるような処置に出られたということについては、私はあまりにもこの事件の政治性を考えない一つの行き方じやないかと思う。これは私の政治感覚から申し上げる言葉でございますので、取締り関係から言えばあるいは違うかもしれないが、しかし私はそういうことが考えられる。従つて先ほど西村君からもお話をいたしましたように、この問題について、その後町当局警察当局の間には、再びこういう問題の起らぬように、ひとつお互いが善処するというようなことが考えられて、お話合いを進められたかどうか。  それからもう一つ、このことは町長さんにお聞きいたしておきたいと思いますが、警察は、さつきの御答弁によりますと、このことについてはしばしば注意をし、警告をしたというようなお話があつたわけでありますが、町長はそういう事実を受取つておいでになるかどうか。
  49. 山田正雄

    山田参考人 警察隊長さんにお会いしたのは十月の三十日と十一月の六日と二へんであります。そのときに隊長さんが、先ほど申されました通り警察立場は中立である、しかしながら不法な行為が起きた場合には、断固取締らなければならない、こういうことをはつきり私は承つておりますし、私自身もそのような事態のないように心がけるということをはつきり申し上げております。
  50. 長岡篤

    長岡参考人 むしろ前に申し上げるべきであつたかとも思うのでありますが、四日の事件が起きましてから第一回の手入れをいたしました九日までの間おけるいろいろな状況でございますが、制服の警察官を百四十五名出すべきだと判断しました理由でありますが、それは現に四日の日に鐘を一つたたいたために数百名の町民が集まつて、しかもその一部は暴徒と化した事実があるのでありまして、少しくらいの警察力でもつては、そういう場合に検挙の目的を達し得ないばかりか、警察官の保護という点についても危険性があるのじやないか、こういうふうに判断をしたのであります。現地の事情は、まだ四日の事件の直後でありまして、その当時の状況は、私たちの判断しておりましたのは、記者団に対する暴行は戦略的にはまずかつたというふうには認めておりましたが、まだ暴力を根本的に否定するという状態には立ち至つていなかつたわけであります。同じく四日の日の事件の起きました直後でありますが、警察建設省の味方だ、派出所に押しかけろ、派出所をぶつこわせというような声をあげながら、役所のすぐ前にあります巡査部長派出所に百名余りの人が押しかけているのであります。警察官は職務を執行するから、警察官に対してはそういう反撃がないだろうと推測することは、むしろあの場合としては無理な状態であつた。それから十一月の八日でありますから、検挙の前日でありますが、布川町の中に、布川町の英雄を警察の手に渡すなというような意味のポスター、ビラが相当張られているのであります。以上のようないろいろな理由によりまして、警察力を使わずして逮捕を行うということはかえつて危険である、またそういう場合にいざこざを繰返すということは、地元人たちにとつて警察にとつても不幸な事態になる、こう判断したからであります。
  51. 中井一夫

    中井委員長 門司君に御相談いたしますが、時間も一時を過ぎました。それから建設省から米田河川局長見えております。この際米田河川局長の陳述を聞きたいと思いますから、さよう御承知を願います。
  52. 門司亮

    門司委員 どうぞ……。
  53. 中井一夫

    中井委員長 米田説明員に申し上げますが、本日ここに御出席を要求しましたのは、御承知のごとく、先般布川町におきまして、小貝川の改修問題から、町民新聞記者諸君との間に、騒擾的な問題が起りました。それについて孝委員会はその実情調査を進めておるのであります。つきましては、その原因である小貝川が利根川へ入るその入口を変更することにつき、従来から、及び今日現に計画をされているその計画に、いろいろの変遷あることを承知いたしました。そこでその変遷の状態と、問題の根本になつたその小貝川変更のいわゆる背割案、それが何ゆえ唯一の方法としてとられなければならないか、こういうことにつき御陳述を願いたいのであります。
  54. 米田正文

    ○米田説明員 小貝川のつけかえの計画の決定いたしました経緯と、今日のその事業化の状態等について申し上げます。御承知のように小貝川は、ずつT古くから治水の面で、いろいろと研究もせられて来たのでありますが、特に昭和十年に利根川に御承知のような大出水がございまして、そのときに小貝川利根本川の影響を受けまして、高須村地先におい堤防が切れまして、溢流いたし、下流一万数千町歩の浸水を生じて、大惨害を起したのでございます。それから特に小貝川の合流点つけかえの問題が論ぜられて来たのでございます。御承知のように、小貝川のすぐ下に布川の狭窄部がございます。いわゆる隘路がございます。その隘路のために、上流から流下して参ります洪水が、いわゆる排水が悪くなつて、水を流す能力がそこで阻害せられまして、水位を上げるという結果を招来いたしておるのでございます。河川の治水の計画におきまして、全川の計画は、いつも洪水の疏通をよくするということが、治水計画の根本でございます。そこで小貝川下流については、この狭窄部の問題を、どうして解決するかというのが、利根川全体として見ましても、一つの大きな問題でございます。昭和十年の大出水があり、さらに昭和十三年にも大出水があり、昭和十六年にはまた小貝川の決壊を生じたところの大出水があつたのであります。こういうたびたびの水害の実情から、小貝川のつけかえ計画というものが研案されました。そのいろいろな経緯はございましたが、通称いわれております冨永案という一案ができまして、これが利根川増補計剛に載せられたのでございます。その後戦争のために全国の治水事業というものが遅々として進まなかつたのでございます。そういう事態が戦争中を通して常態でございました。  それから御承知のように、終戦後においては、再び利根川の全川にわたつて昭和二十三年のキヤスリン台風という大水害をこうむつたのであります。このときに建設省といたしましては、この昭和二十二年のキヤスリン台風による大出水を基本にして、治水計画の根本を再び研究をいたしたのでございます。その結果小貝川のつけかえ計画もまた再び研究をいたしたのでございます。そうしてその計画と前申しました富永案と比較検討の結果、背割堤案に変更決定をいたしましたのが、昭和二十六年の夏でございます。そのときにきまりました案が、今日実施をしようと計画いたしておる案でございます。冨永案から現在の背側堤案にかわりましたのは、いろいろ理由はございます。いろいろ理由はございますが、その大きな理由は、日本のこの狭い国土をできるだけ土地をつぶさないということが、骨子になつておるのでございます。土地と申しましてもいろいろの土地があるのであります。農地あり宅地あり、それぞれ土地の質は違うのでありますけれども、できるだけ国土の利用面積を狭めないようにする、河川のために必要な土地をなるべく少くしようというのが、特に終戦後の強い考え方でございます。この背割堤案の方が前の案に比べて、土地が少くて済むというところに一つ原因がございます。  それからその次は工費の問題でございます。国費を支出いたします関係上、その国費をできるだけ安くする、いわゆる国の税金でやりますところの国費事業を、なるべく安い金で実施をするという方針のもとに、この案を採用する理由にいたしたのでございます。そのほかにもいろいろございますが、それらがおもなる変更の理由でございます。そういう理由で今の背割堤案というものを決定をいたしておるので、昭和二十六年、七年、八年とこの実施をいたすために予算の計上もいたしました。その予算に従つて現地で工事に着手しようということで、地方建設局をしてその実施に当らせたのでございますが、こういう仕事を始めるときには、まず用地及び物件の移転補償というような問題が重要な問題でございますので、工事の着手に先だつてそういう問題を解決すべく、いろいろと努力をして参つたのでございます。今日われわれの考えおります用地補償の問題について、一言いたしておきたいと思います。  内務省時代においては、御承知のようにそういう用地補償等の問題も、金銭補償を主として考えて参つて金銭補償をもつてつて来ておるのでございます。しかし終戦後、特にこの二、三年おいては、われわれの考え方は非常にかわつて参りました。これはもちろん今日の日本の全体の情勢が、さようにいたしたのでございますけれども、金銭補償ではいけない。できるだけ現地の状態に応ずる施設補償で行こうという考え方になつておるのでございます。すなわち宅地、耕地等のつぶれたものは、できるだけそれに近いもの、ある場合にはそれより多い場合もございますが、できるだけその当時の状態に近いものを施設で補償して行く、金銭補償はなるべく少くして行くというような考え方をいたしております。  なお生活再建と申しますか、土地をとられる結果、その土地をとられた人の生活が困窮に陥ることのないように、生活を再建する手段をいろいろと考える。これは現地々々の実情に応じて考えるべき問題でございます。そういう方途を各地で現在いろいろととつておるのでございます。この小貝川下流のつけかえ計画についても、私どもそういう考え方で、この問題を処理いたしたいという考え方をいたしております。その具体案については大体の構想はできておる。しかし具体的に詳細にはまだ今後余地が残されております。今日建設省といたしましては、小貝川のつけかえ案は背割提案で行くという方針で、その実施を利根川全体の治水計画の一環として極力早く着手し竣工させたい、そのための現地の用地あるいは家屋移転等の補償については、先ほど申しましたような方針で、極力円満な現地との解決をはかつて推進をいたしたいという考えを持つております。
  55. 中井一夫

    中井委員長 ちよつとお尋ねしますが、ただいまの御説明のうちで、富永案というのは豊田というところから藤蔵河岸に至る、そういう改修案ですか。
  56. 山本三郎

    山本説明員 冨永案と申しますのは、豊田堰という堰がございますが、その間から分離いたしまして藤蔵河岸のところで利根川に入る案でございます。
  57. 中井一夫

    中井委員長 それは昭和の年代に入つてからできたものですね。
  58. 山本三郎

    山本説明員 昭和十四年の国会で利根川の増補工事というのが認められましたが、そのときの計画にありまして第一期計画の中には、その計画は入つておりませんでしたが、昭和十六年に小貝川のつけかえ工事が繰上げになりまして、第一期案の中に入つた計画です。
  59. 中井一夫

    中井委員長 山田参考人にお伺いしますが、先ほどあなたの方の陳述のうちに、明治年代に一つの案があつたと言われておる、それは砂破から鍋子新田に至るいわゆる郡境案というものですか。
  60. 山田正雄

    山田参考人 明治の四十一年から佐原—取手間の工区の一つとしてまず考えられた案は、大体の道筋がその辺にあつたように私は承つております。これはもちろん私が実は記録なり当時の図面というものがありませんが、キロ数からいつて十二キロの路線ということに相なつております。その路線については建設省の若い方々は全然御存じないように思つております。それは大出技官も全然知らぬと言つておりました。
  61. 中井一夫

    中井委員長 門司君、おわかりになりましたか。今の三案ある話。
  62. 門司亮

    門司委員 大体わかります。
  63. 中井一夫

    中井委員長 それじや右の三つの案のあることがはつきりいたしたのですが、それが何ゆえにきわめて最近になつて背割案というものにかわつたのですか。それは先ほど局長が言つておられるそういう理由だけですか、ほかに何か三案のうち背割案が最近になつて決定され、かつこれを推進せられようとする理由、根拠はどこにあるのですか。
  64. 山田正雄

    山田参考人 小貝川背割堤路線によつてつけかえるということをきめたのが、昭和二十六年の七月十二日であります。そして同じく八月六日に茨城会館におきまして前治水課長の伊藤剛君が約十分間にわたつて、懇切丁寧な説明をされました。そのときに質問がございまして、その当時の目黒河川局長小貝川総合開発委員会の依頼を受けたので、いわゆる富永案にかわる路線として、背割堤案というものをつくつてみました、こういうように御説明に相なつたことははつきりいたしております。技術的にいいか悪いかということにつきましては、いわゆる冨永案のときにも、私は再生再四関東地方建設局に行つて申し上げたのであります。今度の説明書に書いてあるような欠点があるんじやないかということを、私はもうすでに三年も五年も前に申し上げてあるのです。ところが今申し上げた程度の根拠しかないように、私は目黒河川局長説明から考えたのであります。さらにまた大体三案と申しましたが、実はそのほかにも現在の堤防を補強すべきかどうかという問題も、残つているということをつけ加えておきます。
  65. 米田正文

    ○米田説明員 富永案から背割堤案になりました事情は、先ほど申し上げた通りでございます。今新しくお話の出ました郡境案と申します案は、これは今山田町長が言つておられましたように、昔こういう案もあつたのでございます。これらの計画の変更のときには、そういう案についての考えももちろんいたした上での結果でございます。  なおもう一つの案は、現在の小貝川堤防そのものを補強するという案もございました。もちろんこれは一つの考え方でございまして、現在の小貝川そのものを補強したらいいじやないか、ほかに土地をつぶすというようなことなしに、現在の堤防を補強してやつたらいいじやないかというので、私どもも一応案ができるのでございます。ところがこの案は考え方としては、非常に平易な考え方で出て来るのでございますけれども、実際にやつてみますと、技術上から申して非常に困難な問題でございます、用地のつぶれるという問題も非常に大きいのでございます。なおかつ堤防が非常に高さの高いものになるというような問題がございまして、かえつて工費も用地も多くかかる、しかもなお根本的な問題としては、この隘路の解決にならないというようなことでございまして、この問題も検討をいたした結果、採用をしないという結論になつたのでございます。
  66. 山田正雄

    山田参考人 ただいま河川局長がいわゆる郡境案についても調べたとおつしやりますが、不幸にしてそれはうそだという確実な資料があるのであります。昭和二十七年十二月十日衆議院議員勝間田清一名をもつて国会法第七十四条によつて私は質問していただきました。これにこういう条項があります。「小貝川合流点を附替えるために、その路線を選定するについては、数箇の案が詳細に検討された趣であるが、それ等の調査資料全部を示されたい。就中受益町村尤けを通過する路線……」「すなわち旧河道に沿う小貝川合流点附替えを要望促進している町村だけを通過する路線を捨てて、背割堤による路線を建設大臣が一番よい案として決定するに至つた経過を示されたい。」こういうような質問をしましたところ、どこでこの質問の主意書を変更したかしれませんが、これについてこういうようなことが書いてあるのでございます。「小貝川合流点附替えのための路選線定については数箇の案が詳細に検討されたとのことであるが、」まではいいのですが、受益町村だけを通過する路線……」すなわち小貝川合流点つけかえを要望促進している町村だけを通過する路線というので、ここの文句が違つております。それに対する答弁たるや、まことにこつけいでありまして、実際に調べた材料を出せということで、衆議院議員の方々を頼んで出したのによこさないのであります。これは明らかにそういうものがないのだということははつきりしている。答えはこうなつております。小貝川合流点つけかえ路線の選定にあたつては、個々の地元の要望等に拘泥することなく、純技術的経済的観念を基礎にして決定したのである。こうしておいて材料をよこさない。やつておらぬということははつきりしておる。これは県の土木部長もその通り言明している。さらにいま一つ、限定補強について用地がつぶれるということはうそだ。この答弁によると、七十八町歩しかかからないと書いてある。こういうことを建設省の当の責任者である河川局長が御存じにならないはずがない。今までの質問の点から考えると、すべては富永案にけちをつけるということに終始しておるだけである。限定補強なんかについても、私はこれで質問してあるのです。どれだけの経費がどういうふうにかかるのか、それまでこまかく調べてあるかというので、これは読んでもよいのですが、省きますけれども、そういうこまかい点の資料を出せといつたら、経費は総額で二十二億円だとつつぱねて来ておる。これは少くとも衆議院議員を侮辱する答弁だと私は考えざるを得ない。こういうことをもつて建設省方々が、ともかくもう皆割案でやらなければ、建設省の面目が立たぬということからかもしれませんが、土地収用法でやつて来るという。それはやつて来なさい。しかしながら、私はそれに対する質問をもう一つつてある。こういうことかといいますと、立入り調査をするというならば、土地収用法八十三条によるところの耕地の造成ということはどうするか、八十六条によるところの宅地の造成についてはとういう計画があるか、こういう質問をした。ところがそれも全部内容をぶつこわしてしまつて答弁をこういうふうにごまかして来ておる。すなわち、この問題は、建設省がいきり立つて、土地収用法で強制立入りをやるという考え方が、最近起つて来たそうであるが、はたしてそれが妥当なことでありましようか、八十三条と八十六条は、国民の利益というものを擁護するためにできている規定ですよ。建設省のね役人さんに都合のいい土地収用法の条項だけをふりまわして、国民の利益を擁護するところの条項を無視して、土地収用法をやるということが、はたして皆さん正しい政治でありましようか、この点私は疑わざるを得ないのであります。建設省のお役人さんがいくら逆立ちしたつて——この本新島村は干拓のところへ行け、霞ケ浦より水位が一メートル五十も低いところです。それから神ノ浦というところ、これは私の友達なんかがたくさんいるところでこの点よくわかつておりますが、まだ私有地です。これは今のような五百馬力でやつてつたら、まず三十年かかつてもとうていりつぱな田にならぬところです。そういうところへ行け。しかもそれだけではまだ足りない。それから布川町を集団的に移転をするために、裏の台地を整理するということを書いてある。その台地を整理すると水害の心配のないりつぱな住宅地ができるというようなことを言つておる。水害がなくなる、そのためにつけかえをするといつておきながら、水害の心配のない高い台地ができるというようなことを、これは言葉じりでしようがありませんが言つておる。ところがそこへ集団的に移転する。そうしてたんぼはどこだというと、一番近いところで一里半も離れておつて、神ノ浦は三十年たたなければたんぼにならぬようなところだ、遠いところは七里も八里も離れている。そういうところへ行けというのです。これはもちろん建設省だけのやるところじやなくて、県が協力すべきだということを、ここにおるおえら方は言つておりますが、そういうような事情になつているのです。そういうところで土地収用法でやれの何のということは、はたして正しい政治であるかどうかということを私は疑わざるを得ない。私はおそらく土地収用法なんかでやつて来まいと思うから、今度のような不祥事件は絶対に起り得ないと信じておるのです。それですから他の質問にも答えましたけれども、私は絶対に不祥事件は起らない。おそらく今のようばかばかしい方法で、建設省のお役人さんは来ないだろう、少くともりつぱな政治家がその間に入つたならば、必ずそういうふうに取扱つてくれるだろうと私は信じておるわけです。この問題の特徴は全国に類例がない。なぜかと申しますと議員の先生方はおそらく経験がございましようが、ああいう利害相反するようなところで仕事をやるときは、だれか中へ入つて両方の調和というものをはかるように当然なつておるものです。ところがこの問題はどうでしよう。一人の国会議員もおりません。県会議員もおりません。あの一町二箇村はぶつつぶしてもいい、山田というやつはぶつ殺してもよいのだ、堂々とそういう言葉が言われておるのであります。それほどまでに脅迫が来る。昨年の六月三十日の建設委員会では、先ほど申し上げた土田右馬太郎という方が、上流の方には義人佐倉宗五郎がたくさんいる、こういう脅迫文をつきつけておる。建設委員会でそう発言しておるのです。さらに今年の七月十三日の予算委員会第四分科会におきましては、葉梨新五郎氏が、このままほつておいて水害が起きたら、流血の惨事が起る、流血の惨事とはどういうことかと申しますと、私の考えでは、反対しているためにこのつけかえ工事ができない、あいつはなはだけしからぬから、血を流してしまえと言わぬばかりのこと、これが速記録にさえ載つておるのでございます。そういうことがなければおそらく私は今度のような事件は起らないと考えておる。良識のある建設省係官が行動する限り、今度のような不祥事態は絶対に起らないのだと考えておるのは、そういうことから来ておるわけでございます。
  67. 中井一夫

    中井委員長 御質疑はありませんか。
  68. 門司亮

    門司委員 建設省河川局長にお伺いしておきたいが、問題の焦点は、直接受益者と関係のないところに、川をつけようとするところにあると思う。これは最初の案は、書類を見ますと明治三十三年にあつたと書いてあります。そうすると約五十年余りの昔の話であります。明治三十三年から昭和五年に至るまでの間は、大体郡境案が支持されている。従つてこれを施工しようとしたが、それは戦争でというか、非常に困難な状態にぶつつかつておる。さらに富永案についても、昭和十四年でありますか、十五年でありますかに考えられた。この両案はいずれにしても直接洪水の洗礼を受ける、言葉をかえていうなら被害地である所を通る。ですから住民としては一応大した反対はないのじやないか。多少の敷地もつぶれようし、あるいは不便ということもあるではあろうが、しかしそのことによつて何箇町村かが救われるというなら、一応私は説得が容易であつたと思う。しかし今度の所は、洪水が出ても何も大して関係のない所であつたということになりますと、広い政治的な意味からいえば、別に問題にならないかもしれませんが、住んでおいでになる方を考えてみると、自分が何か他町村のために犠牲になるような気持がそこに流れておるのではないかと、われわれには受取れるのであります。そういう点はあなた方としてどういうふうにお考えになつておりますか、一応聞いておきたい。
  69. 米田正文

    ○米田説明員 計画案が今日の背割案にかわつて来ました経過のうち、最初の郡部境案というものがあつたことについては——私は山田町長に直接ここで答えをしようという意味ではありませんけれども、うそを言つておるというお話もございましたので、一言申し上げます。われわれそういう郡部境案についても検討したけれども、これはもう問題にならぬので、だから私は最初この問題は考慮をいたしたのであるということを申し上げました。うそを申しておるわけではございません。それで今の御質問の御趣旨の、水害を今こうむつておらないところに川をつける、そうして今まで水害を受けたところをみな守るという案よりも、むしろ今水害を受けておる地域に川をつくつて行けば、すでに水害をこうむつておるところだから、その用地の取得の方が話合いがつきやすいだろう、こういうお話でございますが、私どもも一面できるだけのそういう配慮はいたしております。けれども一般論から申しますると、たとえば利根川について申しましても藤原に治水上の洪水調節堰堤をこしらえました。そうするとその水没地域になる土地の人たちは、下流のために自分らは犠牲になるという感じを非常に強く持つた。あるいは最近筑後川の治水計画をやつておるのでございますけれども、上流の大分県側にダムをつくつて、洪水を調節しようという計画を立てますと、その水没地の人及び大分県側は、下流の福岡県のためにわれわれが犠牲になる、こういうような考え方を非常に強く持つて反対をされる向きがございます。そういう面をまたわれわれの全体の国土保全の立場から考えますると、そういう地域、ブロツクというような行政区画でいろいろと利害を言われることが実は非常に困つおる、われわれとしては水系全体として見て、なるべく安く、なるべく簡単に工事が行つて、用地等の犠牲もなるべく少くするという国の見方から、どうしても立てざるを得ないのでございます。それを町村の行政区画とか、県の行政区画というような面でその犠牲を云々されることが、今日非常にわれわれとし困つておるのでございます。それで今のお話のように、すでに水害を受けておるところのその地域内において、貯水計画なるものが立てられる場合には、極力私どもとしてもそういう配慮をいたしておりますけれども、全体として見ます場合に、必ずしもそう行かない場合が多いのでございます。この場合においても今私の申しました観点から、この背割堤案が最も工費も少くて済み、そのつぶれる用地も少くて済むというところに主眼を置いて、計画を立てておる次第でございます。
  70. 門司亮

    門司委員 これは行政区画の問題は別でありまして、私どもはそんなことは考えない。ただ私の聞いておりますのは、一応考え方はそれでいいかと思いますが、しかし実際において実行に移し得ないというようなことがある。それからもう一つは、これはこの機会にちよつとお考えを願つておきたいと思いますが、今の局長のお考えは一般論でありまして、われわれもそう考えております。国土保全のためには、どこにどういうものをつくればいいかということは、これは一般論であります。そのことのためには住民を納得し得る資料はあるのであります。それは河川でございますから、ここにどうしても堰堤をつくらなければ下流の洪水を防げないということになければ、必然的にそこに決定づけられた一つの定義といつてもいいほどに、問題解決のかぎを持つておる。ところがこの場合はそうではないのであつて、従来三つの案が立てられておりながら、その案が実行されておらないという所でありまして、やればやれるという所である。ところがただその反対の理由として問題になつておりますものは、耕地を少くつぶすということと、もう一つは経費が二、三倍——この数字で見ますとごくわずかであります。片一方は二十二億、片一方は士三億幾らというふうにこの数字に書いております。それだけの経費とそれから耕地をつぶすから、こちらがいいのだということだけでは、これはただちに地方住民にとりましては利害関係が直接身に響いて来る。私はその二つの理由でここにつけなければならないということは、今の河川局長さんのお考えとは、少し事実が違つていやしないか、これは大所高所から見て、どうしてもそこ以外にないのだという決定がつけられればこれはできます。たとえば東京都が小河内のダムをこしらえるについても、東京都の水源を確保するのには、あすこ以外にほかにかわりがあるかというと、まずない。だからこれは住民を納得し得るやむを得ない措置としてなし得る。明治三十三年と書いてあるから、すでに五十何年間にわたつてこの議論がなされ、そうして最後の案が比較的利害関係の少い村、あるいは町が犠牲にならなければならないということになつて参りますと、なかなか私は町として納得行くのが困難だと思う。ここに私はこの問題の起つた原因があると思う。従つてお聞きしておきたいと思いますことは、そういう困難性を伴つた問題でございますので、建設省としてはこれを実行されまするには、普通の今の考え方のような大所高所から見た国土保全のものの見方から来るのとは、少し私は考え方をかえていただく必要があるのではないか。そうして地元民にできるだけの協力を得るためには、親切丁寧にかくあるべきである、同時にこれに対してはこういうふうな補償をすべきであるというようなことが、当然なさるべきだと思う。これはおのおの生きておる以上は生活権を持つておりますし、それから百姓をしておる者が、ただちに百姓をやめてここへ行けと言われてもなかなか困難であります。従つて今の場合、局長のお考えよりも、むしろ一段進んだ親切丁寧な考え方がなさるべきだ。ところがこのことがはたしてやれておるかどうかということが、私どもは疑われますので、今まで地元に対してあなた方が補償されようとする計画がもしございますならば、この際とひつその御計画をお示し願いたいと思います。
  71. 米田正文

    ○米田説明員 その補償計画については、大体の案を持つておりますが、なお今後それに補正加除して行く研究の余地が残つておるということは、先ほど申し上げた通りでございます。今日詳細な資料、大きい図面は持つておりませんが、もし一応の御説明を必要とするならば、今ここで係の方から御説明申し上げてもよろしゆうございますが、大分内容はいろいろとございますので、ちよつと時間がかかると思います。
  72. 門司亮

    門司委員 内容もいろいろあり、時間もかかるということでございますから、それならここは建設委員会でございませんので、別段そこまで掘り下げて聞かなくてもいいのですが、しかし参考のために伺つておきたいと思います。御存じのように建設省のこの事態の収拾が、私は必ずしも不手際とは言いませんが、実際問題としてはこの処置がよろしきを得なかつたために、先ほどから申しておるような問題を起しておる。従つてその原因は、あなたの方が大体解決される誠意がなければ、この問題の解決はつかぬと思う。ことに町会においては、先ほどからいろいろ問答になつておりますように、どうも無警察状態のような形になつてつて、実にわれわれ遺憾に考えておる。従つて聞いておるのでありますが、それなら今までその具体案をもつて、町会あるいは県庁を通じて、正式に地元の公的機関に御折衝なさつたことがあるかどうか。
  73. 米田正文

    ○米田説明員 今申し上げました補償計画、補償対策案については、案を立てまして、小貝川総合開発委員会説明をしたのでございますが、なお町については町に説明方を申し入れましたけれども、まだその機会を得ておらないのであります。
  74. 門司亮

    門司委員 非常に奇怪なことを聞くのでありまして、事態がここまで進展して来て、こういう事件まで起しておるときに、建設省地元との間に、話合いがまだ一ぺんもされていないということは、私どもといたしましては受取りにくいのであります。建設省がこの町の円満な運営を期し、しかも大胆率直にこの仕事をされようとするなら、やはり知事——茨城県の知事は友末氏でございますか、きわめて物わかりのいい知事だと思いますので、知事を通じてなり、正式に町会なりに御相談をなさつて、そして今までのようなただおれたちの方は、最後には土地を収用する権利を持つておるからというような物の考え方ではなくして、事態を解決されることが私は望ましいと思うのであります。この点に対して今までなされなかつたことをここで責めてもしようがありませんが、将来一体どういうふうに解決されようとされるのか、お伺いしたいと思います。
  75. 西村力弥

    西村(力)委員 関連して、今建設省の方からお聞きしたことによつて、私はまつたく遺憾に思つておるのですが、それは山形県にそれよりもつとひどい事例が起きておるのです。それは軍用道路の問題なのですが、これを接収するということで、建設省が強制収用のあの適用を許可したのですが、それに対して十分なる調査をしないで、県知事の申請を許可しておるのです。それまでに至る過程をずつと見ますと、入札の三日前にこの土地が必要だから譲つてくれ、こういうことを言つて、それを譲つてもらうための条件は、一切示さずにやつておる、こういうやり方でやつて来ておる。それを建設省はうのみにして、そしてその許可を出しておるのです。だから非常に問題が大きくなつておるのですが、その根本を流れる一つ立場というものを、やはり建設省側おいて、謙虚な立場で考え直してもらわなければならないのじやないか、かように思われるのです。このたび地元の人が出て参りまして、道路企画課の方に陳情して、初めて事情がわかつた、こう言つておるのです。ことに私の県なんかは零細農が多くて、平均九反歩くらいな人が多いのですが、それを軍用道路にとられる。こういうことがはつきりしておるのに、そのために十分なる折衝が行われたかどうかということを調査せずに、ただ許可せられるというところに、今の官庁の行政が次第に独善的な方向に進んでおる要素があるのではないか、かように思われるのです。そういう点からいいまして、今後の処置につきまして、私も門司委員の質問せられた点についての建設省側はつきりした御意見をお伺いしたいわけなのです。
  76. 米田正文

    ○米田説明員 先ほど現地との話合いが十分できておらないじやないかというお話ですが、ことにこういう補償の問題等について、現地と十分話合いをした上でなければ話が進まないのが当然であつて、私どもとしては土地収用法等で強制的にやろうという意思は、決して持つておらなかつたのであります。どこまでも懇談をして話をまとめたいということは、私は建設委員会おいても御説明をしておきました。それはわれわれの方針でもあつたのでございます。ただこの治水計画の一環であるこの工事を、いつまでも荏苒として延ばすわけには参らないのでございます。そこで今日の事態に立ち至つて、今日すぐ現地と話合いをする情勢にあるかどうかは、よく現地の実情に応じまして、ひとつできるだけ早く現地との話合いをする機会をつくりたい。もちろん県にはその要請について、かねてから再々話をしておるのでございます。  あとの山形県の道路の用地取得について、十分事前連絡がなかつた、謙虚な気持が足りないというお話でございましたが、この問題も私案は承知をいたしませんけれども、決して建設省としては強制的な気持でやつておるのではございません。十分現地と話をし、十分な時間を置いてやるのを建前にいたしておることでございまして、できるだけ親切に取扱つて行きたいという気持を持つております。
  77. 門司亮

    門司委員 今の局長の答弁はきわめて常識的な答弁でありますが、しかし実際はそれと違うのじやないか。実際この問題の起つた一番の大きな原因は、私がさつき申し上げておりますように、公式の機関から公式の機関を通じて話が進められて行くということならば、一応わかるのであります。しかしこれは現地の新聞紙の報ずるところや、同時に私どもの同志が現地に参りまして調査をいたしました結果は、こういう不祥事の起つた原因というものはどこにあるかといえば、あなたの方の係員の諸君が、個々別々に戸別訪問をされて説得をされた、ここに私は問題があると思う。これは少くとも三箇町村にわたる大きな問題でありまするので、町会議員の諸君といえども、町村長の諸君といえども、それをそのまま見逃すわけに行きません。やはりでき得るならば自治体の一つのまとまつた行政機構として、町会なりあるいは村会なりを通じ、それが住民に相談をされて、そして意思決定をすることが、私は今日の一つのルートでないかと考える。こういうことが考えられないで、どうも町会にかけたりすると、うるさくてしようがないから、各個撃破で行こうということになつて参りますと、真の住民の意思が反映されない。意思が弱い人はだまされるというと語弊があるかもしれませんが、さつきから町長さんのお話を聞くと、あなた方のところからおいでになつた方が、農繁期でうちに女子供しかいなかつたというのに、判を押してもらいたいと言えば、お役人が来て判を押せというからいいか悪いかわからないが、とにかく判を押すんだということになると、これは住民の意思に沿わざる結果が出て来はしないか。そこで郷土防衛隊というものが必然的に必要になつて来て、お互いに一致の行動をとろうじやないかということで、今日の郷土防衛隊をつくつた。これが今日の問題を惹起した最大の原因であると思う。従つて今のお話のようならけつこうでありますが、事実はそれに反して各個撃破されたということは、私は事実であると思う。こういう姑息的な行き方が行われている限りにおいては、そのうしろには、やはり最後には国家権力によつて、これを処置するのだという古い物の考え方がひそんでいるのではないか。住民はそれを恐れるということのために、弱い者が身を守ろうとすれば団結以外に方法はありません。弱い者は勢いそうした団体をこしらえて、そしてこれがやがて町政の上にも、あるいは行政の上にも好ましからざる事態を引起して行くということは当然で、これは建設省の今までのやり方が悪かつたのではないかと考える。従つて今御答弁をされましたことが真意かということを申し上げると、はなはだあなた方の真意を疑うようでありますが、私は今までの行き方と総合して申し上げておきたいと思います。もしそういう誠意がありますならば、やはり私はこの問題はそうせつかちに何でもかでも、ことしやらなければならないということは、国土防衛の上から行けば、一応了承しないわけに参りませんが、それかといつてこういう大きな問題を惹起することも、あまりいい結果ではございません。この点については将来ひとつ今御答弁になりましたようなことで、お話を進めて行つてもらいたいと思う。  それからもう一つ最後に聞いておきたいと思いますことは、この背割案というものが、絶対不可欠の案であるかどうかということの見通しでございます。このことを聞きますのは、最初の郡境案というものが明治三十三年から昭和五年までの間、これが研究され、続いておつた。その次に冨永案というものは、これまた戦争がなければ、あるいはこれが行われておつたかもしれません。しかし戦争のために中絶されたことも、一つの事実と私は考えます。従つて今回の背割案というものが、過去のそうしたいきさつから見て参りますと、絶対不可欠のものではないのではないかというような一応の気が私はするのであります。これは決してあなた方に強要をするわけでもなければ、私はしろうとであり、現地を見ておりませんからわかりませんが、ただいままでの経緯を総合してみると、そういうことが考えられるのであります。その間にあたつて、先ほど資料お話を願いたいと言つた資料は非常に厖大であつて、なかなか困難であるということでありますが、なおその点については、私どもの同僚の勝間田君が質問をいたしました。そのことが答えられておりません。これは質問書と答弁書がございます。従つてもう少し明細にこういう理由であるということが、もしわれわれに知らしていただけるならば、非常に私ども幸いであると心得ております。ひとつその点を委員長からでも河川局長にお願いをしてもらいまして、そして資料提出を私はこの機会に要求していただきたいということを最後にいたしまして、私の質問を打切りたいと思います。
  78. 中井一夫

    中井委員長 資料提出は、どういう資料ですか。
  79. 門司亮

    門司委員 勝間田君から聞かれております、質問書が出ております。そしてこの内容については、さつきも町長さんからお話になりましたように、一番大事な、どうして背割案でなければならないかという明細なことが、これに書かれてございません。従つて今までの三つの案よりもこれがすぐれており、そうして不可欠なものであるという、地元のいきさつは別にいたしまし、て、国土防衛の上から納得し得る資料というものを、ひとつ出していただきたい、こういうことであります。
  80. 中井一夫

    中井委員長 米田局長、ただいまの門司委員の御質疑おわかりになりましたか。
  81. 米田正文

    ○米田説明員 勝間田さんの質問趣意書について不足の点、なおいろいろその後できた資料もございますから、つけ加えて送付することにいたします。
  82. 中井一夫

    中井委員長 なお門司委員の御質疑の要点は、地元と交渉を円満に行くべく、建設省としては最善の努力をせられたい。今までそれがなかつたことが、こういう事態を起す一つ原因ではないか、こういうことなんですが、それについてはこれから後おやりになりますか、どうか。
  83. 米田正文

    ○米田説明員 私先ほども申し上げましたように、この問題については現地の情勢を見ました上で、できるだけ早く現地で、とつくりと話をする機会を得たいと思います。  なお今までの経過の中で一つ申し上げておきたかつたのは、実は今度土地収用法の改正で、土地収用に入る前に、あつせん委員会というものを設置することをきめたのでございます。それでそのあつせん委員会の設置を知事に対して、大分前からでございますが、要請しておるところであつて、できれば私どもあつせん委員会の設置によつて、両者の交渉の円満化をはかりたいという考え方を持つております。というのは、こういう紛争というものは当事者同士で話をすることは、今はいろいろな困難な点もありますので、中にだれか入つて調停をする、いわゆるあつせん委員会というものがございますので、そういう制度をこの際利用するのが、適当な方法ではないかと考えております。
  84. 星野薫

    星野参考人 さつき資金カンパの件についてお話がありまして、委員会できめたと申しましたのですが、あれは二十八年の三月に町民大会で、町民から盛り上つてこういうことになつたので、そのときに新たにきめたものでないのですから、そこのところを御承知願います。
  85. 中井一夫

    中井委員長 これにて参考人に対する質疑を終ります。  参考人方々は、わざわざおいでいただいて、貴重な時間をおさきくださつたことを、委員会を代表して厚くお礼を申します。  本日はこれをもつて散会いたします。     午後二時六分散会