○
河野政府委員 それではお求めによりまして、
臨時金融制度懇談会における
外国為替銀行の
制度についての
答申について御説明申し上げます。
この
答申はこういう形にな
つております。
諮問をされたが、この
政府の
原案については、これを妥当とする
意見が比較的多か
つた。しかしながらこれはやはり妥当でないとする
意見もあ
つて、本
懇談会として
全会一致の
結論には到達しなか
つた。こういうのが要するにこの骨子であります。特にこの
答申案の中には、
政府案を妥当とするという点についての
理由は何らあげてございません。というのは、これは
政府案を出そうとしておるわけでありますから、
政府はいろいろ
諮問したのがいいと思うから、これはあげてございません。ただ
政府の案に対して、これは妥当でないという
意見については、その
理由がここに列記してあるわけであります。その
理由がここに列記してあるわけであります。その
理由は今お示しのように一から九まで大体まとめてあるわけです。
一つずつ御説明いたしますと、一は、「現在における
貿易金融の
実情にかんがみれば
貿易金融と
国内金融との分断は困難であ
つて、強いてこの間に分界を劃すれば、
金融の不円滑を招く。」
従つてこういう
専門銀行の
制度をつくることは適当でないというのがまず第一の
議論であります。この点は、私
どもも十分にこの問題の
討議の際に非常に考えた問題であります。私
どもは、
外国貿易金融あるいは
外国為替取引というものが特殊の
能力と特殊の
経験とを要する。これは大きな分類からいえば、もちろん
商業金融ではありまするが、
商業金融の中で、
外国貿易金融というものは非常に特殊な
能力と特殊な
経験を要するという点に重点を置いて考えておるのであります。もちろん
国内金融と
貿易金融とのつながりが全然ないということは申すべきでないと私は考えますが、すべての
金融について、ある
一つの
金融が初めから終りまで一本でつながらなければならぬということはないので、これは
縦割論、
横割論という
議論がよく言われますが、
金融というものは
縦割一本でつながらなければならぬという理論は理論的に成り立たない。早い話が、
長期信用銀行制度ができた。ある
一つの
企業会社に対して
長期信用銀行が
設備資金を出す。しかしそれに伴う
運転資金は他の
商業銀行が出すということはあり得るわけであります。それは何らさしつかえないと思うのです。問題は、その間の連繋というものがうまくとれさえすればいいと私は考えております。しかしながら現在の状況では、なかなか
日本の
金融情勢からいいまして、これを
はつきり横割に割切
つてしまうということはむずかしい。
つまり貿易金融の
段階は、これは
はつきりと
為替専門銀行がやる。しかしそこから先は全部
為替銀行が手を引くべきであるとい
つたような
意味における厳格な
意味の
横割論は
実情に即しないと思います。しかしながら、
方向としてはそういう
方向をとることは
金融制度としてさしつかえないものだと考えておるわけであります。現に
貿易界におきましては、この
為替銀行制度に対しての
意見として、
国内金融と
貿易金融とを
はつきりわけることが
貿易金融としてのあり方として正しい姿であるという
意見さえ出ておるようなわけであります。私はこの
意見に対して全的に同感をしておるわけではございませんが、そういう
意味で今読み上げました第一の
議論については、私
どもは十分考えた末こうい
つた点についての
弊害はない。またそういう
弊害を起さないで済むと私
どもは考えておるという
結論であります。
第二は「
外国為替専門銀行は
外国為替取引及び
貿易金融に専念するあまり、
国民経済全体にと
つて好ましくない結果を導くおそれなしとしない。」この
意味は、私が
懇談会で傍聴しておりましたときに得た印象からいいますと、たとえば一昨々年ですか、例のいわゆる新三品の輸入の問題について、非常に
為替銀行が
金融をゆるやかにつけたために
国内経済を相当混乱させるような
要素があ
つた。
従つてあまり貿易に専念すると、どうしてもそういうふうに陥りがちだという
議論であろうと思うのです。これは非常におかしい
議論であろうと私は考えております。たとえば
長期信用銀行なら
長期信用銀行というものが
設備資金なり
長期金融というものを
専門にや
つて行くわけであります。
専門に
長期金融をやるあまり、
長期融金にむちやくちやなことをやる。それで
日本経済に対して混乱を起すということは考えられない問題であります。この
議論もどうも私としては納得が行かないと思
つております。
それから第三は「
貿易の
振興には
物価政策その他の
総合的施策が必要であ
つて、
専門銀行制度を確立してもその効果はない。」というのでありますが、これは要するに
為替専門銀行をつく
つても
貿易の
振興にはそんなに役に立たない。それよりも、もつと
輸出振興なら
輸出振興とい
つたようなもつと別の
観点からの総合的な
施策を進めることがまず先決である、こういう
議論であります。これについて一半の
理由はある。しかしながら、さればとい
つて私
どもは
為替専門銀行の
制度をそのゆえをも
つて排除するということは、何ら
理由はないと思います。
為替専門銀行の
制度をつくれば、とたんに
貿易が
振興されるとか、
日本の
自主経済がそれだけでも
つて非常に促進されるというようなそんなことは毛頭考えていないのでありますけれ
ども、これは他の面における
政策が総合的に推進されることが必要であることはもちろんでありますけれ
ども、それのゆえをも
つて為替専門銀行制度をつくるということが
意味をなさないという
議論は、私はとるべきでないと考えております。
第四は「
専門銀行に対しては
国内業務の取扱を制限する結果、何らかの
優遇措置を講じない限り
採算はとれまい。特に
専門銀行育成のため
円資金の供給について他の
為替銀行と異
つた特別の
待遇を与えるおそれが多い。しかし乍らそのような特別の
措置は講ずべきでない。」この
意見は、
為替専門銀行につきましては、お
手元にございます
法案についてごらんいただきましても、ある程度の
国内業務は事実上制限されることに相なるわけであります。
制度としてもそういうことにな
つております。たとえば
店舗等につきましても、
外国為替取引上必要なところに
限つて店舗を置くようになりますから、単なる
預金吸収あるいは
国内金融だけのための
店舗というものは、これは整理することに相なるわけであります。そうい
つた点から、
国内業務が制限される結果、ただ
外国為替業務だけでほ
つておいては、どうしても
採算がとれまいということを
前提にしておられるわけであります。
従つて採算がとれないということになると、どうしてもこの
専門銀行を育成するために、他の
為替銀行と違
つた特別の
待遇を与えることになるわけであります。この
銀行に限
つて質的に
違つた待遇を与えるということはおもしろくない。
従つて為替専門銀行をつくることは適当でない、こういう
議論であると思います。この
銀行の
採算が
国内業務を制限されることによ
つて、とれるかとれないかの問題が第一点であります。この点につきましては、将来にわた
つてのいろいろな
前提なり仮定なりを置いてでないとなかなか
採算の計算をすることはむずかしいのでありますが、私
どもの一応計算をいたしましたところでは、大体年間十億ドル程度の
外国為替の取引を行う。この程度のことは
専門銀行としてはそうむずかしい問題ではないと思います。店を
海外べ大体十五店くらい置くとい
つたようなことを
前提として考えました場合に、決して
採算が十分楽だということはいえませんが、私は
採算は何とかや
つて行けるというふうな推算をいたしておるのであります。もつともこの点は、あるいは水かけ論になるかとも思いますが、私
どもの置いた
前提からいうとそういうことがいえると思います。
従つて私
どもは、この点については後にも
意見が出て参りますが、この
為替専門銀行というものは決して独占的な、他を排除するような
銀行としてつく
つて行くということは考えていない。一般の
為替銀行としても、その業務ができる範囲においては、その好むところに
従つて外国為替業務をや
つてもいい。しかしながら
専門に専念して
外国為替業務を
行つて行く
銀行というものが必要であるという
観点から、こういう
制度をつく
つて参りたいと考えておるのであります。従いまして私
どもは、この
銀行に対して質的な差別をつけるような育成
措置は講ずるつもりはないのであります。ただこの点についてはいろいろ御
意見があると思います。質的に差別をつけた育成
措置を講ずべしという御
意見も確かにあろうと思いますが、これは後にも申し上げたいと思います。あると思いますが、私
どもはそういう考えに立
つておりません。この量的差別、質的差別ということがどういうことで言われるかという点でありますが、この点について一応私から御説明申し上げておきたいと思います。量的には、私
どもはこの
銀行が
外国為替取引が多くなり、あるいは
国内の貿手の取引等が多くな
つて参りますれば、いろいろな
金融措置等が量的にはこの
銀行に多く与えられることになると思うのであります。たとえば貿手等の日銀による再割引、あるいは外貨預託——
政府の持
つておる外貨を預託するということ、これはやはりこの
専門銀行に量的には重点を置いてや
つて行く、しかしながらこの
銀行には外貨預託するが、他の
為替銀行には外貨預託しないということになると、私はこれは質的差別だと思います。そういう
意味の質的差別
はつけない。もう
一つ質的差別は、この外貨預託の金利をこの
専門銀行には、たとえば年一%の低利で預託するが、他の一般
為替銀行には年二%で預託する、こうい
つたふうなことをやれば、これは質的差別だと思います。また
国内の貿手に
日本銀行が再割をする場合の再割レートを、
市中一般の
為替銀行に対してはたとえば日歩二銭で再割をする、しかしこの
専門銀行に対しては再割レートを一銭五厘でやるとい
つたような金利上の差別をつけることは質的差別であろうと思います。そうい
つた意味の質的差別は、私
どもはするつもりはありませんし、またする必要はないと考えておる次第であります。ただ
海外に、
貿易の中心地等に対して十分な世界的な規模において
支店網を張る、これは
為替専門銀行としては当然優先的に考えて行かなければならぬことであります。また
海外における国庫代理店業務というようなものについては、これはこの
専門銀行が優先的に取扱
つて行く、こういう
意味で、他の
為替銀行に許されないことをやるという
意味においては、これはあるいは質的差別と言えないこともないと思いますが、この言葉の点は別として、そうい
つた点については
はつきり区別をつけて行きたい。しかしその点につきましても、私
どもは、他の一般
為替銀行の
海外支店の設置を全部押えてしまうというようなことは考えていないのでありまして、その市場市場における必要から見て、
為替専門銀行のほかにさらに
店舗を置くことが
日本の
経済のために必要であるという事情がありますれば、他の一般
為替銀行に対しても、
海外支店を設けることについて私
どもはそれを全部禁止してしまうというような考え方は何ら持
つておりません。以上がこの第四に対する私の見解であります。
第五は「
専門銀行に対しては一般
外国為替銀行に比し質的な差別
待遇を講じないとしても、量的な優遇が一定の限界を超えると質的なものに転化し、延いては
専門銀行が実際上為替の集配機構とな
つて金融政策の二元化を来すおそれがある。」こういう
議論であります。これは先ほど申し上げましたように、量的な
待遇の差別はあるけれ
ども、質的には差別をしないとは言
つておるけれ
ども、その量が非常に違
つて来ると、これは質的な差別に転化するではないか、こういう
議論であります。ことに為替の集配機構とな
つて、為替管理上一種の
外国為替の中央
銀行というような形になると、
国内金融における中央
銀行としての
日本銀行と対立して、
金融というものが国際
金融と
国内金融とにおいてその中央
機関が二つできる、
従つて金融政策といいますか、そういうものが二元化するおそれがあるという
意見であります。この
意見に対しま しても、私
どもはこの
諮問をいたしましたときに配
つておる「
外国為替銀行制度の
整備について」というものの最後のところに四とありますが、「
外国為替管理の方式は、本
制度により、特に変更をうけないものとする。」この
意味は今の問題に実は答えておるわけであります、私
どもがここで言
つております
外国為替管理の機構なり
制度なりというものは、この
外国為替専門銀行の
制度ができるといなとにかかわらず、それによ
つて、この
制度ができたからというので、
外国為替の管理の方式をかえることは考えていない。
従つてこの
専門銀行ができても、為替の集配機構となるようなことはいたしません。それから為替管理の方式をかえるということはいたしません。しかし為替管理の機構を他の
理由からかえるということはあり得ると思います。しかしながら
専門銀行をつくることに関連して、そうい
つたことをやろうとは考えていないのでありまして、これは私
どもの
諮問いたしましたこの要綱をそのまま実行できるとすれば、こういう問題は起
つて来ないわけであります。ただわれわれの考えておるところに対して不信である、口ではそう言
つておるが、実際はなかなかそうやらないだろうという御疑念があ
つたのなら別でありますが、私
どもはそういうことを考えていないわけであります。
第六の「
金融制度の改革は、これを必要とする充分にして明白な
理由がない限り軽々に行うべきではないが、
政府原案にはそれ程の
理由があるとは思われない。なお一層慎重に
検討すべきである。」これは特に御説明申し上げるまでもなく、水かけ論になるわけであります。私
どもとしては、
金融制度というものは、これはすべての
金融制度がそうでありますが、現状は百パーセント悪い、この
制度を直したら百パーセントよくなるとい
つたようなものはないのであります。どちらがよりよいか、それと今までのどこが悪いのだという
議論よりも、私
どもはこの
制度を新しくつくることによ
つてどんなによくなるのかという点をあげ、強調しておるわけであります。
従つてよりよくなるものは急いでや
つたらよろしい、こういうのが私
どもの見解であります。
それから第七は「
貿易振興りため
専門銀行の設立をはかるとすれば、むしろ独占的な強力な
銀行とすべきであるが、現在の
経済体制ではその時機ではない。」これは先ほど第四について御説明申し上げたところと
ちようどうらはらにな
つておる
議論であります。つまり
貿易振興を徹底してやろうと思えば、
専門銀行は独占的な、かつ強力な
銀行でなければならぬ。もつと極端な
議論をずれば、現在ある各
市中の一般
為替銀行のや
つておる
外国為替業務を全部これに集中する、そうしてほかの
銀行はほとんど
為替業務をやらないというようなところまで独占させたらいい。そうしなければこういう
為替銀行制度をつくるということは無
意味だ、しかるにそういうことは今ではできないであろう、
従つてこの
制度は
反対だという
議論であります。これも私がここで御説明申し上げるまでもなくおわかり願えると思いますが、特に私の見解をつけ加えて申し上げるまでもないと思いますから、省略いたします。
それから第八は「
政府原案の目的は行政的
措置によ
つて充分達成できると思われる。敢て法制的
措置によるべき
理由に乏しい。」この
議論は、一応もつともな点もあるのでありますが、私
どもがこの
為替銀行制度というものを特別の
法律によ
つてつくり上げなければならぬという
立場に立ちましたのは、二つの
理由によります。
一つは、為替を取扱う
専門の
銀行が必要であるということが一点、為替を取扱う
専門の
銀行は、そのために
銀行法の規制を受ける一般
銀行の
一つとしてではいけないので、そのためには特別の法制がいるというのが第二点、これが、私
どもが
為替専門銀行をつくり出さなければならぬと考えた二つの大きな
理由であります。その
理由の
一つについて、それは
行政措置でやればよろしいという
議論に対しては、これは見解の相違と申し上げざるを得ないのですが、私
どもは、そういう
行政措置によ
つては、こういうことの目的を達成し得ないから、法制化する必要があるという見解に立
つておるわけであります。これも、特に私
どもの見解を詳しく申し上げることは省略させていただきたいと思います。
次は「本
制度は
外国にも類例がないので、
外国に好ましくない反響を与えるおそれがある。」この点は、
外国に類例があるかないか、いろいろ
議論もあるわけであります。
外国為替の
金融制度については、千差万別でありまして、
専門銀行と言えるか言えないかわかりませんが、たとえば
イギリス等におきましては、特許
銀行としてチヤータード・バンクあるいは香港上海
銀行とい
つたようなものが
海外の為替取引——もちろんこれは植民地
銀行としての
仕事もしておりましたが、そうい
つたようなことを
専門に
行つて参
つておるという
実情であります。これも、それは
専門銀行ではないという
議論をする人もありますけれ
ども、私
どもは、そういう点からいえば、これは
専門銀行と考えてもさしつかえないと思います。ただアメリカには
専門銀行の
制度はございません。これは、一時
専門銀行をつくるべしという
意見が出たのでありますが、これはうまく行かなか
つた。うまく行かなか
つたのは、
日本の
経済事情というものとアメリカの
経済事情というものがま
つたくその事情を異にしているという点に出発していると思うのであります。
従つて、各国々においてその事情に適するような
金融制度をつくり上げて行くのがいいのであ
つて、
外国為替の
専門銀行というものは各国にもないわけでもありませんし、私
どもは、アメリカにそういう
専門銀行の
制度がないからとい
つて、ま
つたくそれと
経済事情を異にしておる
日本を同じに考えるわけに行かない。
一番いい例を申し上げますならば、アメリカのドルというものは世界通貨なんです。為替上の率とかそういうものが何らございません。
従つてアメリカにおいては、通貨の面からい
つたら、
国内金融と国際
金融というものがほとんど差異ない。全世界ドルで商売できる国です。ところが
日本は、国際
貿易をやろうとすれば、円では商売できない。
従つて金融もできないという状態にある。
イギリスだ
つて、やはりポンドが相当範囲において世界通貨として通用しておるという事情にある。そういう基礎事情と、
貿易の依存度が非常に高いという
日本の置かれている地位、これらの点をひとつお考えいただきたい。
それから後進国と申しますか、これらの国にはまだ
外国為替の
専門銀行というものはありません。しかしこれらの国においては、英米等の強大な
経済力を持
つた国々の
銀行が、ほとんどこれらの国の
外国為替業務というものをまるがかえでや
つておる。
従つてそういう国には、特にそうい
つた問題のための
銀行という
制度がだんだんできて来ないのも、ある
意味においては
理由があるのであります。もつとも最近パキスタンでありますか、だんだんその国の
経済的独立をはか
つて行くために、こういう
専門銀行をつく
つて行くということにな
つておるようであります。これらの
外国における
為替銀行制度につきましては、お
手元に差上げてあります資料の中にございますので、ひとつ御参照いただきたいと思います。以上が大体
懇談会において
議論されましたときに、
政府の
原案に対してこれを妥当としない、あるいは時期尚早だという
議論がされた
理由の概要であります。
次に、
政府の
原案を妥当とする
意見、これは比較的多数であ
つたのでありますが、その中においても次のようなことについて十分注意して、今後の運営に当られたいという希望があ
つたのであります。
その第一は、「
専門銀行を育成するにあた
つては、一般
外国為替銀行がこれとその
能力に応じて充分に競争と補完の
関係に立ち得るよう慎重な配慮を加うべきである。この点は先ほど
ちよつと申し上げました、
政府の
諮問案の中の裏の紙の3に書いてございますように、私
どもも「既存
市中為替銀行については、その
能力に応じて
外国為替取引及び
貿易金融に従事せしめ、
為替専門銀行に対し競争と補完の余地を与える。」という建前におりますので、この点の御要望については、十分それに沿い得るように配慮いたしたいと考えておるのであります。
第二には「
原案の目的を達成するためには、
専門銀行に対して
各界特に
金融界の積極的協力を得られるよう充分な考慮をはらうべきである。このため
専門銀行の設立又は運営に当
つては可及的に
各界の
意向をこれに反映せしめるよう特段の工夫をすべきである。」これは
専門銀行ができましても、
各界がこれに対して協力をしない、そつぽを向くというようなことであ
つては、この
銀行の設立がせつかくできても、国の目的を十分達し得ないのではないか。
従つて各界がこれに協力して行けるように、これらの
専門銀行の設立、運営にあた
つては協力
関係をできるだけ確保できるような配慮を加える必要がある。この点につきましても、私
どもも今後の
専門銀行の設立、運営にあた
つては十分配慮いたしたいと考えておるのであります。
第三は、「
専門銀行制度の確立によ
つて商社
金融と生産
金融との円滑なる連繋が失われるようなことのないよう特段の配慮が必要である。」この点は今の
反対論の中の(1)で申し上げましたことに対して、そういう実際上の問題として連繋が断たれる、そのために
国内金融と国際
金融との間のつながりが断たれた結果、
金融の全体が非常にうまく行かないようにならないようにするということであります。この点ももちろん私
どもとしては十分配慮いたして参りたいと考えております。
以上がこの
答申の
内容の御説明及びこれに対する私
どもの考え方の概略でございます。