○
福永参考人 私は去る四月二十四日、本
委員会における
決議によりまして、
北洋漁業の
安全操業並びに
水産貿易について
ソ連の
意向を打診するためにという
目的で
ソ連に
参つたのでございます。
決議後三箇月を経ました七月二十四日に
日本を出発いたしまして、
ストツクホルム経由、途中十日以上経過しておりますが、八月十日に
モスクワに到着いたしました。そして三日後の八月十三日に
ソ連邦商工会議所に連れて行かれまして、
商工会議所の
会頭がみずから会見をいたしました。そうしてまず私に聞きましたことは、あなたはどういう
用向きで
ソ連に来たのですか、それが第一であります。第二はあなたと
日本政府との
関係はどういう
関係でございますか、こういう二つの点について私に質問をいたしました。私は第一点の
目的につきましては、
漁業、それからそれに付随する
日ソ間の
経済関係、またでき得るならば、広く一般的な日
ソ経済関係、これもひとつ
意見の交換をしたいのであります、こう申し上げた。第二点の私の立場と
日本政府との
関係はどうであるかという質問に対しましては、
日本政府は私に対しては何ら
政府の
意向を伝達しておりません、また私の言動に関しては、
日本の
政府が何ら
責任を負わないということを前提として
参つたのであります。すなわち
民間代表でありますから、
政府との
関係はありません、こう言いました。ところが妙な顔をいたしまして、
用向きはわかりますが、あなたは
国会の
決議で
参つたという話であります、
国会は
政府でありませんかと言いますから、いやこれは違います、
国会は立法府であ
つて、行
政府ではありません、
政府とは違うのです。そうしましたらば、
国会で
決議してや
つたのは
政府は
責任を負わぬかとしきりに聞きますから、その辺は
ソ連の政体と
日本の政体の違いを私の方からいろいろ説明しまして、しきりに
政府との
関係が全然ないということを力説いたしたのでありますけれども、
向うは半信半疑な顔をしておりました。
そういたしまして、第一の
目的は
漁業問題でありますから、これを早く交渉ができますように、ひとつごあつせん願いたい、私はいきなり
外務省かあるいは
漁業省なりに連れて行かれると
思つたところが、予想に反して
商工会議所に連れて来られたことは、少し私もふに落ちません、こう申しましたところが、いやそれはあなたの思い違いです。
ソ連の
商工会議所は
資本主義社会の
国家の
商工会議所とは違いまして、もつぱら対外的の
関係をや
つておるところの
機関であります。
資本主義の
国家においては対内と対外と両面を兼ねておるけれども、ここは
経済関係においてはもつ
ぱら商工会議所が窓口にな
つておりますから御心配いりません、決して筋違いでありません。私の方で一切あなたの方の
目的が達成するようにお世話いたしますから心配はない。こういうわけで私も、
日本と様子が違うので、なるほど
ソ連には会社もなければ商社もありませんから、
商工会議所なるものはもつ
ぱら外国との折衝をする
機関であるということがわかりまして納得をしたわけであります。そうしてその日はそれでわかれまして
帰つたのでありますが、すぐ翌日は、
目下モスクワにおいて大々的に開催されております
ソ連邦の
農業博覧会、これは
ソ連だけの国内的な
博覧会で、よその国のように各国が陳列しておるのではありません。十六の
ソ連邦の
共和国が、それぞれできた品物を持ち寄りましてや
つておる
農業博覧会で、たいへん大仕掛なものでございまして、これは今年だけでなく来年も再来年もというふうに恒久的なものであるそうであります。それに
商工会議所の副
会頭が非常に親切にかつ詳しく案内をしてくれまして、夜はレストランに連れて
行つて御馳走をしてくれ、またその翌日は
商工会議所の
会頭の秘書がホテルに参りまして、当分あなた方もお疲れでしようからすきなことをしてください、何が希望ですかと言いますから、いや、それはできるだけ早くわれわれの
目的であるところの交渉をしたいと言いましたところが、いや、
ソ連側としても準備があるから、しばらく見物でもされたらどうかと、こう言うのです。それで
向うにまかせまして、
名所旧蹟の見物とかあるいは芝居とかいつたようなところべただで案内をしてくれまして、夜はまた
御馳走をしてくれます。そういうことが相当に続きまして、毎日というわけではありませんでしたが、一日おきくらいにそういうことがありまして、ついうかうかと二十日ばかりそういうことで過ぎてしまいました。その間もちろん早く話をしてくださいと言
つて会う都度に催促をしましたが、
向うはにやにや
笑つてまあまあというぐあいでもてなしてくれるものですから、私たちもあまり無理なことも言えないというようなことで二十日間が過ぎてしまいました。
そういたしまして、八月は過ぎてしまいましてすでに九月になりました。そこで私たちもしびれを切らしまして、書面をも
つて商工会議所の
会頭に抗議文めいたものを出しました。早く会見ができるようにしてくれと
言つたところが、それがきいたと見えて、翌日九月の二日でございました、自動車で迎えに参りましたのでそれに乗りますと、
ソ連外国貿易省の
極東局長の名前はスパンダーレンという男のところへ連れて行かれました。この
極東局長というのは
日本で言えば
通商局長というのでございましよう。共産党の
北鮮並びに中共を除くところの全
アジア地域の
関係をや
つている
通商局長であります。その局長の部屋に連れて行かれますと、四、五人がおります。そうして
日本語で片言ではありましたが話しかけて参りました。実はわれわれはか
つては
日本の
ソ連大使館いわゆる狸穴にお
つた者であります。
従つて日本とは従来非常に
関係がありますから、あなたがいらつしやつたというので本日われわれはあなたにお目にかかりに参りました。またそのうちの二人は今
日ソ両国においてぼつぼつや
つております
貿易関係を担当する
担当官で、
日本班とでも申しますか、そういうものを
組織している連中でございます。そしてその
極東局長が私に言いますには、また
商工会議所の会見のときと同じようなことを言います。最も力説いたしましたのは
日本政府と私との
関係であります。あなたはオフィシャルの資格があるのですか。ございません、私は
民間の
代表であります。それは困ります、
ソ連は
民間というものはないのであります、
政府一本槍ですべてが
政府政府であります。
従つて政府と
政府との
関係がなければあなたの提議されている
漁業問題なり
貿易問題についてのほんとうの話はなかなかむずかしいと思う、そこであなたはこれからでもよろしいから、
東京に電報を打つなりしてできるだけ
日本政府の
意向を体するような資格をひとつ持
つてもらえませんか、それはできますか、と言いますから、それは不可能であります、絶対にできませんと私はきつぱり申したのです。そう言いましたところが
向うもしかたがないものですから、それではあなたも
国会の
決議によ
つて来たのではあるし、初めて旅券を持
つておいでにな
つたのであるから、そうでたらめなこともないでしよう、できるだけあなたの身分については
ソ連の方は公式にひとつ取扱うようにいたしますと言いますから、私も
向うで一方的に取扱
つてくれるものであるならばよかろうと思いましたから、それではひとつできるだけ、私もせつかく来たのだから
ソ連の
政府と
立入つて話ができるように取扱
つてください、あなたの方でひとつそういうような格付をしてもらいたいということを頼んだわけであります。そこで私は実は
漁業が先であとはつけ足りでございますから、
漁業の方を早くしてもらえませんかと言いましたところが、
漁業問題は今
ソ連の
政府で検討中であります、むしろ
ソ連側で望むことは、今
ソ連から三名
貿易の
関係者が
日本に行
つておりましていろいろ話の最中である、そのことについてもいろいろあなたの方の事情を聞きたいし、それから
日ソ間で今事実上の
経済関係は
貿易の面においてあるけれども、何しろ両国において
外交関係がないために非常に不便な点があります。たとえて言うならば
決済関係が非常にむずかしい。
貿易はバーター制によ
つてやりますけれども、これは有利なようでまた不便な点もございます、すなわち買うものと売るものの数量と値段が合わなければ話がなかなか進みません、ところがそれは通常の
貿易においてはなかなか不便なものでございまして、できるならばその場その場で金で決済するのが
貿易としては非常に便利でありますし、通例行われている方法でありますから、こういう問題もひとつ
日ソ問においても打開しようじやありませんか。それから
ソ連側は
東京に残している
機関が正式には認められておらないけれども、それはいわゆる
ソ連大使館、今は
通称代表部とみずから称しておりまして、
日本側はこれを認めておりませんけれども、非公式にや
つているわけであります。これが
ソ連側としては非常に困る、非常に不便だから、どうでしようか、ひとつこれを正式に
日本側で認めてもらうわけにはいかぬでしようか、そのかわり同じ条件で
モスクワにも
日本側から
機関を設けてもらえばいいでしよう。あなたは
政府の
意向などは聞いて来られませんでしたか、また
日本の輿論はどうでしようか、
国会あたりの
意見はどうでしようか、ということを私に聞くわけです。私はそれに対しましては当らず触らずの答えをして、
政府や
国会に御迷惑のかかるような言質は一つも与えておりません。
外交辞令と申しますか、けつまく
つてけんかしに
行つたわけではございませんので、それはごもつともなことでございます、というような程度のことを言
つていた次第でございます。それから私もだんだん話しておりますうちに、いわゆる
ソ連の平和攻勢といいますか、
貿易貿易と言
つて盛んに呼びかけて参りますが、しかし実際に
日ソ間において実行され実が結ぶ商売というものは、話の三分の一も四分の一もないような実情であります。それはどういうところに原因があるのか、また
ソ連の
意向がどの程度に政治的な面があるのか、どの程度に純
経済的な
目的があるのかということも私は非常に興味が出て参りました。そこでむしろこの際、そういう問題についてひとつ深く立ち入
つて話をしてみることもこれは何かの参考にもなるし、行きがけの駄賃ともなるわけでございますので、私はそれではひとつ
日ソ貿易の
関係について、たとえば船舶をあなた方が買う問題について、あるいはパルプ用材を
日本が輸入する問題について、あるいは石油を買う問題について、あるいは樺太の石炭をどうするかという問題についても
意見の交換をいたしましよう、と
言つたところが、ロシヤ語で言うならばハラシヨー、よろしい、オーケー。非常に
向うも乗り気になりまして、外国
貿易省の傘下にある約二十の商品別の輸出入コーポレーシヨンですが、これは公団といいますか、公社と訳しますか、そういうような性質のものがありますので、それに対しまして指令を下して、それではそこへ一つ話をしてみましようということにしてその日は別れました。そうして私もその次の日あたりから、まず現在
日本と
ソ連が
話合いをしております船舶輸出入公団に参りまして、ほんとうに船を買うのですか、一体どれくらい買うんですかとか、修繕はどれくらい注文するのですかということを聞きますと、いくらでも注文を出しますという。ところがそれに見返りの品物を
ソ連から
日本が買わなければなりませんが、それは材木だとかあるいはマンガン、クロームというようなことを
向うでは言
つておりますが、そういうマンガン、クロームというものは近いところのフイリピンやそこらにたくさんありますからそんな船賃の高い、遠いところから買わぬでもよろしいというと、値段をまけるとかいろいろなことで、こつちもおもしろ半分に研究のためもあるものですからいろいろ話をしてみました。そうして初めのころは非常に各公団で歓迎いたしまして何でもハラシヨー、ハラシヨー、よろしいよろしいというわけで、たいへんな大きな数量のものを商売しようという話でございます。ところが現在
ソ連から三人こちらに来ておりますが、その連中は三箇月の予定で来てまだ仕事のらちが明かないので、さらに滞在の延長を
日本政府に再申請しておるそうでございますが、そのように話がなかなかうまく
東京では進んでおりませんので、その結果がわれわれにもすぐ反映いたしまして、初めは風船玉をぷつとふくらましたようなかつこうのものが、だんだん空気を抜いてしゆ一つとしぼんで参りまして、きげんが悪くな
つて非常に冷い態度にかわ
つて参ります。これは要するに
向うとしては、
東京の三人組とわれわれを兼ね合いに、してじつと見ておつた。それは私がストックホルムに十日あまりストツプいたしまして、
ソ連の大使館に毎日出かけてビザを要求したのでありますが、ああでもないこうでもない、本国の方からまだ連絡がないというて私にビザをよこしませんでした。それはちようど三人が香港あたりでひつかか
つて、
日本の
外務省の最後のビザがおりるかおりないかの境目のところで、私たちとそれを天びんにかけて
日本側がよさそうだから急にぱつと鑑札をおろした。こういうように、
ソ連という国は必ず何かをにらみ合わしておるということが私は読みとれたのであります。あらゆる画においてそれが露骨に現われるのであります。これは私が
モスクワにおいていくたびも折衝いたしましたときに必ず
言つたりしたりすることは、何かそこに交換条件というのか、そういうものをちらつかせるごとを
ソ連がやるということに私は気がついたのであります。
そうこうするうちにまた日がた
つて参りましたが、
向うは
漁業の漁の字も言い出しません。それで私は非常に煩悶いたしまして、
日本ならば農林省に行くとかあるいは
外務省の玄関を入
つてどつか係のところへ交渉するとかいうことができますけれども、
ソ連という国はそういうふうにおそろしく話が簡単に参りません。窓口をぴしやつとしめまして、道を歩く、あるいはどこどこに行くという一切の行動はインツーリストが控えておりまして、これの了解なしにはどこにも行けません。役所との交渉事は、第一番目に
商工会議所がおれたちが引受けるといつたことは、親切なようでも、これはもうどこへ行
つてもだめだよ、ここが入口だぞという宣告を受けたようなものでありました。
商工会議所を通じなければどこの役所にも電話一本もかけられません。それで、
商工会議所の
会頭に対しまして電話をかけても、いないとか何とか言うし、手紙を持たせて何べんも使いをや
つて返事を待
つておりましても返事がございません。
私のとま
つておりますホテルは外国人専用のホテルでありまして、
ソ連人は一切とまりません。これは
ソ連側で外国人を体のいい監視をするのに便利なために、外国人専用のホテルをきめております。そこの中には各国の外交官がおります。ギリシャの一等書紀官がおるかと思えば、パキスタンの代理公使もおります。オランダの参事官もひとりもので下宿をしておるというような始末でありまして、多種多様な人がそこにおるわけでございますから、だんだん食堂などで顔見知りになりまして仲よくなります。お前たちも何しに来たか、これこれで来たが、こうこういうわけでなかなからちが明かない。それはこういうわけだ、
ソ連という国は自分が好まないことはもういつまでもひつぱ
つておく。それだからよほどしんぼう強く居すわるつもりでないと交渉はできませんよ。但し、もう帰ると言
つてごらんなさい。帰るには一週間前に出国のビザを要求しなければなりません。これは
ソ連の規則であります。帰ると通告してから一週間目にビザがおりるのでありますから、ちようど一週間目くらいのところがよろしいからや
つてみろ、こうい
つて各国の外交官が教えてくれました。そこで私はころ合いを見はかりまして、九月十四日、パスポートをイン・ツーリストに出しまして、もう一週間後に帰る、二十三日に帰る、こうや
つて出しましたところが、そうかとびつくりしておりました。そして驚くべきことにその翌日、さつそく
漁業省から高級車の黒塗りのカーテンをおろしてあるすばらしい自動車を迎えによこしまして、ぜひどうぞ来てくれ、本日は
漁業省において
漁業次官があなたに会見いたしますというので参りました。その日はイン・ツーリストの私のホテルの
関係の主任がみずから私を案内して――いまだか
つてそういうことはない。ははあ、これは本物かなと思いましたので、ボストンバツクに持
つて参りました
漁業関係の
書類を一ぱい詰めて抱えて参りまして、
漁業次官の部屋に通されました。
漁業次官がにこにこ迎えまして、そのほか二人係官がついております。
向うは合計三人であります。こちらも通訳を入れて三人です。そうしていすに腰かけますと、どういう用件であなた方は来たのだ、こう言うのです。それは
北洋漁業の問題でありますと
言つたら、その
北洋漁業の問題でどういう点をあなた方は交渉したいのですかと、こう言うのです。そこで私は次の五つの問題について申し上げたのであります。第一番目がカムチヤツカ半島の東西両岸における
日本の
漁業について、すなわち太平洋とオホーツク海の両岸でございます。二番目が宗谷海峡と沿海州、樺太沿岸におけるところの
日本の
漁業について、三番目が歯舞、色丹及び南千島周辺の海域における
日本の
漁業について、四番目が
ソ連に拿捕された
日本の
漁船並びに
船員の帰還の問題について、五番目が
日ソ両国において研究した
漁業の
関係資料を交換し、お互いの研究の資料に供する点について、この五つの問題を私は
漁業次官に申し上げました。ところが
漁業次官はじつと考えておりましたが、ああ、それはわれわれもあなた方の
意見については全部承知しているのだ、承知しているということはどういう意味か知りませんが、了解しておるのだ、こう言うのです。それで私は、それではこれからこの一々について交渉したいけれども、よろしゆうございますか、
書類もここに持
つて来ました、こう言
つたのですが、ちよつと待
つてくれ、きようあなた方を呼んだ用件は、まず今のあなた方の
用向きを聞きたいことが一つ、それからもう一つは、堤衆議院
議長からウオロシーロフ最高
会議幹部
会議長といいますか、ウオロシーロフに対する私の紹介状みたいなものがございますが、それが一つ、それから田口水産
委員長から
漁業大臣あての同じような紹介状、この二通をあなたが持
つて来ておるそうであるが、それをいただきたい、こう言うのです。いや、それは私は直接渡したいのだと言いましたら、それは面接渡すわけに行きませんぞ、私が伝達する命令を上の方から言いつか
つておるから、それをいただくと言う。それでは
漁業大臣やウオロシーロフさんには会えますかと言いましたら、それは上の方で決定しなければ今は申し上げられない。しかしその手紙をもらわなければ、この後話が進みませんよとおどかすようなことを言うものですから、そうでございますかというわけで、カバンから取出してそれを
向うにやりました。
向うはそれを取上げました。そして私は、あなたはそういう
目的できよう私を呼んだのですかと言うと、そうだと言う。それでは今申し上げた問題を交渉する日はいつですかと言うと、その問題については、いろいろ上の方とも相談しなければなりませんと言う。きようは
漁業大臣がいらつしやいますか、こう言いましたら、いるかいないか、それはわからないと言うのです。ここは
漁業者だからおるのでしようと
言つたら、それはわからないとこう言う。ぜひおつたら、ひとつ大臣に会わしてくれないか、手紙もあることだから、それを大臣の手に渡すことはできませんかと言うたら、きようの私の任務はこれだけで、大臣に会わせる任務については、私は上から命令がないからできませんと言う。私も、
ソ連官吏が与えられた任務以外のことは一切やらないということは、百も承知でありますから、無理は申しませんで、それではこの次の交渉の日取りはいつか返事をしていただけますかと
言つたら、それはちよつと待
つてくれ、きようは言えない。但し
漁業省だけではこの問題は取扱えないと思う。
ソ連の
漁業省は、
ソ連国内の水産物の需給
関係をや
つているところであ
つて、カムチヤツカとかあるいはまた拿捕船の問題とか、そういう問題は外交問題になるから、
漁業省も
関係はあるけれども、
漁業省だけで処理できたない問題であると言われて、これはなるほどと私も思いました。
外務省かあるいはクレムリンか知りませんけれども、いずれは
政府の最高
機関が
関係しなければできない問題であるということも、私は大体想像ができましたので、できるだけ早くそういう主官庁と申しますか、
関係官庁が寄り合
つて、私を引見してこの問題を討議するように、ひとつあつせん願いたいと言うと、よろしい、そういたしますということでしたが、その間雑談もいたしまして、どうでしよう、あなた方は今
日本がや
つている
漁業については、全然文句はないでしようと
言つたら、うん、それはない。あなた方は今公海でや
つているのであるから、
ソ連は何ら興味もなければ関心もない。
ソ連が最も気を配
つて注目しているのは、要するに魚族保存の問題だ。魚族資源の枯渇とかなんとかいうような問題になると、
ソ連は非常に注目して見ているけれども、現在
日本のや
つていることは、そう
ソ連としては取上げておりませんと言う。そんな雑談をしているうちに、話がだんだん砕けて参りまして、たとえば、あなた方は十二海里をほんとうに主張するのですかと
言つたら、それはするのだ、十二海里は昔から変更はしていない。しかし十二海里とい
つても、場所によ
つてはもつと沖合いの方までわれわれは考えることがあるかもしれない言う。ほんとうは私もそこのところが聞きたか
つたので、どうでしよう、十二海里とい
つても、あのくらい軍艦なんか浮かべているとあぶないでしようねというようなことを言うと、ちよつと笑い顔を見せました。それは、
漁業省としては資源保護の問題しか
関係はないだろうが、軍事的やいろいろな問題で、たとえば歯舞、色丹なんというようなところでは、現に
漁船を拿捕されているのだから、十二海里どころじやない、それ以上もあぶないじやないかとつつ込みますと、それはほかの
目的でとかなんとかかんとか言
つて言葉をにごしておりました。それからだんだん私もからんで参りまして、いろいろカムチヤツカ問題や何かはむずかしいでしようが、私はここへ陳情書を持
つて来ている。北海道の根室地区の零細漁民が、非常に日常生活に困
つて、何とかして安全に、
ソ連に迷惑の及ばぬ範囲内で、しかも
ソ連が現在と
つていない貝とか、あるいはこんぶを採集したいという切なる陳情書もここに持
つて来ております、また拿捕されてまだ帰らない
船員の家族の切々の陳情書もここに持
つて来ております。一体
ソ連という国は、こういう問題についてはどこの国よりも最も同情する国柄じやないのでしようか、こういうようなことで水を向けると、いやな顔をしまして、それは今申しましたように外交問題であ
つて、
漁業省はそれにタツチできないということを言うたじやないかとい
つて怒るわけです。そういうことを言うと、やはりだめかなと思いまして、それじやそういう陳情書でもここへ置いて行きたいがとい
つてボストン・バツグをあけようとしましたら、それはちよつと待
つてくれ、きようはここでもらうわけには行かない、それはこの次にもらうから持
つて帰れというのです。それじや何とかしてこの次の日取りでもあつせんさした方が得策かなと思いましたので、私もほんとうはわからないのですけれども、いや、あなたの言うことはわかりましたというような顔をいたしまして、握手をいたしまして約一時間ばかりの会見で、すごすご帰
つて参りました。そして夜私が飯を食
つておりますと、ある外国の外交官がや
つて来ましておい、どうだつたと言うので、実はこうこうだつたと小さい声で
報告すると、ああそうか、それじやこの話はこれでおしまいだ、手紙を取上げて要件を聞いて、おそらく返事は来ないよと言う。そんなばかなことがあるものか、いやおれはちやんと経験があるから見ておれというわけです。私もああそうかな、やられたかなと思いまして、ぐつといたしまして、半真半疑でおりますと、翌朝になりますと突然さつき申しましたホテル係の親方が、こんこんたたいて入
つて参りまして本日は私がみずから御案内いたしますと言う。どこへ行くのですか、外国
貿易省です。外国
貿易省はしよつちゆう行
つておるから案内せぬでもいいよと
言つたら、いや、きようは自動車でお送りしますと言う。それから私は十時でございましたか、着物を着かえて、いつも行
つている外国
貿易省の
極東局長の部屋に、その日は案内付で行きましたら、その日に限
つてずつと四、五人並んでおります。
極東局長がまん中にいて、その両横に
日本係の
日本語の非常にうまい通訳です。大したしろものじやないですが、非常に
日本語のうまいロシヤ人が特にそこにおりまして、 いつもならタバコがあ
つてのめのめと言うのですが、タバコも何もない。非常に静かな光景でありますから、何だろうと思
つて腰かけましたところが、ここにありますこれを広げまして、ロシヤ語で
極東局長が読み出しました。一区切り一区切り通訳が、
日本語で私に説明いたしました。そうして終ると、これはメモランダムですと私に言うから、私はあて名もなければ、サインもないじやありませんか、何ですかと
言つたら、いやあなたは知らないんだ。メモランダムというものは、あて名もなければサインもないのが普通であ
つて、ちつともさしつかえないのだ。しかもこれは
ソ連の正式の
政府のものである、こう言うのです。そうして私に対してうやうやしく渡すわけです。それで私は、はてな、この中には
貿易のことばかり書いてあ
つて、
漁業の漁の字もないじやありませんかと言いましたら、いや
漁業の問題はちやんとこれに付随してあるんだ。これは
貿易問題を論じてあるが、最後に結んである
会議を開くということについて、そのとき堂々とあなたの
政府が乗り出して来て、
漁業問題を提起されたらいいじやありませんか。これをも
つて一切が含まれるのであるから、御心配いりません。たいへんな
ソ連の呼びかけであるから、これを早く
日本に持
つて帰
つて議会にも
報告しなさい、
政府にもこれを見せなさい、こう言うわけです。それで私はこれをもら
つて来たわけですが、その
日本語訳を私が今読みます。この訳は
日本の在外のある高官の翻訳者が翻訳したものでございますから、百パーセント正確かどうかわかりませんが、
ソ連から出て来て大急ぎで私が訳さしたのです。それでありますから、ひとつそのつもりで聞いていただきたい。
覚書、外国
貿易省及び全連邦商業
会議所における余談に際して、
日本経済代表から提起した問題に関連し、ソ日間通商発展問題に関する
ソ連専門家の見解をを左の通りここに一通報ずる。
一、ソ日間の通商発展に対しては、在日
ソ連通商
代表臨時代理ドムニツキー氏の
提案した一九五四――一九五五年度ソ日間
貿易計画を早急に具体化することがこれを促進するであろう。ドムニツキー氏と
日本商社との間に右計画に応じて締結された仮契約は、運送用船舶、曳船、鰹
漁船の建造並びに船舶の修理及び改造に関する
ソ連の厖大な注文を
日本に発し、またその注文の対償として加工用材、石炭、重油、マンガンクローム鉱、綿花、白金等の
ソ連物資を多数に
日本に供給することを予見している。
右計画の具体化はソ日通商
関係の回復及び発展にと
つて第一の重要な措置である。
二、
ソ連側はソ日間通商の今後の拡張に対し相互受益の基礎において寄与する用意を有する。
前述の計画による発症後においては、
ソ連外国
貿易団体はさらに
日本に対し船舶建造及び修理並びに君子の工業施設及び運輸施設を注文し得べく、また鉄材、銅及び銅製品、人絹糸その他の商品を一九五五――一九五七年度供給とともに購入し得る。
ソ連外国
貿易団体は右に対応して前述
ソ連商品の一部の数量を増加し、且つ無煙炭、アスベスト、ニツケル、化学肥料その他の商品を提供し得る。
ソ連外国
貿易団体は
日本経済代表によ
つて手交された「
ソ連からの輸入計画案」及び「
日本よりの主要輸出品目表」並びに
日本側から提起され得るこれら諸問題についてのその他の
提案を
日本代表者とともに審議すべく研究中である。
三、われら双方の通商は個々の物資交換取引契約締結によ
つて実現し得べく、また清算勘定に基く相互の物資供給協定によ
つても差支ない。もつとも後者の形式の方法が相互の物資交換を発展せしめる課題に適当し得るものとし認められる。
かくて、ソ日間通商の今後の発展は相互に有利な正規且つ発展的物資交換の
組織に関する諸問題の調整を必要とする点に鑑み、これが審議は公式の水準において行うことが
目的に合致する。これら交渉は準備に必要な時間を考慮し、
日本側において異存がない限り大体一九五九年第一・四半期中において
モスクワまたは
東京において開始し得る。
一九五四年九月十六日
モスクワにおいて。
こういう次第でございまして、もつぱら
貿易の問題しか書いてございません。そこで私は、こんなものを持
つて行
つたのでは非常に困ると
言つたら、いやこれでも
つて漁業問題も同時に並行的に包含されておるとあなたは解釈してよろしい、それで会談のときに持ち出してもらいたい、こういうことをつけ加えて、そうしていわく、今夜はひとつあなたのために送別会を開くように用意してございますから、六時にあなたのホテルで待
つていてもらいたい。こういうわけで、私はこれをもら
つて帰
つておりますというと、送別会、私のホテルにレストランもついておりますから、そこへ四、五十人参りまして、今まで会つたやつが全部来て、
商工会議所の
会頭から何から
漁業次官まで参りまして、その日はすつとぼけたような顔をしやが
つて、あなたが来て骨を折
つたのはたいへん有意義だつた、まあ飲みなさいというようなもんで、豪華な宴会をしてくれまして、
漁業問題なんというものは心配はいらぬですよ、
漁業問題というものは
日本側だけが主張するので、
ソ連側は提起してないのだ。やはりこういう問題はお互いにはかなり合
つて、両方から提起された問題で検討すベきで、いきなり来て
漁業問題と言われた
つて、これは無理ですよ。
ソ連側はその現状においては何ともないのだから、それは心配いらない。これ以上の問題になると、これはまたいろいろ両国の
政府間が話し合うことで、公式に取上げなければならない問題である。その点は帰つたら
政府にもよく言いなさい、
民間代表といつた
つてソ連では通用しないのだから。こういうことで慰められまして、私も非常に憂欝でございましたけれども、個人的に飲みながら、だめですよ、あなた、私は困つちやつたと言うて、あなたの
ソ連としてもマイナスですよ、せつかく来て
ソ連の悪口を言おうものならぐあいが悪いじやないか。そうすると、いや悪口を言
つてもらつちや困る、
ソ連は友好的だから
経済的にやろうじやないか、そんな怒るなよと言
つて、酒を飲ませやが
つて、それでしまいなんです。その順序が、
漁業次官にぱつと会いますね、くどくど言
つておる、その翌日ちやんとこういうものを用意しておる。そうして送別会もその日のうちにぱつとや
つてしまう。わつと来て慰めて、そうして持ち上げる。なるほどそれで一週間したらパスポートをくれて、飛行機は大丈夫かというと、その日にな
つてみないとわからない、それでちやんと一週間目に飛行機に乗れという。飛行場には大勢来まして――行くときにはたつた一人しか出迎えがないのに、帰るときには十四、五人来て、ほんとうに御苦労だつたと握手しまして、そうしてまた来いなんというわけで、肩をたたきやが
つて、そうして飛行機へ乗せてぶつとすつ飛ばしてヘルシンキに連れて来られた、こういう次第でございます。
そこで私が結論として申し上げたいことは、
ソ連は
漁業問題に関してはきわめて慎重であ
つて、そうして
日本側が最大の関心を
漁業問題に寄せているということは百も承知であります。これは
日ソ間の従来の古い歴史を見てもわかります通り、普通の一般の
貿易と違いまして、
漁業問題はと
つておきの対日の問題であることは、
皆さん御承知の通りでございます。でございますから、これをただでやるということは、私はないと思います。そこでこれはひとつその腹構えで、今後ずつと
日本が
北洋漁業に進出する、これ以上ずつと入り込もうというならば、やはり
ソ連が言うように、
政府自体が腰をすえてや
つていただかなければ、
民間代表をちよろちよろ出してみた
つて向うは応じないというような印象を私は受けたのであります。それは私が表向きに折衝した
漁業次官やら外国
貿易商社の係官の話だけではありません。その間狸穴にか
つておつたと称して非常にわれわれに近づいて来て、そして個人的に自動車で郊外にドライヴするとか、あるいは特にかわつた料理があるから行こうじやないかというようなぐあいでときどき連れ出してくれた人たちが、ピクニックに
行つたりあるいはレストランでウオツカを飲み過ぎたときにしやべることを私が聞いて、あらゆる点を想像しまして、
漁業問題というものは初めからそう簡単に応ぜられるかというようなことが、ちやんとわれわれ行く前からできておつたと思う。そう問屋は簡単に卸さぬぞというようなことを私は受取つたばかりでなくて、教えられたような感じがいたします。
私もせつかくこの
委員会において
決議いたされまして、
皆さん方はおそらく私に対しましてたいへんな期待を寄せられたことと思います。ところが事実はさような次第でございまして、何らみやげがございません。持
つて参りましたみやげというのは、こういうような
ソ連の一方的な見解を披瀝したところの覚書だけでございまして、こんなものと言うておそらく
皆さん方は憤慨されるかもしれない。しかしまた相手が千変万化の
ソ連でございますから、賢明なる諸君におかれまして、ひとつこれはいろいろな面から検討されんことを希望いたします。またいろいろ
ソ連の内情あるいは側面あるいは正面から見た
ソ連についてのお話は、いずれ機会を見ましていたすことといたしまして、私の使命を達し得なかつたことをおわびいたしまして、
報告を終えたいと思います。