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飯沼証人 それでは申し上げます。それは、昨年この不始末が起りましたときに、私の方が約九百万
程度の
——これは調べて行けばもつとあ
つたのではないかと思いますが、大体九百万くらいの政府からもらう金があ
つた。それは二十四年、二十五年のことです、
仕事はほとんだ九分
通り終りまして、金さえ入ればその金はもらえる。つまり
業務は九〇%
程度は進行してできてお
つたわけであります。ただ金が入らぬので、その金がもらえない。それがためにいろいろのことで
会社の方でもそれを流用したという形にな
つて今日にな
つたのでありますが、二十七年のときにこれが表に現われまして、そのときに大体千何百万かの金でございましたが、その金をもら
つて、私
どもの個人財産やその他をやれば、大体この穴が埋まるという
考え方でお
つたのでございますが、その後方だんだん、その当時の
調査が完全でなか
つたために、それから現われて来たのがありましたので、約二千万くらいにな
つた。それでは、これをどうして行くかということで、とにかくその
責任に対しては私も何とも相済まぬのだが、どうかこれを私の
責任で
——そういう言葉も出せないのだけれ
ども、はなはだおそまきでも、最後に完全なものにして、
皆様に差上げて、
責任の一半をとりたいということで、とにかく今後も売払いを持続させていただきたい、そうすればこれに対してこういうことで
皆様の御迷惑が埋まるという
考え方でいろいろお願いいたしました結果、それではそういうことにしようという一応の結論が出まして、そうしてや
つてお
つたのであります。ところが、当時、今大建におります松久さんどいう方がうちの方に専務で来られまして
——とにかく私も
社長でありますし、先ほどから申し上げますように、ほんとうにだらしのない、
社長の資格もない人間であ
つたのでありますけれ
ども、そういうふうにな
つてそこで私がやめても、そういうことについて
責任を持
つて社長にかわるべき人もないものでありますから、私として便々としてそこの位置にとどま
つておるという形であ
つたのであります。では新郊にやらせてその利益をその方に穴埋めして行けば、一年か二年かで埋まるというような
考え方から、私の方もその線を極力お願いいたしまして、それはそれだし、これはこれだということで、和解調書をつくれば、その金はこういうことで納めるというふうにや
つたのであります。それでやりましたけれ
ども、上の方はそういうことで一応御了承を得たのでありますが、やはり下の方
——下の方と申しますと語弊があるかもしれませんが、実際の事務に携わる者になると、新郊てはまた変なことをやるのではないかという線も出たり、かたがたぞれでやりにくい点もあるのではないかということで、松久さんを一応専務に迎えまして、私は名義の
社長であるけれ
ども、実権を松久さんにや
つていただいて、そうして再建するという段取りにいたしまして、松久さんもその気になりまして何箇月かお
つたわけでありますが、どうもこれでは
ちよつとやりにくい点もあるしということで、当時の
財務局の御
意向で、君の方にやらしておけば今までのいろいろないきさつがあ
つたりして何かとうまく行かぬと思われるので、どうだろう、こういう線をつく
つてや
つたらいいのではないかということは、松久さんの方からも話がございましたし、それから、こちらの方は、その線は松久さんの方から出たのか、事務局から出たのか、私はその辺は存じませんが、松久さんもそういうふうな
意向でありましたから、これは
けつこうだ、もしそういうことで一日も早くそいつが解決がつくものなら、私は
自分の立場とかそうい
つたものはどうでもいいから、この際は何としても御迷惑をかけた
皆様方に対しては
自分は裸にな
つてやらなくちやならぬから、ぼくの
会社の面子とか、あるいはこうしなくちやならぬとか、そんなことはどうでもいいですから、とにかく私も御
承知の
通り大した財産もないのですが、家から何から、
不動産もあ
つたのを全部売り払
つて提供しているのだから、社員もそうい
つたような形にな
つているのだから、そのことが一日も早く解決がつくものならどうでもいいというふうに私は申し上げたわけなんです。それなら実はこうい
つたような線で第二
会社をこしらえて、そうして政府の
手数料を先方の大建の方から出すという原案のようなものを示されましたので、それは非常に
けつこうな話である、それでうまく行くならば、私の方の受払いは
停止されても
けつこうであるということで、どうかそういうふうにしてくれということを私
どももお願いしまして、そうして大建が発足したわけであります。