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山崎証人 昭和二十七年の九月初旬と記憶いたしておりますが、先ほど申し述べました
伊藤さんが新
夕刊に
出資するという腹をおきめに
なつたことは、
三浦義一さんに私はこれを伝えたのであります。そのころ、
三浦さんが、一度私は
伊藤さんに会
つておきたいと思う、こういう
お話でした。そのことをまた私が
伊藤さんに伝えましたところ、
伊藤さんから、私も
三浦さんが今まで新
夕刊に御
関係に
なつていた経緯を
はつきり承
つておきたいと思う、それになお
三浦さんは政界に非常に顔の広い人だと聞いておるので、この人を通じて
池田大蔵大臣、
廣川さん等に紹介してもらいたいものだ、そのことを
三浦さんに伝えてほしいという
お話があ
つたので、私は
三浦さんにこれを伝えたのであります。その後
教日を、あるいはもつとた
つておるのか知りませんけれ
ども、とにかく一週間くらいと私は記憶しておりますが、
三浦さんから、明日なら都合がよい、どこかで、私の方からたずねてもよいし、こつちに来てくれてもよい、こういう話が
電話でありましたので、そのことをまた
伊藤さんに伝えましたところ、それでは私の方からどこかで一緒に
食事でも差上げよう、君、どこか席をつくりたまえということで、私は
東京会館の
別館を常に使
つておりますので、それでは私の方で
用意をいたしましようというので、
東京会館の
別館を指定いたしまして、十二時に四者がそこで集まるようにいたしたのであります。そのときに、
三浦さんは
廣川さんをお連れに
なつて、私は
伊藤さんと同道して
東京会館で
会つたのであります。
三浦さんも
廣川さんも、そのとき
伊藤さんとは初めての会見でありました。私は、
廣川さんには前に一回どこかで
会つたように記憶いたしておりますけれ
ども、親しいというような間柄ではなか
つたのであります。そのときに、
伊藤さんに
三浦さんから
廣川さんを紹介いたしたのでありますが、これは
農林大臣の
廣川さんだというような紹介だ
つたと記憶いたしております。今度
伊藤さんは私の今まで
経営しておる新
夕刊に対してお
力添えをくださるそうで、まことにありがたいことだ、どうかひとつ、
山崎君も一生懸命やることだから、ますますお
力添えを願いたいという儀礼的な
あいさつが
三浦さんからあ
つたのであります。そのときに、
伊藤さんも、私もまあできるだけのことはするつもりです、
新聞の
経営というものはなかなかむずかしいということを聞いておりますが、
三浦さん、一体あなたは今までにどのくらいの金を
日本夕刊、新
夕刊におつぎ込みに
なつたかという話がありましたときに、
三浦さんが、四千万円くらいの金は私
はつぎ込んである、なかなか苦しい――。そのときに
廣川さんが口を出されて、
三浦君も貧乏だけれ
どもなかなかよくやり通したものだな、――と言
つたかどうか、よくや
つたものだという
言葉があ
つたように記憶いたしております。それで、
新聞の
経営の苦しいという話がそこで五、六分間あ
つたのでありますが、
食事の
用意を私がいたさせようといたしましたところ、
廣川さんは、私は外で
食事はしない習慣だから、
食事は食べません、こういう
お話があ
つた。そのときに、
三浦さんが、実は
伊藤さん、率直に申しまして、私もなかなか金のいるからだです。あなたも
社主のような形にな
つたのだから、何とかひとつ金を出してもらえませんか、援助してもらいたいというような
言葉を出された。私はそのときに、まずいことをここで言われる、実は
廣川さんが
おいでに
なつているところでどういうわけでおつしやるのかと
思つたのでありますが、まあ援助してもらいたいという話があ
つた。
ほんとうにあたは四千万円くらいつぎ込んでおりますかと反問されたときに、確かに四千万円以上の金をつぎ込んでいる、
法人組織はないから、いわゆるどんぶり勘定でや
つてお
つたわけですから、わからないが、私は四千万円くらいつぎ込んである、借金があるし、どうしても解決しなければならぬものがあるから、援助してもらいたいということを、そのときに再三
三浦さんは口に出されたのであります。そのときに、
伊藤さんは、私は商売人だからむだな金は使いませんけれ
ども、まああなたとお近づきになり、今後もいろいろの面でお助け願わなければなりませんから、差上げましよう、しかしその額は私にまかしていただきたい、こういう
お話があ
つた。それで、何か
三浦さんとしては
はつきりした額をそこで示してほしいというようなふうにけはいが私に感じられたのでありますが、
はつきりした
数字はそこではどちらも出さなか
つたのであります。そこで、アイス・コーヒーか何か飲みまして、
廣川さんが、まあ
伊藤さん、ひとつ
三浦君もなかなか苦労してや
つておることだから、援助してや
つていただきたい、こういう
お話があ
つたのであります。
これは御
質問の範囲の外になるかもしれませんが、
新聞で拝見いたしますと、私のために
廣川さんが金を出してやれと言
つたように記事が
なつておりますけれ
ども、これはそうではなくて、私はすでに
伊藤さんを前から存じ上げております。その日は
廣川さんは
伊藤さんと初めての御会見ですから、私のために金を出してやれということを
廣川さんがおつしやるはずはないのであります。これは何かの考え違いか間違いであろう、かように私は推察いたします。
それで、その日はそこで、出しましよう、いつ出してくれるかという話はなくて、金一封は差上げますと、
はつきり
伊藤さんは言われた。そのときに、池田さんに紹介してくださいよと言われたときに、
三浦さんも
廣川さんも、ああ紹介してやるよという軽い意味で――これは私がだれかに紹介してくれと言われて、ああ紹介してやるよと言うような軽い気持のものであ
つたと思います。そうして、その日はそこでわかれ、私は
伊藤さんの
あとへ残りまして、
ほんとうに
三浦君は四千万円の金を出したのだろうか、どうして
廣川さんを――それは前から
廣川さんを紹介してくれと言われたから連れて来たのでしようし、また悪い解釈を申しますならば、
三浦さんが
自分に箔をつけるために、当時の
農林大臣の
廣川さんをお連れにな
つたのではないかというようにも解釈されたのですが、とにかく、
あとで
食事を
伊藤さんとしながら、
ほんとうに四千万円くらい出したのだろうかという話があ
つたので、そのくらい出したろう、こういうことを申して、その日はわかれたのであります。