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1954-04-01 第19回国会 衆議院 行政監察特別委員会 第16号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十九年四月一日(木曜日)     午前十一時十五分開議  出席委員    委員長 塚原 俊郎君    理事 世耕 弘一君 理事 高木 松吉君    理事 田渕 光一君 理事 長谷川 峻君    理事 中野 四郎君 理事 山田 長司君    理事 小林  進君       天野 公義君    鍛冶 良作君       瀬戸山三男君    山中 貞則君       久保田鶴松君    古屋 貞雄君       佐竹 新市君    矢尾喜三郎君       小林 信一君  委員外出席者         証     人         (新夕刊新聞社         社長)     山崎 一芳君     ――――――――――――― 本日の会議に付した事件  保全経済会等特殊利殖機関に関する件     ―――――――――――――
  2. 塚原俊郎

    塚原委員長 ただいまより会議を開きます。  前会に引続き保全経済会等特殊利殖機関に関する件につきまして調査を進めます。ただちに証人より証言を求めることにいたします。  ただいまお見えになつておられる方は山崎一芳さんですね。
  3. 山崎一芳

    山崎証人 そうです。
  4. 塚原俊郎

    塚原委員長 これより保全経済会等特殊利殖機関に関する件について証言を求めたいと存じますが、この際証人に申し上げます。保全経済会は、全国に二百箇以上の店舗を有し、出資総額約四十五億円、加入者は約十五万に達する特異な利殖機関でありまして、従来その業務運営についてはとかくの風評があつたのでありますが、昨年十月二十四日突如として全国一斉に臨時休業に入つたのであります。この休業に立ち至つた事情については世上幾多の疑惑と関心を有する向きもあり、また一方これら類似の特殊利殖機関の累増を見た今日、これら特殊利殖機関業務運営実態を明らかにし、かつこれら特殊利殖機関に対する関係官庁の監督の当否について調査を進めることは、国の行政が適正にしてかつ能率的に行われているかどうかを監察しもつて立法その他国政の審議に資するため行政運営上障害なつている各般の事情を総合的に調査しかつその責任を調査する本委員会の使命にかんがみ、きわめて有意義なりと考え、本委員会は本件の調査をいたすことになつた次第であります。証人におかれては率直なる証言をお願いいたします。  それでは、ただいまより保全経済会等特殊利殖機関に関する件について証言を求めることになりますが、証言を求める前に証人に一言申し上げます。昭和二十二年法律第二百二十五号、議院における証人宣誓及び証言等に関する法律によりまして、証人証言を求める場合には、その前に宣誓をさせなければならないことと相なつております。宣誓または証言を拒むことのできるのは、証言が、証人または証人配偶者、四親等内の血族もしくは三親等内の姻族または証人とこれらの親族関係のあつた者、及び証人の後見人または証人の後見を受ける者の刑事上の訴追または処罰を招くおそれのある事項に関するとき、またはこれらの者の恥辱に帰すべき事項に関するとき、及び医師歯科医師、薬剤師、薬種商、産婆、弁護士、弁理士弁護人公証人、宗教または祷祀の職にある者またはこれらの職にあつた者が、その職務上知つた事実であつて黙秘すべきものについて尋問を受けたときに限られておりまして、それ以外には証言を拒むはことできないことになつております。しかして、証人が正当の理由がなくて宣誓または証言を拒んだときは、一年以下の禁錮または一万円以下の罰金に処せられ、かつ宣誓した証人が虚偽の陳述をしたときは、三月以上十年以下の懲役に処せられることとなつておるのであります。一応このことを御承知なつておいていただきたいと思います。  では、法律の定めるところによりまして証人宣誓を求めます。御起立を願います。   宣誓書の御朗読を願います。     〔証人山崎一芳朗読〕      宣誓書良心従つて、真実を述べ、何事もかくさず、また何事もつけ加えないことを誓います。
  5. 塚原俊郎

    塚原委員長 それでは宣誓書署名捺印してください。     〔証人宣誓書署名捺印
  6. 塚原俊郎

    塚原委員長 これより証言を求めることになりますが、証言を求められた範囲を越えないこと、また御当言の際にはその都度委員長許可を得てなされるようお願いいたします。まず委員長から概括的に証言を求め、次いで各委員から証言を求めることになりますから、御了承ください。なお、こちらから質問をしておるときはおかけになつていてよろしゆうございますが、お答えの際は御起立を願いします。  山崎君の経歴について簡単にお述べ願います。
  7. 山崎一芳

    山崎証人 お答えいたします。明治三十三年に静岡県に出生いたしまして、大正九年に早稲田の専門部を中途退学いたしました。その後東京毎日新聞に入社いたしまして、――現在の毎日新聞ではありません。当時島田三郎先生社長であつたように記憶いたしております。毎日新聞に入社いたしまして、その後郷里浜松新聞に二、三関係いたしまして、上京後帝都日日新聞業務局長になりました。その後独立いたしまして出版業を始め、東海出版社及び新世界文化社経営いたしました。なお、その間フレーベル館の専務取締役として二年間有余を過しました。昭和二十七年の五月にただいまの新夕刊経営を引受けた次第であります。
  8. 塚原俊郎

    塚原委員長 山崎君が伊藤斗福君といつどういう御関係でお知合いになりましたか、なるべく詳しくお述べを願います。
  9. 山崎一芳

    山崎証人 伊藤さんと知合いになりましたのは、昭和二十七年の春、私が、新世界文化社から発行いたしております「新人物」という雑誌に、当時保全経済会というものが非常な宣伝をいたしておりましたので、伊藤さんそのもの人物論、及び保全経済会実態をきわめて、それを「新人物」に掲載いたしたいと思いまして、一度お会いしたいということを申し込んだのであります。そのときに、伊藤さんが、二、三日たつてからと記憶いたしますが、私の自宅の方へ電話をもつて、きようお会いするからおいでを願いたいということでありましたので、私は速記の者を連れまして伊藤さんのところをおたずねした。それが伊藤さんと会つた第一回であります。もつと続けますか。
  10. 塚原俊郎

    塚原委員長 どうぞなるべく詳しく説明してください。
  11. 山崎一芳

    山崎証人 それはどの程度まででございますか。
  12. 塚原俊郎

    塚原委員長 ですから、詳しく、お知りになつている点、伊藤君との関係をお述べ願います。
  13. 山崎一芳

    山崎証人 伊藤さんとはそこで会いまして、保全経済会というものの実態をお尋ねしたのであります。そのときに、伊藤さんは、保全経済会というものは月三分の配当をして、現在二十数億の金を集めている、それで、投資信託が年一割三分くらいの配当であるが、私の方は二割四分だけれども、私はこれを必ずやり遂げ得る自信があるというようなお話があつたのであります。そこで、いろいろの疑問がありまして、そのお金は一体どういうふうにお使いになつているかというところをお尋ねいたしましたところ、それは不動産投資に半分、株式投資に半分、こういうお話でありました。なるほど景気のいいときには株を持つていることはいいでしようけれども景気が悪くなつたら株は値下りをするでしよう、そのときにあなたの経営というものに不安はないかということをお尋ねいたしましたところ、それは、株というものはただちに右から左に売るようなことをやるから危険なのであつて、長くこれを持つておりさえすれば決して危険なものではないと思う、また不動産は戦後の値上り率から見て非常に値上りが遅い、これは将来私は必ず値上りになるものだと思う、従つて私はこれを持続して行くのに何らの不安はない。――まだるるお話になりましたが、それはただいま一々私記憶いたしておりませんが、とにかく非常に安全なものであるというようなお話があつたのであります。それで、私は、速記を連れて行きましたので、伊藤さんのお話そのままを「新人物」に掲載いたしたのであります。そのころに、私に対して三浦義一さんから、新夕刊経営を――当時新夕刊日本夕刊と申しておりましたけれども、非常に経営が行き詰まつているが、これを引受けてくれないか、債権債務一切を引受けてやつてくれないかというお話が再三再四あつたのであります。しかし、新聞仕事というものは非常に金のいる仕事であるということを私は存じておりますので、私ごとき者がこれの経営を、しかも相当な赤字が出ている新聞を引受けるということはなかなか困難である。しかし、言論界に身を置く者といたしまして日刊新聞経営というものは最も本懐とするところであるから、何とかしてこれの経営をやつみたいと  いう気持はあつたのでありますが、財的に私には力がなかつたのであります。たまたま伊藤さんと知り合つた関係上、伊藤さんにそのことを話しましたところ、そのときに伊藤さんは、実は私も日本夕刊には昔から関係がある、――これはあと知つたことでありますが、伊藤さんがまた保険の外交をなすつていたころに日本夕刊の経理の者と存じ合つていて、わずかずつではあるけれども金の貸し借りがあつたというようなことを承つた。そのときはそれほど詳しいことは申されなかつたのでありますが、とにかく日本夕刊には関係があるし、また私も分化事業というものの発展には非常な関心を持つている、このたびの正力テレビには一億円の出資をすることになつている、また京都の方でも新聞をやつてみたいと思う、そういうことですから、ほんとうに君が一生の仕事としてこれをなし遂げるという決心があるならば私は財的の援助をいたしましよう、かようなお話があつた。そこで私は日本夕刊経営を引受けることを決意した。
  14. 塚原俊郎

    塚原委員長 その日本夕刊から新夕刊へのことはあとでお聞きいたしますが、二十七年の春「新人物」というあなたがおやりになつている本に保全経済会実態伊藤君の人柄を書くためにお会いとたのが初めてなんですね。
  15. 山崎一芳

    山崎証人 さようでございます。
  16. 塚原俊郎

    塚原委員長 そのときには、今後段にお話なつたような、いわゆる日本夕刊そういうお話はそのときは出なかつたのでしよう
  17. 山崎一芳

    山崎証人 そのときには出ません。
  18. 塚原俊郎

    塚原委員長 そうすると、「新人物」という雑誌伊藤君のことを紹介し、もちろんこれはほめて書かれたと私は思うのですが、それからすつかり仲がよくなつてしまつたというふうに了解していいですか。
  19. 山崎一芳

    山崎証人 了解してくださつてけつこうです。
  20. 塚原俊郎

    塚原委員長 それでは、今後段にお話になりました新夕刊新聞社、これがどういうふうにしてできて、どういうふうに今なつているか、またその沿革。それと、保全経済会が大部分の株を持つに至つた経過。これも先ほどあなたちよつと触れられましたけれども、その点の御説明をお願いいたします。
  21. 山崎一芳

    山崎証人 日本夕刊は元やまと新聞と申しておりまして、岩田富美夫さんが御経営なつていたのであります。おなくなりになつてから、昭和十五年に児玉署士夫さんがこの経営をお引受けになつた。その後、当時芝の田村町に本社がありましたのを、兒玉さんが、現在の浜松町一丁目三番地に社屋を移され、その後経営を続けておつたのでありますが、戦後児玉さんが戦犯容疑者として巣鴨に収容されることになりましたので、これを弟分である――弟分という言葉はどうかと思いますけれども、これは私どもの社会では言うのですが、高源重吉氏に経営譲つた。これは無償で譲つたということであります。その後高源さんがこの経営を引受けて、いわゆる鎌倉組林房雄さん、永井龍男さんという方々の編集委員会経営をやつたのであります。ところが、やつているうちに漸次経営が困難になつて来て、どうにもならなくなつた。そこで高源さんが三浦義一さんにこれの経営譲つたのであります。それで、三浦さんがその後昭和二十四年の末から経営を引受けられて、二十七年に私に引継ぐまで三浦さんが御経営なすつたのですが、非常に苦しくなつて来て、三浦さんもどうにもこうにもならない。そのころ三浦さんが私に申すには、私は四千万円くらいのものをこれにつぎ込んだが、遂にうまく行かない―。こういう状態でありまして、先ほどちよつと申し述べました通り、私がその経営を引受けたのであります。その後、先ほどちよつと申し上げました通り伊藤さんに話しまして、伊藤さんから当時二百万くらいの金をお借りしたように思います。そのときに伊藤さんが、そういうことでなく、それを株式組織にして、私がしつかり株を持つということにしてやつてつたらどうだろうか、こういうお話がありましたので、そのことも私は三浦さんにお伝えし、また社の同人の人たちにも伝えましたら、それでは株式組織でやろうということになりまして、昭和二十七年の七月十日株式組織に改めたのであります。そのときは、まず百二十五万円の払込みにいたしまして、私、大庭、栗原、後藤という当時経営首脳者が株を持つたのであります。それを、さらに八月に――日時は後ほど資料を見ますが、とにかくこれを五百万に増資したのであります。
  22. 塚原俊郎

    塚原委員長 山崎君、何かそういつた資料をここにお持ちでしたら、それをごらんになつてお答えくだすつてけつこうであります。
  23. 山崎一芳

    山崎証人 それで、五百万円にいたしまして、それを伊藤さんが、それでは今度は二千万円にして、いろいろ改造もし、また社内の整備もして、私が大半の株を持ちましよう、こういうお話であつたのであります。それは昭和二十七年の七月から八月ごろにかけてのお話であつたのであります。十月にこれを増資をいたしまして、二千万円の株式にいたし、伊藤さんが十月一日に千五百万の株代金払い込んでくだすつたのであります。その後にける三浦さんたち関係については、あらためての御質問がおありかと思いますから、それを抜きまして申し上げることにいたしますが、その後伊藤さんに、高速度輪転機を備えつけたい、また印刷工場整備をいたしたい、こういうことを申しまして、それを快く伊藤さんは御承諾くだすつて昭和二十八年の八月十円までの間に前後数回にわたつて二十五百万円の出資を受けたのであります。合計二千五百二十五万円と千五百万円の株、そのほかに二百万円というものを株代金に振りかえましたので、総計四千二百二十五万円というものが現在伊藤さんから出資を受けているかつこうになつております。この二千五百二十五万円は、増資した場合にこれを株式に振りかえるという領収書がその都度提出してあります。そうして、大蔵省の方から六千万円の授権資本の計可をとつてありますので、三月一ぱいにこれを六千万円に増資をする計画であつたのでありますが、財界の不況等によりまして、一般からの公募が思うように進みませんので、三月一ばいに増資手続が終らなかつたのであります。このことはまた大蔵省の方にそのように報告して許可をとつてあります。それですから、現在四千二百二十五万円というものを保全経済会から新夕刊新聞社出資を受けているということが事実であります。
  24. 塚原俊郎

    塚原委員長 保全経済会は新夕刊新聞社に対して、今お述べになつたような資本金出資したほかに、総額六千二十五万円に上る仮払金が支出されておりますが、これについて御説明を願います。
  25. 山崎一芳

    山崎証人 お答えしたします。それは、今の四千二百二十五万円のほかにそういう六千万円があるのではなく、それを含められての六千万円であります。それは、向う仮払金となり、私の帳簿の方は仮受金となつておりますが、四千二百二十五万円以外の金は新夕刊新聞社においては受取つておりません。これは、当行政監察委員会の御調査中間報告によりまして、私どもはああいう数字帳簿に載つておるということを見たのであります。二千万円と千五百万円というものが新夕刊関係として出ているやに中間の御報告なつておりますので、私はこれに非常に驚きまして、当時保全経済会休業なつておりますけれども、先方の監査課にいて、私の方の帳簿を二、三回検査に来られた方で神崎君という人がいましたので、その人に、これはどういうことになつておるのかということを私は尋ぬたのであります。何かの誤りではないか――。仮払いなつておつたものを、私の方で増資手続をしたときに、伊藤さんそのものがそれを帳簿から落さずに、再び出したような形式にでもなつているのではないかということを私は尋ねたのでありますが、実際上こういう金が出ている、こういうお話であつたので、私は、いついかなる場合においてもそれは私の方としては承服しかねる、こういうことをはつきりと向うにも申し伝えて、伊藤さんもこのことは伝わつたように私は記憶しておりますが、あるいは伊藤さんの耳に入らないうちに伊藤さんが検挙されるようなことになつたのではないかと思つておりますが、とにかく、伊藤さんに、こういう数字が出ておるが、これは何かの誤りではないかということをはつきり申したように記憶しております。
  26. 塚原俊郎

    塚原委員長 伊藤斗福君が、新夕刊新聞社の大株主になつたの機会に、先ほど名前が出た三浦義一君、高源重吉君、あるいは児玉誉士夫君などに、あいさつとして千五百万の金を贈つたういこととを聞いておるのですが、こういうことはあつたのでしようか。
  27. 山崎一芳

    山崎証人 お答えいたします。これは、三浦さんから、伊藤さんが私を後援して新夕刊の――言葉社主という言葉は使つておりませんが、社主のような形になりましたのを機会に、自分も新夕刊のためには相当なる出資をしておる、またこれで借財も相当残つておるから、あいさつをしてほしいというよな意味のお申出があつたのであります。それを私は伊藤さんに伝えましたところ、伊藤さんはそれを了承せられまして、伊藤さんのお宅におきまして千五百万円、その後昭和二十七年十二月初旬と記憶しておりますが九百五十万円、これは八百万円が三浦さんに渡り、百五十万円が児玉誉士夫さんを通じて高源重吉氏に贈呈になつております。この数字は、伊藤さんも私に、これは前の千五百万円は別でありますが、九百五十万円は自分の仮払いなつておるので、一応保全帳簿に載つておるのだから、新夕刊帳簿にも載せておいてほしい、こういうようなお話がありましたので、これは現実に私の方で金を受取つたものではありませんけれども、一応そういうふうな覚えとして帳簿に載せてはあります。それが八百万と百五十万、計九百五十万円であります。従つて、二千万円と千五百万円という金は私どもは存じておりません。八百万円というものは確かに三浦義一さんも頂戴したということを申しておりますし、これはのし袋に入れて渡したのであります。
  28. 塚原俊郎

    塚原委員長 いま一回お聞きしますが、先ほどの二千万円、それから私が御質問した千五百万円、あなたは全然お知りになりませんか。
  29. 山崎一芳

    山崎証人 知りません。
  30. 塚原俊郎

    塚原委員長 八百万円と百五十万円、九百五十万円だけしかわからないのですか。それ以外には……。
  31. 山崎一芳

    山崎証人 そのほかに千五百万円というものがあります。
  32. 塚原俊郎

    塚原委員長 そのほかの千五百万円と申しますと……。
  33. 山崎一芳

    山崎証人 九百五十万円と千五百万円。
  34. 塚原俊郎

    塚原委員長 それはお知りになつておるのですね。
  35. 山崎一芳

    山崎証人 知つております。
  36. 塚原俊郎

    塚原委員長 この点についてはまたあとで御質問がありましようから……。  二十七年の九月ごろ――これはこの間廣川君あるいは平野君等をこの委員会証人として喚問したときに大分問題になつた点でありますから、山崎君も新聞その他で御承知と思いますが、二十七年九月ころ、東京会館別館廣川弘揮君三浦義一君、それとあなたと伊藤君、四人がお会いになつたことはありますか。
  37. 山崎一芳

    山崎証人 お答えいたします。東京会館でお会いしたことはあすます。
  38. 塚原俊郎

    塚原委員長 そのときの状況について御記憶のある限り詳しくお述べ願いたいと思います。
  39. 山崎一芳

    山崎証人 昭和二十七年の九月初旬と記憶いたしておりますが、先ほど申し述べました伊藤さんが新夕刊出資するという腹をおきめになつたことは、三浦義一さんに私はこれを伝えたのであります。そのころ、三浦さんが、一度私は伊藤さんに会つておきたいと思う、こういうお話でした。そのことをまた私が伊藤さんに伝えましたところ、伊藤さんから、私も三浦さんが今まで新夕刊に御関係なつていた経緯をはつきり承つておきたいと思う、それになお三浦さんは政界に非常に顔の広い人だと聞いておるので、この人を通じて池田大蔵大臣廣川さん等に紹介してもらいたいものだ、そのことを三浦さんに伝えてほしいというお話があつたので、私は三浦さんにこれを伝えたのであります。その後教日を、あるいはもつとたつておるのか知りませんけれども、とにかく一週間くらいと私は記憶しておりますが、三浦さんから、明日なら都合がよい、どこかで、私の方からたずねてもよいし、こつちに来てくれてもよい、こういう話が電話でありましたので、そのことをまた伊藤さんに伝えましたところ、それでは私の方からどこかで一緒に食事でも差上げよう、君、どこか席をつくりたまえということで、私は東京会館別館を常に使つておりますので、それでは私の方で用意をいたしましようというので、東京会館別館を指定いたしまして、十二時に四者がそこで集まるようにいたしたのであります。そのときに、三浦さんは廣川さんをお連れになつて、私は伊藤さんと同道して東京会館会つたのであります。三浦さんも廣川さんも、そのとき伊藤さんとは初めての会見でありました。私は、廣川さんには前に一回どこかで会つたように記憶いたしておりますけれども、親しいというような間柄ではなかつたのであります。そのときに、伊藤さんに三浦さんから廣川さんを紹介いたしたのでありますが、これは農林大臣廣川さんだというような紹介だつたと記憶いたしております。今度伊藤さんは私の今まで経営しておる新夕刊に対してお力添えをくださるそうで、まことにありがたいことだ、どうかひとつ、山崎君も一生懸命やることだから、ますますお力添えを願いたいという儀礼的なあいさつ三浦さんからあつたのであります。そのときに、伊藤さんも、私もまあできるだけのことはするつもりです、新聞経営というものはなかなかむずかしいということを聞いておりますが、三浦さん、一体あなたは今までにどのくらいの金を日本夕刊、新夕刊におつぎ込みになつたかという話がありましたときに、三浦さんが、四千万円くらいの金は私はつぎ込んである、なかなか苦しい――。そのときに廣川さんが口を出されて、三浦君も貧乏だけれどもなかなかよくやり通したものだな、――と言つたかどうか、よくやつたものだという言葉があつたように記憶いたしております。それで、新聞経営の苦しいという話がそこで五、六分間あつたのでありますが、食事用意を私がいたさせようといたしましたところ、廣川さんは、私は外で食事はしない習慣だから、食事は食べません、こういうお話があつた。そのときに、三浦さんが、実は伊藤さん、率直に申しまして、私もなかなか金のいるからだです。あなたも社主のような形になつたのだから、何とかひとつ金を出してもらえませんか、援助してもらいたいというような言葉を出された。私はそのときに、まずいことをここで言われる、実は廣川さんがおいでなつているところでどういうわけでおつしやるのかと思つたのでありますが、まあ援助してもらいたいという話があつたほんとうにあたは四千万円くらいつぎ込んでおりますかと反問されたときに、確かに四千万円以上の金をつぎ込んでいる、法人組織はないから、いわゆるどんぶり勘定でやつてつたわけですから、わからないが、私は四千万円くらいつぎ込んである、借金があるし、どうしても解決しなければならぬものがあるから、援助してもらいたいということを、そのときに再三三浦さんは口に出されたのであります。そのときに、伊藤さんは、私は商売人だからむだな金は使いませんけれども、まああなたとお近づきになり、今後もいろいろの面でお助け願わなければなりませんから、差上げましよう、しかしその額は私にまかしていただきたい、こういうお話があつた。それで、何か三浦さんとしてははつきりした額をそこで示してほしいというようなふうにけはいが私に感じられたのでありますが、はつきりした数字はそこではどちらも出さなかつたのであります。そこで、アイス・コーヒーか何か飲みまして、廣川さんが、まあ伊藤さん、ひとつ三浦君もなかなか苦労してやつておることだから、援助してやつていただきたい、こういうお話があつたのであります。  これは御質問の範囲の外になるかもしれませんが、新聞で拝見いたしますと、私のために廣川さんが金を出してやれと言つたように記事がなつておりますけれども、これはそうではなくて、私はすでに伊藤さんを前から存じ上げております。その日は廣川さんは伊藤さんと初めての御会見ですから、私のために金を出してやれということを廣川さんがおつしやるはずはないのであります。これは何かの考え違いか間違いであろう、かように私は推察いたします。  それで、その日はそこで、出しましよう、いつ出してくれるかという話はなくて、金一封は差上げますと、はつきり伊藤さんは言われた。そのときに、池田さんに紹介してくださいよと言われたときに、三浦さんも廣川さんも、ああ紹介してやるよという軽い意味で――これは私がだれかに紹介してくれと言われて、ああ紹介してやるよと言うような軽い気持のものであつたと思います。そうして、その日はそこでわかれ、私は伊藤さんのあとへ残りまして、ほんとう三浦君は四千万円の金を出したのだろうか、どうして廣川さんを――それは前から廣川さんを紹介してくれと言われたから連れて来たのでしようし、また悪い解釈を申しますならば、三浦さんが自分に箔をつけるために、当時の農林大臣廣川さんをお連れになつたのではないかというようにも解釈されたのですが、とにかく、あと食事伊藤さんとしながら、ほんとうに四千万円くらい出したのだろうかという話があつたので、そのくらい出したろう、こういうことを申して、その日はわかれたのであります。
  40. 塚原俊郎

    塚原委員長 その四人の方がお会いになつておつた時間は大体どれくらいですか。
  41. 山崎一芳

    山崎証人 十一時四十分ごろから十二時五分くらいだつたと記憶しております。だから二十分もかからなかつたのではないかと思います。
  42. 塚原俊郎

    塚原委員長 そうしますと、いま一回お聞きしますけれども、そのときのお話は、いわゆるお力添えを願うということだけだつたのですか。
  43. 山崎一芳

    山崎証人 金一封を出してもらいたいということを三浦さんが……。
  44. 塚原俊郎

    塚原委員長 たとえば、伊藤君の保全経済会のいわゆる立法化というようなお話は全然出なかつたのですか。
  45. 山崎一芳

    山崎証人 全然出ておりません。
  46. 塚原俊郎

    塚原委員長 お力添えを願いたいということだけですか。
  47. 山崎一芳

    山崎証人 伊藤さんがですか。
  48. 塚原俊郎

    塚原委員長 その四人の会談でお話が出たものは、三浦君の四千万円というような話を中心にして、新夕刊への御協力を願うということだけなのですか。
  49. 山崎一芳

    山崎証人 そうです。
  50. 塚原俊郎

    塚原委員長 それ以外に何かございませんでしたか。
  51. 山崎一芳

    山崎証人 ありません。
  52. 塚原俊郎

    塚原委員長 伊藤斗福君が言論機関に対して非常な熱意を持つておられたということは、今山崎君のいろいろなお話によつてもわれわれ感づかれるのですが、言論機関を掌握して何かやろうというような気持が伊藤斗福君にあつたとあなたはお考えになりますか。
  53. 山崎一芳

    山崎証人 かようなものはなかつたと思います。ただ、文化事業というものには自分は金を出してやつてみたいということは非常に言つておりました。
  54. 塚原俊郎

    塚原委員長 文化事業ですか。
  55. 山崎一芳

    山崎証人 ええ。そのために正力テレビにも出資することになつておりました。それで、出資してもらうときの何は、人事面で重役にでもお入りになるか、あるいは機関紙にでもする御意思があるかということを私は聞きましたが、それは全然考えておらぬ、従つて重役にも人は入れない、記事は厳正に書いていただいていい、広告を載せた場合には適正なる広告料を支払います、こういう条件で出資をお願いいたしました。
  56. 塚原俊郎

    塚原委員長 わかりました。委員の方で御質問がありましたならばどうぞ。高松吉君。
  57. 高木松吉

    ○高木委員 ただいまの金一封の問題で、その内容を知りたいためにお尋ねしますが、新夕刊の社屋、機械等の名義はだれのものになつておつたのですか、三浦義一君の名義だつたのですか。
  58. 山崎一芳

    山崎証人 三浦義一ではございません。高源重吉氏であります。
  59. 高木松吉

    ○高木委員 それは登記名義にそうなつておつたのですか。
  60. 山崎一芳

    山崎証人 登記名義はその通りであります。
  61. 高木松吉

    ○高木委員 その登記名義になつておつたものを、あなたが経営するに至る場合、買い受けられるのですか。その点はどうですか。
  62. 山崎一芳

    山崎証人 買い受けておりませんけれども、いつでも名義の書きかえをするという言葉高源さんよりいただいております。ちよつとつけ加えますけれども、私が引受けない前に、ある銀行に担保に入つてつた。その担保を抜くには相当な金がいります。貧乏な会社でありましたために、漸次償却して参つて、わずかに残つてはおりますけれども、私が引受けたときには名義書きかえをいたしておりません。
  63. 高木松吉

    ○高木委員 そうすると、新聞経営でございますから、社屋、敷地及び輪転機、いろいろなものがございましよう。それと新聞名義というようなものがあると思います。これらの問題に対してお引受けになるときにはどういう評価とどういう方法をもつてお引受けになつたか、詳細にお話を願います。
  64. 山崎一芳

    山崎証人 高速度輪転機伊藤さんの出資を仰いでから入れたものであります。これは二千二百万円くらいのものであります。お引受けいたしました当時は、約三千五、六百万円の資産と計上されておるものを引継いだわけです。それに対して、やはり負債がそれくらいございましたので、大体とんとんでありました。新聞の発行権というようなものはその数字の中には加えておりません。
  65. 高木松吉

    ○高木委員 その引受けの契約書はあるのですか。ただいまお話のごとく簡単に引受けたものでしようか。契約書でも入れて、こまかく引受けの内容を記載したものでもあるのでございましようか。
  66. 山崎一芳

    山崎証人 お答えいたします。株式組織にいたしますときに全部のたなおろしをいたしまして、活字一本でも明細に書類をつくりましたけれども、私が三浦さんから債権債務一切を引受けてやつてくれと言われたときには、何ら契約書のようなものはとりかわしておりません。それは、当時ある数字のものが毎月不足いたしましたので、その不足は山崎の責任において解決する、旧債、いわゆる古い勘定は三浦さんの方においてやつてもらうというような覚書はとりかわしてある。これは何ら法的に価値があるものではありません。
  67. 高木松吉

    ○高木委員 法的に価値がないということはどういう意味でしようか。
  68. 山崎一芳

    山崎証人 お答えいたします。何らそれを公正証書等に作成したものではない。単なる覚書でございました。あいは法的という言葉誤りがあるかもしれませんけれども、私の申したことは、普通の契約書でも公正証書をつくるものでありますが、そうしたものはつつたことがない、さようなことであります。
  69. 高木松吉

    ○高木委員 そうしますと、社屋、敷地は高源君の名義であつたが、経営権というものは三浦君のものであつたと解釈していいのですか。
  70. 山崎一芳

    山崎証人 お答えいたします。その通りであります。
  71. 高木松吉

    ○高木委員 経営権というものを無償で受けたのですか。その点はどうですか。
  72. 山崎一芳

    山崎証人 それは、三浦さんが高源さんから引受けたかということですか。あるいは三浦さんから私に……。
  73. 高木松吉

    ○高木委員 今のお話によりますと、三浦さんの経営しておつたものをあなたがお引受けになつたということであります。それをお引受けになる場合は、今言つたような申合せがあつた。しかし内容がはつきりいたしません。そこで、私が聞かんとするのは、三浦さんが経営しておるものをあなたが引継いだ、その引継いだ内容をひとつ承知したいと思う、こういうわけです。
  74. 山崎一芳

    山崎証人 お答えいたします。先ほど申しましたように、一切のものということは、土地建物もむろん含むのであります。発行権も含む、そのかわり借金も含まれる、そのかわり借金も含まれる。そういうものを全部引受けた、こういうふうに私は解釈しております。また、私ども引受けたと申しましても、そのときにはまだ売買をしておるわけではございません。紳士的な協約によつてそのことを申し合せたわけであります。
  75. 高木松吉

    ○高木委員 そうすると、お引受けになつた日にちははつきりいたしておりますか。
  76. 塚原俊郎

    塚原委員長 ちよつと山崎君に申しますが、御発言になる際には委員長と呼んでから、そして委員長許可があつた後に願います。それから、速記が非常にとりにくいそうですから、なるべく明瞭に御発言を願います。山崎君。
  77. 山崎一芳

    山崎証人 その日にちと申しますのは何の日にちでありますか。
  78. 高木松吉

    ○高木委員 あなたが三浦さんの経営しておるものをお引受けになつた。先ほど申されたように、紳士協約にしろ何にしろ約束をしてお引受けになつた、その日にちをお尋ねいたしておるのであります。
  79. 山崎一芳

    山崎証人 昭和二十七年五月一日でございます。
  80. 高木松吉

    ○高木委員 昭和二十七年五月一日現在で、当時の日本夕刊の負債はどれだけございましたか。そして負債の内容をお知らせ願いたいと思います。
  81. 山崎一芳

    山崎証人 負債の内容は、銀行から借り入れてあつたもの、それから、三浦さんの個人の御関係で御友人等からお借りになつているもの、あるいは買掛金の未払い、そういうものが、先ほど申しました三千万円から三千五百万円くらいあつたように記憶しております。
  82. 高木松吉

    ○高木委員 銀行から大体どれくらい、三浦さん個人からどれくらい、それから買掛金の未払いがどれくらいという大体のことはおわかりになりませんか。
  83. 山崎一芳

    山崎証人 ちよつと御猶予願います。思い出しますから……。  お答えいたします。三浦さんの御関係でお借りになつていたものが約五百万円。それから買用けの残金、あるいは公租公課の延滞になつておりますものを加えて千四百万円くらい。銀行から借りてましたものが七百万円。それから新聞社として借りていたものが約五百万円。都合三千三百万円くらいの数字になるのではないかと思います。
  84. 高木松吉

    ○高木委員 その点はわかりましたが、そしますと、積極財産――社屋、敷地及び輪転機、器具、それから客観的に見た発行部数に対する想定価額、こういうものに対しての財産に見積つたものをひとつ詳細にお話願えませんか。
  85. 山崎一芳

    山崎証人 詳細なるそうした数字のものは、今ここに持つておりませんので、書面で提出するようにさせていただきたいと思います。
  86. 高木松吉

    ○高木委員 書面ででもけつこうですから、委員長から要求していただきたいと思います。
  87. 塚原俊郎

    塚原委員長 承知いたしました。
  88. 高木松吉

    ○高木委員 それで大体日本夕刊が新夕刊にかわつて来たときの状態がわかりましたが、これだけの問題でありまするから、何か契約がされておるのじやありませんか。先ほど、ただ紳士的にやつたんだ、公正証書にもしておりません――。公正証書にしなくてもよろしゆうございます。何か三浦氏との間に契約書でもとりかわしてはおりませんか。
  89. 山崎一芳

    山崎証人 お答えいたします。そうした契約書はとりかわしてございません。
  90. 高木松吉

    ○高木委員 聞くところによると、何かそれに関する契約書を警視庁に引揚げられておるというようなことを言つている人もありますが、その事実はございませんか。
  91. 山崎一芳

    山崎証人 いろいろなものを押収されておりまするので、その中にそうしたものがあるかどうかは存じもせんが、そうしたものを三浦さんと私との間においてとりかわしたことはございませんから、ないものと私は信じております。ちよつり申し上げますが、それは、三浦さんは一切のことをやつてくれとは言いましても、私に一切のものをただでくれたのではなかつたのでございます。金一封を伊藤さんから三浦さんがお受取りになつたときに、三浦さんは初めて新夕刊と絶縁なすつた。その関係は、私が代行経営者という言葉で申したらそれではなかつたか、かように思うのであります。
  92. 高木松吉

    ○高木委員 そうすると、これは法律的はおかしなものですが、事実行われたとすれば、明らかにしてもらいたい。新夕刊になりもしてからあなたが三浦氏の経営を代行しておられて、三浦氏が新夕刊から手を引くに至る場合に、伊藤氏との間に何かの契約があつたのですか。
  93. 山崎一芳

    山崎証人 契約をとりかわしました。それは先ほど申しました八百万円と百五十万円いわゆる金一封を出しました十二月初旬のときに、築地の秀花におきまして会見をいたして授受が行われたのでありますが、そのときに一切三浦氏は新夕刊から関係を断つ、もし今後新夕刊の問題について紛淆を生じた場合には三浦義一はこれに協力をする、こういう覚書をとりかわしております。
  94. 高木松吉

    ○高木委員 その点をはつきりさせておきたいと思うのですが、金一封というのは、契約上の義務として伊藤君は支払うことになつたのですか。
  95. 山崎一芳

    山崎証人 ちよつと今のお言葉がわがらなかつたのですが……。
  96. 高木松吉

    ○高木委員 要するに、金一封の問題ですが、金一封とは、あなたがさつきお話なつたような、三浦氏が経営権久び何か知らぬが手を引くというようなことの契約があつて、その契約の結果金一封というものをちようだいするという形において、義務において権利において金一封の授受があつたのですかどうですかということをお聞きするのです。
  97. 山崎一芳

    山崎証人 一切のことから手を引く、関係を断つという条件があつて金一封を出したのであります。
  98. 高木松吉

    ○高木委員 そこで、わかつてつたのですが、そうすると、一切のことから手を引くというその内容には、いわゆる有形無形の財産権の提供というものは全然ないのですか。
  99. 山崎一芳

    山崎証人 財産権というものを伊藤さんに渡すというようなものはありません。新夕刊新聞社のものにするということであつたのであります。それで倉藤さんに新夕刊新聞社社主という言葉は使つておりません。大株主であるから、結局自分の会社だというふうなお考えがあつたのではないかと私は存じたおります。そのために金一封をお出しになつたものと考ます。
  100. 高木松吉

    ○高木委員 そこで、その金一封の内容は先ほど申し述べられたようですでが、いま一度はつきりさせておきたいと思いますから、その金一封というものと、その金一封の内容をいつ実現せしめたかという点を、ひとつ明らかにしていただきたいと思います。
  101. 山崎一芳

    山崎証人 秀花における金一封は、八百万円が三浦義一あんに百五十万円は土地建物の名義人になつております高源重吉児玉誉士夫さんを通じては渡したのであります。これは私の手から渡したのでなくして、伊藤斗福さんから三浦さん、児玉さんに渡されたのであります。ただ、私はその席に立会つたことは事実であります。その金額もそのときははつきりわからなかつたのでありますが、あと三浦さんも確かに八百万円ちようだいしたと言い、また高源重吉さん百五十万円ちようだいしたと言い、伊藤さんも九百五十万円渡したと申しておりますから、この金額に間違いないものと私は信じております。
  102. 高木松吉

    ○高木委員 そうしますと、先ほどちよつと私席をはずしましたので、はつきりしませんでしたが、三浦義一君、高源君、児玉君に千五百万円を贈呈したということについての前後の事情はどうなつておるのですか。
  103. 山崎一芳

    山崎証人 前後の事情といいますと、そのときの情景の雰囲気でございますか、あるいはそれを出すに至つた状態ですか。
  104. 高木松吉

    ○高木委員 そうです。
  105. 山崎一芳

    山崎証人 先ほどそのことはちよつと申してあるのですが、これは東東会館のときからつながつているのでございますから、その当時のことから申さないとそこまでに至らないわけです。その間にすでに千五百万円という金も渡つております。
  106. 高木松吉

    ○高木委員 そうすると、先ほどの八百万円と百五十万円と、この千五百万円というものは別口でございましよう。その点どうですか。
  107. 山崎一芳

    山崎証人 千五百万円とむろん別品でありますけれども三浦さんの方から、その新夕刊を譲り渡すといいますか、新夕刊経営権、そうしたものを一切お渡しするから、金一封をもらいたいということが、秋の東京会館の会見からつながつておるのであります。そうして十二月の初旬に至つて、合計千五百万円と九百五十万円――百五十万円は別に行つておりますけれども、とにかく出た金は千五百万円と九升五十万円、このものが全部三浦さんに渡りまして、その中百五十万円は高源さんに渡つたわけであります。つまり、それは別口と言えば別口ですけれども、とにかく千五百万と九百五十万は別々に渡したことは事実でありますが、それにつながつているということは事実であります。
  108. 高木松吉

    ○高木委員 ややわかつて来たのですけれども、そうすると、先ほど八百万円と百五十万円を出した理由と同じ根拠に基いて、千五百万円というものが後口ですか前口ですか……。
  109. 山崎一芳

    山崎証人 前口です。
  110. 高木松吉

    ○高木委員 これを出しているのですが、この点を明らかにしてもらいたい。
  111. 山崎一芳

    山崎証人 先ほど申し上げました通り東京会館三浦さんが、あなたも社主のような形で後援してくださるのだから、私も今まで四千万円ぐらいの出資をしているのだから、援助してもらいたい、金一封をほしいということを三浦さんは申されたのでありまして、先ほど東京会館からそこまでお話を申し上げたのでありますが、わかれてから後に至つて三浦さんから再三私のところへ電話がかかつて参りまして、この間東京会館――この間と言いましたか、昨日と言いましたか一昨日と言いましたか、その辺は記憶が薄らいだのでありますが、とにかくお会いしてお頼みした金を早く出すように君から言つてもらいたい、こういうお話があまりしたから、伊藤さんにそのことを申したのであります。そうすると、伊藤さんは、よろしい、今晩お渡しいたしましよう、駒込の自分のうちで渡すから、三浦さんにとりに来るように、そう言つてくれたまえというお話つた。それを三浦さんに私は伝えました。そうすると、その夜の六時ごろと記憶いたしますが、私の新聞社へ三浦さんと廣川さんが参つたのであります。そうして道道して駒込の伊藤さんのうちへ行きまして、そこで千五百万円というものを伊藤さんは三浦さんに渡したわけであります。
  112. 長谷川峻

    ○長谷川(峻)委員 現金ですか。
  113. 山崎一芳

    山崎証人 現金です。
  114. 長谷川峻

    ○長谷川委員 そのときいたのですか。
  115. 山崎一芳

    山崎証人 おりました。
  116. 高木松吉

    ○高木委員 そうしますと、それはわかりましたが、あなたは、整理というか休業になりましてから、再建工作に関係したことはありませんか。
  117. 山崎一芳

    山崎証人 お答えいたします。再建工作という言葉はいかがかと思いますけれども休業になる前に、伊藤さんが私のところへ電話をかけてよこされて、六千万円の金がどうしてもきよういるのだけれども、どこかで都合できないだろうか、担保にするものはたくさんあるから、こういうようなお話なのであります。私は実は驚いた次第で、何億の金がいつでも即座に間に合うということをおつしやつておられた伊藤さんとしまして、じようだんではないかと思つたのでありますが、それは真実であつたのであります。どうしてもいるというようなお話があつた。それで、私は、当時株の相当なものをお持ちになつているということを聞きましたから、株を金にかえたらどうかと言いましたところが、株は実はないのだ、あまりいい銘柄のものはない、ほとんど非上場株だけだというお話があつた。それではというので、テレビの株をお持ちだというので、テレビの株で金をおこしらえになつたらどうかということを申したのでありますが、そのテレビの株もなかなか思うように金ができなかつた。それから後遂に休業に至つたのでありますが、その後伊藤さんはいろいろ考えられて、何とかして早く再開の道を開きたいということを申されたのであります。そのときに、私も恩義を受けておりましたので、端的に申しまして、新夕刊新聞社出資を受けておる大株主でありますから、大株主が困るときに私どもがこれに何らかの自分の力を出すことは当然の義務と私は考えまして、相談相手になつたのであります。従つて、再建工作というほどの言葉はいかがかと思いますが、とにかく相談には乗つてつたことは事実であります。また、私どもが、こうしたらいいじやないか、あるいは信託へ財産を預けて、そうして将来これを適当な価格で売つて、金になつたならば、これを一日も早く出資者にお返しするようしたらどうかというようなことを申した。また、平野力三さんと意見が対立しておるような点も見受けられましたので、これは顧問と理事長は一体となつ出資者のために尽さなければならない、それが意見の対立を見ることは非常に困つたことだ、早く両者の意見を調整しなければならないと思いまして、これに対する努力を尽したことは事実であります。
  118. 高木松吉

    ○高木委員 平野君と伊藤君とが対立関係なつたという根拠はどこにあるのですか。
  119. 山崎一芳

    山崎証人 お答えいたします。これは、私はずつと後になつてわかつたことでありますが、伊藤さんは、平野さんはおれの財産をとるのだ、こういうようなことを言われた。平野さんに私はそのとき初めて会つたのでありますが、伊藤君はもう信用はないのだ、伊藤君がひつ込まなければだめだ、ひつ込んで、だれか適当な人を連れて来て再建しなければだめだ、こういうふうな御意見で、そこに伊藤さんと平野さんの感情的なものがあつたように私は思います。それから、平野さんは第二会社案ということを私どもには申されておつたのであります。つまり、山林の開発、あるいは映画館というようなお言葉もあつたと思いますが、そうしたものをあの残存した金で経営すれば、利潤が早く上るから、それをもつて出資者に返すようにすべきである、こういうことを平野さんは申されておりました。伊藤さんはそのころ盛んに立法化というようなことを言つておりましたが、これは伊藤さんが本心で言つてつたかどうかということは今でも疑問に思うのであります。私どもは、財産は早く信託してしまつて、そうしていわゆる出資者組合、出資者の代表者、あるいは法的に何と申しますか存じませんが、弁護士、そういう人に話して、財産がなくならないように、不動産が多いから、早くこれを信託会社に保管して、これを適正な価格で売つて、そうして出資者に返すようにということを勧めたのであります。平野さんと伊藤さんとはある時期までは食い違いがあつたように私は承知しております。それが一月の初旬になつ伊藤さんは平野さんと松本信次さんに会見しておるのですが、そこでお互いに氷解し合つて、それでは信託銀行へ財産を預けてやつて行こうという腹をおきめになつたように私は承知しております。また私の関する限りさようでございます。
  120. 高木松吉

    ○高木委員 よくわかりました。要するに、その対立関係に立つておる間、伊藤君は、伊藤君個人の全財産ですか、これを離すまいとしてあらゆる工作をし、平野君は平野君で、伊藤君から全財産を取上げて、そうしていわゆる出資者のためにという名目のもとに実権を握ろうという心底において構想を続けたというような感じは見出せませんか。
  121. 山崎一芳

    山崎証人 それほどのものではなかつたように私は考えております。
  122. 高木松吉

    ○高木委員 あなたも新聞で御承知でしようが、平野君が伝聞証言というものを当委員会でやられました。ああいう事実はあなたの関係する限りであつたのですか。それとも、いわゆる平野君が自分の立場からああいうようなことを言うに至つたのか。または、伊藤君が自分の実権を平野君に譲ることを拒否する一つの手段としてああいうことを言われたのでないかという角度から見る人もあります。あなたの関係されておつた範囲において、どういうふうに平野証言を考えられますか。
  123. 山崎一芳

    山崎証人 お答えいたしります。私は、まつたく平野さんの、何と申しますか、おつくりになつたものではないか、かように解釈しております。
  124. 高木松吉

    ○高木委員 おつくりになつたものであるということはどういうことでございましようか。虚構の事実をかつてに構想したということになりますか。     〔発言する者あり〕
  125. 塚原俊郎

    塚原委員長 静粛に願います。
  126. 山崎一芳

    山崎証人 お答えいたします。これは、私、証言を拒否するわけではありませんが、私としてお答えすることは、これは伊藤さんが申したいということを平野さんが言われておるのですから、伊藤さんにお聞きにならなければ、ちよつとその辺はわからないのではないか。私はさようなことはないように思うということでございます。
  127. 高木松吉

    ○高木委員 新聞紙上、井上メモというものが発表されておりますが、これらのことについて、あなたが今まで関係した面から、どういうふうにお思いになりますか。
  128. 山崎一芳

    山崎証人 お答えいたします。これも井上君のつくり事ではないかと私は考えております。  なお、一言附加いたしますが、井上君は本日保釈になるということであります。真相は井上君からお聞きになつたらよろしかろうと思います。
  129. 塚原俊郎

  130. 矢尾喜三郎

    ○矢尾委員 東京会館の会見の模様から、それに引続いて関連しました問題についてお伺いしたいのですが、今証人が申されました証言、並びにかつて委員会におきまして証人として喚問いたしました廣川弘禅氏の証言によりましても、東京会館伊藤斗福氏に出ユ会つたのが最初の会見であるということを申されておるのでございますが、この会見に際しまして、証人証言によりますと、三浦氏が廣川氏を連れて来れたということでございますが、その連れて来られたことについて、伊藤斗福の要求によつて廣川弘禪氏を連れて来られたのか、三浦氏がかつて廣川氏を連れて来られたものでありますか、その点をまずお伺いしたいと思います。
  131. 山崎一芳

    山崎証人 お答えいたします。これは、三浦さんは政界に顔の広い人であるから、一度三浦さんに会つてから、政界のおもな人に紹介してもらいたい、こういうことを伊藤氏が言つたのであります。そのときに、廣川、池田言葉は、伊藤さんからもこういう人に会わしてもらいたいということを言つておりましたので、そのことを三浦さんに伝えましたから、三浦さんがそれをお受けしてお連れくださつたものと、かように私は存じております。
  132. 矢尾喜三郎

    ○矢尾委員 そういたしますと、当日三浦氏が廣川氏を連れて来られたということは、伊藤斗福君がかねてあなたに依頼しておつたの三浦氏に伝えたので、三浦氏はその意を体して廣川弘禅氏を連れて来たものと解釈しますが、そういたしますと、この点につきまして、廣川さんを連れて来たということは、ただ単に廣川弘禪氏を伊藤斗福氏に紹介するために三浦氏が連れて来られたのかどうかという、その点をお伺いいたします。
  133. 山崎一芳

    山崎証人 お答えいたします。先ほども申しました通り、それは三浦さんが、私の方から廣川さん、池田さんに会わしてくれということを依頼しておりましたので、それでお連れになつたものと、かように解釈いたします。
  134. 矢尾喜三郎

    ○矢尾委員 そういたしますと、廣川証言によりますと、新夕刊出資することを伊藤斗福に依頼してもらいたいということを頼まれたから、東京会館に行つたと申しておるのでございますが、この点に対して証人はどういう考えでありますか。
  135. 山崎一芳

    山崎証人 先ほど申しました通り、それは、廣川さんから、私に金を出してやつてくれ、援助してやつてくれという言葉はお使いになつておりません。これは何かの思い違いではないかと私は考えております。ただ、新夕刊ということは、三浦さんから、自分も新夕刊に金を出しているのだから、これに対してあなたも社主の形になつているので援助してもらいたいということを申し出たのでございますから、そういうことで廣川さんも、新夕刊という言葉が出たから、あるいはそういうような御証言をなすつたのかもしれませんけれども、私のために、新夕刊のために金を出してやつてくれという言葉はなかつたように考えます。
  136. 矢尾喜三郎

    ○矢尾委員 新夕刊のため金を出してやつてくれというのではなしに、そういたしますと、三浦のために金を出してやつてくれということを廣川弘禪氏から頼されたのですか。
  137. 山崎一芳

    山崎証人 お答えいたします。その通りでありまして、新夕刊のために金を使つたんだから私に金を出してもらいたいということを三浦君が言つて、そのことに廣川さんが助言したのは事実であります。
  138. 矢尾喜三郎

    ○矢尾委員 そういたしますと、廣川氏が三浦氏のために金を出してやつててれということを依頼されたと申されますが、伊藤斗福氏が政治家である廣川弘禪氏に紹介をしてもらいたいということの要望があつて、あなたの要求によつて三浦氏を通じて廣川さんが来られたということになりますと、紹介するということで連れて行つたものが、金を出してやつてくれということを依頼するということは、そこに何か話があつての会見だと思いますが、その点についてあなたはどういうお考えを持つておりますか。
  139. 山崎一芳

    山崎証人 先ほど申しました通り、こちらから広川さんに一度紹介してくれということを依頼してあつたのでありますから、そのときお連れになつたことは、こちらで再三申しました通りお頼みしたことを三浦さんが実現してくれたものと私は解釈いたします。そこで、そのときに新夕刊で金を使つたからということですから、これは友人関係三浦さんと広川さんはおありになるのですから、そのために出してやつてくれということは、儀礼的な言葉、そうではなかつたかと私は考えます。
  140. 矢尾喜三郎

    ○矢尾委員 その点はわかりましたが、この日は、御承知通り十月一日に総選挙が行われる前の九月二十五日でございますから、選挙のまつ最中であります。もうすでに余すところ五日しかない選挙のまつ最中に廣川弘禪氏を連れて行かれるということは、今日のごとき平常の場合でございまするならば、私たちも疑惑を持たずに、単に紹介をするというような程度で見のがすことができますけれども、政治家は一番大切なときは選挙でございます。それも序盤戦であるとか中盤戦ならばまだしも少くとも終盤戦に突入いたしまして、あと数日で総選挙が行われるという日に、廣川さんを三浦さんが連れて行かれるということにつきまして、私たちは疑問を持たざるを得ないのであります。疑問を持つことはかつてだと思われますけれども、その翌日です。そのときの話によりますと、伊藤斗福があなたにも三浦さんにも、池田さんにもどうか紹介してくださいよと、雑談のような話の中でそういうような要求をした、まあ紹介してあげようというようなことでわかれたと言つておりますけれども、その翌日伊藤斗福氏と三浦さんとが廣川さんとともに池田さんの邸宅を訪問している。そうして池田さんも、その二十五日に、日比谷の公会堂において、自由党の終盤戦に備えるための大演説会が開催されるために、広島の自分の選挙区をあとにして東京へ上京して来られた。政治家にとりましては死命を制せられるような重大な時期において、廣川弘禪氏が伊藤斗福を連れて池田邸へ行かれたということ自体も、東京会館において何かそういうようなものに関連した話がなければ、単に紹介してください、紹介しますよというようなことくらいの話で、この重大時期に伊藤斗福を同道して池田邸を訪問されたということにつきまして、私たちは疑いを持たざるを得ないと思うのでございますが、東京会館においては何らそういうような話がなかつたのかどうかということをお聞きしたいと思います。
  141. 山崎一芳

    山崎証人 お答えします。私は事実を事実として申し上げておるのでありまして、主観を交え、あるいは疑惑を持つて想像して申しておるのではございません。従つて、先ほど申しました通り廣川さんにも紹介してくれ、池田さんにも紹介してくれということを三浦さんに言つてくれというので、私はそれを三浦さんに伝え、それを三浦さんは実行に移されたものであつて、なお、池田さんのところには私も一緒に参つております。それは行つておりますけれども、何らのことはありません。ただ、これはずいぶん人をばかにしたような話だと私は思つておるのであつて廣川さんが、これが伊藤斗福君、ああそうですが、やあ今日はという程度であつて、どうもずいぶん廣川さんという人は味もそつけもない人だということは伊藤さんも言つておられました。もつとも私は会見の中には入りませんでしたけれども廣川さんと伊藤さんと私と三人で池田さんのところに参りました。
  142. 矢尾喜三郎

    ○矢尾委員 そういたしますと、今の点につきましては、あなたの証言によりますと、東京会館におきましては何らそういうお話はなかつたということでございますが、その翌日にあなたと伊藤斗福廣川弘禪氏が池田邸を訪問されたという事実は間違いございませんか。
  143. 山崎一芳

    山崎証人 お答えいたします。間違いございません。但しそれは翌日であつたということは私記憶も薄らいでおります。
  144. 矢尾喜三郎

    ○矢尾委員 その池田邸を訪問された場合において、あなたは同道して中へ入られましたか。または自動車の中であなただけが待つておられたのですか。どうかその点をひとつ。
  145. 山崎一芳

    山崎証人 お答えします。中へ入りました。ただ廣川さんと伊藤さんが池田さんの部屋へ入られて、私はその次の間へ入りまして、応接間みたいになつておりますので、そこで待つておりまして、中に入りませんでしたが、ものの三分もたたぬうちに伊藤さんは出て来られた。
  146. 矢尾喜三郎

    ○矢尾委員 そういたしますと、その会見のときに池田さんはまだ自分の選挙区から上京して来られなかつたのでございますか。それはその通りでございますか。参られたときに宅におられたかおられなかつたか。
  147. 山崎一芳

    山崎証人 お答えいたします。むろん池田さんがおられたからおたずねした。
  148. 矢尾喜三郎

    ○矢尾委員 そういたしますと、廣川氏が訪問したときに池田さんがおられたかおられなかつたかということは、これは証言の中には載つておりませんが、私たち廣川喚問をいたしました翌日の新聞記者の会見記事によりますと、池田さんは、東京駅において、汽車が着いたときに、使いの者が自宅から見えておつて、ただいま廣川弘禪氏と伊藤斗福とがお宅において待つておるが、お会いになりますか、献金をしたいと言つて来ておるがお会いになりますかと聞いたら、そのときに池田氏は、そのようなものを受取る必要はない、会う必要はないと断られたけれども、お宅にお帰りになるのならば、あなたからお帰りになつて直接お断りになつてください、それじやおれが帰つて断ろうといつて家へ帰つたところが、廣川弘禪氏と伊藤斗福が待つてつたから、伊藤斗福には大蔵省も反対しておるのであるから、自分伊藤斗福には何ら話をしなかつたけれども廣川弘禪氏とは別室で選挙などの話をした、こう申しておるのでございます。今証人証言によりますと、もちろん池田さんがお宅におられたということでございますが、そのとき池田さんはお宅におられたのですか。
  149. 山崎一芳

    山崎証人 おられました。
  150. 矢尾喜三郎

    ○矢尾委員 そういたしますと、それは記録に載せていただいておいて、後の委員会におきましてはつきりいたそうと存じます。  ただいまの証言によりまして、あらためて伊藤斗福三浦さんとが廣川弘禪氏の宅をその翌日訪問されたということを申されたのでございますが、そのときに伊藤斗福が千五百万円の金を持つてつた、――いわゆる東京会館の場合において、三浦氏がかつて新聞夕刊経営者であり、それから手を引くために、その経営から離れて行くために、どういう意味か知りませんが、伊藤斗福が千五百万円の金を出されたということにつきましては、伊藤三浦さんに渡す金を廣川さんの宅で渡したという事実はございますか。
  151. 山崎一芳

    山崎証人 お答えいたします。これは先ほど申しまし通り廣川さんの家へ伊藤さんと三浦さんとが行つたという事実はないと思います。私と伊藤さんとで廣川さんの家へ参つて池田さんに御紹介願つたそのときに、一千五百万円という金を持つてつたということはありません。
  152. 矢尾喜三郎

    ○矢尾委員 いや、それは池田邸へ持つてつたということを言うておるのではございません。一千五百万円の金を伊藤斗福から三浦さんに渡された。その渡された場所にはどういう人が立会つて、どこで渡されたかということを伺いたい。
  153. 山崎一芳

    山崎証人 先ほど申しました通り、駒込の伊藤さんのお宅でありまして、七のときに三浦さんに渡したのであります。これは三浦さんの運転手が自動車へ載せましたから、はつきりわかつております。
  154. 矢尾喜三郎

    ○矢尾委員 そうすると、伊藤斗福氏の宅へあなたと三浦さんが参られて、てして金をお受取りになつたということですね。
  155. 山崎一芳

    山崎証人 お答えします。先ほど申しました通り廣川さんも御一緒で、三浦さんと廣川さんが新聞社へお見えになつて、伊藤さんの家を知らないから案内してくれというので、私が御案内した。
  156. 矢尾喜三郎

    ○矢尾委員 そうすると、伊藤斗福の宅でその一千五百万円の金を受取られたのですね。それは廣川氏もそれを承知しておるのですね。
  157. 山崎一芳

    山崎証人 それは御承知のはずであります。
  158. 矢尾喜三郎

    ○矢尾委員 そういたしますと、廣川証言においては、少くとも自分東京会館において伊藤斗福に対して、新夕刊社に金を出してやつてくれという単なる依頼をしただけで、その後それがどうなつたかということは知らなかつた、そして後日になつて四千万とか六千万とかの金を受取つたという話は聞いたけれども、おれのところには礼にも来なかつたということを証言しておるのでございますが、その一千五百万円の金を渡したことについては間違いなく廣川氏も立会いしておられたのでございますね。
  159. 山崎一芳

    山崎証人 お答えいたします。立会いという言葉はいかがかと思いますが、一緒であつたことは事実であります。
  160. 矢尾喜三郎

    ○矢尾委員 最後に、もう一点。そのときに持つて行かれた金は現金で持つて行かれましたか、小切手で持つて行かれましたか、その点をお伺いいたします。
  161. 山崎一芳

    山崎証人 現金でございます。
  162. 佐竹新市

    ○佐竹(新)委員 関連して。今矢尾君がお尋ねしたのですが、証人が最初の証言で言われました三浦君の九百五十万円以外のいわゆる千五百万円という金は、どういう性質の金なんですか。
  163. 山崎一芳

    山崎証人 先ほど申しました通り三浦さんが四千万円くらいのものを新夕刊へつぎ込んだ、それを全部お渡しするわけだから、それの代償という意味でほしい、こういうふうなことでございます。
  164. 佐竹新市

    ○佐竹(新)委員 そういたしますと、これは三浦君対伊藤君の問題である。証人の最初からの証言によりますと、新夕刊の金は廣川さんに心配してもらつたのではない、三浦氏が新夕刊に出した金を池田さんや廣川さんに頼んで自分がとりたいというので、三浦氏は池田氏や廣川氏をひつぱり上げたというのですが、新夕刊へ持つて来て何もあなたはお世話にならない、廣川さんからそういうことは頼まれていない、伊藤氏とあなたの関係で新夕刊に金を出した―。すると、その千五百万円というものは、新夕刊につぎ込んでおるから、その中の一部分の千五百万円を、廣川さんを中へ入れて、そして伊藤さんから出してもらう、その口つぎをあなたがされた、こういうように解してよろしいのですか。
  165. 山崎一芳

    山崎証人 その通りでございます。
  166. 佐竹新市

    ○佐竹(新)委員 そうすると、伊藤氏があなたに頼んで、廣川氏や池田さんを紹介してくれと言うので、あなたも池田さんの家について行かれた。あなたの新夕刊に金をつぎ込んだ三浦さんがその金を取立てるのに、何も池田氏――廣川氏は最初に口をきいたということはありましようが、池田さんまでひつぱり出すことはないと思いますが、一体伊藤氏はどういう考え方で池田さんを紹介してくれという気持になつたのですか。その点をひとつ。
  167. 山崎一芳

    山崎証人 お答えしたします。伊藤さんに対してははなはだ申し上げにくい言葉でありますが、朝鮮の御出身である伊藤さんが、金ができたから、いわゆる名士に近づきたいという気持を持つたのは当然ではなかつたか。だから、私などには、なお吉田さんにも一度会いたいものだというようなことも言つておりました。(笑声)これは失礼な言葉ですが、ああいう成り上りの金持の方はそういうところがあるのではないかと私は考えます。
  168. 佐竹新市

    ○佐竹(新)委員 あなたは実にりつぱな御証言をなさいますが、しかし、一般の世間の人が考えるに、金を持つたからすぐそういう名士に会つてみたいというような考え方は、よほど頭のピントのはずれた者でないとやらないと思います。そこで、当時伊藤君は、あの保全経済会の立法化のために――これは伊藤君の声明書にもはつきり出ておるが、相当奔走した。だから、結局、金を渡したとか渡さぬとかいうことでなくて、――そんなことはあなたもお知りにならないであろう。伊藤君対の問題ですから。しかし、立法化のためにあなたに対して池田さんや廣川さんに近づきたいと頼む、――今まで政界に造船疑獄やいろいろな問題が出ておるのはそういうことなんです。直接立法化に関係したかどうか知らないが、そういうことが検察庁で問題になつておる。池田さんといえば当時大蔵省では相当顔もきく。そういう人に近づけば、これは金融関係においては監督の行政官庁だから、都合がよい。また政党の中においては、廣川さんといえば当時相当幅がきいておつた人である。こういう人を通じてひとつ何でもかんでも立法化したいという考え方が伊藤君の腹の中にあつたとあなたはお考えになりませんか。あなたも新聞社で相当長い間飯を食われたのでありますから背後にあるこういう問題は政治的にはどういうふうにすれば解決できるというようなことは常識的にも御存じのはずです。金を受取つたとかどうとかいうことを言つておるのではない。どうです。
  169. 山崎一芳

    山崎証人 お答えいたします。保全経済会というものは、後日になつてみますと、自転車操業をやつてつたようなからくりがわかつたのでありますが、その当時は非常な宣伝をやり、金を使つておりましたので、その当時立法化というようなことは考えていなかつたのではないかと思います。立法化ということを言い出したのは休業後ではないかと私は考えております。
  170. 佐竹新市

    ○佐竹(新)委員 これは、盛大にやつておろうがやつておるまいが、いわゆる金融法の盲点をくぐつておる、銀行法に違反しておるということは、伊藤君も男だからよく知つておるのです。立法化をしたいということは開業以来の考え方であつた。これは保全経済会休業したからではない。彼の意図には立法化ということがあつたのです。顧問にも平野君あるいは早稻田柳右エ門君、松本君というそうくたる人を雁つておることは、そういう知恵を借りたいからなんです。さらに、これがほんとうに立法化する場合は、自由党が多数であり、多数の党がいわゆる立法化に賛成しなければ議会は通らない。そこで、伊藤君はそういう人に近づきたいという意思があつたのではないだろうか。またあなたが伊藤君を手引して、それが三浦君やいろいろな人と会う、その間にあなたもいろいろ関係しておいでになるということになれば、単に三浦君の新夕刊に関して出した金の取立てぐらいなことで池田氏や廣川氏をかつぎ出して、その邸宅を訪問するということは、常識では考えられない。金銭を受取つたとか受取らないとかではない。そういうことがあつたのではないかと私は思うのですが、あなたは言論人として、もしあなたが新聞記者であつたらどういうふうに想像されますか。
  171. 山崎一芳

    山崎証人 お答えいたします。失礼でありますが、私は想像してお答えを申したくないのであります。御了解願いたいと思います。
  172. 佐竹新市

    ○佐竹(新)委員 それでは、別な角度からお尋ねしますが、あなたのところの新夕刊に持つてつて相当な金を出しております。これは、実際に申しますれば、法律上のことについては弁護士の人もおられますが、私は専門的によくわかりません。しかしながら、これは、零細な人が、いわゆる保全経済会に投資して、それによつて金利がよそより高くもらえる、あるいはは割増しが高くもらえるというようなことで、四十五億からの金を集めておる。その一部分があなたの会社に行つておるのです。そうすると、あなたの会社は、その金の返済に対しまして、そうした迷惑をかけた者のために株でも何でも整理しなければならぬ段階に至るわけですが、今その整理の過程はどういうふうになつておりますか。
  173. 山崎一芳

    山崎証人 お答えいたします。和議が成立するやに承つておりますので、私の方といたしましては、裁判所においてああいう出資している株というものに適正値段をつけられることと思いますから、そのときはこれを買い受けたい、譲り受けたいという構想を持つておりまして、そのことはすでに出資者組合の方へ弁護士を通じて申し伝えてございます。
  174. 高木松吉

    ○高木委員 ただいまの佐竹君の質問に対して証人がお答えになりましたことで疑問が生じたのでありますが、要するに、伊藤君が、先ほど証人の申されたような理由でぜひ廣川及び池田に会いたいという希望があつたの三浦氏にそれを頼んだ、そうして三浦氏は機会を見つけて廣川及び池田に会わしたということになるわけですか。その点どうですか。
  175. 山崎一芳

    山崎証人 その通りでございます。
  176. 塚原俊郎

    塚原委員長 この際暫時休憩いたします。午後は二時より再開いたします。     午後零時五十二分休憩      ――――◇―――――     〔休憩後は開会に至らなかつた