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三宅証人 昭和二十七年の一月に私の家へ
伊藤君が
年頭の
あいさつに来たのです。そのときに、私は、
有価証券の
金融をやりたいと思うけれども、援助してもらいたいということを申し込みました。
伊藤君は
望月京一君を連れて来まして、よく研究してからというので、三月の半ばごろまでその問題についていろいろ
向うで内部の
相談をしていたようでございます。これならいいだろうというので、四月初めに、それじや
最初二千五百万円の
会社にしよう—。それについては私が五百万だけ
投資するから、二千万だけ
投資してもらいたいとこちらから申し込みましたら、
伊藤君が言うのには、二百万円の
投資にしてくれないか、
自分の方で二千三百万
投資をする。それで話がきまりまして、
昭和二十七年の四月二十七日に
設立しまして、現在の私の
店舗を
会社へ貸して発足したのでございます。
昭和二十七年の九月十七日の夕刻に、私が
所用先から
自分の
会社へ帰
つて参りましたら、
望月君が私を待
つておりました。何の用かと
思いましたら、非常に忙しいようだから
増資をされる
意思があるかと私に問いましたから、
増資の
意思は十分ある、だが、それは君の
考えであるかそれとも
伊藤君の
考えであるかということを私はただしたのであります。そうしたら、
自分が
伊藤から全
責任をも
つて一任されておるから、あなたさえその
意思であるならばいつ
増資をしても
けつこうだと
言つて、私に
相談に参りましたので、
増資は
けつこうだけれども、急速に
増資するというのはどういう意味かということを私が問いただしましたら、実は九月の二十四日に
国税局から
保全経済会の
帳簿を調べに来ておる、それについては五千五百万ほど
保全経済会の
帳簿に穴があいておる、これはどうしても埋めておかなければ、
国税局の
調査員につつ込まれるから、埋めたいと思うから、まず
増資された場合には、私に
会社から金を貸してもらいたいという
申込みがありましたので、金を貸すということは何日くらい貸すのかということを私が問いましたら、実はその五千五百万というものは
政党に献金してある、だから十月八日の総
選挙が終れば、
政党から
保全経済会に対して正式に
領収証が出る、その
領収証が出れば
保全経済会の
帳簿が落せるから、十日ごろまでには借り受けした五千五百万円はお返しする、だから、
ほんとうの
増資であるから、その間だけめんどうを見てくれぬか、こういうことを頼んで参りましたから、それはいいでしよう、返
つてさえ来ればよろしいからと
言つて承諾いたしました。
それから、
昭和二十七年の十一月に入りましてから、
ちようど私のところの食堂へ
伊藤君が来ておりまして、
週刊朝日の十月か十一月の十三日のに、
三宅証券に対して一億の
投資をしているというふうに
記事が出ている。私の方は
金融はできないんだ、お宅の名前を
使つて傀儡の
会社でもつく
つて保全経済会が
金融でもしているように思われるのは非常に迷惑だ、だから、この際
減資と同じような
方法をと
つてもらえぬだろうかということを申し込んで参りましたが、
増資をしたわ、一箇月もたたないうちにまた
減資をするわということは、
自分としては世間体があるからごめんこうむる、だがしかし、
減資と同じように
株券の
肩がわりならばぼくはやろうというので確約しまして、その後二、三日過ぎましてから、
昭和二十八年の四月か五月ごろまでの間に、
株券の
代金として三千万円渡しました。
それからさかのぼりますが、
昭和二十七年の七月か六月ごろから何回か
機密費に
ちよつと金がいるからと
言つて使いをよこして
会社へ来ましてから、約二十六回にわたりまして千七百六十万円ほどの金が
伊藤君の方へ仮
払いの
形式で
行つております。
増資のときの
向うの
投資は七千八百万と
思います。それで三千万円と一千八百万が
株券の
代金と仮
払いとして
行つて、今日に至
つております。