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河野証人 お答え申し上げます。ただ、あらかじめお断り申し上げておきたいと思うのでありますが、十分に記録にと
つてございません会合もございましたために、
関係者の記憶をたどりましたので、あるいは日時、
出席者の顔ぶれ等につきまして記憶違いの点があるかもしれませんが、大体のことは誤りないと思います。ひとつその程度でお許しをいただきたいと思います。
最初に、私
どもがこの
保全経済会あるいは株主相互
金融、この二つの問題を大体
対象として
関係当局と協議をいたしました回数は、いろいろ係の者に聞いてみますと、数十回に上
つておるようであります。おそらく三十回か四十回になるのではないか、こう申しております。従いまして、その一々についてはなかなか記憶が
はつきりいたしません点もあるのでありますが、特に
昭和二十六年から七年の初めにかけての当時のことにつきましては日時等が
はつきりいたしませんそうであります。この点はごく抽象的に申し上げることでお許しをいただきたいと思います。
昭和二十六年の秋ころから二十七年の二、三月ごろまでの間に、この問題について、当時は法務府と申しておりましたが、その
行政訟務局という局の第二課長
——名前は、私、係の者から聞いておりませんが、その第二課長を中心にして、私の方からは有吉という特殊
金融課長、長谷井という課長補佐、中谷という事務官の三人、あるいはそれに他の事務官が一、二名加わ
つたようなこともあるようでありますが、十回以上の会合をいたしておるようであります。この会合の目的は、かりにこの
保全経済会等の行
つておる資金の
受入れが預金
行為であるということで提訴をいたした場合に、
行政訟務局がこの
行政訴訟の相手方になるわけでありますが、
一体勝訴の
自信ありやなしやということでいろいろ
検討いたしたのであります。その結果、
昭和二十七年の二月ごろと係の者は記憶いたしておるようでありますが、二月ごろに、いろいろ
検討したけれ
ども、どうも預金
行為として告発して訴訟に
なつた場合に勝訴の
自信がないということであ
つたということであります。従いまして、
行政訟務局との折合せはそれで終
つた、これは
昭和二十七年の二月か三月、つまり寒いときだと記憶いたしておるようでありますが、そのころに打切
つたということであります。それから後は、もつぱらその当時の法務府、今の
法務省の、民事局、刑事局とこの問題の
検討を進めて参
つたようであります。午前中に、どの
委員の方からございましたか、二十七年七月十八日という日が示されておりますが、係の者の記憶をたどりますと、まさにその日に会合いたしておるようであります。
法務省から刑事局の津田総務課長、安原検事、古川検事、それから最高検から、名前はちよつと記憶がないようでありますが、
経済部の係検事、それから私の方から、今申し上げました有吉、長谷井、中谷、あるいはもう一人くらい出てお
つたかもしれませんが、そうい
つた者が出て、この
保全経済会の問題及び株主相互
金融の問題についての打合せをいたしたようであります。そのときの
議論はいろいろ出たようでありますが、
結論は、これらの問題について、これは
一体金融法規の違反であるかどうかについては軽々に
結論を出すことができない、
従つて、さらに
会議を続けて
検討をすることが必要である、そういうことに
なつたと、出席をした者から私は聞いております。それから、同じような問題について、
昭和二十七年十一月二十日、十一月二十九日
——この間まだ数回あるようでありますが、記憶が
はつきりしているのはその日付であります。これらの日にも、大体
大蔵省からは今申し上げましたような顔ぶれで、主として
法務省の刑事局総務課長及び刑事課長等と、これらの
行為が
一体預金
行為であるかどうかについて
会議を何回もや
つて参
つておるのであります。これらの
会議は大体全部
法務省でや
つておるようであります。それから、十二月に入りましてから、かりに
保全経済会等が行
つておる
出資の
受入れの実体が預金
行為でないにしても、あるいは信託
行為ではないかという疑問が一部に起きたようであります。この問題で、十二月一日に、私
どもから、今申し上げました者と、さらに当時の銀行課長でありまして今総務課長をや
つております大月という者が加わりまして、民事
局長及び民事局の吉田参事官等と打合せをいたしております。さらに十二月三日 五日、十日、これらの間に民事局の吉田参事官及び刑事局の津田総務長課、長戸刑事課長等と、今申し上げました
大蔵省の大月、有吉その他が、この資金の
受入れ方が
一体信託であるかどうかということについての
会議を何回もにわた
つて開いております。
ちようどこれと前後いたしまして、
昭和二十七年十二月一日に私
どもの方の有吉課長以下の者が法制局の林次長及び吉村、田邊両参事官と
会議を開きまして、この
保全経済会の性格及びその
受入れておる
出資の本質的性質という問題について会合を開いております。その結果、
はつきりした
結論にまでは到達しておらぬようでありますが、どうもその
出資の
受入れ方は預金
行為とは言えないだろうということであ
つたように記録が残
つておるようであります。それから、法制局とは、さらに十二月十一日、それから少しさらに前後いたしますが、二十八年二月二十四日というのもありますが、そうい
つたころに、やはり法制局の第一部において、私の方の有吉課長以下、国税庁の法人税課長その他法人税課の者との間に、この
保全経済会の課税の問題、
——つまり出資に対する
配当をいかなるものと見るべきか、それによ
つて課税をいかにすべきかという問題が起
つて来るわけなんです。
従つて、この問題は
金融法規との
関係においてこれを預金と見るべきかどうかというような点とも関連して参りますので、銀行局及び国税庁の課長等が法制局の第一部で、そのうちの会合一回の分については、法制局林次長も出席をしておられますが、会合を開いて
検討を加えたようでございます。ちよつと話が前後いたしましたが、法制局と打合せをいたしましたのは、大体その三回ばかりの会合であるのであります。
その後、
昭和二十八年に入りましてから、一月二十日、一月二十一日、一月二十二日、
法務省刑事局の津田、長戸両課長、安原、田宮両検事と私
どもの有吉課長以下とが、今申し上げましたような、預金
行為かどうか、信託
行為かどうかというような点について、さらにこれらの問題の
検討を進めたようであります。その結果、大体二月十八日でありますが、これが実は正式の会合としては一番
最後の会合にな
つておりますが、この会合が
法務省刑事
局長室で開かれたのであります。この
会議は、
大蔵省からは
銀行局長の私も出席いたしました。それから有吉課長、長谷井課長補佐その他が出席いたしたのであります。国税庁からは平田長官及び原次長及び法人税課長その他の
関係の者が出ております。それから、
法務省からは、前の刑事
局長でありますが、岡原刑事
局長、津田、長戸両課長、安原、田宮両検事、民事局から吉田参事官が出ております。どうも私の記憶では民事
局長は出ておられなか
つたようであります。それから最高検からは熊沢検事、市島検事、それから高検からは司波検事、地検からも
関係の検事がこの会合に出ております。この
会議で、先ほど来申し上げました、また三月四日に
大蔵委員会で私が御
説明申し上げましたような文書の草案を
検討いたしたのであります。そこで若干の字句の点については修正が残されて、その点はさらに同日の午後の担当官の
会議、つまり課長以下の
会議に持ち越しました。そこでいろいろ私から
国会において御
説明申し上ぐべき原稿の調整を行
つて参
つたのであります。それから、その
あとにおきましても、
関係者が集ま
つて、たびたび、三月四日の
結論が出ます原稿の整理を
法務省と
大蔵省の係の者でや
つて参
つたようであります。
その間にもたびたび同種の会合が開かれたようでありますが、記録もございませんので、その点については正確に申し上げることはできませんが、これを担当いたしております係の者の記憶では、大体押しなべて三、四十回の会合は前後開いておる、こういうふうなことであります。