○
浦口参考人 私
どもが
黄変米の検査を始めましたのは、
ちようど昭和十五年に
日本の内地に菌が広が
つていることがわか
つた黄変米、当時
黄変米と言えばそのほかの
黄変米は考えなか
つた、戦後にな
つて今盛んに言われている
黄変米とは違うのであります、違うことがこのごろわか
つて来たのでありますが、ともかく別なものととつくんだわけであります。これは
三宅市郎という東京農業大学の
植物病理学の教授並びにその一門の方々が台湾から輸入された米で
最初に
動物実験をやり、また菌学的な方面をやり、
有毒米というので当時の
東京大学の総長を通じて
委託研究になりました。
食糧庁からの
委託研究でありますが、それがきつかかりになりまして、私は結局その昔の
黄変米の
実験を終戦後の
昭和二十六年の末ですか、七年ころまで
動物実験を続けたのであります。その
実験を二つの時期にわけますと、すなわち
最初の空襲が始ま
つてからもや
つておりましたが、そのころまでの
実験でおもなものは
急性毒を目標にしたものでありまして、人工的に接種して培養する。培養したものをいろいろの濃度でやるというようなこと、及びそれから抽出しました毒素をいろいろの経路、すなわち注射でやる、注射も静脈、皮下、
腹腔等でやりますしまた経口的にもやる。目標は私
どもがこれを
食つて大丈夫かということでありますから、常に
エキストラクトでやる場合も、この経口的に与えることを目標に
実験を進めております。その結果わかりましたことは、これが
一定の量以上の場合にはかなり強い。これはもう非常に強い。猛毒である、
麻痺毒である。これは今のじやありません。戦前及び戦後にかけてのお話でありますが、これは
神経毒であります。なお終戦後になりまして、少し詳しくや
つた実験でわかりましたことは、その毒が
中枢神経の骨髄、延髄の
運動神経細胞を麻癒するというところで、大体一つの真因と申しますか、さような場所と申しますか、それがわかりましたので、そこで毒性のものはほこを収めました。そこに到るまではもちろん初めは
ねずみでやりましたけれ
ども、
ねずみだけでは心細ので、だんだんに近傍の
動物、小
動物を使いまして、下の方は遂にへびまで行きまして、へび、めだか、金魚、かえるというようなものから始めまして、背椎のある
動物を下から上まで押し上ろうというわけでだんだんに攻め上
つて来ましてさるに至りました。さるなどは映画をと
つてございますが、いずれも数時間あるいは一日ぐらいで麻痺が参ります。足から麻痺が来ます。手も麻痺をいたします。
呼吸器官も麻痺いたします。横隔膜も動きが悪くなります。心臓は非常にアドバルーンのように丸くな
つて飛び上るというようなことで、これはもちろん
致死量を与えたときであります。この
致死量の決定ということは割に昔は簡単にや
つておまりしたが、近ごろやかましくなりましてたくさんの
動物を
使つて五〇%
致死量ということをはかりますが、そういうはかり方をや
つてみましても、どうも
動物の種類と申しますか、
背椎動物の下等のものから上等のものが大体において同じような答えが得られますので、これを
人間にやりたいと思
つたことも若干戦争中の物騒なときには考えましたけれ
ども、これは遂にやらずに幸いであ
つたと私は思
つております。
ほんとうに
急性中毒がもし
人間に起
つたならば非常に苦しい、みじめに悶々のうちに死ぬ。しかも大脳は比較的冒されない、最後まで割にはつきりしている。自分がだんだんに麻痺して死んで行く。呼吸は苦しい、のたうちまわるというような
状態を意識しながら死んで行くような
状態であろう、と
動物実験から想像しているのであります。
まあこういうことは量によ
つて起るということももちろんでございます。そこで
致死量に欠ける場合にはどうであろうかというようなことて、
大分致死量に近いところからずつと百分の一とかもつと小さいところまで下しまして、ずいぶんたくさんの
動物をそのために犠牲にいたしましたが、これは幸いにあまりひどい毒ではないらしい。急性投与して一挙に事が起らなければ案外ひどいことはないらしい。少くとも外から見たところでは
症状変化などはないらしい。もちろん
中枢神経がやられるためでありますか、
動物の死にそうにな
つたのをやつと助けて、それからあとずつと観測して半年ばかり見ておりましたが、どうも片足が麻痺してひきずるようなときとか、これは猫でありますが、こまかい運動ができなくてぶきつちよになる。何か足の
あたりに
神経障害が残
つているのじやないかということも認められました。また当時この米の毒が
肝臓を冒すことがあるのじやないか、
日本で何かそういう原因のわからないものの一つであるかもわからないというような心配から
肝臓の
実験をやりました。もちろん
動物実験でございます。一番長いのは一年と二箇月でございますが、毎日々々
エキストラクトをゾンデと申しますか
注射器の先の少し丸いようなもので入れる。まず百匹前後のやつを毎日入れる。たいへんばからしい時間のかかる仕事でございます。それを進んで努力してくれる若い
研究者がおりまして、そのために
博士号なんか数年遅れてもかまわぬという
人間が大分おりますので、そういう連中が一生懸命や
つてくれましたが、それがこういう努力にかかわらず、その
肝臓を適宜殺す、あるいは末期において殺すというようなことで
病理学教室で調べてもらいましたが、
肝臓に若干の変性が認められるという程度で第一年度、第二年度、第三年度は終りました。この間飼料、そういうものをいろいろかえながらや
つたのでありますが、まあ、これならば、とにかく一挙に大量投与しなければこれは大丈夫だろう、こういう結論が
昭和二十七年か、最後には八年ごろでございますか、私
ども研究者の頭に来ました。これは要するに
実験室的な知識であり、
実験室的な
できごとであります。ただこれが
万々一人間の場合に起
つて、しかもその起
つたということを医者が
知つてお
つて観察したならいざ知らず、何かほかの病名で片づけられておるのではないか、そういう
可能性があるのではないかというような心配もありましたので、ずいぶん
がんばつてみましたが、今のような調子であります。
なお、これは
トキシカリウム、昔の
黄変米は、その当時
実験をやりました現
新潟大学内科の
鳥飼教授が当時
長期連用投与をや
つておりますと、ほかに大したことはないが、貧血が起るようだ、そういう報吾をされたのであります。それで戦後になりましても、
井上先生もさつきおつしや
つた総合研究班ができましたときに、
鳥飼教授は再び昔の
黄変米を取上げて、貧血を再確認したというので大分努力されまして、努力というのは非常にめんどうな長い
実験でございますが、内科的にいろいろ検査されまして、結局ある相当の時期において貧血が起るけれ
ども、その
黄変米の投与をよすと、割に早く消えてしまうのだというような結果が出ております。こういうことを全部勘案いたしまして、大体
黄変米、
トキシカリウムによるものは、これはまず大丈夫であろう、
昭和二十六、七年
あたりにはずいぶん安心した気持にな
つてお
つたときに、この次の問題、すなわち戦後の
黄変米の問題が起
つて来た。もちろん戦時中私
どもの
研究班は、医者ばかりでなく
化学工業とも連絡をとりましてや
つておりましたが、これは
農林省の方針が急にかわ
つたり何かするような
できごとが昔ありまして、
研究費もなくな
つて、微々たる大学の
研究費を
使つて長い間続けて来て、一番ひどいときは
医学方面では私がま
つたくの一人で
がんばつたのも数年ございます。そうや
つて一応の結論に達したときに、実は初めからこの問題にタツチしておる
角田技官が、これはハルマヘラか何かで変な病名、すなわちぼくらが今まで
言つてお
つたのと似たような見かけのものだが、違うかもわからない、とにかく類似のやつが出た、自分が
食つてどうも変なことが起
つたというような経験を持
つて帰
つて来られたわけであります。そのときに
日本の買い入れる外米の中に、従来の
黄変米に似ておる、すなわち
類似黄変米と
言つて、私
どもはただの
黄変米、昔の
トキシカリウムとは区別しておりますが、とにかく戦前のとは違うらしいというのを見つけて
動物実験もやられ、そうして
ねずみの
肝臓に
肝硬変という
変化が起
つたということを、これは
日本大学の
小早川庸造教授が鑑定されまして、確かにそうだろうということで、ありました。私
どもはその話を聞きまたそれが印刷にな
つてから、
ほんとうにそういう
肝硬変が起るならば、これは医学的にゆゆしい問題であ
つて、
ねずみに起すこと自体がそんなに簡単なことではないと私は信じておりますが、そう簡単に起るまいと思
つております。これがこんなに起る、
角田君の
ねずみをこちらへ持
つて来て、私の方の
病理学研究室で調べてもらうとか、そういうようなことをや
つて参りますと、これは蹄係的な
肝硬変である。しかしただ
角田君のは
一定の期間食わせまして最後のところで蹄係的なものが出た。けれ
ども、それと対照に並行的にや
つたほかの
動物には出ておらないから、その
毒米のために起
つたとは言えますが、
肝硬変というのは一挙にして、一朝にしてできるものではございませんから、その前の時期、前のステージの
変化、すなわち何か毒が入
つて肝臓に
変化が起
つて、それからだんだん発達する、その前の時期を見たい、これは医者として当然考えることでございますが、それが不幸にしてそういう材料がと
つてなか
つた。そこで、
角田君の方は
角田君として別におやりになるでしようが、私
どもの方へそのかびをもら
つて来て
調べようじやないかというのが、実際に
医学方面で私
どもが取上げた動機の一つであります。
同時に当時は神戸で何だかひどい
黄変米の事件があ
つたり、新聞をにぎわせておりました。これは新聞が報じたのであ
つて、
黄変米の事件なんというのが出たときに、あれは
黄変米ではないと私は
言つたのです。というのは私
どもは
黄変米といえば戦後のものを考えておりません。戦後のものは何か
黄変米に形容詞をつけまして別な
名前で言うか、あるいは
類似黄変米と言うか、そういうようなこまかいことを
言つて、従来の私
どもが長く
研究した
黄変米と混同されることはいさぎよしとしない気運がありました。というのは、昔の
黄変米であるならば、先ほど申したような
中枢神経毒でありますから、それが入
つたのだ、
日本にたくさん来たのだということは、これは
研究者として別なものに同じ
名前をつけられることは私はいやな感じがした。それで実は朝日新聞まで
行つて、今後はあの
黄変米なんという
名前はもう少しちやんと、穏当な
名前をつけたらどうかということを言いに行
つたことがございます。
それはそうとしまして、とにかくそういうように世間にも
黄変米類似のものが入り出した。それもアクシデントとしてでなしに続々入
つて来る形勢がありましたので、私は
農林省及びそのほかのところを説きまして、
厚生省も説いたつもりでございますが、なかなか私
どもの声は通じにくか
つたのであります。ともかくも比較的どうやら通じたのは、一番そういう被害を痛感している
農林省であります。で、若干の金をくれまして、くれるにもなかなか渋りましたのですが、とにかくそれで
予備実験的なことを始め、そうして正式に
研究費をもらうということが実現したのは二十八年度からでございます。
井上先生の
総合研究、さつきおつしや
つたのは、二十八年及び二十九年度ももらうことにな
つておりますが、まだいただきません。ともかくもそういう
状態でございますので、結局
実験を始めたということ、実際に私
どもの方に金が入る、また菌学的な方面もずつと検討したのが約一年間でございます。その間に
動物予備実験を
ちよこちよこや
つておりますが、実際に系統的にきちんと培養をしたかび米を
使つて条件を揃えて、
ほんとうに
実験室らしい
実験を始めたのは二十八年の二月何日かからでございます。この点を私が非常に強調するのは、私
どもの主観的に、及び長い間の歴史から言いまして、
黄変米系統のものはや
つておりますが、戦後にな
つてやかましく言われた
黄変米というものは
角田博士が見つけられた。そしてそれに関連された若干の
人たちが主張された
黄変米、すなわち先ほどから申す
イスランデイア黄変米及び
タイ国黄変米、この二つが有毒であるらしい、菌学的にも相当わか
つた、菌の
名前もついた、そういう
状態のときで、それを
医学者の側で正式に取上げ、正式に始めたのはおそらく私
どもの東大における仕事が少し早く、それから
厚生省は御承知の通りに
食品衛生法という法律の方が先に出ておりまして、何とか魂を入れなければいけないという
状態で一おそまきながら急いでお始めにな
つたのがそれからしばらく遅れてでございますが、とにかく
実験は三月ごろお始めに
なつたと聞いております。
私
どもはもちろんその毒性、こんなものを
日本人に食わしていいかというような心配は多々持
つております。しかし
動物実験で確認しないことには、無用に、ある
マウスなら
マウス、
ラツテなら
ラツテという
動物を使いまして、あるときにたまたま
肝臓に
変化が起
つたという場合も
ねずみはみな生きております。自分の病気を持
つております。そういうものと、あるいは私
どもの観察が間違
つておるかもわからないというような心配もありました。そこで正式に大がかりに始めたわけなのであります。始めたのですが、始めてからまだ非常に短かい。それをやつと重ねながら今までに十数回、一ぺんに十匹とか五十匹とか、そのときによ
つて違いますが、
動物をやる、一つ始めたからには半年から八箇月ぐらいの
観察期間を置いて
実験をやります。その間にかびを食わせる、またよす、また食わせるというようなこと、同時にその間私
どもの及ぶ限りの観察、すなわち外からながめておるとか体重をはかるとかやるのでありますが、これは大して起りません。そのままや
つても割に起りにくいのであります。体重が若干減
つて来る、大きなグループで平均をと
つてみると長い間で二割方減
つて来るというので、これはあまり問題にならない。そうしてまたその間に頓死するというような、あるいはまたそのために死んだというようなものは私
どもの方に関する限りはないのであります。
角田博士の方ではか
つて古いときにはそういうことがあ
つた、割に短かい間に死んだりしております。そうして
変化も強か
つたのであります。私
どもの方ではなか
つた。
結局そうや
つて調べて行くうちにひつかかりましたことは、まず
タイ国黄変米から申し上げますが、
タイ国黄変米というのは白米に四十八時間培養しましたもので、まつ黄色なきれいな米であります。人造のかび米、これをそのまますなわち一〇〇%でやるかあるいは私
どもの方でやりましたのはそれを一割方入れて、あと九割は普通の白米を入れるというような、すなわち一〇%と称している、その二つ、おもに一〇〇%でやりましたが、や
つて行きますと、まず二箇月
あたりではか
つてみますと腎臓の尿の排泄量がふえて参ります。それは一群の中から何匹かをランダムにとりまして、ある三日なら三日というような間隔を置いて測定する、またある時期を選んでやるというようなことをや
つておりますが、とにかく尿量がずいぶんふえて参ります。一倍半というようなところが平均のところだと思いますが、そういう
変化と、それから死んだ場合あるいは殺した場合に腎臓を見ますとえらく大きくな
つておる。これはまた例によ
つて違いましようけれ
ども、一倍半ぐらい大きくなる、これは
ねずみの腎臓を一々と
つてはか
つてみたのですが、そうすると重くな
つております。これは重くな
つておることを必ずしも肥大とは申しません。大きくな
つている、重くな
つているということしか私
どもには
ほんとうのことは言えないのでありますが、とにかくそうな
つております。今度はそういうものを機能検査をいたします。これはクリアランス・テストとい
つておりますが、そういうものをや
つてみますとイヌリンあるいはパラミノヒツプルゾーレとかチオ硫酸ソーダ、そういうものをいろいろ
使つてや
つてみたのでありますが、御承知かと思いますが腎臓は血液からいろいろのものをこし出す、すなわち糸毬体というこす道具がございます。そこで
人間ならば一日二百リツトルというたいへんたくさんの水が血液から腎臓をこして出て来ます。二百リツトル、たいへんなものでございます。普通私
どもがする小便の約百倍ぐらいになりますがうそんなものが血液から一応出て来る、これは生理的でございます。出て来まして、それと同時に老廃物その他からだの外に出したいものが一緒に溶けて流れ出るのであります。しかし腎臓というのは非常におもしろくできておりまして、一つの学説かもわかりませんが、そこでこされたものが、その下の方の細尿管という非常に小さな長い管がぶら下
つております。ちようどうなぎの頭とうなぎのからだみたいなもので、糸毬体というのが球にな
つております。それからずつとうなぎのからだみたいに、もつと細いのでありますが、長い管にな
つております。その管のところはむしろ流れ出した二百リツトルなら二百リツトルの水の方及びそれと一緒に流れ出して、体にはまだ利用価値があるというようなものを再び体の中に回収するような、再吸収と申しますか、上の方でたくさん濾過して一応悪いものを出してしま
つて、必要なものをまたもどすという、再吸収とい
つておりますが、そういう回収機関がございます。その回収機関がやられておるということが私
どもの方の
実験ではわか
つております。すなわちそれでは、こす方の
最初のうなぎの頭といいましたこちらはどうだ、糸毬体、これもやはり中毒が少し進みますと侵されて参ります。そういうように腎臓が
一定のとき大きくなる、尿量がふえている、それからそういうようなテストで特別の部分が侵されている、そういうような
変化が起ります。これは長い間強いものを使いますと、そのまま中止をしましても三箇月、四箇月後までその
変化が残ります。しかし与える量が少ければ
変化の起るのが少し遅れます。遅れて程度が軽く起
つてまた早く消えてしまう、そういう腎臓の
変化であります。
この腎臓の
変化を病理学者の方で調べていただきますと、私
どもの方でも調べたのですが、実は、今うなぎの頭からしつぽと申しましたが、糸毬体から細尿管と申しますその部分が、くしの歯のように腎臓の中にびつしり密集しておるのであります。そのどこがやられたかひとつ見たいという気がしまして、そこで中毒で死んだ
ねずみを今度ホルマリンで固定するというか固める、そうして塩酸で処理をいたします。顕微鏡の下で、水滴の中にその小さなうなぎといいますか、非常に小さなものでありますが、その密集したのを入れまして、針で突つきながらひつぱり出すのであります。それを顕微鏡で見ますと――これは朝日新聞にも写したのを出しましたが、その細尿管といいます再吸収機関のところがはれております。外から見ますとでこぼこに不規則にふくれております。そうしてことに腎臓の末端の、ネフロンとい
つておりますが、解剖学的にはベンレの上行脚とい
つておりますが、そこからで下の部分にこういう
変化が強いように思われるのであります。これは学問的にもおもしろいことでございます。そういうように目で
変化がはつきり見られておりますが、さらにこれを顕微鏡的にいわゆる従来の、病理組織的に調べてみましたところが――このこまかい
変化は幸いにここに
参考人として池田博士、これは中毒病理的な専門家でいらつしやるから、その方に御説明願
つた方がいいのでございますが、とにかく今の一部分が不規則にはれていると申しました、大きくな
つていると申しましたが、そういう部分を切
つてみますと、その辺の上皮が扁平にな
つているとか、あるいはいろいろ
変化がございますが、結局病理学者としては、これは変性であり、病理学者のいうネフローゼという概念、ネフローゼというのは少し考え方が臨床家と病理学者あるいは病理学者の中にも問題があるかと思います。ともかくもネフローゼという
名前で呼ぶべき
変化であろう、こういう意見を出して、ことしの
農林省に対する
研究報告には書かれております。そういうような腎臓の
変化が一方ではあり、それから
タイ国黄変米にその
変化が強いのでありますが、これが
研究が進むにつれ、今度は
イスランデイア黄変米にもそういう
変化が見られるようなことが、最近にな
つてだんだんわか
つて参りました。すなわち初めは
タイ国黄変米に特有なものと申しますか、腎臓が大きくなり、やられるのは、
タイ国黄変米の何か特徴のように考えておりましたが、そうであるかどうかはわかりません。
タイ国黄変米に何が入
つておるかわかりませんが、その毒のために起る
変化と、それからイスランデイアの中にまた何が入
つているかわかりませんが、これで起る
変化と一脈相通ずるものがあるというようなことであります。
なおもつとおもしろいことは、今度は
角田博士のいう
肝硬変米といつたイスランデイア米、これをやはり一〇〇%に培養しましたもの、この人造のかび米を食わせてや
つた実験でございますが、やはり長期、六箇月とか何箇月とかや
つております。やはり体重は大して減らない。そとから見て大したことは起らない。そうしてゆえなく死ぬというようなこともなさそうだ。何でもないのだと思
つておりまして、殺してみますと、
肝臓が
変化が起
つておる。肉眼的に
肝臓の
変化が起
つておるばかりでなく、それはひどいときはでこぼこしたり、色がかわ
つたり、灰白色に
なつたり、いろいろありますが、
研究的にこれを見ますと、やはりこれは
肝臓の変性でございます。変性と申しますのは、これはあまり詳しい定義は私は専門外でございますけれ
ども、とにかく細胞が健全でなくなる。何かの毒か黴菌か、何かのために侵されて、新陳代謝がとま
つてしまいまして、目で見たところが、普通のかつこうと違う、あるいは性質と違う。光の通し方、色の通し方が違うとか、あるいは細胞の中にあるべきものでないような異常なものが出現して来るとか、そういうようなことをひつくるめて変性と
言つておるようでありますが、その変性が起
つております。その起りぐあいが、これまた毒が強いときには強く出て、時間的には末期の方に強くなる。そうしてその辺の
変化は、いわゆる肝炎と言われておるような、今問題にな
つておるようなものに近い
変化が出ておるのであります。肝炎の像という言葉を病理学者は用心深く
使つておりますけれ
ども、とにかくそういう
変化が起る。これは何回や
つてもそういうところまでは行くのでありますが、この辺のところで事が済んでおれば、私
どもは何をかいわん、
黄変米、少くともイスランデイや
黄変米においては、これは数回繰返しておるのですが、この辺でとま
つておれば、私
どもはまあこういうことは米でなくても、それこそ御承知のようないろいろの毒素で、あるいは薬物で起
つておる。あるいは不明のことで起
つておる。あるいは私
どものからだは、絶えずそういうようなことを繰返していつの間にかなお
つたりしておるということだ
つて考えていいと思うのです。ですからこれを取上げて私
どもはわいわい言おうとは思いません。また言うだけの資料を持
つておりません。おりませんが、ただそれがもしもう一歩進めば、すなわち
肝臓の機能が障害され、形態的に
変化され、そのために簡単に言えば、傷跡みたいなものが残ります。そして結締織が間質の部分なんかに出て来るとか、あるいは細胞が侵入して来るとかいうことで、
変化が一ちようどこの辺の傷跡が跡形もなくなおればけつこうですが、こういうところが縮んだり、内部を刺激したりするようなことが、
肝臓の内部で起
つて参りますと、そのうちの
変化の一つとして
肝臓硬変症というものも起り得るわけであります。また私
どもの調べた
変化の一部には、今の
肝臓硬変にもう一歩接近したような
変化も強いときには、これは過去の話でありますが、出ておりました。そういう
状態、それは私
どもの
実験であります。衛生試験所でおやりに
なつた
実験も大体似たようなものであります。
そうしてみると、まあそれだけの根拠で配給米のことになりますが、あまりやかましく言うこともないかもわかりません。ないかもわかりませんが、しかし片や
角田博士が
最初に指摘したような猛烈な
変化、すなわち
肝硬変という一方の
変化、障害を受けたやつがなおるのではなくて、これから
肝硬変まで
行つてしまえば、これは仮定でございますが、
行つてしまえば、これは
井上先生お詳しいと思いますけれ
ども、非常に早く診断がついて、まあ三年くらいだということを私の方の内科の教授に聞いたのです。まあぼやぼやしておれば、二年くらいでおだぶつになるでございましようが、そういうような
変化が起る。それで
肝硬変が起
つてしま
つて、はたしていい薬があるかどうか存じません。また
肝硬変は私
どものデータから、ごく最近のことは別にしまして、実際に典型的なものはつかまえたのであります。
角田氏の方はそれを報告しております。ここに同じ科学者がや
つた、それを片や――当時農学士でありますが、農学士がやられた
実験を何も信じないからと言うのではございませんけれ
ども、医者はもう一ぺんやりたいと考えるのは当然でありましよう。そうした追試のつもりで何回か繰返してや
つておられたのに、
角田博士のやられたところまでは出て来なか
つたのであります。その出て来なか
つたというのは、過去形を
使つております。それはほんの最近の私
どもの
実験的な結果では、その線が破れて、
角田博士の言われた
肝硬変というものが、やはり
実験的につくることができると申した方がいいかもわかりません。とにかく事象をつかまえたのであります。それでこのことについては、その最後のことについてはこういう問題とからんでおらないのであります。二・五云々というようなことともからんでおらないのであります。ただ私
どもはそういう知識を持
つておりますので、それも考えに入れているくのものを処理していただきたいという気持は持
つておりますけれ
ども、’この
肝硬変が
実験的にできるということだけを私
どもは医学界に問う必要があるのですが、まだ問うておりません。私
どもはまだ
実験の
ほんとうの緒についたばかりでございます。いろいろ
実験計画を立てて着々や
つておりますが、
一定のところに来たときに初めて医学界に発表し、承認を得た後にこういう問題は取上げるべきだと思います。なぜそんなわからないものを今ごろ出すかと、こうおつしやいましようが、そういうことを言われるとするならば、私
どもの
黄変米に関する知識はことごとくそうでございます。全部
実験室的な知識でございます。
動物に起るだけのことであります。
人間に起
つて来るかもわかりません。しかし医者がそれを確定したことはございません。ただ私
どもの心配は起
つて来る。
肝臓あるいは腎臓の
変化が長期連用によ
つて起
つて来ることは確かであります。しかもそのあるところに
行つて診断がつく。診断がつくまではこれはわからないのであります。そのつもりで初めから健康の人に食わし始めて、丹念にずつと
井上先生のようにお調べになれば、そうしてもう一歩先までお調べになればこれは解決がつくものと私は信じております。しかし今までの情勢におきまして、そういうことができるはずもありません。
実験室でただそういう恐ろしいような結果が出て来た、困
つたなと考えておるわけであります。そうして去年の二月から始めて、まだその第一回の
実験が完結のつかない六月八日かに
厚生省からお呼び出しがありました。私は
厚生省には何ら関係がないのです。むしろ
食品衛生法があるのだから早く
実験しなければだめじやないかと関係者にはしよつちゆう
言つておりました。裏づけをつくらなくてどうするんだと私は
言つておりましたが、何ら関係はございません。ございませんが、
黄変米に関しては若干や
つておるというようなことでお呼び出しに
なつたと思うのであります。そこで私は出かけて参りましたが、その席上で、実は
黄変米というものが相当たくさん入
つておるし、そうして聞くところによると、その毒は強いらしい。しかし与え方次第では何も起らぬらしい。一体どの辺に線を引いて配給したらよろしいか。そのために当時
厚生省では三月から組織的に
実験をお始めにな
つてお
つた。私
どものは二月ですが、お始めにな
つてお
つて、その結果が一応出たから、ここでこの結果をひとつほかの
研究者に
研究してもらいたいという趣旨のものであ
つたのです。このこまかい事情は私そのときは申し上げませんが、これは行政的な一線を画する会議ではない、ただ先生方の意見を聞くだけだということで、それで安全度その他については、私は少し強硬な意見といいますか、強い不安を持
つておりましたのですけれ
ども、それはとにかく、プロの線以下――間違
つてもら
つては困りますが、以下というのがそのときに打出されております。しかしそれだ
つて安全度の取り方については、私はこわいということを表明したのであります。そうしましたら、それはそういう不安はもつともだが、実際に何もこの一プロの線でずつと毎日、かりに一箇月間に三十日配給しろなんて言われても、米がないので配給なんかできるものではない。当時の外米の事情及びかび米の検出
状態から申しまして、現実問題として配給できない。そんな起り得ない御心配はいりませんよとやられてしまいまして、なるほど
実験室と
実験者の何ということのない、確証を持たない――
実験で確証を持
つてお
つて、ただ
人間の場合には不安だというそれだけで押し切るだけの材料がなか
つたということは、今お話した通りであります。二月に始めて六箇月から八箇月かかる
実験の序の口でございます。従
つてそんな材料を持
つているはずがないのであります。
厚生省はまた別個にデータを持
つておられたのでしよう。そのデータに意見を求められたが、暫定的な処置であり、しかも結論はここでいたしません、帰
つてあとでいずれいたします、ということは、それは行政的な決定だからや
つていただくことに私
どもが意見を述べたところでしようがありません。実際というものは、こういうものが行政というものか、なるほどそうだと、私はいささか
実験室の少し気むずかしい男かと自分で考えながらも、これではいかぬな、そういうものかと思いながら帰つた。それから二週間か何かしましてガリ版の刷
つたものが来た。それには一プロの線が出ており、イスランデイアについては混石云々というようなことで、配給は原則的に認めない方がよろしいとある。配給は原則的に認めない、けつこうでございます。それは私は賛成しております。私
どもの
実験は貧弱であるとはいえ、これから何が出るかわからぬ、しかも
角田博士のはもうすでに出ておる。出ておるのは学問的にたいこ判を押すわけには行きませんが、とにかく出ております。それを注視している最中でありますから、ここで一応危険なものに重きを置いて一線を画するのは当然でございましよう。それは、私が言うまでもなく、
厚生省がそうお考えにな
つてお出しに
なつた、たいへんけつこうだと思います。私はその後その種の
委員会には出席はいたしておりません。
そういうふうな事情できま
つたと思うのでありますが、あれは行政的な決定でございますから、間違
つてもら
つては困るのであります。私はこの間の楠本氏、きようはお見えにならぬのは非常に残念でありますが、この間、二日の
研究協議会、これは学者が苦労しておるだろう、金を出してやろうというお話、そういう会であります。わざわざお使いが参りまして、行政的なお話はいたしませんから、私だけかなんかしりませんけれ
どもこういう断り書をしてお使いが参りました。しかしそれまでに私が
知つてお
つたことは、新聞を通じてのデータと、新聞記者諸君がつかんで来た種、私に言われた程度のデータである。私は新聞を信じないわけではないのでありますけれ
ども、責任者から直接説明を聞かなければ、こんなデリケートな問題について意見を述べるべきではない。しかも私
どもの方ではアカデミーで、あくまでも学問の
研究をやり、学問的に納得が行
つた場合に、おのずからそういう検定法だとか恕限度であるとかいうものが出るのだろう、平和な時代はそれでけつこうであります。ところがほかにこういうことをやる人がいなければ、一日でも二日でも先にや
つている連中の知識をかり出せる、そのときによくわか
つている範囲は述べたいと思
つて行
つたのであります。ですから今度のような抜き打ちの結果が新聞に伝わりましたが、これはいずれ
厚生省の内部でおやりに
なつた
研究なり、あるいはどこかでおやりに
なつた
研究が基準にな
つているはずだと私は確信しております。もしそういうものがなければ、そういう架空のものは学問の世界では少くともほ
つておけば消えるのであります。ただ実際に何を基準にああいう数字が出たか、数字の結論をとやかく言うような筋合いではないのであります。閣議云々なんて実際たびたび使われましたが、そんな空疎なものに私
どもは驚くような
人間ではございません。ただ心配は食わされる方が心配なんであります。あるいは多くの人の良識を信ずるものであります。また科学はもつと強いものだと私は思
つておりますから、そういうものに驚かされるつもりはありませんが、とにかく主宰される会において、まあまあそういうことを言うなというときに、確証が得られなければ私は具体的な意見は述べません。しかし私が
ほんとうに知りたか
つたことは、ああいう考え方がどこから来るかということであります。どういう科学的な事実でそういうことが出るか、あるいはどういう科学的な理論からそういうものが出るかということを知りたか
つたのでありますが、遂に知り得なか
つた。新聞でたびたび見るところによると、
人体実験であると楠本氏が
言つたというようなことが書いてありますが、それは
ほんとうでしようかと私はだめを押した。それとも何かほかの
実験を基礎にされたのかとだめを押したのであります。やや考え、まつ青な顔をして私は明言したくありませんとか、しませんとかなんとかいうようなことを言われたのであります。これでは、私
どもはいずれ趣旨とは違
つても、何かもう少し安心の行く説明を得られると思
つてそこへ行
つたのが、うつちやりを食
つたのであります。それは別の世界の話、数字は私
どもとはすべて関係のない世界の話です。それについては私
どもは何も言う必要はないという態度をと
つておりましたが、私はごく最近ある資料を手に入れました。楠本氏がお書きにな
つたのかあるいはほかの
厚生省の方がお書きにな
つたのか、何か存じません。とにかく新聞で伝えておるようなことが別にそんなに間違いではなか
つたように私は考えるのであります。これは桶本部長が新らしい基準を改正するに
あたりまして、京都大学の井上教授の
人体実験を採用していられるということ、これは
ほんとうのようであります。全面的ではありませんが、これを非常に強いものにと
つております。そして軽度であ
つても
肝臓機能障害というものが現われると、先ほ
ども先生がお話になりました。また私
どもは
農林省の
総合研究班の幹事役をしておりますので先生が直接お出しに
なつた報告も存じております。すなわち軽度たりともミプロについて
肝臓機能障害が現われておるということをお書きにな
つておるのでありますが、それを
厚生省側はこれを限度と見てという言葉がありますが、その十分の一、すなわち〇・三をとる、これは安全率が十倍になるというのであります。結局それを限界と見てということは、何ですかわかりませんが、私の解するところでは、安全度というものは、
実験的にい
つて、
人体実験であろうと
動物実験であろうと、段を追うてだんだん
研究をして行くと、プラス、プラス、プラス、陽性の
変化が出ております。最後に陰性に
なつたところを基準に、スタート・ラインにして、それの十分の一あるいは百分の一ととれば、それが安全率が十倍あるいは百倍と考えられるものと私は考えております。間違いがあ
つたら、これは
厚生省側の普通のおやりにな
つておる習慣だと思いますから撤回いたします。
そこで問題はこうなると水かけ論になるのでありますが、その三プロは
変化があ
つたのだと解釈する、あるいはないと解釈する、その辺のところはデリケートであります。私はそれをつこうというのじやありません。私がそういう報告を出しても、こういうふうに使われるならばはなはだも
つて迷惑でございます。
井上先生はこれを御承知なしにお使われに
なつたか、それはどうか存じませんけれ
ども、そうだとするとたいへんお気の毒な立場に立たれたものだと私は陰ながら同情してお
つたのであります。薬をお調べにな
つておる
厚生省の方はよく御存じだと思いますので、計数のことは申しませんが、六プロといつたもう一段下があ
つたならば、こんなに都合よくというか、都合悪くというような物議をかもすような考えは浮ぱなか
つたのではないかと私は考えております。そのもう一つ先の安全度をどのくらいとるか、
動物と
人間とは違いますから、
人間の個々の場合、ただわか
つた薬については何倍にとるという基準がございましよう。それからわからないこういうかび米の粒ではか
つているような毒素の場合は、実際に入
つている毒物は一体グラムでやるか、ミリグラムでやるか。一プロ、二プロのかび米とい
つても、これはわからないのでありますから、これは今申し立てようとは思いません。安全度はそれを考慮に入れて十分おとりに
なつたらよろしいことで、ただ私の言いたいことは、安全度のスタート・ラインを何にお置きに
なつたか。従来の習慣を無視されるのなら、また三プロは何でもないとお考えにな
つているなら、私は何をか言わんやであります。
次にもう一つは一%の黄変粒を含有するものは、日数に制限なしに配給して安全である、これは楠本部長が信じているらしいのであります。どこにそんな実証が、あるいは保証があるというのでありますか。私はそれを、ここまで来れば聞きたいような気もいたすのであります。これはそう荒立てて言うと、えらいいきり立
つて言うようでありますが、実際
動物実験の結果に百倍の安全率をと
つてあるのであります。と
つてあるのでありますから、一応の線は出ているのであります。それは一応の線が出たのは、先ほど申したように
実験を始めてわずか三箇月か四箇月のマンゲルハーフトというか、不足な
実験をもとにして、それでも基準がないよりはある方がいいじやないかというので、みんな善意でやつたものであります。学問上の線を打出すという大げさなものではありません。びくびくものであります。私は帰りしなにも、あれでいいのかと思いながら帰つたくらいであります。これは一応の線を出したことは否定いたしません。私はそのときの材料で、もちろんびくびくしながらや
つた。それをなだめられて帰
つてしま
つたのだから、賛成したことにな
つているのでしようが、しかしそのときに
厚生省側で明らかに言われたことは、そんなに無制限に配給するなんということは事実ないのです、しませんから御安心ください、なお責任は学者先生には負わせない、行政的な決定でありますと
言つたのを、何ですか、これは学者がそういうことを保証しておるということを部長が言うということは。私は科学のために弁護をしたいと思うのであります。私は実際科学というものはもつと謙譲にやるべきものであり、私
どもに結論が出ないときには、なおさら謙虚にやるべきだと思うのです。すべては条件つきであります。断言したり結論はできません。残念ながらできません。まして
日本人全体の主食に関するときに、そんな大それたことをたいこ判をつく学者がどこにおりますか。それでも私は、
日本人の中でも良識のある人の方が多いだろうから、何も恐れないと
言つておるのはその点であります。それはわか
つていただけると思
つております。そういう行政的なものに、医学と限らず、科学が善用され、活用されることは絶えず願うところであります。しかし悪用され、口実に使われるということは、私は拒否したいと思います。そんなことで科学的な行政ができるはずはないと思うのであります。私は今度の問題は、そういう点ではなはだ残念に思うのであります。しかも役所で行政的にきめたのは、一プロ以下という線であります。以下と明らかに書いてあります。何か必要品でも必ず配給するように、薬の調合でもして必ず一プロでやればからだに何も起きないので、一プロずつ毎日やるという計算は、私は説明を聞いても、運算の説明しか私は得られないのであります。これは歯牙にかけるに足らないと思
つておりますけれ
ども、ただ私は、楠本博士が言われたかどうか知りませんけれ
ども、新聞で気になることは、蓄積毒ということを非常に愛用しておられる。それを聞いて来た新聞社の人が、ぼくに対してすぐ蓄積毒という言葉を使
つたのであります。蓄積毒というのは君、とい
つて笑
つたのでありますが、蓄積毒というのは、なるほど急性に
変化が起らず、だんだんにや
つているうちに、目に見えないのが、あるところに立
つて病変が現われるというような意味であります。すなわち薬や物質が身体の中に残
つてるか、あるいは
変化が残
つてるか、とにかくジギタリスならジギタリスをお考えになるとわかります。あるところで作用があるという意味には解釈いたしますが、そのことをすぐひつくり返しまして、ただちに急性には起らない、急性にはきかない安全保証のように響かしておるというか、お考えにな
つてるんじやないかと思うのであります。それでああいう計算が出て来るのじやないか、一ぺんに少しくらいよけいにや
つたつてかまわないかのような考え方、それは実証があれば潔く従おうと思うのでありますが、そういうものがない今日、そんなところまでわか
つていない今日、そういう断言をし、そういう断定のもとに配給基準をきめられるということは、私は科学者の立場として、かりにもそういう意味で活用されることは非常に残念に思うのであります。まだ言いたいことはございますが、あまり長くなりますから……。