○
田中参考人 ただいま
委員長殿から御
紹介をいただきました
田中清一でございます。
本日は、この権威ある
国会の
建設委員の方々が、私の
ような
しろうとの考えた道のアイデアについて、デイスカツシヨンするという機会をつく
つていただきましたことに対しまして、
民間の一
しろうとの私といたしまして、これ以上の光栄はございません。これまでにいろいろお運びくださいました御列席の皆様に対して、厚く
お礼を申し上げます。
この
道路を考えましたことは、決して私が利益を得
ようとか、あるいは道のための道をつく
つて遊ぼうとかいうことではございません。この八千何百万という
民族が生きて行くには、どうしたらいいかということから起
つたのでございまして、決して
道つくりのための道ではございません、
ほんとうの血と涙で、これは研究したものでございます。どうかひ
とつそのつもりでお聞きにな
つていただきたいと思います。
と申しますのは、
日本が敗戦いたしまして、だんだん
領土が狭くなり、
人口はますますふえて参ります。そして
資源はなし、一体どうして生存し
ようかということが、
もとでございまして、これを解決する
方法を
三つ考えてみたのでございます。
一つは
産児制限による
人口の調節、
一つは
輸出貿易によ
つてまかなう、もう
一つは移民による、この
三つを考えたのでございますが、それは
三つとも、
ほんとうに厳密に考えたら、全部不可能でございまして、残されたところは、この
日本の国を
開発して行くよりほか
方法はないということにな
つたのであります。
それで、今まで私の
調査しましたところによりますと、
戦争の起る
もとは、
人口と
食糧の
アンバランスでございます。まあ
資源の
アンバランスと申し上げた方がよいかと思いますが、まず、なかんずく
食糧でございます。この
食糧かなければ、いかにどんな学問でも芸術でも成り立ちません。そこでどうしても
日本は、一億人くらいの人が楽に食えるだけの
食糧をとらなければならぬということが
もとでございます。今までの
ような
日本の八〇%ある山と
高原を捨てておいて、二〇%の大
河川の
沖積層の
二毛作、
三毛作がとれ、
冷害も
旱魃もなく、一反の米が十俵も十二俵も十五俵
もとれ、また麦が八俵
もとれる
ようなところをつぶして、
生産によらざるものをどんどんつく
つて行くことがこの国のがんであります。だから、これを是正することが問題でございます。そうするのには、
日本の
高原とか山を生かして、
生産によらざる
施設をそうい
つたところにつくるということが
もとでございます。
それで
日本の国を踏査してみますと、仙台の向うの王城寺原にしましても、
春日原にいたしましても、
軽井沢にいたしましても、
富士山麓にいたしましても、また遠くは九州の
阿蘇高原にしましても、水のいい、
空気の清澄な
景色のいい、人の
住むのにりつぱなところが幾らでもある。その他
愛知県の鳴海の
方面、それから瀬戸の
方面、あるいは
愛知県と
岐阜県との境の
美濃の多治見から
大井、あるいは
中津川、その他
岐阜県の側に行きましても、三濃村からあれにかけたところは、ほとんど不毛の
土地でありますが、
地磐はかたく、水がたくさんありまして、人の住んでいいところを数えて行
つたら無数にあります。そうい
つたところをほ
つたらかしておいて、
二毛作、
三毛作とれる
ような大
河川の
沖積層のいいところをと
つて行くということは、どういう
国土計画であろうかということを考えたのであります。これを生かして使わなければならぬ。生かして使うのには道が必要である。そうい
つたところへ
行つて、人さまに住めと
言つてみたところで、道がなければいかぬ。
それで、近いところを見ましても、
富士山麓などは、私の計算によると、
富士山麓にあるあの水の
自然湧出だけを飲むといたしましても、
東京都の上水道と比べましたら、二百六十四万人の人が楽に住むだけの水がありまして数十万
町歩のがらがらな不毛の
土地があり、
景色がよく
空気がよい。それで、今私が考えておる道で行きますと、四十分ないし一時間の
東京の
郊外になる。
軽井沢にしましても、現在の科学を利用した道、その他ドイツにおいてヒトラーがつく
つたオートバーンとか、
アメリカのペンシルバニアの
道路網のごとくしたら、
軽井沢へは一時間二十分で行く。那須野原でもそうです。とにかく近いところに
幾らでも人が住んで快適な生活ができるにかかわらず、大
河川の
沖積層の
二毛作、
三毛作で
冷害もなく
旱魃もないいいところをつぶして、
食糧がないからとい
つてどうしてよその国に
大砲をぶち込んで行くかということになる。そこで、そういうところには
道路が必要じやないかということになりまして、私は
日本全国至るところを踏査いたしました。それで、どこにはどんな川があり、どこには森林が何万石、何百万石くらいあり、平野がどれくらいあ
つて、水はどれくらいあるかということを全部調べましてこれなら一億人の人がここに住むにしても、
ちよつとも不自由のないだけの
食糧もとれるし、木材にも困らぬ。困るのは、里山を
切つてしま
つておる。
奥地には、この道で行けば一時間で行ける
ようなところに、
立腐れにな
つておる木が、山には一億本ぐらいある。これは北海道の端から鹿児島の端まで見たら、
立腐れつつある
材木は、
最小限度五億四千万石はある。道さえあれば、
東京へ一時間半あるいは一時間で来られる
郊外があるということを考えますと、この国は狭くない。狭いどころか広い、こう思うのでございます。
それで、この道をつくることが第一だと
思つて、
全国に
道路網を建設することを考えましたが、なかなか金がたくさんかかることでありますので、最も
効果のあるところ、
東京−
大阪−
神戸間、
東京−
神戸間と申してもよろしいのですが、
名古屋を入れた六大
都市をぴんと結ぶ
最短距離の道をつく
つて、そこを
資源開発道と称してや
つたら
効果があると思う。御
承知の
ように、
富士川にしても
大井川にしても
天龍川にしても、近江の
琵琶湖にしましても、ここをするだけで、
水力電気で百五十万キロなら簡単にできる。その
電気を
東京に持
つて行つても、横浜に持
つて行つても、
清水港へ出しましても、焼津港べ出しましても沼津へ出しましても、その他
岐阜でも
名古屋でも、一番近いロスの少い
ようなところに持
つて行く。ここに有名な電源があるということを考えると、この国には何が足らぬか、結局頭が足らぬということにならぬかということにな
つたのであります。
はなはだ口幅
つたいことを言いますが、そうすれば、この国こそが
地上天国になる。何が足らないでわれわれは何べんも何べんも悲惨な
戦争を繰返したかということになる。そうすると、結局問題は
食糧が足らぬ。
食糧さえつくれば
地上天国だということに結論としてなります。これは
あとから御
質問くだされば、私はここできちつと数学的に申し上げる
自信を持
つております。そういうわけで、第一に一番
効果のある、皆さんの手近でおわかりになる
東京−
大阪間をやろうと
思つて調べました。足で調べておりますから、どんなところにどんな川があるか、どんな木があるか、どんな岩があるか、全部知
つておりますから、
あとで御
質問いただきたい。
東京を起点にいたしまして、八王子にかかりまして
中央線を
行つて、大月から富士吉田に出まして、
富士山麓の広漠たるところを
東京の
郊外にいたしまして、それから
富士川に下
つて、
富士川にできるだけ
電気をつく
つて——今までの
ように
ダムと道を別にしません。少しぐらいのまわりはありましても、
ダムの
堰堤を
通りまして
大井川に出ても、
大井川に
電気をつくりまして
堰堤を通
つて行く。また
天龍川に出ましてもその
通りであります。そうして
中部アルプスと称せられておる
赤石岳の方の山を貫いて飯田に出まして、それから昔の中仙道を
通りまして
美濃の
中津川に出まして、
大井に
行つて、多知見に
行つて、
内津峠を仰いで
小牧飛行場を
通りまして、一宮を
通りまして木曽川を渡りまして、そうすると
岐阜県の笠松の南を
通ります。そしてあの揖斐川と長良川の下をくぐ
つた方が安くつきますから、下をくぐることにしております。そうして大垣の南に出まして、関ケ原に行きまして、米原に行く。それからはほとんど今の
東海道線に沿いまして京都の南に出まして、そうして今の山崎で今度は北側に移ります。そうして吹田に出まして
神戸に行く。こういった道を、ほとんど直線でつくることができるのであります。だから、それをつくりますと、この
沿線において
ほんとうに力を入れて興そうと思えば、
琵琶湖で百五十万キロくらいの
電気か簡単に興ります。それから
材木は恵那山からあれにかけまして二億七千万石が楽に出せる。それからあの附近には昔から掘
つた鉱山がございます。昔は、御
承知の
通り馬の背中で出したりしましたが、そろばんに合わない
ような
廃鉱がたくさんあります。こういった道ができて、
精錬所に一日に三回も四回も通える
ようになれば、昔の
廃鉱は
良鉱になります。現在も峯の沢とか宝とかいう
鉱山を掘
つておりますが、その他たくさんの金山、銅山があります。
もう
一つ、
日本中気がつかず、私も知らなか
つたのですが、
精密工業というものは、どうしても海から三十キロ以上隔た
つていないと、だめなんであります。私は、この
仕事は三十七年もしておりますから、その方は
エキスパートであります。それで私の方と同じことをや
つておる
工場が、
清水と
岐阜県の山奥にございますが、同じ技師が同じ図面で同じ工員で同じ設備でつくりまして、数等どころではない、問題にならないほどいいものができるのです。それで、御
承知の
ように
スイスだとか、あるいは
アメリカのミシガン湖の付近とかが、あのりつぱな精密なものをつくるというのは、それなんでございます。
日本は、
工場の
立地といえば、必ず
海岸でなければならない
ように
思つておりますが、
海岸は一番地盤が弱くて、潮風が来て、砂ぼこりがして湿度が多いから、
仕事ができない。その精密なものができない
ようなところで
仕事をや
つておる。
日本はボールベアリングをつくりましても、
時計をつくりましても、ろくなものは
一つもできません。できてお
つたら、私はお目にかかる。私は全部調べておる。できない
ようなところの
立地でや
つておる。もしも、こういった道ができましたら、この
沿線というものは、
スイスの
ようにな
つてしまう。
御
承知の
ように、
日本はもう
重工業などではなかなか行きません。私は三十七年もや
つておるのですから、わか
つておる。もし
重工業で行くというなら、その人は頭がないのです。なぜならば、
日本は
燃料も
原料も全部
買つてお
つて、どうして
先進国の
燃料も
原料もあるところに太刀打ちすることができまし
よう。私の方はタイ、
仏印、ビルマ、ノース・ボルネオ、ハワイからフイリピンヘも売
つておる。インドはもちろんです。もうあそこまで行
つたら、私の方の
機械は一割高いです。西ドイツとかチエコスロヴアキアの
機械より高い。結局悪くて売れないならあれですが、よくて売れないのです。どうしても高くつく。どうしてこのハンディキヤツプを埋めるかということを考えなければならぬ。どうしてもこの国にふさわしい
工業に切りかえなければならぬということになります。もちろん造船だとか造機というものは、海の
はたでやらなければならぬが、
日本が最も得意とするところは、みんな
日本の人の手を利用して、材料が少くて、目方が軽くて、ドルのうんととれる
ような
時計であるとか、あるいはカメラであるとか、あるいは精密な
工作品、そうい
つたものをつくらなければ国は行きません。これはいかなる
権威者に対しても、私は言うだけの
自信を持
つております。私はや
つておるのです。そこで、私は二の道をつくるということが、この国を今ここで建て直すことだ、これ一本でそのくらいの
自信を持
つております。
そこで、もしこの
沿線に住めるだけ人を住ますということになりますと、大体三百五十万人の人が、今まで住まなか
つたところに住める。つまり、今までの道の常識といたしましては、
都市にしましても、町にしましても、村にしましても、人のおるところへ、人のおるところへと、筋をかえてでも、坂を下
つてでも
登つてでも、そういうところへつけたのでございますが、
日本でよその国の
ような広い野原に、
はたから来ましてそこへ家をつく
つて、その広いところが繁栄すれば、それが繁栄だと思えば、それは別ですが、
日本の
ような狭い国で、とにかくそうい
つたことをしておれるかどうかということが問題であります。何とかしてこれを立体的に住める
ように、平家をビルディングにすると同じことをして住んで行きさえすれば、一億人ぐらいの人は楽に住めるということがはつきりわかるのです。これはどなたが計算されてもできます。まだ一億人になるまでは二十箇年かかりますから、われわれはそのうちに立ち直
つて、そうしてこの国をいい国にできるということを考えます。
それで、もう
一つ考えに入れなければならぬことは、御
承知の
ように、今
食糧を
買つておるだけでも一千七、八百億円と申しますが、これは容易なことではございません。今までの
ように、よそから持
つて来てくれる
ような金があれば別ですが、それを
ほんとうに国民が働いてこれだけの外貨を獲得し
ようと思えばたいへんで、むしろ不可能でございまし
よう。そういうことを考えましたときに、これはどうしても、いついかなることがあ
つても、この
民族は飢えないという
ように、
食糧だけは自給自足せなければならぬということを私は考えております。これは御
質問があればお答えしますが、
食糧を自給自足せぬ
ような国は、
平和国家、
文化国家になりはしません。これをやらなければならぬということにな
つて来ると、今までや
つたように、
食糧増産というとすぐに
高原開発、
高原開発——私は八百五十メートルのところに生れて、千メートルのところを二十四の年に起し耕してやりましたが、そんなところは、
冷害があり
旱魃があ
つて、三分の一
もとれない。そういうところに百倍も労力をかけてや
つておるのです。こんな愚かなことはないのでありまして、それよりも
河川沖積層の
二毛作、
三毛作のできる、現在
都市となりつつあるところの五十万
町歩の上にすれば、
さつまいもも麦も入れて、米に換算して二千万石とれるのであります。そうすれば、今かりに米が五千八百万石は完全にとれる。麦が千二百万石で七千万石。その上に二千万石ふえれば九千万石。
さつまいもが十五億貫、ばれいしよが五億貫とれる。そうして今後この道ができることによ
つて、今まで
奥地の牛や馬や羊も連れて行けなか
つたところに、どんどん広大な
酪農地帯、すなわち牧場ができて、
動物性カロリー、それに
魚獲物等の蛋白、脂肪などを入れますと、私は一億人の人は簡単に住めると思います。それをすることが、私はこの国の
至上命令だと
思つております。今までの
ように、こんな小さな国で
食糧なんかとるよりも、
大砲をぶち込んででも
領土を拡張すればいいということが、もうできなく
なつた以上は、
ほんとうに敬虔な心に立ち返
つて、自分の国をよく見詰めてやらなければならぬというのが、私がこれを考えた
もとでございます。
それで、
日本全国私の好きな
ように、あの青写真の
ようにやりまして、三十億ドルしかいりませんから、
ちようど日本の一兆円
予算と同じ額です。それは一年にはできませんので、十年にしても、一年に一年億円でできるはずです。そうして、これがもしできたとしましたら、
国際観光収入が一千億円ぐらいとれる見込みでございます。どうしてかと申しますと、
国際観光の
先進国は
スイスでございまし
ようが、
スイスは、御
承知の
ように
日本の五分の一ぐらいしかございません。あるいは六分の一と
言つてもさしつかえないでし
よう。そうして
日本の
ような、陸前の松島であるとか、瀬戸
内海であるとか、天の橋立であるとか、
伊豆半島でありますとか、志摩半島でありますとか、その他等々、
日本の
ような海の
景色はちつともございません。それでお
つて二億七千万ドルをと
つておるのであります。
ちようど一千億円でございます。私らの方は六倍近くもあるのですから、一千億円ぐらいは完全にとれます。それを考えこれを考えますと、
食糧を千七百億円買わぬ
ようにすること、それから
国際観光収入でかりに一千億円とると二千七百億円。十年もたてばニユーギニアくらい買える
ようになるので、
人口がふえた
つて、ちつともさしつかえないことになる。それが目的でございます。
この
中央道に対する
資源開発——中央道というのは、今
ちよい
ちよい
弾丸道路とおつしやいますけれども、
弾丸道路というのじやございません。私は
資源を
開発するためにこの道をつくるのでございますから、
弾丸道路とは違います。それで、この点については、約一千億円ほど金がかかるのでございますが、それは一年にはできませんから、五年かかるといたしますと、二百億です。
ちようど今の
失業救済にかけるほど、少し張り込んで出してもらえば、できます。それから今、
日本に
失業者がたくさんおります。あるいは
行政整理とかいろいろなことがございますが、
仕事がないところに首を
切つても、同じことでございます。それよりも、
仕事をつく
つておいて配置転換すれば、みな喜ぶ。
日本の国にいる人が、どこに行
つたつて食えぬ
ようでは、失業しておれば
失業救済をやらなければならぬが、それよりも、
仕事をこしらえてやる。そうして、これは決してインフレになりません。なぜならぬかと申しますと、今
材木は一千倍でございます。一番高い。元二円五十銭で買えた
ようなものが、二千五百円です。ですから、一千倍のものが、道は全部通らぬでも、
赤石岳まで
とつつきさえすれば
——ここにはその方の
エキスパートの方がいらつしやるから、ぼくが喋々と説明しなくても、今日の
トンネル技術をも
つてすれば、ここはトンネルーつさえ掘れば行けます、あの
大井川に出ることになりますれば
——大井川に出なくても、野呂川にも出られますし早川にも出られます。そうすれば、とにかく一番高くて困
つておるものが、一番早く出て来る
ようになります。それから、ここに
長野県の方がいらつしやいますかしりませんが、
長野県の三峰川の奥からこの
道路の
沿線にかか
つたところには、うわさに聞くところでは、石灰石が十億トンもあるということでございまして、かりに一千万トンずつ
使つても、百年も使うほどあるのであります。これは露頭に出ておるので、はつきりしておる。そうい
つたような
資源を
開発して、そうしてセメントをつく
つて輸出してもよろしゆうございます。それからまた、
ダムをつく
つてもよろしい、道をつく
つてもよろしい。またビニールにしてもよろしい、あるいは肥料にしてもよろしいのであります。
そうい
つた資源がこの道の
沿線にたくさんあることはこれは実際なんです。何とかしてこの道だけを
日本の復興のために、
日本の再建のためにつく
つていただきたいと思いまして、ここに
富樫先生がおいでになりますが、私
はたびたび
行つてお頼みしておるわけであります。そして去年はそれをお聞き入れになりまして、一千万円の
調査費用をお出しくださいましたので、今せつかく
調査しておるのでございます。それで来年度にもう少し
予算を出してもら
つて、
ボーリング調査をしたりいろいろすれば、
ほんとうにもう着手できる。
それで、とにかくこれが通
つてしまわぬでも
——私はけさも聞いておりますと、
東京都では水道、下水道その他学校、住宅に非常にお困りらしいが、そんなことにお困りになる必要はないのです。一時間で行けるところに何十万
町歩という
土地がありまして、
材木は
幾らでもあるし、ちつともお困りになる必要はありません。ここは
そういつた面の
エキスパートの方ばかりですが、
ほんとうにやる気なら、一年でここまで行けます、
富士山麓まで持
つて行けばいいのです。そうすれば二年ばかりでできるのです。ですから、ひ
とつそうい
つたようなことにしていただきたいと
思つて、私はこれをお願いしたところ、幸いに権威あるこの
委員会で私に説明しろということで、まことに私は、光栄というよりも涙の出るほどうれしいのです。どうか
ひとつきようは
田中清一を
とつちめてやろうという
ようなつもりで、私に
質問してくださるならば、お答えいたしたいと思いますから、
お話の方はこれくらいにしておきまして、御
質問を承ることにしたいと思います。