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戸塚国務大臣 三・五・二でありますが、私はかねてから
災害復旧は三・五・二どころではない、二年でやらなければうそだということをしばしば申しております。私の理想的な
考えでは、さように思
つております。三・五・二ということは、あの際もいろいろうたわれましたけれ
ども、私はあの時分から三・五・二というのはあまり信用していない。ことに
大蔵大臣が
——こう言えばまた不統一だとかなんとか言われますけれ
ども、
大蔵大臣が六割できるという説明をしたのは、はなはだ遺憾なんです。おそらくその後は、
大蔵大臣も六割はつきりできるとはおつしや
つておらないはずだと思います。それは自分の方の査定の基準を辛くしたかもしれないけれ
ども、それに基いて割出した金からいえば、六割できる勘定になるのだとおつしや
つておられるようであります。私の方から露骨にいえば、六割どころではない、おそらく四割内外だというように思います。結論的には、
大蔵省でたといどういうふうに計算をいたされましようとも、
建設省ではつきりした査定をして、査定の結果としてそこに現われたものが、やはり
復旧の目標となるものでありますので、
予算の面からこういうふうに切り詰めてやる、あるいは
災害の
実情を調査して、切り捨てるものは切り捨てるというようなことをすればこうなる、という仮定のもとにできておるものだと私は
承知いたしております。ただ私の方で、はつきり四割しかできないのだと申し上げられないのは、実は私の方でも全部の査定が終
つておりませんので、そこをまだはつきりは申し上げられない。しかし
大蔵省でいうように、六割というようなことはとうてい
考えられないじやないか。その点も食い違いがございます。
大蔵省には、六割々々とあつさり
言つてもら
つては困る、あなたの方では机上の査定といいますか、推定に基いて割出した一種の基準で、それで何がしという
災害復旧費をそこに出すが、それからいえば六割できる勘定になる。
大蔵省でただいまや
つております査定のやり方といいますか、数字の出し方と、私の方で実際に査定をして数字を推定しておるのでは、
相当な開きがあります。これは私
どもの方の査定がはつきりしたときに、
大蔵省の査定は無理過ぎるということにな
つて行くのじやないか、かように思います。ただ、最初の
予算説明は六割ということがありましたので、そういうことは非常に矛盾を起すことだというので、その後その説明書もたしか書きかえてあるのじやないかと
承知いたしておりますが、その点は両方の言い分で、私
どもの方は
工事をよくしたいという腹で査定をいたしますし、
大蔵省の方は少しでも金を少くしたいというのでやりますから、人情からい
つて、両方ほんとうにまじめにや
つても、一割くらいの差はどうしても出て来るものなのです。そういたしますと、
大蔵省でや
つているように、三・五・三はそう簡単には行かない。それは従来の
復旧の
状況をごらんにな
つても、三年で済んでおるわけでもありません。ことに過
年度災害をあれほど背負
つておりますので、この苦しい
予算の中からなかなかそううまくはできかねる。私は三・五・二でなければならぬというふうには
考えておりません。少しでもよく、
地方の人の迷惑の少いような
復旧ということが今としては眼目で、理想論を振りまわしてお
つても、とうてい間に合うわけじやない、こんなふうに
考えております。