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佐藤参考人 私は、先日の法相の
疏明についての私の感じますところ、それからその法相
疏明後の問題としまして、本
委員会が
内閣に対して国の重大な
利益に
悪影響がある旨の
声明を求めるときに生ずるであろうと思われる問題、それから
首相が不出頭の
理由としてあげました
公務のためということについての考え方、それから
憲法七十五条の総理大臣の同意の問題、この四つの問題について私の
意見を述べたいと思います。先ほど
委員長からお示しがありました五つの問題も、以上の四点を述べますれば全部カバーすることになると思います。
そこで、まず初めの先日の法相の
疏明についてでありますが、あの法相の
疏明は、読んでみますと非常に詳細でありまして、また抽象的であります。ただそこに
証言拒否の
理由としていろいろな点が述べられてあるのでありますが、その中心は大体次の三点であるように思われます。
第一は、個人の名誉を尊重しなければならぬ、そのために
捜査の
秘密は保たれなければならぬというような点、それから第二は、
捜査を遂行し、あるいは
公訴を維持する上に
捜査の
内容を公にすることはできないということ、第三は、
検察権は準
司法権的な
性質を持
つているのであるから、
国政調査権も
司法権に対すると同じような
限界があるというこの三つのように思われます。そしてこの三点の中で
疏明書が一番強調しておりますのは最後の第三点でありまして、これはこの
疏明書が冒頭、そもそも「三権分立は」というような趣旨で書き始められているところからも明らかでありますし、第一や第二の点もそういう
検察の準
司法権的な
性質というところから指摘されている、そういう考え方のように思われるのであります。すなわち、最も強調されておりますのは、今本
委員会の要求した
事項についての
捜査の
内容を明らかにするということは、現にすでに
裁判所に係属しております他の
事件の
公訴維持に重大な支障を来す、それからその
裁判に当る
裁判所に予断を与えることとなり、
司法権の公正な運営にも重大な支障を及ぼすことになるばかりでなく、また
検察権の将来の運営にも
悪影響をもたらすおそれがあるという点のようであります。そうして以上の点は、先ほど来
滝川先生、
団藤先生もおつしや
つておられますように、一般論あるいは
抽象論としてみると正当であるように思われます。一番の問題である
国政調査権と
検察権との
関係につきましても、これは
浦和事件で大いに
議論に
なつたところでありますが、
司法権の
独立という原則の影響として
国政調査権にも一定の
限界があるということは、広く学界でも、また一般にも認められていると言えると思います。そうしてまたこの
検察権というものは
司法権ではございませんが、
検察権の発動がなければ
司法権の行使もないという
意味で、
司法権の
独立のためには
検察権の
独立、公正ということも必要である、不可欠であるということは明らかでありまして、その
意味で
検察権が準
司法権的な
性質を持つ、
疏明書が
言つておりますのは正当だと思うのであります。ただ今度の問題について申しますと、そこには問題があろうと私は思うのでありまして、つまり今度の場合について今述べましたように、
検察権の
独立が
司法権の
独立のためにも不可欠だということ、そのことが実は
証言拒否、
従つて証言承認拒否を認める範囲をできるだけ必要な最小限度に限らなければならぬということの
理由にもなる。すなわち
検察権が準
司法権的なものだということを認めるならば、今度の場合はむしろできるだけ
証言の範囲を広く認めるべきだということになるのではないかというふうに考えるのであります。すなわち今度の疑獄
調査は言うまでもなくあの指揮権の発動によりまして、
司法権の発動をもたらすべかりし
検察権というものが、あの指揮権発動によ
つて抑止され、阻止されて、そうして疑獄
事件の真相が
司法部によ
つて明らかにされるに至らない事態に
なつたこと、そのことがこの
調査が始められた
理由であ
つたと考えるのであります。もちろんそこにはいろいろな
政治の世界におきます事情がからんでおるのでございますが、しかしこの
決算委員会の
調査というものに対して、もしも
国民が期待するところがあ
つたといたしますならば、それはあの指揮権発動によ
つてどれだけ
検察権の行使が阻止されたかということがこれによ
つて明らかになるのではないだろうかという、そういう期待にあ
つたと考えるのであります。ですから
疏明書が
検察権の
独立ということを非常に強調いたすのでありますが、そういう立場をとりますならば、むしろ
検察権の
独立あるいは
司法権の
独立ということを守るために、この真相というものをできるだけ
国民の前に明らかにするということが必要にな
つて来るのではないかというふうに思うのであります。つまり
検察権は準
司法権的な
性質を持
つているものだということは、これは形式論的な
法律論理としては正当でありますけれども、今申しましたような点からこの問題は考えなければならないのではないだろうかというふうに思うのであります。
そこで今の点を
疏明書の文章の上に当てはめて申したいと思うのでありますが、この
疏明書のほとんど最後の方にこの結論がまとめられておるのでございます。私のいただきましたプリントでは、四枚目の裏の二行目から五枚目の表のまん中辺にあたるところでございますが、これがこの
疏明書の結論だと思います。つまりここでは「今回
承認を求められた
事項を検討すると、
証言の
承認をしたものを除き、現段階においてはいずれも現に係属中の
事件と密接に
関連し、これを外部に表示するときは、あるものは
公訴維持上多大の支障を来す重要な
秘密事項であるとともに、
裁判所に対しても予断を与える
性質の
事項であり、あるものは現在及び将来の
検察運営に重大な支障を来す虞のある
事項であるが故に、到底、
承認の求めに応じ難い。」こういうことであります。そこで私注意いたしますのは、この「あるものは」というのが二箇所に書いてありまして、つまり
承認を求められた
事項には二つの種類、二つの
部分があるという書き方のようでございます。その初めの方の「あるものは」の方は、これは
公訴維持上多大の支障を来す重要な
秘密事項であるという点で、つまりこれは今この
調査によりまして
検察則の手のうちを見せるということが
公訴維持上多大の支障を来すということになるわけで、すなわちその
事項は
公判におきまする立証を要すべき
証拠を今公にすることはできない、つまりその
部分につきましては具体的な
事件に関して
検察の任務を達成する上に支障を来すということになるという
意味で、その
部分は一応うなずけるのであります。ところがこれとは別に、その次に「あるものは」としまして、「現在及び将来の
検察運営に重大な支障を来す虞のある
事項であるが故に、」というふうにも
一つの
部分を掲げておるのでありますが、この点が私は問題であろうと思うのであります。つまり何が現在及び将来の
検察運営に重大な支障を来すおそれのある
事項であるか、それから何が
公訴維持上重大な支障を来す
事項であるのかということが明らかではありません。この点は
委員会として確かめられる必要があるのではないかと思うのであります。それでおそらくはこの終りの方の「あるものは」の
部分がつまり一般に
検察権の
独立が侵されるおそれがあるということを
意味しているのじやないかと考えるのでありますが、しかし具体的な
事件についての
証言承認拒否の
疏明というものは、そのようないわば一般的なあるいは
検察百年の大計の上から考えた事柄を
理由にして
承認を
拒否するというものではないのであ
つて、その具体的な
事件についてそれを明らかにすることは、かくかくの具体的な支障がある、
従つてそれは
承認できないというふうに、あくまでも具体的な
事件についてその
承認し得ざる
理由を
疏明すれば足りるし、またそれで十分なのではないかと思うのであります。
国家百年の大計あるいは
検察百年の大計の上から見ました一般論を、
疏明で
理由にするということは適当ではないのではないか。つまりそういうことによ
つて具体的な問題をいわばはぐらかすと申しますか、それを逃げる、そういう感じを私は持
つたのでございます。つまりもしもこういうふうな
検察百年の大計というような考え方を大上段に振りかざすと申しますならば、むしろ問題はその
検察権の
独立ということが、先ほど申しましたように、指揮権発動によ
つてどのように侵されたか、あるいは侵されなか
つたのか、その疑惑を解くということが
検察百年の大計の上から何よりも望ましいことになるのではないだろうかというふうに考えるのでございます。それが第一の点であります。
なおそれにちよつと補充しておきますが、一般的にそういうふうに考える、私はこの
疏明書からそういうふうな印象を持
つたのでございますが、しからば具体的にどういうところまで
証言すべきであるかということになりますと、これは先ほど来
滝川、
団藤両先生がおつしや
つておられますのと同じように、私はその判断はつきかねるのであります。事実を知らないためにつきかねるのであります。ただこの
疏明書全体を見ますと、つまり私は
検察権の準
司法的な
性質ということを強調するのあまり、先ほど申しましたように、そういうことを主張するのならば、むしろできるだけ
証言を広く認めるべきだということになるという矛盾を来しているのではないかというふうに感ずるわけでございます。
それからそれと
関連をいたしまして
内閣声明の問題でございますが、この法相の
疏明に対して満足できないという場合には、
証言法によります
内閣声明を求めるということになるわけでございます。そしてその
内閣声明は
国家の重大な
利益に
悪影響がある旨の
声明ということになるわけでございますが、そこで問題なのは、もしも
内閣声明が出たといたしましたときに、その
内閣声明はどのようなことを
声明するものであろうかという点でございます。これは今の
法律の
規定で、
国家の重大な
利益に
悪影響を及ぼす旨の
声明というのでございますから、あるいはその
声明書は、ただ
国家の重大な
利益に
悪影響ありというその
規定の文字
通りを
声明すればいいのだというような解釈もあるいはあり得るかとも思いますが、しかしそれは妥当でないということはもちろんでございましよう。つまり問題は、どういうことをも
つて国家の重大な
利益に
悪影響ありとすることができるかという問題でございます。なぜこのようなことを私が申しますかというと、
内閣がその
声明を出します場合に、今度の法相
疏明と同じように
検察権の
独立を侵すことは
国家の重大な
利益に
悪影響を及ぼす、つまり
検察権の
独立ということが
国家の重大な
利益である、
従つて検察権の
独立を侵すということは、
国家の重大な
利益に
悪影響を及ぼすことになるという、つまり今度の法相の
疏明と同じようなことを
声明すればいいかという問題があろうかと思うからであります。つまり
言葉をかえて申しますと、一般的、抽象的な
理由をも
つて国家の重大な
利益に
悪影響ありということがいえるかどうか、それとももつと具体的に、かくかくのことをかくかくすることは、このような
意味で
国家のこのような重大な
利益に
悪影響があるという具体的な
声明をしなければならないのかという問題があると思うのであります。私は、この
証言法がまず上司の
疏明を要求し、それでもなお足りないとした場合にはさらに
内閣の
声明を要求し得るというように、普通の
裁判における
証人の場合とは違いまして二段の措置を認めたということは、できるだけ
証言を広く認める、つまりできるだけ
証言を
拒否し得ないものにするために、この二段の手続が認められたものだと思うのであります。それは言うまでもなく
国会の
調査権の重大性にかんがみた結果だというよりほかないと思うのであります。従いまして、その
内閣の
声明というのは、これは法相の
疏明が出た、それで
内閣の
声明を要求しても法相の
疏明と同じようなことをまたあらためて
内閣が
声明を出せばそれで足りるのだというのでは、二段の手続を認めた
意味がなくなります。そうではありませんで、二段の手続を認めたということは、法相の
疏明について満足しない、さらにそれを追究する、そこで今度は
内閣がさらに具体的に
声明する、こういう手段を認めたことだと思うのであります。そこで今度の場合でも、
内閣の
声明は、
司法警察権の
独立を侵すことは国の重大な
利益に
悪影響があるというような抽象的なことを
声明するだけでは足らない。そこで出されました
声明については、それが今度は
国民の
批判あるいは
国会の
政治的な
批判にさらされる。つまりその
声明が出ますと、もはや
法律的にはさらに
証言を追究する道はそこでなくなるわけでございます。
内閣がその
声明を出してその事情を具体的に述べるということに対して、今度は
国民あるいは
国会の
政治的な
批判が出て来て、それによ
つて内閣の
政治的責任が追究されることになるのが、この
内閣声明の制度を認めた趣旨ではないかと考えるのでございます。それが第二の点であります。
それから第三は、
首相の不出頭の
理由としての
公務の問題でございますが、これは
公務輻輳ということを
理由にして
首相が毎回出頭しなか
つた、そうして帰朝後にお願いいたしたいということにな
つて今日に至
つておるわけでございますが、一般的に言いまして、たとえば刑事訴訟法などでも、正当な
理由という
言葉が出て来る場合がございます。あるいは
証人として出頭する場合に、正当な
理由があれば出頭しないという制度が、刑訴などにも認められていることは、御存じの
通りでございますが、その場合に、この正当な
理由というのは、一般的にだれでもあげますのは、病気の場合あるいは旅行で不在の場合、こういうのが正当な
理由としては典型的なものだと思います。それ以外のものが正当な
理由になり得るやという点は、これは先ほど来お話がありましたように、やはり結局はそれぞれの具体的な場合に即して、いわゆる社会通念によ
つて決するというよりほかないであろうと思われます。そこでそれはまたその期日、つまり出頭を要求せられたその期日において出頭せしめることの必要ないし
利益というものと、その期日に出頭しないことの
利益あるいは必要というその二つを比較して考えるよりほかない、これは先ほど
滝川先生のおつしや
つた通りだと思います。ただこの
証言法弟七条が、不出頭に対しまして普通の
裁判におきます
証人の不出頭よりもきわめて重い罰を設けておりますことは、これは言うまでもなく
国政調査権の権威を重しとした結果でありまして、刑事訴訟法における
証人の不出頭の
理由としての正当な
理由というのよりも、さらにそれは狭く限定せられるべきではないかと思います。つまりあらためて申すまでもなく、
裁判の場合の
証人は、これはほかに
被告あるいは
関係者がありまして、それに対して当事者以外に
証人として出て行くわけです。ところが
国政調査権の場合は、刑事
裁判について申しますと、
被告に当るべきものが
証人という資格で出て来るわけでございますから、その
証人が出頭しないということになりますと、
国政調査権の発動そのものが全然行い得なくなる。そこに先ほどのように
証言法で不出頭を重く罰している
理由があると思うのであります。そこで
証言法七条を見ますと、正当な
理由がなくて不出頭、あるいは
宣誓を
拒否した、あるいは
書類を不
提出した、
証言を
拒否したという場合には云々というような書き方にな
つておりまして、「正当の
理由がなくて、」というのは「出頭せず」だけにかかるのではございませんので、ほかのすべてにかか
つて参ります。この
書類の不
提出、
宣誓拒否、
証言拒否という場合につきます例外は、前の第四条に別に民事訴訟法の
規定を引いて
規定をしておるわけでございますが、この第七条で正当な
理由というのは、第四条の場合はもちろん正当な
理由である、しかし第四条の場合以外にも正当な
理由があれば、
証言拒否その他をなし得るということであろうと思います。第四条以外の場合の正当な
理由といいますのは、たとえば質問
事項が
国政調査権の範囲の外に出たとか、あるいは純然たるプライヴエートな事柄について
証言を強要されたとかいうような場合でございましようが、そういう場合には正当な
理由として
証言を
拒否することができるだろうと思います。しかしながら出頭すること自体はそれとは別でございまして、つまり出頭して来てから、その
証言の要求の
内容が、今言
つたように正当な
理由で拒み得るものであるならば、そこで
証言を
拒否すればいいのでありまして、出頭するということはさらに重い義務であるというふうに言えるのではないだろうか。つまり正当な
理由で
証言拒否等をなし得る範囲は四条に限らず広いと思うのですが、不出頭の
理由としての正当な
理由というのはそれほど広くはない、できるだけ狭く考えるべきではないかというふうに思うのでございます。
そこで今度の
吉田首相の不出頭の
理由としての
公務ということになりますが、これは先ほどからお話のありましたように、一般的にはそういうことが言えると思います。
〔
発言する者あり〕