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森脇参考人 今お尋ねの最初の部分につきまして、私が
告訴をいたしましたのは、私は常々変転きわまりない人生をしておりますために、また新憲法下にならぬとき、
警視庁の、ごやつかいに度々な
つております。しかし新憲法下になれば、警察は人権を非常に尊重してお取
調べがあると聞いておりましたが、この一億五千万に対する
永里主任の取
調べというものは、旧憲法下においてもめ
つたにないような罵詈雑言の連続の取
調べ方であ
つたのであります。その一例といたしまして私の方の経理部長に米屋という者がおりますが、私が出て来てから家内に聞きましたら、これが、きよう永里から実に犬といおうかねこといおうか、そういうような罵詈雑言のもとに取
調べをされて、私は海軍ナイフを持
つていたら
ほんとうに永里を突きさして
自分も死にたいと思うほどだ
つたと、涙ながらの報告を聞いたのであります。ですからこれは私ばかりでなく、うちの者たちもすばらしき人権無視の取
調べがあ
つたということを想像することができます。しかしそれは時の権勢がなさる取
調べの方法でありますから、これはいたし方ないと私は観念しておりましたが、とにかく私が
釈放にな
つて出て来まして、それで永里の
部屋でそういうようなことを発見し、
志賀が杳として十数日というものは私の方に参りませんから、私はまるで暗夜に
ちようちんをともして探すように、
一つ一つの
事案を取
調べて行きますと、
調べれば
調べるほど次々に起る奇怪な
事案に遭遇するわけであります。そこでそういうようなことは、少くとも
志賀だとか、
猪股だとか、あるいは
日本冶金等々とかがいかなる陰謀をしても、
警視庁というものが意を通ずることでなければ断じてできるものではないということに結論はなるわけであります。その後あらゆる諸
情報を私が収集いたしますと、この
事案には
日本冶金、
志賀米平、
猪股、これに毎日の野口副部長、読売
新聞、こういうやつが買収されて、そして私が
逮捕される十日くらい前に、
森脇逮捕かというような堂々たる大宣伝が
新聞に書き上げられてその中に私の罪状をいともこまかに書き上げて、そうして最後には
森脇は金権にものを言わせて、現職検事や現職警官を買収しておるというようなことを書いて、そして天下のセンセーシヨンを起した。そうして片やいろいろな
政治勢力を使
つて警視庁の幹部連中に、こういうぐあいに世間が騒いでおる、それなのに
森脇を
逮捕できないとは何事だということで、大きな
政治勢力をも
つて動かした。そうして出てみれば、数億の財宝が夢の間に消えてお
つたということを発見いたしました。それで私は、いやしくも民主警察の第一線につながる捜査陣というようなところが、こういうことをしてお
つたのでは、今後私と同じ運命に置かれる人が幾人出て来るかわからぬ。これはどうしてもそうした捜査第一線に警鐘を乱打して、後日こういう人がないようにな
つてほしい、こう思いまして私は
告訴したわけであります。ただそのときに私が
検察庁に
進言いたしましたことは、それは
高利貸しも悪いかもしらぬ。しかし戦後の一流
会社の悪さというものはあなた方は
御存じない。要するに一流
会社というものはたとい悪いことをしてお
つても、時の権勢を持つ人たちは、あんなりつぱな一流
会社になんでそんなことがあるものか、また世間の一般社会人も、あんな
りつぱな会社がそういうことをやるはずがない、こういう認識に立
つて、その認識の陰に隠れて、悪いことが山ほどある。それについては私に関連する
日本通運、
山下汽船、
日本海運等々をお取
調べになればいとも明瞭に判明する。その他私が体験した一流
会社のことを三、四聞かしておいたわけであります。そのときは私は何も造船疑獄とか何とかいうことは申しません。ただ私は、そうした第一線部隊というものの浄化なくしては
政治勢力の浄化もないのだ、こういうやむにやまれない
自分の心情から
告訴することになりました。これだけのことなのであります。それがだんだん一流
会社を
調べておるうちに、ああいう結果にな
つて来た、こういうことになるのであります。
それから第二のお尋ねは税金のことであります。この税金の話をしますためには、一体高利金融というものはどういう本質を持
つておるかということを説明しなければならない。これを説明するには非常に長い時間を要しますから、私はただ出た
事態に対してお
答えいたします。私が物価統制令違反で約六十日拘置生活を受けまして出て来て一週間もたたないうちに、査察部が八十何人を動員して私の
家宅捜索をやりました。そうして毎日査察部通いをいたしました。その年の御用じまいの日に、査察部の課長が私にこれに署名せよとい
つて出したものは、約一億の税金を承認せよという書面であります。それで私は、署名できない。なぜできないと言うから、私は払うことができないものを署名は断じてできない。払うことができなくても、何しても払うのだ、それから私はいろいろな
事情をよく話したわけですが、どうしてもお前さんが承認しなければか
つてに書け。署名する以上は払うことができると同時に、払うことができる
状態であるということが認識されて初めて署名できるのであると
言つて私はそこでけんかして
帰つた。そうすると翌年の十日ごろに約一億の令書が参りまして、臨時徴収法第何条かによ
つて一月十五日までに払え、こういうのが来た。私はまさか十五日までに払わないからとい
つて、その翌日差押えに来るとは
思つておらなか
つたのですが、一月十六日に十人くらいの人が私のところに参りまして、さあここで一億払え、払わなければ差押えをするということで、いともきれいにペタペタ張り紙をされて
帰つたわけであります。こが私の滞納の発生の原因になるわけあります。そこで私が言いたいことは、つまり私は二十二年の暮れに無一物の
状態であ
つた。ようやくにして百万円か二百万円あるかなしかの金をも
つて私は再び金融の道に入
つて行つた。満一年でようやくにして立つか立たぬかのときに、物価統制令違反で
検察庁に検挙された。その当時私が持
つておる
債権というものは約一億五千万円ぐらいございました。ところが高利金融というようなものは、
銀行や信託や保険とは事違いまして、とにかく経済の弱体者に金融をして行く。ですからAならA、甲なら甲という債務者に一千万円なら一千万円貸す。これは十日とか十五日、一月とかせいぜい二月くらいな見通しによ
つてこれがとれるかとれないかという勘と度胸の仕事であります。ですから、これがそういうようなことで六十日、九十日私が留置生活に移
つてしまえば、その見通しと勘はすべて狂いが生じて来ます。
銀行のように
担保をと
つてやるものではないのでありますから、そういうことがありますととれるべきものがとれなくなりますから、一億五千万円の
債権を持
つておりましても、私が社会に生き、債務者と対峙するところにおいてのみとれるものでありまして、九十日も百日もそういう問題があ
つたら、とれなくなるのは自然の理であります。そこは高利金融の本質をお話しなければ理解できないのでありますが、私が一億五千万円という
債権を持
つてお
つてもなかなかとれない。もちろん全然とれないわけじやありません。そこで私は一体
国民として納税に対して私の最上の良心としてどうして行くことがいいかということを考えた。要するに
昭和二十二年の十月ごろから始めて九月に検挙を見るまでの間に、私はほとんど無一物とい
つていい
状態からそこまで持
つて行つた一年の汗とあぶらの結晶が、すべてこの一億五千万円の
債権に凝結しておるわけです。ですからとれるとれないは第二としても、私は過去一年の汗とあぶらの結晶がこの一億五千万円の
債権に凝結しておる、この
債権をそのまま国庫に提供することが、私としては最大の良心であると思いました。しかし
債権だけを一億五千万円持
つて行くのはきまりが悪いかを思いまして、いろいろなものを処理して百万の現金をぶら下げて、そして一億五千万の
債権を手にして、私は
検察庁に
行つた。この百万の現金も、これはいろいろ苦心してつく
つた金だ、そして一年間の汗とあぶらの結晶は、一億五千万の
債権に凝結しておる。ぼくはどう考えてみても、これ以上の
国民的良心の発露はないと思う。それであなたの方でしかるべく料理してくれと申しました。ところがここでは、君がその
債権を持
つて来ても、税法上譲渡を受けるという方法はない、だからこれは差押えするということにな
つた。それではどちらでもいい、これを置いておくから差押えをしてくれと、こういうことにな
つた。ところが、差押えというのは、国税庁から差紙が参りまして、たとえば私が甲なら甲に一千万の
債権を持
つておる。そうすると、甲なる債務者のところに、この
森脇に対する君の一千万の債務を差押えする、爾今
森脇に
払つても無効である、直接国庫に払いなさいという差紙が行くわけです。ところが、これはまさに強制徴収の方法のように見えますけれ
ども、結局これはこういうことになるのです。ただ払えというだけでありまして、たとえば甲という債務者が一銭一厘払わなくてそれで何十億の資産を持
つていても、また債務者が一億の現金を積んでお
つても、国税庁の役人が
行つてそれを差押えする強制徴収の方法がない。ですから、一千万の債務に対して、税務署員が払いなさいと言
つたとき、そこに一千万の金が積んであ
つても、この人が自発的に払わない限り、税務署というものは、差押えをすることはできない。それですから、良心のない
国民だ
つたら、ああありません、ありませんと
言つていたら
一つも払わないで済む。また、どうしてもそれを強制徴収の方法に持
つて行くのにはどうするか。今度は国家がそれを訴訟して
行つて、一審、二審、三審と確定判決を受けてからでなければ、その債務者に対して、強制徴収の方法がないわけです。それですから、結局こういうことになるのです。私が国税庁に
言つていることは、あなたの方でや
つた差押えというのは、表面的には払えということであるけれ
ども、実質的には、これを裏返してみれば、
森脇にも絶対に
払つてはいかぬぞ、表面的には国家に払えとは
言つているが、払いたくなければ払わないでもいいよとい
つたことにな
つてしまう。だから国税庁がなす差押えというものは、債務者に対して国家に対しても、
森脇に対して、も、一銭一厘も払わないでもいいという神の託宣のようなものである。そうするうちに、二十三年から朝鮮事変が起るまで、財界というものは、だんだん下
つて行きました。そうするとわれわれの債務者というものは、そんなに一流の財界人ではありませんで、大体経済弱体者でありますから、財界が低下して行くに
従つて、なおさらとれなくなる。それで一年以上や
つてから、ようやく国税庁は音をあげて、
森脇君、君一緒にまわ
つてくれ、こういうことになるのです。ところが、もう一年、一年半た
つてしま
つてからでは、財界はそれくらい悪くな
つておりますから、破産、倒産、山のごとくにな
つていてそういうものではとれやしない。ですから、結局国税庁があの
債権で取立て得た金は、せいぜい五、六百万あるかなしでございます。そういう
事情でありまして、私は
新聞雑誌で滞納王などといわれておりますけれ
ども、私としては少くとも
国民として最大の良心を発揮したつもりでおります。そこで私は国税庁に
行つたときに、私はこれで大川でけつを洗
つたようなものだ、戦後無一物になり、今また無一物にな
つた、これで私は常に無一物だから、大川でけつを洗
つたようないい気持になりました。もしも財産を隠匿しているような
事情がありましたならば、どこでも押えなさいと
言つてこれを投げ出した。これ以上私にはどうした
つてできないのです。それに付言して私が国税庁に言
つたことは、私の事犯というものをこういう具合に批判してもらいたい。それは、たとえば一町歩のたんぼを耕している農夫がいる。そこに税務署がや
つて来て、この秋の実りがあ
つたならば、米三十俵献納しろと言う。税務官吏も良心的であり、農夫も良心的であれば必ず納めます。ところが、秋の実りのときに、刈り取
つてみたらそれが全部白穂であ
つたなら、どんなに
国民が良心を持
つていても払えない。私の
債権は白穂にかわ
つている。白穂にかわ
つているけれ
ども、帳簿上一億の集計があ
つたから、それを払えということになる。それはどんなに良心を持
つてい
つても、その百姓が白穂であ
つたら払えないと同じように、私もそうです。