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田中参考人 ただいま
委員長殿から御紹介をいただきました
田中清一でございます。本日この権威ある
国会の
経済安定委員会におきまして、私の多年
研究をいたしておりまする
国土総合開発について
参考人として
意見を聞いていただきますことをまことに光栄に存ずる次第であります。
私がこういうことを考えるに至りました経緯を少々述べさせていただきたいと思います。実は第二次大戦の末期になりまして、だんだん
食糧が詰ま
つて参りました。そうしてはからざる敗戦をいたしましたために、だんだんと
国土が狭められまして、さらに
人口はどしどしとふえて参りました。これを一体どうい
つたことによ
つて解決しようかということがこのことを考えたもとでございます。
その
解決方法といたしましては、いろいろの
議論がございますが、そのうち最も顕著なものは、
人口調節いわゆる産児制限によ
つてこれを解消しようという方もあります。その次は、
人口と
食糧の問題は、すべからくたくさん
日本で品物をつく
つて、それを外国に
輸出して、その金で
食糧を買
つて行けばいい、こういうことを言う人もあります。またその次には、移民によ
つてこれを解決すればいいという方もあります。はなはだしい誤謬の
意見としては、
日本人は米を食い過ぎるから、麦と切りかえればいいというような
議論さえも出て来ます。この
四つとも厳密に考えてみますると、机上の空論でございまして、これはどれも成り立ちません。あとから御
質問がありましたら、私はこれについて詳しく申し述べる準備をしております。それで、この
四つがだめだとしましたら、どうすればいいかということになります。その前に、私
どもが悲惨な
戦争を何べんも明治以来繰返したということを考えますときに、これは
人口と
資源のアンバランスから起
つて来るということが考えられるのであります。なかんずく山でございます。こうい
つた国民的に不安がなければ、ああい
つたばかげた
戦争に血道を上げて、腰の
曲つたおじいさんからおばあさん、小学校の児童までかか
つて行きはしなか
つたと思います。そこでこの問題を解決せぬで
行つて、
平和国家も
文化国家も成り立たぬと私は
確信をしておるのでございます。それでこれを現在の
日本の置かれた立場において解決するのには、もう残されたところはこの
日本の国をもう一ぺんよく高いところから見直してみる。すなわち
日本の現在
利用されていない
土地を十二分に
利用して、そうしてこの
民族の
生存を保
つて行くということのほかにはないという結論に到達したのでございまして、この
見地からこの
総合国土計画を立案したのでございます。そこでよく調べてみますと、御
承知のように
日本は
東北から西南まで馬の
背中のような尾根続きでありまして、ほとんど
平地らしい
平地はないのでございます。聞くところによると濃尾
平野全体でも
アメリカの人が一人持
つている牧場か農地ほどしかないそうであります。そうい
つた狭いところに八〇%もある山と
高原をそのままにしておいて、二〇%
足らずのこの
平地を、
生産によらざる
施設、その他むしろ人間を腐らかすような、ほとんどわが
民族を不幸にするような
施設がどんどんできて行きまして、そうして
農耕地を狭めて行きつつある
状態でありまして、このままに放置せんか、われわれは近き将来に重大なる
国民的生存の脅威を感ずることは火を見るよりも明らかだと私は思うのであります。そこでこの
日本の八〇%もある山と
高原を生かして使うのには、どうすればいいかということになりますると、私の
調査したところによりますると、
北海道は別にまた
お話をいたしまするが、本州におきましても、
東北から参りますなれば、十和田湖の
付近にしましても、八幡平の
付近にしましても、平舘の
付近にしましても、その他雫石の
方面、仙台の向うの王城寺原、その他
岩手平野一円、
那須野ヶ原、
軽井沢、
富士山麓、その他等々、
岐阜県へ行きましても中津川から
大井、多治見その他加茂野、蜂屋村
方面から
飛騨の
高原にかけます、また伊勢から大和へ抜けるところにもたくさんの不毛の
りつぱな平原がございます。その他兵庫県の和田山の方から
津山方面、それから広島県の三次と、九州に行きましても、こまかいところは申しませんが、阿蘇の
高原にしましても、まことに空気が清澄で、水が清くて、
景色がよくて、人の住むにはまことに快適なところがもう無数にあるのでございます。それでこれを人の住めるようにして、そうして
生産にあらざる
施設、いろいろございましよう、一々申し上げませんが、それと最も
日本の国情から適当な
精密機械工業その他の軽
工業とい
つたものをこれに分布して、そうして
日本の
平坦肥沃で一年に
二毛作も
三毛作もとれ、冷害も早魃もないようないいところで、現在
都市となりつつあるところを
農耕地化する。そうして
食糧問題を解決するということを考えたのでございます。
そこで今申し上げましたような、
山岳地帯または
高原地帯に、人に今すぐ行けといいましても、なかなか行きませんから、これには
りつぱな道路をつけて人が楽に快適に住めるように、そこにはもちろん
文化施設もこしらえ、また上級の学校もそこにこしらえる。そうしてたとえばここから近いところで、
那須野ケ原にしましても、今
アメリカやドイツにあるような
道路さえつくれば、一時間か一時間十分で行けるのであります。
軽井沢にいたしましてもその
通りでございます。また
富士山麓にいたしましてもその
通りでございます。そうい
つた一時間
内外で
大型バスででも通えるような、乗用車ならば四十分か五十分で行けるようなところに、かかる不毛の捨ててあるようなところがあるにかかわらず、何を苦しんで大河川の
沖積層の
二毛作、
三毛作のできるようなところをつぶして、
生産にあらざる
施設をどしどしつくるというようなこと、これははなはだ疑問であります。ほんとうに
民族の将来を考えますならば、終戦後ただちにこれをや
つた方がよか
つたと思います。私はその当時すでに
東久邇内閣のところへこの案を持
つて参りましたが、今日までこれが少しも顧みられざることは、まことにわれわれ
民族の将来にと
つて残念でございます。
そこでその道をつくるということでございます。これはその青写真にある
通り、
北海道の稚内、根室から鹿児島の端までの
高原地帯、先ほど申し上げました
食糧はできないが、人の住むのにはまことに好適なところを、ずつと
日本の
背骨道路をつくりまして、それから各
重要港湾と
重要都市に対して肋骨型に適当の幅の
道路を設けて、そうして
運輸交通の便をはかることにいたしましたならば、人は喜んでそうい
つたところに住むということを考えるのでございます。そこでこれを断行するのには、幾らぐらい金がかかるかと申しますと、全部私の思う
通りにしましても、一兆円しかかかりません。私の思う
通りと申しますのは、現在の農産物の
生産高の上に、米に換算したカロリーにおいて二千万石に相当するものをとるということが理想でございます。そうして現在道がないために、牛も馬も羊もつれて行けないような
日本特有の広大な
草原地帯を生かしまして、
牧畜業を営むとともに、海洋における
動物性蛋白、脂肪、こうい
つたものを計画的に増産することになりますれば、
日本の
領土を縮められたとはいえ、
四つの島にもまだ一億人の人が、悠々と平安な快適な生活を営むことは絶対に不可能ではないという
確信を持
つておるのであります。しかも一億人になるまでには、少くとも二十箇年くらいはかかりますから、大体二十箇年のうちに私
どもは道義の高い
りつぱな平和民族にな
つて、
世界各国から迎えに来てくれるような
りつぱな民族になると同時に、現在
日本が
食糧だけでも千七百億円も買
つておるのを、買わぬでもいいようにいたします。また先ほど申しましたような
道路が完成いたしますれば、年に一千億円程度の
国際観光収入が得られる
確信がございます。これは架空ではございません。すなわち
スイスにおきますることを考えましても、それくらいは十分とれるのでございます。御
承知のように
スイスは現在の
日本の
領土の五分の一くらいしかないのでございまして、
日本のように
海岸の
景色のいいところは全然ないのでございますが、それでもなお一年に二億七千万ドルの
国際観光収入を得ておる事実があるのでございます。私
どもの国はその五倍もあ
つて、さらに
景色のいいところがたくさんございます。ですから一千億円くらいの
国際観光収入が得られるということを私
どもは
確信いたしております。そうしまして、もし約二千七百億円の現在ない金が浮いて来るとしますれば、十年たてばたいへんな金になりますから、今までのように大砲をぶち込んだり、爆弾を落したり非常な
残虐行為をして
領土的侵略をやらなくても、
納得ずくでりつぱな豊穣な
土地を買い求めて移住することもできるようになると思います。
今申し上げましたのは
食糧を二千万石つくるようにすること、
国際観光収入で一千億円上げることということでございましたが、そのほかに
日本にこの
道路をつくることによ
つて、あまり無理せぬでも非常に原価の安い
電力を三百七十万キロぐらい起せます。それから
木材が、現在
切つても道がなくて出すに出せないところから五億二千万石くらいは出るようになります。その他
鉱物資源におきましても、今までは道がないために、馬の
背中や人の力で出してお
つて、
貧鉱として棄てられてお
つたものが、道さえできれば製錬所へ一日に三回でも四回でも運べるというようなことにな
つて、今までの
貧鉱は転じて良鉱となるのでございます。御
承知のように金山などは、一万貫の土砂を運んで一貫目も金はとれないのでございます。その他銅鉱にいたしましても、銀鉱にいたしましても、鉄鉱にいたしましても鉛にいたしましても、皆
条件が悪いのでございますから、道をつけることによ
つて一切が解決するのでございます。そうして
日本の国を立体的に使うごとにいたしますならば、この国は狭いどころか広いということを発見したのでございます。そういうわけでこの
国土計画を考えたのでございます。
その後各
方面にお願いをいたしまして、第十六
国会においては
建設省の方で一千万円の
調査費用をと
つていただいて、今その一部分である
東京・
神戸間だけをせつかく
建設省の方で
調査していただいておるわけでございます。どうして
東京・
神戸間を
まつ先にや
つたかと申しますと、この間は御
承知のように六大
都市を
最短距離で結ぶ
道路なのでございます。それとともに
富士山麓のようなたくさんの不毛の
土地を控えておりまして、
東京の郊外へ行くぐらいの時間の、一時間
足らずでそこに行ける有利な点、その他
富士川、
大井川、天龍川、
木曽川、琵琶湖、これらの
電源開発ということによ
つて、少くとも百四十万キロくらいの、
都市に持
つて行くのにまことに都合のいい線路の短かい有利な
電力が起せる
確信がございます。それから赤石山脈を
中心としたる
山嶽地帯、また恵那山を
中心とした
山嶽地帯、
木曽から
飛騨へかけてのこの
付近の
木材資源の少くとも二億七千万石はこの
道路開発によ
つて、最も容易に
利用、保存、管理をすることができる
見込みでございます。そうい
つたところから、まず第一に
東京・
神戸間をつくりたいと考えたのでございます。何となればこの
日本の貧しい
経済で、金をかけるばかりで、その元利が早く回収できないところは多少あとまわしにならなければならぬ
状態であるがためでございます。この
東京・
神戸間の道をつくるのに約一千億円かかるのでございますが、これは少くとも五年ぐらいはかかりますから、二百億円ぐらいを一年に支出していただけば、これが完成できるという
見込みがあるのでございますから、現在の
日本の
状態を考えますると、だんだん
失業者もふえて参りまして、また
行政整理等の重大問題も横たわ
つておるのでございますが、この際にこうい
つた仕事を
政府でおやりにな
つていただきましたら、
国民はどれくらい救われることであろうと思います。
何しろ今までの常識から行きますと多少かわ
つたところがございますから、疑問が非常にたくさん
委員の
皆様方にございましようが、御
質問にお答えしたいと思いますから、私の話はこれくらいにいたしておきます。詳細な
数字等も持
つておりますから、もしその必要がございますれば、ここに
参考人として私とともに出て来ておりまする
小西君から、また
お話を申し上げたいと思います。