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1954-03-16 第19回国会 衆議院 議院運営委員会 第29号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十九年三月十六日(火曜日)     午前十時三十分開議  出席委員    委員長 菅家 喜六君    理事 今村 忠助君 理事 坪川 信三君    理事 渡邊 良夫君 理事 椎熊 三郎君    理事 土井 直作君       生田 宏一君    助川 良平君       田渕 光一君    森   清君       山中 貞則君    佐藤 芳男君       園田  直君    長谷川四郎君       青野 武一君    井手 以誠君       山田 長司君    池田 禎治君       中村 英男君  委員外出席者         副  議  長 原   彪君         参  考  人         (評論家)   阿部眞之助君         参  考  人         (明治大学教         授)      弓家 七郎君         参  考  人         (一橋大学教         授)      田上 穣治君         参  考  人         (評論家)   野村 秀雄君         参  考  人         (日本労働組合         総同盟総務部         長)      丸山 隆一君         参  考  人         (旭化成工業株         式会社常務)  宮崎  輝君         参  考  人         (早稲田大学教         授)      大西 邦敏君         参  考  人         (経済同友会幹         事、三共株式会         社社長)    鈴木 萬平君         参  考  人         (公共企業体等         仲裁委員会委員         長)      今井 一男君         事 務 総 長 大池  真君     ————————————— 本日の会議に付した事件  国会法等改正について参考人より意見聴取     —————————————
  2. 菅家喜六

    菅家委員長 これより会議を開きます。  昨日に引続きまして、本日は国会法改正について参考人の御意見を聴取することにいたします。本日お見えになりました参考人方々は、田上先生弓家先生阿部先生の御三方でございます。参考人の御三方には、いずれも御繁忙のところ、本委員会からの懇請をいれられまして御出席いただきましたことを、委員会代表して厚く御礼を申し上げる次第でございます。  すでに新聞等で御承知のごとく本委員会におきまして国会法改正研究に当つておりますので、数回小委員会を開いてただいま検討中でございますが、この際各界代表方々の御意見を承りまして、国会国権最高機関としての実を得たい、またそれにふさわしい改正をすみやかに今国会中にいたしたいという意図を持つておる次第でございます。ただいま控室で雑談中に、阿部先生からもお話がございましたが、昨日も住本参考人からも御意見がありまして、公聴会をしばしば開き、しばしば自分たちも出席するが、さつぱりわれわれの意見国会に反映しないようであるとの御意見もあつたようでございます。一面にはごもつともな御意見と存じますが、私どもは、ぜひ各界代表の御意見を、部分的に、あるいは全面的に相いれないことがありましても、全体の上からは各参考人なり公述人の御意見というものを反映して行きたいという強い関心を持つておる次第でございます。特に今回の国会法においては、その一部分ではございますが、議員歳費問題等におきまして、言論界新聞より非常な批判の的となりましたので、これらについても、こういう機会に率直な御意見を承りますことは、必ず、やがて改正される国会法の一部にそれらの精神が盛られて行くことをかたく信じておる次第でございます。午前中御三方にお願いすることになりますが、委員諸君も、何とぞ質問もなるべくひとつ簡潔におやりを願いませんと、きようは大勢の参考人がお見えになりますから、その旨ひとつ御了承を願つておきたいと思う次第でございます。重ねて御三方においでを願いましたことを厚く御礼を申し上げる次第でございます。  まず第一に、阿部先生からひとつお願いいたしたいと思います。
  3. 阿部眞之助

    阿部参考人 私、手元まで法案の改正要綱というものをちようだいしたんですが、どうも私は法律のようなものを見ることは不得手なんで、よくわからないので、部分的のことは何も申し上げませんが、気がついた二、三の点について意見を開陳してみたいと存じます。  第一は、常任委員会制度のことなのでございますが、これは、戦争前に、われわれの間によく常任委員会というものをこしらえなければいかぬという議論がされたことがあります。というのは、あの当時におきましては、通常国会がとじられると、翌年まではもう国会が開かれる機会がほとんどなかつた。それで、そのために途中いろいろ大きな事件や問題が起つても、それを批評したり、政府責任を追究したり、あるいは政府意見を聞いたりする機会がほとんどなかつた。その間に、日がたつと、もう問題がぼやけてしまつて政府責任というものがうやむやにされたということが非常に多い。それで、どうしてもこれは、政府を監視し、そうして国会の中に常時常任委員会というものを置いて、問題が起るごとに政府意見を聞き、政府責任を追究する必要があるということで、ずいぶんこれはわれわれの間で論議されたことなんですが、戦争が済んで新しい国会ができるようになつてみると、この問題がそう大したことにならなくなつた。また、事実われわれが主張したような常任委員制度というものができたんですが、その必要性が十分認められないようになつているように感じられる。というのは、国会が、御承知通り近ごろでは、どういうものか、ほとんど一年中のべつたらのように開かれている。だから、いつでも問題があれば、たいていの場合には政府から意見を聴取することもでき、責任を追究することもできるということになつていることが一つと、それから、前にも言つた通り、われわれの考方というものは、常任委員会を通して国民輿論とか意思というものを政府に反射させるということが、われわれの主たる考え方つたのですが、戦後になつて来ると、逆に行政部門意思というものを、常任委員会を通して民間の方へ反射させるような形になつて来たということで、一般民衆常任委員会に対する期待というものが、戦争前とは逆になつて来たというふうな意味もあるように見受けられるのです。  そこで、最近になると、もう常任委員なんかなくてもいいんじやないかという意見を私はしばしば聞くんです。あんなものはやめてしまえ。だが私はまあそこまでは考えていないのです。しかし、そういう議論が起つて来たという根底には、戦争前に常任委員会にわれわれが寄せた期待というものが、どうも思うように満たされないという点もあるだろうと思います。いま一つ現在の常任委員会に対する一つ非難というか失望というかは、何か政府行政部門常任委員会が結託する、と言うと非常に語弊があつて言い過ぎなんですが、非常に近い関係ができ過ぎたために、ともすると行政部門を監視しなければならぬ国会の機能が弱められて行くというふうに感じられたことでございます。現在でも、しばしば行政整理というようなことが、吉田内閣なつても数回行われているが、いつも中途半端になつている。それはいろいろ原因はあることなんだが、どうも常任委員自分の関係する省に関しては、非常に整理が消極的である。もしくは積極的に反対する。それは各行政部門の各省にわたつて常任委員がばらまかれているから、定際的には全体的に行政整理を阻止するというようなことになつて、いつでも中途半端になる。しかも全体としては行政整理をしなければならぬということは、これは輿論が一致しているところなんですが、いつでも思うようにならぬ、官僚にうまくやられてしまうということの一つ原因は、常任委員というものがある。だから、そんなものはじやまだからやめてしまつて、この際思い切つて行政機構の改革なり整理を断行しなければならぬという意見民間に出て来たということが、一つ原因であろうと思うのです。  それから、私が見ていますと、戦争前の国会議員と戦後の国会議員を比較してみると、素質が非常にかわつて来た。一面においては、戦争前から見ると、戦後の代議士は非常に物知りなつて来ている。不勉強だと言う人もありますが、戦前から見れば私は非常に勉強して物知りなつていると思う。それは私どもはつきりわかるのですが、そこにまた一面まずいところがあるので、あまり専門家になり過ぎてしまつている。だから議論役人の言うようなこまかい事務的の議論にばかりなつてしまつて国家の全体にわたる政策とか国策とかいうことに対する論議がほとんど国会に姿を消してしまつている。大臣などの答弁を見てみましても、ほとんど総理大臣以下事務的な論議ばかりで、国の全体の方向づけをするような大論策が近年はほとんど聞かれなくなつてしまつた議員もそうだし、受身に立つ行政部門首脳部も大論策をやらなくなつて、事務的な専門的な論議ばかりが行われる。戦争前の代議士は、大風の日に砂をまくような実に空漠たる論議をしている人もあつたのです。だが、議論はいつでも国の全体をどうするかという心持がその中に幾らか現われておつた。だが最近は、なかなか議論が地について来て、専門家でも時に傾聴に値するような論議を聞くのですが、それでは国の全体をどうするかということになると、はなはだ気力が足りないような気がする。つまり英国で言うステーツンマシツプというものが非常に稀薄になつて来た。だから国会議員職責というものは、大体においてそんな専門的のことも知らなければならぬけれども、同時に一番大切なことは、国の運命をどうするとか、国の政策をどうするとかということに一番主力を置かなければならぬものだろうと思う。この点において、どうも戦後においては非常に欠けるところがあるように思う。これも、常任委員会があまりにこまかく分割されてしまつて専門家になり過ぎた。ここにも学者が二人おられるのですが、学者議論というものは、どうかすると、とかく実際土地から離れたような議論をされる。ということは、学者専門家で、専門家知識においてはわれわれのとても追つつかないような知識を持つておられるが、全体の政治をながめる点において、やはり学者議論というものは欠けているところがある。学者はいわゆるステーツマンじやない。政治家学者と別の立場をとるという点においては、あまりに専門家になり過ぎるということも考えられる。これは私ども、長年新聞記者をやつて来ても考えられることなんですが、近ごろの新聞記者は、私ども新聞記者をしていたころから見ると非常に物知りなつていますが、同時に新聞社の組織が非常に専門的になつて来て、論説なんかもわれわれがやつていたころには一人か二人で書いていたもの、今では何十人にもわかれて、社会とか経済とか部門別に書いている。だから、議論は専門的に精微になつているが、大きな国を支配するような大論策が近ごろ新聞に現われておらない。同じような意味で、この国会においても大論策を聞かなくなつたということは非常に遺憾千万です。これは常任委員会があつたからそんなことになつたという、そんな乱暴なことは言わないのですが、そんな風潮を助けたことは、国会議員があまりにこまかい専門的な分野にわかれてしまつて、そこに主として頭を使うことになつたことも確かに一つ原因であろうと思う。だから、常任委員会というものは無用だとは私は思わないが、絶えず政府を監視する、そういうふうな意味で常置されることはいいと思うのですが、今あるように、あまりこまかく分野をわけてしまつて専門家なつてしまうということは、これは国会のためにも、皆さんのためにも私は損であろうと思う。同時に、これは国のためにも損なことです。私は、常任委員会をわけるにしても、もつと広く分類わけする。これは私の今の思いつきですから、あまり責任を持つては申し上げられないのですが、常任委員会の数は三つ、多くても五つくらいにする。たとえば社会、文化的な方面一つ財政経済、産業、そういう方面一つくらい、治安というようなものを一つと、三つもあればたくさんなので、そのほかにわけても二つ、せいぜい五つくらいに常任委員会分野をわけて、なるべく問題を見る口を広くする必要があるだろうと思う。ところが、手元にお配り願つた改正案要綱を見ると、現在よりも三つか四つは幾らか数を少くしたように見えるのですが、そんなことではまるで申訳みたいなもので、二十幾つが十幾つなつたところで、ほとんどかわりがないので、私をして言わしむれば、ほとんど意味はない、改正というに値しないものである。改正するからには、もつと大きく分類わけをする必要がある。私は二つ三つと言うが、それはなかなか行われないと思うけれども、現在の半分くらいまでに減らすくらいの御努力をなさらなければ、改正意味をなさぬだろうと思う。そこで、常任委員会の数なんですが、現在では全部の議員がどれかの委員会に参加することになつているので、全部が専門家になるというような形になつているのですが、全部がそうなつた方がいいか、あるいは議員のうちの何人かが特別に常任委員になるかということは、私はどつちがいいかわかりませんが、それは御都合でどつちでもかまいませんけれども、何といつて常任委員会の数が多過ぎる。あれでは専門家なつてしまうという感じを持つているわけです。  それから、歳費の問題ですが、世間でも歳費給料との区別はつきりしていないようです。私も、ここへ出るまではごつちやに考えていて、あまりはつきりと区別考えなかつたのですが、一体議員の受ける報酬を歳費言つて、なぜ給料と言わないかという点に、私はこの問題をきめる一つのめどがあるのじやないかと思うのです。私は非常にのんきなので、うつかりしていたのですが、この三十五条を見てずいぶん都合のいい法律ができたものだと一時は思つた。つまり役人最高給料額より少くないというのです。だから上は幾らでも上に上るが、下になると法律違反になる、それで上の方にするのは、自分たちの決議でもつて幾らでも天に届くまで増すこともできる、こんな都合のいい法律というものがほかにあるだろうか、こう思つたのです。だが歳費というものの性質をよく考えてみると、議員としての職責を果すだけの費用なんですから、普通の生活給とは違うわけなんです。歳費を上げるということが今問題になつているかどうか知りませんが、もし歳費を上げる必要があるならば、議員職責を果す意味で、今の歳費じや足りない、そういう意味なら、三倍にしようと五倍にしようと法律違反になりやしない。中には、これは生活給一つなつているのだ、生活も苦しいのだから、生活保護のために歳費を上げた方がいいというような議論があるのならば、私はこれは歳費という名前は返上して、給料とか俸給とかにすべきものだ。そうしたら、一体総理大臣が十一万円なのだから、総理大臣以上の俸給をみんなが請求されることはないだろう。十一万円だけでとどまるものだ。歳費ということになると、これは給料じやなしに、議員としての職責を果すのに必要な経費なんですから、これは何十万おとりになろうと私は一向さしつかえないことだと思うが、それは法律の上からそう言つただけの話で、およそどのくらい歳費をとられるかということは、国の財政も、それから社会常識からもあることなんで、非常にかかるからといつて、かかりほうだいに要求されるということは、世間輿論がこれを許さないだろうと思う。  そこで、私は考えるのですが、この際、収入が少くて、歳費だけでは議員職責を果すのに非常に困難だという事実があるのならば、そういう人を基準にされるということは間違いなんで、余る人もあるはずなんです。そういうことを考えてみますと、これは試案で、実際実行されるとは私は思わないのですが、歳費を二倍にでも三倍にでもなさる。これを倍額くらいにしてもいいだろう。今八万円近くですが、そうすると十五、六万円くらいに歳費を上げる。これは一番貧乏で困る人を基準にして、歳費はそこへ持つて行く。但し、皆様の議員の中には、名簿を見ますと、会社社長とか重役とかなんとかといつて、相当たくさんの所得を持つておられる人もある。そんな人に非常にたくさんの歳費を出す必要はないのだから、その所得を差引いて、その歳費の中から、たとえば十五万円歳費を出すとして、ほかに十万円所得がある人は十万円差引いて、五万円の歳費をあげる。二十万円の所得の人はもちろん一文も出ないというような方式でもなされるならば、いくら歳費を増しても、この際国庫負担は割合少くなる。それで非常に貧乏でお困りの方は、十五万円だけの従来の倍の歳費はとれるのだから、かなり自由に活動できるだろうと思のです。これは実際行われるかどうかわかりませんが、そんなこともしなくて、ただ足りないからよこせ、足りないからよこせと言つたつて、実際かなりぜいたくな生活をしている人もたくさんあるのに、歳費を増すと言つたつて、私は世間承知しないだろうと思うのです。何か増されるについても、世間が納得するような、そういう思い切つた方法をとられることも、私は一つの行き方だと思う。そういうように、ただみんなが増せばみんながもうかる——もうかると言つては非常に語弊があるだろうと思うのですが、たくさんとつておる人が、もつと多くなれば多くなつただけにいいに違いないが、それじや私は世間は決して納得しない。そういうふうな意味で、増されるについては、世間が納得するような仕組みで、何かひとつ考えになる方がいいのだろうと思う。  この前、歳費を増されるとき、議員の中でこんなことを言つている人があつた社会党の人なんかに多かつたのですが、私は、とつて自分のものにするのじやない、党に寄付するのだ、そんなことを言つている人がある。私はこれはけしからぬことだと思う。われわれの税金を党の活動のために寄付するために増さなければならぬというようなことは、弁解になるものであろうかどうか。これはもう議員個人の方にわれわれの税金を支出することなんで、そんなことでわれわれは決して納得できやしない。これは弁解としてはきれいな方で、もつときたない弁解幾らでもある。そんなことを一々私は申し上げませんが、そういうようなわけで、この際まつたくお困りの方があるなら、私はうんと思い切つて増す。同時に、あまり国家財政に痛手を負わせないように、たくさんとつている方は御遠慮願うというような方式一つ考え方じやないかと思う。だから私は頭から歳費値上げ論に反対するわけじやないが、今の国家財政、ことに緊縮方針をとられて国民耐乏生活を要求されているというとき、また場合によると、今行われるかどうか知りませんが、労働者に対する賃金ストツプというようなことが論議されている折から、議員の方が歳費をこの際値上げするということは、時節柄何としても私は国民が納得しないだろうと思うのです。だから、それでも必要があるのならば、私は、今言つたようないろいろな方式で、実際国家財政は大きな支出にならぬような、そういう方式でお考えを願うということがいいんじやないか、かように考えているわけです。この程度で……。
  4. 菅家喜六

    菅家委員長 今先生から非常な有意義なお話を聞かしていただいたのですが、実は今度歳費を上げようということはございません。ただ、この前新聞等で非常に非難対象になりましたようなものは、今のところは歳費は七万八千円、それに通信費というものは一万円、それに滞在雑費というものを出している。これは今までは開会中に一日千円だつたのです。ところが、どうも開会中の一日千円というのでは、滞在雑費というものはまかない切れない。この滞在雑費開会中一日千円を二千円に上げるというのが非難対象なつた。それで、歳費もそのほかも上げていないで、滞在雑費を上げている。ところが、新聞から総攻撃され、われわれも非常に非難の的になつた。今度国会法改正するという場合に、先生が今お話になりました条文のうちに官吏と書いてありましたが、一般公務員よりも少くてはならないという規定が国会法にある。そこで一般官吏一般公務員というものの基準をどこに置くかということは、事務次官が一番公務員最高をもらつておる。その事務次官より国権最高機関構成員たる議員は少くもらわないでいいという建前だつたのですが、この間こういうことが非難の的になつたから、この前改正した場合に、この条文をどういうふうにしたらいいかということで、特に先生その他各界お話を承りたい、こういう趣旨なんであります。今非常におもしろい御意見を承つたのでありますが、そういう意味でございまして、現在上げるという議論はございません。
  5. 阿部眞之助

    阿部参考人 そういうふうな名目でも、私はこの際いかなる名目をもつてしても、国家財政を増すようなことは、時期としてよろしくないと思います。
  6. 菅家喜六

    菅家委員長 それから前から椎熊さんから発言を求められておるが、多分このことだろうと思うのですが、この前先生新聞に御発表になつた御意見のうちに、国会自体国会議員のことをきめるのはおかしいという御意見新聞に出ておつた。実はお手盛りとよく言われるのです。これは今の法律論をたてにとるわけじや決してございませんが、今のところは、御承知通り国会は全部独立したる会計で、議員歳費国会みずからがきめるより法的には方法がないのでありまして、別の機関できめるという方法がないのです。これをお手盛りだと言われるならば、全部議員がきめたものはお手盛りになるわけです。私どもの方で外国に行つたときの経費お手盛りでやつたと言われましたが、これはすでにずつと前からきまつてつたことでありまして、私どもがやつたわけじやないのです。昨日住本さんの御意見を承りますと、やはり何か各界意見を聴取するとか、諮問するとかいう形で議員経費をとつた方がいいじやないか、こういう意見があつたのであります。先生のお考えは、議員歳費のきめ方についてどうでしようか。
  7. 阿部眞之助

    阿部参考人 私は、原則論を言えば、われわれ議員を信用しておれば、財政政策を立てたお手盛りもけつこうだと思うのです。ただ、お手盛りの仕方があまり無理過ぎると、どうも問題が起きるのじやないか。(笑声)これは、常識的に言えば、お手盛りという言葉は非常に悪い意味があるのですが、合法的にやられて、それがわれわれの常識や何かに反しない程度においてならば、そんな非難が起るわけはないが、ともすると、これは多過ぎはしないかという意味合いのお手盛りが、どうかすると出て来る。そこに問題がある。選挙法改正なんかの場合もそうです。私なんかよく皮肉な意味で、選挙法改正なんかは国会議員にやらしてはだめだ、まるで犯罪者に刑法を改正させるようなことになつてしまうからだめだと言う。(笑声)しかしこれは別にやらなければならぬと言つても、そんなことはできるはずがない。法律をこしらえる場所はここですから、いい法律をほんとうに皆さんがこしらえてくれるならば、そんな議論が起るはずがないと思います。
  8. 椎熊三郎

    椎熊委員 今、委員長からもお話がありましたが、今度皆さんの御多用中をお呼びしていろいろ御意見を承つておるのは、国会内の現在の歳費を値上げしなければならぬという要求から来ておるのではないのです。これは非常に誤解があるようです。けさの朝日新聞なんかも、こういうふうに明記しておる。「いまの歳費では少な過ぎて困るから増額してもらいたいという声がかなり強い。」と。しかしそういう声は、私ども政党では——ほかの政党のことは知りませんが、全然ないのです。それから今の国会法改正ということもそんなことから来ているのじやない。それをここへ来ておる出入りの新聞記者の方にいくら説明しても、どうしてもそう了解してくれないのです。われわれの説明が悪いかもしれませんが、それはともかくとして、そういう歳費値上げの要求から国会法改正しようという意図でないことだけは、どうぞ誤解なく御承知おき願いたい。  それからもう一つは、このお手盛りでやることに世間は非常に不愉快を感じておられる。これはひとり世間だけじやない。そもそも終戦後の新しい国会法をつくる時分に、そのことがすでにわれわれの間でも議論になりました。それで、お手盛りなんかをやらずに、相当な待遇を受けることのできるようにしておく一つの根拠をつくろうじやないかということになつて、それが現行国会法の第三十五条なんです。それで、あなたの御指摘のように、最低限度だけは法律できめてある。それではしからばいくら上をとつてもいいという意味じやなかつたのです。こういうふうにきめておけば、社会の実情がかわつて来て、ベース・アツプなんかが行われる場合には、それにスライドして行けるじやないか、お手盛りでなくて、事実上きまつて行くのじやないか、そうするとお手盛りするとの非難も回避することができようじやないか、こういうわけであります。それから、上の方をどうしたらいいか。それは、御指摘のように、総理大臣より上をとろうと言うばかな人もおりませんし、とるわけじやありません。普通の国務大臣事務次官の中間くらいがいいじやないかということで、そういうことは記録の中にもちやんと残つております。そういう腹構えでこれをつくつたのです。実はその通りつておれば、お手盛り非難を受けなくても済んだのですが、物価の変動その他があつて、どうもそれじややつて行けないという事情からいろいろ租税の対象にならない項目、たとえば通信費だとか、滞在雑費だとかいうものが考えられた。そこにお手盛りができて来たものですから、そこに非難が集中されたのじやないかと思います。現に、現在の歳費七万幾らというものは、去年の十二月のベース・アツプにスライドして行くならば、もつと上にならなければいかぬのですが、それを、世間非難等もあつて、それで自粛して、この際はあまり歳費のことで世間から非難を受けるのも望ましくないから、世間のベース・アツプは法律できまつたが、こつちの方は遠慮をしようということになつて、現在ではスライドされていないのです。そこまでやつたのだが、どうも本日の朝日新聞にこまかく出ておりますように、われわれの歳費といいますか、手当といいますかわかりませんが、いろいろの項目にわかれているところに、世の中の疑問があるのじやないかと思います。ほかに別な意見の方もありますが、わが党では、何かすつきりした一本の形にしよう。それに対して、租税の対象になるのであれば、租税をかけて、その上で実収入はこれくらいというものが一体どのくらいが適当なのか、それにはやはり各界方々の、学者意見も、言論界意見も、労働組合も、婦人団体も、多くの各階層の意見を聞いて、あまり非難を受けずに適正な方法できめて行きたいというのが、今度の意図なのでございます。  それにもかかわらず、本日の朝日新聞なんかを見ると、まず冒頭に「月額十七万九千九百円」とあつて、小見出しの方を見ると、それは秘書の給料を加え、立法事務費を加えるからそうなるとわかるのですが、新聞を見ると、われわれしろうとというものは、いきなり見出しを見て、ことごとくこの印象に支配されてしまうわけです。それでは困るといくら弁解しても、新聞は訂正してきれません。われわれ新聞に対抗する何らの力もありませんから、これはやむを得ないのでございますが、議員一人当りの国民が負担する費用というものは、十七万九千九百円ではありません。これは、国会全体の費用を議員の頭割で割ると、年度一人り何千万円というものになるでしよう。二十数億の年度予算を持つておりますから、そういうことで議員一人当りに年額何千万円かかるのだとやられたのでは、この見出しと同じことなんです。私は、そういう点に、世間から、議員歳費に対する誤認といいますか、誇張せられた批判を受けておるようなことがあつては非常に残念だと思つております。現に、私どももこれで十分だとは思いませんが、世間耐乏生活をしようというこの際、歳費を上げなければならぬという声は現実に議員の中にはないのです。ないが、新聞ではあると書ていあります。そういうところに非常に誤解があるので、こんな機会先生方のほんとうに忌憚ない御意見と、それはどういう方法でとれ、額はこのくらいなら世間が見てそんなに非難は受けないだろう、こういうふうな御意見を率直に承れれば、私ども国会法をかえて行く上に、これは非常に貴重な参考になると思います。
  9. 阿部眞之助

    阿部参考人 それは、議員の方がやつておられることは、私ども幾らかかるかわからぬが、そこはやはり世間の、大体どれくらいの信用を持つておる人がどうだとかいうような大体の基準がありますから、そういう常識を離れたことをなさらなかつたら、私は世間は納得すると思う。
  10. 椎熊三郎

    椎熊委員 それから、もう一つは、選挙区から選挙民が来るから、それにサービスしなければならぬから金がかかるとかいうことは、議論にならぬと思うのです。現にそういうことは全然やらない人もあります。私なんかも、金が足りないから、選挙区から来た人に弁当を出すということはやつておりません。多くの人はやつておりません。やる人になると何万円もかけておるが、それは歳費の問題とは本質的に何ら関連性がないと私は思うんです。そういうことを度外視して、国民代表だといわれている国会議員が、国会議員らしい活動をする上の、世間並に見て、今の耐乏生活の中ではどのくらいがいいんだろうというようなところを、各界方々意見を聞いて、その上に立つて、あまり非難を受けないような、肩身の狭くないような歳費のきめ方をしておきたいというのが私どもの念願なんです。
  11. 今村忠助

    ○今村委員 ちようと一つだけ聞かしていただきたいと思います。これは今審議中の原案の中には含まれていないのですが、審査手当というような形で、出席して審査に当る者と、休んでおる者と、つまり簡単に言えば登院しない者と、何かその手当の上で区別したらどうかということを、私個人的の意見ですが考えるのです。先ほど先生から、会社社長というような収入のある者との差をつけたらどうかという御意見もあつたので私思い出したのですけれども、こういうことはどうお思いになるでしようか。
  12. 阿部眞之助

    阿部参考人 いいでしようね。仲間うちで、相談づくでやるなら、登院しない人は反対にむしろ減らすんですね。
  13. 椎熊三郎

    椎熊委員 外国の例では、そういうことをやつておりますね。
  14. 菅家喜六

    菅家委員長 外国ではそういう取扱いをしておりますね。
  15. 阿部眞之助

    阿部参考人 それは減らすべきですね。
  16. 土井直作

    ○土井委員 ちよつと阿部先生にお伺いしたいのですが、先ほど先生の御意見の中に、社長とかその他の人がよけい給料をとつた場合に、それを歳費の中から控除して、残額があれば残額を支給する、そうでない場合、よけいになつたらば全然やらぬでもいいという、非常に奇抜な御意見があつたのです。一つの御意見としてはなかなかおもしろいのですけれども、実際の面においては不可能なんですね。そこで、これを可能ならしめるためにはどうしたらいいかという問題は、先ほどの御意見の中にもありましたが、このごろの議員は、戦前の議員と比較して勉強はしておるけれども、大局を見ていない、部分的な問題については専門家をしのぐだけの意見のある人もある、しかし国家をどうするかというような事柄についてあまり考えていない。この点について、私が口幅つたいことを言うと、同僚に対して相済まぬ場合があるかもしれませんけれども、私もそういうことについては同感なんです。区々たる問題についてあくせくしたり、党利党略で国家考えていない。党の利益を優先的に考えて、国の利益、国民の利益をあまり考えないという傾向が、このごろ特に強くなつて来ている。これははなはだ遺憾だと思つて先生の御意見には非常に私は共鳴しております。そこで実は、わが党などでは、議員までは行かないのですが、大臣とか、政務次官とか、その他政府の要路に立つ人の兼任、たとえば会社社長とか、あるいはいろいろな事業の役員だとか、そういうものを全部よさしたらどうだということを国会法の中できめたらいいじやないか。そこでもし法規上の問題などについて議論されるならば、議員も要するに営利会社やなんかの兼任を許さないで、専心国会のために、国のために働く議員たるようにする。私どもの党の国会法改正の特別委員会では、議員までやるという問題になりますと、いろいろ実行も困難だろうし、議論もあるだろう、こういうようなことで中止されていたんですが、とりあえず大臣とか、そういう行政府の役員になる者だけはそうしようじやないかという意見なつておるのです。どうでしようか、議員は専門にかかるということは。
  17. 阿部眞之助

    阿部参考人 私はその議論一つやろうと思つたのですが、奇抜の方が先に出ちやつたのです。その議論はアメリカあたりでもそうですね。議員議員歳費だけで、他に一切の収入を得ることができない。会社に勤めていたら会社をやめる、これがほんとうの行き方だろうと思うのですが、それには実際言うと、うんとまた歳費を増す必要が起つて来ると思うのです。それでも私は、皆さんがそういう決心であれば、その決心を壮として、歳費を増すことに賛成しますね。倍くらいになつても、変なひつかかりを持たれて、あんな事件を起されるより、よつぽどいいですね。
  18. 土井直作

    ○土井委員 それからもう一つ、ただいま椎熊君もいろいろけさの朝日新聞の問題で議論されておりますけれども、参考資料にとつている中村君のあれなどについても、むしろ政党に所属しておる他の人と比較して、内容的にはいろいろ議論がありますし、実際の面においては適正でない面があるようですが、そんなことは別といたしまして、たとえば新聞には、いろいろ誤解を受けるように仕向けるという意図はないでしようけれども、ややもすればそういうふうな感じが出るんです。それで、先生と同じような立場におられる山浦貫一さんが、この間、三月十三日の記事の中に、ドイツの議員俸給は日本のよりも少いというようなことでやつておるのです。日本の実際上の歳費は、滞在費やその他を合せましても、ドイツの人から見れば、ドイツの人が月額五万円で、それから日当が一日八百円で、計七万円が実際収入だと書いておるのです。ところが、われわれが受けている調査立法考査局の調べによると、やはり十二万七千五百円をドイツの議員はとつているのです。そのほかに附帯的なあれは非常に多いものがあるのです。むしろ日本の議員よりも、待遇はいいのです。鉄道のパスは言うに及ばず、その他自家用の自動車の運転手その他の費用、そういうものを合せると、相当に厖大な費用に換算することになるのです。ところが、山浦さんのようなりつぱな方でも、こういう間違つたと思われるような報道を平然としてやつておられるのです。ドイツと日本は敗戦国で同じような形になつておる。経体事情はドイツの方がはるかにいいのですが、こういうような書き方は、議員というものが何かしら悪いような印象を与えるということは——私は議員も全部いいことをやつておりませんから、辛辣な批判もいいけれども、間違つた報道をされているということによつて議員自身が誹謗され、またそれ自体が国会の権威を失墜する、それがやはり国の将来の運命にも非常に影響するので、議員が自粛自戒しなければならぬことは言うまでもないが、何か間違つた報道をされることは、訂正されるなり何なりされる必要があると思うのです。先生などは言論界における最高峰を行つておられるので、どう考えられましようか。国会法とこれとは直接関係のないことですけれども……。
  19. 阿部眞之助

    阿部参考人 言論の方でも、そういう間違つたことを事実として、それを基礎にして議論を立てることは、しばしば私なんかもそういうあやまちを犯して来ており、それはそれに違いないのですが、これはどうも言論の方は押えようがないのです。(笑声
  20. 土井直作

    ○土井委員 言論の方は切捨てごめんということですか。
  21. 阿部眞之助

    阿部参考人 切捨てごめんというのではないけれども、めいめいが自粛するというところまで実際に行かぬと、これはいかぬということです。あなたは社会党の方なんですが、議案の審査における社会党の議論を聞いておりましても、これをやつたら言論の圧迫だというような議論が多いですね。それほど言論というものは押えることはむずかしい。また押えちやならぬものなんで、そういう間違つた議論は、自然にほかの議論でつぶして行くよりほかしようがないんじやないでしようか。
  22. 土井直作

    ○土井委員 私は、実際上からいうと、斯界の相当権威ある人は、権威のあるものを書いてもらいたいと思うわけです。
  23. 阿部眞之助

    阿部参考人 間違つたことを書けば、権威がなくなりますから……。
  24. 土井直作

    ○土井委員 間違つたことを書いてる場合は、訂正することにやぶさかでないというところの良心的な反省があつていいじやないですか。
  25. 阿部眞之助

    阿部参考人 むろんそうですね。
  26. 土井直作

    ○土井委員 間違つたつて訂正しようがないじやないかという議論よりも、間違つているという事実があれば、むしろ潔く、適当な機会に、自分の説に間違いがあつたからこれを訂正する、このくらいのことは書く良心的態度があつてしかるべきじやないですか。
  27. 阿部眞之助

    阿部参考人 それはそうです。
  28. 土井直作

    ○土井委員 それによつてお互いが是正される。ところが、言論界の関係は、お互いに全然訂正しないということは、まぶいんじやないですか。
  29. 菅家喜六

    菅家委員長 どうでしよう。時間がなくなりますから……。
  30. 田渕光一

    ○田渕委員 今の土井さんの議論に関連して、実際に昨日と今日伺つていても、ほとんど言論界は切捨てごめんです。傍若無人な動きだとぼくは思うんです。言論は押えようがないとおつしやるんですが、報道機関は、これをもつと反省する機会があつていいと思います。ひとつ率直に阿部先生に御参考のために申し上げますが、こういうわけです。たとえば今問題になつている保全経済会の問題ですが、二十五年度に広告料六百三十万円、二十六年度に二億三千七十万円、二十七年度に一億一千五百十六万円、二十八年度に一億二千万円、合計四億七千二百十六万円というものをとつている。広告料という名前でとつたんですよ。保全経済会だけでそうです。これは下村君がやつている日殖とかその他で、何十億という金をとつて誇大なる広告をやつておる。そこで誇大なる広告を出すために、正しい言論報道をすることは私はできまいと思う。何千万という広告料をもらつておれば、詐欺だということは書けない。保全の広告料は四億七千万円という。政党で今問題になつているのが、これは事実かどうか知りませんが、自由党に三千万円、改進党に二千円、鳩山自由党に六千万円で、それの七倍も八倍もとつているのに、報道面については全然書かない。これを書いたら、大衆はこれだけだまされなかつただろうが、これはちよつとも書かない。国会方面については言いもしないのに書く。まつたくこんな切捨てごめんはない。国会というと目のかたきのようにしてこれを書く。こはれ先生の御参考に申し上げておきますがね。率直に間違いは間違いとして訂正しなければいけないのに、その点から見て実に言論界はけしからぬと私は思つておるんです。
  31. 阿部眞之助

    阿部参考人 それには私も意見はありますが、今は申し上げません。
  32. 菅家喜六

    菅家委員長 田渕君、御意見のほどはよくわかりましたが、先生は御意見もあるでしようが、ここでは不適当だろうとおつしやるから、その程度でひとつ……。ではお忙しいところをいろいろありがとうございました。  次は、明治大学の弓家先生にお願いいたします。
  33. 弓家七郎

    弓家参考人 弓家七郎でございます。  まず、常任委員会のことについてでございますが、申し上げるまでもないことでありますけれども、どこの国の国会でも、最近ますます多くの委員会が設けられて、その委員会が次第に専門化して来ておるというのは、これはもう共通の事実なのでございます。といいますのは、言うまでもなく、議案の数がますます増加すると同時に、その質がますます専門的な知識を案ずるものになつて来ておる。そのほか民間の陳情のようなものも増加して来ておりまするので、それをさばくためには、委員会をつくつてやらなければ審査が不十分になる。本会議で全部相談し切れるものではありませんので、多くの委員会ができるのだと思いますが、これは、国会の能率を増進させるために、やむを得ないというよりも、ぜひとも必要なことであるからだ、こう思うのであります。  しかし、その常任委員会の制度を、たとえば、私ども、イギリスの制度とか、アメリカの制度とか、それから日本によく似ておりますフランスの常任委員会の制度などを見ますると、これは国会政府との関係、そのあり方によつて大分違うように思うのであります。御存じのように、イギリスでは議院内閣制度をとつておりまするために、議会においての議論といいますものは、内閣の提案したものをできるだけ通すというのが与党の責任なつて来ております。従つて常任委員会ではあまりやかましく論議をしないのが、イギリスの特色であろうと思うのであります。あまり批判をしない。だから、イギリスでは、この常任委員会というようなものがあんまり活動しておりません。しかしアメリカのような国になつて参りますと、あそこでは、御存じのように、国会が唯一の立法機関であるというような立場をとりまして、むしろ政府と対抗して、法律をそこで制定しておりまするために、常任委員会が非常に活躍をしておると思うのであります。それから、フランスになりますると、これはイギリスと大体同じような、いわゆる議院内閣制度でありますけれども、しかし、あそこでは小さな政党が大層たくさん分立しておりまして、内閣は常に不安定で、一つの内閣が半年続けばよい、一年続く内閣というのはまれだ、こういうようなところでありまするために、その内閣によつて政策の一貫性というようなものを求めようと思いましても、それは得られませんので、国会が、常任委員会というようなものを中心として、政策の一貫性というものを追究しなければならないようになつておることだと思うのであります。  従つて常任委員会の制度を各国などについて見ましても、イギリスには、ただいま申しましたように、常任委員会というものはありますけれども、これはわずかに、常任委員会としましては御存じのように五つしかありませんのです。その常任委員会の中で、全院委員会なんというものは、常任委員会と申しますか、全部の議員が委員になります。日本でも旧帝国議会にありましたあの制度でありまするから、これは御説明するまでもないと思います。  次に。アメリカの制度について見ますると、アメリカでは、やはり一番初め常任委員会というものはほとんどありませんでしたが、次第に増加して来まして、一九四六年のころに見ますると、上院で常任委員会の数が三十三、下院で四十八というようにたくさんふえましたので、これではいけない、たとえば上院などにおきましても、九十六人の議員が三十三の常任委員会を構成しておつたのでは審議も十分にできませんというので、一九四六年に、ただいまのように上院の常任委員会は十五、下院は十九、こういうふうに減らしております。しかし、あそこでは、国会の仕事が実に多いので、国の唯一の立法機関であるというような立場をとつておりまするがために、常任委員会の数を、たとえば下院についてでありますが、十九には減らしましたけれども、それだけではどうしても仕事ができませんので、その下に幾多の小委員会がわかれまして、小委員会の数がただいまのところで百以上になつている。こういうようなことを今年の年鑑に書いてあるのでありまするが、その委員の数なども、下院の一番大きな委員会では五十人の委員、これは予算委員会の歳出の方の委員会でありますが、一番小さいのが非米活動委員会、マツカーシーなどのやつておりますあの委員会ですが、あれの数が九人というのでありまするが、通常三十人くらいをもつて構成しておりまして、常任委員会が一番働いているのはアメリカであろうと思うのであります。このアメリカの制度が、日本の国会法を制定する場合に大層参考になつたものであろうと思うのであります。  それから、フランスあたりになつて参りますと、この常任委員会の数が、相当これも多いとは申しましても、大分整理されまして今二十になつておると思います。それから一つ常任委員会の委員の数が四十四人、中に四十三人のものもありますけれども、四十四人というようなことになつております。その委員会の委員の選び方などを見ますと、イギリスでは、各党派の代表者が集まりまして、選任委員会、コミテイ・オブ・セレクシヨンをつくりまして、その中から選考することになつております。アメリカでは、御存じのように、これも党派によつておのおの違うのであります。たとえば、共和党では、委員会委員会、つまり委員会委員会というものをつくつておりますし、民主党では、党の予算委員がその人選にあずかつておるのであります。そして専門的にわかれておりますために、委員長になりますようなものも、一つ常任委員会に長く継続しておる。上院議員でありますと、六年間の任期中、六年間同じ常任委員会に席を持つておる。何期も何期も勤めた者が委員長になるというのでありまして、非常に専門的になつておるように思うのであります。だがフランスになりますと、専門化ということを非常にきらいまして、委員は二会期、二年でございますが、その二年間は原則として一つ委員会におらなければならないけれども、二年ごとにかえることになつおるようであります。しかも、そのかえるときにあたつては、ほとんどくじ引きのようにしてかえるのでありまして、専門的の知識とか経験とかいうようなことを考えておらないもののようであります。従いまして、フランスにおきましては、議員専門家でありませんために、専門員というものがつきます。そのほか政府役人がこれに加わりまして、ずいぶん働いているようであります。アメリカにおきましても、日本の常任委員会におきまする専門員のよう専門のものもありましようけれども、日本ほど有力には働いておらないようでありますが、フランスではこれが相当有力に働いておるように思うのでございます。  それで問題になりますとてろは、常任委員会が必要か不要かという問題ではもちろんございませんで、これは、言うまでもなく、どうしてもなければならない機関でありますが、その数がどのくらいになるか、どのくらいを必要とするかは、議会の能率の問題からしまして、議案の数、あるいはその専門的な知識をどこまでも生かさなければなりませんために、おのずから専門的の部門ごとに常任委員会が設けられるということが本筋だと思うのであります。しかし、日本の常任委員会の数は、たとえばアメリカでは先ほど申しましたように十五、フランスでは二十、イギリスでは五つでありますから、これに比較しますと相当多いようでございますけれども、しかし、その多いということは、その中に幾つもの小委員会が含まれるということを考えますと、そう大して問題にはならないように思うのであります。だから、委員会の数を少くして委員の数をふやせば、その中に小委員会幾つもできるということで、結局は同じことになつてしまうのではないかというようなことも考えられるのでありますから、私は結論としましては、常任委員会が専門——たとえばそれが行政部門ごとに設けられることは、必ずしも不適当ではないと思う。しかし、そてにも業界とかあるいは政府とか、いろいろな結びつきができるというようなことになりますと、それは別の方法で何とか補う方法がありそうなものではないか、専門的の知識、経験はあくまでも生かさなければ、議会としての任務が果せないのではないか、専門的の知識を持つておらない議員は、専門的の知識を持つておる職員の助けを借りて議案の審査に当らなければ、このごろの議案は審議ができないような性質のものになつているのではないか、こういうふうに考えますので、委員会の数を減らすということに必ずしも無条件には賛成しかねるのであります。それが幾つくらいになるのが適当であるかということは、私には実情がよくわかりませんから申し上げかねますけれども、そういうふうに大体考えておるものであります。  それから次に、歳費の問題でございますが、これも皆様お手元にいろいろな資料をお持ちでございますので、申し上げるまでもないと思いますけれども、ただ、これはお話に出たことであると思いますが、イギリスでも、今のところ議員歳費が年額一千ポンド、その一千ポンドを一千五百ポンドにふやすというような議案が最近出ておるようでございますし、それからアメリカでも、議員歳費をサラリーと言つておりますが、サラリーが一万二千五百ドル、そのほかアローアンス、手当といたしまして、税金のかからないのが二千五百ドルございますが、その議員のサラリーを倍にしろという案が出ております。だから、今のところ税金をとられる分が一万二千五百ドル、それを倍にして二万五千ドルにしろ、そのほか税金のかからない二千五百ドルはそのままだということで、合計二万七千五百ドルにするというような案も出ております。それからイギリスでも、今議員のサラリーが一千ポンド、日本の金額にいたしますと、大体千円が一ポンドくらいでありますから百万円くらいだと思いますが、そのうちの半分が無税であると思います。ですから、無税が半分、税金をとられる分が半分というようなことになつていると思うのであります。これにつきましては、別に法律で定まつたのではないと思いますが、この前に値上げいたしましたときには、これはイギリスでもアメリカでも同様だつたと思いますが、彼らが考えまして、やはりお手盛りはいけないというのです。しかし、議員がきめなくて、その議員のサラリーをどうしてきめるかというのですが、それはきめることはきめるけれども、われわれのときからは値上げしない。次に選挙があつて、その選挙の後に値上げする、こういうように考えておるようであります。今度の値上げはどうであるか知りませんけれども、今でもおそらくは同じように考えているのではないでしようか。だから、そういうことによつてお手盛り非難はまぬがれ得るのだと思います。それから、アメリカでもイギリスでも同様でありまするけれども、フランスのごときは——フランスは今たしか一九五一年ので百三十万フランだと思いますが、フランスではたしか自分たちから上げたように記憶しております。  議員俸給が多いか少いか、先ほど阿部先生が申されましたけれども生活費と考えてみますと、これは官吏最高俸より少くないというところで十分だろうと思いますが、議員としての活動を十分にするというようなことから考えますと、普通の官吏と違いまして、自動車賃もかかりましようし、あるいは通信、交通、会合費、いろいろかかりましようから、そういうことももちろん考慮しなければならないと思いますけれども、そういうような方面を一体どのくらい上げればよろしいか、多ければ多いほど活動に便利でありましようけれども議員の中には相当のブルジヨアもありましよう。そういう人たちと同じように、どのような議員でも同じような活動をすることができるようにというなら、これは切りがないだろうと思う。まず国会議員としての体面を十分に維持し、それから会合をしたり、また自動車を自由に使つて活動をしたりするための、それくらいのものはどうしても必要だと思いますが、イギリスでも、その問題はずいぶんやかましく言つておるようでございます。これは選挙の費用ともあるいは若干関係することであるかもしれませんけれども、選挙の費用までも議員歳費の中から出す。つまり選挙費用までも歳費でまかなうということは、これは困難なことではないか、こう思うのであります。イギリスで最近にジエニングスという人の書いた英国憲法論を拾つて見ますと、議員として、歳費だけで生活して、選挙費用までもまかなうことのできる者はほとんどないというようなことを書いておるのです。皆さんも御存じであると思いますが、あのジエニングスの本に、保守党の議員が選挙区のために使わなければならない費用は、どうしても一年に千五百ポンドはかかる。そのほかに、選挙のときには八百ポンドから千ポンドくらいはかかりましようけれども、選挙の費用は十分にまかなうことはできるけれども、そのほか選挙区培養のために年に使う千五百ポンド、これは内輪に見積つてそのくらいはかかるのだ。しかしそれを出さなければ議員として当選することができないから、どうしてもこれは出るのだ。そこで、違うのは、日本のように政党が金を集めて議員にたくさんの金——選挙費用や何かを援助するというようなことは、日本ほどではないように考える。そういうふうに私ども新聞とか雑誌とかいうようなものだけで見ておるのでありますけれども、そういうものは案外ないようであります。但し、社会党だけは、党員が——もつとも党員と言いましても、たいがいは労働組合員でありますが、かつては労働組合が労働党の財政を負担しておりましたけれども、一九二六年でありましたか、それを禁止せられてから以後は組合は金を出すことができません。但し、組合員が党員になることはさしつかえない。党員は一週間一ペンス、年四期で、四回に払つて一シリングずつ払えばよろしいのだということでありまするが、その費用で社会党の費用は大分出来て来ている。社会党の議員は選挙費用も従つてかからないというようなことも書いてまございますが、もちろん、これにつきしても、また議員としての言論あるいは主張を拘束されるというような面もあるとかといつて、やはりそれが一番満足だとは言つておらないように考えておるのでありますが、結論といたしましては、私は、議員歳費といいますものは、日本政府は外国と比べてみまして決して多くもなければ少くもないというふうに考えております。ただ歳費を少くすればよいのだというふうに考えることは、もちろんできません。十分に活動してもらうということが国民の願いでありますから、十分な活動をすることができるような費用を与えなければならないし、また皆さんもお取りになることが当然であろうと思うのであります。ただ、お手盛りという非難を免れようとするならば、われわれのときからはその値上げはしない、次の選挙以後だ、こういうような方法でまた解決の道もありはしないか、かように考えています。  簡単に自分意見を申し上げました。
  34. 菅家喜六

    菅家委員長 時間がたちましたので、もう一人田上先生に午前中にお願いしたいと思いますから、なるべく質問を簡潔に、重複しないようにお願いいたします。
  35. 椎熊三郎

    椎熊委員 常任委員会の制度の問題を承つておきたいのでありますが、私は個人的には、常任委員会制度を発達さして行かなければ、今のような案件の多い国会では処理ができないという観点に立つておる次第であります。現に通常国会——今度の国会でも、政府の予定している案件は百九十幾つ、約二百件を越えるありさまであります。それに議員立法等もありますから、たいへんなんです。昨年の臨時国会は、長かつたのですが、ここでは三百件以上審議している。かつて旧憲法時代の戦争前の議会では、五十件を越したことは、私は記憶にない。濱口内閣は非常に多いといつても三十七件、それでびつくりした時代がある。その時代と、今のように、勅令とか、政令とかがなくなつて、微細な点まで法律できめるということになると、非常に案件がふえて来るのです。そこで、やはり案件の内容別か何かでわけて行くか、しからずんば今のような各省並立したようなわけ方か、何かしら常任委員会というものをそう極端に減らして行つたのでは、国会の能率が上らないと思うのです。ただ、今、私どもが、かえて行こうと目途としていることは、どうも大きな弊害があまりに目について来たということ、それは、各省と並行してできておる委員会ですから、各省と常任委員との間にだんだん血のつながりができて来るわけです。そこに非常な情実が生れて来るようです。たとえば大蔵委員会の委員だと、地方の税務署などにも非常ににらみがきく。たとえばある会社が非常に税金の滞納がある、それは何千万円という税金だ、すると、大蔵委員が税務署に行つて口をきく、大蔵省に交渉すると、幾らかまけてもらえるということがあつたという、これらが弊害の顕著なるものであります。農林委員会にも、水産委員会にも、まるで業者代表みたいなものができて、一面議員は、専門的な知識が深入りし過ぎて、まるで国会議員であるか地方業者の代表であるかわからぬような形になる。それは、先ほど阿部先生が御指摘になられたように、国民代表としての国家経論を考えるところではなしに、まるで業者代表に堕する。そういうような点が常設委員会の主たる弊害のようになつている。常設委員会は、案件処理の能率の上から非常にいいが、弊害も大きい。そこで、どうして能率を維持しつつ弊害を除去して行くか。それが今度の改正の眼目にしておるところでございます。  わが党は、今十二くらいにわけようという案をこの委員会に提示しております。自由党も、社会党も、大体十五くらいということです。私どもの十二というのはやや無理があるようですから、相談の上で十四、五になるのじやないかと私は思つております。それだけにしても、実は農林委員会のことを指摘してみますと、現在は農林委員会と水産委員会二つにわかれておる。役所は農林省が監督しておる。今度の改正案によると、これに水産委員会が合併します。ところが、委員会自体はそれに反対して、きようなどは水産委員会を開いて、委員会合併反対の決議をするなんて騒いでおる。そんなことがどれだけの権威があるかどうかわかりませんけれども、従つて、合併さしても、その下にはきつと水産部とか農林部とかいつたような小部会ができて行くのじやないかと思うのです。そこで、二十二の常設委員会を十四、五に減らしても、役所との悪因縁というものを断ち切り、業者との悪因縁を断ち切るというには、なかなか妙案が見出されないように思うのです。そこは先生方のお考えとしてはどういうものでしようか。委員会は、先生の御意見だと、必ずしも数だけの問題でないとおつしやるが、こういうわれわれが目に余るような弊害を是正するのに、何か適当な方法国会法上見出すことができないものでしようか、どうでしようか。
  36. 弓家七郎

    弓家参考人 先ほど阿部先生も答えられましたように、実際のことは私存じませんけれども、よその国の例などを見ますと、アメリカでは、常任委員会の数を減らしたけれども小委員会の数がうんとふえて来てしまつて、同じことで、やはり専門的の知識を持つている者が有力な発言権を握るというのは、どうもやむを得ないことのように考えられるのでございます。そのために、それを除いて、フランスのようにくじ引きできめるということになりますと、これでは官僚政治に堕してしまいまして、それでフランスでは官僚の発言権が非常に強いのであります。常任委員会がありましても、官僚に引きずられてしまつておるのでございます。これではやはり同じことだと私は考えるのでございます。
  37. 椎熊三郎

    椎熊委員 どうもなかなか妙案がないですね。
  38. 土井直作

    ○土井委員 弓家先生にちよつとお伺いしたいのですが、今の常任委員会制度と関連いたしまして、専門員と専門調査員、こういうものがあつて常任委員会制度に対する補助機関としていろいろ活動しておるのです。これがアメリカの専門員のような機能を日本の専門員は発揮しておりませんで、多くの場合、むしろ山浦先生などの批評によると、いわゆる省と委員会とのブローカー的存在で、おもしろくないという議論があるくらいでありますが、わが党の国会法改正の面では、これは廃止しようというのです。ところが、常任委員会制度というものは、民主国会としてぜひ活用しなければならない、そういう面からいつて、手足として、当然この専門員というものを置くべきじやないだろうかという議論が、現にこの委員会でもいろいろありまして、一致点を見出さない点があるのです。この専門員がほんとうに活動すればいいのですが、現在ではほとんど能力を失つているという現状なんです。そこで、わが党は廃止しようという議論をしておるのですが、これに対する御意見はどうでしよう。
  39. 弓家七郎

    弓家参考人 私は、専門員というものの存在はどうしても必要だと考えるのでございますが、ただそれが一つ常任委員会の専属の専門員とするか、それとも、国会の事務局の中にそういうものを一つに統合いたしまして、そうしてその専門に応じて専門員に活動を命ずるか、どちらかであると思うのであります。これは参考になるかどうか知りませんけれども、アメリカの州の議会におきましては、そういうアドヴアイザリー・コミテイというものを議会に対して設けておりまして、専門員のいろいろな者が集まりまして、専門の諮問に応ずるというようなことをやつておるようでございます。これは各委員会に専門員を設けるほど仕事がないからでもありますけれども、そういう制度をやつているところもございます。フランスのようなところになりますと、幾つもの委員会に専門員というものがございますが、そのほかにこれが役人と同じように働いて来ておりますから、役人の方にどうしても圧倒されてしまつておるようでありますけれども、これはどうしても、一つ委員会に専属にするかしないかは別といたしまして、なければならない国会機関だろう、こう思うのでございます。
  40. 土井直作

    ○土井委員 そこで、なければならない専門員をプールにしまして、一定の常任委員会の所属にしないで、プールにして、いろいろな面から行けば、たとえばここには法制局が国会の中にある。それから図書館の中に立法考査局というものがある。われわれは今の専門員というものを廃止して、この法制局なり、立法考査局なり、それで議員の諮問に応ずる、便に供して行きたい、こういう考えを持つておるのですが、その常任委員会に直接所属しなければ、常任委員会の機能を十分発揮することができないだろうという意見がありますが、やはり先生のお考えは、専門員というものがプールになつて諮問に応ずることができれば、それは立法考査局であろうと、あるいは国会内の法制局、そういうところに置けば、それでもいいじやないか、こういうふうに解釈してもいいのですか。
  41. 弓家七郎

    弓家参考人 私は、むしろその方がよろしいと思うのでございます。つまり各委員会に分属していると、どうしても、監督も不十分ということになりましようが、統合されておりますと、互いにその間にやはり監視し合うということもありましようし、よろしいじやないか、こう思うのでございまする
  42. 土井直作

    ○土井委員 ありがとうございました。
  43. 菅家喜六

    菅家委員長 どうもありがとうございました。  次に一橋大学の田上先生にお願いいたします。
  44. 田上穣治

    田上参考人 時間もあまりないようでございますから、簡単に結論的なことを申し上げまして、なお御質問がございましたならば、その機会考えを申し上げたいと思います。  第一に常任委員会の制度でございますが、私は、先ほどからいろくお話が出ましたように、各界の空気といたしましても、大分批判的に最近はなつておるようであります。ことに外部の、あるいはいろいろな業者とか、その他関係方面、それからことに一方では政府の行政部局、これとのいろいろな特別な関係ができることは、最近の実情では大分弊害があるようであります。従いまして、これは各省別に設けることにはむしろ反対でございまして、どうしたらよろしいのでございますか。あるいは事項別に常任議員会をお考えになるかどうか。しかし、事項別と申しましても、実は数が現在のように多い場合には、結局いずれかの省と各常任委員会が特別な結びつきができることは想像されますので、やはり相当に常任委員会の数を減らす必要があるのではないかと考えるのであります。理想といたしましては、私はどちらかというと会議、つまり本会議中心で考えるべきだと思うのでありますが、ただ、しかし、新憲法のもとでは、何と申しましても法律を制定する必要が大きいのでありまして、旧憲法と違つて法律案も多く予想されますので、とうてい従来の読会を復活することは困難であろうと思います。けれども、なるべく本会議の方で、各常任委員会でお取扱いになつておりまする議案についても、これを周知徹底させる必要があるんではないか。たとえば、趣旨弁明のようなことにつきましては、できるだけ本会議において各法案についてもお考えになる必要があるのではないか。あるいは、すでにこれは国会法に現われておるようでありますが、委員会の審査を承略するということも、場合によりましてはそういう道を開くこともはなはだけつこうであろうと考えます。ただ、常任委員会につきましては、目上のように数を減らすとか、あるいは、ことに各行政の各部局との関係をできるだけはつきりつけないようにということ、その点は重要だと思うのでございます。しかし、その他の点につきましては、たとえば、今度の要綱にございますが、委員会における議事の定足数は三分一にするというふうなことは大いに私ども賛成でございまして、議決の定足数と議事の定足数とを同じに考えているのは、これは憲法も実はそうでございますが、これはどうもあまり立法論としては根拠がないように考えるのであります。議決の定足数の方は過半数が望ましいけれども、議事の定足数は三分の一、あるいはもう少し少くても私はよろしいかと思うのでございます。また、委員会における議事は、これはできるだけ自由に行わるべきであつて、その点本会議とはよほど形がかわるのが当然である。従いまして、たとえば非公開の原則も大いに私は賛成でございます。ただ、新聞報道の関係は別といたしましても、原則として委員会は傍聴を許さない、そういたしませんと、これは、外国の例を見ますと、本会議においても非公開の原則がしばしばとられているのであります。非公開でございますと、どうしても発言が自由になる。もちろん一方で秘密政治というふうな意味で反対もございましようけれども、しかし、わが国のごとく、本会議が公開でございますと、委員会は非公開でも何らそういつた非難はない。むしろ、委員会くらいは、せめて委員の方々が自由に発言ができることを考えるべきでありまして、その意味において、私は、現在とられておりまする委員会の実情よりも、いつそ非公開の方が委員会としては望ましいと思うのでございます。また、同様な意味で、委員会における修正動議、これについても、本会議の場合とは違つて、賛成は必要がないと考えるものでございます。それからまた、先ほどちよつとお話が出たようでございますが、常任委員会と各省との関係をできるだけ稀薄にするという点で、たとえば、委員がその会期中在任するというのではなくて、適当におかわりになるということもよろしかろうと存じます。簡単に常任委員会の点はその程度にとどめます。  それから、議員歳費でございますが、これも先ほどすでにお話が出ておつたようでございますが、結論は、私といたしましては、現在公務員事務次官とほぼ同額ということでございますと、この点は決して多くないと考えます。私も政府職員の一人でございますから、はなはだ議員方々歳費自分たちに比べますと多いのでございますが、しかし、みずから顧みますと、現在の公務員の給与は非常に少いのでございますから、従つてその少い政府職員の給与の中で最高の額と申しましても、実は大したものではない。率直に申しまして、私ども格別うらやましいと思わないのでありまして、当然現在の程度であればけつこうだ、こう考えるのであります。ただ、問題は、歳費が、先ほど阿部先生お話にもございましたが、一体給与の性格を持つのか、あるいはそうでなくて実費、一つの弁償的な意味を持つのかという点でございます。アメリカとか外国の中には、ほとんど国会が一年中開かれておる。最近の日本も大分それに近くなつておるようでございますが、そうなりますと、実際には議員の方はほかに本職をお持ちになることが困難になる。よく私ども伺うのでありますが、弁護士に登録されている方が代議士になる、そうしますと、実際の職業である弁護士の方はほとんどやれない、そういう実情でございますと、やはり生活の保障と申しますか、給与のような意味歳費考えることも必要だと思うのでございます。けれども、本来の国会議員歳費というものは、私は、そうじやないのであつて、実は議員の方はいわば常勤の公務員ではない、りつぱにほかの社会で本職、お仕事をなさつていらつしやる。われわれのように、本務として、公務員の、政府の事務を行うものではないと考えるのであります。そうなりますと、歳費は必ずしも必要がないけれども、これは外国の例でわかりますように、歳費を家国が出さないということになりますと、結局相当な資産のある人でなければ議員としての仕事ができなくなる。言いかえますると、無産階級と申しますか、広く庶民を代表する議員の方を期待することが困難になる。その意味におきまして、先ほどもお話がございましたが、議員の中では歳費を実際には必要とされない方も多いでございましようが、しかし、全然歳費を出さないということは、あるいは非常に歳費が不十分でありますと、一般庶民を代表する、あるいはもつと言いかえますると、あまり資力のない、無産階級を代表するような議員は、ほとんど活動ができなくなる。その意味におきまして、普通選挙などの精神から考えましても、歳費は相当に国家として、政府としては出す必要があると考えるのであります。  その相当額というのは、私どもといたしましては、大体現状でよいのではないかと考えるのであります。問題はやはり選挙の費用でございまして、これも先ほどお話が出たようでありますが、選挙の費用は私どもしろうとにはまつたくわからない。公選法の規定から申しますと、それほどたくさんかかるはずはないのでありまして、それならば現在の歳費でも多いかどうか多少疑問がございましようが、とにかくこの程度ならば十分だと思うのであります。けれども、伝えられますように、選挙にもし非常な金がかかるということになりますと、ことに資力の余裕のない議員の方があるとすれば、これは現在の歳費ではとうてい十分でない。そうなりますと、これははなはだよろしくないことでありますが、かなり無理が出て来る。そこらにいろいろ弊害も起きると思うのであります。けれども、選挙費用まで歳費に見込むということになりますと、これは非常な金額になると思われますので、むしろその点は、公選法の改正によりまして、できるだけ金のかからない選挙、従つてまた選挙公営というふうな方面で別に考えるべきでないか。そうなりますと現在の歳費程度で十分である。もちろん増額することには私どもとしては反対でございますが、先ほどからそういう御意思はないようでありますから、現状においてはけつこうだと思うのであります。ただ、歳費のほかに、先ほどの通信費とか滞在雑費とかいろいろあるようでございますが、これはできるならばやはり一本にして明確にすべきではないか。そちらの方が非常にふくれて参りますと、歳費だけが現状にとどまつておりましても、そう実質においては歳費の増額とかわりがないのでありますから、私は、そういうものを全部含めて、現状からあまり多くならないようにということを考えるのでございます。  それからなお、蛇足でございますが、今度の要綱の中に二、三気づきました点がございますので、一言申し上げたいと思いますが、たとえば、臨時会の召集につきまして、発議すべき件名を記載するというふうなことが出ておりますが、国会最高機関である、従つて臨時会を頻繁に召集することは何らさしつかえない。むしろ政府の方にわが国の政治の重点があるならば、国会の活動をある程度制限する必要があると思のでありますが、今月の憲法はそうでございませんから、臨時会ももちろん臨時の必要によつてなさるとしても、そこでどういうことを議題にするかということは自由でございまして、あらかじめこれを制限するような感じがありますが、その必要はないのじやないか。その他常任委員会の、何と申しますか、今の規定と今度の要綱との違いといたしまして二十幾つか列挙してございますが、そのほかに、なおふやすことができるとか、あるいは減らすことができるとかいうふうな規定を要綱には落してございます。私どもは、そういう点もちろん賛成でございますけれども、要するに、国会法の規定は、できるだけ簡潔になさることがよろしいかと思うのであります。  これは、申すまでもなく、国会法国会でおつくりになる法律でございますから、国会法によつて政府から憲法上保障されている国会の地位を制限されるということは決してないのでございますが、しかし、法律的になりますと、衆参両院がお互いに足並をそろえないと、将来はみだりにかえることはできない。その意味におきまして、衆議院だけできめられることは、やはりきめてよいことは議院規則の方でおきめになるのが適当であつて、あまり国会法に内容としてその中に盛り込ことは、これは参議院によつて制限されるということになる。同様に、参議院の方におきましても、できるだけあまり重要でないことは参議院規則できめるべきであつて国会法に規定することは、衆議院の同意なくしてはもはや参議院としてはかえられないことになるのであります。外国の例を見ましても、議事法は憲法でごく大綱をきめて、こまかいことは原則として議院規則に譲るべきであつて法律で——これは日本の旧憲法でも議院法もございましたが、議院法とか国会法とかの法律のような規定は、これは国会の自主性を害するものではありませんが、しかし議院の自主性を尊重するという点では必ずしも好ましくない。でありますから、できるだけ国会法として簡潔にして、そうしてもし議院規則に譲ることができるものは、できるだけそちらにお譲りになつた方が、衆参各議院の自主性を重んずるゆえんになろうかと思うのでございます。その意味で、たとえば議員の発議でございますが、今回の要綱では、発議に二十名以上の賛成が必要である、私はこういうふうに発議を制限することは何ら憲法違反でないと思うのでございまして、また結論としてもまことに適当だと考えます。けれども、こういつたことは、あるいは各衆議院なり参議院が自主的にきめてよろしいのであつて、必ずしも国会法で規定する必要はないのじやないか。これは少しも言い過ぎかと思いますけれども、そのように考えるのでございます。  ただ、一般の議案の発議に関連いたしまして、今度の要綱には、予算の問題が若干出ております。たとえば、予算総額の増額の修正の発議につきましては総議員の三分の一以上の賛成が必要であるとか、あるいは予算を伴う法律案の発議につきましては総議員の四分の一以上の賛成が必要であるとかいうような規定、その他これに類する規定が出ております。あるいは本日の御質問の範囲外かとも思うのでございますが、この点は、やはり政府の方で、政府が元来予算の提案権を持つておるのであつて、従いまして、現在の実際の取扱いでは、増額の修正は議員の方でなさることができるようにお取扱いのようでございます。私は、学問的に申しますと、増額の修正につきましても、これはやはり政府をしてなさしめるのが正しいのであつて、言いかえれば新しい款項を追加することはもちろんでございますが、増額の修正につきましても、本来これは予算を提案するその政府の権能に属すべきものと考えるのでございます。それから、予算を伴う法律案の提出につきましても若干疑問を持つておるのでありますが、しかし、とにかく今回の要綱では幾分議員の方から自主的にお考えなつて制限されるというふうに御趣旨が現われておるのでありまして、その点は、私といたしましては、もう一息、もう少しその点をさらに徹底と申しますか、原則としては政府の方から政府をして提出せしめるという形に持つて行くべきではないかと思うのでありますが、現状に比べてこの要綱はその点において賛成なのでございます。なお、最後に、これも本日の御議論とは別かもわかりませんが、今度の要綱の最後のところに、憲法改正の手続のことが若干出ております。大体私どもも、当然である、正しい御解釈のように思うのでありますが、ただ一言、憲法改正の発議につきましては、私は先週の土曜日に特別委員会の方で申し上げたのでありますが、法律の発案権と同様に、憲法改正の発議につきましても、内閣の方から国会に対して、衆議院なり参議院の方に提出することができる。国会の方で議員の方からお出しになることはもちろんできるのでありますが、同時に内閣側からも提案ができる。ただ、この要綱におきましては、その点が格別明確ではないのでございます。ただ、理由の方に、何か内閣は改正の発議権を持たないということを前提にしているという御説明がございますので、私感じたのでございますが、私ども意見は、内閣側にも、憲法の解釈といたしましては改正の発議権がある。そしてそれが内閣から普通の法律案のように出されますと、もちろん両議院に付議されるわけであります。それからさらに国民投票に付せられる。憲法は別にもつぱら国会議員の中から発議するというふうには明確になつていないのでありまして、私どもこの点は法律の発案権と同様に考えるのであります。もし法律の発案権が内閣にないという御解釈をおとりになりますならば、憲法改正についても、もつぱら国会議員の方から発議をさるべきでありますが法律の発案権につきまして、内閣側にもその権限があるという解釈をとりますならば——私はそういうふうにとるのでありますが、その場合には憲法正の発議改についても同様に解釈をするのでございます。その点、本日の問題とはちよつとはずれるかもわかりませんが、要綱に出ておりましたから、一言申し添えたいと思います。  以上、断片的なことを申し上げましたが、先ほどのお二人のおつしやることを私伺つておりまして、大体同じ意見でございますから、その方に譲りまして、簡単に私の感じましたことを申し上げた次第でございます。
  45. 菅家喜六

    菅家委員長 ありがとうございました。
  46. 椎熊三郎

    椎熊委員 先生のただいまのお話でたいへん参考になりました。今まで数人の方々の御意見を拝聴しておりましたが、委員会を原則的には秘密会にすべし、報道機関は別だという御意見は、先生において初めて発表せられました。私案は先般来このことを強く主張しておる一人でありまして、私は委員会はそうあるべきが本筋だと思つてつたのですが、ことに言論界方面からおいでになる参考人方々は、いずれもこれには反対であります。従つて私は、初めて先生から私の日ごろ考えておる意見と同じことを御提示願いましたので、非常に欣快に存じておる次第であります。学界にはこういう意見もあるということで、非常に心強く思つております。この点深く感謝いたします。  次に、憲法第九十六条の問題でありますが、憲法には、「国会が、これを発議し、」とあつて、明らかになつているのですが、この意味は、政府には発議の権限がないのだというふうに今まで了解しておつたのですが、憲法も、法律案と同じように、行政府たる内閣にも発議権があるというのは、どうも私了解に苦しむのです。この第九十六条との関係はどうなりますか。
  47. 田上穣治

    田上参考人 ただいまの御意見でございますが、これは、学界の方でも、もちろん政府法律を発案する権限があるかどうかということと関連いたしまして、説がわかれているようでございます。ただ、ただいまの第九十六条の規定は、これは今度の要綱にもございますように、この場合の発議と国会法で使つている発議という言葉とは意味が違いまして、この方は今度の要綱にございますが、結局両議院を通過して、正式に国民の方に提案するというふうに私は考えるのでございます。この場合には国会が発議するのであつて国会法の発議というのは、両議院の中で、各議員方々がその所属の衆議院なり参議院の会議において発議をされる。でございますから、国会法の発議とこの憲法第九十六条の発議とは、言葉は同じでも意味が違うように考えるのでございます。従いまして、憲法の規定では、国民投票に付せらるべき改正の原案は、もつぱら国会において御決定になる、もちろんこれは単に改正すべきであるというような程度ではなくて、改正の内容についても、いわば一種の議案として正式に国会がおきめになる。けれども国会においてそういう改正案をおつくりになる、そのまた原案になりましようが、これは各議員方々が衆議院なら衆議院の内部において発議されるのももちろん当然でありますが、同時に内閣の方からも、これは国会の発議ではなくて、議案の提出という言葉になつておるかと思いますが、そういうふうなこともさしつかえない。第九十六条の発議は、これまでは国会国民の関係であつて、それだから国会の各議員方々が発議するというふうには考えないのでございます。従いまして、今の御質問の点につきましては、憲法は何とも触れていない。従つて、いずれに今の点につきまして考えるかは、第九十六条の字句ではなくて、やはりもつと一般的に、憲法の基本原則から判断すべきだと思うのでございます。そうなりますと、日本の憲法では議院内閣制である。国会最高機関であるということはございますが、最高機関というのは、どちらかと申しますとアメリカの形ではない。言いかえますと、もつぱら立法権は国会に属する、行政権は政府に属するというふうに明確に区分するのが日本の憲法の原理ではなくて、最高機関ということは、もうすでに政党内閣ですから、内閣は国会がおきめになる、そしてまた不信任決議もおできになるし、また逆に衆議院を政府が解散することもできる、そういう議院内閣制をとつておりますと、日本の憲法は少くとも半ばイギリス流の憲法である。アメリカの憲法に近いところもございますが、単純なアメリカ式の憲法ではない。だから法律案を提出するにいたしましても、国会のほか衆議院、参議院のほかに、内閣の方からも提出することができるというふうに考えますし、同様に憲法改正案を国会でおきめになる、そのまた原案につきましては、内閣の方から衆議院なり参議院に提出することもできるのではないか。第九十六条の字句はその点明確な答えを示しておりませんけれども、私どもはそういうふうに一般的な憲法の原理から労えているのでございます。
  48. 椎熊三郎

    椎熊委員 私、実はこの第九十六条の「国会が、これを発議し、」ということと、「国民に提案して」ということを、特に別な言葉を使つているところに非常に意義があると解釈しておるのです。「国会が、これを発議し、」というのですから、その発議に基いて審議し、あるいは修正も、反対も、賛成もできるのですが、国民に提案した場合は、これは「その承認を経なければならない。」とあつて、提案を受けた国民は、修正して賛成ということはあり得ないと思うのです。そこで発議と提案とはまつたく別箇の観念である。特に第九十六条に「国会が、これを発議し、」とあるのは、これを審議の対象として、議案として国会内で審議するという発議である。そのきまつたものを国民に提案するとはまつたく違つたことである。あなたのお説によると、国民国会が発議するようなふうにも私は聞きとれたのですが、そうじやないのですか、そこで明確に国会が発議する以外に発議をされるところがないものだと私は解釈しておつたのです。どうもそこがいつまでも平行線になるかもしれませんが、なかなか了解に苦しむのであります。それはその程度でけつこうです。
  49. 菅家喜六

    菅家委員長 それでは、午前中はこの程度にいたします。どうもありがとうございました。  午後は一時半になりましようが、開会の際は放送いたさせます。    午後零時三十一分休憩      ————◇—————    午後二時三分開議
  50. 菅家喜六

    菅家委員長 午前に引続き会議を開きます。  ただいまここにお見えになりました参考人は野村秀雄先生でございます。日本新聞協会からの推薦でおいでを願つたわけでございます。野村先生に申し上げますが、きようはまことにお忙しいところ、当委員会の要請をいれられ、おいでくださいまして、まことに感謝にたえません。すでに新聞等で御承知なつておられることと存じますが、当委員会において、国会法改正を目途として、ただいま研究調査中でございます。先般は、国会より、議会制度、主として国会法の研究のために委員を派遣いたしました、その後引続き連日審議に当つておる次第でございます。昨日以来、各界代表方々においでを願つて国会法に対しあらゆる観点から忌憚なき御意見を承りましのて、そして国会法改正に資したい、こういう意図で進めておる次第でございます。ただいまも控室において各参考人の方の御意見がありましたが、昨日も、きようの午前中も、しばしば国会公聴会に出るけれども、われわれの述へた意見が少しも国会に、反映しないようであるというお話も承つたのでありますが、必ずしも、各参考人方々の公正妥当なる御意見をそのまま全体に受入れるということは実際上あり得ないのでございしまして、公述人の中にも、参考人の中にも、いろいろな観点から、相違の御意見もあることでございます。  しかし、全体の上には、各界がどういうお考えを持つものであるかという一つの一致点を見出し得ると思うのでありまして、そういう点においては、国会のこの審議の上に非常に参考になることでございます。当委員会国会法の問題についても、昨日来の各参考人方々の御意見というものは、まことに公正妥当でありまして、おそらく全部の上に非常に大きな影響力を持つものだと私は信じておる次第でございます。どうぞ野村先生、公正妥当なる忌憚のない御意見をひとつお聞かせいただくことをお願いいたしておく次第でございます。
  51. 野村秀雄

    ○野村参考人 私、野村でございます。私は学者でもなければ実際家でもありませんから、この課せられた問題について、これを学問的にあるいは実際的に批判したり評論することは、私の任ではないと存じますが、私は、市井の一私人として、ちまたにある国会に対するいろいろの批判の一部で私の耳に入つたことを、私の口からここに御紹介申し上げて、皆さんの御参考に供し得たらば幸いと思うのであります。  私は、この新しい国会ができてから、どうも国会の審議の状況というものが門外漢として十分に知り得ないうらみがあるために、しばしば、国会議員の諸公に対して、一体こういうような状態であることは、国会国民大衆との親密感をおろそかにするようなきらいはないだろうか、こういうことを申し上げたところが、国会議員のお方のうちには、それはそうだ、そのうらみはあるのだ。自分らもたくさんの議案、たくさんの問題を、朝公報を見て、いろいろの問題が国会に横たわつておることは知つておる。特別の関心を持つておる問題については、できるだけ委員会などに出席して傍聴して、そして議案の内容、審議の状況を知ることに努めておるけれども、しかし、われわれ自身もまた委員としていろいろの委員会に出席せねばならぬ。かようなことで、十分に議案の内容、審議の状況なんかも検討し、勉強して行くことができないうらみがあるのだ。委員会の決定が本会議に上程されたときに初めて知るようなこともしばしばあることである。関心のない問題あるいは関心を持たない人は、さぞかし国会の審議の内容を知り得ないことであろう。このように言われたことをわれわれはいまなお記憶しておるのであります。議員のお方ですら、そういう状態であるから、門外漢のわれわれが議案の内容を知り得ないというのも、まことに当然であろう。私どもは、私ども生活に密着した重要な議案が、国会が済んだ後に、新聞に十ぱ一からげに、本国会において成立した法律左のごとしといわれて、ははあ、こういう問題がこの国会に出ておつたかということを、初めて知るような状態であります。  これは、国会の制度、運営以外に、新聞に対する批評をいたさざるを得ないのであります。あるいは本委員会において、逸脱したこととしておしかりを受けるかもしれませんが、新聞は、政党のかけひきとか、ごたごたとか、こういうことは大きく取扱います。あるいはまた行政監察委員会の疑獄事件とか汚職事件とかいうものは、これをでかでか扱つておりまするけれども、われわれの生活に密着したところの重大な問題、権利義務に関するような重大なる問題を、ややもすればおろそかにするようなきらいがありはしないか。私は、かつて新聞社で飯を食つた関係上、新聞社の諸君に対しても、どうか議案の内容、審議の状況をもう少しつまびらかに報道して、われわれに知らしてもらいたい、こういうことをよくわれわれの知つた新聞記者諸君に対してお願いしておるのであります。しかしまた、新聞記者諸君のこれに対する答えは、自分らもできるだけそれを追つて報道することに努めたいと思うけれども、こうたくさんな委員会がべんべんだらだら、のべつやたらに開会せられては、これを追うて行くことはなかなか困難である、その間にいろいろの重大な問題も起つて来ることであるから、その方にも力を尽さねばならぬ、だから、こういう国会の制度、運営に対して、自分らとしても、自分らの仕事の上に支障を来すことがあることも承知してもらいたい、かように言われるのであります。これも私、ごもつともだと思います。よつて私は、国会の制度、運営をつまびらかにしてはおりませんけれども常任委員会制度に対して根本的に検討する必要があるんではないか、かように考えるのであります。  皆さんを前に置いてそういうことを言うては相済みませんけれども、昔の読会制度というもの、昔の常任委員会制度、特別委員会制度というものをやはり回顧する必要があるのではないかと思うのであります。昔は、予算、決算、請願、懲罰、この委員会常任委員会として置かれて、大正の晩年ごろになつて建議案があまり多く出るから、建議委員会というものを常任委員会として置いたらどうかということで、建議委員会常任委員会一つに加わつたように記憶しております。昔のように、多くの議案が一応本会議に上程せられて、そうして本会議において案の内容を説明せられ、これを委員会に付託せられ、そうして委員会において審議の後に、また一読会、二読会、三読会の径路によつて最後の決定を見たならば、新聞もこれを区切りをつけて報道をして、きようはこういう問題が国会の本会議において上程せられて決定したということを大きく報道してくれる便宜がありはしないか、かように私は考えるのであります。  今、二十二の常任委員会がどういうふうに運営せられておるか知りませんけれども、私は、この常任委員会制度というものは、率直に申し上げますが、官庁の出先機関であり、業者または団体の代弁機関である。ここに私はいろいろの弊害があるのではないか、これをおそれるのであります。かつて、カナダやアメリカでは丸太ころがしということがはやりまして、ある議員がある法案を出す、そうすると他の議員がまたある法案を出す、お互いがなれ合いで法案を出し合う、こういうようなことがずいぶんはげしく行われて、最近ではその弊を認めて、そういうようなことがなくなつたということを聞いておるのであります。日本でも、いろいろの地帯の助成とか救済とかのために法律がたくさん出ております。ある地域だけの法律がたくさん出ておる。これなんかも、今申したようなロツク・ローリングのアメリカやカナダのやり方を学んでおるのではないか、かような批評も世間にあるのであります。これは、国会として、決してそうではない、事実に即してやらねばならぬことをやつておるのだ、こうおつしやれば、それも一つの理由でありましようけれども、しかし、こういう弊が起りやすいのではないだろうか、かように私は心配するのであります。また官庁と国会と業者または団体とが一本になつて組んでやるということになると、どういうことでもなし得るような疑いを世間は持つのであります。ある人は、常任委員会はスキヤンダルの温床だと、かように酷評する者すらあるのであります。私は、この批評を決してそうだと肯定するものではありませんけれども世間ではこういう批評があるということだけはお聞きを願いたいと思うのであります。イギリスでも、読会制度によつて、多分六つの常任委員会があつたと思います。日本でも、前の読会制度を採用せられて、そうして常任委員会は予算、決算、請願、懲罰、議会運営委員会——この議会運営委員会は、おそらく各派交渉会を制度化せられたものだろうと思うのでありますが、私は、これは一つ常任委員会として存在すべき必要があり、またその効用を発揮しておるものと思うておりますから、常任委員会はこの程度にして、あとは特別委員会を設けて審議せられたらどうかと思うのであります。  あるいは、昔とは違つて法律がたくさん出る、だからこれを特別委員会でこなすことはなかなか容易ではない。すぐに常任委員会へ付議して行くがいい、かような議論がありますが、これも現実ではあるいはやむを得ないかもしれませんけれども、私は法律が多過ぎると思います。昔から、匪賊という言葉から、法律の匪、法匪ということがいわれておりまして、ことに満州なんか、あの統制ずくの、軍人や役人が満州へ行つて法律をむやみやたらに濫造して、満州国民または日本人をずいぶんこれによつていじめております。日本でも法律が多過ぎると思います。昔の勅令とか省令とかいうものがことごとく法律なつております。これも官僚の独善を防ぐためにはやむを得ない道であるかもしれませんけれども、私は、国会においてこの点はある程度まで是正できるのではないか。あまりに法律が多いために、みんな法律に違反しております。法律を知らずして法律に違反しております。これは決して健全なるいい政治とは私は考えておりません。できるだけ法律を少くするように、法匪を跋扈させぬようにしていただきたいと思うのです。  その意味において、私は、法律整理をすると同時に、重要なる議案は特別委員会に付託せられて、慎重審議せられるがいいと思います。昔は九人を一単位として、小さい問題は九人の特別委員会に付し、あるいは十八人、あるいは二十七人——選挙法改正とか税制の改正とかいうものは、たいてい二十七人とか三十六人の大委員会なつておつたのであります。それと同時に、私は、常任委員も、議員の任期一ぱい引続いて委員になつておることはおもしろくないと思います。一会期で区切りをつけた方がいいのではないか、かように考えるのであります。なお、こういうことは非常におもしろくないと思つたことですが、ある役所へ行つてみると、国会常任委員の控室が役所にある。これなどは、国会の権威からいつても、議員の良識からいつても、どうかと考えさせられるのであります。また私は、この常任委員会を、今申したように予算決算、請願、懲罰、議会運営、これらを置かれても、この予算、決算、請願のごときものは、分科会を置いて、分科会において慎重に綿密に御検討あつたらいいのではないか、分科会を置いて活用なさる方がいいのではないかと思います。請願について私は申し述べたいと思いますが、憲法十六条に「何人も、損害の救済、公務員の罷免、法律、命令文は規則の制定、廃止又は改正その他の事項に関し、平穏に請願する権利を有し、何人も、かかる請願をしたためにいかなる差別待遇も受けない。」こういう規定があるのであります。私は、国民の請願権を尊重してもらいたいと思います。民主政治においてはこれが最も必要ではないか。この請願権を尊重して、できるだけ民意を暢達することにお努めになつたならば、あの陳情の弊というものは相当防止し除去し得るのではないかと思います。この意味において、私は特に請願委員会というものを常任委員会として特設せられる必要があると思うのであります。  また、常任委員会を設けられても、特別委員会を設けられても、私は委員会というものはクローズド・アツプで、そこでほんとの言論の自由というものがあるのであるということを痛感するのであります。しかるに、今の国会常任委員会のごときは、業者も団体もそれぞれ多くの人が傍聴して、そうしてある意味からいえば、多数の力をもつて議員を脅威する、と言うては言葉が少し強いかしれませんけれども議員にある圧迫を加えております。エヘンとか、ウフンとか、あるいは嘲笑するとか、他人の言論に対して実にけしからぬ態度をとる者があるのであります。さらにまた、はなはだしいのは、その団体とか業者とかが、書きつけを議員に渡して、そうして議員の言論を抑制するような、あるいは指導するような事実も私は知つておるのであります。かようなことでは、議員がただうしろ向きに演説したり、質問したり、討論するような弊になつて、良心を持つて自由の発言をなし得ないのではないか、かように考えるのであります。この意味において、私は、委員会はクローズド・ドアーとして、新聞記者及び政府国会の関係ある職員以外は傍聴せしめない、かように改めてもらいたいと思うのであります。昔の国会では、衆議院では、委員会新聞記者だけ入れておりました。貴族院は、新聞記者も入れずに、書記官をして、審議の内容を報告さしておつたために、新聞社はこれに対して抗議を申し込んで、これを新聞記者に開放せよ、そうして公正なる報道をなさしめるようにしたらどうか、かようにしばしば貴族院に申したけれども、頑迷なる貴族院はこれを聞かなかつたのであります。これは、私は貴族院の頑迷に対して不快を感じまするけれども、彼らの言うところの言論の自由——われわれは、ここでほんとうに真剣に自由に討議して行くんだというその趣旨はくんでおるのであります。衆議院が、新聞記者だけを入れて公正なる報道を正確に迅速にさせたということは、非常にいいことであつたと思いますが、今度の国会においては、これが非常にルーズになつております。そうして今申したような弊害があることを私は強く指摘したいと思うのであります。この意味において、けさの新聞を見ると、きのうの公聴会においては、公開せよ、かようなことを言われたお方があるように書いてありますが、常任委員会の運営の実情をお知りにならぬお方の失礼ですが、ただ観念的議論ではないかと思うのであります。この点、特別委員会が設けられ、常任委員会が設けられるにしても、私は、今申したように新聞記者政府国会の関係ある職員以外は傍聴を許さぬというようにしていただきたいと思います。これは決して僻見をもつて言うのではありません。言論の自由、国会の言論の自由を愛するがために、特に強く申し述べたいと思うのであります。  なお、この常任委員会制度について申し上げたいことはたくさんありまするけれども、時間の関係で、この程度に省略いたしておきます。  次に、歳費の問題でありますが、この歳費の問題についてもいろいろの御議論があると思います。元来、日本の国会歳費を出すのがいいか悪いかということが起つたときに、国会議員は名誉の職であるから歳費を出す必要はないだろう、イギリスでも歳費を出していないのだ、日本でも出す必要はない、時の藩閥官僚政府は、憲法を発布し、国会を開設しただけでも大きな恩恵のごとく考えておつた、その議員歳費を出すごときは不必要だ、かようなる謬論をもつて歳費不必要論を言つたのでありまするけれども、しかし、せつかく議員なつたんだから、歳費ぐらいは出してやろう、まあ郡長の月給より少しいいというくらいでいいじやないか、かようなことから八百円という——当時の部長が六、七百円だから、八百円がよかろうという程度で、八百円を歳費にきめたということを古老から聞いておるのであります。それから、第二次山県内閣が地租増徴をするときに、国会は当時の憲政党、憲政本党、これらがこぞつて反対するような空気があつたために、まず自由党の後身である憲政党を操縦すると同時に、憲政本党も操縦するためにいろいろの苦心をしたのであります。自由党の方は保守党の力によつてこれに賛成することにし向けて、それと同時に、国会全体を操縦する意味において、八百円を二千円に増額したのであります。当時の議員はみな自由民権のために闘つたために、相当疲弊困憊しておりまして、八百円が二千円になつては非常に大金を得ることになるので、みな喜んでおりましたけれども、田中正造がこれに強く反対した。しかし、この田中正造の反対に対して、原案の二千円増額に賛成する者がいなかつたときに、星亨が敢然立つてこの賛成論をなしたために、この増額案が大多数をもつて可決せられたのであります。それから、第一次大戦が終つた後に、経済界に非常なる変動があつて、物価も高くなつたので、議員が二千円では少い、三千円にしようということから、これは何ら異議なく、全会一致のような姿で通過したのでありまして、終戦のときまで三千円になつて今日に及んだのであります。だから、日本の国会議員歳費については、今まで大した変革はなかつたのであります。ところが、新国会なつて以来は、この歳費の問題がいろいろ世間の話題になるのであります。  私は幾らがいいかというようなことは、物価指数も知らなければ議員生活状態も知りませんから、具体的に申し上げることは差控えますが、今朝の朝日新聞議員歳費の問題が詳しく出ておつたので、初めて内容をよく知り得た程度であります。私は、これについてかれこれ申し上げることは差控えたいと思いまするがただ、これだけは申し上げたいと思う。今イギリスでも歳費の増額あるいは年金制の設定ということが問題になつておりますし、またアメリカでも歳費の増額が問題になつております。イギリスの歳費の増額については、みな大体において異存はないような状態でありますけれどにも、年金制度の設定については政治的いろいろ考慮せねばならぬというこはとを、ロンドン・タイムスとかあるいマンチエスター・ガーデアンなどが論じておるのでありますが、日本でも、歳費の問題については政治的によく御考慮願いたいと思います。私は、今の議員歳費が、今朝の朝日新聞によると、全体において十七万九千九百円となつております。私は十七万円でも十五万円でもいいが、あの小刻みにおとりなるのはおやめになつたらどうか、これを率直に申し上げます。ことに新聞の報ずるところによれば税抜きがある、税込みがある、さようなことは国民に与える感情から言つておもしろくありません。十万円でも十五万円でもいいから、一本の形においてこれを歳費として、国民として出し議員としてとられる方がいいのではないか、さように私は考えるのであります。さらに、これは議員諸公に対してまことに失礼な申し上げ方で恐縮なんですが、私は、議員諸公も国民の崇敬の的として、信頼の的としてあられる以上は、その身を節することにお考えを及ぼしていただきたいと思います。昔の議員は二千円の歳費をもつて自分生活をまかなつておりました。神田や本郷の安つぽい下宿屋に下宿して、そして電車でこつこつ国会へ通うておりました。少し気の利いた議員が、築地の六万館とか水明館、あるいは神田の竜名館、かようなところに住まつて、八畳の間で少し楽にやつておりました。地方の議員の方は神田や本郷の安つぽい下宿屋の六畳か四畳半で小さい火ばちを囲んでおられたのを見て、今の議員は実際優遇せられておると思います。議員会館もあれば議員宿舎もある、決して和はこれが悪いと言うのではありません。このくらいのことはしてもいいと思いますが、議員のお方も身を節していただきたいと思います。これはもとより選挙民も悪いでしよう。しかし議員がそれだけ身をもつて範を示されたならば、選挙民もまた大いに反省し覚醒するであろうと思います。私は議員諸公に対しては非常に敬意を表しております。しかし、議員諸公のうちには、実際目に余るような、国民の目から見て実際ひど過ぎはしないかと思われるような生活をしておられる人も決してないとは申せません。いい方は多く見えません。悪い方は多く見えます。議員諸公を前に置いてかような説教めいたことを申してまことに失礼で、私としては相済まぬということは重々考えておりますが、ただ、ちまたにある声をここに率直に申し上げるのであります。その点どうかあしからず御了承を願いたいと思います。  私、まことにふつつかなことでありますが、まだ他にもたくさんのお方がいろいろお話になると思いますから、この程度でごめんこうむりたいと思います。
  52. 菅家喜六

    菅家委員長 いろいろどうもありがとうございました。  各委員からも何かお尋ねがあるかと思いますが、一言委員長からも野村先生にお願いしておきたいことは、今朝の朝日新聞お話をされたのでありますが、議員歳費の問題は、ただいま野村先生の御意見も一々ごもつともで、公正妥当なる御意見だと思います。ただ、今私どもがこの国会法改正にあたつて各界の御意見を承りたいと思いましたことは、この前、議員歳費ではなくして、一日の滞在費が開会中千円ということであつた。ところが、千円では滞在雑費がまかないかねるというので、国会開会中は一日の滞在雑費を二千円にするというので千円格上げをしましたことが、お手盛り案として非常なる非難対象なつたわけです。その当時も新聞にいろいろ非難が行われましたが、どうもきようの新聞を見ましても、月額十七万九千九百円をとつておるような印象を各界に与えておるのでありまして、実際の事情は、月額十七万九千九百円というものは議員に対する支給ではありません。内容を見ますと、なるほど秘書給料、立法事務費含めての分だとありますが、この朝日新聞の取扱い方は、私ども、最初から一つの意図があつて、何かこういうようなとり方をするように思いまして、しばしば新聞社に交渉をいたしたのであります。たとえば、議員の秘書というものは必要ないものであるから、この秘書の給料はとらない方がいいという御意見であれば、御見として私どもは尊重したいと思います。それから、立法事務費というものは、これは政党に行つているので、議員のふところに入らないので、これも不適当であるという御意見であれば、これも私はよろしいと思いますが、全部を含めて議員のふところには入らない。立法事務費、議員秘書の給料は、これは議員がとるものではありません。そういうものを含めて、いかにもこの月額十七万九千九百円が議員のふところに入るかのごとき印象を与えるような記事と、もう一つは、歳費改訂の動きというものを今高額を望んでおるような印象を受ける記事なんであります。この点はまことに遺憾に思うのであります。ただいまは、各党間において国会議員歳費を上げようという動きは、毫末もございません。ただ、国会法条文のうちに、議員一般公務員より少くもらつてはならないということが規定してあるが、一般公務員の一番高い基準事務次官ですから、事務次官大臣の間くらいの歳費であるべきだという建前のもとに国会法なつておるので、今度改正するとするならば、一度はこういう世間の批判の的となつたのであるから、各界代表の御意見を承りたいというので、先ほどからも各界お話を承つておるのでありまして、現在国会内において歳費を上げようという声はどこにもございません。どの党にも国会全体としてもないのでありますから、この朝日新聞に書かれている歳費改訂の動き、いささかこれは、内容としては悪くはないのでありますが、何か増額を国会において望むような印象を与えるような記事でありまして、これは何か新聞社の間違いであろうと思うのでありまして、それも十七万九千九百円という総額ではございません。ただ、議員に秘書がありますから、秘書の給料あるいは立法事務費というものがいけないという観点なら別個の問題になる。その点は、ただいま先生からお述べになりましたことは、全部私どもは御意見通りだと思います。それだけは一応御参考に申し上げておきます。
  53. 野村秀雄

    ○野村参考人 よくわかりました。ただ、私申し上げたいのは、実際国会議員の諸詮対して敬意を払つております。だから国として待遇しなければならない。国民としてこれに報いなければならない。従つて、月給取りのような気持で歳費をもらうことは、私はあまり快しとしないのです。
  54. 菅家喜六

    菅家委員 その点に対しても各委員からお話があると思いますから、そういうようなことでなく行きたいという方向に委員会の空気は向いております。一般公務員が上つたから今度は議員も上るんだという建前でなく、いかにあるべきかということを建前として行きたいということで、審議方向はその点に向いておりますから、どうぞその辺をお含み願いたい。
  55. 椎熊三郎

    椎熊委員 ちよつと先生にお伺いしたいのですが、昔の議会と違つて議員自体も提案されておる、審議しておる案件を知らない。これも事実です。これは昔と非常に違うのですが去年の選挙後の特別国会で三百七十件かありましたが、今度の通常国会では政府予定の法案は約二百件であります。それに議員提出等が加われば相当のものであります。これを、先生のおつしやるように、旧憲法時代の読会制度でこなして行くということになると、毎日本会議を開いてもこなし切れない状況にあります。それから、本会議に上程したからいわば全議員が知り得るかということになると、私は長い間新聞記者でこちらへ来ておつたのですが、昔の議員さんはおうようなものだつた。予算の総額さえ知らない者があつたらしいのです。これは不勉強でそうかと思うと、そうではなくて、その人は政治感覚において非常に優秀な人である。そういう人さえあつた。いわんや全体の法案の内容を知つておる人などは、昔は今よりも少かつたと思います。私たちはその弊害をどうして直すかというと、今毎週これこれの法案が出ているという週報などを出して周知さておりますし、毎日出て来る公報にも載つておるのですが、なかなか代議士というものはひまがないのかどうか知りませんけれども、よほど熱心でないと読んでいないらしいのですが、本会議で上程すればみんな知つているかというと、本会議を開いてもなかなか熱心に議席に着いているという人はないのであります。重要法案になると、これは一人残らずというくらいな状況に出て参ります。たとえば、きようも、小さな二十三の法律案の整理委員会で問題になつているのですが、去年の特別国会で漁船の二十トンまでの災害保険は半額を政府が補助するという法律案があつた。それを去年は百トンまで上げた。そうしてその実施が今年の四月一日からです。ところが、そんなことはだれも知つている人はないのですが、当該水産委員会は知つておるのです。ところが、二十三の法律案の整理のところで、水産委員会がどなり込んだ。二十トンまでのを百トンに上げたのは去年の八月だ、そうしてその実施が今年の四月一日からというので、漁民がことごとく喜んでおつたのに、せつかく法律をきめて半年もたたないうちに打切つてしまう、国民をだましたのではないかというので、少くとも今度の予算を成立させて行くという与党の議員がやつておるその背後には、漁民が二十数人あそこの狭い委員会に押しかけているので、御指摘の通り委員会は非常な威圧を感じつつやつておる。朝から大議論なんです。そういう弊害がある。しかし、そんな小さな法律を全体が知つているかというと、運営委員の人でさえほとんど知らない。そういう弊害があるのです。御指摘のように、勅令や政令にまかせることがなくなつて、こまかい問題まで法律、規定で行くものだから、そういう点はやはり議員自身の勉強にまつ以外に私は方法がないと思うのです。新聞もそういうこまかいものまで審議の内容を報道するということは、狭い紙面の上には容易でない。ですから、やはり新聞は売れた方がいいのですから、興味本位に走るということもあるけれども、つまらない疑獄みたいなものは——つまらぬということもありませんけれども、行政監察委員会などで扱つているつまらぬようなものでも、まるで大きく取上げておるということになつて、国民生活に密着するいろいろな経済上の問題なんか、興味がないというのかどうかわかりませんが、取扱われてない弊害もある。これはやはりどうも国会だけの考え方では直つて行かないと思います。御指摘のようにこれを読会制度にしたらうまく行くかといえば、昔でも私はそうであつたと思います。大法案、大事件になりますと、新聞はこぞつて落しはいたしませんけれども、規定や規則みたいな法律は、昔でも取扱つていないように思います。そのために常任委員会を減らす、国民に案の内容を知らせるためには常任委員会制度が不適当であるというように私聞きとれたのですが、それはどうも私は納得の行かぬ点がありまして、今日のような国会のあり方で能率を上げ、そして深刻なる審議を続けて行くというのには、やはり、弊害はありましようけれども常任委員会制度というものは私は捨てがたい点があると思うのです。けれども、御指摘のように、やはり政府機関と並行して委員会ができているものですから、政府のサービスもあつたり、こびもあつたりいたしまして、出先機関のような、あるいは業者の代弁みたいになつて、この弊害を除くことができれば、非常に私は常任委員会制度というものは活用する価値があると思つていますが、何せ今の二十二は多過ぎる。私は改進党ですが、十二くらいにしようという案を出しております。社会党、自由党におかれましても、十五くらいにしようということで、これはいずれにしても私は十から十五くらいまでの間できまつて行くのじやないかという気がしておるのです。全然昔のように請願、建議、予算、懲罰、決算というだけで、一切の法律は類別にして特別委員会にまわして行くというやり方は、どうも今の国会のあり方としては私どももただちに共感できない節があつて、非常に苦労しているわけです。先生の御指摘になることは、どうも議会は何をしているかわからぬという点はその通りだと思いますが、しかし、天下を動かすような大きな問題は、新聞に実に詳細に報道してくれております。たとえば、防衛問題にしろ、教育問題にしろ、非常に大きな問題は洩れなくやつていただいておるような気がするのですが、国会から出ております公報、あるいは速記録等には最大漏らさず出ておるのですけれども、一般国民に速記録を見ろといつても、見る手続きもありませんし、見るひまもありません。そういう点は、ひとり日本だけの弊害でなくて、常任委員会のいけないという点は、議会制度にまつわる一つの共通な欠陥ではないかとも思われるのです。ただ、私先生にお伺いしたいのは、国民に知らせる方法として、常任委員会のいけないという点はどうも納得できないのであります。
  56. 野村秀雄

    ○野村参考人 これは、先ほども申し上げたように、新聞にも責めがあると思うのです。しかし、新聞の行き方という点ついて、いろいろ新聞社の方でも研究しておるのでしようが、この常任委員会というものが、いわゆる常任で、のべつやたらにやつておるということになると、ある意味からいえば、新聞記者としても、情熱というか、感激といつていいか、そういうものを持ち得ない憂いはないだろうか、やはり一つの山があり、区切りがある方が、新聞の報道にも便利がいいのじやないだろうか、かように私は考えておるのです。その点から言うと、読会制度というものによつて区切りをつけ、ここに山があるということになれば、新聞も報道しやすい。限りのある紙面で、ある程度まで国民にアツピールするような記事がそこへ現われて来るのじやないか、かように思うのです。イギリスでは——イギリスのことを言うて失礼ですが、月火水木金の五日間を本会議に費す。土曜と日曜のウイーク・エンドは本会議をやめておつて、そうして午前中ずつと委員会を続けてやつておる。そして六つの常任委員会常任委員会でずつとやつておるし、そしてまた全院委員会というものを活用しておる。こういうようにして行つたならば、相当新聞を通じて国会国民大衆との近親感というものが強くなりはしないだろうか、かように考えるのです。日本にも昔全院委員会というものがあつたけれども、これは盲腸のようなもので、活動していなかつたのです。本会議でなくても、全院委員会のようなものでやつてつたならばいいのじやないかと思う。どうも常任委員会の実際の活動というものが新聞を通じて現われていないのです。国会は何をしておるのだろうか、ああして騒いでばかりおるのだろうかというふうな印象を国民に与えることは、国会の権威の上からいつて私は非常に遺憾に思うのです。そういう意味において、前の制度がいいのじやないか。われわれは頭が古いので、あるいはこれをある意味からいえば郷愁と思われるかもしれませんけれども、前の方が、その点からいえば、国民との親しみ、つながりというものがよくついておつたように思います。
  57. 椎熊三郎

    椎熊委員 そうかと思います。実は私ども終戦直後からこんなことをいじつて来たのですが、追放解除になりまして、先輩が多数国会に来られるようになりました。それ以来は、読会制度に返せという声が特に強いのです。そこで常任委員会というものをどうするかということが、ここで一番大きな問題になつておるわけです。たいへん先生お話も参考になりますので、研究を深めて結論を出したいと思います。  もう一つ、昨日からずつと公聴会をやつておるのですが、私が非常に愉快な点は、昨日までの参考人方々は、いずれもこの委員会を公開にしろということを主張されておつたが、今朝は、大学の教授で憲法の方をやつてつた方が、原則として秘密会でやれと言われ、ただいま先生も、具体的な事例を示しつつ、それはそうあるべきだということを仰せられた点です。非常に私はわが意を得たりと思つて喜んでおります。これも、しかし、各党の立場によつてそれぞれ違いがあると思うのですが、実際今日のような議会のありさまでは、たとえば教育法案が上ると、日教組がどういう手を使つて来るかわかりませんが、議会出入のバツチをつけて、三十数名申し込んで、新聞社の写真班がすわる席さえないというような状況で、これは先生が御指摘になつたせき払いや紙きれを飛ばすどころの騒ぎじやないのです。議員の言動にやじを飛ばし、罵倒し、ことに共産党などが多かつた時代は、その傍聴人と議員との間にけんかが始まつた実例さえある。これは、言論の自由を重んずるという立場からいつて、実に逆コースなんでありまして、かようなことで民主主義は高まるものではないと思うのです。それから、先生の御指摘になりました請願の問題も、私ども非常に関心を持つておるが、毎国会三千件くらいあるのであります。そこで、その請願の規則にも書いてある通りに、平穏なうちに意思を到達せしめるようにするのが国民の権利です。しかるに、労働団体などのやることは、これからますます盛んになるでしようが何方というような組合員が、赤旗を立てて、それから拡声機を持つて議事堂を取巻きます。私は、世界中に国会を取巻いて一つの運動をするなどということは、これはデモンストレーシヨンの悪質なものではないかと思うのであります。国民代表の審議機関であるところの国会に威圧をもつて対抗する。個々に面接するのに三人か五人が来れば意思が到達するのに、何百人という者をそこに入れなければ承知しない。拡声機をもつてがんがんとやつておる。この運営委員会が開かれないのです。そういう状況がちつとも世間からはそう強い批判も受けないで、しかも院内においてこれと相呼応するがごとき行動によつてそれを誘導するがごとき状況さえ見ることがあつて、審議の上に非常な妨害になる。そのことを初めて先生が御指摘くださつたことは、非常に私どもはありがたいと思つています。  もう一つ歳費の問題でございますが、歳費の問題は、私ども昨年以来非常に肩身の狭い思いをしておるわけでございますが、御指摘のように、議員の中に余る生活をしておる者もあるとのことで、まことに申訳ない次第です。これは、ひとりその御本人だけじやなしに、われわれ全体の責任かとも思うくらいでございます。現在では、私ども歳費を値上げするために国会法改正しようなどという意思は毛頭ないのでありまして、昨年来労働組合の運動によつて公務員のベース・アツプができました。現在のこの国会法によりますと、お手盛りをやるという非難がいやなものですから、この国会法を最初にきめるときに、何か基準をつくつておこうというので、公務員最高の者よりも下であつてはならぬという最低限度をきめたゆえんのものは、そのときどきの経済状態によつて公務員の方がベース・アツプになつたら、スライドして行くということであつた。それを、御指摘のように、いろいろな項目で税の対象にならないようなものがついて来たことを国民非難があつたのだろうと思うのです。去年はベース・アツプがありましても、議員歳費そのものはスライドしておりません。みんな自粛しようということになつておるのです。今度この国会法を改めることについては、これらについて非難のないように、あまり肩身が狭くないように、そういうことで、受取るものがあれば正当に堂々と受取れるような形にしたい。それが今度の公聴会を開いておる重大な目的の一つであると思うのです。そこで、先生にお伺いしたいのは、一体国会議員歳費をとるということについては、国民も異論はあるまいと思うのですが、現在の世相からいつて国民がみんな苦しんで、がまんしておるのですから、国会議員も十分ということであつてはならない、率先して困つてもいいと思いますが、大体どんな程度の収入というか、どのくらい議員生活を——先生が知らぬと言われればそれきりですけれども、たとえば、新聞社では幹部はこれこれだ、会社で普通これこれだ、それから労働組合の幹部などというものはこれこれだ、そうする国会議員というものも大よそこれくらいでよさそうじやないかという御意見を拝聴できれば、非常に参考になると思うのです。
  58. 野村秀雄

    ○野村参考人 私は、経済のこともわからず、また国会議員の大方の生活状態も知りませんが、昔三千円とつてつたときのことを考えて、今四百倍と見たところで百二十万円ですか、まあこのくらいがいいんじやないだろうかと、ごく大ざつぱに考えるのです。
  59. 椎熊三郎

    椎熊委員 月に十万円くらいのところですか。
  60. 野村秀雄

    ○野村参考人 ええ。そうしてこれをわれわれは一本でとつてもらいたいのです。国民に与える感じというものが、よほど違うと思うのです。あれを小刻みに、労働組合がやるように何々手当とかいうようなことはいろいろ理由はあるでしようが、与える感じというものがよくないから、一本でとつてもらつた方がいい。  それから、先ほどの、ぼくはこれはけしからぬという大衆からの非難があるかもしれませんが、昔の国会は、正門からは、国会議員あるいは国務大臣以外は何人も入れぬようにしておつた。濱口雄幸というような偉い人でも、落選をした時分には、院外団の記章をつけて入つた。奥繁三郎という人は、議長をやつてつたけれども、落選をしたときにはやはり院外団の記章をつけて通用門からこそこそ入つてつた。私は、みんな国会が安んじて国政の審議に当られるようにならなければいかぬと思うのです。外部からのいろいろの脅迫やら脅威やら圧迫やらを受けて、それがために、国会議員の、この神聖な議事堂をかれこれさせられるということは、実際日本の国政の審議の上に大きな悪い影響を来すと思います。その点は、昔は議長が警察権を持つてつて——今はどうなつておるか知りませんけれども、憲法擁護の運動の時分に、国会へ大衆が押しかけて来て、もう人が死ぬるか生きるか非常に危険な状態があつたために、大岡育造さんが議長であつたのですが、もうこれは人命救助のために、ちようどこの間の宮城のように、これは正門をあけなければしようがない、そして少しでもこれを緩和しなければいけないということで門を開いたことがありますが、それ以外には門を開いたことはない。私寡聞ながらそれしか知らないのです。そのくらいに、この城郭だけは、安んじてみんなが言論の自由を闘わし得るようにしてもらいたい。また、しなければいかぬ。大衆もまたそういうようにさせなければいかぬと私は考えておるのです。
  61. 椎熊三郎

    椎熊委員 もう一つ、現在の私ども歳費は、国会開会中は十一万円幾らになるのです。それは滞在費が六万円、日に一千円の割でとつておりますが、そうすると、このごろは約一年の半分議会がありまして、通常国会が百五十日ですから、臨時国会を入れて約六箇月と見れば、その滞在費も半分になる。年度平均で、私ども大体帳面につけて計算をしてみても、年間を通じては、一箇月七万五、六千円くらい受取つているということになつておる。それが実収です、税金も引かれ、何も引かれ、その上地方でとられる税金はまた別なんですけれども、大体七万五千円くらいです。だから、先生が十万円くらいならしかたがないと言われると、そういうことになれば非常に私ども仕合せなのですけれども、今の段階では、それを要求しては世論にさからうことになるのではないか。現在はこれでがまんしよう。しかし、大体御指摘のように分割して税がこれにはかからない、これにはかかるなんということではなく、わが党は先生と同意見で一本にしようということを主張しております。しかし、それとはまた別な意見もありまして、一本にすることによつて起る弊害等も指摘せられておる党派もあります。これはこれから研究の上適正に改正して行かなければならぬと思います。どうもありがとうございました。
  62. 野村秀雄

    ○野村参考人 どうも暴言等で知済みませんでしたが、御了承を願います。
  63. 菅家喜六

    菅家委員長 ありがとうございました。  あと五人おいでになつておりますから、少し審議を急ぎたいと思います。  次に参考人としましてお呼びいたしました方は、日本労働組合総同盟の丸山総務部長でございます。きようはお忙しいところ、まことにありがとうございました。さつそくお願いいたします。
  64. 丸山隆一

    ○丸山参考人 総同盟の丸山でございます。  昨日からずつと参考人が呼ばれておりますが、大体国会法改正については、そう大きな問題もないように新聞の面で拝見しております。従つて、私の公述といいますか、意見も、できるだけ重複しないように簡単に申し上げておきたいと思うのであります。  国会法を今度お取上げになつ改正をしようということは、ただ単に事務的ないろいろな条文整理その他ばかりでなくして、国会法改正しなければならないといういろいろな客観情勢といつたものがあつてお取上げになつたと思うのであります。従つて、この改正の資料を一応拝見いたしまして、大体妥当だというふうに考えておるのでありますが、何をいたしましても、制度の改正の根本は、やはり国会国権最高機関であるという憲法に定められた大きな権利と責任の自覚がなければ、もつと率直に申し上げますならば、議員各位の良識と、同町に国民の自覚と監視といいますか、これがなければ、どんなに条文の中を改正してみても、真に皆さん方あるいは国民考えておるような十分な運営ができないんじやなかろうか、従つて国会法改正ということよりも、むしろその運営あるいはその背景になつておりますところの各政党——自由党も社会党も含めまして、各政党の今日のあり方、あるいは今日の選挙のいろいろな方法、ここに根本問題があるんではないかというふうに考えておるのであります。たとえば、よく新聞紙上にも出ております議員連盟の問題にしましても、政党の統制力が欠除するということになれば、当然そういう組織もいりましようし、あるいは議員立法という名をかりて、利権法案であるとか選挙区目当の法案が出るということも、これはやはり現在の選挙の方法にいろいろ根本問題があろうと思います。従つて、結論を先に申し上げますと、やはり利度の改正というものは、その根本になつているものを多少時日がかかつても直して行きませんければ、結局真の目的が達成せられないんじやないか、こういうふうに一応考えたのであります。  きようの参考人としての意見には、主として常任委員会制度議員歳費について意見を述べろということでございましたので、まず常任委員会制度について申し上げますと、これは、国家機構が複雑になつて参つたので、制度として当然置いておくべきものである。従つて、問題点は、この常任委員会制度議員諸公がいかに活用するかというところに問題があると思うのであります。同時に、いろいろの機構複雑に伴つて、各種の法案が旧帝国議会時代と比べてその数がふえて参つておる。従つて、本会議を中心にして審議を進めて行くというようなことは、かえつて現状に適しないのではないか。従つて、この議院運営委員会等で、法案の選択をされて、本会議で提案理由を説明するものは提案理由を説明して委員会に付託する、そうでないものは直接に、単に法文の字句的な改正のごときものは委員会に直接付託するというようなことにして、一応問題の焦点をしぼつて委員会に付託をして審議されて行くことの方がはるかに効果的ではなかろうか、こう考えております。  委員会の数ですが、現在の委員会をある程度整理し、所轄事項を総合的にすることの方が、各省あるいは団体の出先機関化されておるといわれる常任委員会を匡正し行く上にも効果がありましようし、また議員諸公が広く大局から見て国政の運営に当られるという場合に適切ではなかろうか、こういうふうに考えております。従つて、たとえば内閣、人事、地方行政というものは一本に統合し、労働関係で申しますと、厚生委員会と労働委員会のごときは一本にする。そういうふうにして、少くとも十三ないし十四くらいにこれを圧縮して行かれたらどうか、こういうふうに考えております。  その場合、これは少し横道にそれるかもしれませんが、決算委員会でございます。この決算委員会は、われわれもいろいろと国の予算の公正な使途というものに問題が起つて来ることを新聞で了承するのでありますが、その場合、率直に申し上げますと、決算委員会の結論といいますか、この時期が非常におそいというふうに考えられます。従つて、できれば大蔵省から出される決算報告あたりは、もつと会計検査院に早目に出して、決算委員会で、少くとも通常の国会の際に、常会の初めに国会に決算報告が出されるというような方法をとつて、もつとスピーデイな取扱いをしていただきたいというふうなことを考えておるわけであります。  なお、現在常任委員会の委員数は、大体十五人あるいは二十人というふうな員数であろうかと思うのでありますが、こうしますと、各党の意向というものはもちろん反映されますけれども、極端な場合には、四人程度委員会で審議が決定されるというような場合もあるかもしれぬ。たまたま、先ほど申し上げましたように、二十二あります委員会を、十三ないし十四に集約をいたしまして、委員の数を少くとも三十人程度まではふやしていただく。委員の数がふえることによつていろいろ世上で取りざたされておる問題が多少は解決されるのではなかろうか、こういうふうに考えております。  次に、委員長の投票権といいますか、決定権でありますが、可否同数のときに委員長が決定する、この二重投票というのは避けていただきたいと思うのであります。やはり各委員の賛否をとりまして、可否同数の場合に初めて委員長がその裁決をするというふうな方法の方が、実際に他のいろいろな会議でも適用されておる方法であるので、それにならつていただきたいと思う。  それから、少しこまかくなりますが、少数意見の本会議、報告というものは、できれば出席議員の十分の一以上というふうにしていただきたいと考えておるのであります。  それから問題になつております委員会の公開、非公開の問題でございますが、現在の条文を私たちが読みますと、いわゆる文字通りの公開の委員会ではないように思うのであります。いわゆる制限公開といいますか、そういうふうになつておりますので、これ以上制限する必要はなかろう。但し、公開の席上では、そういう議員の方はないと思うのでありますが、一つのゼスチユアと申しますが、それでいろいろな発言をされる。そういう場合には、それは議員の方の常識と申しますか、それで判断さるべき問題であります。あるいは、政府の方でも、公開の席上では腹を割つて発育をしないというようなことがある。こういうことになれば、各委員会理事と申しますか、理事会と申しますか、それでもつて適当に現在の条文によつて公開の制限をすることができるようになつておりますから、委員会というものは原則的にはあくまで公開にすべきものである。しかも、現在のように、本会議ではただ委員長の審議経過のみを出され、そうして決定されるということでは、一般の国民には、その間の事情がよくわからない。先ほども、傍聴しておりまして、速記録あるいは議事録があるじやないかと言いますけれども、議事録、速記録というものは、一般にはほとんど手に入らないのであります。従つて、やはり委員会は、ある程度傍聴して、各議員がかわされておる意見をわれわれは聞きたいというようなことから、これ以上委員会の傍聴についての制限規定を加えるということには、私は反対であります。と同時に、委員会の速記録というものが出て来るのが非常におそいのであります。外国でもその例があるということでありますが、少くとも翌日あたりにはその速記録が各議員方々に渡るようにならないものだろうか、そうすれば、ある程度公開の制限を加えても、速記録を早く出すということで多少は効果が上るんじやないかと思います。これだけの人員をかかえておるのでありますから、速記録を少くとも翌日くらいには出していただきたい。  次は、専門員の問題でありますが、これは、初めにも申し上げましたように、現在の政党のあり方に関係して来るのでありますけれども社会党も自由党も各党の政務調査会と申しますか、政策審議会と申しますか、われわれ外から見ておりますと非常に弱体のように思うのであります。従つて政党の一番の中枢神経といいますか、この政務調査会あるいは政策審議会というものを十分拡充するというふうになれば、専門員というものは私は必要なかろうと思う。むしろ、専門員の仕事は、各政党の政務調査会なり政策審議会の別途の方がおやりになるということが、ほんとうにいいのじやないか、こう考えておるのであります。その問題に関連しまして、常任委員会の専門員室と国会の法制局、それから国会図書館の立法考査局ですか、その三つを大体われわれが見ておりますと、大きな仕事をしておられる。なかなか給料の高い者がたくさんそこにおる。専門員にしても、おそらく十五級職の方が四、五十人おられると思います。それは、あるに越したことはないのですが、現在の状況から見れば、この三つはもつと効率的に編成がえされることがいいのではないかと考えるのであります。  まだ、いろいろこまかいことはありますが、次に議員歳費のことについて意見を申し上げます。きようの朝日新聞にこの点が出ておりまして、国会開会中は十七万円、しかしその中には秘書手当も含めておるので、秘書手当を除きますと、あと十五万円になります。率直に申し上げますと、月に十五万円程度の収入というものは、いわゆる三等重役でもその程度の収入はとつておる。これは私事にわたつて恐縮ですが、私はある議員の秘書をしておつたこともありますが、ほんとうにまじめな——まじめ、ふまじめということは語弊があるかもしれませんが、国会を中心にして日常生活を送つておられる方の実収は、年平均して三万円ないし四万円程度だという場合がありました。こういう実情から考えてみますと、まず議員歳費というものは、大体その議員生活を保障するものか、あるいは実費弁償といいますか、費用弁償というような性格のものかということが、まず問題になると思います。おそらく現在の国会はほとんど八箇月あるいは七箇月近く開かれておるのではないかと思いますが、そういう実情になつて参りますと、国会議員の方はもはや常勤をしておると同じような形になつておる。勢い常勤ということになれば、生活の保障という面も歳費の中に浮んで来なければならないと思います。生活の保障という面が浮んで参りますと、現在もらつておる歳費は率直に申しあげまして私は少ないと思います。これはおそらく、各政党議員方々も、みな現在の費用が少いということを痛感されておると思います。ことに地方から上つて参ります選挙民の国会の見学、あるいはその他のいろいろな交際費、いろいろな新聞その他の広告などの交際費も含めますと、ますますその歳費というものは少くなると思います。先ほどもここで傍聴しておりますと、議員歳費は少いということがありましたが、ただ、それではなぜ少いのか、今すぐ上げることをなぜ躊躇なさつておるかというところに問題があると思います。おそらく、議員歳費をここでお上げになれば、お手盛り予算であると称して一般与論の強い反対を今の状態ではお受けになると思います。そこに問題がある思います。その問題が何かということは、詳しく申し上げなくても、すでにおわかりだと思います。従つて、ほんとうに国民から信頼されておる議員、あるいは国民の信頼に値する国会、こういうことになれば、現在の議員歳費がいかに少いかということは、国民には容易に納得できると思うのであります。従つて、その面をまずお取上げになつて、各議員さん方の間で真剣に御協議を願いたい。そうすれば、歳費値上げというような問題は、そう大きな問題にはならないというようにわれわれは考えておるのであります。  ただ、歳費が一般の輿論にも肯定されつつ値上げされた場合にも、一つの注文といいますか、そういつたものを申し上げますと、その一つは、支給を厳正にしていただきたいということであります。委員会、本会議に欠席されておる方に滞在手当を出すということも穏当ではないのじやないかと思います。あるいは、委員会なり本会議なりで各地方に出張されて行く方もあると思いますが、その場合出張旅費と滞在手当と重複して支給を受けておるということも妥当でないと思いますので、支給を厳正にして、できるだけ歳費は一本にして行く。これは現在問題がやや遠のいたというように今日の新聞も出ておりましたが、これが税の対象になりますので、多少の歳費の増額をしても実質の手取りにならない、従つて税の免除を考えるというようなことがもしあるとすれば、これは私は非常に間違つておると思います。一般の勤労階級といえども、みな厳正な税の対象になるものが出ておるのでありますから、当然現行税法の適用をお受けになることがよろしかろうと思います。  それから、第二には、常勤化されて、しかも生活保障給的な色彩、そういう性質を帯びて来るということになれば、現在の国会法できめております兼職の禁止規定をもつて拡充していただきたい。少くとも国の監督あるいは助成、補助、こういうものを受けておる団体、会社の役職員になるというようなことは、これは兼職をこの面では禁止されることがよろしかろうと考えております。  最後に、この歳費の面でもう一つ申し上げたいのは、秘書の問題であります。今度改正になりまして、秘書手当が約二万円になるということでございます。秘書というのは小使や給仕ではないのでありまして、国会議員の方が、現実にわれわれが見ておりましても、真剣に国会活動をされておるとすれば、一日にからだが二つつても足らないというようなことになろうと思いますので、そういう際に自分にかわり得る方が秘書であろうと思います。従つて自分の家族を名義の秘書にしておいて、その収入は実際に支払わないとか、あるいは非常に年齢の若い方を使われて、小使や給仕のかわりに使われておるということでは、その議員は自信のある十分な国会活動ができないであろう。従つて、秘書手当では、一般的にだれが見ても能力のある秘書の方を一、二名置いていただく。同時に秘書の厚生施設をもつと御研究になつて、考慮していただくように願いたいと思うのであります。  歳費の点については、結局現在の歳費というものが私は決して高いとは思いませんが、その歳費の増額が世論から押されて率直に出せないという、この問題をもつと真剣にお取上げになつていただきたい。  それから、これは少し問題が離れるかもしれませんが、最後に陳情と請願について意見を申し上げたいと思います。昨日から議員立法の問題が出ておりましたが、議員立法というものは、これは、あとで私の先生である大西先生あたりが御意見を申し上げられると思いますので、深く立入つて申し上げることは避けますが、われわれ門外漢が考えましても、議員立法というものは当然なければならないものである。従つて、それが日本でとかく問題になる利権法案を出したとか、あるいは選挙区目当の法案を出したとか、あるいは予算を伴つておるからというので問題になりますが、これは、もし原則としてそれがよいものなら、日本だけがうかく行かないというわけはないと思います。従つてもつと議員立法のあり方については、これは大西先生あたりからもお話があると思いますが、御研究になつて、やはりこの議員立法というものは原則として認めて行くという形がよろしいのではないか。それに伴いまして、陳情と請願でありますが、結論を申し上げますと、請願をやめてしまつて、陳情のみにしていただきたいと思うのであります。紹介議員のある請願というものは、とかくやはり選挙民とのつながりの面でいろいろの問題を起す。従つて、陳情のみにしまして、そのかわりに、陳情の代表者というものが一名なり二名なり自費で委員会に出て意見を述べて、各議員諸公の審議の参考にしていただくというふうにして、請願というものを廃止してはどうかという考えを持つておるのであります。同時に、この陳情、請願について、今までの結果を見ましても、ことに地域給の場合なんかもそうでありますが、委員会なりあるいは本会議で採択可決されているのが、あとでうやむやになつてしまつておる。従つて政府の陳情、請願に対する処置というものは、もつと国民の目にはつきりわかるような何らかの方法をとつていただきたい、こういうように考えておるのであります。  今まで申しましたことを結論として申しますと、初めに申し述べましたように、国会法改正そのもので国会の運営がうまく行くわけでもなかろうと思います。根本的には、各議員の良識と責任観によつて初めてこの運営がうまく行くのじやなかろうかと考えます。昭和五、六年に自粛運動があり、昭和七年でございましたが、議会自粛について各派より声明があつたというお話でありますが、そういう自粛の声明があつたにかかわらず、全体主義的な思想の中に議会制度というものがのまれて行つてしまつたということは、今の現状が非常によく似通つておるようにも考えます。そういう面から、国会法改正の中には非常に大きな問題をたくさん含んでおります。そういう問題をお取上げになつて、いわゆる民主的な日本の国会をつくつていただきたい。  非常に愚論でございますが、これだけ申し上げます。
  65. 菅家喜六

    菅家委員長 ありがとうございました。
  66. 椎熊三郎

    椎熊委員 私ちよつとお聞きしたいと思うのですが、議員歳費のことと、秘書の手当のことですが、私はこう思つておるのです。秘書の手当も何も含めて、十万円なり十五万円なり適当に一本にするということに私賛成なんです。今のように私書の手当は国費をもつて支弁をして、それが一律一体であるということに世論の批判があると思うです。十八、九の娘さんを秘書にしておる人もあり、大学を出た堂々たる家庭を持つた人を秘書にしておる人もある。それが全部同じだということは、どうも私には納得できないので、秘書の手当も含めて一本にして、秘書としてこれだけの値打ちがあるという者には、一万円やる人もあるだろうし、五千円でいいという人もあるだろうし、それは個々の代議士の自由にして、その人によつていろいろな区別があつてもしかたがないじやないかという一つ考えを私は持つてつたところが、秘書の組合が——団体がありまして、それでは秘書の生活権を脅かされることになるので、これはどうしても代議士の一本の中に入れてもらいたくないという陳情が、衆議院でも参議院でも、私ども個々に来ておるのです。これは、あなたは組合運動をやつておられる方だから、どつちが一体適正なものか、私非常に迷つておる一点なので伺いたいと思います。
  67. 丸山隆一

    ○丸山参考人 秘書団といいますか、あるいは秘書の団体と申しますか、そういうところからの意見は別として、私の考えでは、一本にしてしまうことによつて、非常に失礼な言い方かもしれませんが、今たとえば二万円を含めて一本にしてしまう。そうすると、先生お話のありましたように、これは一万円だ、これは五千円だということで出しますと、二万円というのは秘書に出すものとして入つているのに、ほんとうに二万円出すようないい人がいるかどうかは別といたしまして、いい人があれば二万円出すとか、とにかくこの二万円はそのまま秘書の費用に充てていただきたい。ともすれば小使いか給仕のように五千円か六千円程度にして、二万円なり一万五千円を自分の方の収入に入れてしまうようなことでは困ると思うのであります。こういうように私は考えます。
  68. 椎熊三郎

    椎熊委員 やはり秘書の給与というものは、一本からはずして、秘書はこれだけの値打ちのある者を選択して使えということですか。分離しておくことが秘書からいえばいいでしようね。
  69. 丸山隆一

    ○丸山参考人 秘書側から見れば、その方がいいように思います。
  70. 椎熊三郎

    椎熊委員 そうすると、今のように娘を連れて来てやつている人も、三万円もやらなければならぬ人も、二万円でしばらなければならぬ不都合の問題があつて、簡単な問題じやないと思います。
  71. 丸山隆一

    ○丸山参考人 三万円でいい人がいるということになれば、何か自分の方で一万円出すということもありましようが、どうしても自分のかわりになる人間がほしいということになれば、そういうことになると思います。
  72. 椎熊三郎

    椎熊委員 現在はよほど秘書が有能でないと、実際仕事ができないのです。それはまたよく研究してみます。
  73. 菅家喜六

    菅家委員長 どうもありがとうございました。  次にお見えになりましたのは旭化成の常務の宮崎さんであります。宮崎さん、たいへんお待たせいたしましたが、どうぞお願いいたします。
  74. 宮崎輝

    ○宮崎参考人 私、日経連の者であります。最初、話を逆にしまして、歳費の問題から入りたいと思います。  私とも、国会法を見て感じますことは、歳費に関する国会法の規定というものは、直観して、いかにもじじむさい、けち臭いという感じがします。  そこでまず第一点にして、ベース・アツプの思想を持つておる。つまり公務員最高を下らざる給与ということで、公務員がベース・アツプしたら議員も上るのだという思想だと思います。これは私どもよく経験することですが、組合が要求して、賃金が上つた。そうすると今度は非組合員の部課長も上げる、また重役も上げるというようなことで、ベース・アツプに非常に反対しながら、最後は自分も均霑するというような妙な経営者がある。そういう一つの思想を含んでおりはしないかということをまず第一に感じます。第二点は、本給のほかにいろいろ諸手当を加えて、収入を確保しようという意図が見える。これは、われわれが賃金を上げるときに、基本給は上げないで、いろいろ部署手当をつけて、基本給のベース・アツプを避けようとする。そういうにおいがする。滞在雑費であるとか、あるいはその他の諸手当には税金がかからないために、そういうふうにわけているのじやないかという疑問を抱くのであります。  第三点は、特におかしいのは、退職金の規定がありますが、議員が退職金をもらうというようなことが私には了解できない。まだ現在ではその法律は施行されていないでしようが、議員というものは、特に衆議院のようにときたま解散があつて、当選したり落選したりするような人たちが、その前後の期間を十年なら十年と通算してきめて、退職手当の規定なんかできるのでしようが、そういうようなものに退職金という制度がふさわしいかどうかというのがます第一点であります。第二点は、退職金というものは、官吏であるとか会社員のように、その仕事に一生固定して、どちらかといえば、ほかに使いものにならぬ——と言つでは言葉は悪いけれども、使いものにならないかたわもの——と言つてはおかしいですが、そういう人の老後の生活の道をつけてやるのがこの制度じやないかと思うのです。議員を何年やつたからといつて退職金をやるという思想は、私はおかしいと思う。  これを通覧しますと、歳費に関する国会法の規定というものは、国会議員という選ばれた国の選良が、あたかも国家の高級官吏のごとくに考えられてはいないか。歳費の面から、おそらくこの法案を立案した人は、役人であつたのでしよう。そういうことから、こういう法案が通つたと思いますが、その基本的な考え方において私は非常に疑問を持ちます。具体的になりますと、私は歳費というものは相当とつてもらつていいと思う。総理大臣が十一万円ということになつておるそうですが、やはりとられるときには相当とられていいと思う。しかし、その場合は、はつきりとして税金がいろいろかかりますから、手取りは減りますけれども、われわれも、ほとんど七割五分から八割税金にとられて、実際の手取りは少いのですが、少くとも歳費をとる場合には、そうしみつたれた金額でやる必要はないと思う。  なお通信費、滞在費にしましても、それぞれわけてとつておられますが、滞在費というものは、どつちかといえば出張旅費ということになるでしよう。しかし、登院してもしなくても払われておるから、現実には固定したものとなつておる。その他通信費にしても実費弁償の思想でありましようが、定額制になつておるから、私はやはりまとめてやられた方がいいと思う。  秘書の問題は、私はこう考えております。今秘書はいわゆる特別職の国家公務員ということになつておるために、先ほどちよつと伺つてつたら、その秘書の組合等から反対があるということでありますが、これは、国家公務員であるという地位を持つた者としては当然にそういう声がありましよう。しかし、会社にも秘書課というのがあります。社長秘書その他秘書がありますが、なるほど会社の従業員で会社から給与をもらつておる。しかしこれは秘書課なら秘書課という一つの組織があつて社長秘書というものが全体的な会社の業務をしておる、こういうものと国会の個人々々の議員に付属しておる秘書とは違うと思う。それといろいろな弊害もあるようでありますが、だから私は、秘書の費用も給与も含めたトータルの歳費をとられて、そうして適正な人をお雇いになつたらいいじやないか。その結果は、無給の人も出ると思う。ワンダラー・サービスという人もあつてもいいと思う。老練な議員以上の秘書を置かれてもいいと思う。そういう場合は、給与はなくたつていいと思うのであつて、現在のように国の費用で個人に付着した秘書を置くということは、私はおかしいと考えます。  これが私の歳費に関する見解であります。  次に、議員立法であります。私は議員立法は非常にけつこうだと思います。と申しますのは、昔はこういう制度が日本にはなかつたのでありますけれども政府が怠慢であるとか、あるいは官吏が結局法案の原案をつくりますけれども官吏だけにつくらせるということでは、やはりわれわれ民間人が思つておるような法案が必ずしもできない。よくわかられた議員の方から立案していただけるという道があるということは、特にわれわれ民間人として歓迎いたします。しかしながら、同時にまた議員立法というものはいろいろな弊害が出ておりますが、それは結局、議員さんはそれぞれ地方の選挙母体を代表しておられるということから、実際においてはやむを得ないと思いますけれども、どうしても議員立法は一部の利益の代表に偏するということがありますので、この弊害を防止するには、ほんとうに政党がしつかりしておれば防止できると思うけれども、そういうことができないとすれば、私は、今度の議員立法についての改正案では、賛成についての人数的な制限を置いておられる、特に予算を伴うものについては厳重な条件を付しておられるという趣旨は、そこをねらつておられるものとして、私は賛成であります。但し、予算を伴う議員立法ということが一番問題でありますが、この改正案では、内閣に意見を述べるチヤンスを与えるということになつておりますから、一歩前進でありますけれども、しかし私は、そのほかに予算を伴う議員立法、または委員長から出される法案にしましても、そういうものは必ず予算委員会を通るように道を開いていただきたい。内閣の意見を述べる道は、予算委員会ではできるわけですから、今度の原案のほかに、予算委員会の議を経るという道をもう一つこの上に加えていただきたい。これは、われわれ自身か言いますと、非常にに恣意的な立場から申しますと、そういう制限がなくて、議員にお願いして通つて行くということは、われわれの立場からいうと反対できないのでありますけれども、しかし結局税金を払うのは私たちでありますから、歳出を伴うようなものについては、私は予算委員会でチエツクできるような道を開いていただきたいと考えます。  次には、常任委員会の制度であります。私は常任委員会制度そのものはけつこうだとおもいます。最近いろいろ一弊害が出るというので改正が議せられておると思いますが、およそ制度というものには、必ず長所があるとともに短所があるのであります。特に長所が多ければ多いほど、またかえつて制度上は短所が多いわけであります。そこに運営の妙というのであるわけであります。しかしながら、あまりはつきりした点は制度上もこれを修正する必要がありますから、その意味において、今回は常任委員会制度改正を意図しておると思います。この常任委員会を拝見いたしますと、数が多いということと、次に内容が、事項別の委員会と各省別の委員会とごつちやになつておつて、標準が一つなつておりません。もちろんわけることの技術的な困難から来て、こういう委員会なつておると思いますが、私も、できれば数を整理していただいて、これは単純に、行政整理をしていらなくなつたからとか、あるいは類似のものを整理統合するとかいうことでは、ほとんど意味がないのでありまして、やはりいろいろな弊害を伴うような、言葉は悪いでしようが、利権を伴うような委員会の構成にこそメスを入れなければ、これを整理統合される意味はないと思います。その点については、どういうふうにわけたらいいかという点はむづかしいのでありますが、私は、できるだけ各省別を廃止して、事項、別にしていただきたい。事項別オンリーということは、具体的な問題としては非常に困難だと思いますが、できるだけ事項別の方向に持つてつていただきたいと考えます。そうして、できるだけ各省の利害がそのまま議会に反映する、各省の権限争いがそのまま議会の委員諸子の間に反映するということがなるべくないようにしていただきたいと思う。  それから、公開の問題でありますが、私は公開がいいと思います。現在は制限公開制になつておるが、むしろ公開を原則にして、秘密会にし得るという規定を残すという行き方の方がいいじやないかと思います。これは、皆様専門家で御存じでございましようが、外国等では、公開にするとプレツシヤー・グループの制圧があつて、公正な意見が吐けないということだそうであります。また逆にスタンドプレーをおやりになるというようなことがあるかもしれませんが、しかし、公開の席で発言するということは、お互い慎重になるものでありまして、また自分の発言に責任を負うということになるの、でありますから、それに加うるに裏面の取引等を制限し、チエツクするという道もありますから、私は、でき得べくんば公開を原則にしていただきたいと考えます。  最後に、専門員の問題でありますが、私は置いていただきたいと思う。と申しますのは、常任委員会制度がある以上、やはり秘書的なものが必要だと思います。委員会全体としての秘書的なものが必要だと思います。官庁との折衝もありましようし、それから委員諸子の間の折衝もありましようから、私は専門員というものは置いていただきたい。特に事項別の委員会になると、なおそうだと思います。この際に、官吏等の優秀な者が各官庁におるのだから、必要でないという意見もあるでしよう。しかし、できれば官庁の優秀な人を専門員にしていただくという道が開けたらいいのじやないかと考えまして、私はできればこの専門員というものは存続していただきたい。政調会等の話もありますが、政調会はできる限り強化していただく方がいいので、われわれ財界では、御承知通り経団連、日経連というような調査機関があつて調査しております。労働組合も最近だんだん調査をよくするようになつたのでありまして、一番根本である国の制度を決定する国会の調査機能が不十分では困るのでありますから、その方面の拡充も必要であります。この常任委員会の専門員等も、できるならば質のいい人を、むしろ数をふやして、十分に常任委員会に資料を提供する道のあることが、現在の政調会の不備な時代には、なおさら必要ではないかと思います。  たいへん大ざつぱでございますが、以上のようなことでございます。
  75. 菅家喜六

    菅家委員長 どうもありがとうございました。  次にお見えになりました参考人は、早稲田大学の大西先生でございます。——ではお願いいたします。
  76. 大西邦敏

    ○大西参考人 それでは国会法改正について私が重要な点と思いますところを順次、ごく簡単に披瀝して行きたいと思います。  まず、常会でございます。これはわが国では年に一回というのでございますが、今日外国の憲法を調べてみますと、実に二十二箇国の多きに及びまして、憲法で常会は年に二回ということを規定しております。おそらくこの二十二箇国以外にも、国会法なりでやはりこの二回制をとつているところで相当数あるのではないかと思いますが、少くとも憲法で常会の二回制を規定しているのが二十二箇国、しかもこれは最近の世界の一般的な傾向のようであります。どうしてこの常会の二回制が多くとられているか、その理由を考えますと、おそらくこの常会が一回で、従つて常会の会期が百五十日とか六箇月とかいうことになりますと、やはり人間ですから一議員の人もいろいろスランプの状態に陥ることがある、あるいは議員が個人的な事情にどうしても関心をとられざるを得なくなつて、議員としての職務を全うすることができない、そういう考慮から、おそらく常会の二回制というものが採用されることが多いのではないかと思います。私は、門外漢でよくわかりませんが、こういう点、国会議員方々におかれまして十分この実情を御考慮願いたいと思います。  次に、臨時会でございます。この臨時会は、私は比較検討はやつておりませんので、諸外国の例を御参考までに申し上げた方がいいかと思いますが、今日世界で、憲法で、臨時会の議事はその召集を必要ならしめた事項に限定する、それ以外のことは臨時会では議さないときめているのが二十七箇国ございます。これまた、おそらく国会法あたりで、臨時会の議事は召集を必要ならしめた事項に限定する、このように限定したのはその他にも多いと思いますが、憲法でこういうふうに定めたのが二十七箇国の多きに上つているという、この点は慎重に御考慮願いたいと思います。それから、中には、臨時会の議事は召集を必要ならしめた事項に限定するのだが、しかし総議員の三分の二以上が賛成した場合には、その他の事項にも及び得るという規定を持つているところがあります。しかしこの規定はわが国では憲法を改正しなければなりません。  それから、二十三条の、各議院において議長、副議長が欠けたときはその選挙を行う。その場合の議長代理というのは、二十四条で事務総長になつております。外国では、事務総長という議員外の者が議長席につくという規定はどこにもありません。中には、前議会の議長の経験を持つている者、あるいは総選挙の最高得票者をもつてするという規定を持つているところもありますが、ともかく世界の諸国において事務総長が議長の職を行うということを認めている国はありません。  次は、歳費でございます。歳費につきましては、外国では非常に厳格でございまして、中には憲法で議員歳費額を明白に規定しているので、従つて憲法を改正しなければ議員歳費は決定できないという仕組みになつているところが八箇国あります。それから、歳費額を変更する場合、あるいは増額の場合も減額の場合もありましようが、要するに歳費額を変更する場合には総議員、あるいは出席議員の三分の二以上の多数を要するということで、歳費の増額を議員お手盛りすることを困難にしております。それから、これは非常に多いのですが、歳費の増額は、その増額を議決した議会の議員はその恩典にあずからぬ、総選挙した次の議会の議員から初めてその恩恵に浴する、こういうことになつている国が相当多いのであります。  それから、歳費に関しましては、これはアメリカの四十八州のうちほとんどすべての州、それからその他独立国にもございますが、歳費議員の出席というものを結びつけて行く。従つて議員が欠席をした場合には、歳費から勢い減額されるというような制度をとつておる国が多いので、一例をあげますと、ベルギーなんかは、歳費には定額歳費と不定願歳費がある。定額歳費は月額によつて議員の任期中は支払うものであります。不定額歳費は出席した出席日数にのみ支払うというのであります。そうすることによつて議員の出席を奨励するようにしてあります。アメリカなんかは、州の憲法ではその点が非常に考慮されております。歳費の額等につきましては、すでにいろいろの人からお話があつたようですから、今申し上げた点だけを御参考に申し上げます。  次に、問題の常任委員会でございますが、もちろん日本より常任委員会の数の多い国もあります。ドイツなんかも、西ドイツの新憲法のもとにおきましては、三十四ございます。アメリカなんかは、たしか四十もあります。フランスはそれほど多くありませんが、常任委員会の数は多い。しかしアメリカは常任委員会の数をよほど減じました。ドイツも、おそらくアメリカの影響を受けてか、常任委員会の数を戦後統合したのであります。ワイマール憲法においては少かつたが、今度多くなつたのは、おそらくアメリカの影響じやないかと思います。この常任委員会の数は、やはりそれぞれの国家において、その実情に応じて考えらるべきことでありまして、わが国では、今日の常任委員会制度幾らか弊害を生んでおるもののようでありますから、この際思い切つて三分の一程度常任委員会の数を減らす。それから、それと並んで重要なことは、常任委員会で国政調査会のようなことをやるのは不適当だと思います。よしんば常任委員会の数を三分の一に減じましても、その常任委員会で国政調査をやるべきじやない。外国では、多くの国で国政調査のためには特別委員会をつくつております。必要によつて特別委員会をつくつております。ブラジルのごときは、総議員の三分の一以上が要求した場合には、必ず国政調査の特別委員会を設けることになつております。西ドイツは総議員の四分の一、東ドイツでは総議員の五分の一の要求があつた場合には、必ず国政調査特別委員会を設けることになつております。キユーバのごときは、行政事項に関して国政調査をやるときには、総議員の三分の二以上の賛成が必要でございます。その他の事項に関しましては、過半数の動議があれば国政調査の特別委員会を設ける、こういうことになつております。外国の多くは、問題の起きたとき、必要に応じて国政調査に関する特別委員会を設けております。常任委員会は、それぞれの所管の事項に専念するという建前になつております。  それから、委員会の公開、非公開の問題でありまするが、これはいろいろ議論があるようでございます。私は、やはり委員会は慎重に審議すべきところでありますから、非公開で、公開しないことを原則とすべきだと思います。これはワイマール憲法時代にもそうでありましたし、現在の西ドイツの憲法のもとにおきましても、調べてみますと、常任委員会でも特別委員会でも委員会は非公開になつております。ただ報道関係には傍聴することを許すことになつております。  次に、もう一つの顕著な一般の傾向を申しますと、従来議会はだらだらと続けて少しも能率が上らない。今日においては法律の数も非常にふえて来ております。それをなるべく能率を上げるようにすべきだと考えます。これはアメリカの州の一つの傾向ですが、いい成績を上げているのがあるのであります。それたは両議院の常任委員会が合同審査をやるのであります。これは原則ではありませんが、日本にも合同審査の規定はございますけれども、一種の例外であります。それを、例外でなく、むしろ合同審査を原則とすることによつて、能率も非常に向上し、政府委員なり大臣なりの答弁も一回で済ますことができるという長所が考えられます。  それから、予算を伴う議員立法については、改正案では総議員の四分の一の賛成を必要とすることになつております。この点はけつこうだと思います。この上に望ましいことは、予算を伴う議員立法には、やはり財源を明示することを条件として出すべきだと思います。そうすれば、他の議員にも、その財源がはたして適正なものであるかどうか、またそんな財源がほんとうにあるかどうかということを知つて、法案全体の審議を有効にすることができると考えるのであります。これは、外国では憲法で財源を明示することを要求してあるところが相当あります。わが国ではこれは国会法でできることですから、財源を明示することをつけ加えていただきたいと思います。それから、今までのように、各常任委員会でかつてに予算を伴う議員立法をやるというのではなく、そういうものは、大きな委員会と申しますか、予算委員会と申しますか、必ずそこを経る、両者の討議を必要とするということにしていただきたいと思うのであります。  次に、これは全然欠けておるところでありますが、今世界の議院内閣制の国家の大きな傾向は、内閣の安定という方向に進んで行つておる。野党の方は内閣を不安定ならしめるという考えを持ちがちなのでありますが、しかし野党だつて永久に野党ではない。その野党も将来内閣を組織するわけで、そこに何か安定ということが望ましいことなのであります。イギリスだつて内閣の平均寿命数は三年六箇月、アメリカなんか、申すまでもなく、大統領の任期は四年保障されておる。それは要するにアメリカでは内閣が安定しておるということです。イギリスでは、議院内閣制でありますが、やはり安定しております。内閣の安定が必要だとしますと、国会法関係において内閣の安定をはかるにはどうすればいいかというと、この前の不信任案が出たときのことを思い出すといいが、あのときには、議員方々は興奮の状態で不信任案が提出されて、すぐ議決された。興奮の状態でああいう重大な不信任案を決定することは非常に危険です。今、議院内閣政治の非常に大きな世界的な一つの傾向は、不信任案が提出されましても、その当日は決をとらぬ。冷却期間を間に二日でも三日でも置く。三日後から一週間以内において不信任を議決する。その間に冷却期間がありますと、議員が冷静になつて反省して、無謀な不信任によつて解散を食う、あるいは内閣総辞職をするというような事態がない。それから、いま一つ、これは憲法を改正しなければいけませんが、いま一つの世界の大きな傾向は、不信任案の表決数は、出席議員の過半数でなく、総議員の過半数、これが世界の一つの大きな傾向です。この前の不信任案も出席議員の過半数で通つた。総議員の過半数であれば通らなかつたのであります。それから不信任案の濫用を防ぐ一つ方法は、不信任の決議案を出すには、やはり総議員の三分の一なりを要する。どうも国会法を見ましても、不信任の規定がない。一体どうやつておるのを、門外漢で存じませんが、これでは国会法の建前では、極端にいえば一人の議員でも出せやしないか。少くとも不信任案というものは非常に重大です。議事妨害の最たるものであると思います。  大体私の思いついておる点を申し上げた次第であります。
  77. 菅家喜六

    菅家委員長 どうもありがとうございました。  今度は鈴木萬平さん。
  78. 鈴木萬平

    ○鈴木参考人 私は経済同友会の鈴木です。私個人の考えもございますが、大体会といたしましての考え方を申し上げます。  今回の国会法改正につきまして、私どもの一番重点を置いておるのは、第一に常任委員会、第二に歳費の問題、第三に、問題になつております予算を伴う議員立法あるいは予算増額修正、さらに国政調査の問題であります。  結論を簡単に申し上げますと、私ども法律専門家でございませんし、院内の事情を知悉しておるわけではございませんが、大体の空気を察知いたしまして、結論を簡単に申し上げます。  常任委員会の問題は非常に重大な問題でありますが、現状においては、常任委員会が少し行政面に立入り過ぎておるんじやないか。たとえば、常任委員会が開かれております際に、官庁に参りましても、ほとんど政府委員として役所をあけておる。そのために行政官庁の機構は能率が落ちておる、用事もなかなか足せないというのが現状であります。しかも最近のように会期が長くなりますと、この行政面の執行の損失はかなり大きくマイナスになつております。人だけ減らしたのではいけないので、むしろ執行面の人に十分働いてもらうように余裕を与える。希望といたしますれば、本来ならば、常任委員会は党の調査、あとは議会自身が審査なり議論をするというふうに持つて行きますれば、会期中といえども、行政面のマイナスにならない。こういうためには、党に予算を与えなければなりません。議員の数に応じて予算を与える。あるいは今の事務局の人、専門員の方を党のそういう調査機関にするというふうにして、三権独立の意味において、議会はあくまで議会だけの力でもつて試みる。行政官庁を煩わさないという建前をとつていただくことが一番望ましいのでありますが、今回の国会法改正あたりでは、それがむずかしいようでありますが、せめて、できますことならば、政府委員会の数をなるべく減らして、行政の運営について妨げにならぬように、議会はあくまで議会としての権能を発揮して、自分の力で、あまり政府委員を使わないという方面に持つてつていただけば、非常にけつこうだと考えております。  第二の歳費の問題でありますが、これは、いかなる名目をつけましようと、結局出す金は一緒でありますから、これは名目をつけずに一本にして出す。今日国民負担を重くすることは望ましからぬことでありますが、いやしくも国会議員が今の歳費で足りないというなら、これを増額することは、国をりつぱにするもとでありますから、これは国民も納得してもらえるだろう。ただ開会会式の日に来て、あとすぐ欠席してしまうというような方々にも及ぶということは不合理であるから、出席に応じて、いわゆる墓本の金額と申しますか、それを増額いたしまして、今以上に歳費を出すということが合理的ではなかろうか。休んでおるお方は少く出して、来た方に重くするということが合理的ではなかろうかと考えております。従いまして現在よりも増額する。大体においては、常識としては、今の程度ではなかなかたいへんだろうという想像をつけております。  予算を伴う議員立法あるいは予算増額修正の問題につきましては、これは、手続を厳重にしていただきまして、場合によれば、さらにこれを予算委員会に持ち込んで二重審査をするというふうにして、万やむを得ないもののみを順々に通すというふうな状態にするのが、今の日本の国情ではいいのではなかろうか。それは将来日本の国情によりまして国会法はまた改正されると思いますが、当面の問題として、補助金その他を常任委員会で無条件にとつてしまうということは、いかにも今の国情から不合理であると考えますので、二重審議もやむを得ないのじやなかろうかと考えております。  それから最後に、国政調査に関しましては、これは議員の方が各地に行かれて国政調査をなさるのは当然であります。またやむを得ないことでありますが、これに伴う弊害というものがかなり地方に出ております。これは、市町村にしてもいろいろ間時や経費の浪費がありますので、議員の方は、能率化、合理化という意味から、これは国会法に載せるべき問題ではありませんが、節操を高く持つていただきたい、こういう結論を持つておりますので、これだけ御報告申し上げておきます。
  79. 椎熊三郎

    椎熊委員 今の国政調査旅行のことは、この運営委員会で、国会召集中は原則として出さないということを数年来やつておりますので、よほど自粛されていると思います。ところが、閉会になりますと、各委員会から競つて一週間か十日出るようなことになるのです。
  80. 菅家喜六

    菅家委員長 今お話通りでございまして、これはお互いに自粛しようということで、今その方向に向つているわけでございます。閉会中になりますと、とかく出たがるわけでございますが、これも自粛の方向に向つておりますから……。
  81. 土井直作

    ○土井委員 歳費の問題は、出欠その他をあんばいして上げてよいということでございましたが、あなた方の方では、現在のものが適当だという御意見はありませんか。
  82. 鈴木萬平

    ○鈴木参考人 これはいろいろ意見がありますが、十七万九千円というのは、会社あたりでございますと、表向きのそういうもの以外に、交通費とか宿泊費、いろいろなものでかなり加算されます。それで議員にはない。ですからネツトだけで比べるのは無理だろう。おまけに秘書もお使いになる。秘書の手当も、あれではあまりいい秘書は使えないというところじやなかろうかと思います。雑費にいたしましても、これは二重生活をしている人もありますので、東京に住んでいる人とはたいへんな差があります。労務者にも、地域差というので、住居地によりまして差があります。ところが、議員の方はたいてい郷里に家を持つておられます。国会でいろいろ設備はありますが、それにしても議員の体面ということもあります。いろいろ選挙区との関係もありますから、私どもから見れば、よくやつていらつしやると思つております。おそらく持出しでしよう。一般の方にはそういう議論は通らないかもしれませんが、現実に議員の方はお困りだろうと私は推察しております。
  83. 菅家喜六

    菅家委員長 どうもありがとうございました。  次は、公共企業体等仲裁委員長の今井さんにお願いいたします。
  84. 今井一男

    ○今井参考人 私は学者でもございませんし、評論家でもございません。政治家でもむろんございません。それから組織団体を代表しているものでございません。どういう意味でお呼びいただいたか、よくわからないのでございますが、一応私の意見を申し上げます。  まず、常任委員会の問題でございますが、この根本は、日本の代議政体というものをアメリカ式に持つて行くか、イギリス式に持つて行くかということだと思います。現在のものはイギリス式になつているわけでございまして、そういたしますと、常任委員会というものはやめた方がいいのじやないか、あるいは予算の増額というものは認めない方がいいのじやないかという議論がすぐ出て来るのであります。また、アメリカ式といたしましても、大統領の発議権というようなものがそこに認められない以上、やはり問題点があると思います。しかし、こういう問題は、私どもしろうとから見ますと、その国の歴史とか、その国の国民感情とかいうものを中心にして考えないと、形体だけを中心にするということはいかがかと思います。特に日本の帝国議会以来の国会というものは、藩閥あるいは官僚内閣というものと闘うような使命ばかり負つて参りまして、戦後初めて国権最高機関という立場に置かれた。しかも、日本における官僚という問題がまだ基本的には解決されておりませんので、また一般国民にも事大思想が強く、言論の内容によつて判断するのではなくて、大臣がこうしやべつた、お役所でこう言つたということがオーソリテイになるような、民主政治としては初歩的な段階にありますぐらいで、私は、やはり国権最高機関という地位、憲法に明示されました立法機関という地位は、少くとも日本の民主政治が軌道に乗るまでは当分堅持しなければならぬのではないかと思います。最近の学説によりますと、できるだけ能率的な政府を持つためには、やはり内閣というものにできるだけ権限を与える、それに対する干渉をできるだけ少くする、国会があまりかれこれ言わない方がよろしい、ただ主権者の代表として、内閣を不信任する権限さえ持つていればいいじやないかという意見を聞くのでありますが、しかし、日本ではまだその段階ではないと思います。そういう意味におきまして、どうしても一般の国民感情と直結した形におけるいろいろな見方というものが政府機関とつながるということが、ここ当分は相当長く必要だという考え方をいたすのであります。予算増額等の問題につきましても、アメリカあたりでも反対説があるようでございますが、私は、今度の国会法改正のように、ああいう形における制限は適当ではないのじやないかと思います。ことに、予算というものは、歳出予算ははつきりしておりますが、歳入予算は単なる見積りでありまして、これを幾らに見積るかということは、かなりテクニツクもいります。またこれに対する法律的な拘束力もない問題でございますので、いわゆるおみやげ法案的なものと考えているわけではありますまいが、先ほどどなたかがおつしやいましたように、財源関係における指示をそれにからませる必要があると思います。それさえからませるようにいたしましたならば、歳出、歳入の組みかえでもけつこうだと思います。  ただ、問題の常任委員会の点につきましては、私ども国会議員の一部の方方から相当の弊害を伺つております。時間でもそういう声が高いのであります。この点は、将来の形としてはともかく、国会という、いわば総合的に最終決定をしていただくような機関が、ばらばらに分断されまして、ちようど官僚のセクシヨナリズムと相呼応するような形でばらばらになるということは、少くともここ当分の間は望ましいしとではないじやないか。それから、数を減らすという問題でありますが、常任委員会の問題は憲法にさしさわりがございませんから、私どもに言わせれば、ためしに常任委員会を全部やめてしまうのも一つ方法じやないかと思います。それを特別委員会に振りかえてみて、その結果によりまして、常任委員会制度という形に、国権最高機関である以上は、またもどつてもいいと思うのです。常任委員会が非常にふえたということは、それぞれの国政について、議員方々がエキスパートになられたという点もあると思いますが、その方はむしろ政党の内部で常任的の分担をされ、先ほどどなたかのお話のように、そういう意味における調査費というものをある程度国が負担するような形にして、そういつたことで御勉強の方は間に合うのじやないかと思います。私ども詳しくは知りませんが、政調会あたりが一つの法案を簡単に片づけられておるようなお話も伺いますので、むしろ、日ごろ各政党においてそれぞれの議員さんが一つ一つ分野を担当されて、必要なときには役人をお呼びになつてもよろしいということが、しろうと考えですが、頭に浮ぶのであります。  歳費につきましては、私はかねがね思つておるのですが、選挙法の関係上これはもちろん建前上国会でおきめになることでありますけれども、現状で一番必要なことは、もちろん諮問機関でもけつこうでありますが、どなたか各方面代表された方々意見を徴しておきめになるという形が、選挙法とからむ歳費の問題については、国民感情から言つて望ましいことじやないかと思います。大体歳費の額を幾らという問題も非常にむずかしい問題で、結局議員というものは特殊な公務員であつて、これを全然専業にしてしまうという形は望ましくなかろうと思います。やはり民間の各方面で実際に活動され、その活動されたことの生きた知識国会に反映する、ここに官僚政治でない一つの生きたものが出て、血が通うわけであります。そういう点から、大臣その他の特殊なものに対する兼業禁止ということは考えられても、国会議員に対しては、むしろそういつた形の方が、少くとも現段階においては私はいいのじやないかと思うのであります。そうなりますと、歳費の額が幾らということもなかなか、むずかしい問題で、見方によつていろいろあろうと思います。先ほどの方のお話のように、現実にいろいろ出費もありましようが、できれば一本にして、先ほどのどなたかのお話のように、国政調査に直接つながるような出費ならば、国民としてよりのみやすいのではないかという感じを持つのであります。うわさによりますと、とにかく選挙区から大勢入りかわり立ちかわり来て、それぞれの議員さんに御迷惑をかける。中には、おみやげをつけて、歌舞伎へ連れて行つたということを帰つてから話すということも聞きますが、これは、一般に申しまして、とにかく日本の現在の国民国会に対する認識の程度が、そういつた誤まつたところの人がかなり多いのであります。従いまして、それを地盤にして選挙というものが成立している現在におきましては、国会議員だけに一切の非難を向けるとは私は当らないと思う。国民というもののレベルの上に立たざるを得ないということも私は考えられるものであります。それにつきましては、できるだけ政党間のいろいろのお申合わせというような形における何らかの措置ができないものか。しろうと考えではなはだ恐縮でありますが、法律等の規定などよりも、院内における政党間のいろいろの申合せとしてやるといつたことによるごくふうの方が、かえつて実効が上るのではなとか、またぴたつと来るものが生れるのではないかと思います。法律の形としては、下手をすると反駁もあり得ますし、またもぐるというような気風も出て参るので、政党の紳士的な協定というものによつて、そういつた面のいろいろなくふうをすることが、全体においては一番適当なんじやないか、こんなふうなしろうと考えを持つております。  せつかく国会みずからこういつた問題に手をつけられるということは、非常に敬意を表するのでありますが、何らかの形で、この際議院運営のある程度の能率化なり何なりしていただければ、一般から非常に歓迎されるだろうと思いますし、ごくふうを期待したいと思います。まつたくしろうとの常識論でございますが、これだけ……。
  85. 菅家喜六

    菅家委員長 お忙しいところを、ありがとうございました。  本日は長時間各参考人の方に有益なお話を承ることができました。これにて全部の参考人の御意見を伺うことは終りました。  明日は午後二時ごろから参議院の方と折衝し、この問題をきめてしまいたいと思います。委員の方は、御迷惑でも、午後二時に常任委員長に御参集願いたいと思います。そこで審議の方法等についても御協議申し上げたいと思います。
  86. 青野武一

    ○青野委員 本会議はいつですか。
  87. 菅家喜六

    菅家委員長 明後日になると思います。  それでは、本日はこれにて散会いたします。   午後四時三十八分散会。