○野村
参考人 私、野村でございます。私は
学者でもなければ実際家でもありませんから、この課せられた問題について、これを学問的にあるいは実際的に批判したり評論することは、私の任ではないと存じますが、私は、市井の一私人として、ちまたにある
国会に対するいろいろの批判の一部で私の耳に入
つたことを、私の口からここに御紹介申し上げて、
皆さんの御参考に供し得たらば幸いと思うのであります。
私は、この新しい
国会ができてから、どうも
国会の審議の状況というものが門外漢として十分に知り得ないうらみがあるために、しばしば、
国会議員の諸公に対して、一体こういうような状態であることは、
国会と
国民大衆との親密感をおろそかにするようなきらいはないだろうか、こういうことを申し上げたところが、
国会議員のお方のうちには、それはそうだ、そのうらみはあるのだ。
自分らもたくさんの議案、たくさんの問題を、朝公報を見て、いろいろの問題が
国会に横たわ
つておることは知
つておる。特別の関心を持
つておる問題については、できるだけ
委員会などに出席して傍聴して、そして議案の内容、審議の状況を知ることに努めておるけれ
ども、しかし、われわれ自身もまた委員としていろいろの
委員会に出席せねばならぬ。かようなことで、十分に議案の内容、審議の状況なんかも検討し、勉強して行くことができないうらみがあるのだ。
委員会の決定が本
会議に上程されたときに初めて知るようなこともしばしばあることである。関心のない問題あるいは関心を持たない人は、さぞかし
国会の審議の内容を知り得ないことであろう。このように言われたことをわれわれはいまなお記憶しておるのであります。
議員のお方ですら、そういう状態であるから、門外漢のわれわれが議案の内容を知り得ないというのも、まことに当然であろう。私
どもは、私
どもの
生活に密着した重要な議案が、
国会が済んだ後に、
新聞に十ぱ一からげに、本
国会において成立した
法律左のごとしといわれて、ははあ、こういう問題がこの
国会に出てお
つたかということを、初めて知るような状態であります。
これは、
国会の制度、運営以外に、
新聞に対する批評をいたさざるを得ないのであります。あるいは本
委員会において、逸脱したこととしておしかりを受けるかもしれませんが、
新聞は、
政党のかけひきとか、ごたごたとか、こういうことは大きく取扱います。あるいはまた行政監察
委員会の疑獄
事件とか汚職
事件とかいうものは、これをでかでか扱
つておりまするけれ
ども、われわれの
生活に密着したところの重大な問題、権利義務に関するような重大なる問題を、ややもすればおろそかにするようなきらいがありはしないか。私は、か
つて新聞社で飯を食
つた関係上、
新聞社の諸君に対しても、どうか議案の内容、審議の状況をもう少しつまびらかに報道して、われわれに知らしてもらいたい、こういうことをよくわれわれの知
つた新聞記者諸君に対してお願いしておるのであります。しかしまた、
新聞記者諸君のこれに対する答えは、
自分らもできるだけそれを追
つて報道することに努めたいと思うけれ
ども、こうたくさんな
委員会がべんべんだらだら、のべつやたらに
開会せられては、これを追うて行くことはなかなか困難である、その間にいろいろの重大な問題も起
つて来ることであるから、その方にも力を尽さねばならぬ、だから、こういう
国会の制度、運営に対して、
自分らとしても、
自分らの仕事の上に支障を来すことがあることも
承知してもらいたい、かように言われるのであります。これも私、ごもつともだと思います。よ
つて私は、
国会の制度、運営をつまびらかにしてはおりませんけれ
ども、
常任委員会制度に対して根本的に検討する必要があるんではないか、かように
考えるのであります。
皆さんを前に置いてそういうことを言うては相済みませんけれ
ども、昔の読会制度というもの、昔の
常任委員会制度、特別
委員会制度というものをやはり回顧する必要があるのではないかと思うのであります。昔は、予算、決算、請願、懲罰、この
委員会が
常任委員会として置かれて、大正の晩年ごろに
なつて建議案があまり多く出るから、建議
委員会というものを
常任委員会として置いたらどうかということで、建議
委員会が
常任委員会の
一つに加わ
つたように記憶しております。昔のように、多くの議案が一応本
会議に上程せられて、そうして本
会議において案の内容を説明せられ、これを
委員会に付託せられ、そうして
委員会において審議の後に、また一読会、二読会、三読会の径路によ
つて最後の決定を見たならば、
新聞もこれを区切りをつけて報道をして、きようはこういう問題が
国会の本
会議において上程せられて決定したということを大きく報道してくれる便宜がありはしないか、かように私は
考えるのであります。
今、二十二の
常任委員会がどういうふうに運営せられておるか知りませんけれ
ども、私は、この
常任委員会制度というものは、率直に申し上げますが、官庁の出先
機関であり、業者または団体の代弁
機関である。ここに私はいろいろの弊害があるのではないか、これをおそれるのであります。か
つて、カナダやアメリカでは丸太ころがしということがはやりまして、ある
議員がある法案を出す、そうすると他の
議員がまたある法案を出す、お互いがなれ合いで法案を出し合う、こういうようなことがずいぶんはげしく行われて、最近ではその弊を認めて、そういうようなことがなく
なつたということを聞いておるのであります。日本でも、いろいろの地帯の助成とか救済とかのために
法律がたくさん出ております。ある地域だけの
法律がたくさん出ておる。これなんかも、今申したようなロツク・ローリングのアメリカやカナダのやり方を学んでおるのではないか、かような批評も
世間にあるのであります。これは、
国会として、決してそうではない、事実に即してやらねばならぬことをや
つておるのだ、こうおつしやれば、それも
一つの理由でありましようけれ
ども、しかし、こういう弊が起りやすいのではないだろうか、かように私は心配するのであります。また官庁と
国会と業者または団体とが一本に
なつて組んでやるということになると、どういうことでもなし得るような疑いを
世間は持つのであります。ある人は、
常任委員会はスキヤンダルの温床だと、かように酷評する者すらあるのであります。私は、この批評を決してそうだと肯定するものではありませんけれ
ども、
世間ではこういう批評があるということだけはお聞きを願いたいと思うのであります。イギリスでも、読会制度によ
つて、多分六つの
常任委員会があ
つたと思います。日本でも、前の読会制度を採用せられて、そうして
常任委員会は予算、決算、請願、懲罰、議会運営
委員会——この議会運営
委員会は、おそらく各派交渉会を制度化せられたものだろうと思うのでありますが、私は、これは
一つの
常任委員会として存在すべき必要があり、またその効用を発揮しておるものと思うておりますから、
常任委員会はこの
程度にして、あとは特別
委員会を設けて審議せられたらどうかと思うのであります。
あるいは、昔とは違
つて法律がたくさん出る、だからこれを特別
委員会でこなすことはなかなか容易ではない。すぐに
常任委員会へ付議して行くがいい、かような
議論がありますが、これも現実ではあるいはやむを得ないかもしれませんけれ
ども、私は
法律が多過ぎると思います。昔から、匪賊という言葉から、
法律の匪、法匪ということがいわれておりまして、ことに満州なんか、あの統制ずくの、軍人や
役人が満州へ行
つて法律をむやみやたらに濫造して、満州
国民または日本人をずいぶんこれによ
つていじめております。日本でも
法律が多過ぎると思います。昔の勅令とか省令とかいうものがことごとく
法律に
なつております。これも官僚の独善を防ぐためにはやむを得ない道であるかもしれませんけれ
ども、私は、
国会においてこの点はある
程度まで是正できるのではないか。あまりに
法律が多いために、みんな
法律に違反しております。
法律を知らずして
法律に違反しております。これは決して健全なるいい
政治とは私は
考えておりません。できるだけ
法律を少くするように、法匪を跋扈させぬようにしていただきたいと思うのです。
その
意味において、私は、
法律の
整理をすると同時に、重要なる議案は特別
委員会に付託せられて、慎重審議せられるがいいと思います。昔は九人を一単位として、小さい問題は九人の特別
委員会に付し、あるいは十八人、あるいは二十七人——
選挙法の
改正とか税制の
改正とかいうものは、たいてい二十七人とか三十六人の大
委員会に
なつてお
つたのであります。それと同時に、私は、
常任委員も、
議員の任期一ぱい引続いて委員に
なつておることはおもしろくないと思います。一会期で区切りをつけた方がいいのではないか、かように
考えるのであります。なお、こういうことは非常におもしろくないと思
つたことですが、ある役所へ行
つてみると、
国会の
常任委員の控室が役所にある。これなどは、
国会の権威からい
つても、
議員の良識からい
つても、どうかと
考えさせられるのであります。また私は、この
常任委員会を、今申したように予算決算、請願、懲罰、議会運営、これらを置かれても、この予算、決算、請願のごときものは、分科会を置いて、分科会において慎重に綿密に御検討あ
つたらいいのではないか、分科会を置いて活用なさる方がいいのではないかと思います。請願について私は申し述べたいと思いますが、憲法十六条に「何人も、損害の救済、
公務員の罷免、
法律、命令文は規則の制定、廃止又は
改正その他の事項に関し、平穏に請願する権利を有し、何人も、かかる請願をしたためにいかなる差別待遇も受けない。」こういう規定があるのであります。私は、
国民の請願権を尊重してもらいたいと思います。民主
政治においてはこれが最も必要ではないか。この請願権を尊重して、できるだけ民意を暢達することにお努めに
なつたならば、あの陳情の弊というものは相当防止し除去し得るのではないかと思います。この
意味において、私は特に請願
委員会というものを
常任委員会として特設せられる必要があると思うのであります。
また、
常任委員会を設けられても、特別
委員会を設けられても、私は
委員会というものはクローズド・アツプで、そこでほんとの言論の自由というものがあるのであるということを痛感するのであります。しかるに、今の
国会の
常任委員会のごときは、業者も団体もそれぞれ多くの人が傍聴して、そうしてある
意味からいえば、多数の力をも
つて議員を脅威する、と言うては言葉が少し強いかしれませんけれ
ども、
議員にある圧迫を加えております。エヘンとか、ウフンとか、あるいは嘲笑するとか、他人の言論に対して実にけしからぬ態度をとる者があるのであります。さらにまた、はなはだしいのは、その団体とか業者とかが、書きつけを
議員に渡して、そうして
議員の言論を抑制するような、あるいは指導するような事実も私は知
つておるのであります。かようなことでは、
議員がただうしろ向きに演説したり、質問したり、討論するような弊に
なつて、良心を持
つて自由の発言をなし得ないのではないか、かように
考えるのであります。この
意味において、私は、
委員会はクローズド・ドアーとして、
新聞記者及び
政府、
国会の関係ある職員以外は傍聴せしめない、かように改めてもらいたいと思うのであります。昔の
国会では、衆議院では、
委員会へ
新聞記者だけ入れておりました。貴族院は、
新聞記者も入れずに、書記官をして、審議の内容を報告さしてお
つたために、
新聞社はこれに対して抗議を申し込んで、これを
新聞記者に開放せよ、そうして公正なる報道をなさしめるようにしたらどうか、かようにしばしば貴族院に申したけれ
ども、頑迷なる貴族院はこれを聞かなか
つたのであります。これは、私は貴族院の頑迷に対して不快を感じまするけれ
ども、彼らの言うところの言論の自由——われわれは、ここでほんとうに真剣に自由に討議して行くんだというその趣旨はくんでおるのであります。衆議院が、
新聞記者だけを入れて公正なる報道を正確に迅速にさせたということは、非常にいいことであ
つたと思いますが、今度の
国会においては、これが非常にルーズに
なつております。そうして今申したような弊害があることを私は強く指摘したいと思うのであります。この
意味において、けさの
新聞を見ると、きのうの
公聴会においては、公開せよ、かようなことを言われたお方があるように書いてありますが、
常任委員会の運営の実情をお知りにならぬお方の失礼ですが、ただ観念的
議論ではないかと思うのであります。この点、特別
委員会が設けられ、
常任委員会が設けられるにしても、私は、今申したように
新聞記者、
政府、
国会の関係ある職員以外は傍聴を許さぬというようにしていただきたいと思います。これは決して僻見をも
つて言うのではありません。言論の自由、
国会の言論の自由を愛するがために、特に強く申し述べたいと思うのであります。
なお、この
常任委員会制度について申し上げたいことはたくさんありまするけれ
ども、時間の関係で、この
程度に省略いたしておきます。
次に、
歳費の問題でありますが、この
歳費の問題についてもいろいろの御
議論があると思います。元来、日本の
国会で
歳費を出すのがいいか悪いかということが起
つたときに、
国会議員は名誉の職であるから
歳費を出す必要はないだろう、イギリスでも
歳費を出していないのだ、日本でも出す必要はない、時の藩閥官僚
政府は、憲法を発布し、
国会を開設しただけでも大きな恩恵のごとく
考えてお
つた、その
議員に
歳費を出すごときは不必要だ、かようなる謬論をも
つて歳費不必要論を言
つたのでありまするけれ
ども、しかし、せつかく
議員に
なつたんだから、
歳費ぐらいは出してやろう、まあ郡長の月給より少しいいというくらいでいいじやないか、かようなことから八百円という——当時の部長が六、七百円だから、八百円がよかろうという
程度で、八百円を
歳費にきめたということを古老から聞いておるのであります。それから、第二次山県内閣が地租増徴をするときに、
国会は当時の憲
政党、憲政本党、これらがこぞ
つて反対するような空気があ
つたために、まず自由党の後身である憲
政党を操縦すると同時に、憲政本党も操縦するためにいろいろの苦心をしたのであります。自由党の方は保守党の力によ
つてこれに賛成することにし向けて、それと同時に、
国会全体を操縦する
意味において、八百円を二千円に増額したのであります。当時の
議員はみな自由民権のために闘
つたために、相当疲弊困憊しておりまして、八百円が二千円に
なつては非常に大金を得ることになるので、みな喜んでおりましたけれ
ども、田中正造がこれに強く反対した。しかし、この田中正造の反対に対して、原案の二千円増額に賛成する者がいなか
つたときに、星亨が敢然立
つてこの賛成論をなしたために、この増額案が大多数をも
つて可決せられたのであります。それから、第一次大戦が終
つた後に、
経済界に非常なる変動があ
つて、物価も高くな
つたので、
議員が二千円では少い、三千円にしようということから、これは何ら異議なく、全会一致のような姿で通過したのでありまして、終戦のときまで三千円に
なつて今日に及んだのであります。だから、日本の
国会議員の
歳費については、今まで大した変革はなか
つたのであります。ところが、新
国会に
なつて以来は、この
歳費の問題がいろいろ
世間の話題になるのであります。
私は
幾らがいいかというようなことは、物価指数も知らなければ
議員の
生活状態も知りませんから、具体的に申し上げることは差控えますが、今朝の朝日
新聞に
議員の
歳費の問題が詳しく出てお
つたので、初めて内容をよく知り得た
程度であります。私は、これについてかれこれ申し上げることは差控えたいと思いまするがただ、これだけは申し上げたいと思う。今イギリスでも
歳費の増額あるいは年金制の設定ということが問題に
なつておりますし、またアメリカでも
歳費の増額が問題に
なつております。イギリスの
歳費の増額については、みな大体において異存はないような状態でありますけれどにも、年金制度の設定については
政治的いろいろ考慮せねばならぬというこはとを、ロンドン・タイムスとかあるいマンチエスター・ガーデアンなどが論じておるのでありますが、日本でも、
歳費の問題については
政治的によく御考慮願いたいと思います。私は、今の
議員の
歳費が、今朝の朝日
新聞によると、全体において十七万九千九百円と
なつております。私は十七万円でも十五万円でもいいが、あの小刻みにおとりなるのはおやめに
なつたらどうか、これを率直に申し上げます。ことに
新聞の報ずるところによれば税抜きがある、税込みがある、さようなことは
国民に与える感情から
言つておもしろくありません。十万円でも十五万円でもいいから、一本の形においてこれを
歳費として、
国民として出し
議員としてとられる方がいいのではないか、さように私は
考えるのであります。さらに、これは
議員諸公に対してまことに失礼な申し上げ方で恐縮なんですが、私は、
議員諸公も
国民の崇敬の的として、信頼の的としてあられる以上は、その身を節することにお
考えを及ぼしていただきたいと思います。昔の
議員は二千円の
歳費をも
つて自分の
生活をまか
なつておりました。神田や本郷の安つぽい下宿屋に下宿して、そして電車でこつこつ
国会へ通うておりました。少し気の利いた
議員が、築地の六万館とか水明館、あるいは神田の竜名館、かようなところに住ま
つて、八畳の間で少し楽にや
つておりました。地方の
議員の方は神田や本郷の安つぽい下宿屋の六畳か四畳半で小さい火ばちを囲んでおられたのを見て、今の
議員は実際優遇せられておると思います。
議員会館もあれば
議員宿舎もある、決して和はこれが悪いと言うのではありません。このくらいのことはしてもいいと思いますが、
議員のお方も身を節していただきたいと思います。これはもとより選挙民も悪いでしよう。しかし
議員がそれだけ身をも
つて範を示されたならば、選挙民もまた大いに反省し覚醒するであろうと思います。私は
議員諸公に対しては非常に敬意を表しております。しかし、
議員諸公のうちには、実際目に余るような、
国民の目から見て実際ひど過ぎはしないかと思われるような
生活をしておられる人も決してないとは申せません。いい方は多く
見えません。悪い方は多く
見えます。
議員諸公を前に置いてかような説教めいたことを申してまことに失礼で、私としては相済まぬということは重々
考えておりますが、ただ、ちまたにある声をここに率直に申し上げるのであります。その点どうかあしからず御了承を願いたいと思います。
私、まことにふつつかなことでありますが、まだ他にもたくさんのお方がいろいろ
お話になると思いますから、この
程度でごめんこうむりたいと思います。