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穗積委員 あなたも御記憶だと
思いますが、終戦前のことですが、一九三六年危機説ということが唱えられました。政界の朝野を問わず、こういうことが盛んに唱えられて、そうして
日本の兵力増強、大陸進出の政策をジヤステイフアイするために使われたのであります。その当時におきましてもそうであ
つた。当時、軍の問題あるいは統帥権あるいは
外交権というものが、天皇の大権として帷幄の中にあ
つた場合におきましても、
国民を納得せしめるだけの危機の説明をいたしました。ところが今日、これだけ経済的な負担を
国民に負わせながら、しかも対外的には、われわれに言わせれば非常に殖民地軍的な性格のものをつく
つて危険を冒しながら、そういうことに対する
国民の疑惑を払拭することなしに、ただ漠然と、独立国であるから自衛力が必要である、そうして、現在ではとうてい足りない、集団的な安全保障体制というものが第二次戦争後の一つの潮流であるとか、そういうような抽象的な、御念的な説明では、具体的な
内容を持
つて、具体的な額において徴税されている
国民に対しては説明不十分なので、か
つては一九三六年の危機説が唱えられ、あるいはまた慮溝橋事件その他の説明が行われまして、そして、かくのごとくして
日本の立
つている安全、秩序が侵されつつある危険がある、だからこれだけのことをしなければならぬとい
つた説明があ
つた。ところが今日は、寡聞にしてそういうことはあまり当局から聞いていないのです。そこで私は、率直にあなたの良心と叡知にお尋ねするわけでございます。一体
日本の現在の危機はどういうところにあるのか、
日本の秩序と安全を保
つためにどういう点に力を注がなければならぬのか、その危機の実体というものがなければ、防御力なんというものはつくる必要がないわけである。防衛力をつくる以上は、国内、国際的に何かのそういう危機――侵略とまでは行かぬにしても、そういう危機があるはずであります。その危機は一体どういうものでございますか、身近に強く感じておられる危機はどういうものであるのか、あなたは私の先ほどの
質問に対して、集団安全保障の体制へ持
つて行くつもりだという。私はそういう方法論を聞いているのではない。そういう方法その他は――独自の
軍隊を強化して行くとか、その方法等は後の問題である。それ以前に、こういう防衛力なり集団的
軍事同盟的なものをジヤステイフアイする基礎として、危機の実体が
国民に説明されなければならぬと
思います。そういう
意味で、人の危機に対する危機感が、あなた方から見れば微弱だというふうにお
考えになるかもしれぬが、私
どもは、何も事を好んで、実際は危機があると思うのに、これを隠して、危機がないというふうに
言つているわけではございません。ですから、
政府の
立場に立
つて、
政府の政治論理に立
つて、危機の実体というものをどういうふうにつかんでおられるのか。だからこれだけの兵力が必要なのだ、だからこれだけの兵力では不満足な状態にあるという結論が出て来ると思うのです。その結論を聞かしていただけますならば、話が進むと思うのです。ただ抽象的なことではどうも納得が行かぬので、お尋ねしたいしたいと
思いながらつい機会がなかったのです。先ほど言いましたようにあなたの叡知と良心に訴えてお伺いしますから、率直に危機の実体をどういうふうにつかんでおられるか、共産党の間接侵略もその一つと判断されているかもしれませが、いろいろございますので、この際ひとつ解明して
国民に説明していただきたいと
思います。