○
青柳委員 今回
中国視察に本
委員会から行かれました方は、私のほかに
村瀕先生、さらに
社会党左派の
田中先生は当時
中国におられましてこの
引揚げ問題にも御尽力を大いに
願つたのであります。ただ御
指名でございますので私から御
報告をいたしたいと存じます。
今回のわれわれ
議員団一行が
中国を視察いたしますようになりましたのは、
日本の国と
中国との間に遺憾ながらまだ国交が回復いたしておりません。従いまして、
中国人民外交学会の名においてわれわれを招聘せられたのであります。その
目的とするところは親善が主たるものであ
つたと存じます。しかしながら、われわれ
一行の
気持といたしましては、現在
日本と
中国との間に大きい問題とな
つております
引揚げ問題、さらには漁船の拿捕の問題、また
貿易問題等の重大問題につきましては、何とかしてこの
機会を利用し
中華人民共和国政府と談合を重ねてその
解決に
努力したいという
気持を持
つて参りました。われわれが
北京にやつと安着いたしましたのは先月の二十九日の昼でございましたが、このわれわれが
政府当局と折衝などいたしまして
解決をはかろうとする問題に取組み得ましたのは
——ちようど当時
御存じのように
中国では第五回の
国慶節が行われました。その前の
各種の
行事、その後の
行事など山積いたしまして、これらの問題に取組み得ましたのはその後であります。
引揚げ問題につきまして前からわれわれ
一行から
要望をしてお
つたのでありますが、それに応じまして
中国紅十字会の
会長李徳全
女史から、われわれに来てくれろと言われましたのは十月六日でございました。われわれと
中国紅十字会の
幹部との間の話合いは十時から十二時半まで二時間半に及ぶものでございました。まず
杉山元治郎先生がわれわれ
一行を代表して簡単なご
あいさつをなされました。さらに、
社会党左派の
佐々木先生が、
一般居留民の問題につきまして、できるだけすみやかに
釈放をしてもらいたいという御
要望をされました。それに引続きまして私は
一行を代表いたしまして数項に及ぶ
要望並びに
質問を申しました。
それはどういうことであるかと申しますと、次のようなことであります。
まず第一に、
従前から
李徳全会長以下
中国紅十字会の
日本人送還問題に関する御
努力を非常に謝するとともに、われわれが
日本を立ち去
つた日かその翌日ににまた
引揚船が
舞鶴についたことを思うと、まことに
感謝の意にたえないものである。これから
一般居留民問題並びに
戦犯の問題につきまして、わけて
要望なり
質問なりをいたそうと思います
——。
まず第一に、
居留民の問題についてでありますが、これにつきましては四つの点の
要望があるのであります。第一に、
個別帰国希望者に
中国紅十字会が
帰国の
援助をされることにな
つていることについては、これは非常にうれしいことであ
つて、
感謝の意を表します。ついては、その
援助の
内容と
方法についてお知らせ願いたいと同時に、
機会あるごとにその
援助の
内容について
日本人居留民にもそのことを周知徹底させてもらいたいという点であります。第二は、
日本におきましては、便船によ
つて個別的に
帰国する者につきましては、
本人及び
留守家族が船の運賃を負担することができない場合、
日本政府においてこれを負担する制度が設けられているのであるが、このことをすべての
居留民に知らせてもらいたいという点であります。第三は、すべての
残留日本人について
家族との
通信ができるように
中国紅十字会においてあつせん
援助をしてもらいたい。
居留民の中には現在
通信の便宜があるということを知らないか、あるいは何らかの
事情で
留任家族に
通信を送れない者があ
つて、その
安否が不明のために
留守家族はいたずらに焦慮しておるので、そういう人に対しては、
日本の家郷に
通信することをあまねく勧奨されるように紅十字会の極力の御配慮を
お願いしたい。特に
日本における
留守家族の現住所が判明しないため
通信を送り得ない者については、直接
本人から
日本赤十字社へ
当該留守家族宛の
通信を寄託することにするか、または
中国紅十字会において一旦
通信を一括して受託されて、これを
日本赤十字社へ送る
方法か、いずれかの
方法による
通信が実現されるように御配慮願いたい。
最後の
お願いは、われわれ
議員団一行からの
お願いでなく、あるいは
日本赤十字社からの
お願いになるかとも思うが、私自身は実は
日本赤十字社の役員であるのであえて
お願いするが、最近まで
通信があ
つた者でその後とだえたもの、または何らかの
事情で
帰国していない者に対して昨年六月以来特に
中国紅十字会の
調査をご依頼したけれ
ども、いまだ何らの
回答に接していない。いろいろの
事情で
調査が困難と思うが、今後ともあとう限り御
協力願いたい。さらに、もう
一つ、すでに
帰国船で
日本人たる夫に
従つて入国した
中国人である妻、さらにまた
中国人の妻である
日本婦人で単独
帰国した者の中で、最近
中国に帰りたいと申し出て来ている者がある。これらの
婦人の再渡航に関する
中国政府の御意向が聞きたい。この五点が
一般居留民に対する
要望であり、
質問である。
第二の問題は、先ほど申し上げましたように
戦犯に関する問題でありますが、これから私が
発言する
内容は、そのすべてが
李徳全会長の主催する
中国紅十字会の
任務ではなく、他のあるいは
軍関係のものが多いとも思うけれ
ども、
従前からの御厚情によ
つて、しかるべくそちらの
関係の方に御伝達の上、われわれの
希望実現にご
協力願いたいと申しますと、
李徳全会長は、喜んで伝達し、
協力を誓うと
答えられました。なお続いて一括して
質問を
戦犯について続けてもらいたいということでありましたので、私は四項目にわたりましてそれを申したのであります。
最初に、一九五〇年、
昭和二十五年の夏に
日本人戦犯九百六十九名、これが
ソ連政府から
中国政府に引渡されたとのことであるけれ
ども、これらの人人、さらにその他の
戦犯者及び
中国によ
つて何らかの処罰を受けている
服役者、これらの氏名並びに刑期を知らせられたい。なお、これらの
人々については
釈放並びに減刑など寛大な
措置がとられて一日もすみやかに帰還の
機会が与えられるように願いたい。第二の問題は、
戦犯者並びに
服役者については現在
日本の
家族宛に
通信が来ていないか。聞くところによりますと、
ソ連邦におきましてはすでに
戦犯者に
通信の自由を与えている。われわれも二、三日前に
北京におきまして
監獄を見ました。その
監獄には
政治犯もおります。そして、聞くところによりますと、これらの者には
通信の自由が与えられているのであります。わが国の
戦犯のみに
通信の自由が与えられておらぬということはどうしてもわからないのであります。何とぞこの
通信を許していただきたい。第三の点は、
ソ連においては
戦犯者に対して
留守家族からの
慰問品を送ることを許しているが、
中国はまだこれを認めてくれない。何とぞ
日本からの小包を届けるようにしてもらいたい。さらに第四の点は、
戦犯者、
服役者中の
死亡者についてその
名簿をいただきたい。
中国においては病院も
監獄も整備している。これらの
死亡者はわかるはずであるから、何とかしてその
死亡者の
名簿をもらいたい。
日本におきたしては、戸籍の整備、相続の
関係もあ
つて、すみやかにその
安否を
留守家族に伝える必要があるからである。これが私の
要望であります。
李徳全女史はそのご
あいさつの際に赤十字の精神を説かれました。そしてその
人類愛を基調とすることを高く叫ばれたのであります。
引揚げ問題は、
国家と
国家の間のいわゆる国際政治問題ではありません。外交問題でなくて、実に
人類愛に基く情熱で
解決しなければならない問題であります。
引揚船が
舞鶴に入港するとき、その船に
自分の夫の乗船していないことが明らかなのにかかわらず、
子供の手を引いてその港に立
つて、
引揚者を迎える
家族の喜ぶ
状況を見てまた帰
つて行く若い母あるいは
子供の多数あることを考えてください。私は今日
日本国民を代表して申し上げるのではありません。
日本に生きている
人間を代表して
李徳全会長の
人類愛におすがりし、なお一層の御
協力を願うものであります。さらにこの際つけ加えなければならぬ問題は、
戦争中日本で生命を
失つた中国人の
遺骨送還の問題であります。これらの問題は、
日本において七箇所に安置せられ、先だ
つてもその
慰霊祭が行われました。われわれはこの
送還に今後とも
十分努力をいたしたいと思う。
李徳全女史は近く
日本に行かれることにな
つているが、
日本に行かれた際に
李徳全女史が
日本に対して要求するこれはそのことでもあろうし、その成功もわれわれとして期待したいものであるということを申したのでございます。ただ、私の
言葉が過ぎた点があるかもしれないけれ
ども、それは
人間として許してもらえることであろうとつけ加えました。
これに対して、
李徳全会長の
答えは、私はまず
日本人の
帰国に際して起る困難に対しては進んで
援助をしております。しかし、今日私の
任務以外の点についての
お話もありましたが、それについてはお
答えすることはできません。これらのことは
関係方面によくお伝えして
協力をいたしましよう。
中国人遺骨問題については、前にも
送還していただいてまことに
感謝にたえない。ただいままたその後の
遺骨送還に
努力すると言われた。まずも
つて前からお礼を申し上げておく。国際間の
友好関係は今後も十分強力なものにしなければならないと思います。
戦争は
日本人だけでなく
中国人にも同じように困難を持ち来しました。
中国人は
戦争によ
つていろいろな困難な目に会いました。
中国人は、
戦争によ
つて与えられた損害については忘れられないのです。何とぞ
中国人民の心中も了解してもらいたい。
帰国したい
日本人を帰す問題は、
政府より依頼があれば、
自分は必ず
援助をする。ところで、お尋ねの
中国から
帰国する
日本人に対する
援助については、
さきに三
団体の
方々が
北京に来て話し合
つて発表したコミユニケに明白である。
日本までの
旅費、
宿泊費、
食事代は
援助をいたします。そうして生活困難な者に対しては一定のそのほかの物質的の
援助も与えます。今後もこの
援助は同様に実施いたします。
帰国するために船に乗るまでの間のことは
中国において必ず
援助をいたします。さらに
通信については、
中国は
従前から相当の
援助を払
つて参りました。
日本人が紅十字会を通じ
日本赤十字社に
通信を送
つてくれと言えば、喜んでこれを実行してあげましよう。直接
日本赤十字社に出してもよろしいです。さらに
東北の
居住日本人については、
自分の聞いているところによると、
奉天に
民主新聞というものがあ
つて、その
新聞社と
日中友好協会とが連絡して、その
日本における
家族の住所を確かめることができたと聞いております。これも
一つの
答えであります。
戦犯者についてもいろいろ聞いて知
つているが、しかし現在のところ私はこれについて責任を持
つて言うことはできません。そこで私は今度は
青柳さんに
質問がある。
日本に
帰つた人々の生活はどうであるか、と言うのであります。
私は、その大部分のものはすでに職業について、
住居も与えられました、こう
答えたのであります。ところが、それがほんとうであればまことにうれしいことである、こう重ねて言われるのであります。私といたしましては、さらにそれに
答えて、
中国から帰
つて来た
日本人の
方々に対しては、就職についても優先的なあつせんをいたしております。さらに
住居がないときには、大きい施設ではございませんけれ
ども、小さいながらも
住居を新設な
どもしておるのであります、こういうふうに
答えたのでございます。
これが
最初の十月六日の
会見の
模様でございます。
ところが、この十月の六日宿に帰
つてみますると
——、その前にわれわれ
団体から、われわれを招聘した
中国人民外交学会を通じまして、今回われわれは
東北地方に行く、
従つて東北地方におると思われる一九五三年に
ソ連から
中国が引受けた
戦犯に会いたいという要求をしております。ところが、
ちようど李徳全
女史に会いまして宿に帰りましたその日の夕方、これに対しまして、遺憾ながら貴意には沿いがたいという
返事が
参つたのであります。それはあとの
お話にいたします。
ところが、十月の十日の夜中でございましたが、あくる日いよいよ
周恩来との
会談が持たれるということに相な
つたのであります。この
周恩来との
会談は実に数時間にわたるものでございましたが、そのうちで
周恩来の口から直接
引揚げにつきまして朗報を受けた点を御
報告申し上げます。
すなわち、その言うところによりますると、
戦犯者をつい先月末にまた
帰国させたのであるが、その数は四百余人である。
従つて現在
中国に残
つておる
日本人戦犯者の数は十名余にすぎない。これには二種類ある。
一つは
ソ連から
中国が引受けた九百名余りの者である。他は
閻錫山軍に参加して
中国人民と
戦争した者のうちの
罪刑の重い
上級者約百名である。われわれはこの問題を処理する用意がある。われわれの
政府にな
つてから
戦犯者に対してむごいことをしておらぬことは知
つておるだろう。前の
国民党政府はああいうむごいことを
戦犯者に加えたが、われわれとしてはそういうようなことはしないのである。できるだけすみやかにこれらの
戦犯者についての処理を行おうと思う。さらに、
皆さんの心配しておられるという
戦犯者と
日本にある
家族との間の
通信は、これを
許可することとするということを言明されました。またさらに、
中国紅十字
会長李徳全
女史以下の同会の
幹部は今月の末に
日本に行くけれ
ども、そのときにこれら
戦犯者の
名簿を持参して
日本赤十字社といろいろそれによ
つて相談をしようという明言もこの際得たのであります。さらに、
周恩来総理の言うところによりますと、
一般日本人居留民は
日本国内と
通信することは現在許しておる。このうち大多数の者は
日本に帰りたくない者である。帰りたい人は帰りたいように
希望を十分に達せしめてもおるし、今後も進めて行く。強制的にとどまらせる
意思は少しもない。本月は何十名、その次の月は何名というふうに長期にわた
つて帰国させる。集団的のものは今後行わないことになる。さらに、
中国人民は
日本に四万人ほどの多数が現在とどま
つておる。そのうちには本国に帰りたい人もあるし、また少数の者には台湾に行きたいという
希望を持
つておる者もある。私は彼らをその
自由意思によ
つて行動させようと思う。しかしこれらの問題すべてを通じて、結局中日間の交通を復活させねばならぬというところが重点である。こういうことが
周恩来総理のわれわれに対する
引揚げ問題についての
お話であ
つたのであります。
この
会談は実に
友好裏に数時間に及びました。そうして、
周恩来の
返事も、一時間半あるいは二時間ぐらいの長さにわた
つて、いろいろな
自分の
意見を交えての話がありました。そうして
最後にまた重ねていろいろな
意見の交換がありました。われわれの同僚のうちから、この際
周恩来に対して
発言をして、そうして
東北にわれわれが
行つた場合に
戦犯者と会えるようにしてはどうかと言うて私に勧める人が多数にございました。しかし、事は非常に
友好裏に進んでおるし、
軍当局が許すか許さないか、この問題を表面に取上げることについては何だか遠慮がされました。従いまして、そこでおわかれするにあたりまして私は直訴をいたしました。
通釈の人を連れて
行つて、
周恩来に対して、お国の
ソ連から引受けた
戦犯者には
日本の人を一ぺんも
会見を許してくれておらない、これは先般
ソ連も許しておる、またお国の
政治犯を含む
監獄においても
通信なり
面会がやはり許されておるのに、何とかしてこの際会わしてくれろ、会うことによ
つて、これら
戦犯者が元気でおるということを国に帰
つて報告することがどれだけこの
戦犯の
家族の
方々の心情をやわらげるかわからないのだ、何とかしてこれをやりたいのだという
要望を直訴いたしました。これに対して、
周恩来は、もつともであります、そう初め申しました。そうして、少し考えさせてください、
——この少し考えさせてくださいと通訳が言い
終つたときに、また
ちよつとそれをとめて、少し検討させてくださいと言い直しました。
さらに、次のこの問題についての
会談は、われわれが
北京を去
つたは十月十四日でございましたが、その前の日、十三日に紅十字会また
李徳全先生から呼ばれたのであります。そして、このときの話は、これは
李徳全さんの話でありますが、
中国紅十字会は
人道主義にのつと
つて日本人の
帰国を
希望する人には必ずかなえてあげる。しかるにここに帰りたくない人がある。
自分たちの計算によるとそれは第一に四千七百人以上に上る
日本婦人である。これは
中国人とすでに結婚しておる
人々であ
つて、
帰国するならば離婚して帰らなければならぬ。
政府はこれらの人が離婚して
帰国することを勧めもしないし干渉もできない。帰りたい者があるならば、離婚して帰るときにはいかようにもお世話いたしましよう。さらにこの四千七百人の
日本婦人、その五分の一の数に当る
日本人が
帰国を
希望しておらないのである。これらの
人々は多く
東北すなわち
満州の
奉天並びに
上海にお
つて、これらの
人々に
面会することはよろし。これが帰りたくない人である。その他の
日本人で
帰国を
希望する人もおる、それらの
人々が現在香港をまわ
つて帰る
旅費の問題に悩んでおるけれ
ども、
中国はこれらの
人々に
各種の
援助を行うことは
さきにお
答えした通りである。先月末に四百十七名の
戦犯者と百人以上のその他の
日本人を帰したのであるけれ
ども、かかる
人々を
日本の三
団体と交渉してなお本年十二月か来年一月に
帰国させる。これには二隻の船がいる。これが
終つたならば
締切りである。
李徳全女史の言う私の
日本訪問は二十五日前後に
日本に着くことになるということ。さらに、現在
中国にお
つて帰国を欲しない
日本人が
日本の国におる
家族を呼びたい、すなわち
日本から
家族を呼び寄せたいというときには紅十字会はこれに
援助すると申した。この
援助するということは、
中国政府で方針をきめてお
つて、それを紅十字会が
援助するものであるという声明であると感じました。さらに私
どもが
さきに
願つた、
日本人の妻として夫とともに
日本に
行つておる
中国婦人及び
中国人の妻で
引揚げて
日本に
行つた日本人にして、
日本におりたくない、
中国に来たいというなら、
中国に帰
つて来ていいような
措置をとりましようと申しました。さらに、一番
最後は、
日本におる華僑からの手紙によると、
日本政府から圧迫され困難をしておるという
模様である。
中国にどうしても帰れと言われて困難している者があるとのことだ。
中国は完全に
日本と
友好関係を持ちたい。紅十字会も、
日本人民及び
中国政府の
希望に基いて
日本と
友好関係を持ちたいものであるという
発言を向うからまず聞かされたのであります。これに対しましては、過日
周恩来総理と
会談のときに
戦犯者への
通信を許してくれるとか
名簿を持
つて来るとかということを聞いて喜びにたえないところである、しかしまた今日ここで新しくいろいろなわれわれの
要望を入れた御
回答に接しましてまことにありがたい、ついては一点だけ
質問させてくれ。それは何かというと、近い将来行われる
二つの船による
集団引揚げにはいかなる人を乗せるか、それに乗せる人を集めるにはいかなる
方法をとるかという点である、こう
質問いたしました。それに対して
——先ほどの
李徳全さんの話は
戦犯者もその他の
一般の
居留民も含んでの話であるように聞いたのでありますが、今度の
答えは、それは主として経済上困
つておる人を集めて帰すことにするのである、その
人々を乗せるためには、あらゆる手段を講じて周知徹底させるということでありました。もう一点
質問させてくれろと言うて、先ほど、今度の
二つの船による
引揚げが行われると、それで
締切りであると言われた、その際まだ残
つておる
日本人で帰りたい者があ
つた場合はどうするのか、これをつつ込んで聞きました。そうすると、その
答えに、もし残
つておれば、それはさらに個々に
引揚げるという
答えもあ
つた次第でございます。それが十三日の
会談の
状況であります。
われわれは十四日に
奉天に着いて、そして十九日に
上海に出発したのでありますが、その前日の十八日突如としてわれわれに対して、今回や
つて来た
日本議員団一行に対して一時間の時間を
限つて戦犯と
面会を許すという
軍事委員会からの
許可が参りました。突如十八日の一時半であります。われわれはただちにバスに乗
つてその
戦犯拘置所におもむいたのであります。この
戦犯拘置所は、
御存じの方もおありになると思いますが、
奉天から
撫順に参ります。そうすると、
撫順の
入りがけに運河が流れております。それに大きい橋がかか
つております。その橋を渡らないで手前を左の方へ約一キロ進んだところでございます。
撫順の北の郊外と思われます。そういう
許可が得られましたことは、まことに私
どもといたしましては
最後の
目的が達せられたように思いまして、全部の
人々がとも
どもに大きく喜んだのでありますが、ここに
行つてみますと、やはり普通の
監獄であります。新築でありますが、約四メートルくらいの壁をめぐらしまして、その上に電流を通じた
鉄条網、あれで二町四方くらいございますかの広さ、四角なところです。四隅に
監視台がございます。まん中に
本館があ
つて、その
本館の上にも
監視台がある。新しくできたものでありまして、大体清潔でございます。われわれは全部
戦犯の
収容所の中を一時間を限
つてまわ
つたのであります。初め参りますと、両側に三
部屋くらいずつ
中国の人がいる、これらの
人々は
皆さんに
関係のない人で、見る必要はないと申しましたが、私と一緒に
行つた方々がちらつと見ると、そこには
満州国の前大官である支那人が監禁されておりました。それを過ぎて参りますと小さい
部屋がある。大体四人ないし五人くらいずつ
日本人が監禁されている。私はその
一つの
部屋で私の
高等学校時代の親友である前
満州国総務庁次長古海忠之君に会いまして
言葉をかわすことができました。元気でおれよと言いますと、君も元気でと言うて、非常に元気で迎えてくれました。そういう小さい
部屋を通りますと大
部屋があります。これは十五、六人ないし二十人ぐらいいる。大体勉強しております。教育を受けているものと思います。これらの
戦犯者は仕事は別に与えておられぬそうであります一日に四時間の運動をやるということであります。そこを通りまして
病室を見ましたが、
病室な
ども非常に完備しておりました。お医者さんも数は七、八名、
看護婦も十九人とか申しましたこれは
ガラス越しに見たりしたのでありますが、中も清潔でありまして、この
病室に二十五人の人を発見いたしました。帰
つて来てから、どれくらいお
つたろうかという計算をしたのですが、これはなかなかむずかしか
つたのでありますが、一応われわれの考えを申し上げますと、小さい
部屋が二十四、大きい
部屋が三十二、これを計算いたしますと、
病室にお
つた二十五人を加えて、多く見ても六百であります。九百六十九名全部が入
つてはおらないというのが私
どもの結論でございました。
そのほか御
報告すべきことは、
奉天において、さらに
上海において在留
日本人の十数名と
会談する
機会を得させてもら
つたのでございます。これらは主として
帰国を
希望してない
人々であります。大体の考えとしては、われわれは新
中国の建設のために
努力をしたい、その理由は、新
中国の建設ができることは
日本のためになるからであるというのが、こういう
人々の大体の考え方でありました。しかし、ひざ突き合せて話してみますと、
日本に帰
つても職業はない、
——約七割の失業ということを言
つておりましたが、これは何らかの間違いであろうと思いますが、
日本に帰
つても職業はない、また
中国において相当優待されておるというのが理由であろうと存じます。たとえばお医者さんにしましても、
国家試験はありません。
看護婦をや
つた人が女医として働けるというようなことは、向うではできても
日本に帰
つてはできないというようなこともあろうと考えます。
上海におきましても、
上海の
居留民との
会談を済ませましてひざ突き合せて話し合いますと、やはり帰りたいという
気持は持
つているように察せられ、非常に苦悶の色が顔に現われるという
状況を私は現に見たと思うのであります。
これらの私
ども一行が行いました
引揚げに関する
努力、これに対します
中国紅十字団会を通じての
中国政府の好意、この好意は何としても忘れられぬ非常に大きいものでありました。われわれといたしましては、この
引揚げにつきましては、
中国政府なり
中国紅十字会に心の中から深く
感謝感激しておる次第でございます。
まことに粗雑な御
報告をいたしました。
ちようど村瀬
先生も
田中先生もおられます。私の足りないところは両
先生から補
つていただきたいと存じます。これをもちまして私の御
報告を終ります。