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古内説明員 お答えいたします。
最初に、この問題は
オランダ政府とまだ交渉中に属しますので、新聞には書かないでいただきたいと思います。
この問題のおもなる部分は法務省
関係のことですから、私からお答えするのはどうかと思いますけれ
ども、まず、御
指名がございましたので、
外務省に関するところに重点を置きまして御
説明いたします。
林鉄夫さんという方は、戦争中憲兵として南方のセラム島に駐屯しておられたときの事件のために戦争後
オランダ官憲につかまえられまして、
昭和二十二年の三月に蘭印のアンボンの
オランダ軍事法廷で終身刑の判決を受けまして、その後現地で服役されてお
つたのであります。
昭和二十五年一月二十三日に
巣鴨に帰されまして、その後
巣鴨で服役されてお
つたのであります。その間の管轄はもちろん占領軍にあ
つたわけあでりまして、
日本政府官憲はこれに
関係はなか
つたわけでありますが、林さんに関しての
日本側の
巣鴨拘置所の
係官、法務省の責任当局が、
巣鴨におられるいわゆる
戦犯者の
方々をお引受けしたときに、占領軍から引継いだ書類があるのであります。その書類によりますと、林さんの刑が十年とな
つておるわけであります。
日本官憲が引継いだ当時は、
オランダの軍法
会議が下した判決の書類そのもの、あるいはその写しはなか
つた。その当時占領軍から引継いだ書類だけが唯一の権威ある書類でした。それによりますと、林さんは十年とな
つていた。それで、
日本側の官憲は、その書類によ
つて林さんの服役を進めて行かれました。その間
オランダ側から
減刑措置が三回ございまして、十年の刑が一年短縮され、九年にな
つていたわけです。そこで、法律的な善行特典ということと未決勾留の通算ということを計算いたしますと、
釈放になる九年が
ちようど二十八年の六月に来るわけであ
つた。
日本側としては、善行特典及び未決勾留の通算によ
つて九年に
なつた、その九年が昨年の六月に来たので、満期
釈放にしたわけであります。そして、
戦犯の
方々ののいろいろな身分の変化はその都度
関係国に通報することにな
つておりますので、その満期
釈放を通報した。ところが、非常に不幸なことであ
つたのですが、林さんの名前を
オランダ官憲が見まして、そこで問題が起
つて来たわけです。先ほど申しましたように、
日本側が林さんについて書類を受継いだときには、
オランダの方の判決書はなか
つたわけでありますが、その後
オランダはインドネシアの
政府からその判決の引渡しを受けまして、これも時期的には昨年の五月ころかと推定されますが、
オランダの
政府がその判決を手にしたわけです。それにこちらから行
つた通報を照し合せてみまして、
オランダ政府が、ちよつとこれはおかしいぞ、
日本側で満期
釈放とおつしやるけれ
ども、実は林さんは終身刑じやないか。そこで、われわれの方でもびつくりいたしまして、法務省ともいろいろ調べてみましたし、どうしても受継いだ書類は十年とな
つておるわけでありますから、その旨在京の
オランダ大使館並びにヘーグにおける
オランダ政府に対して引継ぎの事情を
説明いたしました。どうも間違いない、われわれ
日本側としては引継いだ書類によるほかないのだし、それによ
つてこうこうしかじかという
説明をいたしましたら、
向うは判決の方を見せまして、こういうふうにな
つているということで、林さんに関する不幸な問題が去年の夏ごろからずつと起
つて来たわけであります。
それで、私
ども日本側の
態度といたしましては、見せられたその判決に無期とあることは確かなんでありまして、従
つて、何はともあれ、どの書類によるかと言えば、やはり判決書によることが正しいのかもしれませんが、しかし、他面
日本官憲が正しく受継いだ書類、あるいはそれ以外による書類がなか
つたということは正しいわけでありますから、
日本側官憲の
とつた
態度にも落度はないということを十分
説明いたしました。判決は無期とあることはあるけれ
ども、しかし
日本側の
とつたところは落度はないし、責任もない。また御本人も六月以来自由の身にな
つておられて、いまさら御本人を
巣鴨に帰すということはとうていできることではないということでも
つて説明したわけであります。ところが、
オランダ側としては、それじやどうしてそういう手違いがあ
つたのかということで、
アメリカにもいろいろ問い合してお
つたようでありますが、要領を得ない。突き詰めて言えば、
オランダ側としても、十年の刑として、それに三回にわた
つて減刑をしているようなこともありまして、
オランダ側も初めは十年で間違いないと思
つていたに違いない。責任ないし落度ということになれば
オランダにもないとは言えない。それから、おそらくタイブの間違いであ
つたと思いますが、終身刑という判決から十年というふうに間違えた
アメリカの方の行き違いもございましよう。そこで、
日本側も、そういうふうにや
つたことは正式の書類でや
つたんだからということで、この際責任とかそういう問題はお互いに別にして、ひ
とつ林さんだけはそのままおられるようにしてくれということを再三頼みました。同時に、なおそのほかに二百何名の
オランダ側のいわゆる
戦犯者があるわけでありますから、林さんの問題とは別に、その問題もこれからいろいろデイスカツシヨンするけれ
ども、ほかの者の仮
釈放、
減刑釈放の手続も進めてくださいということを、へーグの
日本大使館を通じ、あるいは
外務省から
オランダ大使館を通じてお願いもし、また去年の秋欧州を御旅行なさ
つた法務省の
土田委員長も、直接
オランダに
行つてそういう交渉をなさ
つたのであります。
結局、半年ほどす
つたもんだいたしました結論から見ますと、
オランダは、判決がきちんと出て来た以上、その判決通り林さんに対する刑の執行をしてもらいたい、それに対して
日本政府が誠意を示さなければ、
オランダの国内事情といたしまして、ほかの
戦犯の仮
釈放の手続を進めることは困難だということをほのめかして参
つたのであります。普通のことと違いまして、こういう問題でどこまでつつぱ
つて行
つたらいいかということは非常にデリケートな問題でございます。というのは、どつちが正しい正しくないかという
議論は別にして、とにかく現に二百何名の
オランダ関係の
戦犯者がつかま
つておるということはわれわれとしては非常にお気の毒なことであります。そこで、半年以上いろいろや
つた結果、われわれといたしましては、やはりこの際
オランダ側が誠意を示せというその線に乗りまして、林さんとも十分話合いをして、林さんに一度帰
つてもら
つて、
日本側で筋を立てまして、しかる後
向うが今まで滞らせておりました仮
釈放の促進をこちらから頼む、さらに林さん自身についても、判決が出て来て、いろいろ交渉の結果、まことに気の毒だけれ
ども、
巣鴨にもど
つてもらうが、これはまことにお気の毒な次第だから、林さん自身になるべく早くあらためて
減刑、仮
釈放を出してもらうという交渉をした方がいいのじやないかということに結論を出しまして、その旨つい最近へーグに訓令を出しました。それから東京における
オランダの
大使館に対しまして交渉をいたしました。現在のところ、へーグで得ました回答においては、
オランダは確かに林さんを
巣鴨に連れもどすということに対する
日本側の誠意を認めまして、ほかの
戦犯釈放の手続を至急進めるということを
言つておるのであります。但し、その数が何名になるのか、また明日になるか、明後日になるか、あるいは十日、二十日かかるのかわかりませんが、とにかく至急進めるについては林さんが現に
巣鴨に入
つた日にすぐに
オランダ側に通報してもらいたい、そのときからほかの方の正規の手続を進めるからという回答をごく最近得たのであります。率直に申しまして、林さんは納得されまして、来ることになりましたが、おうちの都合もありますので、まだ
巣鴨にはもど
つておらないのでありますが、近くお入りになり次第、その旨を
オランダ側に正式に通報いたしまして、他の
戦犯の
釈放手続を進めてもらうようにいたしたいと思います。
なお、先ほど申しましたように、その方をやると同時に、林さん自身について、今言
つたようなまことに不幸な偶然によるお気の毒なことでありますから、十分それをくんでもら
つて、林さん自身もなるべく早く出られるように交渉いたしたいと思
つております。交渉の途中において、
オランダ側は、こつちの
説明によ
つて、
日本政府にもなるほど落度がないということを認めました。そこで、結局どうしてこういう間違いが起
つたのかということを非常に
考えてお
つたようであります。それで、一つは、林さん自身が金でも使
つてアメリカ官憲でも買収して終身を十年にしたのじやないかというような
——全然林さんを知らない
人たちですから、そういうふうに悪く
考えたこともあ
つたようですが、林さんから直接聞取書をとりまして、それによりますと、林さん自体は自分は終身刑だということがわか
つていたわけであります。ただ、引継ぎの書類でも
つて十年とな
つている以上は法務省当局としてはいわゆる
戦犯者の言うことにとらわれる必要はないので書類によ
つてや
つたということの経緯を
説明いたしましたところ、
向うも林さん自体の誠意について疑わなく
なつたので、
オランダ戦犯関係はこれによ
つて幾分好転するのじやないかと期待しております。