運営者 Bitlet 姉妹サービス
使い方 FAQ このサイトについて | login

1954-10-19 第19回国会 衆議院 運輸委員会 第43号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十九年十月十九日(火曜日)     午前十一時十八分開議  出席委員    委員長 關内 正一君    理事 岡田 五郎君 理事 鈴木 仙八君    理事 關谷 勝利君 理事 山崎 岩男君    理事 山口丈太郎君       天野 公義君    徳安 實藏君       西村 英一君    有田 喜一君       臼井 莊一君    並木 芳雄君       青野 武一君    楯 兼次郎君       正木  清君    中居英太郎君       竹谷源太郎君    吉川 兼光君       館  俊三君  出席国務大臣         運 輸 大 臣 石井光次郎君  委員外出席者         運輸事務官         (鉄道監督局         長)      植田 純一君         海上保安庁長官 山口  伝君         運 輸 技 官         (船舶局主席船         舶検査官)   水品 政雄君         運 輸 技 官         (中央気象台予         報部長)    肥沼 寛一君         日本国有鉄道総         裁       長崎惣之助君         日本国有鉄道理         事         (営業局長)  唐沢  勲君         日本国有鉄道技         師       荒木 善之君         専  門  員 堤  正威君         専  門  員 志鎌 一之君     ――――――――――――― 十月四日  委員大久保武雄辞任につき、その補欠として  石橋湛山君が議長指名委員に選任された。 同月七日  委員天野公義君及び竹谷源太郎辞任につき、  その補欠として八木一郎君及び三輪壽壯君が議  長の指名委員に選任された。 同月八日  委員八木一郎君、齋藤憲三君及び三輪壽壯君辞  任につき、その補欠として天野公義君、岡部得  三君及び竹谷源太郎君が議長指名委員に選  任された。 同日  委員天野公義辞任につき、その補欠として灘  尾弘吉君が議長指名委員に選任された。 同月十一日  委員灘尾弘吉君及び柴田義男辞任につき、そ  の補欠として天野公義君及び正木清君が議長の  指名委員に選任された。 同月十二日  委員岡田勢一君辞任につき、その補欠として加  藤高藏君が議長指名委員に選任された。 同月十四日  委員加藤高藏辞任につき、その補欠として伊  東岩男君が議長指名委員に選任された。 同月十九日  委員岡部得三辞任につき、その補欠として並  木芳雄君が議長指名委員に選任された。     ――――――――――――― 本日の会議に付した事件  台風第十五号による洞爺丸等遭難事件に関する  件  嬉野線国鉄バス事故及び相模湖遊覧船沈没事件  に関する件     ―――――――――――――
  2. 關内正一

    ○關内委員長 これより会議を開きます。  台風第十五号による洞爺丸遭難事件に関し調査を進めます。まず先般本委員会より本事件調査のため現地委員を派遣し、実地調査を行つて参りましたが、調査班より報告の発言を求められておりますので、これを許します。山崎岩男君。
  3. 山崎岩男

    ○山崎(岩)委員 ただいまより洞爺丸等国鉄青函連絡船沈没事件調査のため、本委員会より派遣せられました調査団を代表いたしまして、調査の結果について御報告申し上げます。  本調査団は自由党山崎理事、改進党臼井委員日本社会党楯委員日本社会党竹谷理事及び現地において参加せられました小会派クラブ館委員の五人をもつて構成せられたのであります。  一行は一日東京発、一路函館に向つたのでありますが、途中連絡船第十二青函丸について航送船の構造及び設備等に関し実地調査を行つた上、二日午後函館に到着、直ちに七重浜、国鉄職員集会所、慰霊堂に遭難死没者の霊を弔い、渡辺病院に生存者を慰問した後、菊川、富吉両代議士御遺族に弔意を表しました。  翌三日より調査を開始いたしまして、午前中は函館海洋気象台において竹内台長、成田予報官より事件発生当日の気象状況青函鉄道管理局との連絡等について説明の聴取、質疑を行い、午後函館海上保安部において渡辺第一管区海上保安本部長及び木村函館海上保安部長松崎図誌課長より洞爺丸等連絡船の遭難状況、当日の気象状況海難救助作業、航送船の構造等について、海上自衛隊において大湊地方総監部小国総監より救助作業について詳細説明を聴取、種々質疑を重ね、さらに青函鉄道局に第十二青函丸祐川船長亀谷一等航海士等を招致しまして、遭難当日の同船の状況について詳細説明を聴取いたしたのであります。  四日午前中は青函鉄道局長室青函鉄道局現場関係者、すなわち今村無線区長田添船員区長、小川駅長、西田さん橋長、山本同助役、工藤電務区長を、午後は高見青函鉄道管理局長森船舶部長川上海務課長成田運航司令中沢運輸部長をそれぞれ招致いたしまして、事件発生当日の気象判断並びに気象台との連絡、各連絡船、特に洞爺丸の出港前後の状況、関係部局、現場間の指令連絡、浅井総支配人等の動静等について説明を聴取した後、調査団の調査いたしました資料に基き質疑を重ねたのであります。  五日午前中は、洞爺丸乗組員中の生存者阿部二等運転手、川上二等機関士などより、洞爺丸出港前後より遭難に至るまでの状況について聴取いたしまして、同日午後函館海上保安部のランチにより洞爺丸沈没現場におもむきまして、遭難死没者の霊に対し花束をささげ深く哀悼の意を表し、救難作業に従事しつつある人々の労苦をねぎらいました。帰来さらに調査を続け、西岡船舶部業務指令、中沢さん橋勤務員、成田海洋気象台予報官に対し、気象情報の伝達に関し重ねて質疑した後、小野第六青函丸船長より第六青函丸の退避状況について説明を聴取いたしました。  最終日の六日には、さらに山本さん橋助役、竹内海洋気象台長に対し補足的質疑を行つた後、高岡洞爺丸三等給仕長より事情を聴取いたしました。  以上をもちまして函館における調査を終りまして、青森において山田東北副支配人、鈴木盛岡局長桐野青森駐在船舶運輸長、永野青森さん橋長、宮下運航司令より事件当日の青森における諸状況について質疑をいたしまして、七日朝帰京いたした次第であります。  本調査団の調査の目的は、事件の真相並びに責任の所在の究明にあることは申し上げるまでもないのでありますが、いたずらに非違の摘発のみに流るることなく、緊急及び恒久的対策の確立という建設的立場において調査を行つたことを、特に申し上げておきたいと存じます。  次に調査の結果について申し上げたいと存じますが、調査の対象並びに範囲は、調査の進捗に伴い、事件当日の気象関係、洞爺丸の出港関係及び事件発生前後の警備関係、事後の措置等に漸次圧縮されて参つたのでありまして、以下順を追うて申し述べたいと存じます。  まず第一に気象関係について申し上げます。函館海洋気象台竹内台長の説明によりますと、当日すなわち九月二十六日台風十五号が北海道に向う気配が濃くなつて来たので、十二時三十分渡島、檜山地方に対し暴風雨警報を発表し、「東後北西の風が強くなり最大風速陸上二十ないし二十五メートル、海上二十五ないし三十メートルに達し、総雨量は三十ないし三十五ミリで、明朝から回復して来る見込み」と警報し、次いで右と同一内容のものを青函鉄道局輸送司令に対し電話をもつて通知したというのであります。その後情報によつて経過を知らせることとし、十六時、十八時、二十一時と引続きNHKを通じ情報を公表し、さらに二十二時にも情報を流そうとしたが、二十一時ごろより電話線不通のため、これを公表することができなかつたということであります。  国鉄に対する気象台の通報関係は、中央気象台長と国鉄総裁との間にとりきめがあり、全般鉄道気象通報については、中央気象台長より国鉄本庁運転局長へ、地区鉄道気象通報については気象官署の長より鉄道管理局長へ、それぞれ伝達されることとなつておるのでありまして、函館の場合は、海洋気象台長より青函鉄道管理局長へ伝達されるのであります。青函局においては気象通報を局長の職務代行者として輸送司令が受け、これを電務区長を通じて予報区内の関係箇所へ伝達することとなつております。なお地区鉄道気象通報の意義は、気象官署担任者区域内に異常気象が発生して鉄道の業務に支障を及ぼすおそれあることを予想した場合、気象官署の長から鉄道管理局長に発する気象通報をいうと規定されております。これにつき海洋気象台では本年三月二日警報等の打合会を開催し、青函局よりは船舶部、施設部、運輸部関係の職員が出席しております。  なお気象台には、予報室を含め、公衆電話三本があるだけでありまして、法的に定められた警報の伝達を行うには約一時間半ぐらいの時間を要するを通例とし、鉄道との連絡も同様公衆電話によるのであります。青函鉄道局について、気象台との連絡施設として鉄道電話の架設ないしは短波受発信機の設置、非常時における連絡員の派遣等についてただしましたところ、かかる点については従来ほとんど考慮されていなかつたようであります。  右のごとく規定の上では、気象台と鉄道との間の気象通報関係は一応整つているわけでありますが、調査の結果当日規定のもの以外に気象台より鉄道に対し通報したものはなく、鉄道側よりは、気象台に対し十七時四十分より四十五分の間に青函局の不明箇所より二回、予報室に対し十四時ごろ駅の者と称する者より、十五時ごろ駅長室より、十五時と十六時の間に施設部よりそれぞれ問合せがあつた事実が判明いたしました。  以上のうち調査団の最も関心を持つたものの一つは、十一時三十分の暴風警報中最大風速海上二十五ないし三十メートルの最大の解釈でありまして、気象台長最大風速とは瞬間風速ではなく十分間の平均風速を意味するものであつて、海上における突風はその倍まで見るが、通例七ないし八割増しと考えるのが、船長その他船舶運航関係者の常識であると注目すべき答弁をしたのでありますが、船長の経験を有する青函鉄道局川上海務課長は初めこれを否認し、さらに追究したところ、平均風速であることは承知しているが突風は五割増し以内と答え、祐川第十二青函丸船長、小野第六青函丸船長は、最大風速二十五ないし三十メートルとあれば約三十ないし三十五メートルぐらいに見ると言い、台長の考え方は調査団の調査の範囲内では、少くとも青函局船舶運航関係者には徹底していないのではないかという印象を深くいたしたのであります。なお本件に関し海洋気象台より九月二十八日付をもつて運輸大臣に提出した「台風十五号に関する報告書」中には、「鉄道気象通報式解説書によつて当台から出した鉄道警報の風速陸上二十メートルないし二十五メートル、海上二十五ないし三十メートルは瞬間風速ではなく平均風速であることが了解されるようになつている」旨の記述がありますが、国鉄側について調査した結果、国鉄にも鉄道気象通報心得と称するものがあり、その附表第八においては最大風速と瞬間最大風速とは区別していることを申し添えておきます。  次に調査団の持つた疑問は、当日急変せる天候は、前に申し上げましたとりきめによる「異常天候が発生して鉄道の業務に支障を及ぼすおそれのあることを予想した場合」に該当しないかどうかという点でありまして、気象台が当日のごとき現象を観測し得たならば、何らかの方法によりこれを鉄道側に速報することができなかつたかということであります。特に十七時より十八時に至る間風速が十ないし十五メートルに落ちた際、続いて強風が吹いて来るという現象を的確に把握し鉄道並びに一般に警告しておれば、船長の気象判断も違つたものになつたであろうと考えられるのであります。青函鉄道局森船舶部長は、十六時と二十一時との情報の間はほとんど空白とも言うべく、特に十五時現在秋田沖を毎時百十キロの速度で東北に進んでいるという情報以後、台風の時速が五十キロ程度に落ちたことについては何ら通知を受けていなかつた旨述べておるのであります。  これにつき台長は、予報できなかつたことは申訳がないが、現在の施設と人員をもつてしては、現象を事前に把握することはきわめて困難または不可能で、地方観測所に対し副低気圧の発生等の変化につき注意することは当然であるが、科学的に明確につかんでいない現象を一般に公表することは不可であると答え、成田予報官もまた技術的に見て至難であると答えたのであります。なお今回のごとき異常天候を観測するためには北方定点観測は必要かどうかという点については、台長の私見としては、東北、北海道全般気象観測、特に冷害の予測については定点観測を必要とするが、北海道のみに限定するときは、さらに日本海の北緯四十ないし四十二度、東経百三十度付近に定点観測を要望するとの答弁がありました。  次に、青函鉄道局管内気象通報の伝達方式でありますが、輸送司令より電務区を通じ船舶その他所定の箇所へ伝達されることとなつておることは前にも申しましたが、当日八時四十分に八時十八分気象台の発表のものを、十三時に十一時三十分発表のものをそれぞれ有線電話で伝達しております。なお当日鉄道側より気象台に問い合せた件は時間的には食い違いがありますが、それと認められるものがあり、特に十七時四十分頃西岡船舶業務司令が予報室に問い合せた「今は静かだが風は南西が北西に変り風速二十ないし二十五メートルとなる」旨の情報は、山本さん橋助役より洞爺丸水野一等運転士に伝達されているとの言明がありました。  次に当日十七時頃より急速に風が弱まり、青空が見え、日がさして来たという現象を、気象台長は台風の目と認め、続いて強風が来ると判定しており、第一管区海上保安本部長は第一現象と筋二現象との間に現われた現象と見ておるのでありますが、あまり専門的にわたりますので、ここには問題の所在として若干の疑問を残すということにとどめておきます。  以上により気象関係について調査団の所見を申し述べますと、大体次のようであります。すなわち九月二十六日当日函館海洋気象台は、所定の警報並びに情報を公表するとともに、青函鉄道局に対してもこれを通知しておるのでありまして、現在の施設及び人員をもつてしては、やむを得ないものと認められるのではありますが、結果的には、当日の気象の変化につき迅速かつ正確に現象を把握し、適切な中間情報を公表することが望ましかつたのであります。  青函鉄道局内における所定の警報等の伝達については、手落ちの点はないが、当日のごとき異常天候に対処するためには、気象台との連絡について積極性を欠いていたことは認めざるを得ないのでありまして、特に気象台に対する照会にあたりましては、部局、職名、目的等を明らかにして回答を求むべきであり、重要なる照会を行うに際しては、当該職場の長主任がこれに当るがごとき用意を必要とすると認めるのであります。  なお函館には地理的な特殊性にかんがみ海洋気象台が設置されておるにもかかわらず、気象台と鉄道との間に直通連絡施設すなわち鉄道電話の架設、短波送受信機の設置等に欠くるところがあつたのはまことに遺憾であります。  第二に、洞爺丸の出港関係及び警備関係について申し上げます。まず高見青函鉄道局長の説明並びに阿部洞爺丸二等運転士、川上二等機関士の陳述等を総合して、出港当時の状況を申し上げます。  当日洞爺丸は、十四時四十分四便として函館丸の予定であつたが、五便大雪丸の着港が遅れたので五分遅れの四十五分出港に変更したところ、十三時二十分発一二〇二便第十一青函丸が、天候不良のため十三時五十三分港外より引返して来たので、同船の乗客百七十六各を移乗させた。乗客移乗終了後、山本さん橋助役よりボギー車を積み込むよう要請があり、これを積み込んだ後さらに貨車をも積み込むよう要請があつたが断つた。かくて船長は出港を決意したが、停電のため可動橋が動かなくなつたので、十五時十分頃出港見合せを船内各部及びさん橋に通知いたしました。  十七時三十分ごろ水野一等運転士は十八時出港準備、十八時三十分出港を通知したが、石狩丸が第二岸壁において着岸作業を開始したので、九分遅れの十八時三十九分、船客千二百四名、貨車八両、客車四両を積載し、遅れの四便として出港したが、港口通過後風浪のため十九時一分南口防波堤燈台より三百度、〇・八海里の地点に投錨仮泊いたしました。  次に遭難の模様を阿部二運及び川上二機の陳述を総合して申し上げますと、出港後補助汽船が離れるころ阿部二運は、有川で突風が三十二メートル吹いているといつている旨を船長に報告したところ、船長はあまり風が強ければ錨泊すると言つた。十九時一分、防波堤燈台から百二十三海里、後で聞けば三百度、〇・八五海里の地点まで行つて南西風に船を立てて投錨した。初め右舷の錨を六節、次いで左舷の錨を九節入れたが、船の立つのが、いつもよりもおそいように感じた。このときエンジンを使つていたようであつた。投錨後間もなく風速三十メートルとなり、大体西南を中心に左右に二点くらいゆれた。このころ風はますます強くなり、最大突風五十七メートルとなり、エンジンを種々使用して風に船を立てたが、幾らずつか流された。二十時三十分ごろより二十一時ごろ貨車甲板から浸水し、水手長の言によれば、機室や缶室からも浸水した。このところ川上二機は、二十時ごろ左舷発電機前のエスケープ付近左舷主機上エスケープ及び空気抜きの開口付近より浸水したと述べております。  さて、その後左舷機が不良になり、五、六分でよくなり、さらに右舷機が不良となつたが、これも間もなくよくなつた。両舷機が不良になつたのは二十二時ごろで、乗客に救命胴衣をつけさせたのもこのころだつたと思われる。このところ川上二機は、二十時過ぎエスケープの口蓋を完全にしたが、二十時四十分缶前より浸水はなはだしいとの連絡あり、石炭庫にも浸水したので、取出口の一インチくらい開いていたのを完全に締めた。二十時五十分から二十一時の間に缶室と機関室の間の水密扉を締めたが、機関長が連絡の必要上半開きにせよと命じたが、半開きにならないのでまたあけたと述べております。  両機が不良になつてから、船は左舷に風を受け、右舷に二十度から三十度くらい傾きながら流された。二十二時二十六分に船体にシヨツクを感じ、右舷に四十度傾斜した。座礁したものと思われる。SOS打電後四分ないし六分くらいたつてから右舷側より浸入した波のために、船橋中央部のドアから自分は投げ出された。そして船は横転したと思う。このところ川上二機は、二十一時三十分左舷の主機振動し、船は左舷に二十度傾斜、センターモーター、エアポンプ・モーターに浸水した。二十二時ころより船はますます右舷に傾き始め、二十二時十分右に二十度ないし三十度となり、右舷機にも浸水した。電気が消えたのは二十二時二十七分ころで、四十度ないし五十度くらい傾斜し、二十二時三十分ころ船は横転したと述べております。  洞爺丸遭難の模様は以上のようでありますが、この状況の裏づけ、かつ時刻の照合に便するため当時洞爺丸よりの無電連絡をもあわせて申し上げておきます。「二十時十分、LST五四六号SOSコチラモ函館港外ニイル、強風ノタメ自由ヲ失イ難航中」、「二十一時二十五分、エンジン、ダイナモ止りツツアリ、突風五十五メートル」「二十一時三十七分、右舷発電機故障、左舷エンジン不良、ビルヂ曳困難」「二十二時一分辛ウジテ船位保チツツアリ、詳細後報」、「二十二時八分主エンジン使用不能」「二十二時十二分、両舷エンジン不良ノタメ漂流中」、「二十二時二十七分第三防波堤竿ヨリ二六七度、〇・八海里、風速十八メートル、突風二十八メートル、波八、」「二十二時三十分座礁セリ」、「二十二時三十九分、SOS、トウヤマル、函館港外青灯ヨリ二百六十七度、八ケーブルノ地点ニテ座礁セリ」、「二十二時四十一分、本船五百KCニテSOSヨロ」以後応答なく、さん橋ではこれを無電機の故障と思つた由であります。  洞爺丸のSOS受信後さん橋長は命により補助汽船四隻を二十二時五十五分に出動せしめたが、右四隻はいずれも風浪のため現場に接近することができずして途中より引返し、また、二十三時十二分函館海上保安部もおくしりを救助に出動させておりますが、これまた風浪のため接近できなかつたのであります。従つて洞爺丸沈没の時刻は確定いたしておりませんが、青函鉄道局がそれを確認したのは七重浜に漂着した乗組員の報告によつてであります。  洞爺丸出港前後における各連絡船の行動を見るに、第十一青函丸は前述のごとく出港後引返しており、その他北見丸、日高丸、大雪丸、十勝丸の諸船はいずれも相前後して投錨仮泊しておるのでありまして、一方青森発の羊蹄丸は出港を見合せております。洞爺丸もまた十五時十分ころ出航を見合せたのでありますが、その約三時間後、なぜに出港を決意したか、この一事はきわめて重要であります。  まず問題は、同船出港の目的は、暴風を避けるため港外に仮泊することにあつたのか、または青森に向けて出港したのかという点であります。この点については、遅れ四便としてダイヤ整理を行うこととし、十八時三十九分出港まで客載のまま待機させたことは高見局長など局幹部の言明するところでありまして、洞爺丸阿部二等運転士及び川上二等機関士もこれを認め、また出港に際し電波法による通信圏入出の通知として同船より「遅れ四便十八時三十九分発」の旨を送信し、函館鉄道海岩局はこれを受信した上、さん橋長より青森へ通知しておるのであります。従つて洞爺丸出港の目的は仮泊のためではなく、青森向けであることは明らかであります。  はたしてしからば、洞爺丸の船長が当日の気象状態をどの程度まで把握し、かつ判断したかという点であります。当日気象台の公表した警報及び情報は同船においても承知しておることは、第十二青函丸船長等の言に徴しても明らかであると申しても誤りはなかろうと思うのでありまして、なお十七時四十分ころ西岡船舶業務司令の予報室より得た情報が、水野一等運転士に伝達されておることは前述した通りであり、また阿部二等運転士は、十八時二十分ないし二十五分ころ山田二等運転士が有川さん橋に風速を聞いたところ突風は三十二メートルとのことで、これは山田二運より船長に伝達したようである旨陳述しております。  右のほか、局関係者の答弁から推しても、大体において気象台発表海上最大風速二十五ないし三十メートルを基準として洞爺丸運航の可否を決定したと思われるのでありまして、多少それよりは強くなることは考えたようでありますが、空風が五十四メートルないし五十七メトールに達するであろうという想定はまつたくなかつたと断言せざるを得ないのであります。しかしながら十七時より十八時に至る間の風速は十ないし十五メートルに落ち、いわゆる台風の目と判定せられる状態にあつたのでありますが、一方気圧が著しく低くなり、九百六十ミリバール程度になつていたことに注意すべきではなかつたかと考えられるのであります。  また貨物船が欠航しているのに、洞爺丸のみが出港した理由については、客船は貨物船に比べて風浪に耐え得る自信があり、従来といえども風速二十五メートルくらいでは運航したこともあり、最大三十二メートルくらいの例もあるとのことであります。但しそのときの風はいわゆる季節風であつて、風向きが一定していることに注目すべきであります。  次に問題となつたのは、出港に際しなぜに乗客を下船させなかつたかという点であります。出港に際し、前途に不安を感じ下船を申出て下船した者、またはタラツプがすでに上げられたために下船できなかつた者が若干あることは事実であると認められます。しかしながら出港の目的が仮泊のためであるとするならば、乗客を下船させることの可否について問題がありますが、すでに申し上げた通り出港の目的が青森向けである以上、結果論は別として、下船させなかつたのは当然の処置であると申すべきであります。  次に出港の決定に関し質疑を重ねたのでありますが、高見局長は船長に絶対権限のあることを認め、祐川第十二青函丸船長、小野第六青函丸船長等の答弁もまた同様でありまして、出港に際し局長その他と協議することなく、一等運転士の意見を徴することはあるが、最終的には船長が決定するということは明らかであります。  しからば、局長は連絡船の運航に関しまつたく指令する権限を持たないかというに、高見局長はダイヤの決定または変更という業務命令の面において、九割九分までその権限を持つが、最後の出港の判断、決定については慣習上船長に一任させており、これに関与することはないと答え、さらに当日のごとき天候に際し、局長は何らかの命令または指示をなすべきではなかつたという点については、当日の状況ではその必要を認めなかつた旨を答えておるのでありますが、すでに暴風警報が発せられ、各連絡船が避難状態にあつたにもかかわらず、局の幹部がこれがため警戒態勢を整えていたという事実は遺憾ながら認められないのでありまして、このことは当日の気象の変化について多くの関心を持たなかつた証左であると言えると思うのであります。従つて、局長管理下の船舶関係諸機関に対し適切なる指揮に欠くるところがあつたかと思われるのであります。  次に浅井北海道総支配人等が、洞爺丸船長に対し出港を強要した事実があるかどうかについては、高見局長及び当日出港まで船中にあつた中沢運輸部長川上海務課長はいずれもこれを否認いたしております。また浅井支配人等が東京における会議に出席するため同船によらなければならないということは、時間的から言つても会議そのものの重要性から見ても理由きわめて薄弱でありまして、強要の事実があつたという証拠は見当らないのであります。  最後に、洞爺丸の沈没の原因について申し上げます。洞爺丸は出港後風速が予想以上に強かつたので急拠仮泊を決定し、次いで強風のため船の傾斜がはなはだしく、機関部にも浸水したので、七重浜に座礁させて船の平衡と乗客の退避に備えようとしたところ、風圧のため海岸に直角につつ込めず、海岸と平行して横転沈没したものと推定せられるのであります。  沈没の原因については、調査団といたしましても一応の調査をいたしましたが、船そのものの構造の欠陥、開口部の不備ないしは閉鎖不完全、積載車輌の転覆などが考えられるのでありますが、これが真相を解明するためには、洞爺丸の船体はもとより、ほぼ同一条件のもとに沈没したと推定せられる貨物船についても実地検証をする必要があると認められるのでありまして、現に函館地方海難審判理事所、特別合同捜査本部においてこの調査に当つておるのでありますから、その結果にまつべきで、従つてここでは軽々に論及することをあえてしないことといたしたいと存じます。  以上により出港関係及び警備関係について所見を申し上げますならば、次の通りであります。洞爺丸出港の目的は仮泊のためではなく、青森向けであり、船長の気象判断については疑問の余地があるが、出港後仮泊した措置はやむを得ぬものと認める次第であります。  また、船長が船体及び乗客等の安全をはかるために、七重浜に座礁しようと意図したことは妥当であると考えられるのであります。青函鉄道局が、気象判断について的確を欠いたことは、資料の不足並びに異例の現象に遭遇した事実にかんがみ恕すべき点はないではないが、警報下において何ら警戒態勢をとらなかつたことは、業務上かつ精神上遺憾であると申さねばなりません。  第三に事後の措置について申し上げます。青函鉄道局事件発生直後救難対策本部を設置し、外部の応援を得てただちに救難作業に着手したのでありますが、まず洞爺丸中に残された遭難者の遺体収容のため、函館地区の潜水夫四組を出動し、なおでき得る限り多数の潜水夫を現地に集結することとし、国鉄本庁の対策本部と緊密な連絡をとりつつ、十月三日までに三十組、漸次その数を増し、最高八十組を目標に全国的に潜水業者の召集に努めたのでありますが、十月六日調査団が現地を離れるときには七十九組が作業していたのでありまして、船体切断もすでに実施せられ、遺体収容作業はまず順調に進渉しつつあるように見受けられたのであります。  その他、遺体に対する各般の措置、遺家族に対する処遇、見舞金の贈与並びに生存者の療養及び慰藉等についても概して適切のようでありまして、これに関する本庁の指令、方針等はよく現地局に徹底しているものと認めたのでありますが、現地においては幹部と労働組合とが真に一体となり、あらゆる非難に対しても黙々として今回の惨事に対し身を挺して事故処理に当つておるのであります。従つて事件直後国鉄当局に向けられた遺家族の不満、非難の声も漸次納まりつつあるように感じた次第であります。  外部の応援といたしましては、まず函館海上保安部でありますが、同部におきましては、当日十三時よりすでに非常体制に入り、警戒を厳にしていたのでありますが、二十二時三十九分洞爺丸その他の連絡船が遭難中との情報あり、これを確認するや、津軽海峡において遭難船捜索中の巡視船りしり及びおくしりを現場に急行せしめ、次いで小樽より巡視船三隻、救助艇二隻、計五隻、塩釜より巡視船五隻、救助艇一隻、計六隻、横浜より巡視船一隻、総計十二隻、館山よりヘリコプター一機を急遽出動せしめたのであります。これら船艇は最悪の条件下にあつてきわめて敏活に救助作業に従事いたしたのでありまして、警備救難は海上保安庁の責務であるとはいえ、その行動は適切妥当であると申すべきであります。  一方、海上自衛隊は、当日十時ごろより荒天準備を行つていたのでありますが、連絡船遭難の報に接するや、正式の要請をまつことなく、二十七日早朝自発的に掃海艇を出動せしめ、次いで海上保安庁よりの要請によりヘリコプター三機を出動し、遭難者の救助、遺体の収容に当つたのでありまして、その緊急措置は称揚に値するものであります。  右のほか、陸上自衛隊、警察、消防、漁船等の応援があり、函館付近の諸機関は全機能をあげて救難作業に従事し、その労を多とすべきものがあることを申し添えておきます。  次に一言申し上げておきたいことは、殉職国鉄職員についてであります。国鉄当局が遺体の収容等にあたり洞爺丸一般乗客を優先したことは、国鉄の立場としては当然でありますが、われわれ調査団が現地を離れるときにあたりましても、洞爺丸とほぼ時を同じうして遭難した連絡船の乗組員の遺体収容については、全然着手せられていなかつたのであります。国鉄職員の遺家族は忍びがきを忍んでいるのでありまして、その心中同情を禁じ得ないものがあります。われわれは、殉職職員の遺体をもできるだけすみやかに収容せられんことを望む次第であります。  以上のごとく、事件の事後措置については、現段階におきましてはおおむね順調に進んでいると認めるのでありますが、残されたる問題は弔慰金に関してでありまして、これについては洞爺丸遭難者遺族会及び国鉄労働組合青函地方本部よりその善処方につき陳情がございました。  第四に、青函間の輸送対策について申し上げます。今回の事件により連結船五隻を喪失し、残存船舶は九隻でありますが、うち運航可能のもの六隻、応急修理の上就航可能のもの二隻、定期検査中のもの一隻でありまして、残存船舶による最高運航能力は一日十二往復であります。  秋冬の繁忙期を控え、少くとも三割程度の輸送力の不足を来すのではないかと憂慮せられるのでありますが、これが不足を補うため、国鉄当局は旧関釜連絡船徳寿丸及び事業用炭輸送船宗谷丸を回送就航せしめるか、または別に貨物船をチヤーターするなどの緊急対策を考えているようであります。  現在残存船舶はフルに運用され、輸送力も逐次増強されておるのでありますが、それはあくまで緊急対策でありまして、今回の事件にかんがみ、国鉄としてはもちろん、政府といたしましても、青函間の連絡施設について再検討を加え、恒久対策を樹立し、可及的すみやかにこれが実現をはかるべきであろうと存ずる次第であります。  青函間連絡施設の改善についてまず考えられるのは代替船の建造でありますが、代替船の建造にあたりましては、船体の構造そのものについて徹底的に調査研究を重ね、平常心においてはもちろん、荒天時における安全率について十分確信の持てるものを可及的すみやかに建造すべきでありまして、現在の船舶の構造について調査団は相当の疑問を持つていることをここに言明いたしておきます。  次に考えられるのは、客船と貨物船とを分離することでありまして、今回の事件にあたり、貨車その他を積載しないで仮泊した第十二青函丸及び第六真盛丸、アメリカのLST等が遭難しないで、貨車を積載した他の連絡船が遭難している事実は、何ものかを示唆しているとわれわれは考えるのであります。従つて調査団といたしましては、この際国鉄当局は、客貨の分離について十分考慮すべきであると考えるものでありまして、代替船の建造にあたつてはもとより、残存船舶についても、これに関し再考を促しておきたいと思うのであります。  さらにまた青函間の連絡の根本的解決は、終局的には海底隧道の実現にあることは、おそらく何人も異議のないところではないかと思うのであります。この隧道については、国鉄当局においてもすでに調査を進めているのでありますが、これが実現には少くとも七、八年、五百億内外の日時と経費とを要すると予想せられるのでありまして、単に国鉄の輸送力増強の面においてのみ計画すべきものではなく、北海道総合開発の一環として企画し、これが実現を期すべきであると考える次第であります。  最後に、今回のごとき事件を再び繰返さないためには、政府及び日本国有鉄道は次の事項につきすみやかに適切なる措置をとる必要があると認める次第であります。一、気象業務及び施設の整備拡充をは  かり、予報の迅速かつ正確を期する  こと。二、青函鉄道管理局の機構及び業務の  刷新、特に非常時における警戒体制  の確立並びに訓練、船舶関係職員の  再教育と船員の業務配置の適正をは  かること。三、青函間輸送力の増強をはかるた  め、すみやかに緊急対策を確立実施  するとともに連絡施設の改善、特に  航送船の構造の再検討、客貨船の分  離、函館及び青森における港湾及び  陸上設備の改善をはかること。四、北海道総合開発の一環として海底  隧道の実現につき特段の措置をはか  ること。  なお詳細につきましては御質問の際御答えいたすこととし、調査団の報告を終りたいと存じます。     ―――――――――――――
  4. 關内正一

    ○關内委員長 この際特に佐賀県嬉野線国鉄バス事故及び神奈川県相模湖における遊覧船沈没事件に関し、当局より発言を求められておりますので、これを許します。長崎国鉄総裁
  5. 長崎惣之助

    ○長崎説明員 ただいま委員長からお話がございました事故について御報告を申し上げるに先だちまして、ただいま当委員会から函館地域においでになりまして御調査になりました報告を、逐一拝聴した次第であります。この報告につきましては、私ども率直に、しかも慎重に研究いたしまして、改めるべきものはただちに改めるよういたしたいと考えております。調査団御一行の御労苦に対し、まず一言お礼を申し上げる次第であります。  ただいま委員長からお話がありました九州佐賀県嬉野町で、去る十月七日朝七時、自動車が道路上より転落いたしまして、多数の死傷者を出しました事故がございました。われわれといたしましては、洞爺丸の事故にかんがみまして、この事故については警戒を厳にするように申しておりましたが、不幸にしてかくのごとき事故を再び起しましたことは、何と申しましても申訳のないところでございます。この事故の原因等につきましては、目下検察当局において調査中でございまするが、私どもの見まするところ、何としてもこれは運転手の運転の誤りであり、明らかに日本国有鉄道の失態と申さねばならぬものと考えておりまするので、そういう観点から、不幸にして死傷せられました方々に対して、迅速に賠慣その他慰藉の方法を講じたいと考えている次第でありまして、この事故の起りましたことは私どもといたしましてまことに遺憾きわまりないところでございます。ここにつつしんで御報告申し上げます。  なお当日、ただちに現地に担任の自動車局長を急派いたして爾後の処置万般をやらした次第でございますので、なお詳細は御質疑等がございますれば、自動車局長から御答弁いたさせます。
  6. 關内正一

    ○關内委員長 水品説明員。
  7. 水品政雄

    ○水品説明員 相模湖におきまして先般起りました内郷丸の沈没事件につきまして、大臣から御説明を申し上げることになつておりましたが、まだ閣議からおもどりになりませんので、かわつて説明をさしていただきたいと存じます。  去る十月八日午後一時過ぎ、神奈川県相模湖において麻布学園の生徒七十八名及び引卒の教員二名を乗せた遊覧船の内郷丸が沈没いたしまして、乗船しておりました生徒二十二名の死亡者を出すまことに悲惨な事件が起つたのでございます。同日これらの生徒及び教員は、ボート発着場所の白須茶屋から小川求馬所有の内郷丸に乗船いたしまして、発航後約八百メートルの地点においてこの浸水沈没事故に遭遇したのでございます。船主小川求馬は、昨年の十月二十日施行せられました海上運送法の改正によりまして、新たに同法の適用を受けることになつた事業者でございまして、本年六月十六日に関東海運局長より、族客定期運行事業者としての免許を受けている業者でございます。またこの事件の際に使用せられました内郷丸につきましては、昭和二十二年に進水した長さ十一メーター、九尺の船でございまして、電気着火式発動機を備えた船でございます。また本年この船は新たに施行せられました小型船舶安全規則による検査を受けておりまして、六月十日に旅客定員十九名、乗員二名と決定せられたのでございます。この検査を受けました後に、この船は旅客定員の収容力を増すために、相当広汎な改造が施されておることをこの事件後に発見いたしておりますが、この改造部分については検査を行つておらないのでございます。また同日この船を逆転いたしました船長大房巌は、丙種航海上の免状を授与されている者でございます。なお現在相模湖におきましては、小川求馬のほかに法人、個人合せまして、九業者が同様な遊覧船事業を経営いたしておりますが、いずれも海上運送法に基きまして、旅客定期航路事業の免許を受けているのでございます。なおこの事件の後におきまして運輸省といたしましては、十月十三日付をもちまして運輸大臣名で各交通機関に、事故の防止につきまして警告を発しまするとともに、十月十一日付をもちまして運輸次官名をもつて各海運局長に、船舶交運の安全確保に関して通牒をいたしておる次第でございます。以上をもちまして御説明といたします。
  8. 關内正一

    ○關内委員長 国鉄バス並びに相模湖の遊覧船沈没事件に対する質疑はあとまわしといたしまして、洞爺丸遭難事件に関する質疑を続けます。正木清君。
  9. 正木清

    正木委員 当委員会から派遣された調査団の方が、非常に御多用中数日にわたつて今回の洞爺丸遭難事件に対する真相の調査をしてくださつたことに対しては、委員の一人として心から感謝をいたします。実は私も党本部から命令によりまして、函館に三日間滞在いたしまして、私は私なりの角度からの調査をいたしました。その結果を総合すると、調査団調査と私の調査にはほとんど食い違いがございません。ただ一点お伺いしたいと思います点は、なぜ一体近藤船長出港の決意をしたのか、この一点でございます。私はこの点に非常なる疑問を感じましたので、実は海洋気象台その他の関係方面を詳細に調査をしたつもりでございます。そこで調査団にお伺いしたいと思いますことは、この点でございます。  私は海洋気象台の二十九年九月三十日発行台風十五号速報、続いて台風十五号速報九月二十六日プラス二十七日、同じく海洋気象台のものでございます。同時に気象情報記録昭和二十九年九月二十六日青函鉄道管理局、この三つを調査をいたしてみました。まず第一に青函鉄道管理局海洋気象台からとりました各客船、貨物船等の自身の記録の写しでございますが、これと海洋気象台から発行しておりまするこの速報の記録でございまして、実は非常に注意すべき事柄がございます。これはただいま報告書の中でも触れてございまするが、二十六日の十一時三十分の暴風雨警報でございます。この中では渡島、檜山地方では「東後北西の風が強くなり最大風速陸上二十ないし二十五メートル、海上二十五ないし三十メートル」となつているのでございます。これはただいまの報告の中でもこのことが指摘されてありまするが、同時に「十六時、十八時、二十一時、と引続きNHKを通じ情報を公表し、」この間でございます。ところがこの海洋気象台がNHKを通じて情報を流したことその他と、実際の暴風雨の進路及び風速とはどうなつているかということを詳細に調査をいたしてみましたところが、この写真はおそらく団長も手元に持つて帰られたと思うのですが、海洋気象台発表によりますと、十八時、十九時、二十時、二十一時、二十二時、二十三時は南南東、南南南、南南西、西南西と風がかわつております。そういたしますと、この発表北西の風と実際にこの海洋気象台でとつたこの記録とは、非常に食い違つているという一点であります。この点について調査団は詳細に御調査くださつたのかどうか。くださつたとすればその点をひとつ当委員会で明らかにしていただきたいと思います。  なお一点非常に大切だと思います点はこの点でございます。「特に十七時四十分ごろ」――この時間が非常に大切な時間でございますが、「特に十七時四十分ごろ西岡船舶業務司令予報室に問い合せた「今は静かだが風は南西北西にかわり」、こういう点があるのでございます。ところがこの記録は全然相違いたしております。「南西北西にかわり風速二十ないし二十五メートルとなる」旨の情報は、山本さん橋助役より洞爺丸水野一等運転士伝達されているとの言明がありました。」ここでございます。私も実は生存者阿部二等運転士からこうして自筆による口述書をとつております。それから同時にやはり生き残りの山田二等運転士、これも一問一答一速記的にとつております。こうした具体的な報告の中の事情と実際とが、非常に食い違つておる。こういう点もひとつ御調査いただいたと思いますので、その点御発表賜われば幸いだと思います。  もう一点は、「特に十五時現在、秋田沖を毎時百十キロの速度で東北に進んでいるという情報以後、台風の時速が五十キロ程度に落ちたことについては、何等通知を受けていなかつた旨述べておるのであります。」このことは実は残念ながら海洋気象台では、私には何としてもこの点を明らかにしなかつたのでありますが、私が皆さんと入れ違いに東京に帰つて参りまして、海上保安庁ですかの警備課長においでを願いまして、このあなた方の御調査くださいました台風の時速が漸次落ちて来たそのことを実は聞きました。聞いたところが山陰沖というのだそうでございまするが、この辺は毎時二百四十キロからの速さで進んでおつたものが、漸次落ちて参りまして、二十六日の十五時すが、ちようど青森のまん中のところでございますが百、それから青森の岬を出るころは七十、それから十六時、ちようど問題の十六時でございますが、函館の港付近ではこれが五十、二十六日の二十一時には四十に落ちているのだ、こういう説明を実は承つたのであります。そうしますと、このことはもし中央象台の方で御出席になつておられるならば、あとであわせて答弁を願いたいと思うのですが、こういうことが一体中央気象台としてもつかめなかつたのか。あなたの御報告によると、海洋気象台としては今の設備ではいかんとすることできない、こう御報告になつておりますが、中央気象台としてはこういう点がつかめなかつたのか。  もう一点、御調査くださつたと思いますので、あわせて質問しておきたいと思うのですが、私と台長との一問一答の間でこういうのが出て来るのです。これは北海道海上保安庁の発行によります北海道沿岸水路誌、昭和二十五年十一月発行、北海道海上保安庁、ページが三十九ページでございます。ここに函館港というがある。これを結論から申し上げますと、函館港は南西の風はすぐかわると書いてあるのであります。この発行の書籍によりますと……。これも実は私青函連絡局でその本を見て参りました。これが北海道函館海洋気象台台長が鉛筆を入れてくれたのでございますが、この自然の港といわれる巴港の一番の欠陥は、日本海から来る南西の風が最大の欠陥であるのだ、この風が今回の大きな事件を起した理由の一つになつているのだ、こういうことを言つておるのでありますが、そうしますとこの海洋気象台の出した情報、それから青函連絡局の受取つた情報を総合し、今のあなたの報合に基いて幾多の疑問を持つておりまするこの点を勘案してみますと、問題の十分考えなければならぬ点は――もちろん青函局及び船長気象情報の的確さを欠いたという責任は免れないが、一体それをだれがさしたのかということになると、私はやはり中央気象台なり海洋気象台の速報といいますか、暴風雨警報といいますか、そういうものに幾多の食い違いがあるのではないかという大きな疑問を持たざるを得ないのであります。従つてそういう点をもし調査団が御調査なつたとすれば、この際ここで御発表を願いたい、以上です。
  10. 山崎岩男

    山崎(岩)委員 お答え申し上げます。ただいまの正木委員からの御質問でございますが、私ども調査団海洋気象台に出向きまして、数時間にわたつてこの問題については検討を遂げ、調査を遂げたのでございます。また向うの証言、その他科学的に示されまする書類等によりまして、調査を遂げたわけであります。ただいま正木委員から御質問のことでございまするが、あまりに専門的なことでございまして、今ここでもつてどの書類のどこに食い違いがあるということの即答はしかねますので、調査団報告とともに私どもの調査の材料、資料がございまするので、それと照し合せの上後刻、きようの午後にでも御説明いたしたいと思います。  それからなお秋田沖における百十メートルの風速が急に落ちて参りまして、江差沖あたりに参りましたときには五十メートル以下に落ちている。このことをもつと早く的確に青函局等の方に通知しておつたならば、船長の考えもかわつたろうと私報告の中で申し上げたのでありますが、私どももまさしくその通り考えておるのであります。そこでどうしてこれを的確に把握することができなかつたかという点について調査しましたところが、それについてはレーダーの設備があれば非常に都合がいいのであるけれども、レーダーの設備がない。そこでいろいろ各般の状況を総合的に判断しなければ、問題についての的確な意見をまとめることができない。それについては中国方面からの気象連絡というものが、現在日本に対してはなつていない。そのためにはどうしても私ども日本としては、周辺の気象関係から判断するより以外手がないので、今のような設備や今のような人員その他におきましてはとうてい処置がない。そのために北海道に対する台風の惨害を免れるためには、今後において日本海にも定点観測がほしいということはそこから来たわけなんでございます。そこで私どももその点をもう少し的確に知らせることができたならば、私は、こういう惨状を引越さないで済んだろう、こういう点についても、これは中央気象台に対しても政府に対しても十分に警告しなければならないという点を考えて帰つたようなわけでございます。  それからもう一点の、函館港が南西の風に対して弱いという点、これも私どもは、今度の台風は最もその欠陥をついて押しまくつて来たわけであります。そこで航送船である弱体を持つておるところの船としては、ともの方から波をあおつて来て、そのために遂に積載しておるところの貨車が横転をして、本船も転覆せざるを得なかつたというような事情についても、函館港自体の欠陥ということもまたこれを考えて参つたのであります。その欠陥をついたのが今度の台風であつて、まことに災難に災難を重ねて来ておるわけなんであります。そこでこの問題について、南西の風にかわるという点をもう少し早く警告しておつて、それをまた当局が早く握つて措置を講じたならばよかつたろうということは、正木委員同様、われわれ出張いたしました調査団もそれを考えて参つたのでありますが、何せ函館港という地域的な問題につきましては、私どもは何とも処置がないのでありまして、ただその地域的な欠陥を何としても防いでおかなければならなかつたろうということは、今度われわれが考えて来たことでございまするので、港湾の設備その他についても考えなければなるまい、こういう判断を持つたようなわけであります。そんなわけでございまして、ただいま正木委員の御質問は私どもしろうとに対しましては、まことにどうもあまりに学問的なことであり、専門的なことでございますので、私としましては今すぐに即答いたしかねる次第でございます。従いまして資料に基いて後刻先生の御質問に対して、的確なものをつかめるかどうかわかりませんが、研究の上で御報告申し上げたいと存じます。
  11. 正木清

    正木委員 もう一点、簡潔にお尋ねしたいと思うのですが、あなたの報告書の中にもあります通り気象台は十一時に暴風雨警報を出しております。それから三時、四時、六時五十五分、そのあとにもラジオで実は放送はしておるわけですが、その時間がこうかわつてつておるのにかかわらず、放送の内容は大体同じなんです。ところが実際に幾多の資料を総合してみますと、相手の台風の方は刻々とかわつてつておるわけなんです。この記録にこうきちんと残つておるのにかかわらず、人手が少い、設備が足りない、残念ながらそれをつかむことができなかつたというようなことでは、これは国民が納得しないと思うのです。私も残念ながらその点はあなたのおつしやる通りしろうとでございますので、一問一答の中でも自分としては相当つつ込で質問したつもりでございまするが、つかんで参りませんでした。今あなたの報告書を頂戴して、御説明を承つて、人手が足りない、設備が足りない、その他の理由が漠然とわかつたのでありますが、十一時半から八時、九時まで同じ内容に近いものを再度放送したということについて、気がついて質問されたかどうか、その点をお伺いしたいと思います。
  12. 山崎岩男

    山崎(岩)委員 その点については、私は気がついておりませんでした。その他の団員の方々は気がついておられたかと存じますが、私は気がつかなかつた
  13. 正木清

    正木委員 これは調査団の方への質問ではなくて、先ほど委員長に申し上げたように、中央気象台の方がお見えになつておれば、今の私の質問について、中央気象台からわれわれの納得の行くように御報告が願いたいと思います。  もう一点当局にお尋ねしたいのですが、私は実は羊蹄丸の一等運転士と事務長とともに、船橋から機関部まで詳細に案内をしていただきまして、船内くまなく見せていただきました。そこでこの調査団報告の中にも実は出て来、新聞等にも、貨車を入れている甲板の、特に石炭を入れる入口から浸水したというような記事が出ております。そこでその甲板の石炭を入れます入口を何箇所も見せてもらいましたが、ほかの船は別として、羊蹄丸はすでに相当船体が古くなつたとでもいうのでしようか、鉄が減つてつておりまして、相当の口が明いております。ですからここから水が入ろうと思えば、遠慮会釈なく入るのです。それですから、私はその一等運転士と事務長に、現にこの通り明いているじやないか、これはえらいことじやないかという質問をいたしましたところが、そういう場合には機関室にはポンプが備えてあつて、相当の水はこのポンプによつて排水することができるのだという。それにしてもああいう特殊な台風のような場合には、思うように行かないのではないかと重ねて質問をいたしましたところが、今港に入つて一時間か一時間十分しか時間がないのだ、あなたの言うように、そういうこまかい部分まで修繕などをしておつたのでは、とても計画通りの輸送などはできるものではないのだ、実はこういう答えでございました。そこで私この点をお尋ねしたいと思うのですが、こういう点について当局は注意を払つておられるのか、おられないのか、この点でございます。そういうことは、今の船の設備をもつてすれば心配はいらないのだということなのかどうか。現に羊蹄丸では相当、あれは二分か三分でございましようが、石炭の入口に明いております。それから石炭が下へおりて、かまのところも見せていただきましたが、そういう点についてひとつ当局の御意向をこの際確かめておきたいと思います。
  14. 肥沼寛一

    肥沼説明員 先ほどの気象の問題についてお答えいたします。十一時三十分に発表いたしました警報が、初め東の風で後北西になるという意味でございますが、これは気象台が推定いたしました台風の経路が、多少実際より南がかつた経路を最初から予想していたのであります。台風というものは、あれは渦巻でありまして、場所によつて風の方向が非常に違う。函館の南側を通るのと北側を通るのとでは、全然違うのであります。早くに出しました警報では、経路としては函館の南を通ることを推定いたしておりました。そのために東の風が後北西になる。北西になるという意味は、台風が釧路の方面へ抜けたときには北西の風が吹くはずでございます。  それから二十一時ごろには実際南風が吹いて、間合せに対して、南風ではあるがまた北西になるということを言つたというお話がございましたが、これは函館であのときに、台風が渡島半島の西側に来て、それが上陸して行つて北海道の中部へ出ると判定したのでございます。従つて南風が後に北西になるという意味でございます。つまり経路について実際と違つた推定をしていた、ここに誤りがあつたわけでございます。  それから十六時から以後のNHKの放送が同じ内容を言い続けていたという点でございますが、これは先ほど調査団の方の御報告にもありましたように、これは申訳になつて恐縮でありますが、私どもの人手が十分でない、ほとんど電話の応答がひつきりなしであつたのであります。それにいたしましても、ああいうたくさんの乗客を扱つている国鉄あるいは放送局に対しての情報を、まず最初にやらなければならないはずでありますが、次々にかかる電話に忙殺されたと推定するのでありますが、連絡が不十分であつた。NHKはああいう際になりますと、今持つている情報を流し続けます。そういうのが東京においても慣例であります。私どもは新しい資料ができますと、その都度連絡するのでありまして、その連絡があるまでは前のものが伝わつている。函館海洋気象台からの連絡がなかつたがために、同じものが続いたと私は推定しております。  それから次の台風の速度の件でございますが、この台風は広島県から岡山県の境を通つて、日本海へ抜けまして北海道の方へ向つたのでありますが、そのときには一時間百十キロの速度で進んでおりました。北海道の方へ参りましてから、台風の位置をきめるのは、これは主として北海道気象観測結果によるわけでありますが、北海道には現在二十二の気象官署がございます。ところが残念なことには、無線施設を持つている箇所は三箇所でございます。有線電信が各所で切断されてしまつた、そういう場合には電電公社の線を即刻使うことになつておりますが、やはりよその方で連絡もうまく行かない。それから電電公社の線がかなりまた切断されてしまつております。そういうことで、台風の位置をきめる観測資料が非常に手間どつて、二十時午後八時でありますが、そのときには天気図がほとんど描けなかつたような状況でございます。従つて台風の中心の位置を推定することに非常に困難をきわめた。大ざつぱな資料でありましたために、このときにも、前に推定した位置が間違つていたということを、そこで確かめ得なかつたのでございます。そういう事情でございます。  次に、今回の台風は渡島半島の西を北に上つたのでありますが、こういう例は非常に少いのであります。大体あそこでは低気圧が出ますと、津軽海峡を通つて東の方へ出る。そうしますと南風が吹いてもすぐに西か北西にかわるのが普通でございますが、これは非常にまれな例であつた。従つて水路誌に載せてなかつたのではないか、こう考えます。
  15. 正木清

    正木委員 運輸当局に私一言お尋ねしたいと思うのですが、今の中央気象台の担当者の御説明で、決して私の調査したものがでたらめなものでないという自信を得ました。そこでそういう中央気象台の観測上の一つの欠陥、それを土台にしておそらく中央気象台の方から運輸当局へ詳細に報告書が出ているのではないか。その運輸当局へ出ておる報告書と、国鉄を通じて青函局関係からも――調査団調査したと同じようなものか違つたものか、たとえば私が党の命令で調査したようなものと同じものか違つたものか、いずれにしてもこれは運輸当局の方へ書類が出てなければならぬ、私はそう思う。出ておつたとすれば、一体運輸当局としてはそういうものをまとめて今回の事件に対してどういう総合的な判断を下したか、これが当然あるはずでありますから、この委員会へその結論を下した結果についての御発表をしてもらいたい。
  16. 植田純一

    ○植田説明員 この事件以来運輸省におきましては、災害対策協議会というものを設けております。それによりまして洞爺丸の事故の状況調査ということを、関係の各局から委員を出しましてまとめ上げるという段階になつておりまして、実はその間のいろいろの資料はまとめております。これにつきましてはまだ原因という段階にまでは至りませんが、当時の状況――気象状況であるとか、また予報の状況であるとか、もちろんこれは国鉄報告に基いての点もございますが、運輸省といたしましてこの災害対策協議会におきまして、できるだけの事情の調査をいたしておるようなわけでございます。その点の気象判断につきましての事情、当時の状況ということにつきましての資料をとつております。ただいま御質問の御趣旨は、はたして気象状況がほんとうに間違つてつたかどうかというふうなことではないかと思いますが、この点の結論についてはまだ得ておりません。ただ当日の状況ということについての資料は収集いたしておるようなわけであります。
  17. 正木清

    正木委員 重ねてですが、私は必ずしも中央気象台なり海洋気象台の今回の気象上に対する大きなあやまちがあつたのだ、こう断定しておるわけではないのです。私はしろうとでございますから断定しがたいが、この諸般の資料とただいまの中央気象台の関係官のここでの答弁を承つてつても、何かしら大きな疑問と疑惑を私は持つ。この調査団報告の中にも大きな疑問を持つと、こう報告されておりますし、私自身が実は党に報告したものも、大きな疑問を持たざるを得ない、こういう結論を持つのであります。そこで運輸当局としてはすべてのことを報告するには時間がかかるであろうが、少くともこういう点を一つ一つ明確にして、そうして責任の所在を明らかにして、国民に事の真相の一端を発表すべきではないか、何もかも一切が完成しなければ発表できないのだというものではないのではないか。中央気象台として的確につかめなければ、つかめなかつた原因がどこにあるのか。函館海洋気象台が的確につかめなかつたならば、つかめなかつた欠陥は一体どこにあるのかということは、当然あなたの方でまとめ上げておられると思うのです。もしまとめ上げておられるとするならば、この席上で明らかにしてもらいたい。
  18. 植田純一

    ○植田説明員 対策協議会におきまして、ただいま申し上げました当日の各般の状況に関する資料をまとめております趣旨は、ただいまお話がありましたように、今回の事件にかんがみまして、改善すべき点がどういう点にあるかという点の今後の対策を考えるための協議会の趣旨でございますので、そういう資料によりまして十分検討して参りたいと思いますが、もちろんこういう点についてこういう対策を立てるということにつきまして、まだ今日におきましては具体的にきまつておりません。ただ当日の状況につきましてどういうふうな状況になつておるかということを、大体まとめ上げたというような段階になつておるわけでありまして、今後そういう点につきましては早急に十分勉強して参りたい、かように存じておる次第でございます。
  19. 山崎岩男

    山崎(岩)委員 正木委員の先ほどの御質問に対しまして、ちよつと訂正申し上げておきたいと思う。先ほどのNHKの放送等において、同一内容だけを発表しておる、気象がいろいろにかわつておるにかかわらず、ほとんどその放送の内容は同じであつた。この点について、気がついてなかつたかということでございまして、私は気がついてなかつた、ほかの委員の方々において気がついておられたかもしれない、こういうふうに私お話申し上げたのでありましたが、手帳を調べてみますと、この問題についてはこういうことになつておるのです。私どももやはりそれに気がつきまして、台長の方に質問申し上げたところが、台長がそれに答えて申しますのに、われわれとしてはやはりいろいろかわつて来ておるのを科学的にこれを把握して、たとえばレーダーとか定点観測船から無電でもつて報告があつたというような、的確な科学性を持つたもので報告があれば、それを報道することは当然だ、けれども、今の状態でもつて、どうもかわつていはせぬかというような漠然たるものをもつてまた報道をかえれば、かえつて全国的に報道をしておるものに混乱を起して、取返しのつかないことになるかもしれない。そこで情報等の訂正はやらなかつたのでございます。こういうことが明らかになりましたから、一応お答え申しておきます。
  20. 正木清

    正木委員 中央気象台の方にもう一点私お尋ねしておきたいのですが、台風の進路、それから速度、この点もう一度詳細に御説明を願いたいと思うのでございます。私は私なりに調査したものを持つております。今のあなたの答弁によると、電話の線が切断したとか、いろいろの事情のために的確なものがつかみ得なかつた、こうおつしやるのです。私の調べたところによると、青森の港の先あたりに行きますと、十六時ですから四時ですが、速度が七十くらいに落ちるのです。それからちようど問題の時間の十八時――六時ですが、ちようど函館の港の上、これが五十に落ちるのです。二十六日の二十一時、これが江差あたりになりましようか、寿都あたりになりましようか、これが四十になるのですね。こういうのが函館海洋気象台ではどうしてもつかめなかつた。青函連絡局でもつかめない。はつきり言うと、青函連絡局はあがつてしまつて、私がかけつけたときには、具体的な資料なんか何も持つていません。あなたは専門家ですから、この点をもう少し詳しく御説明を願いたい。それから今の調査団の御答弁でよくわかつたのですが、私非常に情ない、残念に思いますことは、世界にかつてない大きな海難事件を起した今度の原因が、世間では船長を責める、青函局の首脳部を責める。私はあれだけの事件を起したのだから、責められてもやむを得ないと思う。しかし、なぜ一体あのような事件が起きなければならなかつたのだ。このことをわれわれは真剣になつて探求して、日本の国民にも、世界のすべての人々にも納得させて、そうして再びこういう間違いが起きないように、われわれはかたく国民にも世界の人々にも約束することが大事ではないかと私は思う。だとするならば、やはり問題点というものは、心静かにとことんまで追求して、真相を確かめる必要があるのではないか。設備がなかつた、人手が足りなかつたから、実際はつかめなかつたのだということだけで問題が処理されるには、あまりに情ない。なくなつた人々、仏に対しても申訳ない、こういう感情で私は一ぱいです。そこでどうも残念ながらしろうとですから、急所を質問できないので、自分自身でどうにもならぬような気持にかられるのですが、二十六日の四時といえば――四時から六時までの間が近藤船長の最後の決意を固めるときだつたと思うのですが、このときの気象情報、これは海洋気象台が出した書類を私持つて来ているのですから間違いございません。台風十五号は午後三時現在青森県の西方約百キロ、北緯四一・〇と書いてあります。あとは私には専門的なことでわかりませんが、中心示度は九百六十八ミリバールを示し、依然として北東に百十キロくらいの速さで進行中、このような速さで進めば午後五時ごろ渡鳥半島を通つて、今夜北海道を通過するものと思われます。このため渡島、積丹地方では午後五時最も風が強く、最大二十五メートルくらいに達し、そのあと風向きは北西にかわり、夜半ごろから弱まつて来る見込みです、こうなつておるのです。私の調査では何としても実際とは違う。ところが二十六日の十八時、これは英語で私には全然わかりません。これは括弧して海上保安部通信所となつておりますから、どういうことか私にはわかりませんが、その次、二十六日の九時、もう事態は最悪を通り過ぎてどうにもならなくなつた九時です。このとき、この気象情報を見ますと、台風十五号は、二十時現在寿都付近に上陸しておるのです。この情報によると、台風十五号は二十時ですから八時には、現在寿都に上陸し、進路を北東にかえて北海道内陸に進行しております。このため渡鳥、積丹地方は南寄りの風が二十五メートルくらいに達しており、今後風向きは次節に北西にかわりますが、夜半ごろまではこの程度の風が吹き、その後は静かになる。そうすると午後五時ごろ渡島半島を通つて、そうして渡島、積丹地方は午後五時ごろが風が最も強いのだ、そうして最大風速は二十五メートルくらい、これが海上に出れば七割強くなるとか、人によつては倍になるとか、人によつては六割ぐらいだとかいうことは全部認めておることですが、この四時と六時と八時の間に、どうして一体こういう食い違いがあるのか。それがどうしてもほんとうに人手がなくて、その設備がなくて、ほんとうにつかめなくて、今調査団答弁にありますように、海洋気象台長としては的確な、科学的な基礎に基いて情報をとらなければ混乱を起すから、同じものを発表するのだ。一体これでいいのかどうか。これから一体どうなるのか。ああいう台風が来ないとだれが一体断言できるか。ですから実は私が羊蹄丸で機関部から船橋全部見せてもらつたあとで船長も加えて――これは皆様に聞いてもらいたい。当局側全部に聞いてもらいたいのだが、私はこういう質問をしたのです。あなた方は中央気象台なり海洋気象台発表気象及び長年の経験、そういうものを基礎にして生命、財産を預かつて長年航海をされておると思うのだが、こうなると一体あなた方は今後どういうお気持で責任を担当されるのだ、こう聞いてみたところが、わかりません、これだけです。自信を失いました、わかりませんと、こう言う。そのとき私の受けた感じ方というものは、非常に大きいものでございました。中央気象台海洋気象台も自信が持てない。過去の経験からいつても自信が持てない。そうすると、あれだけの人命と財産を預かる船の船長は一体どうすればいいのか、これが私の質問です。自信が持てない。こう言つております。ですから、ただ単に人手が足りないのだとか、設備が足りなかつたのだとか、実際つかめなかつたのだということだけで一体済まされるのか、済まされないのか、一体ほんとうにそうなのか、そうでないのか、この点は十分明らかにしなければ、船長がなぜ出港の決意を固めたのかということもつかめないのじやないか、私はこう思いますので、重ねてこの点専門的に、しかも私どもがわかるように御答弁を願いたい。
  21. 肥沼寛一

    肥沼説明員 最初に台風の速度をきめる方法を申し上げます。全国的に気象観測をきまつた時間に行つておりますが、それを集めて台風の位置を決定いたします。そうしてそのある時間の位置がきまります。その次の時刻になりまして、同じような決定をいたします。その間の時間の差と前後の位置から判断して、台風の速度というものがきまるわけでございます。従いましてその台風の速度というのは、現在から過去の、実際やつておりますのが三時間ごとですが、三時間の間の平均一時間ではこれだけ行つたという速度がきまるわけでございます。そういうふうにしてきめましたのが午後三時現在秋田沖青森西方何キロという位置であります。そしてそこをこのまま進めばという言葉は、将来のことがわかりませんので、過去の、この速度でかりに進むとすればという、こういう表現でございます。従いましてそれがかわることはあり得る。しかしかわることが推定されますときにはそれも考慮に入れますが、これが非常に困難なために、たいていそのまま進めばということで実施しております。  それから三時の発表で、五時に風が非常に強くなつてという表現があつたようでございますが、これは今の、そのまま進めば青森の西方から渡島半島に上陸するはずだ、従つて五時に一番強くなるはずだ、こういうわけでございます。上陸いたしますと台風は形がくずれますので、中心の目というようなものが消える場合があります。従つて五時ごろ中心が通るが、そのころ一番風が強いだろうという、こういう推定でございます。それから実際には五時から五時半にかけて風が非常に弱まりました。いわば実際は上陸しても形がくずれずに目がそのまま保持され得ることから、中心で風が弱かつたのだろうと、こういうふうな推定を函館では下したのだろうと私は思います。  その次に九時の情報では、寿都にすでに上陸して、今晩は北海道の内陸に行くということを言つたようでありますが、これは先ほど申しましたように、台風の位置をきめる北海道の観測資料が不足しまして、前の推定から、もう上陸しているはずだ、そしてそのまま行けば北海道の中央に行く。中央に行けば風は北西になるのだ。だから今南風が吹いているけれども、北西になるのだという、こういう推定でございます。あの当時中央気象台でも書いておりました天気図が、八時にはほとんどどこが中心だかわからないように、資料が不足してしまつた実情でございます。そういう実情で、実際は台風の動いて行つた径路を、気象台として推定を誤つたというわけでございます。
  22. 正木清

    正木委員 それからもう一つ進路と、この風の行つた進路、それから何時に百キロとか四十とか、これを御説明願いたい。
  23. 肥沼寛一

    肥沼説明員 それは今申しましたようにその時間の位置をきめて、その次の時間の位置をきめます。それからその間の速度をきめます。その次にまた位置がきまりますと、そこで速度をきめる。その幅が縮まつて来れば速度がおそくなつて来るわけです。そういうことを次々繰返して行くわけで、今までは全部これだけで進んで来たという意味です。
  24. 正木清

    正木委員 もう一点、ラジオ放送にるよと、いつまでたつて風速は百十キロなんです。ところがこういうようにちようど七十、五十、四十、この関係が、なぜ一体これほど進んでいる今の世の中にこれをつかむことができなかつたか。これがつかめれば、私はあの事件は未然に防げたのじやないかという気持で一ぱいです。この点御説明願いたい。
  25. 肥沼寛一

    肥沼説明員 ただいまお見せいただいたその図は、この台風の通つてしまつたあとで、電報は入つて来なかつた資料を、電線が回復してから全部集めてつくつた資料でございます。あの当時台風が現在進んで来ている途中に――資料がないときには推定がつかず、百十キロということを言い続けたのでありますが、あとになつてつくつてみると、この今の図のようになつていたという、こういう事実です。
  26. 正木清

    正木委員 それからこれを上げますが、この南西の風のときは……。
  27. 肥沼寛一

    肥沼説明員 この風は午後五時でございます。そのときまでは東風、六時から南にかわつております。南にかわつているということは、先ほど申し上げましたように台風の中の風の吹き方から見ますと、台風の位置は函館より北へ行つているということです。北に中心があると、そこで吹き込むので南風、そういうことになつている。ところが函館がここにありまして、東の方北海道の中部へ行くと、そこで吹き込むために北西の風、そういう意味で内陸に上陸するという推定を正しいと認めていたために、そういう表現になつたのです。それが上陸せずに北海道の西岸を北上して行く、こう考えればあの警報の、あの風の方向は言うはずはなかつた。結局台風の径路が予想したのより西へまわつて、沿岸沿いに北へ上つて行つたということです。
  28. 正木清

    正木委員 それでは海上保安庁の方にお伺いしますが、昭和二十五年十一月発行、北海道海上保安庁、ページは三十九ページ、函館港――先ほども申しました結論は、函館港は南西の風は吹くが、南西の風はすぐかわると書いてある。ところがこの台長との一問一答の中でも、それから残存者の人々、それからまたは洞爺丸の非番で機関長をされておつた方の対談の中でも出て来るのですが、今度の事件南西の風が数時間吹いた。しかも五十七メートルからのものが来たので、これが原因だ。それから転覆の原因は、台長はあくまでも波だ、こう言つております。そこであなたの方の記録は、一体あたりまえのときのことを発表して多くの人々に指針としているのかどうか。あたりまえのことを長年にわたつて研究した上で、こういう書物を発行したのか、この点を一つ確かめておきたいと思います。
  29. 山口伝

    山口説明員 お答えいたします。水路図誌と申しますのは、海上航海業者のためにいろいろと安全航行のために資新として提供している海図に付属するものでありますが、ただいま御指摘の函館におきまする風向につきましての修正でありますが、これはもちろん私よく調べておりませんが、その図誌をつくりました当時のいきさつとしては、過去における傾向を帰納して、そういう案内を出したと思われるのであります。このことにつきましてその後若干話もありましたので私も聞いているのでありまするが、このたびのように南風が非常に長く続くということが函館としては珍しいことではなかろうか。と申しますことは、今回の台風の性質がきわめて異例のものであつたのじやなかろうかと想像をいたしております。従来の実績から見ましても、北海道方面へ相当強い台風が襲うという事例は少いのでありまして、私どもの平素聞いておりましたのでは、北海道方面は十年に一度くらい来るので、九州や何かとは非常にその点は違つておるように存じます。今御指摘のように水路図誌につきましてはなお確かめてみますが、過去の趨勢を帰納して皆さんのお役に立つようにと思つて出したものだと考えております。
  30. 正木清

    正木委員 過去の経験を基礎にしてお役に立つものが、今度は実際はお役に立たなくなつたのです。この私の記録は台長と一問一答の中でとつたので、結論しか出ていないのですが、実は函館の青函管理局へ行つて局長に、君、その本にあるはずだから持つて来たまえと言つて、持つて来て二人で見たものにはいろいろのことが書いてあるのです。これは指針にするのだとあなたがおつしやるのであれば、ひとついろいろのことを研究して、そういう書物の中には大事をとつて、細大漏らさず書いてもらいたいとぼくは思うのです。至つて簡単に結論がついているのですから――。役所へ帰つてごらんなさい。これはおそらく今後船に乗つている職員の方々などの意見を徴せば、私ははつきりして来ると思うのですが、私、しろうとから見ればまことにこれは残念だつた。何とかしてこの大切な本で、天然の良港である巴港の一番の欠陥はここにあるのだという点が、十分に明らかにされてしかるべきではなかつたか、こういう感じ方をするので、これはあなたに特に希望して申し上げておきます。  それからもう一点、気象台の方でもいいのですが、私の持つて来たのは青函局にも、海洋気象台にもなくて、北海道開発局建設部の検潮記録というものを私は持つて来ているのです。これを見すと、推定ですが、最高の波の高さが六メートルと書いてあるのです。だからこの的確な資料がもし当局側にあるとすれば、私のこれを基礎にして、ひとつ説明的な答弁をここで願いたい。
  31. 肥沼寛一

    肥沼説明員 この事件のときに函館台長が、これは波ではないかということを考えまして、当時函館開発局の築港事務所に検潮器――検潮器というのは水面の高さの上り下りを調べる機械でございます。それをあの当日どうなつていたかということを調べたわけでございます。これには前提として、前もつてこの上り下りが風とどういう関係にあるかということの調査があつたわけであります。風がどのくらいどちらの方向から吹いて来れば、この検潮器の記録にどのくらいになるかという調査がございます。これは函館台長かやつていたわけでございます。それをもとにしまして当日の検潮器の記録から逆に考えてみますと、風の何分の一の値が水面の高さであるということが推定できます。その当時の風の方は海洋気象台で観測しておりましたので、その風と、それが海の上では何割か増しておるというその推定とから、風は海上ではこれだけ吹いたのだろうという、両方合せて調査したのであります。その結果は、波は十九時ごろから次第に高まりまして、二十時から二十三時まで著しく高くなつた。それ以後はこの記録が不鮮明になつてつてよくわかりません。検潮器は港内につけてございますが、それと港外との比較でございます。この港外との比較も、港内でこのくらいならば港外はこのくらいだろうという、比率がふだんおよそ推定がついてございます。その推定から港外ではこのくらいだつたろうというのが二十時から二十三時までは四・二メートル以上、ときには五・八メートルになつた。これは検潮器が上り下りしておりますので、それから範囲が出て参ります。特に一番強かつたのが二十時四十分ごろ、この時間は検潮器から推定いたします。そのときにはおそらく六メートル以上の大波があつたものと考えられる。こういう推定と、それから前もつて調査とを合せてした結果でございます。
  32. 正木清

    正木委員 その写真をごらんください。それは私は開発局の記録の写真を持つて来たわけです。それは港の中でございましよう。港の中の波の高さが最高のときは六メートルと推定される、そう書いてある。これは私が持つてつて台長に宇を入れてもらつたのです。そうすると今あなたの言う港の中で六メートルですから、それから推定して行つて港の外に行つたなら、六メートルということはないじやないですか、その点もう一回わかるように……。
  33. 肥沼寛一

    肥沼説明員 これは今拝見いたしますと、ここに函館で六メートルと書いてありますが、これは台長からもらつた資料でございます。それにそう書いてございます。その点、私はもう一ぺん台長に確かめないとわかりませんが……。
  34. 正木清

    正木委員 その写真の一番下の――私それはしろうとでわかりませんが、台長が書いたのでございます。その六メートルと推定する、それを基礎にして私はほかのことを調査したのでございます。ですからその台長があなたのところに報告によこしたのと私に書いてくれたのは違つておる。それは港の中だと念を押したもので、ここにも書類があるのですから、従つて港の外の波はどうなんだというようなこともはつきり、あとでよろしゆうございますからもう一度調査して、当委員会に正確にこの点を述べてもらいたい。私の質問はこれで終ります。
  35. 唐沢勲

    ○唐沢説明員 先ほどのハツチの問題についてお答え申し上げます。連絡船のハツチは、先生も実際にごらんになつて御承知のように、石炭を入れる口、それから空気抜け用の口、それから脱出口というように、相当数が多うございます。これらにつきましては、いずれも水密の鋼製のふたがつけてございまして、これをちようねじでもつて締めつける仕掛になつておるわけでございます。これはもちろん非常に重要な箇所でございますので、その辺を十分完全に保持するということにつきましては、私どもといたしましても注意いたしまして、連絡船救難処理規程を制定してありますが、その中におきましても、特にこの点を強調いたしまして、水密とびらの手入れを常にして、完全に遮道するように調整をするというようなことを特に強調しております。またこれらの点につきましては、常に定期的に毎週一回点検しまして、これを局長報告するということもさせております。また訓練につきましても、毎週一回応急の訓練をするというようなことも規程してございます。これに従つて船長はやつていると確信しております。またこの設備につきましては、毎年一回船舶安全法によつて法定の検査を受けているわけでございます。ことに機雷が出るようになりましてからは、これらの点には十分に注意をするようにしておるわけでございます。  こういうようなわけでございますので、大体平常の運航状態のときにはここへ水が来ないというのが常態でありまして、かりに荒天など異常なときがあつて若干入りましても、これを排水するポンプの設備も相当強力なのがございますので、よほど異常な想像を越えるような最悪の場合で、大きな運動量を持つた巨大な波にぶつかつて沈むというようなことでもない限りは、そう排水ポンプによつて排水できないほどの水が入るとは想像されないと考えておるのでございます。具体的に先生のごらんになつた羊蹄丸につきましては私報告を受けておりませんが、かりに若干不完全なところがあれば、それに応じて航海のときにおきましても、その安全性の判断を船長はすることが当然だと思いますし、またそういうものにつきましては、ただちに整備をする手配をとつたであろうと考えておる次第でございます。
  36. 關内正一

    ○關内委員長 天野公義君。
  37. 天野公義

    天野委員 この報告書を拝見いたし、今までに本委員会で明らかになつておる点の他を勘案いたしまして、私どもとして納得の行かない点をまず質問したいと思います。  まず第一に、なぜ船が出港したかとい問題であります。この報告書にもあるように、初めは出港をやめるということになつてつたのが、急に出港をするということに変更をせられたわけであります。この船の出港の原因と見られておるところのものは、十七時より十八時に至る間の風速は十メートルないし十五メートルに落ち、いわゆる台風の目と判断せられるような状況になつて、一応天候は回復したというようなことが考えられる。もう一つの情報としては、台風の速度が非常に早い。従つて台風がある程度過ぎ去つてしまつたのではないかというような判断もせられたのではないかと思うのでありますが、いやしくも長年船長といたしまして航海に非常な体験を持ち、気象の判断についても熟練者である船長といたしましては、台風の目であるかどうかということは、容易に判断がつくと思うのであります。報告書の中にもありますが、「一方気圧が著しく低くなつていたことに注意すべきではなかつたかと考えられるのであります。」こういうふうに言つておりますが、この気圧の低下ということに着眼をし、そしてまた台風の目が通過する際にはどういう風の状況になるか、両々相まつて判断すれば、容易に判断がつくと思うのであります。その点がどうも納得行かないのでありますが、国鉄なり調査団の方々の今までの御調査で、こういう状態にありながら、どうして船を出したかという点についてお調べがありましたら、お伺いしたいと思います。
  38. 山崎岩男

    山崎(岩)委員 大野委員にお答え申し上げます。本調査団といたしましても、ただいまのどうして船長出港を決意したか、この問題がキー・ポイントであろうと考えまして、この点については私どもも十分慎重な態度で調査を遂げて参つたつもりでございます。従いまして生残りの阿部二等運転士から、その船の状態はどうであつたか、出港当時船長はどういう決意をされたか、君はそばにおられて関知せられたかということについても、詳細聞くことができたのでありまして、一体船長はただいまのような気象の関係について、台風の目ということについては、全然知識を持つていなかつたのかどうかということについて詳細調べてみた。ところがどの船長さんでもどの運転士さんでも、台風の目があり得るということは船乗りの常識であつて、この点については十分に知識を持つていたはずなのであります。その知識を持つているはずの船長さんが、どうして一体出港しなければならなかつたのか、こういう点について阿部二等運転士に聞いてみましたところが、阿部二等運転士はこういうことを言つているのです。台風の目であるということはわかつた、だがまたその次に相当の暴風が来るだろう、けれども本船としては南の方に向けて青森へ行くのだ、台風は北上して行くのだ、従つて台風を受けるポシヴイリテイは非常に少いのではないか、自分はこういう判断をしたということです。だから船長はやはりこの点についても十分考えておつたのではなかろうかと思うのであります。  そこで先ほどの報告の中にも申し上げたのでありますが、有川さん橋に向けて出港の瞬間に情報の提供を求めたところが、三十二メートルも吹いている。このことも船長さんには山本さん橋助役から報告してある、有川さん橋というのは、洞爺丸の繋留している隣のさん橋でございますが、そこではもうすでに三十二メートルも吹いているのでございますから、相当の荒れが来ているということは、すでにさん橋を離れる当時において船長の頭にはあるはずである。それをどうして出たのだろうかということは、実は私どももふしぎなのであります。そこで私どもは、これは青森に向けて出港するつもりはなかつたのだろう、港内において停留して、そうして荒れを避けよう、こういう考え方を持つたのではなかろうかという点についても考えてみたのでございますが、この調査報告の中にも申し上げました通り、実際は青森に向けて出帆したのだということは歴然たる事実なわけでございます。してみれば、一体船長はどうして出港を決意したのか、この点はいまだに私どもも疑問としておるのであります。これはあるいは浅井総支配人さんや管理局長さんなどが乗つておるので、その浅井総支配人や管理局長らを青森を午後八時五分に出る汽車に間に合せなければ、翌日の会議に間に合わない、こういう考え方を持つて船長が決意したのではなかろうかという点についても、ずいぶんつつ込んで聞いてみた。あらゆる方々にこの点についてはわれわれは完膚なきまでに質問をしたのでありまするけれども、それに対しては遺憾ながら確証をつかまえることができない。船長の考えとしては、これは適切な言葉であるかどうかわかりませんが、おそらく潜在的に、どうもこれは間に合せなければなるまい、こういうおえら方が乗つておるのに、自分は船長として三十何年間かじをとつて来た腕前であり、この洞爺丸というものは一等りつぱな船である、してみれば、この船で二十五メートルや三十メートル、しかも南下するのであるから、港口か津軽海峡さえ突破すればいい。そのくらいならばおれの腕前でやつて行けるのだという考えが潜在的に働いて、それで出港したのではなかろうかと、われわれはしろうとながらそういう判断をせざるを得ないのであります。遺憾ながらこの点については、われわれは、どうしても確実な情報をつかまえることができませんでした。
  39. 天野公義

    天野委員 山崎委員のお話ですと、国鉄側にたいへん好意のある御答弁のようでありますが、それではなぜ青森側では欠航していたのか、その点の御事情がわかりしましたら承りたいと思います。
  40. 山崎岩男

    山崎(岩)委員 ごもつともでございます。青森港におきましては羊蹄丸がちやんと停留して動かなかつた。しかるにもかかわらず、函館を出たのですから、私どもはますますわからなくなる。そこで船長さんが、総支配人や管理局長さんの御命令がなくても、心の中では汽車に間に合わせて、会議に間に合わせてやらなければならぬという考え方を持つたのではなかろうか。多少でも重圧的にそういうことを考えたのではなかろうかと判断する以外に道はない。
  41. 天野公義

    天野委員 そうすると、そういう暴風のある場合に欠航するか出航するかというような場合、青森側と函館側とで電話連絡なり何か連絡して、ここに意思の統一をはかつて、不時の災害を防ぐというような措置は、国鉄側としてはとらないのでございましようか。
  42. 唐沢勲

    ○唐沢説明員 最後の御質問にお答えする前に、先ほどから問題になりました洞爺丸船長が、なぜ出港を決意したかということについての私どもの判断を申し上げます。洞爺丸船長といたしましては、あの警報下でありますので、細心の注意を払つたことはもちろんであると思います。従いまして台風十五号の動静に関しましては、いろいろと情報を集めておつたに違いないと思います。ことに一番問題になりますのは気象通報でございまして、これは中央気象台あるいは函館海洋気象台というのが一番中心になるのでございまして、しかもその台風の位置、大きさ、速力というものが一番かんじんなことなので、そういう点について十分注意をしておつたと思います。またその他の気象通報、ラジオによるものなどにつきましても、この通信長の日ごろの執務ぶりなどから見ても、漏れなく集めて船長報告していると考えるのでございます。また船長が二等運転士のつくりました天気図と通報を受けました気象とを照合している事実も、山田二等運転士も言つておりますので、とにかくそういうようにいろいろと注意をしておつたと思うのでありますが、それではなぜそういうふうに注意した結果、出港にしたかということについて考えてみますと、結局先ほど来気象についていろいろお話かございましたが、十五時放送の中央気象台の臨時警報、それから十六時に放送されました函館海洋気象台気象情報、その他各種の情報を総合いたしますと、出港予定時の十八時三十分ごろには、台風の中心は本道の中央部に達するというふうに判断したと考えるのでございます。これは予報といいますと、たいてい実際観測したときから相当遅れた時間に放送されて予報になるのでございますが、そういう予報とそれから実際の台風の動きというものがこのたび非常に違つた。しかもそれが非常に猛威をたくましゆうする、まつたく予期できないようなものであつたというようなことが、結局ああいう結果になつたと思うのでございます。結局船長としましては、気象をいろいろ判断しまして――出発まぎわまでの情報によりますと、本道の中央部に行つてしまう。しかもその台風の大きさといいますか、そういうものにつきましては、最近の、十六時のときの予報にはたしか広さというものはないと思うのでございますが、その前の広さというようなものからいろいろ判断をしまして、結局出港時には本道の中央部に達するというふうに判断して出たのじやないかと思うのでございまして、この点はほかの船長も大体同じような意見を持つているのでございます。  それから青森側に置きました羊蹄丸が出港しなかつたのに、この洞爺丸だけ出たという点でございますが、羊蹄も青森側におきまして出港の準備をし、それからやはりいろいろと情報を集めておつたのでございますが、洞爺丸天候見合せを十五時二十分ごろいたしているのでございます。それが函館の司令から青森の司令の方へ、運航司令を通じまして羊蹄丸へ伝えたのでございます。従いまして洞爺丸天候見合せをしていますし、また船繰りといたしまして、大体客船などが片方へ寄つてしまうことを避けて、なるべく両方に置くというようなことにするのが慣例でもありますし、それらを判断しまして、洞爺丸出港を見合せたと思うのでございます。それから出港になりましたときには、洞爺丸出港したということは、もちろん函館から青森の方へも通知が行くわけでございます。そしてそのことも羊蹄丸に伝わつておるのでございます。そこで羊蹄丸としましては、気象の判断をすると同時に、出港の準備もしようとしておつたのでございますが、そこへすぐまた洞爺が仮泊したというような知らせがありまして、これらの事情から羊蹄は出港を見合せたということになつておる、そういう次第であるのでございます。  それから台風の目のお話もいろいろございましたが、船長台風の目と思つたかどうか。まあそう思つたといたしましても、それは結局あの時刻から考えまして、出港時までには、その台風の中心そのもののスピードで行けば道の中央部に行く。そして函館とかその線のすれすれくらいのところということになりはしないか、従つてさん橋あたりで突風が三十メートルとか三十二メートルとかいつても、それは比較的一時的のことであり、しかも青森に向つて行くときに海峡で苦しむのは最初のところだけでありますので、そこを越えれば、あとは台風も北へ行くのと、それからその海峡の状態から考えてそういう不安はない、こういう考えのもとに出港した、かように私どもは考えておるのでございます。
  43. 天野公義

    天野委員 そういたしますと、青森函館との連絡の点はある程度わかるのでありますが、いやしくも少し気象に関心を持ち、そして船に乗つてこれらの体験を得ておる者の判断といたしましては、台風の目というものは、それを中心として考えますと、たとえば初め東から風が吹いて来る、その場合に台風の目のときには風がなくなる、次の場合には正反対の方から風が吹いて来る。この正反対から吹いて来たものが通過してしまつてこそ、初めて台風が通適した、こういうことになるのであります。従つて台風の目というものは、風が東から来るならば、東からうんと強い風が吹く、これが一応治まる、そして治まつて台風の目のときに気圧がうんと下る、そうしたあとには今度西から強い風が追い返し吹いて来る、こういうふうになるのが常識なのであります。ところがこの第十五号台風の場合には、おそらく初めのうち強い風が吹いていたと思う。そして今度は台風の目が来て気圧が下る。そのときの状況を見て、これは台風が過ぎたのだという判断で出港をする。もし船長がそういう判断を下されたとすると、この人は気象に対してほとんど認識がないのではないか。船乗りとして、その適格性を疑わなければならない。資格を疑わなければならない。これが一般の船乗りの常識であります。従つてそういう点からいたしまして、気象台の方に、風向きの点と風速の点にどういう変化があつたか、一応御説明を願いたいと思います。
  44. 肥沼寛一

    肥沼説明員 台風の目が通過いたしますときに、その前後で逆の風が吹くというのは、ちようどその台風の目の中心の位置のときであります。目が少し横を通りますと、必ずしも正反対というわけではございません。函館の場合も、東の風が南から、次に西南西というふうにかわつております。実際吹きました風について申しますと、午後四時ごろからが問題だと思いますので、四時から申しますと、午後四時が東の風十七メートル、五時が東南東の十七メートル、六時が南南東十四メートル、七時が南の十八メートル、八時が南の二十四メートル、九時が南の二十六メートル、十時が南南西の二十三メートルであります。あと省略いたします。これは函館海洋気象台の観測値でございます。港あるいは海の上では多少かわつていたと思います。
  45. 天野公義

    天野委員 そういたしますと、初め東の風が吹いておつた。そうしてこの船の出港した十八時三十九分ごろは、あまり南に寄つておらない、南東辺の風ではないかと思う。ここで風がやんで、ぐんと気圧が下つた。そうした場合には、航海に経験のある者ならば、折返し別な風が吹いて来るということは当然判断がつくと思うのです。これは航海に御経験のある人からひとつ御答弁願いたいと思う。今申し上げたのは、最初の東の風が吹いて来て気圧の下るまでに、ほとんど風向きについて変向がない。そうして気圧が下つた。その状態出港しておる。従つて気象その他について経験があるならば、もう少し風向きのかわるのを見て、様子を見て、出港するかやめるか判断するのが当然である、こう私は判断するわけであります。
  46. 荒木善之

    ○荒木説明員 先ほど国鉄側から説明いたしましたように、気象台の観測ということに一応最大の関心を払つて出港のかぎを決定いたしますが、同時に付近の風向、風速というものに対しましても、もちろん十分な関心を払うことは当然であります。従いまして気象台報告の時間で行きますと、当時は十八時四十分になりますと、すでに台風北海道の中部から北に過ぎ去つておる。中心半径も全然放送されておりませんので、一応は百五十海里ということを基礎にいたしまして円を描きますと、函館港はほとんど半径の外に出てしまう、こういうことになると思うのです。それで風向が当然かわるということは予想されますが、一旦港外に出まして風向がかわつておらぬ、それから気圧度も下つておらない、上つておらないということに、船長が疑問を持つたということは考えられると思うのです。そういうことによりまして、一旦港外にいかりを入れて三、四時間の時間を待つて、待機して青森に直航するという判断を下した、こういうふうに推定されるのであります。
  47. 天野公義

    天野委員 今の判断は本委員会に対する報告書と非常に違つておるわけです。なぜといえばこの報告書には「一方気圧が著しく低くなつていたことに注意すべきではなかつたか」すなわち気圧がぐつと下つて、そうして風が一応ないだ状態がここに出ておるわけです。なるほど船では気象台の予報その他について、それを信頼するのも当然でありましよう。しかしながらそれはあくまでも資料であります。これは何といつて船長その他の長い経験と、並びに船に備わつておる諸計器の示す数字に従つて行かなければならないのであります。気象台の予報がどうであろうとこうであろうと、風が一旦ないで気圧がうんと下れば、台風の目が来たということはだれでもわかります。気象台の予報に全部責任をおつつけるということは、どうも納得が行かない。そういう状態でなぜ船を出港させたかということが、先ほどから問うておるように私どもとしてどうしても納得の行かない点であるのであります。だから国鉄の幹部の方が乗つておられて、その有形無形の圧力によつて船を出港させたのではないかという疑問を一般の人々も持ち、また私どもも持たざるを得ない直接間接の原因があるのではないか、こういうふうに考えるわけであります、そうでなければ、普通の常識としては台風が過ぎ去つてから出ればいいのであつて、何を無理して台風の目のときに出港の判断を下すということはおかしい、そういう点関連していかがでありましようか。
  48. 荒木善之

    ○荒木説明員 今お話のありました台風の目という現象を認めましたのは、十七時前と思います。十六時半か十七時と推定されるのであります。そうしますと台風の目は半径が十マイルか二十マイルということが、従来の実績から出ております。そうすると十九時ごろには目が通過して、二時間を経過しておるというふうに考えられます。二時間というのを当時の百十キロの速度で行きますと、これは圏内をはずれて来る。これは当然なことなんです。
  49. 天野公義

    天野委員 それがあまりにも予報その他にたよるための考え方であつて、これは台風の性格を長い間の体験上から経験しておるとすると、そういう判断はちよつと下せないのではないかと思うわけであります。この点は議論しても水かけ論になつて、過ぎ去つた問題でありますからその程度にしておきまして、もう一つこの出港直前に起つたことで、私の聞いておることについてちよつとただしておきたいと思います。  それは水産大学の実習生が日本の近海を方々実習をして、北海道の方に船からおりて行つて、この洞爺丸に乗つたのであります。ところが風が強い。そうして台風の目のようなものが来たらしい。このような状態ではわれわれは船に乗ることはできないと言つて、数名の者がタラツプをおりようとしたところが、タラツプが上つていてなかなかおろしてくれない。船員と半分けんか腰になつて船をおりた。おりたおかげで助かつた、こういう話を私は聞いておるのであります。そういたしますと、この人たちは航海には非常に経験がある、経験のある者がそういう判断をして、一旦乗つたものをおりておるのであります。またタラツプをおりる者に対して、これを拒否するような態度に出たというような話もあるのでありますが、こういうようなおりる者について拒否をするようなことがあつたかどうか、そういう点をあわせてお伺いします。
  50. 唐沢勲

    ○唐沢説明員 今のお話の学生が危険を感じておりられたような状況に、船を出港させるというような問題がございますが、これはやはり非常に主観的な問題で、生徒たちであるいは海をこわいとかきらいな者はおりることもあるとは思うのでありまして、船長としては自分の経験なり、あるいは思料なりに基いて判断したものと思うのであります。そこで今の生徒たちは、おりようとしたときにタラツプがおりていなかつた、またおりるのに非常に骨を折つたということでありますが、タラツプは天候見合せというようなときには、一応はずしておるのが常態でございますが、あまり長くなつたり、あるいは特に下船の要求があつたりするようなときには、かけるわけであります。あの当時の状況としましては、出港の相当前にはかけております。というのは、そのあとから一般の客も乗つたのでございますので、相当時間かけております。ことに一、二等とそれから三等も前部と後部にありますが、後部の方は相当長時間かけております。その記録もここにあります。要するに相当時間かかつておりますので、おりることはできたと思います。それからただ一、二等のタラツプが相当長時間かけていないようなこともございますので、その行つたときにかかつていなかつたというようなことがあるかもしれませんが、それで下船を拒否したように印象づけられた場合もあつたかとも思います。またボーイなりその他の係員に言いますと、おそらくこちらの方に口があるということで案内しただろうと思いますが、一応乗船名簿に記載して乗ることになつておりますので、おりるとすれば、どこのだれで、どういう理由だというようなことを聞くということもあつたのではないかと思います。そういうことで下船を拒否されたというようなお話もあつたかとも思いますが、私どもとしては下船を拒否したという例は聞いておりません。相当な数の方が下船したというふうに聞いております。
  51. 天野公義

    天野委員 それでは今度は別な点で、なぜ船が沈んだかという点を中心にしてお伺いしたいと思います。この報告書にもありますように、「青函鉄道局が、気象判断について的確を欠いたことは、資料の不足並びに異例の現象に遭遇した事実にかんがみ怒すべき点はないではないが、警報下において何ら警戒態勢をとらなかつたことは、業務上かつ精神上遺憾であると申さねばなりません。」こういうふうに出ておりまして、青函鉄道局はあの台風に対して何ら警戒態勢をとつておらなかつた、しかも責任者である局長が自宅に帰つてつたというような事態になつてつたのでありますが、青函当局のこういう態勢が、船の方にもある程度及ぼしておつたのではないか、このように考えるわけであります。船の方では一体当時どういう警戒態勢をとつてつたのでありましようか、それをお伺いしたいと思います。   〔委員長退席、岡田(五)委員長代理着席〕
  52. 唐沢勲

    ○唐沢説明員 船舶におきましては連絡船の救難処理規程というのがございまして、これに重大な危険が迫つた場合に対する平生の処置、あるいは実際起つた場合の処置について詳しく規程しておるのでございます。船の方は陸上と違いまして、船の操作なり運航なりをする職員が全部その船に乗つておるわけでございまして、それが船長の指揮下に一致して船を助けるといいますか、船の安全を保つ作業に一体となつて従事するわけでございます。そういう意味におきまして船長以下その手段を尽しておれば、船の安全ということについては確保できるというような態勢になつておるわけでございますが、今回の船が出港して以後の行動につきましては、私ども一応調査しておりますが、仮泊をいたしましてその後非常に風が強くなり、だんだん流されるようになりまして、その間あるいは水密とびらをふさぐとか、あるいはその他の万般の処置につきましては、一応生き残つた船員などに聞きましても、遺憾なくやつてつたと考えるわけであります。それから陸上におきますることにつきましては、今申し上げましたように多少線路上の問題と海上の問題と違いますが、局長あるいは部長は自宅におつたことは事実でございますが、運航関係につきましては、一番事情の明るい海務課長に一応一切の責任をまかしておりまして、その海務課長がずつとおりまして、船の状況を見て適当な指示をしておつたのでございます。この洞爺丸が非常な危険な状態なつたときには、すぐに連絡して局長、部長も出ておりまして、非常態勢をとるというふうな状態でございました。
  53. 天野公義

    天野委員 そういたしますと、船自体といたしましてはある程度荒天準備その他をしたと思うのでありますが、しかしながらこの報告書にもありますように、「船そのものの構造の欠陥、開口部の不備ないしは閉鎖不完全、積載車両の転覆等が考えられる」というようなことが言われておりますが、なぜ船が沈んだかという第一の原因は、浸水によつて機械が動かなかつたという点であります。これはこの前の委員会でも私がお伺いをした点でありますが、この前は事情がわからないからという点で、答弁がなかつたのでございます。普通荒天準備、SOSの発信をするという非常な状態であつた場合には、水の漏らないように全部締め切るのが大体の常識である。そうして水さえ入らなければ、エンジンがとまるということは考られない。いろいろここにもありますように、開口部不備もしくは閉鎖不完全によつて水が漏つたのか、もしくは構造上の欠陥によつてどこかから水がじやあじやあ機関室に入るような構造になつてつたのか、そういう点今までわかつたところでけつこうでございますから、お教え願いたいへ思います。
  54. 唐沢勲

    ○唐沢説明員 船の構造につきまして、一番御疑問の水が機関部の方に入つた点でありますが、これは先ほど正木委員からの御質問に対しても申し上げましたように、石炭を入れる口、空気の口とかたくさんございますが、これらは水密の銅製のとびらをつけてちようネジでするようになつておりまして、この点については検査を受け、日ごろの手入れも十分にするように注意してあるのでございますが、あの非常な大波にあたりまして、そこにひずみを生ずるとかいろいろなことで、そこに入りましたかどうですか、この点につきましては実際にその船そのものをもう少し調査してみなければわからないのでございまして、牛き残つた人たちに聞いてみましても、相当水が漏つたように言つておる者もございますが、これはどういう理由であつたのか、意外な、まつたく予想しないような大きな波の圧力といいますか、そういうようなものによつてひずみができたのか。そういう点については責任あるところの御調査をお願いしたいと思つているわけでございます。
  55. 天野公義

    天野委員 ただいまの問題は、おそらく海難審判庁で一番問題とされる点ではないかと思つております。従つて責任ある海難審判庁その他の結論がいずれ出るでありましようが、私といたしましてはその結論に信頼をして、この問題はこの程度にいたしますが、もう一つはこの報告書にもありまするように、船長は坐礁を決意して、そして船の平衡と乗客の退避に備えようとしたというふうに言つております。これは大体機関部ないし機械部の状態がどのようなときに、こういう坐礁を決意されたのでありましようか。
  56. 唐沢勲

    ○唐沢説明員 お答えいたします。この坐礁を決意したかどうかということにつきましては、実は私どもも的確にそうだというふうに断定するほどの資料もないのでございまして、まつたく予測しない非常な強い波と風によりまして、むしろ流されて行つたのではないか。そこで任意に坐礁するといいますのは、エンジンをかけまして積極的に安全な砂地へ乗り入れて、そして坐礁するというのが坐礁でございますけれども、この際の坐礁というのは、洞爺丸の場合におきましては、結局エンジンも動かなくなつて参りましたので、結局流されてあの海岸の方へ行つたのではないか。しかもあの辺になりますと海底がそう深くない。十メートル、十一メートルくらいでございますが、あの異常な波のうねりによりまして、海底も相当変化が起つたのではないだろうかというふうにも想像されるのでございます。そこでおそらく船長としましては、坐礁といいましても、結局うまく風に船を立てて、そしてその方向を保つたままうまく砂地へ乗り上げるというような考えがあつたのではないかと想像いたしますが、いわゆるエンジンをたいて積極的に砂地へ坐礁するというような考え方であつたろうかどうか。その点は若干まだ研究を要するのではないかと思いますが、一つの考え方といたしましては、海底が非常に変化して、いわゆるでこぼこというか、そういう砂の山ができた。そこへ乗り上げたのではないか。そこでその山がまた船が乗つた関係によつてくずれるというようなことによつて、急に転覆したのではないかというようなことも考えられるのでございますが、その辺の詳しいことにつきましては、私どもといたしましてもまだ調査中でございます。
  57. 山崎岩男

    山崎(岩)委員 天野委員にお答え申し上げます。調査団といたしましては、坐礁を決意したということを報告書に申し上げますにつきましては、ある程度の真相をつかまえてお話申し上げたのでございます。まずその真相と申しますのは、三等客室のボーイ長をやつておりまする高岡外治郎さん、五十二才になる方の証言がございますので、それを御参考にここで読み上げます。これは私の記録でございますので、いろいろ言葉や何かのあやも欠けていることがございましようけれども、読み上げて御参考に供したいと思います。  「二十時ごろ左舷の四角い窓が七、八箇所破られて水が入つたので、客は右舷の方へ逃げて来た。しかし三等室のたなからはあまり物が落ちて来なかつた。しかしローリングの際男一人、女一人打撲傷を受けたので、治療をしてやつた。電気はついていたが、エンジンがとまつた。そのころ救命ブイをつけろとの放送がありました。自分は一等運転士に事情を確かめるためにブリツジに行つてつたところ、これから七重浜へ坐礁させるから、お客にブイを着けさせろとさらに言われた。右舷に横転しそうになつたので、左舷にまわれと叫んで歩いた。アメリカ兵は二等の船員通路をまわつて、二等寝台の前と一等食堂の通路へ上げた。米兵もブイをつけていた。ブリツジから渡辺操舵手をもつて伝令があつた。風は大体三十メートルで治まつた。船は坐礁して転覆した例がない。あと一時間くらいすれば救助艇が来るから、しばらくがまんしてくれと伝令が言つて来た。さらに船内に放送された。船客も至つて平静ですわつていた。しかし傾斜がはなはだしく、立ち直る様子が見えないので、不安となり、アメリカ兵の前を通つて一等の配膳室に入つた。中には五、六人おりました。あと一メートルくらいで出口に届くと思うころ、電燈が消え、出口に飛び出した。その瞬間横転した。ハンドレールにつかまつて船腹へ上ろうとしたが、できないのでボートデツキに上つた。それから波にさらわれて漂流した。」  これは高岡さんの証言の中に二度ばかりあるのです。これから坐礁する。坐礁するというと船というものは転覆するものじやないということを放送した。そこで自分はその放送が確かであるかどうかということを一等運転士に確かめるために、ブリツジに行つたということを証言している。ですから船内に放送しているという事実もありますし、生き残りの三等室のボーイ長が、そのことを確かめるために行つたという事実もありますので、これは七重浜に坐礁させるために方向をとつたけれども風向きのためにどうしても直角に立てることができなかつたそこで七重浜に並行して波にたたかれて横転した。こういう報告書を書いたのでございます。
  58. 天野公義

    天野委員 大臣もお急ぎのようでありますから、大臣に一、二点お伺いしておきたいと思います。まず第一点は、今度の非常な災害に逢着いたしまして、遺族の方が非常に多くなりました。その遺族の方に対する弔慰の方法といたしましては、いわゆる見舞金もしくは国鉄有責という場合には、法に基いての補償金ということになるわけでございますが、人の命もしくは遺族の方々の生活というものは、一時の補償金というような金であつては、解決つかない問題がたくさんあるわけであります。従つて、政府なり国鉄なりの両者においては、この遺族に対する生活の保障、たとえば就職のあつせんであるとかいろいろな点があると思いますが、そういう点について遺族側から申出があつた場合には、万遺漏のないように措置をする必要があると思うのであります。こういう残された方々の今後の行き道について、運輸大臣並びに国鉄総裁はどういう指導をされ、どういう方針で進まれるか、お伺いしたいと思います。
  59. 石井光次郎

    ○石井国務大臣 まことにお説の通りでございまして、金銭をもつてかえがたき問題でございますが、どういたしましてもいろいろな災害との関係もございますので、先ほどのような決定を発表したわけであります。しかし今後の遺族の方々の生活問題についても、できるだけの考慮を払い、お手伝いをすべきものだという話が私ども間にも出ております。これが現状であり、また当の仕事をやつております国鉄においてできるだけのことをしようということで、寄り寄り話をしているようでございます。そうやつて遺族の方々に少しでもお手助けができればたいへんけつこうだと思つて、それを推進し、また援助しているわけでございます。詳しくは総裁から申し上げます。
  60. 長崎惣之助

    ○長崎説明員 ごもつともなお話でございます。大臣から申し上げましたように、人命を金銭的に解決するということでは相済まないのでございます。しかしながらいろいろ御遺族なり御家族の方々の御事情もございましようから、そういうような事情等をも今後十分にくみとりまして、でき得る限りのごあつせんなりあるいは御協力なりを申し上げたい。それにはどういうような方法で行くべきか、いろいろな点で問題があると思います。ひとり国鉄だけでやれるかやれないか、各種の団体等の協力を得なくちやならぬのではないかと考えておりますが、できるだけ早い時期にそういう考えをまとめ、あるいは一つの団体のようなものをつくらねばならぬかもしれません。いろいろな問題もございましよう。一日も早くそういうような考え方を固め、実行に移つて行て、御遺族なり御家族の方がお困りにならないようにやつて行かなければならぬ、かように考えております。
  61. 天野公義

    天野委員 もう一点大臣にお伺いしておきたいと思います。それは気象関係の問題でありますが、先般の委員会でも、北方定点を復活するについては努力をされるというような大臣の御答弁があつたわけであります。これはできるだけ早く北方定点を復活することは論をまたないところでありますが、今回の災害を契機として、いろいろと気象関係を判断してみますのに、気象全般として考えますならば、中共地区並びにソ連のシベリア地区の情報が入らないことが、日本の気象判断を誤らせる一つの大きな原因になつているわけであります。こういうことを考えて、日本海並びに東支那海の方に定点観測を実施する必要があると私は考えているわけであります。従つて日本海並びに東支那海、それから北方定点観測の復活、こういう点についてどういうお考えを持つておられるか。   〔岡田(五)委員長代理退席、委員長着席〕  それからもう一つは、気象台として、もしくは気象観測専門の用具としてわが国自体で航空機を持ち、台風の観測に当らせて、時々刻々その情報を知らせて行くというような方法もとる必要があるのではないか。また地上においてはレーダーその他をもつと整備して行く必要があるのではないか、こういうふうに考えますが、これらのわが国の気象機構の整備について、大臣はどういうお考えを持つておられるか。この際伺つておきたいと思います。
  62. 石井光次郎

    ○石井国務大臣 定点観測を復活したいという希望を持ち、またこれを台風だけでなく、いろいろな冷害の問題その他につきましても充実しなければならないということを考えておりまして、予算も要求をしております。これの実現を期したいということは、前にも申し上げた通りでございます。今のお話の中の日本海方面にもそういうものを置く必要がないかというような問題は、日本をめぐる海の上で動いております船の量が戦前に比べるといろいろなものがぐつと減つておりますので、そういうものから出ますいろいろな情報通報が非常に貧弱なわけでございます。そういたしますると、できる限りそういうものを補う方法を考えなければならない。そこに定点観測の問題が浮び上つて来るのでありますが、一箇所定点観測をするために、船が大体二はい半くらいの割にいる。半というのもないから、一箇所に三ばいというような計算をいたしているわけであります。これらの費用が一ぺんになかなか出にくい状態にあるので、昨年も私どもは置きたいと思いましたが、いろいろなことでなかなか実現ができなかつたのでありますから、これらにつきまして私どもは実際にできるような線で要求をしようというので、昨年の本年度の予算を要求いたします際よりは、幾らか費用も下げておりますが、これらに使います船の量等を実際に切り詰めまして、そのかわりこれはひとつぜひやつてもらいたいという線でやつているのであります。これには日本海の方は出ておりません。まず私どもは北方の定点を回復するということを一ぺんにやりたいということでございます。  それから飛行機の観測の問題も、話には出るのでございますが、ただいまのところはアメリカにたよつておりますが、将来の問題としては、日本自身が飛行機を持ち、自分の欲するときに飛ばして観測をすべきでないかということは、私は正論だと思うのでございます。この問題につきましては、飛行機そのものの大きな訓練問題もあり、飛行機そのものを整備する問題も、両方あるのでございまして、今速急というわけには行かぬであろうというので、実はただいまのところでは来年度の予算に組むことは考えていないのでございます。来年は北方の定点観測をひとつ大きく浮び上らしてもらいたいということ、それから現実の問題といたしまして、全国で昨年の水害の経験によりまして、通報機関、それから測定器具類等の配置を相当補正、その後の予算等でよくやつていただきましたけれども、これらではまだ足りないところがある。またその設置されている場所等で、不完全な器具がかりに使われておるようなところで、もしまた台風その他のいろいろな問題が起こりましたときには、はなはだ申訳ないことでありまして、これらの充実ということが実は第一の問題と考えておりまして、これらの問題に関連いたしまして、今お話のような点をだんだんと充実さして行きたいと思つております。
  63. 天野公義

    天野委員 今の気象の整備については、今後大臣におかれてはなお一層御努力をお願いしたいと思います。ほかに質疑をされる方もありますので、一応ここで打切ります。
  64. 關内正一

    ○關内委員長 それではこれにて散会いたします。    午後二時十八分散会