○山崎(岩)委員 ただいまより
洞爺丸等国鉄青函連絡船沈没事件調査のため、本委員会より派遣せられました調査団を代表いたしまして、調査の結果について御報告申し上げます。
本調査団は
自由党山崎理事、改進
党臼井委員、
日本社会党楯委員、
日本社会党竹谷理事及び現地において参加せられました小
会派クラブ館委員の五人をもつて構成せられたのであります。
一行は一日東京発、一路函館に向つたのでありますが、途中連絡船第十二青函丸について航送船の構造及び設備等に関し
実地調査を行つた上、二日午後函館に到着、直ちに七重浜、
国鉄職員集会所、慰霊堂に
遭難死没者の霊を弔い、渡辺病院に生存者を慰問した後、菊川、富吉両代議士御遺族に弔意を表しました。
翌三日より調査を開始いたしまして、午前中は
函館海洋気象台において竹内台長、
成田予報官より
事件発生当日の
気象状況、
青函鉄道管理局との連絡等について説明の聴取、質疑を行い、午後
函館海上保安部において渡辺第一
管区海上保安本部長及び
木村函館海上保安部長、
松崎図誌課長より
洞爺丸等連絡船の遭難状況、当日の
気象状況、
海難救助作業、航送船の構造等について、
海上自衛隊において
大湊地方総監部小国総監より救助作業について詳細説明を聴取、種々質疑を重ね、さらに
青函鉄道局に第十二
青函丸祐川船長、
亀谷一等航海士等を招致しまして、遭難当日の同船の状況について詳細説明を聴取いたしたのであります。
四日午前中は
青函鉄道局長室に
青函鉄道局の
現場関係者、すなわち
今村無線区長、
田添船員区長、小川駅長、西田さん橋長、山本同助役、
工藤電務区長を、午後は
高見青函鉄道管理局長、
森船舶部長、
川上海務課長、
成田運航司令、
中沢運輸部長をそれぞれ招致いたしまして、
事件発生当日の
気象判断並びに気象台との連絡、各連絡船、特に洞爺丸の出港前後の状況、関係部局、現場間の指令連絡、
浅井総支配人等の動静等について説明を聴取した後、調査団の調査いたしました資料に基き質疑を重ねたのであります。
五日午前中は、
洞爺丸乗組員中の
生存者阿部二等運転手、川上二等機関士などより、
洞爺丸出港前後より遭難に至るまでの状況について聴取いたしまして、同日午後
函館海上保安部のランチにより
洞爺丸沈没現場におもむきまして、
遭難死没者の霊に対し花束をささげ深く哀悼の意を表し、救難作業に従事しつつある人々の労苦をねぎらいました。帰来さらに調査を続け、
西岡船舶部業務指令、中沢さん橋勤務員、
成田海洋気象台予報官に対し、気象情報の伝達に関し重ねて質疑した後、小野第六
青函丸船長より第六青函丸の退避状況について説明を聴取いたしました。
最終日の六日には、さらに山本さん橋助役、
竹内海洋気象台長に対し
補足的質疑を行つた後、
高岡洞爺丸三等給仕長より事情を聴取いたしました。
以上をもちまして函館における調査を終りまして、青森において山田東北副支配人、
鈴木盛岡局長、
桐野青森駐在船舶運輸長、永野青森さん橋長、
宮下運航司令より事件当日の青森における諸状況について質疑をいたしまして、七日朝帰京いたした次第であります。
本調査団の調査の目的は、事件の真相並びに責任の所在の究明にあることは申し上げるまでもないのでありますが、いたずらに非違の摘発のみに流るることなく、緊急及び
恒久的対策の確立という
建設的立場において調査を行つたことを、特に申し上げておきたいと存じます。
次に調査の結果について申し上げたいと存じますが、調査の対象並びに範囲は、調査の進捗に伴い、事件当日の
気象関係、洞爺丸の
出港関係及び
事件発生前後の
警備関係、事後の措置等に漸次圧縮されて参つたのでありまして、以下順を追うて申し述べたいと存じます。
まず第一に
気象関係について申し上げます。
函館海洋気象台竹内台長の説明によりますと、当日すなわち九月二十六日台風十五号が北海道に向う気配が濃くなつて来たので、十二時三十分渡島、檜山地方に対し
暴風雨警報を発表し、「東後北西の風が強くなり
最大風速陸上二十ないし二十五メートル、海上二十五ないし三十メートルに達し、総雨量は三十ないし三十五ミリで、明朝から回復して来る見込み」と警報し、次いで右と同一内容のものを
青函鉄道局輸送司令に対し電話をもつて通知したというのであります。その後情報によつて経過を知らせることとし、十六時、十八時、二十一時と引続きNHKを通じ情報を公表し、さらに二十二時にも情報を流そうとしたが、二十一時ごろより
電話線不通のため、これを公表することができなかつたということであります。
国鉄に対する気象台の
通報関係は、
中央気象台長と国鉄総裁との間にとりきめがあり、
全般鉄道気象通報については、
中央気象台長より
国鉄本庁運転局長へ、
地区鉄道気象通報については
気象官署の長より
鉄道管理局長へ、それぞれ伝達されることとなつておるのでありまして、函館の場合は、
海洋気象台長より
青函鉄道管理局長へ伝達されるのであります。青函局においては
気象通報を局長の
職務代行者として
輸送司令が受け、これを電務区長を通じて予報区内の関係箇所へ伝達することとなつております。なお
地区鉄道気象通報の意義は、
気象官署担任者区域内に
異常気象が発生して鉄道の業務に支障を及ぼすおそれあることを予想した場合、
気象官署の長から
鉄道管理局長に発する
気象通報をいうと規定されております。これにつき
海洋気象台では本年三月二日警報等の打合会を開催し、青函局よりは船舶部、施設部、
運輸部関係の職員が出席しております。
なお気象台には、予報室を含め、公衆電話三本があるだけでありまして、法的に定められた警報の伝達を行うには約一時間半ぐらいの時間を要するを通例とし、鉄道との連絡も
同様公衆電話によるのであります。
青函鉄道局について、気象台との連絡施設として
鉄道電話の架設ないしは
短波受発信機の設置、非常時における連絡員の派遣等についてただしましたところ、かかる点については従来ほとんど考慮されていなかつたようであります。
右のごとく規定の上では、気象台と鉄道との間の
気象通報関係は一応整つているわけでありますが、調査の結果当日規定のもの以外に気象台より鉄道に対し通報したものはなく、鉄道側よりは、気象台に対し十七時四十分より四十五分の間に青函局の不明箇所より二回、予報室に対し十四時ごろ駅の者と称する者より、十五時ごろ駅長室より、十五時と十六時の間に施設部よりそれぞれ問合せがあつた事実が判明いたしました。
以上のうち調査団の最も関心を持つたものの一つは、十一時三十分の暴風警報中
最大風速海上二十五ないし三十メートルの最大の解釈でありまして、
気象台長は
最大風速とは瞬間風速ではなく十分間の
平均風速を意味するものであつて、海上における突風はその倍まで見るが、通例七ないし八割増しと考えるのが、船長その他
船舶運航関係者の常識であると注目すべき答弁をしたのでありますが、船長の経験を有する
青函鉄道局川上海務課長は初めこれを否認し、さらに追究したところ、
平均風速であることは承知しているが突風は五割増し以内と答え、祐川第十二
青函丸船長、小野第六
青函丸船長は、
最大風速二十五ないし三十メートルとあれば約三十ないし三十五メートルぐらいに見ると言い、台長の考え方は調査団の調査の範囲内では、少くとも
青函局船舶運航関係者には徹底していないのではないかという印象を深くいたしたのであります。なお本件に関し
海洋気象台より九月二十八日付をもつて運輸大臣に提出した「台風十五号に関する報告書」中には、「
鉄道気象通報式解説書によつて当台から出した
鉄道警報の風速陸上二十メートルないし二十五メートル、海上二十五ないし三十メートルは瞬間風速ではなく
平均風速であることが了解されるようになつている」旨の記述がありますが、国鉄側について調査した結果、国鉄にも
鉄道気象通報心得と称するものがあり、その附表第八においては
最大風速と瞬間
最大風速とは区別していることを申し添えておきます。
次に調査団の持つた疑問は、当日急変せる天候は、前に申し上げましたとりきめによる「
異常天候が発生して鉄道の業務に支障を及ぼすおそれのあることを予想した場合」に該当しないかどうかという点でありまして、気象台が当日のごとき現象を観測し得たならば、何らかの方法によりこれを鉄道側に速報することができなかつたかということであります。特に十七時より十八時に至る間風速が十ないし十五メートルに落ちた際、続いて強風が吹いて来るという現象を的確に把握し鉄道並びに一般に警告しておれば、船長の
気象判断も違つたものになつたであろうと考えられるのであります。
青函鉄道局森船舶部長は、十六時と二十一時との情報の間はほとんど空白とも言うべく、特に十五時現在秋田沖を毎時百十キロの速度で東北に進んでいるという情報以後、台風の時速が五十キロ程度に落ちたことについては何ら通知を受けていなかつた旨述べておるのであります。
これにつき台長は、予報できなかつたことは申訳がないが、現在の施設と人員をもつてしては、現象を事前に把握することはきわめて困難または不可能で、
地方観測所に対し副低気圧の発生等の変化につき注意することは当然であるが、科学的に明確につかんでいない現象を一般に公表することは不可であると答え、
成田予報官もまた技術的に見て至難であると答えたのであります。なお今回のごとき
異常天候を観測するためには
北方定点観測は必要かどうかという点については、台長の私見としては、東北、
北海道全般の
気象観測、特に冷害の予測については
定点観測を必要とするが、北海道のみに限定するときは、さらに日本海の北緯四十ないし四十二度、東経百三十度付近に
定点観測を要望するとの答弁がありました。
次に、
青函鉄道局管内の
気象通報の伝達方式でありますが、
輸送司令より電務区を通じ船舶その他所定の箇所へ伝達されることとなつておることは前にも申しましたが、当日八時四十分に八時十八分気象台の発表のものを、十三時に十一時三十分発表のものをそれぞれ有線電話で伝達しております。なお当日鉄道側より気象台に問い合せた件は時間的には食い違いがありますが、それと認められるものがあり、特に十七時四十分頃
西岡船舶業務司令が予報室に問い合せた「今は静かだが風は南西が北西に変り風速二十ないし二十五メートルとなる」旨の情報は、山本さん橋助役より
洞爺丸水野一等運転士に伝達されているとの言明がありました。
次に当日十七時頃より急速に風が弱まり、青空が見え、日がさして来たという現象を、
気象台長は台風の目と認め、続いて強風が来ると判定しており、第一
管区海上保安本部長は第一現象と筋二現象との間に現われた現象と見ておるのでありますが、あまり専門的にわたりますので、ここには問題の所在として若干の疑問を残すということにとどめておきます。
以上により
気象関係について調査団の所見を申し述べますと、大体次のようであります。すなわち九月二十六日当日
函館海洋気象台は、所定の警報並びに情報を公表するとともに、
青函鉄道局に対してもこれを通知しておるのでありまして、現在の施設及び人員をもつてしては、やむを得ないものと認められるのではありますが、結果的には、当日の気象の変化につき迅速かつ正確に現象を把握し、適切な中間情報を公表することが望ましかつたのであります。
青函鉄道局内における所定の警報等の伝達については、手落ちの点はないが、当日のごとき
異常天候に対処するためには、気象台との連絡について積極性を欠いていたことは認めざるを得ないのでありまして、特に気象台に対する照会にあたりましては、部局、職名、目的等を明らかにして回答を求むべきであり、重要なる照会を行うに際しては、当該職場の長主任がこれに当るがごとき用意を必要とすると認めるのであります。
なお函館には地理的な特殊性にかんがみ
海洋気象台が設置されておるにもかかわらず、気象台と鉄道との間に
直通連絡施設すなわち
鉄道電話の架設、
短波送受信機の設置等に欠くるところがあつたのはまことに遺憾であります。
第二に、洞爺丸の
出港関係及び
警備関係について申し上げます。まず
高見青函鉄道局長の説明並びに
阿部洞爺丸二等運転士、川上二等機関士の陳述等を総合して、出港当時の状況を申し上げます。
当日洞爺丸は、十四時四十分四便として函館丸の予定であつたが、五便大雪丸の着港が遅れたので五分遅れの四十五分出港に変更したところ、十三時二十分発一二〇二便第十一青函丸が、天候不良のため十三時五十三分港外より引返して来たので、同船の乗客百七十六各を移乗させた。
乗客移乗終了後、山本さん橋助役よりボギー車を積み込むよう要請があり、これを積み込んだ後さらに貨車をも積み込むよう要請があつたが断つた。かくて船長は出港を決意したが、停電のため可動橋が動かなくなつたので、十五時十分頃出港見合せを船内各部及びさん橋に通知いたしました。
十七時三十分ごろ
水野一等運転士は十八時出港準備、十八時三十分出港を通知したが、石狩丸が第二岸壁において着岸作業を開始したので、九分遅れの十八時三十九分、船客千二百四名、貨車八両、客車四両を積載し、遅れの四便として出港したが、港口通過後風浪のため十九時一分
南口防波堤燈台より三百度、〇・八海里の地点に投錨仮泊いたしました。
次に遭難の模様を阿部二運及び川上二機の陳述を総合して申し上げますと、出港後補助汽船が離れるころ阿部二運は、有川で突風が三十二メートル吹いているといつている旨を船長に報告したところ、船長はあまり風が強ければ錨泊すると言つた。十九時一分、
防波堤燈台から百二十三海里、後で聞けば三百度、〇・八五海里の地点まで
行つて南西風に船を立てて投錨した。初め右舷の錨を六節、次いで左舷の錨を九節入れたが、船の立つのが、いつもよりもおそいように感じた。このときエンジンを使つていたようであつた。投錨後間もなく風速三十メートルとなり、大体西南を中心に左右に二点くらいゆれた。このころ風はますます強くなり、最大突風五十七メートルとなり、エンジンを種々使用して風に船を立てたが、幾らずつか流された。二十時三十分ごろより二十一時ごろ貨車甲板から浸水し、水手長の言によれば、機室や缶室からも浸水した。このところ川上二機は、二十時ごろ
左舷発電機前の
エスケープ付近、
左舷主機上の
エスケープ及び空気抜きの開口付近より浸水したと述べております。
さて、その後左舷機が不良になり、五、六分でよくなり、さらに右舷機が不良となつたが、これも間もなくよくなつた。両舷機が不良になつたのは二十二時ごろで、乗客に救命胴衣をつけさせたのもこのころだつたと思われる。このところ川上二機は、二十時過ぎ
エスケープの口蓋を完全にしたが、二十時四十分缶前より浸水はなはだしいとの連絡あり、石炭庫にも浸水したので、取出口の一インチくらい開いていたのを完全に締めた。二十時五十分から二十一時の間に缶室と機関室の間の水密扉を締めたが、機関長が連絡の必要上半開きにせよと命じたが、半開きにならないのでまたあけたと述べております。
両機が不良になつてから、船は左舷に風を受け、右舷に二十度から三十度くらい傾きながら流された。二十二時二十六分に船体にシヨツクを感じ、右舷に四十度傾斜した。座礁したものと思われる。
SOS打電後四分ないし六分くらいたつてから右舷側より浸入した波のために、
船橋中央部のドアから自分は投げ出された。そして船は横転したと思う。このところ川上二機は、二十一時三十分左舷の主機振動し、船は左舷に二十度傾斜、
センターモーター、エアポンプ・モーターに浸水した。二十二時ころより船はますます右舷に傾き始め、二十二時十分右に二十度ないし三十度となり、右舷機にも浸水した。電気が消えたのは二十二時二十七分ころで、四十度ないし五十度くらい傾斜し、二十二時三十分ころ船は横転したと述べております。
洞爺丸遭難の模様は以上のようでありますが、この状況の裏づけ、かつ時刻の照合に便するため当時洞爺丸よりの無電連絡をもあわせて申し上げておきます。「二十時十分、LST五四六
号SOSコチラモ函館港外ニイル、強風ノタメ自由ヲ失イ難航中」、「二十一時二十五分、エンジン、
ダイナモ止りツツアリ、突風五十五メートル」「二十一時三十七分、
右舷発電機故障、左舷エンジン不良、
ビルヂ曳困難」「二十二時一分
辛ウジテ船位ヲ
保チツツアリ、詳細後報」、「二十二時八分主エンジン使用不能」「二十二時十二分、両舷エンジン不良ノタメ漂流中」、「二十二時二十七分第三
防波堤竿ヨリ二六七度、〇・八海里、風速十八メートル、突風二十八メートル、波八、」「二十二時三十分座礁セリ」、「二十二時三十九分、SOS、トウヤマル、
函館港外青灯ヨリ二百六十七度、八ケーブルノ
地点ニテ座礁セリ」、「二十二時四十一分、本船五百
KCニテSOSヨロ」以後応答なく、さん橋ではこれを無電機の故障と思つた由であります。
洞爺丸の
SOS受信後さん橋長は命により補助汽船四隻を二十二時五十五分に出動せしめたが、右四隻はいずれも風浪のため現場に接近することができずして途中より引返し、また、二十三時十二分
函館海上保安部もおくしりを救助に出動させておりますが、これまた風浪のため接近できなかつたのであります。
従つて洞爺丸沈没の時刻は確定いたしておりませんが、
青函鉄道局がそれを確認したのは七重浜に漂着した乗組員の報告によつてであります。
洞爺丸出港前後における各連絡船の行動を見るに、第十一青函丸は前述のごとく出港後引返しており、その他北見丸、日高丸、大雪丸、十勝丸の諸船はいずれも相前後して投錨仮泊しておるのでありまして、一方青森発の羊蹄丸は出港を見合せております。洞爺丸もまた十五時十分ころ出航を見合せたのでありますが、その約三時間後、なぜに出港を決意したか、この一事はきわめて重要であります。
まず問題は、同船出港の目的は、暴風を避けるため港外に仮泊することにあつたのか、または青森に向けて出港したのかという点であります。この点については、遅れ四便として
ダイヤ整理を行うこととし、十八時三十九分出港まで客載のまま待機させたことは高見局長など局幹部の言明するところでありまして、
洞爺丸阿部二等運転士及び川上二等機関士もこれを認め、また出港に際し電波法による
通信圏入出の通知として同船より「遅れ四便十八時三十九分発」の旨を送信し、
函館鉄道海岩局はこれを受信した上、さん橋長より青森へ通知しておるのであります。
従つて洞爺丸出港の目的は仮泊のためではなく、青森向けであることは明らかであります。
はたしてしからば、洞爺丸の船長が当日の気象状態をどの程度まで把握し、かつ判断したかという点であります。当日気象台の公表した警報及び情報は同船においても承知しておることは、第十二
青函丸船長等の言に徴しても明らかであると申しても誤りはなかろうと思うのでありまして、なお十七時四十分ころ
西岡船舶業務司令の予報室より得た情報が、
水野一等運転士に伝達されておることは前述した通りであり、また阿部二等運転士は、十八時二十分ないし二十五分ころ山田二等運転士が有川さん橋に風速を聞いたところ突風は三十二メートルとのことで、これは山田二運より船長に伝達したようである旨陳述しております。
右のほか、
局関係者の答弁から推しても、大体において
気象台発表の
海上最大風速二十五ないし三十メートルを基準として
洞爺丸運航の可否を決定したと思われるのでありまして、多少それよりは強くなることは考えたようでありますが、空風が五十四メートルないし五十七メトールに達するであろうという想定はまつたくなかつたと断言せざるを得ないのであります。しかしながら十七時より十八時に至る間の風速は十ないし十五メートルに落ち、いわゆる台風の目と判定せられる状態にあつたのでありますが、一方気圧が著しく低くなり、九百六十ミリバール程度になつていたことに注意すべきではなかつたかと考えられるのであります。
また貨物船が欠航しているのに、
洞爺丸のみが出港した理由については、客船は貨物船に比べて風浪に耐え得る自信があり、従来といえども風速二十五メートルくらいでは運航したこともあり、最大三十二メートルくらいの例もあるとのことであります。但しそのときの風はいわゆる季節風であつて、風向きが一定していることに注目すべきであります。
次に問題となつたのは、出港に際しなぜに乗客を下船させなかつたかという点であります。出港に際し、前途に不安を感じ下船を申出て下船した者、またはタラツプがすでに上げられたために下船できなかつた者が若干あることは事実であると認められます。しかしながら出港の目的が仮泊のためであるとするならば、乗客を下船させることの可否について問題がありますが、すでに申し上げた通り出港の目的が青森向けである以上、結果論は別として、下船させなかつたのは当然の処置であると申すべきであります。
次に出港の決定に関し質疑を重ねたのでありますが、高見局長は船長に絶対権限のあることを認め、祐川第十二
青函丸船長、小野第六
青函丸船長等の答弁もまた同様でありまして、出港に際し局長その他と協議することなく、一等運転士の意見を徴することはあるが、最終的には船長が決定するということは明らかであります。
しからば、局長は連絡船の運航に関しまつたく指令する権限を持たないかというに、高見局長はダイヤの決定または変更という業務命令の面において、九割九分までその権限を持つが、最後の出港の判断、決定については慣習上船長に一任させており、これに関与することはないと答え、さらに当日のごとき天候に際し、局長は何らかの命令または指示をなすべきではなかつたという点については、当日の状況ではその必要を認めなかつた旨を答えておるのでありますが、すでに暴風警報が発せられ、各連絡船が避難状態にあつたにもかかわらず、局の幹部がこれがため警戒態勢を整えていたという事実は遺憾ながら認められないのでありまして、このことは当日の気象の変化について多くの関心を持たなかつた証左であると言えると思うのであります。従つて、局長管理下の船舶関係諸機関に対し適切なる指揮に欠くるところがあつたかと思われるのであります。
次に浅井北海道総支配人等が、洞爺丸船長に対し出港を強要した事実があるかどうかについては、高見局長及び当日出港まで船中にあつた
中沢運輸部長、
川上海務課長はいずれもこれを否認いたしております。また浅井支配人等が東京における会議に出席するため同船によらなければならないということは、時間的から言つても会議そのものの重要性から見ても理由きわめて薄弱でありまして、強要の事実があつたという証拠は見当らないのであります。
最後に、洞爺丸の沈没の原因について申し上げます。洞爺丸は出港後風速が予想以上に強かつたので急拠仮泊を決定し、次いで強風のため船の傾斜がはなはだしく、機関部にも浸水したので、七重浜に座礁させて船の平衡と乗客の退避に備えようとしたところ、風圧のため海岸に直角につつ込めず、海岸と平行して横転沈没したものと推定せられるのであります。
沈没の原因については、調査団といたしましても一応の調査をいたしましたが、船そのものの構造の欠陥、開口部の不備ないしは閉鎖不完全、積載車輌の転覆などが考えられるのでありますが、これが真相を解明するためには、洞爺丸の船体はもとより、ほぼ同一条件のもとに沈没したと推定せられる貨物船についても実地検証をする必要があると認められるのでありまして、現に函館地方海難審判理事所、特別合同捜査本部においてこの調査に当つておるのでありますから、その結果にまつべきで、従つてここでは軽々に論及することをあえてしないことといたしたいと存じます。
以上により
出港関係及び
警備関係について所見を申し上げますならば、次の通りであります。
洞爺丸出港の目的は仮泊のためではなく、青森向けであり、船長の
気象判断については疑問の余地があるが、出港後仮泊した措置はやむを得ぬものと認める次第であります。
また、船長が船体及び乗客等の安全をはかるために、七重浜に座礁しようと意図したことは妥当であると考えられるのであります。
青函鉄道局が、
気象判断について的確を欠いたことは、資料の不足並びに異例の現象に遭遇した事実にかんがみ恕すべき点はないではないが、警報下において何ら警戒態勢をとらなかつたことは、業務上かつ精神上遺憾であると申さねばなりません。
第三に事後の措置について申し上げます。
青函鉄道局は
事件発生直後救難対策本部を設置し、外部の応援を得てただちに救難作業に着手したのでありますが、まず洞爺丸中に残された遭難者の遺体収容のため、函館地区の潜水夫四組を出動し、なおでき得る限り多数の潜水夫を現地に集結することとし、国鉄本庁の対策本部と緊密な連絡をとりつつ、十月三日までに三十組、漸次その数を増し、最高八十組を目標に全国的に潜水業者の召集に努めたのでありますが、十月六日調査団が現地を離れるときには七十九組が作業していたのでありまして、船体切断もすでに実施せられ、遺体収容作業はまず順調に進渉しつつあるように見受けられたのであります。
その他、遺体に対する各般の措置、遺家族に対する処遇、見舞金の贈与並びに生存者の療養及び慰藉等についても概して適切のようでありまして、これに関する本庁の指令、方針等はよく現地局に徹底しているものと認めたのでありますが、現地においては幹部と労働組合とが真に一体となり、あらゆる非難に対しても黙々として今回の惨事に対し身を挺して事故処理に当つておるのであります。従つて事件直後国鉄当局に向けられた遺家族の不満、非難の声も漸次納まりつつあるように感じた次第であります。
外部の応援といたしましては、まず
函館海上保安部でありますが、同部におきましては、当日十三時よりすでに非常体制に入り、警戒を厳にしていたのでありますが、二十二時三十九分洞爺丸その他の連絡船が遭難中との情報あり、これを確認するや、津軽海峡において遭難船捜索中の巡視船りしり及びおくしりを現場に急行せしめ、次いで小樽より巡視船三隻、救助艇二隻、計五隻、塩釜より巡視船五隻、救助艇一隻、計六隻、横浜より巡視船一隻、総計十二隻、館山よりヘリコプター一機を急遽出動せしめたのであります。これら船艇は最悪の条件下にあつてきわめて敏活に救助作業に従事いたしたのでありまして、警備救難は海上保安庁の責務であるとはいえ、その行動は適切妥当であると申すべきであります。
一方、
海上自衛隊は、当日十時ごろより荒天準備を行つていたのでありますが、連絡船遭難の報に接するや、正式の要請をまつことなく、二十七日早朝自発的に掃海艇を出動せしめ、次いで海上保安庁よりの要請によりヘリコプター三機を出動し、遭難者の救助、遺体の収容に当つたのでありまして、その緊急措置は称揚に値するものであります。
右のほか、陸上自衛隊、警察、消防、漁船等の応援があり、函館付近の諸機関は全機能をあげて救難作業に従事し、その労を多とすべきものがあることを申し添えておきます。
次に一言申し上げておきたいことは、殉職国鉄職員についてであります。国鉄当局が遺体の収容等にあたり洞爺丸一般乗客を優先したことは、国鉄の立場としては当然でありますが、われわれ調査団が現地を離れるときにあたりましても、洞爺丸とほぼ時を同じうして遭難した連絡船の乗組員の遺体収容については、全然着手せられていなかつたのであります。国鉄職員の遺家族は忍びがきを忍んでいるのでありまして、その心中同情を禁じ得ないものがあります。われわれは、殉職職員の遺体をもできるだけすみやかに収容せられんことを望む次第であります。
以上のごとく、事件の事後措置については、現段階におきましてはおおむね順調に進んでいると認めるのでありますが、残されたる問題は弔慰金に関してでありまして、これについては
洞爺丸遭難者遺族会及び国鉄労働組合青函地方本部よりその善処方につき陳情がございました。
第四に、青函間の輸送対策について申し上げます。今回の事件により連結船五隻を喪失し、残存船舶は九隻でありますが、うち運航可能のもの六隻、応急修理の上就航可能のもの二隻、定期検査中のもの一隻でありまして、残存船舶による最高運航能力は一日十二往復であります。
秋冬の繁忙期を控え、少くとも三割程度の輸送力の不足を来すのではないかと憂慮せられるのでありますが、これが不足を補うため、国鉄当局は旧関釜連絡船徳寿丸及び事業用炭輸送船宗谷丸を回送就航せしめるか、または別に貨物船をチヤーターするなどの緊急対策を考えているようであります。
現在残存船舶はフルに運用され、輸送力も逐次増強されておるのでありますが、それはあくまで緊急対策でありまして、今回の事件にかんがみ、国鉄としてはもちろん、政府といたしましても、青函間の連絡施設について再検討を加え、恒久対策を樹立し、可及的すみやかにこれが実現をはかるべきであろうと存ずる次第であります。
青函間連絡施設の改善についてまず考えられるのは代替船の建造でありますが、代替船の建造にあたりましては、船体の構造そのものについて徹底的に調査研究を重ね、平常心においてはもちろん、荒天時における安全率について十分確信の持てるものを可及的すみやかに建造すべきでありまして、現在の船舶の構造について調査団は相当の疑問を持つていることをここに言明いたしておきます。
次に考えられるのは、客船と貨物船とを分離することでありまして、今回の事件にあたり、貨車その他を積載しないで仮泊した第十二青函丸及び第六真盛丸、アメリカのLST等が遭難しないで、貨車を積載した他の連絡船が遭難している事実は、何ものかを示唆しているとわれわれは考えるのであります。従つて調査団といたしましては、この際国鉄当局は、客貨の分離について十分考慮すべきであると考えるものでありまして、代替船の建造にあたつてはもとより、残存船舶についても、これに関し再考を促しておきたいと思うのであります。
さらにまた青函間の連絡の根本的解決は、終局的には海底隧道の実現にあることは、おそらく何人も異議のないところではないかと思うのであります。この隧道については、国鉄当局においてもすでに調査を進めているのでありますが、これが実現には少くとも七、八年、五百億内外の日時と経費とを要すると予想せられるのでありまして、単に国鉄の輸送力増強の面においてのみ計画すべきものではなく、北海道総合開発の一環として企画し、これが実現を期すべきであると考える次第であります。
最後に、今回のごとき事件を再び繰返さないためには、政府及び日本国有鉄道は次の事項につきすみやかに適切なる措置をとる必要があると認める次第であります。一、気象業務及び施設の整備拡充をは
かり、予報の迅速かつ正確を期する
こと。二、
青函鉄道管理局の機構及び業務の
刷新、特に非常時における警戒体制
の確立並びに訓練、船舶関係職員の
再教育と船員の業務配置の適正をは
かること。三、青函間輸送力の増強をはかるた
め、すみやかに緊急対策を確立実施
するとともに連絡施設の改善、特に
航送船の構造の再検討、客貨船の分
離、函館及び青森における港湾及び
陸上設備の改善をはかること。四、北海道総合開発の一環として海底
隧道の実現につき特段の措置をはか
ること。
なお詳細につきましては御質問の際御答えいたすこととし、調査団の報告を終りたいと存じます。
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