○内村清次君 ここに私は、去る十一月七日の本院の院議によりまして、奄美群島復帰に伴う行政
措置等について、その
実情を
調査する使命を帯び、十一月二十四日東京を出発し、本月三日無事その任務を
終了して帰京いたしました
調査団一行を代表いたしまして、その御
報告を申上げたいと存じます。
先ず一行の者を御紹介申上げますると、自由党西郷吉之助君、緑風会小林武治君、
日本社会党第二控室松澤兼人君、改進党寺本広作君と
日本社会党第四控室より私の五名でございました。
本
調査団の決定を見まするや、在京の奄美群島復帰促進会、群島出身の在京有志並びに在京の現在報道
関係者は、熾烈なる現地の意向を代表いたしまして、
調査団に対する期待極めて大きく、群島をあまねく歴訪されたい旨の御要望がございました。私たちはこの要望に応えたいと思いましたが、十二月一日復帰目標の日以前に現地に到着いたしたいこと、なお、その
調査の結果を可及的速かに本院に
報告いたしたいため、離島訪問は止むなく断念せざるを得ないことに相成
つたのでございます。現地の方々の御要望に副い得なか
つたことは、甚だ遺憾に存ずるところでございます。
本
調査団編成後、私たち一行の者は再三会合を重ね、非常に時日を要する渡航
手続の促進方を
関係政府機関に要請すると共に、第十七回
国会終了後の群島復帰に関する諸
情勢について、外務、大蔵
関係当局を招致して、その事情を聴取し、更に時あたかも十一月十五日米国副大統領ニクソン氏がアイゼンハワー大統領特使として来朝いたしておられましたので、ニクソン副大統領に米国大使館を通じて書簡を手交し、本
調査団の使命及び
日本政府が十二月一日を目途として返還準備を進めている
実情を訴え、副大統領の特段の好意ある配慮を要請いたしました。特に私は、十一月十九日、両院
議長主催の芝高輪のプリンス・ホテルにおけるパーテイの際は、直接ニクソン氏に面接し、その趣旨を強調し、群島復帰促進につき
善処方を要望いたした次第であります。
以上のごとく、私たち一行は、現地到着まで最善の努力を傾注いたしましたが、群島住民並びに
日本国民が刮目して待望しておりました十二月一日復帰が実現せず、でき得れば現地到着に当り確定した復帰の期日を伝達いたしたいという我々の希望は、遺憾ながら達することができなか
つたのであります。ここに現地の
調査を終え、その結果を
報告するに当りまして、第十七回
国会における奄美群島の復帰に伴う法令の適用の暫定
措置等に関する
法律の
審議過程及び団編成より現地出発までにおける
政府の言明を想起せざるを得ないのであります。
政府の累次の説明によりますれば、復帰の期日の確定しないのは、事務上の問題のために延引しておるのであ
つて、ほかに何らの事情はないということでありましたが、基本問題の決定が事務の都合によ
つて左右せられるということは、誠に了解に苦しむところであります。即ち、十一月二十二日鹿児島港を出航する
予定でありました通貨並びに郵便切手切替え
措置のためのフリゲート艦派遣は、止むなく延期した事実を挙げたいのであります。この事例を以ていたしましても、期日が決定しないため、群島住民の痛嘆と焦慮を日一日と徒らに増加していることに、
政府は深く思いをいたさなければならないと思うのであります。幸い十一月二十七日より日米両
当局間に返還に関する具体的
折衝が開始せられ、順調に
進行しておるやに聞き及んでおるのでありますが、先ず復帰期日の確定こそ最大要件であることを、ここに更に強調するものであります。(
拍手)
次に、本
調査団の行程を申上げますと、十一月二十四日東京を出発、二十五日鹿児島に到着、鹿児島県知事以下県
関係当局者より、群島復帰に関する
県側の意向を聴取し、一行との間に意見を交換し、二十六日鹿児島を出航の
予定でありましたが、天候の悪化による船便の欠航のため、二十六、二十七の両日は鹿児島に滞留を余儀なくせられ、二十八日若草丸に乗船し、午後一時鹿児島港を出航し、黒潮躍る七島灘の怒濤を蹴りまして、翌二十九日早朝午前七時に名瀬港に入港し、熱誠溢れる郡民の劇的歓迎の中に上陸第一歩を印しました。そして直ちに、奄美地方庁において、官民代表者より群島の
実情を聴取し、一行との間に意見を交換し、名瀬市役所において市政
調査、次いで名瀬市中央会館において、学童の歓迎学芸会等が我々のために催されました。又同夜午後八時より名瀬市小学校校庭におきまして開催されました郡民大会に出席しましたが、同大会には、海路交通極めて不便な離島方面よりも参会し、その数一万名以上に達し、南国の秋、星空を仰いで、学生音楽隊の奏楽のうちに開会せられ、視察行程中の最高潮に達しました。この大会は二時間以上にも亘りましたが、我我
調査団一行の話に耳を傾け、一人として席を離れる者がなか
つたほどで、全く郡民の
日本復帰意欲には、一行の頬にも熱涙がとどまることを知らなか
つたほどで、終生忘れ得ぬところの感激を受けた次第であります。翌三十日は和光園癩療養所を訪問し、収容患者を慰問し、重畳たる山道の危険を目して竜郷村に入りました。村の入口には蘇鉄の葉を以て歓迎アーチが作られ、村民並びに学童が日の丸の小旗を持
つて堵列しておりました。竜郷村、浦中学校に参りましたところ、丸太作りの朽ちた藁屋根の教室を見、校庭における生徒代表三年生大司礼子君の切々たる挨拶には、一同まぶたをうるませられた次第であります。次いで西郷南洲竜郷蟄居の遺跡を訪問いたし、それより竜郷村役場、名瀬中学校、米軍民政部奄美チーム、農業研究指導所、大島女子高等学校、大島産業の大宗である大島紬の撚糸工場、染色指導所、紬生産組合等を訪問いたしました。第三日目の
予定行程でありました古仁屋村訪問は
日程の都合で割愛し、本月一日名瀬出港の白雲丸に乗船し、郡民各位の盛大な見送りの下に、大島本島に別れを告げて、三日夜帰京いたした次第であります。
国会開会中なるため、視察
日程が極めて限られたことと、鹿児島出帆が天候不良のため二日も遅れ、鹿児島に滞留を余儀なくせられましたことは遺憾でありましたが、それでも十分
調査の目的を達し得たと信じておる次第であります。
次に、
調査の結果に基く奄美群島復帰後の諸問題につきまして申述べてみたいと思います。
先ず第一に、交通の問題であります。その一として海上交通の問題であります。本土と大島本島間の船舶の整備拡充が特に必要でありまして、現在の二、三千トン級の船舶では、天候に左右され、ために欠航が多く、天候に左右されない五千トン級の船舶を運航する必要が認められました。又、大島本島と群島間の船舶も最低二千トン以上とし、且つその運賃は現在極めて高額でありまするので、復帰後は現在の半額
程度にする必要があります。これに伴い港湾の整備を要することであります。現地官民は、国営航路の開設を強く要望いたしております。その二として、陸上交通整備のため、道路の拡張、鋪装修理を要し、国営バスを開設の要望がございました。その三として、本土——群島間に航空路の開設が必要であることでございます。
第二は、
市町村財政の問題であります。
市町村財政は極度に窮乏し、これを
予算について見ますると、内地の同一規模の町村の五分の一
程度で、
事業は何一つできず、辛うじて吏員を置いて戸籍事務その他最小限度の事務を扱
つておるに過ぎない状態であります。群島町村は、戦前でも全国における貧弱町村でありまして、特殊取扱を受けていたのでございまするが、現在は自給自足を建前とせざるを得ない羽目にあり、今や窮迫のどん底にあります。担税力を無視いたしました徴税が行われ、法定外特別税は三十九種類もあり、ラジオ、ミシン、製縄機、牛、馬、山羊、犬、鶏等、皆、税の対象たらざるはなく、ないものは人頭税とい
つたくらいの有様であります。財政平衡交付金につきましても、現在の琉球
政府は、余
つたものを廻してよこすというやり方であり、
起債は全然行われておりません。産業、経済、社会、土木、厚生費は全然なく、
市町村吏員の給与ベースは二千百二B円で、
市町村長の給与が二千五百B円、然るに配下の琉球
政府職員である農業改良普及員の給与は三千百B円乃至二千二百B円とい
つた皮肉な対照を示しております。
第三は、教育の問題であります。学校数は、小学校、中学校、高等学校、琉球大学分校を入れまして首九十校ありますが、校舎
復旧は優先的に
考えなければなりません。その校舎の総延坪数二万四千坪、そのうち本校舎又は準校舎として間に合うものは約一割に過ぎない状態であり、その大部分はガラス窓もなく、掘立小屋で、柱や屋根は曲りなりにな
つておる現状であります。その二といたしまして、教職員の身分問題であります。南西諸島
公務員に対する
特例法が制定せられておりまするが、本法は何らいつ復帰できるかわからないことを前提として作られたのでありまして、その保障せられておるところは、内地における同僚に対し半分に過ぎず、悲惨な
生活状態を救済するために一本化する必要がございます。その三は
学校給食に対する問題で、食糧事情の窮迫は学童の体位に与える影響は大きく、全額
国庫負担による
学校給食を小中学校並びに夜間の高等学校にも適用されることを要望しております。その四は産業教育の問題で、職業教育に対する学校施設は何もなく、産業
教育施設の整備についての要望には切実なるものがありました。
第四は群島三大産業の振興の問題であります。群島三大産業は、大島紬、黒糖、鰹節産業で、群島経済の基幹をなすものであります。大島紬は戦前の三割
程度に回復したに過ぎず、米軍管理下、原糸の入手難、内地輸出の制約、染料源たるテーチ木の枯渇、生産資金の
融資難等の問題をかかえ、その振興は一にかか
つて日本復帰を待つとい
つた状態であります。黒糖の生産増加についても、農業技術の改良により、単位当方収量の増加、二十年以上経過した老朽幼稚な精糖施設の改良が焦眉の急務であり、本年の収穫予想は一千七百万斤でありますが、これを五千九百万斤
程度にする増産計画を有しております。又かつお漁業についても、漁場が
日本南端として最も有利な位置を占めるにもかかわらず、漁船、漁具の老朽、不良、不足であるため、誠に萎靡沈滞し、製氷施設の拡張等、即時改善を加えなければならぬ問題が山積いたしております。
第五は農業の問題であります。農家人口は全人口中の八〇%を占め、農家経済の向上は群島住民の最も大なる問題であります。大島本島を除き、徳之島、沖永良部島、与論島、喜界島は水利が悪く、本年は未曾有の早魃で、群民は蘇鉄の実によ
つて生命を支えておる現状であります。これらの
災害復旧を図るため、水利施設の改良は産業振興上最も大きな問題であり、溜池、井堰、用水路の築造、土地改良、区画整理、干拓等により農業振興を図る必要がございます。又農家の二戸当り耕作面積は三・八反という零細経営であり、水稲作は平年作七万石でありまするが、本年は一期作三万二千石、二期作八千石
程度で、郡民の五カ月分に満たない
状況であります。米の不足を補う甘藷は群島各地とも「ありもどきぞう虫」の被害を受け、又野菜その他の農作物には病害虫があるとて内地輸出が禁止され、これらの防除駆除
対策は農業上の大問題であります。畜産につきましては、家畜は戦前並みに回復いたしましたが、販路は沖縄、内地でありまして、復帰後は内地に切替えらるべきものと思います。養蚕につきましては、大島紬の原糸提供からい
つても農家の副業として大いに奨励せらるべきものと
考えます。
第六は農業協同組合の問題であります。戦前において農協はバランスがとれ、沖永良部の和泊農協は表彰せられたくらい優良な組合もあ
つたのでありますが、戦後の分離により、良家経済は極度に困窮し、特に内地に六百万円の預貯金の封鎖に会い、これが解除を切実に要望しております。その換算比率については百倍
程度を要求し、最低限の要求として三倍、即ち
日本円対B円比価として返還を要望しております。現在は金融の道が全く塞がれ、琉球銀行から担保貸七、八万B円を受けているに過ぎない現状であります。又、
日本分離後、農連はガリオアの借金千百八十一万B円有しております。これは米国との
関係において無償でいいのではないかと言
つておりますが、できなければ復帰後
日本政府において肩替りされることを望んでおります。
第七は食糧問題であります。一九五〇年乃至一九五二年前半の米の月平均入荷量は一千トンでありましたが、五二年後半乃至五三年前半は月平均六百トンであり、本五三年七月以降月平均三百トンに過ぎない
状況であります。外米の価格
日本円キロ当り七十八円、内地米が本土においてキロ当り六十八円、外米が五十円台であるのに比較しますと、
如何に高米価で郡民の食
生活が容易でないかということが窺えると思います。
第八は、社会、労働問題についてであります。社会福祉制度につきましては、施設は全然なく、法的制度もなく、現在
生活保護を受けている者七千七百名で、一人七十B円の低額であります。復帰後、
日本の
生活保護が適用されれば二万四千名くらいの厖大な数になることが算出せられております。身体障害者、母子福祉問題、養老院、母子寮、救護院の設置問題等、解決を要する問題が山積しております。又、現在沖縄に群島出身労務者が約五万名あり、これらは
日本分離後沖縄に生きる道を求めた人々であります。先般、沖縄軍声明によりまして、これらの労務者は
日本に送還すべきものとされ、復帰後は外国人として取扱い、居住の自由を認めない旨発表せられております。復帰後これらの人々の送還問題は重大問題であります。現地におきましては琉球
政府にこれが
善処方に対する要請をしておりますが、これらは日米
折衝の重大課題であると信じます。
第九は金融貿易の問題であります。復帰による通貨交換比率は三対一たること、ガリオア資金については資材資金について
免除してもらいたいこと、琉球に対する債権債務は
日本において肩替りしてもらいたいこと、
日本に凍結されている三億九千七百万円は交換比率百二十三倍とされたいこと、最悪の比率として三対一を要求するということであります。復帰後、群島経済振興のため低利資金の
融資を要望し、大島本島に特殊なる独立銀行を設立されたい旨の希望がありました。又貿易につきましては、現在は沖縄との通商が主であり、これは内地通商に切替えられるべきものでありますが、依然、沖縄貿易は群島経済のため欠くべからざるものでありますから、国境貿易と同じ扱いにされたいこと、これがため渡航者の取扱事務の緩和並びに通産省の出先機関を設置されたい旨の要望がございました。
第十は、医療、衛生の問題であります。群島内の医療施設は極度に悪く、官立病院の設置もなく、全群島に医師二名、薬剤師は一名もおらず、保健所の不足不備は膓チブスの早期診断さえできない有様であり、又らい患者につきましては群島に六百名の患者がいますが、らい療養所は和光園一カ所であり、現在二百五十名の収容力しかなく、他は放置されています。而も和光園は医師一名、薬剤師は一名もいないのであります。
第十一は電力開発の問題であります。現有電力は八百キロに過ぎず、名瀬市を除き十九カ町村のうち十四カ町村に電燈が配電され、而もその町村の四一%に過ぎないのであります。かかる貧弱なる電力量によ
つて産業経済を維持しておるのでありまして、一つのトランスが切れましても修理ができない
状況であります。
第十二は復帰に伴う切換時の混乱の防止についてでありまするが、今夏八月八日のダレス声明を契機といたしまして、郡民の復帰待望は一日千秋の思いでありまするが、現在奄美
関係の
予算は、十一月以降、琉球
政府の出先機関である奄美地方庁の人件費、行政費の令達があるばかりで、
事業費は全部停止されており、一般業界の
事業は停頓状態にあり、
失業者が続出しております。又琉球銀行は、群島所在の支店を通じ、実質的にはすでに債権の整理を始めており、これに並行いたしまして一般宿人の貸借
関係が整理期に入
つております。庶民金融は極度に収縮し、庶民の
生活が非常な窮乏と混乱状態にあります。これらの問題は復帰直後可及的速やかに適切なる
措置を要する問題であると思います。その他、琉球
政府に勤務する
公務員の送還、恩給問題等、祖国の温かき
措置により救済を要すべき問題が幾多山積いたしております。
以上各種の問題につき個別的に列挙いたしましたが、戦前から経済的に著しく後進性があり、分離後は八年間の空白のため、一切の経済、文化は荒廃したままでありまして、今後の振興は、計画的、総合的に行われる必要があり、地元及び中央が
一体とな
つて振興計画を急速に樹立し、短かい期間の中に年次的にこれを実施する必要があることを力説いたしたいと思います。
郡民は、民族的感情からい
つても、政治的、経済的諸
情勢から見ましても、
日本復帰の熱情には全く言語に絶するものがございます。今回の行程中各所におきまして接しました我々に対する歓迎には熱涙やむことを知らなか
つた次第であります。奄美群島復帰の問題は、今なお還らざる南千島、沖縄、
小笠原、琉球諸島の
日本復帰の端緒たるばかりでなく、同群島
復旧後の振興方策
日本再建の試金石として国際環視の的であることを強調したいのであります。
終りに、本
調査団渡航に当りまして寄せられました現地官民各位の御厚情に深甚なる感謝の意を表しますると共に、今後我々は大いに
政府を鞭撻し、奄美群島振興問題に熱意を傾注することをここに申し添えまして、以上
調査報告を申述べた次第であります。(
拍手)