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1953-12-03 第18回国会 参議院 建設委員会 第1号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十八年十二月三日(木曜日)    午前十時五十五分開会   —————————————  委員氏名    委員長     石川 清一君    理事      石井  桂君    理事      石川 榮一君    理事      三浦 辰雄君            石坂 豊一君            小沢久太郎君            鹿島守之助君            小滝  彬君            赤木 正雄君            飯島連次郎君            江田 三郎君           小笠原二三男君            木下 源吾君            田中  一君            木村禧八郎君   —————————————   委員の異動 十一月三十日委員木下源吾君辞任につ き、その補欠として近藤信一君を議長 において指名した。   —————————————  出席者は左の通り。    委員長     石川 清一君    理事            石井  桂君            石川 榮一君            三浦 辰雄君    委員            石坂 豊一君            小沢久太郎君            鹿島守之助君            赤木 正雄君            江田 三郎君            田中  一君            木村禧八郎君   事務局側    常任委員会専門    員       武井  篤君    常任委員会専門    員       菊池 璋三君   説明員    建設省営繕局長 木村 恵一君   —————————————   本日の会議に付した事件 ○建設行政に関する調査の件  (報告書に関する件)  (昭和二十八年度建設省関係予算補  正に関する件) ○派遣議員報告   —————————————
  2. 石川清一

    委員長石川清一君) それでは只今から建設委員会を開会いたします。  本日は公報を以て御通知いたしましたように、派遣議員調査報告に関する件及び建設行政に関する調査を議題といたします。  先ず建設行政に関する調査についてこの際お諮りいたします。本件につきましては、閉会調査を続けて参りましたが、その内容は広汎且つ多岐な諸問題にわたり、まだ調査を完了するに至つておりませんが、参議院規則第五十五条によりまして、閉会中の未了報告書を提出いたすことになつておりますから、これを提出いたしたいと存じます。御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  3. 石川清一

    委員長石川清一君) それではさよう決定いたします。  未了報告書内容手続等につきましては、委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  4. 石川清一

    委員長石川清一君) 御異議ないと認め、さよう決定いたします。  それから委員長の提出する報告書には多数意見者署名を附することになつておりますので、御署名を願います。   多数意見者署名    石井  桂  石川 榮一    三浦 辰雄  石坂 豊一    小沢久太郎  鹿島守之助    赤木 正雄  江田 三郎    田中  一  木村禧八郎   —————————————
  5. 石川清一

    委員長石川清一君) 次に、先般十三号台風による海岸堤防被害及び修築対策調査のために、当委員会より三重愛知滋賀県に議員派遣を行いましたが、その結果について石川君より御報告を願います。
  6. 石川榮一

    石川榮一君 今般十三号台風による被害の海岸及び湖岸堤防災害復旧調査をいたしました御報告を申上げます。  私ども田中君、江田君と共に院議に基きまして、去る十一月十六日から十九日まで四日間、三重県、愛知県の海岸堤防の災害の状況、並びにその復旧状態につきまして、現地を視察、調査いたして参りました。なお、滋賀県の湖岸堤防につきましても同様に視察をいたしました。  日程は十六日滋賀県、十七日三重県、十八日、十九日の両日を愛知県に当てたのであります。視察の要領は県庁におきまして大略の状況を聴取り、現地につきまして成るべく事情を深く掘り下げて視察することといたしたのであります。なお名古屋市においては建設省中部地方建設局に参りまして、このたびの法律により設置されました臨時海岸建設部発足状況についても聴取して参つたのであります。  日程の順序に従つて調査いたしましたところを御報告いたします。  第一に滋賀県の琵琶湖湖岸堤防であります。視察いたしましたのは、米原の近傍の入江干拓地、安土の附近の小中之干拓地堤防についてであります。この湖岸干拓の沿革を見ますと、琵琶湖はその周辺に大小四十余の入江を有しております。この入江をこの地方では内湖と称しておりますが、この内湖の面積は琵琶湖の総面積約七万八百町の中二千八百七十町歩に達しておりまして、水深は一米五〇くらいで干拓適地をなしておるのであります。昭和十九年、戦時食糧対策の一として四十カ所のうち、特に急速に干拓可能な十カ所を選びまして、農地開発営団の手で着工したのであります。その面積一千二十二町歩であります。十カ所のうち営団直営のもの三カ所、県に委託いたしましたもの七カ所、私ども視察いたしました入江干拓二百十町歩営団直営、小中之干拓三百町歩は県に委託されたものであります。これらの干拓工事の労力は捕虜及び勤労奉仕隊によつて当時行われたものと言われています。十九年着工、二十年敗戦、二十一年以降国営に移管いたしまして、入江、小中之湖共に二十三年完成いたしまして、同年仮分譲されたものであります。入江においては百五戸の入植者増反者があります。小中之湖の入植者は約二百戸でありまして、満洲よりの帰還者特攻隊出身の人も相当ここに入つておりまして、一戸当り平均六、七反の耕作をしておる状況であります。  この湖面干拓工事方法は、先ず内湖をできるだけ広くめぐりまして水うけの溝を掘り、承水溝と申しておりますが、これで内湖の流域からの流入水を遮断いたします。この承水溝と外湖とは自然排水で連なつておるのであります。承水溝の内側に堤塘を作り、締切つて干拓地を形成するのでありますが、この干拓地内の排水は堤塘の外湖に最も近い所等にポンプ場を作りまして、これによつて行われておる次第であります。  さて、九月二十四日伊勢湾を通過いたしました十三号台風は、琵琶湖湖面には九月の二十五日の日雨量百ミリ程度の降雨しか見ておりませんが、これに流入する各河川の上流部に四百ミリを超えるところの降雨をもたらしておるのであります。このために流入河川は急激に洪水を起し、特に琵琶湖東岸農耕地を流れます各河川は破堤をいたし、莫大な水量が琵琶湖に流入して参りまして、水位の上昇を来たしました。由来琵琶湖沿岸に被害を与えない水位鳥居川量水標、この量水標については後に触れるところがありますが、量水標の零点上三十センチと言われておりますが、入江干拓地で一メートル十センチの湖面上昇を見たと言われております。これに加うるに風浪を生じ、入江においては堤塘を全面的に溢水し、決壊し、干拓地は全面的に浸水、又小中之湖では中之地方を流過する愛知川の破堤によりまして、洪水は能登川方面から流入し破堤をもたらし、又中之湖自体の水位上昇により西之湖と小中之湖の間の締切を決壊いたしまして、その破堤延長三百メートルに及び、これも又干拓地は全面的に浸水するに至つたのであります。現状は土俵による仮締切とポンプ排水、九月二十五日にはポンプの機能は全くとまつて、今日ではともかく田面は空気に触れることができたといつた状況であります。  この干拓地の地質はいわゆる草炭と称せられる脆弱な有機物質を含んだものであります。農耕に対しては極めて有利なこの地質も、これを以て工作物といたしますときは、極めて不利な危険な工作物しかできません。然るにこの附近には堤防用として適当な土を又見付け出すことが甚だ困難であります。水位の上昇、風浪、これに加えて堤塘そのものが戦時中及び戦後の安直な工事堤塘も沈下していたものであります。災害を受ける諸条件を完全に具備していたといつてもよいというような状況であるのであります。なおこの復旧には約二億円を要すと言われます。復旧について琵琶湖干拓小中之土地改良区の要望する重なる点を申し上げますれば、一、直轄国営工事として復旧工事を実施せられたい。第二には、重油エンジンポンプの増設、その他営農関係の諸件でありまして、これらは災害特例法が適用されれば或る程度解決し得ると考えますので、省略いたします。  この復旧についての基本条件の一つに琵琶湖水位調節の問題があります。琵琶湖水位の零点は瀬田川の右岸鳥居川町の瀬田橋のたもとにある先に述べました鳥居川量水標の零点であります。この零点は東京湾中等湖位上約八十六メートルの点であります。さて琵琶湖の水を大量に使つておりますのは京都への疏水、京都の水道及び発電と、関西電力の発電用水でありますが、これらは常時に使われておりまして、洪水時に湖面を左右するものは南郷の洗堰であります。これによつて下流宇治川の流量は毎秒六百九十五立米以上は流下しない。これ以上流下すると、宇治川延いては淀川、延いては大阪市に影響を与えることになるのであります。この死命を制するものは明治三十五年差工、三十七年竣功したいわゆる南郷の洗堰でありますこれは角落による堰で二間巾の通水路を存して堰柱を設け、総通水路三十二カ所、角材を落し込んで締め切るのに三十時間以上を要すと言われておる古めかしいものであります。これを締めれば琵琶湖湖面は上昇する。開放すれば淀川の水位に影響を与える。大阪と琵琶湖との利害の矛盾の解決は目下のところこの南郷堰操作一つにかかつていると言つていいわけであります。  近来、山地の荒廃と干拓地の増加によつて琵琶湖水位は上昇の傾向にあります。琵琶湖としてはかかる洪水は欲しくない。一方淀川も洪水は欲しくない。眼を転じて渇水を見ると、大阪は地下水汲上げで地盤が沈下する。高潮に見舞われると沈下を生じた地盤にある工場は一たまりもない状況になる。淀川を水源とする水道によつてこの地下水汲上げに代らせたい。一方琵琶湖側にいたしましても、干拓地その他湖畔の発展と共に渇水時には水を非常に必要とするのであります。即ち、洪水に対しては双方とも不要だとし、渇水位については双方ともこれを必要とするのであります。零点上三十センチ以上の水は双方共にこれを不要といたしまして、零点以下一メートル以下に水をとつては困ると主張するのは滋賀県側であります。一メートル三まで欲しいというのが大阪側なのであります。この相矛盾する地点に立つているのが南郷の洗堰であつて、毎秒六百九十五立米上の流下を拒否しているのであります。ここに加うるに発電の問題、更に水の操作地点等の問題の絡んでいるのが琵琶湖総合開発計画であると考えます。この干拓地水位の問題は実に大きい内容を呈示しております。  法制的な問題として、琵琶湖準用河川でありますが、干拓堤防、特に内湖のごとき外湖に接する部分の小さいものを河川堤防の例とし取扱うべきか否か、農地に附属した施設の一として堤防を見るべきか否か、研究に値するものがあると思います。法的な問題としてはこの程度に指摘をとどめておきたいと思います。  次に、三重伊勢湾附近状況報告に移ります。伊勢湾奥部は木曾川デルタ地帯でありまして、古来我が国における有数の干拓地の一つであります。これを三重沿岸に沿つて南下いたしまするに、鈴鹿川あり、安濃川あり、雲出川あり、櫛田川あり、これらのデルタ地帯に鈴鹿市、津市、香良洲町、松阪市等の都邑が営まれているのであります。これらの都市の周辺にある農耕地造成の沿革は相当古いものでありまして、私どもの視察いたしました鵲村の開田は百六十年乃至百七十年前かと言われております。右に述べました河川の沖積物による寄洲ができると、ここを開墾し、海岸堤防を築いて行つたものであります。小規模に前面に出て行つた海岸のため湾奥部以外は近代的大干拓は見られません。従つてポンプ排水の地点は殆んどなく、皆水門による干満差利用自然排水の方式をとつております。  三重県の海岸線延長水陸岸のみで八百三十四キロ、大小島嶼を加えると、一千十三キロに亙るのでありますが、宇治山田から桑名に至る約八十キロの海岸の後には、人口の三分の二と七市の中の四市が集中し、農耕地六万町歩を擁しているのであります。海岸管理については県当局も熱心でありまして、耕宅地町歩以上を保護するため、或いは又人家十戸以上を保護するため、護岸若しくは堤防を必要と認める海岸、前の場合人家二戸を耕宅地三段歩と換算しておりますが、このような海岸県費支弁海岸としております。この総延長は百五十三キロに及び、宇治山田、桑名間は殆んどこの範疇に属すものであります。この海岸に近年異変を生じていたと言われます。即ち、東海、南海地震以後地盤の沈下、従つて堤塘の沈下を生じ、そ量のは毎年三十センチに及び、地震後二メートルも下つた所さえ認められるとのことであります。阿漕浦の前面のごとき水深が大となり、海岸線は浸蝕されて、十五年乃至二十年前は堤防がなくとも海岸は波浪に対して安全であつたと言われています。湾奥部の木曾川デルタ方面ではこれと逆に隆起現象が認められるとのことであります。  既存の堤防は土堤に石張又はコンクリートの護岸をしたもので、古い沿革のものは松林をなしております。この附近の干満差は二メートル五くらいで、天端高満潮位上一メートル乃至一メートル五と推測されます。かかる状態に台風十三号が来襲したのでありますが、九月二十五日十五時潮岬を通過、木本、尾鷲間を経て十七時四十分頃宇治山田市と鳥羽の間を通り、再び洋上に出まして、伊勢湾を横断、渥美湾を経て豊橋をかすめて上陸し去つたのであります。三重県通過時の中心示度九百三十ミリバール、最大風速五十メートル、津測候所では六十三年以来の勢力の強い記録を示していると言われております。このため伊勢湾東京湾中等潮位上四乃至六メートルの高潮に見舞われ、総延長百五十三キロの県費支弁海岸のうち百三キロが決壊し、伊勢湾海岸背後地農耕地六万町歩のうち四万町歩が浸水する惨状を呈しました。  私どもの視察いたしましたのは、津から順次南下しまして、鵲村、天白村、港村、松阪市であります。津の中河原護岸コンクリート傾面護岸でありますが、これの頂部八百メートルがこわれ、百二十町歩に浸水しています。土俵で一応満潮位の海水を止めております。鵲村は雲出川右岸に当りまして、雲出川をはさみ、香良洲町に相対している場所でありまして、前面の護岸三百十二メートルと左側面雲出川護岸六百メートル、右側面碧川の護岸が三百八十メートルを切られまして、全村の農地の九八%、三百町歩の浸水となり、未だ海正面の締切ができておりません。目下盛んに工事中であります。鵲村の田面は干潮位より八十センチ沈下していたと言われています。この海正面の仮締切のため十九万五千俵の俵を要し、一俵当り五十五円、一メートル当り十三万円を要すと言つています。澪筋の深さ七、八メートルに達しておるのであります。鵠村の南は天白村で、これも海正面を四百七十メートル切られました。十七日私どもが視察した前日くらいに漸く締切り終つたようであります。渡川を隔てた天白村の南は港村であります。住家四百六十五戸、田畑百二十町歩に浸水、漸く締切りの終つたところでありますが、人口四千人の貧弱な村であり、その被害の深さは推し計れませぬ。殊に最近客土したところの土地を失つているのは悲惨であります。  次いで松阪市に入りました。松阪港の鉄筋コンクリート桟橋の床版は波浪に叩かれまして鉄筋の肌を出しております。立派な防波堤内でかくのごとき状況は波浪の強さを推測するに十分であります。松阪市も又人口五万四千のうち罹災者一万二千百二十五、戸数一万千七百二十八のうち三千三百九十九の罹災家屋を出しておるのであります。二千百五十五町歩の田のうち千三百八十二町歩に浸水したと報告されておるのであります。今後の復旧に要する費用、その他何らの手段がないように見受けられた次第であります。三重民主団体水害対策協議会会長桑名悦男氏からの要請書を受取りましたが、本委員会として処置しかねる問題も含まれておりますので、このことだけ一応御報告するに止めておきます。  次に愛知県の状況について申述べたいと思います。愛知県の海岸線は西の方から木曾川デルタに始まり、名古屋港を経て知多半島知多半島と対峙する渥美半島とを以て渥美湾を抱いているわけでありまして、その総延長本陸岸のみで二百八十五キロ、島嶼も加えますると三百二十キロに亙ります。この海岸線のうち県費支弁海岸は百五十二キロでありまするが、三重県のように県規程を以て選択標準は定めておりませぬ。知多、渥美の両半島及び渥美湾内三重海岸と同様、東海地震の影響で沈下を生じておりまして、これの修復のため県費支弁海岸百五十二キロのうち百二十五キロを高潮対策事業として蒿上げなり補強なりの工事が行われていたものであります。その約二分の一が被害を受けたと言われています。  前に述べました通り、十三号台風は九月二十五日夕刻知多半島の先端をかすめ、渥美湾を横切り、豊橋、岡崎附近を通過しております。台風の眼らしきものを岡崎附近で観測しましたのは十九時十分頃と言われております。日雨量は海面で四十ミリ、内陸の最大百七十ミリ程度であります。  十三号台風の被害の最大のものは台風通過線に当ります渥美湾沿岸一帯でありまして、私どもの視察いたしましたのも、この湾内に面しまする各町村、即ち西から碧南市、平坂町、一色町の沿岸、及び豊橋市の神野新田と、田原町の隣村杉山村の海岸を主といたしております。私どもの視察いたしましたこの地方沿岸は甚だ古いもので、新田という名称の地名をたくさんに発見できますし、この地方で「あすこは新田だ」等と申しておるのでありますが、この新田という名称は吉宗の享保改革、西歴一七二二年以後の徳川時代制度的名称であつた点から見ましてこの方面の耕地の発達を二百年以前に遡り得ると考えられます。即ち碧南、一色、吉田の地帯は矢作川デルタの発達と歩調を併せ、豊橋一帯豊川デルタの発達に即応しておるのであります。明治になりましてから矢作川を水源とする明治用水、豊川を水源とする牟呂用水の確立と共に、更に干拓による新田、この時はこの新田なる名称は慣習的なものに転じているわけですが、この新田の発展を見たものと考えられます。明治時代におきまする干拓の最大のものは豊川デルタにおきまする神野新田約千四百町であります。又最近におきまして、目下工事中の農林省国営干拓に係りまする碧南市の渥美湾正面矢作川右岸碧南干拓百七十四町歩、又代行干拓地区として、この碧南干拓矢作川を隔てて相対する地区の平坂干拓七十五町歩、或は知多半島と碧海郡に狭まれる衣ヶ浦地区滝川干拓等を数えることができます。  この地帯の干満の差は二メートル四一でありまして基準面東京湾中等湖位におきまして、満湖面基準面上一メートル一六、干湖面基準面以下一メートル二五としております。以下述べまする海岸工作物等の数字は東京湾中等潮位を基準とするものであります。先に述べましたように沿革の古い土地でありますので堤防も古い型式のものが多く、数年前までは恐らく海正面前面に砂浜を相当残して堤防を作り、その背面に松の木を植えまして補強していたものと思われるのであります。この状態に対して改良が各地に行われていたもので、例えばこの土堤を石張するとか、或いはコンクリートで被覆するとか、或は胸壁の波返しをつけるとかの類でありまして、平坂新田又は一色の堤防崩壊断面によつて推察し得るのであります。この堤防天端高は胸壁のない場所で三メートル九くらい、胸壁のある所で天端高三メートル九乃至四メートル三六くらいであります。ただ神野新田の分は六メートル五あります。これは四メートルの高さは満潮位が一メートル一六であり、これに波高二メートルを見ても、若し壁体が確つかりしていれば先ず安全と見なくてはならぬ高さであります。併しながら十三号台風による高潮は一色、吉田では二メートル八、平坂、豊橋で三メートルと言われております。これに波高約一・五メートルが加わり、豊川河口前芝の検潮記録は四・三四、同船町のそれは四・四九を示しております。名古屋湾、武豊港も同様であります。従いまして、四メートル前後の堤防は溢水するのは当り前であります。なお波浪に叩かれて破壊するのはこれ又理の当然と言わねばなりませぬ。この破堤のために碧南干拓において六百町歩、平坂も同様、一色町は千九百町歩神野新田千二百町歩浸水したのであります。  愛知県全体で、この渥美湾沿岸を主としているわけですが、耕地の浸水一万八千町歩のうち十一月十八日現在未だ浸水を見ているものが千五百町歩との報告があります。海岸の未だ浸水水路、澪と言つていますが、これの止まらぬもの十三カ所であります。  代行干拓によつた平坂奥田新田といい、一色村の小藪附近といい、神野新田四号地といい、全く海中に没し去つて応急復旧すらできずにいる状況であります。  三重愛知両県とも災害直後直ちに応急復旧にとりかかつたのでありますが、三重県は主として請負業者の力を借り、愛知県は主として地元町民の手でやつて居ります。この海岸復旧工事原形復旧では足りません。改良を加えて万全なものを作らないと、再び災害を繰返すことは火を見るより明らかであります。このたび建設省中部地方建設局に設けられた臨時海岸建設部の意義もここにあると存ぜられます。臨時海岸建設部は要員約二百名、うち六十五名は建設省関係より、残りは県の吏員の併任に待つと申しておりますが、津及び碧南に各三重海岸工事部愛知海岸工事部を設け、本局に置く建設部に次長二名、技師一名、事務一名、工事部同様次長二名を置き、各工事部が五、六カ所の出張所を持つ予定であります。建設部工事担当延長三重県九十五キロ、愛知県百十五キロの中の合計九十キロくらいかと言つております。三重では津から宇治山田にかけて、愛知は吉田から半田にかけての沿岸であります。法規的に建設省海岸堤防を施行する権能がありませんので、両県よりの委託工事であります。又平坂海岸の約三キロ分は農林省碧南市に碧南干拓のスタツフを有するために、農林省が県より委託を受ける由であります。愛知県当局の考えております堤防構造は堤体の天端を五メートル、胸壁の天端を五メートル五と考えているようであります。天端幅は四メートルくらい、施行の方式は請負を考えています。地元労力と請負の労力との調和を深く望むものであります。  このたびの視察のときまでには未だ材料の総量等の計算ができておりませんでしたが、いずれにせよ、厖大な資材を必要とします。ところがここに難工事を予想されますのは、三重において特に不足するのは石材であります。愛知においては湾内は幡豆石の産地でありますが、海岸が浅くて運搬の不自由な点、砂のない点、砂は海岸からサンドポンプで揚げるといたしましても、電力のない点、更にコンクリート用の水のない点等が工事の困難さを予想させます。又この工事地区ごと完成主義をとらないと何にもならないので、文字通り捨て金になるのでありまして、工事の急速を要するものであります。今後の予算措置について十分な監視を必要とすると存じます。  以上を以て報告を終ります。
  7. 江田三郎

    江田三郎君 この間委員会……、休会中の委員会は私出ておりませんでしたので、どういうお話があつたか私知りませんけれども、ここに今の石川委員の御報告にもあるように、これがただ原形復旧では駄目だという点ですね。こういう点を原則的に建設省なり大蔵省なりはどう考えておるのかということなんです。従来言われておつたことは、一応災害復旧原形復旧だと、こう言われておつたんだが、これはまあ石川委員報告と私たちも同じように思つておりますが、同意見なんですが、ただ原形復旧をやつてみたところで何にもならんと言うのです。その点を建設省のほうでも、それから大蔵省のほうでもはつきりと認めて、予算を見て行くのかどうかということですね。この点についてやはりこの次の機会に建設省だけでなしに、大蔵省のほうも出て来てもらいたいと思います。  それからこれをずつと見て行きますと、まあこの今の報告にありましたように、例えば愛知県の平坂であるとか、一色であるとか、そういう所の堤防というものはまるで跡方もないという、相当長い延長に亙つて跡方もない所があるわけであります。誰が一体こういう工事を責任を持つのかということなんです。これで一方神野新田堤防も壊れておりますけれども、併し神野新田の壊れているのはほんの一部分であつて明治三十何年にやつた神野新田のような個人の資力でやつた堤防が六メーター三十も六メーター五十もあつて、最近やつたいわゆる農林省なり建設省なりの近代的工事というほうが、今の報告のように、これでは波が越すのが当然なのだというような、或いは琵琶湖のようにあらゆる災害条件を揃えておるというような、こんな馬鹿げたことを一体誰がやらしておるのかという問題なんです。そういうことになると、これは全く国費の濫費に過ぎんわけです。建設省のほうでも技術研究所ですか、可かあると思うのですが、そういうところの研究とこういうような工事とは一体どういう関連性を持つておるのか。これらの問題について十分聞いて見ないと、ただこの災害復旧に何億円の予算を組んだといつたところで意味がないと思うのです。その点この次の機会に関係者を呼んで頂きたいと思つております。
  8. 石川清一

    委員長石川清一君) それでは先般の委員会に明らかになつたことと、災害関係の特別委員会で特に三重愛知等を主とする海岸堤防復旧に関しての補助率について非常に問題がありまして、特に緑風会の三浦委員から提案がありまして、それに基いて案文が修正されて両院を通過いたしました。それらの点を詳細に次回の委員会に御説明、御報告申上げると共に、それに関連して予算も組まれ、更に愛知三重両県から建設省のほうに工事の委任が行われるような形式になつて参ると存じております。従つて詳細は次回に御審議願うことになりますが、前回、大体今回の三百億の予算の中では二十二、三億が国費から出され、県の協力を得た場合には三十億くらいになるであろう、併しそれでは建設省の考えておる明年の高潮期までに半分くらいしたい、少くとも五、六十億の予算を以て工事をしたいというのにはほど遠い状況でありまして、融資の面が考慮されますが、その融資の面についても有力な地方銀行の保証と申しますか、そういうような点についても明らかになつておりませんし、勿論江田委員が只今申されましたような改良を現在の状況においてどうするかという点も、一部明らかになつたところがあるように存じましたが、全般的な点については明らかにいたされておりません。次回に大蔵省並びに建設省の出席を求めまして、本問題の御審議を願うことにいたしておきます。
  9. 江田三郎

    江田三郎君 それからちよつと申し忘れたのですが、そのときに農林省のほうも呼んで頂きたいと思うのですが、というのは、この中で平坂あたりはこれは農林省工事になつております。それからまあ将来海岸堤防法の問題と絡んで、例えば今報告のあつた琵琶湖の小中之湖の干拓のように草炭を以て堤防を築くというような、まるでナンセンスを通り越したようなことが平気で行われたのでは、これは海岸堤防という見地から、根本的にこれは農林省の仕事について、考えてみなければならん問題があるわけです。どうせ関連がある問題ですから農林省のほうも一緒に……。
  10. 石川清一

    委員長石川清一君) それでは農林省の、特に農地局の関係部課からも出席を求めることにいたします。  ちよつと速記をやめて下さい。    〔速記中止〕
  11. 石川清一

    委員長石川清一君) 速記をつけて。  それでは先ほど来、日程その他議案について御審議申上げましたが、以上のように御相談がきまりました。明日は災害融資等を中心に御相談、御審議を願うことになつておりましたが、その中で特に三重愛知等の海岸堤防の実施の状況、並びに実施に対する基本的な考え方、見通し等について建設省の関係局、並びに農林省農地局長、大蔵省主計局長、土木研究所長、局長の出られない場合は次長或いは部長、こういうような関係政府当局の出席を求めまして、御審議を願うことにいたします。七日の日は午後から特に建設大臣の出席を求めて、二十九年度建設省関係予算の見通しについて説明を聞くことにいたします。  それでは続いて、先ほど一応保留しました営繕局関係予算の削減について、営繕局長より御説明を承わることにいたします。
  12. 木村恵一

    説明員木村恵一君) 二十八年度の官庁営繕費の節約について御説明申上げます。  先般大蔵省のほうから官庁営繕費について五%の節約をしてくれ、案を立ててくれという話がありまして、それにのつとりまして、我々のほうといたしましては次のような方針で計画を立てました。それはその当時着工をしていないものを先ず挙げるべきではないかという意見でございます。内容的に申しますと、項目が四つございまして、人事院ビルの屋上の工事、それから国家地方警察の屋久島の地区署の工事、神戸税関の中埠頭の工事、横浜の公共職業安定所の工事でございます。これがその当時着工してございませんでした。その理由を申上げますと、屋久島の地区署は敷地がまだきまりが付かなくて当時はまだ手が付けられないという状態、それから神戸の税関のほうはこれは建物を回収しなければならないのですが、現在使用者がおつて立退きが遅れておる、それがために着工できないという理由、それから横浜の職業安定所はこれも建物の回収でございますが、現在駐留軍が接収しておりまして、接収解除がいつになるかまたはつきりしない、そういう理由のために。それから一番最初に申上げました人事院ビルは、これは計画の都合上まだ着工していなかつたというわけです。大体以上の理由によりまして、着工してない分として大蔵省のほうへ申上げたわけであります。ところが予算的にはまだ五%に達しませんので、残りの分といたしまして、現在工事中の合同庁舎、その中から項目といたしましては自家発電装置とか、それから電話交換機の工事とか、それから登退庁の標示機とか、火災警報装置とか、拡声装置とか、その他又建物の仕上げを節約するとかで金を出しまして、総額七千百二十七万を節約いたしました。これが予算に対しましては五%ちよつと切れまして、四・八八%くらいになつております。それだけを節約の対象として大蔵省のほうへ出したわけでございます。
  13. 石川清一

    委員長石川清一君) 以上の通りの説明でありますが、御質疑がありましたら。
  14. 田中一

    田中一君 営繕局長には質疑がありませんけれども、防火建築帯造成補助金と、それから特定地域総合開発調査補助金ですね、この二つも減少されているのですか、これは削らないのですか。
  15. 木村恵一

    説明員木村恵一君) 私の所管でございませんので、ちよつと返事はいたしかねます。
  16. 木村禧八郎

    木村禧八郎君 今の合同庁舎の節約のお話を承わつたのですが、いろいろな火災の何ですか予防措置に関するような節約とか何とか言われたのですが、一体そういう節約をして差支えないのかどうか、何か今五%に達しなければならんというので、非常に機械的に何か節約しようとされているように思われるのですが、これは今の例だけじやないので、全体に通ずる問題で、まあ一つのケースとして伺いたいのですが、それで支障ないのですか。
  17. 木村恵一

    説明員木村恵一君) 只今御質問がございましたですが、この節約につきましては、一部分二十九年度で要求しなければならないものが含つてございます。その一つといたしまして火災警報装置、その他電話交換機なども今は一応減らしますが、どうせ必ず要るものでございますので、これは来年度要求いたしたいと思つております。
  18. 木村禧八郎

    木村禧八郎君 そうですか、そうすると節約してもそれは来年度に膨れて来るということがわかつたのですが、それからその前に伺つた節約分ですね、職業安定所とかその他の税関とか何とかですね、どうも今までそういう予算をなぜ組んでおつたかということが問題になるのです、節約できるような予算を……。今までやはりそれは必要であつたのかどうか、それを二十八年度に組んでおつたのでしよう。それは不必要な予算を組んでおつたというようなことになるのですよ。ですから不必要であつたのでないなら、それでは削られればこういう支障が生ずるということも承わつておきたいのですね。
  19. 木村恵一

    説明員木村恵一君) 官庁営繕費というのは、御承知のように事業主体が今言つた安定所は労働省関係、税関は大蔵省関係と、事業主体がそれぞれ横割りになつておりまして、この事業が果して必要かどうかというのは労働省なり税関なりの問題ではないかと思います。それで査定権はこれは大蔵省にございますので、そこで事業の主体その他で勘案してきめられ、建物の実施というものが我々のほうに来ると、実はそういうふうに考えております。
  20. 三浦辰雄

    三浦辰雄君 これは今の減額についてではありませんけれども、前国会でありましたか、例の中央官衙計画促進法というものが出かかつて、それが余りに土地收用法のあの趣旨からいつて乱暴過ぎるということから流産になつたのは御承知の通りですが、最近聞くところによると、あの予定された地域の中にある宿屋だそうですが、嘘か本当か知らんが、それが何か鉄筋の立派な建物に改造して行くんだという話をちらつと聞いたんです。私はあの中央官衙の便利のために一地域にそれぞれの建物を建てるということ自体には反対じやないどころか、非常に能率を上げる上から行つて必要であつて、あの収容法の趣旨を余りに没却した、議員立法としては誠に横暴極りない立法振りであるということに対しましては、非常に何といいますか、義憤を感じて粉砕したほうの一人として、そういう宿屋さんが、大切な地域に鉄筋コンクリートの宿屋が必要じやないということはないけれども、必要なものだろうけれども、その地域に建てるというようなことがあるが、その真偽そのものは今別として、そういうことを防ぐ方法をあなたのほうでは早急に立てる、例えば問題の対象の私有地、そういう問題について土地の買収、こいうものをおやりになるという考え方は一体あるのですか、この点だけお伺いしておきます。
  21. 木村恵一

    説明員木村恵一君) 只今の御質問につきまして、実は昨年例の官庁営繕審議会で中央官衙地区というものの建議をしたわけでございます。それと主都建設委員会で中央官衙整備に関するこれは広告を出してございまするが、いずれも法的の力がございません。で、我々といたしましては、この中央官衙地区というものを国会を中心として何とか整備したいと今考えておるわけでございますが、法的の根拠が一つもございませんので、実は最近この霞ケ関地区につきまして、一応これを都市計画事業の決定にまで持つて行くのが一番いいのじやないかという意見が出まして、それには先ず計画の試案が作られなければいけない。それで今年実はずつと作業をやりまして、一応我々営繕局としての試案がこの十一月十六日にでき上りまして、それを今度は営繕審議会にかけ、それから東京の都市計画にかけて、それまでにいろいろの御意見を承つて、早くその線に持つて行きたい、遅くもまあ来年度にはその線に持つて行きたいと今準備中でございます。
  22. 田中一

    田中一君 ちよつと関連して……今の営繕局の試案というものは、先だつて問題になつた中央機関整備促進法ですか、あのような形で一応国が一方的に指定して、それに対して私有地、民有地をそのまま所有者が自由にならないというような形のものを考えておられるのですか。根本的な考え方をちよつと聞きたいと思うのですが、あなたのほうの試案を……。
  23. 木村恵一

    説明員木村恵一君) 今の御質問につきましては、実はまだそこまで深く我々としては考えておるわけではございません。それについていろいろ各方面の御意見を伺つた上で案を立てたいと思つております。
  24. 田中一

    田中一君 そうすると、一応の地図の上に絵を画いて、この区域をそうしたらどうかというような形の試案なんですね。
  25. 木村恵一

    説明員木村恵一君) さようでございます。
  26. 田中一

    田中一君 わかりました。
  27. 江田三郎

    江田三郎君 ちよつと関連して営繕の人にお尋ねするのですが、そういう国の建物、その工事の監督というのはあなたのほうでやられるのですか。
  28. 木村恵一

    説明員木村恵一君) さようでございます。
  29. 江田三郎

    江田三郎君 例えば参議院の宿舎、こんなものの工事の監督というものは具体的にはあなたのほうの技術者が何人かでやるのですか。どういう関係ですか。
  30. 木村恵一

    説明員木村恵一君) 今現在は参議院、衆議院の宿舎は直接……。
  31. 江田三郎

    江田三郎君 いや、工事の建設過程においてはあなたのほうでやるのでしよう。
  32. 木村恵一

    説明員木村恵一君) 現在は直接参議院のほうでやつておられます。
  33. 江田三郎

    江田三郎君 監督というのはどういうことを監督……、あなたのほうの監督というのはないのですか。
  34. 木村恵一

    説明員木村恵一君) ですから、営繕費その他について監督しているのです。
  35. 江田三郎

    江田三郎君 官庁の営繕費というのはないのですか。
  36. 木村恵一

    説明員木村恵一君) それの枠から外れております。
  37. 江田三郎

    江田三郎君 国会の建前はどうですか。
  38. 木村恵一

    説明員木村恵一君) この建物ですか、現在今私ども直接やつておりません。
  39. 江田三郎

    江田三郎君 それは参議院、衆議院でやる……。
  40. 木村恵一

    説明員木村恵一君) 現在はそうなつております。これは委託を受けて私どもやればやれることになります、予算的には……。
  41. 石川清一

    委員長石川清一君) 以上で本日の質疑は終つたようでありますが、先ほど御相談しました荒川の二瀬ダムその他の調査は、十二月十一日午後九時頃当地を出まして、現地で一泊し、十二日の午後五時頃帰京の予定であります。当日使用いたしますバス、自動車等については非常に困難がありまして、事務総長の許可を受けて使用する、こういうような状況でございますので、その他御相談の上最後の委員会で確定いたしたいと存じます。  本日はこれにて散会いたします。    午後零時六分散会