○山本(勝)
委員 なお引続いて
大蔵大臣に申し上げますが、通貨価値の安定に対する
大蔵大臣の努力、また総理の決意というものも承りました。これは一切の
経済の前提となることは申し上げるまでもないところでありますが、どうかその点は重大な決意で当
つていただきたいと思うのであります。
そこで、二十九
年度予算を組まれる場合に、御苦心もあると思いますが、むだな費用が非常に多いので、むだな例として私
どもが
考えておりますことを御参考までに申し上げておきたいと思いますが、二十六
年度の決算報告の中にも、会計検査院の報告に、死金を使
つたものが十一億何千万円と、はつきり死金という
言葉を使
つております。会計検査院が調べて指摘された合計が三十億円、死金とはつきり書いてあるのが十一億何千万円ですけれ
ども、そのほか不正行為で使い込んだとか、あるいは架空名義で使
つたというのを入れますと三十億と
なつておりますが、おそらくこれは何百分の一かを調べた結果であ
つて、その数倍にも及ぶむだがあるのだろうと思います。それで具体的な例を一一つ申し上げますが、これは実は農林大臣にも
関係するのです。新聞でも
ちよつと問題になりましたが、麻の袋を
昭和二十六年に三百万枚買い入れて——これはタイから四十五万トンの米を買い入れる場合に、袋はこちらで用意してほしいということを言われたために三百万枚も用意した。ところがその後向うで用意することにな
つたために不要にな
つたというのでありますが、その三百万枚の麻袋を一枚二百九十円で買
つておるのでありますから、代価が八億七千万円で、しかもこの翌年の九月に会計検査院から、三百万枚の麻袋を一枚も使わないで神戸の三菱倉庫その他の倉庫に保管してあ
つた、その保管料の三千万円をすでに払
つておるという事実を指摘されたにかかわらす——これは決して
小笠原大蔵大臣の責任とか、あるいは今の農林大臣の責任とは申しません。いろいろな理由があ
つてそうな
つたと思いますけれ
ども、とにかくいつ使うかわからない麻袋を、毎月三百万円も保管料を払
つて一箇年保管してお
つた。ところが驚くべきことには、この八月に私
どもが行
つて神戸で実際調べましたところが、半分に減
つておりますが、百五十五万九百十八枚というものがまだそのまま保管されておる。しかも一枚二百九十円で買うた麻袋はだんだん価値が下
つてしまいまして、ことしの四月一日からは一袋九十何円という二分の一の値段に評価がえをしておる。
従つて保管料も値段が下
つた関係で安く
なつておりますけれ
ども、それでも百五十五万枚の麻袋を保管する保管料は毎月七十七万円ばかり支払
つておる。こういうふうなことは、大きな国家の機構でありますからたくさんあるのです。おそらくこの八月以後にあるいは水害地で麻袋を土嚢に使
つたかもしれません、あるいはほかに利用したかもしれませんが、本年の八月にはなお百五十五万九百十八枚あると私
どもは見て来たのです。そこで、役所のことでありますから、もじこれを払い下げるなんということになれば、いろいろめんどうな手続があるかもしれませんけれ
ども、しかし麻袋は期間がたつとだんだん悪く
なつてぼろぼろに
なつてしまう。農家としては俵のかわりに麻袋があれば、一ぺんきりでなしに二度でも三度でも使えるということで、非常に要求しておるのです。ですからどうぞひとつ農林大臣と
大蔵大臣と相談されて、もし残
つておるようならばさつそく保管料だけ払
つて、だんだん腐敗して行くようなものを残しておかないように措置されたい。これは答弁は求めません。これはもう済んだことであ
つて今始ま
つたことではない。二十六年に始ま
つたことである。
それからもう一つ
大蔵大臣にこれも
注文でありますが、この
予算委員会で審議を求められる場合に、
インフレに
関係して
財政規模の問題がしきりに問題になりますが、しかし一兆円とか一兆二百億と言いますけれ
ども、実際
財政規模の問題として重大なのは純計だと思います。
一般会計、
特別会計を加えて重複したものを除いた純計だと思います。ところがその純計が、大蔵省の出した純計と会計検査院の出した純計とが違うのです。これも私は答弁を求めません。二十六年の決算報告で、大蔵省の報告は一兆八千何百億でありますが、会計検査院の報告は一兆六千何百億であ
つて、
歳入の純計において二千百三十三億円の違いがある。会計検査院という会計検査をする方と検査される大蔵省とが、こういう重大な
財政規模の問題で
歳入の純計で二千億以上も違う、
歳出で百六十何億違
つておりますが、実は私は決算
委員会でそのことを質問したところが、会計検査院の方では、何でも計算の仕方が違うためにいつも大蔵省と会計検査院とが議論しておるのだそうであります。議論して片づかないで両方で違
つたものを出すというような
意味の答弁でありましたが、何ゆえに大蔵省の出し方と違うのか。しかも
歳入において二千億以上も余分に大蔵省が計算するということになりますと、その影響するところは非常に大きい。これだけを
大蔵大臣に申し上げておきたいと思います。
それから農林大臣に対してですが、どうも最近やみの収締りというものが厳重に
なつて、毎日々々新聞によると何十俵、何百俵というものが主食の収締りにひつかか
つておるようであります。ところが新聞で見ますと、ある判事——名前は書いてありますが私の友人の判事だから名前は申しませんが、この人がこういうことを言
つておる。これはその判事を責めるという
意味でなくて、判事の
考えは当然だと思うから申し上げるのですが、
食糧管理法というものはま
つたく悪法だと言
つておるのです。「全く悪法だ。どこのすしやや旅館に行
つても米を食べさせるじやないですか。家族が多い家庭では米を買わなくてはや
つていけないでしよう。パン食だとい
つたところで高い米の方が安くつくのが現状だし、都会の飲食店はヤミ屋さんで経営されているんですからね。検察側には一罰百戒とい
つた空気がまだあるようだが、戦時中その
考えでいたずらに前科者をつく
つただけじやないですか。」これはこの判事だけの所感ではない。この食管違反で送り込まれて裁判する裁判官の、おそらく百人のうち九十九人までは同じ
考えを持
つておると思う。そこで御参考に申しますが、主要
食糧関係の違反検挙数というのを調べてみますと、
昭和二十六年一年間で二十八万三千百二十九件、それで検事局へ送られたのが二十六万五千九百五十五件。農林大臣は十五日分を何とかして確保したい、あるいは正月一日分は特配を何とかしてやりたいということを言
つていますけれ
ども、実は
日本人の今の生活というものは、大臣以下市井の郵便持ちに至るまでやみ米というものなくして生きて行けぬように
なつている。そうして全国のこの事件を送り込まれて来る裁判官がこんな悪法はないと言われる。そういうふうなことを根本的に
考えられた場合に、どうしたらこのやみというものが一切なくなるだろうか。殺してしま
つたらなくなるだろうと言う人があるかもしれませんが、おそらく農林大臣は殺してしまう勇気はないでしよう。そうすると、私は社会党の諸君とは見解が逆なんですけれ
ども、どんな人がかわ
つて農林大臣になるうが、
大蔵大臣になろうが、社会党の諸君がやられても、今までの供出配給
制度というものに根本的改革を加えて、マーケットが自然に物を配給するという組織を復活して、統制はほんの補いにやるという
程度にひつくり返さぬことには、この事態はなくならぬ。
食糧管理法ができてから今日まで何年た
つたかわかりませんけれ
ども、たたの一年としてこの事態がなくな
つたことはないのです。今日はもはや麻痺してしま
つて、もうあたりまえのように
考えられておるのですが、それが私は重大問題だと思う。だから
食糧問題の解決のときには増産も大切だし、輸入も大切ですけれ
ども、しかし全
国民が法律違反の上に生活を維持して行かなければならぬというふうな、こういう
制度をやはり根本的に問題にしてみなければならぬ。そうしないと結局いつまでた
つても同じことを繰返すことになると思う。どういうふうに改革したらいいかという私の
考えもありますけれ
ども、時間がないから申しませんけれ
ども、先ほど申しましたほかに、もしこの
制度を根本的に改めれはなくなるような食管
特別会計における費用は、
ちよつと
考えても五百億円くらいあるのです。それから今のような
制度をと
つておるから、
ちよつと困るとすぐ外米輸入、外米輸入ということに
なつておりますけれ
ども、しかし外米を輸入しても先ほどの麻袋のようなむだもできますけれ
ども、私の調べたところでも砕け米が
昭和二十七年四月から二十八年三月までに大阪の
食糧事務所だけで一年に一万四千二百五十トンも出て来る。これは農林大臣がかわ
つてみても今のようなやり方ではおそらく同じようなことになる。それから、時間がないから詳しく申し上げませんけれ
ども、黄変米の問題ですが、黄変米が二十六年に九千三百六十八トン出ております。しかもそれが減
つておるかというと、その次の二十七年には一万三千三百四十二トン出ておる。これは四斗俵にしますと二十八万俵です。そうしてそれが三分の一の値段で酒屋に配給され、またそこにいろいろなスキヤンダルが起るというようなことに
なつておることは御
承知だろうと思いますが、だんだんなくなるならよろしいが、ふえてもいないかもしれないが跡を絶たない。しかも最近はビルマの米だけでなしに、エクアドルや方々から来た米に黄変米が入
つている。それから事故米だ
つて大阪事務所だけの分で一年間に七十六トン余りであります。もちろんいかなる時代でも事故米は絶えないのでありますが、あまり多いと思う。こういうことですが、きようはあまりおそいから申しません。やみの米を調べさせたところが、東京では六月と七月は一日に一万俵入
つておる。これは
食糧庁調査課の調べです。推定でありますけれ
ども、上野の警察
関係の調べも、米屋の調べも大体一致しておる。それから九月は七千俵、十一月は五千俵。大阪は六、七月は一日六千俵、だから大阪、東京で一日に一万四、五千俵も入るのですから、全国の小さな町でも、おそらく農家でないところは大小みなやみ米のごやつかいに
なつておると思いますが、やみ米の数量なんというものは、これで計算してみますと一千万石以上だと思う。ですから
食糧問題はあまり心配されないで、大切な金を使わないで、米を食わないでも人間というものは生きて行かれるのです。だから根本的に一ぺん
考え直す必要がある。少々いいことがありましても、全
国民を法律違反者にしなければ生きて行けない、全国の判事が悪法たというふうな法のもとで食生活を維持して行くということは、その一点だけで落第だと思う。それをあまり続けて行きますと、今度はそれが麻痺てしま
つて結局救うべからざる事態になる。それだけ申し上げて、また機会がありましたらゆつくり伺います。