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工藤参考人 ただいま
高津社長から御
報告いたしましたことで、ほとんど全部尽きておりますので、私から別につけ加えるほどの材料は持
つておりませんが、今回の
ソ連からの
引揚げ問題は、大体
マレンコフ政権になりましてからの
平和政策の一環として出炭て来たような
感じがいたすのでありまして私
たちが
モスクワに参ります前に、すでに
ドイツの
戦犯の釈放問題があり、それより前にオーストリアの
戦犯の釈放問題もありました
関係から、
ソ連側としては、
日本に連絡し得る好機をつかまんとしていたのではないかと思うのであります。幸いに
大山さんが
モスクワに立ち寄られました場合に、モロトフ氏との
会見があり、それから引続いて
ソ連赤十字の
ホロドコフ社長と面会されて、
引揚げ問題を
日本赤十字と直接に
交渉したいというような
申出がありましたので、私
たちの千
電報に対しても、
先方からは予想以上に早く
回答が参りまして、わずか数週間にして
モスクワに行くというような次第にな
つたのであります。
あちらに参りましても、
先方ではすでにもう
引揚げの
準備はできていたと見えまして
協定案の
内容を
会談の第一回目に大体われわれに伝えてくれたのであります。ただ
残つた戦犯者の問題であるとか、あるいは
一般民の問題に関しまして
一般民の
犯罪者だけを帰すというように言
つておりますので、一体
一般民といえば
犯罪者、
刑期の満了しない者、あるいは赦免を受けない者もあるでありましようし、また
一般民といえば
犯罪人でない者もあるに違いない、そういう
方面はどうでしようかというような
質問を出しましたが、そういう詳細の問題、それから先ほど
社長が
報告いたしましたように、出発するにあたりまして今日国の
留守家族の
方々、あらゆる
方々から非常に心配して訴えられました問題を、この際何とかして状況を明確にし、そしてもしできるならば、これらの
人たちの
帰国の実現であるとか、あるいは死んだ者の
調査とか、そういう点を明らかにしたいと思いまして、いろいろ申し入れました。
先方の
調査も
相当長引いたものと見えまして、
会談が始ま
つてから
先方が
協定案を出すまでに約二週間もかか
つたのでございます。そして、この
協定案を
日本側に伝えまして、
日本側がこれを受諾するまでに数日を要しまして、
協定案を
署名することにな
つたのでございますが、いろいろの
情報を
協定案署名の条件とするというようなことは、私
たちの
感じから申しましても、とうていできない。もし
一般民の
帰国の問題について
ソ連から一札をとるというようなことを固執すれば、帰すべき者も帰されないというような
感じもいたしましたので、われわれといたしましても、まず
ソ連から
送還してくれる者をもらい、そうして今後においてできるだけ早く未
帰還者の
事情を明確にし、この
帰国の
促進について
ソ連赤十字の
援助をお願いするという趣旨で
交渉したのでございます。幸い
ソ連赤十字の
方々は非常に好意をも
つてわれわれと接触してくれまして、われわれは初めはきわめて形式的な
あいさつではないかと
思つてお
つたのでありますが、
ホロドコフ社長以下非常に誠意をも
つて調査をしてくださいまして、
調査のできないものについては非常にお気の毒のような
態度をしておられました。
残つた戦犯者の
帰国の問題、あるいは
死亡者の
調査の問題、それから
一般民の
調査の問題、その
帰国の問題、こういうような問題は今回は未
解決のままにな
つておりますが、
赤十字においてはできるだけ
協力を約してくれました、そうして、
お互いに
人道主義に進んでおる
赤十字であり、
国際的協力をモツトーとするものであるから、今後とも
人道主義のために積極的に
協力いたしましようという
あいさつがありまして、わかれたのでございます。
滞在中は、
ソ連赤十字の
賓客として厚いもてなしを受けました。
それから、
最後に
収容所の
訪問を申し入れたのでございます。これは、
最後と申しましたが、われわれの
申入れの特別な事項として、どこでもいいから
収容所を一つ
訪問さしていただきたいと申しましたところ、この問題については非常に快く早く承諾してくれまして、
調印後数日――十一月十九日が
調印で、二十三日に出発したわけですから、わずか三、四日で、
モスクワの東北にある
イワノヴオの
郊外にある
収容所を
訪問することができました。この
訪問におきましては、
山田大将以下三十八名の
方々がおられました。当日は、全然われわれの
訪問について予告されておりませんでして、非常にみんな
面くらつて、びつくりしたような顔をしておられました。そうして
島津社長から、今回
皆様を
訪問する
機会を得て
自分たちは非常にうれしいと思うが、
家族と
皆様は通信しておらつれるたろうけれ
ども、何かこの
機会に御
希望はないかと言われましたら、
山田大将は、みんなを
代表して、
ちよつとも前から考えておられたわけではございませんで、ただその場で非常に考えられまして、われわれの
希望についてはいまさら私が言う必要はないと思う、第一の
希望については
皆さんは御想像できることと思うという
言葉をお述べになりまして、われわれは即座にその御
希望を観取することができたのでございます。そのほかは、
報告にもいたしておきました
通り、
慰問品の問題であるとか、あるいは書籍の問題であるとかいう御
希望を出されましたが、いずれにしても、
ソ連側のこの
人たちに対する
待遇は、いわゆる
戦犯者としては決して悪い
待遇ではないと思います。食糧にしても、そう悪いという
感じは受けませんでした。ただ問題は、外部から完全に隔離されて、外界の
事情は全然知らない。わずかに
日本の
家族、親戚の
事情を知
つているくらいにすぎない。読む
書物な
ども、やはりいろいろの検閲の
関係で制限されておりまして、
希望通りの
書物を読むというようなこともでさませんが、
収容所側では、
日本側で送りたいという
書物があるならば、
収容所に送
つてくれれば、
収容所で検閲して適当な本を
収容所に備えて読ますことができるから、
収容所にあてて本を送
つて来られることはさしつかえないというような話でございます。全面的にすべてが受諾されるかどうか、それは存じませんが、
収容所には
ドイツ語の本は
相当ありましたが、
日本語の本が全然なかつた。そういうようなことから、今後われわれとしても、
日本語で書いた何かの本を送
つて、幽囚久しきにわたる三十八人の
方々の心を慰めたいと
思つております。そうして、これは単に
イワノヴオに収容されておる三十八人の
人たちだけでなく、他に残
つているあまたの
人たちに対しても同様やらねばならないと
思つておる次第でございます。
二十八日に、最終的に、
今島津社長から申し上げましたようないろいろの詳しい問題について
先方から
回答をしてくれましたが、十二問題に対して、十二以上の
回答をして重複をも顧みず、非常に詳細にわたつた
回答ぶりでありまして、現在の
ソ連赤十字の
立場としてはこれ以上は望めないというほどの、きわめて親切丁寧な
回答でありました。もちろん、われわれは、この
回答が満足すべきものでないということはよくわか
つておりますが、問題を将来に残して、今回の
交渉に一応切りをつけまして、
交渉を終つたような次第でございます。三十日の翌々日の
飛行機で帰ろうと
思つておりましたが、
ちようどスエーデンの
代表が来ておりました
関係で、
飛行機が満員になりまして、十二月二日に延びまして、一路けさ着いたような次第でございます。
簡単ながら御
報告いたします。