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1953-12-09 第18回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第5号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十八年十二月九日(水曜日)     午後二時八分開議  出席委員    委員長 山下 春江君    理事 青柳 一郎君 理事 高橋  等君    理事 臼井 莊一君 理事 柳田 秀一君    理事 受田 新吉君       佐藤洋之助君    中川源一郎君       福田 喜東君    吉川 久衛君       帆足  計君    辻  文雄君       有田 八郎君    安藤  覺君  委員外出席者         厚生事務官         (引揚援護庁次         長)      田辺 繁雄君         参  考  人         (日本赤十字社         社長)     島津 忠承君         参  考  人         (日本赤十字社         外事部長)   工藤 忠夫君         参  考  人         (日本赤十字社         外事部調査課         長)      木内利三郎君     ――――――――――――― 十二月八日  海外同胞引揚及び遺家族援護に関する件 の閉会中審査を本委員会に付託された。     ――――――――――――― 本日の会議に付した事件  ソ連地区残留同胞引揚に関する件     ―――――――――――――
  2. 山下春江

    山下委員長 これより会議を開きます。  ソ連地区残留同胞引揚に関する件について議事を進めます。  本日は、けさお帰りになりました島津団長その他の各位より、ソ連地区残留同胞引揚げ問題について事情を聴取することにいたします。  この際私から参考人皆様に一言ごあいさつ申し上げます。皆様方におかれましては、今回はるばるモスクワにおもむかれ、ソ連地区残留同胞引揚げ問題の解決に絶大な御努力を払われ、長らく杜絶していたソ連地区よりの引揚げがここに再開を見るに至つたことは、実に皆様の御奮闘のたまものでありまして、国民とともに皆様の御努力に対し深く感謝の意を表明する次第であります。当委員会におきましても、終戦以来八年の間酷悪なる異境の風土と生活にさいなまれながらいまなお残留せられている同胞帰国の一日も早からんことを期するため、鋭意努力払つて参つた次第でありますが、今回はからずも、皆様方の御努力により、ここにソ連地区よりの引揚げが再開されましたことは、まことに喜びにたえません。しかし、いまだソ連地区には多数の同胞が抑留されている状態であり、これらの同胞がかの地でいかに生活しているか、その帰国はどうなるか、再び厳冬を迎え国民とともに深く案じているところであります。ついては、全国民の待ち望んでいましたソ連地区よりの引揚げが行われたその交渉の経緯並びに今後の引揚げの見通しについて本日この席上で詳細にお話願えれば幸いと存じます。皆様には長途の旅でお疲れのところ御出席を煩わし、委員長より厚くお礼を申し上げます。  それでは、まず島津参考人より、ソ連地区残留同胞帰国に関する交渉事情についてお話を願いたいと存じます。島津参考人。(拍手)
  3. 島津忠承

    島津参考人 今回モスクワに参りまして、ソ連赤十字との真に在ソ同胞送還について話合いをいたしました経過の大要を御報告申し上げます。  去る七月下旬、大山郁夫教授モロトラ外相会見の際、同外相が在ソ日本人戦犯送還赤十字を通じて解決できるであろうと申されたとの報道がありました。私どもといたしましても、従来引揚げの問題はジユネーヴの赤十字国際委員会を通じて促進努力いたして参つた関係がありますので、同委員会ソ連赤十字双方に対し、本社がいつでもこの問題解決に当る用意のある旨の電報を送り、回答を待つたのであります。その後さらに大山氏から、直接ソ連赤十字に連絡されたいとの知らせがありましたので、重ねてソ連赤十字に対し、代表者モスクワに派遣する用意があることを通報し、折返しその同意を得ましたので、私ほか二名の代表と随員二名が、十月二十四日東京を出発、モスクワに向いました。十月二十八日モスクワに到着、三十一日からソ連赤十字との会談を始めましたが、十一月二十七日まで四回の正式会談と数次の非公式会談を行いました。  会談内容について申し上げますと、問題は、今回ソ連側送還を予定しておりました在ソ邦人帰国の具体的問題、すなわち港や船の問題、引渡しに関する細目等と、私どもの関心の深いいわゆる引揚げ問題の全般とにわけることができると存じます。今回の送還については、円満に話が進み、先方もあまりむずかしいことを申しませず、十一月十九日千二百七十四名の送還に関する共同コミユニケ署名を終りました。その結果、すでに第一船によつて、私どもモスクワ滞在中に八百十一名の方々日本に帰られたのでございます。なお残り四百六十四名については、第一次終了後十五日ないし三十日の間に行われる旨の約束を得ております。年内にはこれらの方々帰国されるものと信じております。この一千二百七十四名は、戦犯者四百二十名と一般人八百五十四名にわかれております。後にソ連側より回答があり、リストの交付を受けました残留戦犯者一千四十七名とこの四百二十名とを加えますと一千四百六十七名となり、一九五〇年四月タス通信発表した戦犯者一千四百八十七名とほぼ一致することとなり、一般人八百五十四名ということは新しい数字でございます。送還細目コミユニケによつて御了承を得たことと存じます。  さて、引揚げ問題全般につきましては、私どもより、今次の送還問題と並行して、あるいは口頭により、あるいは文書により、十一月十日までに十二項目にわたる質問を提出いたしましたが、ソ連側は手持ちの資料が少く、回答を受けるまでに相当時日を要しました。もとより、多数の未帰還者があり、その留守家族の悲況を見ておりまする日赤側と、抑留国であるソ連赤十字との間には、準備の程度に相当相違のあることはやむを得ない次第と存じますが、ソ連側当方質問に対しただちに慎重な調査を始めた模様であり、回答時日を要しましたのはこの調査のための時間であつたと思われます。以下この質問回答により明らかになりました諸点について申し上げます。  第一には、残留戦犯者の数でありますが、これは前に申しました通り一千四十七名であるということが明らかとなりました。  次は、これら戦犯者帰国援助方申入れでございますが、刑期が終るに従い、今回に準じ援助するとの確約を得ました。  次に、残留する一般人犯罪者の数その他についての質問及びその帰国援助についての申入れでございますが、これは、犯罪人でない一般人についてと同様の当方希望と一括して、一般人については目下ソ連赤十字には何ら資料がないという回答でございました。将来における問題解決の糸口はこの辺にあるかと思われ、ある意味では、正確な数字等発表して双方ともこれに縛られるようなことにならずに、大きな含みができたと申せるかとも思います。一般人の問題については、日赤として今後もその調査努力するつもりでございます。  次に、ソ連領内における死亡者の数を知りたい、でき得ればその名簿をももらいたいという申入れに対しまして、先方は、従前タス通信発表した通りであるとして、一万二百六十七名の数をあげ、終戦直後の混乱時に死亡した者の調査は困難であると言明いたしました。この数は日本側数字相当の食い違いがありますので、問題は将来に持ち越されるわけでございます。  次には、一九五〇年四月、タス通信が、中共に引渡すべき戦犯が九百七十一名あると発表した件でございまして、ソ連側回答は、これら九百七十一名のうち二名は死亡し、九百六十九名は一九五〇年中に中共に引渡されたということでございました。その氏名については中共側に問い合せるようにとの回答であり、私どもといたしましては、適当の機会中国紅十字会に照会することを考えております。  次に、一九五〇年、すなわち昭和二十五年四月ナホトカ引揚げ終了のころまで通信がありその後消息がなくなつた人々、あるいは終戦時雨樺太におりその後消息のない人々、その他の安否調査協力を求めましたところ、従来の国際赤十字の一慣行に従い調査を行う旨の約束を得ました。私どもは、モスクワ滞在中に留守家族方々からの申出を整理いたしました結果、少数ながら個人別安否調査ソ連に依頼をいたしました。今後も引続きこの安否調査を行うことといたします。  次に、第九でございますが、内地との間の文通増加の件でございます。これらは国際慣例等により現行のままとするとの回答でございました。  次に、内地服役の可否を尋ねましたが、まつたくソ連赤十字権限外のことであり、いかんともなしがたいとの回答でございました。  外蒙、北鮮における消息不明者抑留者の問題については、それぞれその国の当該機関に連絡するようにとの答えでございました。  最後に、収容所訪問について希望を表明しましたところ、ただちに承諾を得まして、十一月三十四日、モスクワ東方三百キロのイワノヴオ郊外にある収容所訪問することができまして、三十八名の元軍人の方々と面会し、その希望を聞くことができました。その際、慰問品は制限なく受領を許されていることがわかりましたので、その送付について今後努力いたすつもりでございます。  このようにして一応今回の話合いを終り、今暁一時過ぎに帰国をいたしました。  以上で大体の御報告を申し上げましたが、今後も赤十字立場において引揚げ問題解決のために、あらゆる機会をとらえまして日本赤十字は最善を尽す考えでございます。どうぞ、今後とも皆さんの御支援、御協力をお願いいたす次第でございます。
  4. 山下春江

    山下委員長 次に工藤参考人より、その他の事情についてお話を願いたいと存じます。
  5. 工藤忠夫

    工藤参考人 ただいま高津社長から御報告いたしましたことで、ほとんど全部尽きておりますので、私から別につけ加えるほどの材料は持つておりませんが、今回のソ連からの引揚げ問題は、大体マレンコフ政権になりましてからの平和政策の一環として出炭て来たような感じがいたすのでありまして私たちモスクワに参ります前に、すでにドイツ戦犯の釈放問題があり、それより前にオーストリアの戦犯の釈放問題もありました関係から、ソ連側としては、日本に連絡し得る好機をつかまんとしていたのではないかと思うのであります。幸いに大山さんがモスクワに立ち寄られました場合に、モロトフ氏との会見があり、それから引続いてソ連赤十字ホロドコフ社長と面会されて、引揚げ問題を日本赤十字と直接に交渉したいというような申出がありましたので、私たちの千電報に対しても、先方からは予想以上に早く回答が参りまして、わずか数週間にしてモスクワに行くというような次第になつたのであります。  あちらに参りましても、先方ではすでにもう引揚げ準備はできていたと見えまして協定案内容会談の第一回目に大体われわれに伝えてくれたのであります。ただ残つた戦犯者の問題であるとか、あるいは一般民の問題に関しまして一般民犯罪者だけを帰すというように言つておりますので、一体一般民といえば犯罪者刑期の満了しない者、あるいは赦免を受けない者もあるでありましようし、また一般民といえば犯罪人でない者もあるに違いない、そういう方面はどうでしようかというような質問を出しましたが、そういう詳細の問題、それから先ほど社長報告いたしましたように、出発するにあたりまして今日国の留守家族方々、あらゆる方々から非常に心配して訴えられました問題を、この際何とかして状況を明確にし、そしてもしできるならば、これらの人たち帰国の実現であるとか、あるいは死んだ者の調査とか、そういう点を明らかにしたいと思いまして、いろいろ申し入れました。先方調査相当長引いたものと見えまして、会談が始まつてから先方協定案を出すまでに約二週間もかかつたのでございます。そして、この協定案日本側に伝えまして、日本側がこれを受諾するまでに数日を要しまして、協定案署名することになつたのでございますが、いろいろの情報協定案署名の条件とするというようなことは、私たち感じから申しましても、とうていできない。もし一般民帰国の問題についてソ連から一札をとるというようなことを固執すれば、帰すべき者も帰されないというような感じもいたしましたので、われわれといたしましても、まずソ連から送還してくれる者をもらい、そうして今後においてできるだけ早く未帰還者事情を明確にし、この帰国促進についてソ連赤十字援助をお願いするという趣旨で交渉したのでございます。幸いソ連赤十字方々は非常に好意をもつてわれわれと接触してくれまして、われわれは初めはきわめて形式的なあいさつではないかと思つてつたのでありますが、ホロドコフ社長以下非常に誠意をもつて調査をしてくださいまして、調査のできないものについては非常にお気の毒のような態度をしておられました。残つた戦犯者帰国の問題、あるいは死亡者調査の問題、それから一般民調査の問題、その帰国の問題、こういうような問題は今回は未解決のままになつておりますが、赤十字においてはできるだけ協力を約してくれました、そうして、お互い人道主義に進んでおる赤十字であり、国際的協力をモツトーとするものであるから、今後とも人道主義のために積極的に協力いたしましようというあいさつがありまして、わかれたのでございます。滞在中は、ソ連赤十字賓客として厚いもてなしを受けました。  それから、最後収容所訪問を申し入れたのでございます。これは、最後と申しましたが、われわれの申入れの特別な事項として、どこでもいいから収容所を一つ訪問さしていただきたいと申しましたところ、この問題については非常に快く早く承諾してくれまして、調印後数日――十一月十九日が調印で、二十三日に出発したわけですから、わずか三、四日で、モスクワの東北にあるイワノヴオ郊外にある収容所訪問することができました。この訪問におきましては、山田大将以下三十八名の方々がおられました。当日は、全然われわれの訪問について予告されておりませんでして、非常にみんな面くらつて、びつくりしたような顔をしておられました。そうして島津社長から、今回皆様訪問する機会を得て自分たちは非常にうれしいと思うが、家族皆様は通信しておらつれるたろうけれども、何かこの機会に御希望はないかと言われましたら、山田大将は、みんなを代表して、ちよつとも前から考えておられたわけではございませんで、ただその場で非常に考えられまして、われわれの希望についてはいまさら私が言う必要はないと思う、第一の希望については皆さんは御想像できることと思うという言葉をお述べになりまして、われわれは即座にその御希望を観取することができたのでございます。そのほかは、報告にもいたしておきました通り慰問品の問題であるとか、あるいは書籍の問題であるとかいう御希望を出されましたが、いずれにしても、ソ連側のこの人たちに対する待遇は、いわゆる戦犯者としては決して悪い待遇ではないと思います。食糧にしても、そう悪いという感じは受けませんでした。ただ問題は、外部から完全に隔離されて、外界の事情は全然知らない。わずかに日本家族、親戚の事情を知つているくらいにすぎない。読む書物ども、やはりいろいろの検閲の関係で制限されておりまして、希望通り書物を読むというようなこともでさませんが、収容所側では、日本側で送りたいという書物があるならば、収容所に送つてくれれば、収容所で検閲して適当な本を収容所に備えて読ますことができるから、収容所にあてて本を送つて来られることはさしつかえないというような話でございます。全面的にすべてが受諾されるかどうか、それは存じませんが、収容所にはドイツ語の本は相当ありましたが、日本語の本が全然なかつた。そういうようなことから、今後われわれとしても、日本語で書いた何かの本を送つて、幽囚久しきにわたる三十八人の方々の心を慰めたいと思つております。そうして、これは単にイワノヴオに収容されておる三十八人の人たちだけでなく、他に残つているあまたの人たちに対しても同様やらねばならないと思つておる次第でございます。  二十八日に、最終的に、今島津社長から申し上げましたようないろいろの詳しい問題について先方から回答をしてくれましたが、十二問題に対して、十二以上の回答をして重複をも顧みず、非常に詳細にわたつた回答ぶりでありまして、現在のソ連赤十字立場としてはこれ以上は望めないというほどの、きわめて親切丁寧な回答でありました。もちろん、われわれは、この回答が満足すべきものでないということはよくわかつておりますが、問題を将来に残して、今回の交渉に一応切りをつけまして、交渉を終つたような次第でございます。三十日の翌々日の飛行機で帰ろうと思つておりましたが、ちようどスエーデン代表が来ておりました関係で、飛行機が満員になりまして、十二月二日に延びまして、一路けさ着いたような次第でございます。  簡単ながら御報告いたします。
  6. 山下春江

    山下委員長 この際佐藤洋之助委員より特に発言を求められておりますので、これを許します。佐藤委員
  7. 佐藤洋之助

    佐藤(洋)委員 さきにソ連から賓客として招致を受けました大山郁夫氏の言葉によりまして、今川島津日赤社長以下たいへん御苦労をかけまして、われわれ国民といたしましては深く感謝をいたしております。これによりまして、どれくらいわが国民感謝をし、かつやや明るい希望を持ちましたことにつきましては、想像に余りあるものがございます。島津社長以下皆様方御苦労に対しましては心からお礼を申し上げたいと思います。この際一、二お尋ねしたいのでございますが、実は、一九五二年の国連の第三会期のときにおきまする発表により、そのときのシベリア及びソ連領残留者、及び南樺太千島における残留者数字を見ますと、その当時ちようどソ連領及びシベリアには一万七千二百三十名おるということに国連から発表になつておるのであります。なお、同じときに南樺太千島においては二千六百二十五名残留者があるというような発表に私どもは承知いたしておるのであります。今回御苦労をかけまして、あちらに参られましていろいろ御交渉願つた結果、大体において数字がおわかりのようでございまして、今拝聴したのですが、まだまだ不明な点がある。ソ連赤十字におきましてもデータが十分ないというような今のお話でございますので、この不明の点、また死亡者が一万二百六十七名ですか、これらに対しまするところのさらにつつ込んだ御調査をどういうふうにしておやり願うか、それについてまずお願いしたい。  れから、一九五二年に中共に引渡しました九百六十九名でございますか、その消息がどういうふうになつておりますか、知り得る点がございましたら、この際お漏らしを願いたいと思うのであります。  それから、最後にもう一点お順いしたいのは、満刑になりました方々が、かなり、あちらで帰国する金もなくて、非常に生活に困つておるというようなことを断片的にわれわれは聞かされておるのでございますが、それらに対する情勢はどんなふうでございましたか、御調査になりました点がございますならば、この点あわせて承りたいと思うのでございます。  以上三点だけお尋ねいたしたいと思います。
  8. 工藤忠夫

    工藤参考人 第一点は残留者の今後の調査の問題であります。この問題につきましては、再三再四紅十字会に質問をしたのでございますが、調査々々で、非常に日にちがかかりまして、十月三十一日の会議から十一月二十八日の会議まで向うの方で回答を留保しておられましたが、結局ソ連赤十字には何ら資料がない、こういう回答でございまして、今のところ、とつつきようがなかつたというような現状でございます。何回言いましても、資料なしというような返答でありまして、それ以外にいろいろの説明をなし得る地位になかつたものと思いまして、これ以上の質問を差控えまして今後の交渉にまつ――あるいはまた国際情勢の変化もありましようし、あるいはまたわれわれの積極的な意思表示によりまして将来何らかソ連側の方でしてくれるのではないかと思つております。この問題についてあまりにこまかく問題を追究することは、かえつて不利ではあるまいか、ソ連側としても、会議における空気から察しましても、資料がないということがかえつてソ連立場を自由にする、そうして将来帰してくれる可能性もあるのではないか、われわれの方といたしましても、あまりにこまかく追究して、お互いにのつぴきならぬ立場になるのでは、これも損だと思いまして、意味深長と解しまして、将来の問題として残しておるような次第でございます。  それから、中共に渡されたといわれる九百七十一名の戦犯者の問題につきましては、タス通信では渡すべきものと書いてありつまして、実は渡されたかどうかわからない。これに関する情報が全然ございませんので、あらゆる方面からこの問題を明確にしてほしいと言われましたので、われわれとしてもこれを明確にすることは、われわれ訪ソの非常な大きな義務の一つであると思いまして特に調査をお願いしたのでございます。これに関しましては、ソ連赤十字において非常に慎重に調査してくれたと見えまして、タス通信にある九百七十一名のうち二名は死亡した、そして九百六十九名は一九五〇年中に中華人民共和国に渡されたという説明がありました。そして、代表団の方から実はその名簿がほしいのですがと言いましたところ、ホロドコフ社長は、名簿自分の手元にない、そして、非常に軽い意味で、それでは中国側に聞いてみたらいかがですかというように言われました。そういうわけで、これについても名簿はいただけないものと解釈いたしまして、今後中国側との折衝によつて何とか明らかにしたいと思つております。これらの人たち健康状態とか取扱いとかうものについては、全然先方も言つてくれません、でし、われわれといをまても、これ以上赤十字に聞いても、十一月二十八日の最後の日でございましたし、一応これで満足して、将来の問題として残すというつもりで帰つて参つたのでございます。  それから、第三の満刑者の問題でございますが、戦犯者あるいはシビリアンの犯罪人で残つている者もあるでしようし、そういう者の刑期は大体でいいからどのくらいの刑期でありましようかということを聞いたのでございますが、われわれの聞いたところでは、二年以上二十五年くらいありまして、しかもそれが、二年から十年くらいまではいろいろ区切つてつて、十年以上は、十五年、二十年、二十五年というようになつておるようでありますが、実際はわかりませんで、それによつて帰国状態も明らかになるのではあるまいかと思つて聞いたのでありますが、全体についての回答は得られませんでした。そういうぐあいで、協定では、刑期の満了に伴い現在と同様な方法で帰すということは書いてありますけれども、その具体的なやり方については、向う側においても別に詳しくせんさくして一人ずつのものはこういうふうにして帰すということも言われませんし、これはまた現実の問題としてひとつあとで当つてみたいと思つて、私の方でも詳しく質問をすることを差控えたのでございます。大体におきまして、おそらく一人々々の送還というものは非常にめんどうでありまして、あるいはソ連においては、戦犯の処理につきましても特赦もあればあるいは最高裁判所の再審理というような自由裁量の余地もあるように思われまして、刑期の満たない者でもあるいは適当の機会に帰してもらえるのではないかと思いますので、将来の問題としてあまり詳しいことはぐあいが悪いので、控えて参つたようなわけであります。
  9. 佐藤洋之助

    佐藤(洋)委員 工藤さんの御説明は大体わかりましたが、今回の八百十一名の帰還は、かつて帰還者違つた情景でございました。と申しますことは、非常な感謝の意をもつて謙虚な態度で帰られましたことであります。かつてわれわれが数回にわたつて引揚げを体験いたしましたことから考えると、何とも言えない、自がしらが熱くなるような気持をもつて迎えたのでございます。これらは日赤当局の御努力のたまものでございます。なお残つております四百六十四名は年内帰還が可能だというお話ですが、これらの手配はどういうふうについておるのですか。御承知のように、今ソ連とわが日本とは国交が調整されておりません。どういたしましても、やはりこうした世界共通の機関である赤十字のさらに一段と強力なる御手配によりまして、今後ひとつ円満なる運営処理を願いたいと切望つしておるのであります。  ただいま、満刑者に対してもあまり深くつつ込んで聞くことはソ連当局の感情にもとるというようなお話でございましたが、できるだけやはりさらにつつ込んで御調査を願つていただきたい。戦争後すでに八年であります。ことに、モスクワより三百キロばかり離れた戦犯者のところに親しくおいでを願いまして、山田乙三氏以下を御慰問せられたそうでありますが、われわれは、もはや戦争が済んで八年の今日、なぜまだこういうふうな存在があるかということが残念でたまらないのであります。一日も早く戦犯者帰国さして、あのポツダム立言による条項の実行を迫らなければならぬと思うのでありまして、これはあくまでも世界正義に訴えて戦犯釈放を叫びたいと思います。さきには山下委員長、有田代表らが参りまして、国連会議に切実なる言葉を述べたのでありますが、さらに進んで、われわれ国民としても、一日もすみやかに戦犯者を釈放されんことを希望いたしたいのであります。こういう画につきましても、どうぞ日赤の首脳諸君の一段の御努力をお願いいたしまして、私の質問を打切つておきます。
  10. 山下春江

    山下委員長 柳田秀一君。
  11. 柳田秀一

    ○柳田委員 島津工藤御両氏は、中国と引続きソ連にお使いされまして、御大役を果されまして、まことに私ども国民としても感謝にたえないのであります。  そこで、一、二点お尋ねしたいのですが、島津社長が先般中国に行かれました場合と、今回ソビエトに行かれました場合、交渉する相手はどちらも同じく赤十字でありまするが、受けられました印象と申しますか、そういう点で、中国及びソビエトを比較されて、いかようにお考えになりますか。
  12. 島津忠承

    島津参考人 お答え申し上げます。中共の場合は、相手方が紅十字会ではございましたけれども中国側代表となりましたのは廖承志団長でありまして、中国紅十字会の顧問であると思います。今回、ソ連赤十字におきましては、ソ連赤十字のホロドコラ社長以下があちら側の代表として出席いたしておりました。パシコラ副社長も、ジユネーヴの国際赤十字連盟の執行委員会から帰りまして、途中から会談に加わつたのでございますが、パシコフ副社長とスペランスカや女史、この二人とは、一九五〇年のモナコの赤十字連盟の会議のときにも会いまして、在ソ同胞の救世等につきましていろいろ話したこともございましたので、赤十字として前からの知合いもありまして、一層親しみが持てたような気もいたしたような次第でございます。
  13. 柳田秀一

    ○柳田委員 とかく、ソビエとのことになりますと、わが国においては、底ぎみ悪いと申しますか、さらに、せんさくするといいますか、ことさらに何らか悪意をもつて見たがる感じですべての問題に捜せられる傾きがあると思うのでありますが、そういう意味じやなしに、私は、フランクな気持で伺いたい。先ほど来お話のあります、一般人あるいは一般犯罪人等の資料が十分ないとか、あるいは終戦の混乱時等においては行方不明者あるいは死亡者等の十分な名簿がとうてい用意できない、こういう問題ですが、これは、われわれ日本人の考え方、いわゆる重箱主義と申しますか、四角いところをきちんとつつがなければ気が済まないという日本人の気質ですべてを考えるからおかしいと思うのか、茫漠とした大国のソビートとしては、われわれとは男の考え方が違つて、あまりしやくし定規にできておらず、はなはだ大まかにできておるという立場から、こういう資料がないのか、そういう点をどうお考えになりますか。あるいはまた、少しく曲解するならば、二十五年のタス通信では中国に引渡す者が九百七十一名とあつたが、そのうち二名死んで九百六十九名渡したんだと言うならば、その者の名簿ぐらいはあつてもしかるべきであるし、このたび日本から来るなら当然そのことは要求されるだろうということは、私は一応常識上考えられると思う。それならば、それぐらいのものは渡してもよかりそうじやないか。そういうことだから、先ほど申すように、どうも何か底意があるんじやないかというふうに考えざるを得ないのではないか、こういう議論も逆に出て来るのであります。そういう意味で、一般人については資料がないという点は、これは留守家族にとつては非常に深刻な問題でございますが、島津さんばどういうふうにお考えになりますか。なお、速記録に載つてばぐあい悪いようでございましたら、それは委員長の方で適当におとりはからいを願いたいと思います。
  14. 山下春江

    山下委員長 速記はよろしゆうございますか。
  15. 島津忠承

    島津参考人 大体よろしいと思いますが、あとでお願いいたすかもしれません。  お答え申し上げます。残留者死亡者等についてでございますが、ことに一般人残留者資料がないとソ連側が申しましたことにつきまして申し上げますが、この点は、私どもも、どうもまつたく想像がつきませんので、わかりません。しかし、現実に、モスクワに参りまして、これは日本の新聞にあるいは出たかと思いますが、一人の日本人の方にお会いいたしました。それは北樺太におられたお医者さんでございます。現実にそういう方がおられます。お会いいたしますと、東京におられる兄弟の方にも通信をされていなかつたそうでありましてこちつら側ではまつたくの行方不明者あるいは死亡者名簿の中に入つておられた方でないかと思うのであります。現実にそういう方がございますし、われわれがその方にお会いしましたことも、ソ連赤十字社側もいろいろのことで知つたことだろうと思いますが、ソ連側として、実際にいるということを申しますれば、やはり数にも関係して参りますし、そういつたことで、今日のところは資料がないということになつておるのではないかと存じます。  それから、中共へ引渡された方々名簿の件でございます。これは私どもとしてもぜひ発表してもらいたいと思いまして、このことは再三会談のときにも申し入れたのでありますが、これは、中共との関係があります関係か、ソ軍側は中共の方に聞いてもらいたいという返事でございました。これはなるべく早い機会中国紅十字会の方にも問い合せたいと思つております。  なお、死亡者名簿につきましても、これは、終戦当時の混乱時におきます死亡者のことはあるいはわからないことがあるかもわかりませんし、ソ通例のシヤロノフ副社長も、今次の戦争で一千五百万のソ連の兵隊が死亡または行方不明になつていまだにその行方がわからない者が多数あるとも申しておりまして、終戦当時のことはあるいは困難であるかもわかりませんが、しかし、現実に、収容所に収容されておりまして一九五〇年に中共に引渡されたときに二名の死亡者があるとソ連側では申しておりますので、そのわかつておる氏名だけでもぜひ教えてもらいたいということを最後会談のときにも申入れをいたしたのでありますが、今日までその返事が参つておりません。そういう状態であります。
  16. 柳田秀一

    ○柳田委員 このたび御一行は非常な歓迎も受けておられますし、あちらからの御通信によりましても、ソ連赤十字は人道的な立場に立つてかなり好意ある態度をとつて来ておるというふうに思うのであります。ただ、今のような名簿なり数字になりますと、われわれ日本人の方があまりにもきちようめん過ぎるのかもしれませんが、どうも割切れない感じを持ち、何らかそこにあるのじやないかというふうにさらに誤解される。率直に言つて、これはソビエトとしても政策上好ましいものでないと思う。もう少しあつさり、わからぬものはわからぬとお答えになつた方がよいのじやないかと思う。それは余談でありますが、なお、一般人について、消息不明者等についてはさらにソ連赤十字としても今後尽力しようということも承つたのであります。御一行も、それを在ソ中にあまりしつこく尋ねることも、またあまり数にこだわることも、大きな目的から見て好ましくないというような御観点で外交折衝をされたと思うのでありますが、なおそれに対しては御尽力したいというようなお話もありました。それならば、資料に乏しいものなんですが、今後それをどういうような方法で調査究明するような道が残つておりましようか。またそれに対しては、そういうような方法で多少でも漸次はつきりして行くようなめどがありましようかどうか。
  17. 島津忠承

    島津参考人 残留者の個々の方々消息につきましては、安否調査の方法がございまして、それによりまして順次問い合せたいと思つております。
  18. 柳田秀一

    ○柳田委員 そこで、残留者の中で数がはつきりしておりますのは、残留戦犯者千四十七名だけであつて一般人、一般犯罪人、それから犯罪人で満刑になつたような方がどうもはつきりしておりませんが、そういうようなのも安否調査によつて漸次明らかになる見通しがありつますか。
  19. 島津忠承

    島津参考人 過去におきましては、安否調査に返事が来ておりません。今回は、ソ連赤十字が人道上の立場に立つてできるだけこの問題を解決すると言つておりますから、それを信用するより今のところいたし方ないのではないかと考えております。
  20. 柳田秀一

    ○柳田委員 昨日でしたか一昨日でしたか、このたび帰国された方々から承つたのでありますが、あちらで死亡した場合に、土を掘りまして、そこに埋葬しまして、従つて遺骨等をこちらに持つて帰るという方法もないようでありますが、この点は向うにお尋ねになつたでありましようか。たとえば、そういうふうに埋葬した場合には、そこに墓標を立てられて、何年何月何日日本人の何某が死亡してここへ埋葬されたのだというようなめどがございまして、将来国交調整のあかつきにでも日本同胞がソビエトへ旅行しますときに、そういうようなしるしがありますならば、一本の花でも手向けるというようなよすがにもなりましようが、そういうような方法はどういうふうになつております。
  21. 工藤忠夫

    工藤参考人 死亡者の墓がどこにあるか、どういうようになつておるかということにつきましては、実は、正直のところ、私たちも聞かなかつたので、詳しい御回答をすることができないのでございますが、死亡者の問題につきましては、向うの方々と話したときに、死亡者はあることはある、戦後八年たつて死亡者がないということはない、死亡者があることは確かだと言つて最後のときに一万三百何名の死死亡者を言つて、名前も場所も知らせなかつたのでございますが、いい機会があれば、わかつているだけは必ず知らせてくれるのではないかと思います。というのは、高良さんが昨年おいでになりまして、死亡者を弔いたいと言われたとき、ハバロフスクで喜んで見せてくれたような経緯もありますので、時期至れば必ずできるだけやつてくれると思つております。
  22. 柳田秀一

    ○柳田委員 これ以上お尋ねいたしませんが、要するに、留守家族としては、なお安否不明な方もあつて、非常に心配されており、今回においても、ある程度以上は、わからぬものはわからぬ、こういう結論になるのですが、もう一度元へもどりまして、島津さんとしてはどうですか、やはり国情の違い、あるいは日本人で帰化したい者はかつてに帰化しろ、そこまでこつちは干渉しないのだ、そんなところまで一々どうなつているかわからない、ソビエト自身のを行方不明者でもなおかつこちらにはわからぬくらいだから、あなたさんのお国のことまでどうだというような資料はない、こういうような大まかな国情のなせるわざか――そう一概にも言えませんが、そういうような意味でお考えになりますかどうですか。やはりいろいろとその他の関係もあつて、明らかにできるものは明らかにするが「それ以上明らかにされないものは、あるいは意識的にこれ以上どうも向うは明らかにしたくないのだというふうなお感じを受けられましたか。どちらをお感じになりましたか。
  23. 島津忠承

    島津参考人 お答え申し上げます。ソ軍側の収容所を視察いたしましたときに、収容所関係の内務省の係官が同行いたしまして、その人と雑談をいたしておりますときに、昨年菊池某氏が満州でこちらに帰つて来られたそうであります。そのことは新聞等で私ども承知いたしておりますが、ソ軍側では、そういう満刑者の方が日本に帰りましたら、大々的に新聞に報道されて、ハバロフスク等の収容所の模様はすべてわかつているように考えているようでございました。そういうこともありますし、さらにまた、今回第一次で帰られた方々によつて相当消息がわかるのではないかとソ連側では想像しているようでございますが、私は、いつの会談のときでありましたか、そういうことだけではどうもはつきりしないので、わかつているものは、名簿等でもできるだけ知らせてもらいたいということを再三申し入れて参つた次第であります。
  24. 柳田秀一

    ○柳田委員 なお、この機会ちよつと島津さんにお尋ねしておきますが、先般中国に行かれましたときに、一応中国からの帰国終了したならば、李徳全会長を日赤においてお迎えしたいというふうなお約束になつている。われわれも、これは当然さもあるべきであるというふうに実は期待しておるのであります。聞くところによりますと、どうも外務省が渋つているようでございますが、この方の交渉はいかがになつておりますか。さらに、それに対しては島津さんとして現在どういうふうにお考えになつておりますかということが第一点。われわれとしては、できますれば、李徳全会長を呼んで盛大にお迎えし、同時にソ連赤十字のホロドコラ社長もこの際お礼をかねてお迎えして、今後さらに依頼するような事項があれば心から依頼したい、かように思つているのですが、ソ連の方にはそういうお約束はこのたびしてつ来られなかつたのかもしれませんが、これに対してもどういうふうにお考えになつておりますか。
  25. 島津忠承

    島津参考人 中国紅十字会の会長招待の件でございますが、中国紅十字会は、これは赤十字連盟の正式なメンバーでございます。われわれ、赤十字の国際関係会議におきましては常に顔を合せる仲でございますので、でき得れば李徳全会長を日本に招待をいたしたいという考えは、ただいまもかわつておりません。今朝帰りましたばかりでございますので、留守をいたした間の事情を私詳しく聞いておりませんが、さらにソ連ホロドコフ社長の御招待につきましては、今回は何もこちらから申入れはいたしておりませんが、将来そういうことができますれば、赤十字としましては非常に喜ばしいことと存じております。
  26. 山下春江

    山下委員長 辻文雄委員
  27. 辻文雄

    ○辻(文)委員 お疲れのところ、本日はお三方ともおそろいで私どものためにおいでくださつたことを、現地の御交渉あるいは引揚げ方々のすべての御心配をなさつてくださつたこととあわせて、深く感謝申し上げます。  お疲れだと思いますので、私どもが常に気になつている、さらに、残つている家族の方は私ども以上に御心配であろう、またひいては全国民もさようなことを十分気にしている、かような意味で簡単にお尋ねしたいと思いますが、先ほどからのお話の中に、一般人がどれくらいいるかということはまつたくもことしてわからないということですから、これまた私がお尋ねしても、あるいは現実の場合においては空論のようになるかもしれませんけれども、一応何らか六感と申し上げますか、あなた方が今おつしやつたように、町をお歩きになつ感じ、たとえば、少し婉曲なことになりますけれども、ロシヤ自体の生活をどういうふうにおのぞきになつたか、そういうことと並行したお考えからもけつこうですけれども、一般に一番私どもが心配するのは、明らつかになつておる、たとえば投獄された方々とか、そういう方々生活状態です。実は、過日、今度お帰りになつ方々参考人として来ていただきまして、つぶさにお知らせを願いました。しかしながら、一般人のことは、その際にお尋ね申し上げても、やはり明確なことはおわかりになりませんので、その人たちが残つてつてどんな生活をしているかということが私ども一番気になつておりますが、そういうことは、ただいま私が申し上げましたたような角度から、何らかおわかりになつていることがありませんでしようか。これを第一にお尋ね申し上げたいと思います。工藤さんでもけつこうです。
  28. 工藤忠夫

    工藤参考人 戦争直後におけるソ連の状況は存じませんが、三十日間モスコーで生活いたしました私たちの印象から申しますと、最近におけるソ連の一般の空気は非常にやわらかでございまして、行動は自由でありました。また昔のようにゲー・ぺー・ウーに追跡されるというようなことは全然ございません。それからまた、政府が国民生活の向上ということに非常に熱心でございまして、国民の気分も、前のことは存じませんけれども、おだやかで、やわらかだという感じを特に得たのでございます。それから、収容所における監督員たちつの収容者に対する態度を見ましても、規則は守らねばなりませんが、スラヴ人特有の非常におだやかなところがありまして、非常な慮待を受けているというようなことは全然印象がなかつたのでございます。それから、先ほど島津社長から申されたように、一般人でも自由にのこのことモスコーでわれわれを訪問してくれた人もあるようなぐあいでございまして、一般人日本人だけが虐待されているというような印象は受けなかつたのであります。ことに、ソ連におきましては、日本人かどうかわからないような東洋人の顔をした人が十人に一人くらいは必ずおりまして、ロシヤ人で私たちの通訳をしてくれた人たちがまず日本人に間違われて、ドクター木崎のごときはかえつてロシヤ人に間違われた。日本人かロシヤ人か、どつちがどうかわからないというような感じもありまして、ロシヤ人と大体同じように取扱われている。日本人なるがゆえに一般人として生活している場合にロシヤで虐待を受けているという印象はありませんでした。これは私個人の率直な感じでございます。
  29. 辻文雄

    ○辻(文)委員 重ねてお尋ねいたしたいと思いますが、この前のときもそれを申し上げましたが、前に高砂丸でしたかが引揚げましたときに、埠頭で女の人が非常に赤旗を振つて、徳田盟主万歳とか何とか言つておりましたね。ああいうことがあつたので、私ども、心の親切というのですか、家族のある方は別として、日本に帰つてもたよりのないというような人が、向うで結婚をして子供ができた、それを無理に連れて帰つたというような姿になれば、その人たちはよけいに思想上おもしろくないような結果になる、こういうようないろいろなことを心配してこの問も申し上げましたが、ソ連の場合でも、今工藤さんのお話のようだと芸術家のような者ばかりでなく、一般人としても、技術を持つている者とか、あるいはそうでなくても、大体一応の安定生活を最小限度にでもロシヤ人並みにしているんじやないかという印象を受けますですね。そういう場合に、こちらへ帰つていただくということについて、これはどういうふうにそういうことを、取扱つたらいいものか。工藤さんどういうお考えでございますか。ちよつと先のことですがお伺いしておきたいと思います。
  30. 工藤忠夫

    工藤参考人 ソ連に自由意思で残つておるかどうかというような問題、犯罪で残つておるかどうかということは、私たちは全然わかりません。ただ仮定の問題でありますが、一般人としております場合に、ただ留守家族だけが帰せ帰せと言つて、本人の意思を無視して帰すということはどうかと思いますが、しかし、本人が欲するかどうかというようなことも、客観的にはなかなかむずかしい情勢でございまして、なかなか一概には言えないと思います。結局、問題は、日ソの友好関係が回復して、そうしてお互いに信頼し得る雰囲気ができさえすれば、この問題はきわめて容易に解決するんではないかと思います。事実ソ連に残つて幸福である人もありましよう。あるいは残つて不幸な人もございましよう。そういう点は、実際問題になつてみないと、なかなかわからないのでございまして、私としては、今どちらがよいということは積極的に申し上げることはできないのでございますが、モスコーから見た感じからすれば、モスコーはあそこの首府でありますし、最も文化都市でございますから、シベリアのいなかの方のことをモスコーでながめて結論を出すということは、これまたむずかしいことかも存じませんが、ただ、虐待を受けているということだけ信ずるということは、あるいは行き過ぎではないかと思つております。事実、われわれがソ連の国境に入る前に持つていたソ連感じと、一たび国境を越えてソ連の中に入りました感じとは、非常に違うのでございまして、客観的情勢というものはまつたく新聞や本で読んだだけではわからない。ソ連に行つてみなければソ連の実情はわからないということを痛感したような次第でございますから、早く両者が了解して、信用し得るようなこと雰囲気ができるということが、この問題の解決の一番基本的な条件ではないかと思つております。ソ連赤十字の方から、われわれの質問に対して、明白な、われわれが希望するようなこまかい回答は与えられませんでしたけれども、この問題は必ず近い将来に解決するものと思つております。  この問題はまた、日本の問題であるはかりでなしに、ヨーロツパ諸国におきましても、ドイツに問題があり、フランスにもあります。それから、いわゆるソ連圏内の国同士でもあるのでございまして、こういう問題は必ず今回のことを契機として早く解決されるのではないかと思つております。最近私が聞きましたところでも、単にドイツ日本やオーストリアだけでなしに、イギリス人と結婚しているロシヤ人の妻が、戦後八年間出国を禁じられておつたのでありますが、これまた出国を許可されましたし、フランス人で、いわゆる戦犯者と言われて、フランスの政府も知らなかつた婦人が数名釈放されて、フランス政府でもめんくらつたというような話も聞いておりますし、順次マレンコフ政権の方で、いわゆる平和政策と申しますか、人道政策と申しましようか、そういう機運があるように感ぜられますので、この機運が順次広がつて行くのじやないかと思つて、以たちは、決して悲観せず、希望を持つてこの問題を処理して行きたいと思つております。
  31. 辻文雄

    ○辻(文)委員 お言葉で、私ばかりでなく、みんなが安心感を持つていると思います。向うでそういう生活をしておる方も、今の工藤さんのお話のように、そういう時期が来れば、むろんいい解決がつく、また間違わない解決がつくと思いますけれども、その間でも、赤十字のお力で、でき得ることなら、ある程度でも、残つた方々が安心できるように、あるいはまたこちらにおられる家族方々も安心できるように、わかり次第情報をお知らせ願いたいと思います。
  32. 工藤忠夫

    工藤参考人 ちよつと、時期が来るのを待つというような印象を与えたかと思いますが、絶対にそういうつもりではございません。最善の努力を今から続けるつもりでございます。
  33. 辻文雄

    ○辻(文)委員 それから、調査の問題は、柳田君からもいろいろお尋ね申し上げたけれども皆さんもまた、日赤方々として、今後残つた方々を帰していただく交渉の上にも、つつ込んでお聞きいただけなかつたというようなことを私察しますので、無理なお尋ねは申し上げませんけれども、今まで鉄のカーテンを引いた姿つであつたものが、今工藤さんのお話を伺つて、私も、ある程度はそれが解けているのじやないかという直感を受けたのですが、そういうことであれば、今後御努力を願い、さらに私どもみんなも、さようなことに並行して、あらゆる手段で解決をするように努めましたならば、やはり調査もある程度確実なことがわかるのではないかというような気がいたしますので、この点もひとつあわせて今日から御努力をいただきたいことをお願い申し上げます。  最後に一つお尋ねいたしたいのは、この間引揚げて来られた方々参考人として来ていただいてお話を伺つたのですが、総合的に今工藤さんあるいは社長お話なつたようなことではなく、やや違つた面が多かつたと私は考えております。それは待遇とかいろいろな面ですが、今お話を承つておりますと、これは賓客扱いをされぬことは当然でありますけれども、たいへんいい待遇を投獄者その他も受けているような印象を与えやすく思われましたけれども、帰つた数人の方々参考人としてお話いただいた中には、肉体的にも精神的にも不平が訴えられております。しかも、その中で――委員長、名前を出してもよろしゆうございますか。
  34. 山下春江

    山下委員長 さしつかえないと思います。
  35. 辻文雄

    ○辻(文)委員 杉村参考人お話などを承りますと、小包とか、こちらからの通信などに対して、厳格にそれは拒否されている、こういうお話があつたのです。そこで、かりに肉体的には案外楽をされておつても精神的に受ける苦痛というものは非常にはげしい。もし肉体的にもう少し過重な労働をさせられても、さようなことがある程度まで許されるならば――但し、これは註釈をいたしておきますけれども、軍事捕虜以外の方であります。軍事捕虜の方はさようなことはないそうであります。そういうことが許されたならば、自分たちは早く帰りたいけれども、たとい十日や二十日、一箇月延びても、幾分苦しみが薄くなるであろうというようなことを、実に切実にお話になつたのでつります。さようなことが私どもはうそだとは思えないのでございます。あなた万が向うにおいでになつた場合に、そのような何らかの様子をお知りになつたことがないかということを、まずお尋ねしてみたいと思います。
  36. 工藤忠夫

    工藤参考人 通信の点でございますが、通信は、山田大将に会いましたときも、三箇月ないし四箇月かかる、非常に通信がおそいから何とかしてもらえないかというような話でございましたが、これはやはりソ連全体の一つの慣行と見えまして検閲があるように聞いております。そういうような関係で、通信がなかなかわれわれが期待しているように自由には行かないように聞いております。それから、印刷物というようなものにつきましても、皆様もすでに御存じのように、非常に厳重な検閲制がございまして、東京の新聞を一枚送つたて、なかなかこれが着くような感じを受けませんでした。チエルンツイの収容所におきましても、プラウダと、東独でできておる、名前はちよつと忘れましたが、ドイツの新聞があるだけでございまして、外国からの新聞は全然入つておりません。そういうふうなぐあいで、日本から通信をいたしましても、印刷物を送りましても、思想的なものであるとか、そういうふうなものはむずかしいのではないか、やはり語学を習うための語学的のものとか、科学的なもの、こういうようなものが許されるのではないかと思います。そういうような部面で、本人の志に反して、どうしても思うようなものが得られないというのは、これまたソ連の特殊状況でございまして、われわれが今それをただちにやめさせようとしても、それはなかなかむずかしいことでございます。問題は早く釈放してもらつて日本に帰してもらうということが一番いいことでありまして、この方に進むよりしかたがないと思つております。先方で見せてくれましたチエルンツイの収容所におきましても、山田大将とわれわれとの間には確かに相当なずれがございまして、世の中の情勢とか、そういうものについてはまつたくかけ離れた、十年前の知識しか持つておられないように見えまして、非常にお気の毒に思いました。しかし、いまさらどうすることもできないという事情でございます。おそらくシベリヤの各地におられる方々はそれよりまだひどいのではないかと思つております。家族からいろいろの資料も送られましようか、なるべく早く帰してもらつて、ほんとうに自由の立場日本生活していただくことが一番いいのでございまして、そのためにわれわれは努力するよりほかしかたがないと思つておるような次第でございます。
  37. 辻文雄

    ○辻(文)委員 ありがとうございました。最後に、お願いでございますけれども、御存じの通りに、外交で何らかのできるだけの手段は今後ともとられるであろうと思いますけれども、これは、私が率直に申し上げれば、今日の岡崎さんの外交でははなはだ心細い。まあだれがやつても同じだと言えばそれまでですが、そのように思います。それよりは、民間の団体の方々とか日赤方々にここで大幅に御努力を願わなければならないだろう、そうであれば、ソ連の現実の姿からも受入れるのにもスムーズに行くのではないかというような感じを深く受けます。一日も早く帰つていただかなければならないから、工藤さんがおつしやるように、これに努力することが第一義でありますけれども、今申し上げましたように、そのほかにも多々あるのです。一九五二年以後はそうではないが、それ以前はひどかつたとか、今でも三年間も毛布一枚で板の上に寝ておつたとか、いろいろなことがありますが、これはもうくどくなりますからここで申し上げませんが、帰られるまでの間でも、あなた方の正しいお立場から、またソ連といえどもあなた方を国賓扱いをするような面がやはり向うの赤十字にもあるわけですから、さような人道と人道の結びつき、またこれを説くという立場に立たれて、どうか、その間でも、幾分ずつでも楽になつて、御本人たちも、また残つている家族の方も、いかほどでも安心ができるように、はなはだ他力本願で申訳ないのでございますが、ひとつ御努力くださらんことをお願いして、私の質問を打切りたいと思います。ありがとうございました。
  38. 山下春江

    山下委員長 受田委員
  39. 受田新吉

    ○受田委員 社長さん以下、たいへん御苦労さまでございました。あなた方がおいでになつてからお帰りになるまでの間を、国民は命がけで御期待しておつたわけで、それだけに、今回お尽しいただいた御功績に対しては感謝を深くしている次第であります。  本日はせつかくよい機会お話を伺いまして、私たちの日ごろから抱いておりましたソ連抑留者送還に関するいろいろな問題をすみやかに解決する糸口ができたように思います。昨日もこの席に五名のお帰りのお方をお迎えしまして各地区の情勢を一通りお聞きしたのでありますが、それらを一括しまして重要な問題点は、ソ連が最近において抑留者に非常に好意を持ち始めているということで、これば朗報であると思います。ところで、前にタス通信発表いたした数字と、今回帰つた方の八百十一名と、それから今度帰られる四百六十四名と、なお抑留せられておる戦犯千四十七名との合計二千三百二十二名の数とを比べますと、千名に近いところのタス通信以外の数字が出たわけです。これは、ソ連が、タス通信を通じて発表いたしました政府の意思以外にその後民間人の千名に近いものがここに新しく現われたという、率直なタス通信の修正の態度に出たものであろうかどうか、これを第一点としてお伺いしたいのであります。タス通信以外の残留看なしという言明があつたにかかわらず、これだけの方をソ連が認めてくれたということ、この調子で行くと――今回帰られた方々残留者の状況報告をお聞きしても、すでに二千名以上の数字が、船中において調査された資料からも読みとることができます。そうしますと、非常に好意をもつて発表してくれたソ連タス通信の修正以上に、さらに千名に近い人があの船中の調査たけでも出ておるのでありますが、かくして、ソ連の内部にいろいろつ実態調査してみると実はどんどんと邦人が出て来るのだという新しい希望が湧くようです。この点を日赤の責任者でいらつしやる社長さん等が現地において十分お認めになられて、タス通信の修正以上にさらに今後、新たな邦人の消息が判明するというような期待がどしどし持てるであろうかどうかということを、まずお伺いしたいと思います。
  40. 工藤忠夫

    工藤参考人 タス通信におきましては、日本人の俘虜に関する問題ばかり取上げておりまして、いわゆる民間人の問題については今まで取上げていなかつたのでございます。そういうような関係で、日本人の戦犯者の俘虜は千四百八十七名しかいないということを一九五〇年の四月二十二日のタス通信で言いまして、それ以外はいないと申したのでありますが、それ以外の日本人がおるとかいないとかいうことは、あたかも不問に付されておるような気がいたしましたので、私たちもやはり、俘虜の問題を由さないで民間人の問題を出してみようという気は、出る前からあつたのでございます。ところが、向うから約九百名の一般人犯罪者を帰すというような話が出まして、これはやはりわれわれの予想通り民間人の問題として順次処理していただけるものと思つて、非常に楽観するようになつたのでございます。しかし、ソ違例の赤十字との交渉からうかがいますと、一般人の問題はソ連赤十字で特別に関心を持つて調査をしたものであるということで、あたかもソ連の政府とは関係がないというような印象を受けたのでございます。そういうような事情から、タス通信はスタ通信、民間団体で調査したものは民間団体で処理するというふうな関係先方で処理しておるのではないかという感じを受けたわけであります。そういう関係で、民間人の問題はソ連赤十字の責任において今後処理されることと思いますので、今は資料はないけれども、今後は必ず資料を整えて順次残留者調査してくれるものと思います。残留者がないということは絶対に言つていないのであつて資料がないと言つておるだけですから、調査すれば必ずまた資料が出て来ると思います。この点は、ソ連赤十字と連絡いたしまして、順次具体的に協力してもらうよう努力するつもりでございます。
  41. 受田新吉

    ○受田委員 明るい御報告をいただいて、希望を持たされるのでありますが、この民間人であつた人々タス通信発表以外であるという解釈をしたということは一大進歩であると思います。ところが、今回帰られた方々残留者調査を総合してみますと、実はタス通信の分と民間人の九百名のほかになお相当数の新しい数字が出ております。これはなお詳細に調査することによつて今後ますますこれが増加するであろうと期待しておるのでありますが、この方々の実態について、民間人を中心とする調査などをソ連赤十字社がやつてくれるというお言葉が今あつたのですが、ソ連赤十字社は、日本赤十字社のように末端までそうした組織網があつて、そこの実態をよく調べていただけるようになつているかどうか。実は、昨日参考人として来ていただいた方々報告をお聞きしておると、今辻委員からお説のように、日赤皆様方が御報告されたのとはかわつた、非常な苦労をして残酷な生活しておられる実相です。非常によいところもある、しかし非常に残酷なところもある、こういうことで、われわれはまことに憂慮しておるのですが、たとえば、杉村参私人が昨日言われたナリンスクあたりは、他との連絡がまつたく杜絶して、ソ連の一角に押し込められたような形になつておる、日本人がなお六十名ばかりそこにおる見通しであるというようなお話でありましたが、こういう方々消息というものは、ソ連赤十字社が非常に誠意を込めて御調査にならぬと、ソ連の僻遠の地として敬遠される傾向があると思うのですが、この点について、残留者はだれがおる、病人はだれがおるという、今回帰られた方々が一々報告された調査に基いた資料ソ連赤十字に提出していただいて、その人に直接当つていただけるような御依頼を、日赤としてはそこまでつつ込んでしていたたけるかどうか。はつきりした資料がここにあるのですから、その資料に基いて努力をしていただける用意があるかどうか。つまり、ソ連赤十字の組織的な状況と、今回わかつた人々に対する早急な調査の依頼ということに対する熱意をお伺いしておきたいのであります。
  42. 工藤忠夫

    工藤参考人 先ほど受田委員からお話がありました残留者がある問題につきましては、先ほど私が御報告いたしました通り残留者がありやいなやについては資料がないという先方回答でありましたが、これまた社長が申しましたように意味深長であつて、これは将来の見込みのある事項だと私は聞いておるのでございます。それからまた、帰国者が帰つていろいろの体験談を話されたことも、これまた事実と思います。私たちが遠いモスクワの空からシベリアをながめただけで、なかなかこれはわかるはずがないのでございまして、ことに、先方が見せてくれた模範的な収容所であるところのチエルンツイという収容所からすべてを推測してすべてが同じという結論を出すこともあるいは早いかと思います。単に私たち感じを言つたたけでありまして、シベリアの各地に分散している収容所が一体具体的にどうであるかということは、実のところ私たちは確信を持つて言うことはできません。こういう方丈が言われたことについて御判断をお願いするよりしかたがないのであります。ただソ連赤十字から私たちが得た印象によりましても、非常に含みのある言葉でございまして、そういう際に、日本側で、幾らおつた幾らおつたというのをどんどんかつて発表することによつて、それでは日本側にまかせておけはいいじやないかというような感じを持たれて、ソ連赤十字がせつかくこれから協力してやろうという含みのある言葉を残されておる際に、こう虐待を受けた、これだけおるというようなことを積極的に言うということは、ソ連赤十字に対する礼儀ではないと私は思つております。この問題についてはまたソ連赤十字に条理を尽して言い得る適当な機会はあると思いますので、とうかひとつ今後の引揚げが円満に行くように、皆さんが常識をもつて善処されんことを特に希望している次第であります。
  43. 受田新吉

    ○受田委員 赤十字社としては、帰京者の調査に基いた資料を参考のためにソ連の方へ通報して、その地区の人々調査を依願、するということはやらないというお言葉でありましたが、ソ連各地にソ連赤十字社の組織網が発達して、そのすみずみまでよく調査が徹底するのであるならば、それはソ連赤十字社に御一任してもいいのですが、ソ連赤十字のそうしたすみずみまでの組織的なものがないとするならば、今度帰つた人が一番生々しい体験をもつているのでありますから、この人々がこういうふうに伝えておる、その地区には特にこういう人たちもおるという個人の名前まで示して、調査をしていただけないだろうかという懇請をすることは、私は大事なことだろうと思うのです。
  44. 工藤忠夫

    工藤参考人 先ほど申しましたが、もちろんソ連赤十字がどれくらい強力な赤十字であるかということについて、私たちも具体的な資料を持つておりません。ただ、ホロドコフ社一長から、千八百万の社員を持つておる、そして各地に支部を置いていろいろな事業を行つておるということは聞いております。また機関紙も発行されておりまして、相当強力なものとは存じますが、シベリアの僻遠の地にまで支部があつて、それがどういうふうにしておるかというようなことについては、私も確言しかねる次第であります。  それから、今私がお答えしたのは、帰国者の証言を根拠なきものとして拒否するとか、それを伝えまいとかいう趣旨では決してございませんので、またそれらを赤十字としてよく研究いたしまして、研究した上で、ソ連赤十字に要請した方がいいものについては要請することに決して蹂躙するものではありませんから、どうぞそのお積りで。
  45. 受田新吉

    ○受田委員 非常に御苦労をいただいておる皆さん方でありますので、万遺憾なきを期してられおると思いますが、われわれとしても、この国民的要望はあなた方を通じてより解決の道がないのでありますので、お願いするわけです。  次は、先ほど辻委員より示された通信のなかつた一般民間人の方への今後の通信の開始でありますが、現に、今度帰られた八百十一名の方々の中で、通信のあつた人は三百九十一名、あとは通信のなかつた方が帰つておられる。そういう資料もいただいております。そうなりますと、民間人の大多数は通信がなかつたというふうになつておるのです。民間人で通信のあつたのは五十五通と聞いておりますが、残りは通信がなかつた人がもどつておる。そうすると、第二次帰国者の中にも通信のなかつた人がもどる公算が多いことになる。今度帰られた方々の話によると、通信のなかつた方々は、通信をすることができない精神的苦痛のために死期を早めておるという実態で、これくらい大きな苦痛はないと思う。この点、給与もさることながら、そうした心を慰める方が大事だと思いますが、日赤といたしまして、今度帰られた人々によつて、通信のなかつた人々の所在がはつきりしたときに――相当はつきりしておりますが、その人々に対して、ここここにおるこの人に、民間人であるがゆえに通信ができないが、この通信をことずけてくれぬかというような御依頼をすることはいかがでございましようか。これは、今回社長さんたちが行かれた際に、おそらく通信のなかつた人の家族から通信をおことずかりいただいたのも相当あると思うのですが、それらは、今度お持ち帰りになられたのか、ソ連赤十字にそのまま御依頼しておかれたのか存じませんけれども、通信のなかつた地区から帰られた人々によつて、今まで通信のない残留者がはつきりしたのがたくさんあるのですが、これに対して通信を出すことを、繰返して申し上げますが、今後赤十字としてソ連赤十字に懇請するような措置をとつていただけないだろうか、それが第一点です。  もう一つは、満刑釈放せられた方々が、その生活苦のために元の収容所へ帰りたいとか言う人もある、あるいは非常に生活に窮迫してルンペンのような生活をし、あるいはこじき以上の生活をしている人が相当あるというようなことも帰国者によつて発表されておるということが、おとといの毎日新聞の夕刊に出ておりましたが、こういうことになると、これはたいへんなことであつて、釈放してもらつたためにたいへんな苦痛になるわけでありますが、こういうことに対しても、こちらへ帰つた人の実態報告によつて、こういう事実がもしあるならば、ソ連赤十字として十分の御協力をいただきたいということを懇請していただけるかどうか、こういう点をお伺いしたいのであります。
  46. 島津忠承

    島津参考人 お答え申し上げます。今回ソ連から帰られた方々からは、私ども、帰りましたばかりで、まだ何も伺つておりません。私どもモスクワの方におりまして、シベリアの方の事情は、ただソ連赤十字当局から聞きましただけで、はつきり現実を見ておらず、わかりませんので、帰られた方々からいろいろな御事情を十分に承りたいと思つております。  通信のなかつた方のことにつきましても、十分実情を伺いまして、適当な方法をとりたいと存じております。私どもが通信の点でソ連赤十字と回数をふやしてくれとかなんとかいうことで話合いましたのは、いわゆる戦犯として収容されておる方々の通信のことでございまして、一般人で抑留されておると申しますか、刑に服しておられる方々のことをさしておりませんので、もしも一般ソ連と同じように生活しておられる方々がございましたならば、そういう方々の通信は、ただいま日本との間は自由であろうと思いますが、そういつた事情はわかりませんので、よく事情を伺いました上で、赤十字といたしましてできるだけの努力をいたしたいと存じております。
  47. 受田新吉

    ○受田委員 日赤は、中共の場合は三団体として他の二団体と御協力のもとにお骨折りいただいたわけですし、今回は日赤一つの力をもつて御尽力をいただいたわけですが、この日赤一本で引揚げ懇請の旅路をお続けになられた皆様方として、中共のときのような三団体として行動するときの意見の調整などの苦痛と比べて、責任を持つて仕事ができるという長所をお見出しになつたであろうかどうか。  そうして今後好意的に新しい道を開いてくれつつあるソ連として――しかもソ連は大国であります。人道的見地も十分尊重すべき大国でありますから、その世界最大国であるソ連としても自国の中に収容されている捕虜その他が非常な苦痛を感じておるということがはつきりわかつた以上は、これに対して人道的な手を打つてくれるはずでありますが、それが今日まで、終戦後八年たつて、なおそうした収容所におる人々が苦痛を感じておるというような現状があることは、これはたいへんなミスだと思うのです。それで、ソ連当局は実は下部の実情に通じていらつしやらないのじやないだろうか、こういう感じさえもするのでありますが、この点も、ソ連赤十字が末端の実情をよろしく政治の衝に当る国家の責任者たちに伝えて、大国ソ連として、人道を尊重するソ連として、その面目を発揮していただくようにわれわれは願つてやまないのですけれども、この点につきましても、ひとつ日赤の御努力をいただいて、末端の実情が要路者によく伝達されるようにソ連赤十字の全面的な御協力をいただけるようなあつせんをしていただけないだろうか、この点であります。  なお、もう一つ、ドイツ、オーストリアなどのような他国の戦犯収容者と日本戦犯収容者とを御比較いただいたと思うのでありますが、この点につきましては、ソ連国といたしましても各国のそれぞれ国情にかかわらず同じ待避をしておられるようであるかどうかということと、それから、日本の捕虜たちがそのほかの国々の捕虜たちと互いに力になり合つてそれぞれの務めを全うして、早く釈放されるような努力がされつつあることが認められたかどうかというようなことも、中央で政治的な折衝をされた日赤の責任者上して何かお感じになつておられないだろうかということ。  以上三点をお尋ねしたいのであります。
  48. 工藤忠夫

    工藤参考人 満刑釈放者の問題ですが、この問題については、いろいろ事情を聞きまして、ソ連赤十字社に援護の措置をとつてもらうように、できるだけの努力をいたすつもりでございます。  それから、中国紅十字会との折衝の場合と今回の場合とでありますが、これは皆さんも御存じの通り、団体の数つが多ければ多いほどなかなか議論が多くてまとまらないということがございますので、そういう点から言いますと、今回の場合は、赤十字社の社長以下職員だけでございましたので、議論は簡単にまとまるということでございまして、非常に仕事はやさしかつたということを感ぜざるを得ないのでございます。ただ、人員が少いために、知識経験にうとく、あるいは足らないことろがあつたかも存じませんが、仕事のやれたという部面におきましては、非常にやさしく統一がとれて、小さい範囲ながら最善の能率を上げることができたと思つております。それから、末端の実情が上層部の方にどのくらい響いておるだろうかというようなことにつきましても、ソ連の社会情勢をよく知つておりませんと、なかなかわからないのでございまして、私たちはそういうことに関する事情を推測するような事実を存じておりませんでしたので、今どういうふうになつておるかということを想像することもできないのでございます。ただ、チエルンツイの収容所を見て感じただけでは、今のような印象を受けなかつたのでございますが、たびたび申し上げましたように、首都から離れれば離れるほど、物事がどうしても統制がつかない。窓口なり出先の人が、責任回避であるとか、あるいは官僚主義になつて、ただ上の方から命令されて来たノルマを下の人に強制するだけで、下の人の事情を了解しないというようなことは、当然あり得ることでございます。こういうことにつきましても、いろいろ実情がありますれば、人道的にこの問題が処理されるようにソ連赤十字のあつせんをお願いしたいと思つておるのでございます。  それから、戦犯者が各国別になつておるか一緒になつておるかというようなことも、実はチエルンツイの収容所ドイツの将官級の人約百名ばかりと一緒の構内におるということだけでございまして、それらが収容所内で互いに相互援助しておるかどうかというようなことはわかりませんが、会つて話をしているというようなことは事実でございます。あるいは意見の交換もあるでしよう。ただレクリエーシヨン、慰安の時間であるとか、あるいは食事の時間、ふろの時間というようなものは全然別になつているようでございまして、ある一定の限度は画されておるのではないかと思います。そういうぐあいですから、同じ収容所において、ドイツ人と日本人とにおいて待遇を区別するということは見られなかつたのでございまして、同じところにおいては、同じ条件のもとでは同じ待遇を受けておるというような感じは、特に持つております。ことに、ロシヤ人は人種的観念というようなものは全然ないので、そういう点から言いますと、これは速記録に載せてもらつてはぐあいが悪いかもしれませんが、西欧におけるよりは人種の問題に関してはソ連の方がない、非常に安らかな気持で接触しておるというようなことを特に感じたわけであります。
  49. 受田新吉

    ○受田委員 日赤の御努力を今後国民の総意においてお願いを申し上げ、この問題の解決に万全を期したいと思います。どうぞよろしく。
  50. 山下春江

    山下委員長 参考人の方には、たいへんお疲れのところでございますが、いま一人だけごしんぼう願いたいと思います。中川委員
  51. 中川源一郎

    ○中川(源)委員 私はきわめて簡単に一言お伺いをしたいと思います。  このたび日赤の各位の御努力によりまして多数の方々が帰られたことは非常に国民として感謝をしておるところでございます。今後われわれ国民といたしましてとるべき道でございますが、どうしたらあと残留者方々が早く帰れるかということにつきまして、日赤におかれましても御心配をいただいておる、いろいろ対策を講じていただく準備を進めていただいておると拝察いたすのでございますが、しかし、日赤だけにおまかせしてよいものかどうか、またわれわれ国費してどういうふうな運動をすべきであるかということにつきまして、御意見がありますならば、私どもこの際承つておきたいと思いまして、お尋ねをいたした次第でございます。
  52. 工藤忠夫

    工藤参考人 この抑留者帰国問題に関していろいろの運動をすることは、赤十字だけでやるという必要は全然ないのでございまして、各種各様の団体がいろいろの立場で、留守家族立場を述べられたりあるいは本人に対する希望を述べられることはけつこうでございますが、何と言つても、日本人が先方に抑留されておるような関係でございまして、ただソ連側の責任を追究して、帰せ帰せと言つておるばかりでは、この問題が好転するものとはなかなか思えないのでございます。問題は、客観的な情勢をよく述べて、ソ連側が帰してくれるようにいろいろの運動をされることが必要だと思うのでございまして、帰国者が帰るやいなや反ソ的な言辞を弄するとか、あるいはまた受入れ側において反ソ的な立場を述べられるというようなことは、私は決して時宜に適するものではないと思います。もしそういうような経験がありますれば、どうか必ず適当な機関にいろいろ御相談をくださいまして、そうして、その受けた経験が今後残つておるところの人たちに対して適用されないように最善の努力を尽すように、皆様が御協力になつてソ連側に接触するようにしていただきたいのでございます。
  53. 中川源一郎

    ○中川(源)委員 先ほどお述べになりましたように、今後は条理を尽して人道上に立つてこの問題の解決に当られるということでありますが、大ソビエトを一等国としてわれわれは尊敬し、期待したいと思います。また今回帰還されましたことに対しましては、非常におそまきではございましたけれども、これも生きて帰れたということについては幸いでありましたので、私ども感謝の意を表したいと思います。留守家族といたしましては、神仏に念じて、一日も早く今後の帰還を祈つておられるのでございます。私、先般婦人団体を率いてアメリカ大使館にお伺いをいたしまして大使代理にお目にかかりまして、今後国際連合などにおきましてもこの点を十分ひとつ御高配をいたたきたいということをお願いして参つたのでありますが、その際に、戦犯刑者においてまだ服役中の人などにおかれまして、もしも自分の刑が不当であるというようなことを考えておる人があるならば、その旨を訴えることが必要であるというようなことも言われてをりました。この前巣鴨へ伺いしたときに、ある服役中の人が私は捕虜の頭を四つたたいたというので二十年間の刑に処せられておると申しておりました。また、飛行機からおりて銃殺された人を見物したその見物料として、私は無期懲徴になつておるということを、少将の人でしたが、言つておりました。そういうことで刑に服しておることを非常に不満に思うておる人がある。もしそういう方があるならば、それを具申して、証明などをつけてワシントの方へ送れば、国際連合の方で協議をして、これははなはだしく不当であるということがわかれば、早く釈放するというような手続もとりたい、全部の者を早く釈放せよと言つたところで、これはなかなかむずかしいことではないか、不当な者に対しましてはそれぞれ再審理をする必要がある、というふうなことを言われました。それで、そういう不当なものは言うて来い、私の方からさつそくワシントンの方へ送つて、国際連合の方へ相談してみるから、こういうふうな代理大使の方のお言葉もございました。私ども、あらゆる手段を講じまして、道義に訴え、また条理を尽して、一人も残らず早く帰還のできるように祈つておるのでございまして、今後ともこういう点でお気づきの点がございましたならば教えていただきたい。また、この機会に教えていただくことができましたならば、まことに幸いと存ずる次第であります。  もう一つお尋ねを申し上げたいのは、死亡者の名博などがありましたならば、これを早く知りたい。まだ生きておるか死んでおるかわからない、弔いもできないというようなことは、まことに不幸でございまして、その死亡者名籍というようなものを早く御調査をいただきたい、こう思うのでございますが、これに対しましてお答えをいただくことができますならば、たいへんけつこうです。
  54. 工藤忠夫

    工藤参考人 実は、今回の交渉に参ります前に、ソ連赤十字から戦犯者で釈放される者は刑期満了者と大赦を受けた者だというような通知がありましたが、現実にソ連に参つて交渉いたしますと、最高裁判所によつて再審査の結果釈放される者というのが入つてつたのでございます。この再審査による君が幾らであるか、あるいは大赦を受けた者が幾らであるかというような具体的な数は釈明されませんでしたけれどもソ連にも再審査の方法があるということは確かでございます。ただ、いわゆる自由主義諸国と国情が違つておりますので、個人が再審査を願うことが事実上できるのかどうか、そういう詳しいことは存じませんが、とにかく、裁判所の方で積極的に再審査をするようになるかもしれません。あるいは、個人が自由に申し出ることができるかもしれません。ことに、ソ連の場合におきましては、戦争の期間はわずかに数日でございまして、人道に関する罪も、どのくらいの人が犯したかどうか、私たちは納得しかねるところもございますので、この問題も割合にやさしく解決できるのではないかと思うのでございます  それから、死亡者の問題は、先ほど報告いたしましたが、今後ともこのリストを入手するように最善の努力をいたすつもりでございますから、どうぞ御了承を願います。
  55. 中川源一郎

    ○中川(源)委員 ありがとうございました。
  56. 山下春江

    山下委員長 これにて参考人よりの事情聴取を終ります。  参考人皆様にはお疲れのところ長時間にわたりソ連赤十字との交渉の状況等詳細にお話くださいまして、今後本問題の解決にあたり多大に寄与するところがあつたと存じまして、委員長より厚くお礼を申し上げます。  本日はこれにて散会いたします。     午後四時十三分散会