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1953-11-11 第17回国会 参議院 厚生委員会 閉会後第1号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十八年十一月十一日(水曜日)    午前十時三十四分開会   —————————————  出席者は左の通り。    委員長     堂森 芳夫君    理事            大谷 瑩潤君            常岡 一郎君            藤原 道子君    委員            榊原  亨君            中山 壽彦君            横山 フク君            林   了君            廣瀬 久忠君            竹中 勝男君            湯山  勇君            山下 義信君            有馬 英二君   事務局側    常任委員会専門    員       多田 仁已君   説明員    外務政務次官  小滝  彬君    引揚援護庁次長 田辺 繁雄君   参考人    日本赤十字社副    社長      葛西 嘉資君   —————————————   本日の会議に付した事件 ○社会保障制度に関する調査の件  (ソ連中共地区引揚に関する件)   —————————————
  2. 堂森芳夫

    委員長堂森芳夫君) 只今から厚生委員会を開会いたします。  ソ連及び中共地域からの引揚に対する状況について、参考人として日本赤十字社長葛西君及び外務省引揚援護庁当局者出席を願つております。先ず参考人葛西さんから最近の状況についての模様を承わりたいと存じます。
  3. 葛西嘉資

    参考人葛西嘉資君) 只今ソ連引揚並びに中共関係引揚について最近の模様お話せよということでございますが、もう委員各位には御存じだと思いますから極く簡単に申上げさして頂きまして、御質問に応じてお答えをすることにいたしたいと思います。先ずソ連のほうの引揚関係でありますが、御承知のように、今度の引揚のきつかけになりましたのは、本年七月二十二日にモスコー大山教授がモロトフに会つた印象として、日本人戦犯赤十字の線を通じて返すことができるような印象を得たというような新聞記事が出たのでございます。早速その翌日、七月二十三日に赤十字のほうからソ連赤十字に当てまして、こちらのほうから協力をしたいから是非よろしく頼むというような電報を打つたことにきつかけができまして、その後もう一回大山さんはモスコーに行かれて、九月の十九日だと思いますが、向うソ連赤十字ホロドコフという社長会つたのであります。そのときにはホロドコフ氏は大山さんの手紙によりますと、日本赤十字から七月の二十三日に電報を受取つたが、その問題についてソ連赤十字として検討した結果、日赤協力をすることにきまつた、この旨を日赤のほうに伝えてもらいたいというようなことをソ連赤十字社長大山さんに話したそうであります。これは大山さんの手紙でわかつたのであります。そんなことで交渉が開かれまして、御承知のように、島津社長以下五人の代表が行きまして、代表団は二十八日の午後九時にモスコーに着いております。モスコーに着きますというと、すぐ三十日に向う連中に会い、三十一日と今月の二日に会談が行われたのであります。第一回の会談は、私どもは当初はほんの顔合せというようなことであるし、それから中共などの場合ですと、大体日本側言分を聞いて、そうしてそれではどうやるかというようなことで、あとから返答が出るだろうというようなことでやつたのでありますが、今回は逆に第一回の会談ホロドコフ社長、それからシヤロノフ副社長など出ておりまして、相当具体的なものが示されたのでございます。それは本月の一日にその電報が来たのでありまするが、内容新聞御存じだと思いますが、なお若干申上げて見ますというと、今回帰える日本人は、刑期を終えた者二十二名、それから釈放をされた者三百九十八人、それからそのほかに約九百人の一般人の犯罪者、これは概数であるから九百人のほうは変るかも知れない、こういうことのようでございます。仮に九百人だといたしますというと、ソ連から第一回に帰つて来られる者が千三百二十名ということになつております。で、向うから出されたあれとしましては、同じでありますが、ソ連のほうから送り出すほうの責任は全部ソヴイエト赤十字が持つ。それから日本のほうで日本赤十字としてやつてもらいたいことは、船の心配、それから船の中の医療、それから食糧、飯を食わすというような点を責任を持つて貰いたい。で、準備ができたならば知らすから通知後十日以内にソヴイエト側で指定する港へ船をよこして貰いたい。まあこんなようなことを言うたのが第一回の会議で出たもののようでございます。この会談には、これは心配しておつたんですが、随分自由に会談が許されると見えまして、その電報に、こつちのほうからいろいろ質問をする機会が与えられたようでございます。で、その質問にもいろいろ答えてくれたのですが、私どもが最も今日問題になつておりますソヴイエトに残る日本人に関するいろいろなデーター一つ知らして貰いたいというふうなことを言うた模様でありますが、今はその材料を持ち合しておらんから、一つそいつは調べて後日回答をすると、こういうふうなことのようでございます。第二回の会談が十一月の二日に開かれたのでありますが、ここでは電文が内容余りはつきりしないのでありますが、帰国に関する根本的且つ具体的な諸問題に関し意見を交換した、こういうことを言つております。で恐らくその意見がまとまりますというと、これは協定書に作成されるであろう、こういうふうな電報が来ております。それだけでございまして、その電報にも、革命記念日が御承知のように先般ありましたものですから、あれで向う休みになるだろうし、街は随分革命記念日準備で賑つているというふうな情報があつたのであります。従つて向うのほうからいろいろこつちが聞いたデーターを出さなきやならんのでありまして、二日以後今日まで約一週間余り会談が開かれないので若干心配をして頂いておる向きもあるかと思うのでありますが、七日の日に更に電報が参りまして、ソヴイエトのほうではいろいろこつちが言うたような問題について準備をしている模様である、必要のデーターを収集しておるようなんで、これが集まつたらば会談が開催されるはずであるというふうなことを申しております。それから我が代表団のほうとしましてはソヴイエトのほうの港が一体どこになるのか、こつちが船をやる港が一体どこになるのかというようなことを聞いておるのですが、自分のほうとしては日本側では若しソヴイエトのほうで送つてくれるということならば一切の準備が整つておるということを通達したと、こう言つております。それから日本のほうで使える船でありますが、これは恐らく代表団はあの四隻の船の名前を出したのだと思います。興安丸高砂丸白龍丸白山丸、この四つを出したと思うのですが、これは政府のほうともいろいろ御相談をいたしまして、高砂丸白山丸は一応必要がなかろうというわけで、丁度十一月の五日に契約の期限が切れたものですから、二つのほうはそれをやめまして、現在契約しておりますものは興安丸白龍丸でありまして、そのことは今月の七日の日にモスコー代表団宛に知らしておきました。併しこれは二隻というのは当分そういうことなんで、若し輸送が必要であつて更に増さなきやならんということであれば、若干の余裕がありさえすれば船は増す、こつちのほうの準備如何ようにもいたしますというような意味電報政府と打合せの上で打つておきました。まあ船、それからもう一つソヴイエトの港へ日本の船が入るわけでありますから、いろいろ守るべき規則が必要になつて参りますので、そういうふうな規則があるならばそれを指示願いたいということを書面を以て要求をしておいたというような通知も来ております。まあそんなような状態で、従いまして会談が二日以後行われないというのは専ら先方都合であり、而も先方都合も右申上げましたように向うのほうの好意あるいろいろ資料を整えるというための必要な日であると、こう見ておりますので、会談の進捗は相当円滑に私どもは行つてるものだと、かように考えておるわけでざいます。なおソヴイエト引揚に関連をいたしまして、先般あれは十一月七日だと思いますが、日本新聞AFP通信としまして、オーストリヤの戦犯六百名がソ連から釈放されて帰つたときのその情報を集めるというと、日本人俘虜が約一万人ばかり二十四カ所の収容所に抑留されておるというふうな情報があつたというような新聞記事が出ておりましたので、これも代表団参考のために知らすがよかろう、この知らすことは電報を打てば向うはわかりますけれども、大した向うの感情を害するというようなこともあるまいというようなことで、これをAFP電報そのままを向うのほうへ知らしておきました。但しその通信あとに一九四五年以来これらの収容所では約四千五百人の日本人が死んだと、こう書いてあります。そうして日本人ヨーロッパ人よりも非常に悪く待遇をされておるというようなことが書いてあつたので、これはちよつと新聞記事であるけれども余りそういうことを書いてやるのはいけまいと思つて、悪い待遇をされておるという点だけはその今のニュースは省きまして、四千五百人の日本人が死んだという情報日本新聞に載つてつたということを知らしておきました。と申しますのは、今までの大体のソ連に関するいろいろな問題、例えば対日理事会等においていろいろな問題が出たというようなこと、その後ソ連のほうの新聞等に出たような情報政府などからいろいろな情報を頂いて参つてつて代表団としては日本の今までのこのソ連引揚関係基礎資料というものは皆頭に入れて行つて頂いておりましたので、この新らしいこういうふうな情報がありましたものですから、これを頭の中に入れて、機会があればこういうものを持ち出すということが今後の交渉に役立つんじやないかというような心持で、そのことを七日の日に代表団電報で知らしてございます。まあ大体ソ連関係はそんなようなことでございます。  それから在華邦人引揚の点でございますが、現在までに中共地区から引揚げて参りました者が第一次から第七次までに二万六千百二十七人ございます。私ども最も最近心配しておりますのは、先般国会貿易使節団でございますか、向うへ行かれましたときに、向う当局者から七次をもつて集団的の帰国終りだと、こういうふうに言われたということを聞いたのであります。それでその後そういうことが新聞等に出ますものですから、私どもの手許にも随分自分の親或いは夫は中国のほうにおるけれども帰ると言つて来ておつたがまだ帰らないんだ、七次で本当に打切なのかどうかというようないろいろな問合せの手紙なんか最近非常に頻繁に来ております。私どもとしましては第七次のときに大阪の赤十字支部の高田という副参事が参つたのでありますが、これが向うへ行つて折衝した結果、尤もこの折衝と申しますのは北京の本部で折衝したのでありませんで、天津の出先の中国紅十字会と折衝をしたのでありますが、ですからそうはつきりしたことはわからんのですが、それの情報によりますというと、大連、旅順の地区には相当まだ日本人が残つておるというようなことを言つております。それからそのほか向うにおつた浜中某というような者の語つたところによつても、まだ引揚は継続されるということを言うておつたということでございますので、私どもは七次で打切りだという何らの通報を受けておらない以上は、まだ七次で以つて終つたというふうに断念をしておらないような状態でございます。殊に私どものほうは先般、もう一月半くらい前だと思いますが、中国紅十字会のほうへ三団体として、これは赤十字だけでありませんで、他の二団体平和連絡会日中友好協会一緒の三団体の名において中国紅十字会に聞いてやつてあるのでございます。どういうことを聞いてやつてあるかと申しますと、これは最近大分引揚者の数が少くなつて来ておる、今度船を日本のほうは四隻傭つてあるんだけれども、先ほども申上げましたように船を傭う関係都合もあり、今後の中共集団引揚見通し一つ知らしてもらいたい、船を傭う関係上どうしても知らしてもらいたいということを書いてやつてあるのでございます。その電報を打つてあるのには何らの返事が実は来ておらんのでございます。そして突然向う当局者国会代表団の方に七次で終りだと言つたことはどうも了解ができない。これはその新聞記事が出ました当時も赤十字といたしましては他の二団体の者と集つて相談をしたのでございますが、どうも腑に落ちない、暫く模様を見ようじやないか。殊に第三次の華僑を送りました興安丸赤十字の本社の川合君が赤十字代表としてこれは北京のほうへ行つております。そのときに実は島津社長不在でありますので、私の名前以つて中国紅十字会会長李徳全女史に宛て手紙を書きまして、その手紙の中にも、実はこの前あなたのほうに聞いてやつてある中国からの今後の引揚見通しという点は日本が非常に関心を持つておることであり、殊に差迫つて傭船契約関係があるからして、是非この情報は速やかに知らして頂きたいということを手紙以つて李徳全に聞いてやつてあるのであります。川合君からもその点については何もまだ言つて参つておりませんので、恐らくあの代表が帰つて来ますというとその辺の模様がわかることだろう、こう思つておるようなわけでございます。大体今のところではそんなような状態でございます。  大変ごちやごちやいたしましておわかりにくかつたと思いますが、大体のことを申上げまして、あとは御質問によりましてお答えをいたしたい、かように考えております。
  4. 堂森芳夫

    委員長堂森芳夫君) 次に外務省当局からお願いいたします。
  5. 小滝彬

    説明員小滝彬君) 只今萬西社長からお話になりましたところによつてソ連と現に日赤交渉せられている状況はおわかりになつたことと存じますが、ただそれと離れまして、ソ連につきましてはこの八月の俘虜特別委員会、あの三人委員会のほうへ有田、山下代表等を送つて、あそこでいろいろ実情を述べまして、そしてあの会合において報告ができたわけであります。その報告はその後国連のほうへ廻りまして、国連では第三委員会というのがこの月末頃にこの問題を取上げまして報告書を作成するに至るだろうと期待いたしております。そういたしますれば、その第三委員会の結論に基いて第八回国連総会でこの俘虜引揚送還というような問題についての決議ができるだろうというように私らは情報を得ているのでありまして、その際には日本沢田大使向うに行つておりますので、沢田大使出席してもらうような手筈になるだろうというように期待いたしております。  ジエネヴアの会議では残念ながらいろいろ国連側努力がありましたけれどもソ連代表出席してくれないので一方的な話合いだけになつたのは残念でありますが、この国連における決議というようなものは仮に直接的効果を挙げなくても、国際的な輿論を喚起するという意味において、輿論の力で以つてだんだん先方のほうを説得して行くという意味効果があるだろうというふうに考えております。  なお次には中共との関係でありまするが、中共からの引揚につきましては、先ほど日赤の副社長お話通りであります。ただ戦犯につきましての帰してくれという問題につきましては、すでにこの委員会外務省側から報告したことがあろうと思いまするけれども曾つてインドを通じて申入れしようとしたけれどもなかなかその申入れが成功しない、結局向うへこちらの意思が達し得なかつたというようなこともありましたので、この邦人中共からの引揚に際しまして日赤にもお願いいたしまして、その点について話合いをしてもらうようにお願いしたのでありまするが、現地の状況からいたしましてこの問題は遂に具体的には採上げられないで終つておるような次第でございまして、これは非常に遺憾に存じます。他面先方で抑留されております者としましては漁船でひつつかまつた連中が相当ありまするので、これについては中共の立場としては政府代表を出して政府との交渉を非常に忌避いたしておりますので、関係業者のほうから向うへ行きたいというようなお話もありましたから、外務省といたしましては、それが可能であるならできるだけ援助いたしたいという考でおりましたところ、その後向う日本の船を持つてつて交渉するということは或いは却つて一面に危険を伴い効果を上げるゆえんじやないのじやないかというような当事者の諸君のお考えでありましたので、この企ては現在中止状態であります。政府といたしましてはできるだけこれは最も大きな人道問題でありますので、そうした面に直接先方とも話合いたい希望を持つておりまするけれども、御承知通り相手方のほうは日本政府の存在さえも否定するような態度であるようであります。殊に過般議員団が行かれましたときの先方代表者の発言や、大公報とか或いはその他の新聞を見ましても、又議員代表の方は直接お聞きになつたはずでありまするが、日本がアメリカとの関係を現状のように維持する限り、向うの言葉で言えば、日本が米国の附随国である限り、又日本蒋介石残余匪党との関係を断たない限り、中共としては国民政府を相手にすることはできないというようなことをはつきり言明しておりまするので、政府のほうで直接呼び出すということは、仮にいたしましても、先方はこれに応じない状態でありますので、一貫した方法で何かの緒口ができましたならば、政府としてできるだけこれを援助するという方法で無事この問題を解決して行くという方法をとらざるを得ない状態でございます。以上が大体のこの問題の要点でございます。
  6. 堂森芳夫

    委員長堂森芳夫君) 次に引揚援護庁からお願いいたします。
  7. 田辺繁雄

    説明員田辺繁雄君) ソ連からの引揚につきましては、引揚援護庁といたしましては日本赤十字社その他関係機関十分連絡をとりまして、配船その他の準備をいたしておるような状況でございます。先方から通知がありますればいつでも十日以内に指定する港に船を着けることができるように手続きをいたしております。帰つて来たかたの受入援護は舞鶴にいたしたいと考えております。援護につきましては、中共からの引揚者の場合とおおむね同様に取扱いたい、同様に援護をしたいと、こう考えております。中共引揚につきましては、先ほど葛西社長からお話のあつた通りでございまして、今後どうなりますか、その状況を見守つておるような状態でございます。
  8. 堂森芳夫

    委員長堂森芳夫君) 御質疑をお願い申上げます。
  9. 山下義信

    山下義信君 日赤外務省援護庁からのお話を承わつたのでありますが、先ず今、日赤社長ソ連交渉しておいでになるのですが、最近新らしい報告といいますか、入電はないでしようか。新聞で見ますると、七日前後でしたかに向う革命記念日等があつて交渉ちよつと中止になつて、その間島津社長はほうぼう見学などしておられるようでありますが、少し交渉が意外に長延いておるような気持なんですが、情報がわからねば、ただ徒らに想像するだけですけれども、何か向う準備が整わないのか、或いは相当重要な人がモスコーに帰るまで待つているのか、どういうことで時間がかかつておるか、よくわからんのですけれども、最近の入電というものはないのでございましようか。
  10. 葛西嘉資

    参考人葛西嘉資君) 山下さんからのお尋ねでございますが、公式の電報として参りましたのは先ほど申上げました七日の調査課長の木内君、これは代表になつておりますが、から来たのが最後でございます。その後外国電報等によりますと、今の病院を見たり、或いは工場を見たりして歩いておられるようであります。これは何も聞いておりません。それで向うのほうの七日の公電というものは実はこういうふうに、読んでみますとこう書いてあります。以下一文でありますが、「ソヴイエト赤十字は、港及びその他具体的な諸事項を検討中で、会談革命記念休日後、ソ連側における必要なデーターが収集され次第開催されるはずである。」こういうことになつております。従いまして、会談心配すべき状態じやないので、むしろよく言つてあてがい扶持で、もうそれでこれだけ返せばいいのだということじやなしに、こちらから、先ほど申上げました第一回の会談のときにすでに質問しておる。その質問は今持ち合せがないから後日一つ回答してくれというようなことを返事したというのです。そこでデーターの収集をお願いしておるのだろうと思うのです。ソヴイエトとしましては、過去においてはタス通信とか或いはその他のあれでいろいろ発表しておりますので、そういう数字なんかとのいろいろ検討とか何とか出す以上は、これはこつちの想像でございますが、相当の辻褄を合せて出さなければならんというような点等があるのじやないかと思う。私個人のほんの想像でございますが、そんなことで検討しているという。この電報と睨み合せますとかなりいい方面に進んでいる、あれはどうしよう、これはどうしようというようなことで進んでいる、そういうものを求める、なにか休みがあつて、随分あの前後続くのだそうでございまして、そういうことで赤十字としては恐らく資料が出せんと思うのであります。ソヴイエト政府のほうにいろいろ頼んであれなどせにやならんかと、これも想像されるのであります。そういうふうなことになりますと、なかなかデーターを収集するという問題はなかなか長いこといろいろ発表しておりますから、そういうものとの検討などしますと、かなり私は日を取るのではないか、そう思うのでありますし、会談が非常に友誼的で、代表はナシヨナル・ホテルに泊つてるそうでございますが、迎えその他もよくやつておりますし、随分友好的なうちに進んでいるように思いますので、近くそういうデーターが集まりましたならばやつて頂く。それから見せて頂くことも実は非常に皆希望して行つたのでございますから。代表団の中にお医者さん等も行きました。これはロシヤ語のできる医者であります。従つて向う病院を見てくることも非常にいいし、それから私ども代表団と話しておつたのでございますが、できればモスコー方面にあります収容所なんかにも一つつてみて、そうして見舞を述べると同時に、実際眼で見て来てもらうことは却つて家族いろいろ話をしたりなどする場合に都合がいいから、これは一つ機会があつたら是非持ち出して、そうして一、二カ所は少くも収容所を見て来てくれ、そうしたいものだな、と言つておりましたので、視察というものは案外私は得ることがあるのではないか、そんな意味でこれは快報を私どもは心待ちにしている。まだ心配すべき状態は起きておらん。私は留守の者としてそう考えておるわけであります。
  11. 山下義信

    山下義信君 ソ連引揚につきまして、折角日赤社長が御交渉中でありますので、無用の質疑をいたしましたりして何かと雑音になりましてもいけませんので、私も交渉の経過が判明するまでお待ちしているわけなんですが、なおソ連在留の他のいろいろなことにつきましては或いはあとで伺うかもわかりませんが、先ほど副社長お話になりました中共引揚残留邦人が数千名まだ残つている。且つ又いろいろなお話を承わりますというと、各地に相当多数集結をして引揚の開始を待つている人たちも少なからんような模様で、中にはもう数カ月に亙つて第一次以前から待つている人たちがたくさんおられる。今お話を承わりますと、中共引揚関係につきましては、ちよつとまあ交渉の手がかりの糸が切れたような形になつて、自然まあ放任ではありませんけれども、要するに今向う電報を三団体でお打ちになつて返事がないという、昨日の都下の新聞でありましたか、一人も残さんように帰すように努力せいという或る新聞の社説もあり、いろいろあつたわけなんですが、この中共残留邦人引揚問題をそのままにして、成り行きに委せておくという手はないと思う。私どもとしては考えている。それで今三団体一緒電報をお打ちになつたというが、まだ御返事がない。最近、これは余談のことですけれども中共に行かれた同僚議員団がこのことに関して何ら折角の御旅行にまとまつたお話も土産話もなかつたことは非常に遺憾とすることなんですが、先ほど副社長お話の中に、向う中共紅十字社の社長李徳全女史等とこの残留邦人引揚について話合つたらどうかというお気持が見えたようですが、今あなたのほうの大阪支部の高田さんから天津の紅十字社等を通じて若干のそういう話合いがあつたが、或いは島津社長との間に何か話合いをするような筋というか、意図というか、そういうものがあるような気持がするのですが、それで中共の紅十字社長日赤とが中共の残留邦人の残りの引揚について話合いができたらば私はそれが非常にいいのである。若しそういうことができたらば、又できることが非常に好ましいことではあるまいかと思う、それについて赤十字社のほうではどういうふうに考えておられるか、又そういうことを望んでおられるかどうかということを承わりたいと思います。
  12. 葛西嘉資

    参考人葛西嘉資君) お尋ねでございますが、実は当時の予定でも約三万人くらいのものが日本帰国を希望する。三万人くらいが帰るということが大体北京会談のときの両者の目標だつたように聞いております。二万六千幾らでありますから、まだ一割ぐらいのものが残つているというようなことに数字から見てもなりますが、実は先ほども申上げましたように、川合君が北京に行きまして李徳全或いは蓼承志などと会つておるはずでございますので、そのときには恐らくこの話というものが私は出て来ているのだと思う。川合君などが帰りましたときには何かわかる。恐らく三団体としましても、その川合君の話を基礎にして、更に再交渉電報でやるというようなことも、私どもあれすればやらなければならん、こう思つているようなわけでございます。なお山下さんからお尋ねでごさいましたので、私どもは非常に、そういうふうに一応集団が済みましても、今後個々に、又あのときには中共に残つておりたかつたけれどもその後日本に帰りたくなつたというようなもの、或いは在日華僑の点についてもそういうようなことがあるのでございます。第三次の送還を以て在日華僑の集団的な送還は一応これで終つたことになりますが、ただ個々に帰りたいものがあつた場合には我々日赤並びに他の二団体、いわゆる三団体協力して個個に帰りたいものの帰る問題に一つ尽力をしよう、こういうことになつておるのであります、これに関連をしまして、実は具体的に今政府、特に外務省にお願いをしてあることが実は一つあるのでございますが、これは北京会談の際に、先方の相当の希望もあつたようでございますので、会談がまとまりました際に一つ引揚が済んだらば、中国紅十字会の代表数名のものを日本一つ御招待をしたい、併しこれは入国査証とか或いは経費その他いろいろな関係があるので、今ここでそうしますとお約束はできんけれども関係の向きと相談をしなければならんけれども相談をしてできるだけそういうふうに尽力をしたいということを言うたのでございます。これは非常に向うも希望しておつた模様であつたものですから非常に喜んで待つている。だんだん集団帰国が済んで来たものですから、天津に参ります赤十字代表などには、よくあれはどうなつた、どうなつたと言つて、実は催促があるようなことのようでございます。先般、これも一月くらい前でございましようか、実は外務省当局にだんだん集団の帰国も少くなりましたので、一つ中国紅十字会招待の件を政府としてお考えを願いたい、若しよろしいということであれば、我々のほうが一つ正式に赤十字のお客さんとして日本中国紅十字会のものを呼びたいと思うということをお願いをしているのでございます。いろいろ外務当局でも御検討を頂いて、まだちよつと待て、集団帰国が済んでからこれは考えるべきだというような御意向で、そういうふうな極くぼやつとしたことだけは先方に伝えてございます。そんなふうな状態です。若し政府のほうで御了解を得まして入国ということができますれば、或いは李徳全等も、或る方面から聞きますと相当日本に来たいという希望を持つているそうであります。廖承志なども来るだろうと思う。そういう連中が参りましたならば、我々も勿論会つていろいろ今後の問題を話しますし、或いは政府国会等の関係のかたがたにもお会いを頂いて、特に留守家族のような人たち、先ほど申上げましたように、いろいろ手紙なんかがどんどん来ているわけであります。そういうふうな留守家族の真剣な気持を、向うから来た連中に会つて話す、そうして涙で、人情を持つて一つ帰してもらうことに尽力をしてもらいたいというふうな話をする機会を持つということは、私は無駄ではないと思うので、一つ是非そういうふうにさせてもらいたい、こう思つておるわけなんです。これは念のために申上げますが、三団体関係は、あとの二団体はこれはまあ交渉がああいう経過でできておりますから、蔭では御援助をして頂かなければなりませんが、呼ぶのは日本赤十字社中国紅十字会を呼ぶということになりまするし、来る資格は日本赤十字社のお客さんとして日本へ呼ぶ、こういうことになる。で、これは私どもとしましては、できるだけ外務省当局にいろいろな関係がおありだろうと思いますが、成るべく、而もまあ済んでからということもそうですが、一応今のようなもやもやとした状態のときには、非常に今山下さんからお話がありましたように、一つのきつかけにもなり、電報手紙だけでなしに直接顔と顔で話す、而も留守家族などからいろいろ直接話をしてもらうということに非常にいい機会のような気がします。私のほうとしましては政府の御当局にできるだけ一つ速かに入国をさせて、我々のほうから少くもそういうふうな招待状を出せる機会が一日も早く来てくれることを希望しておるような次第であります。
  13. 山下義信

    山下義信君 只今の問題につきまして、外務省当局におかれましては深い御理解のもとに御善処相成る御意思がありますかどうかということについて御所見を承わりたいと思います。
  14. 小滝彬

    説明員小滝彬君) 只今共産圏の諸国から日本へ入国せしめるようにという要求は、いろいろな方面から多数出ておるのであります。が併し、本件は、先ほど葛西社長もおつしやいます通り、これは大きな人道問題でもありますので、私どもとしては特別の考慮を加えなければならないと考えまして、目下問題を検討中でございます。
  15. 山下義信

    山下義信君 大変当局は政治的な問題と人道上の問題について理解ある区別をせられまして、特別の考慮を払う意思があるということでありまして、私は当局のその御考慮を多とするものでありますが、これは一日も遷延を許さんと思うのです。恐らく明日都内において全国引揚者家族大会でありますか御開催があるようでありますが、少くとも中共の残留引揚については関係者が非常にいろいろと希望をいたしておるのでありまして、諸般の情勢等から見まして遷延を許さないと考えられるのであります。今日赤社長の陳述の中にありましたように、できるだけ早く実現を、同じく実現を見まするならば早く実現をみたいと考えますることは私どもも全く同感でありますので、当局は成るべく早い機会にこのことの実現を見るように御検討の結論を頂けるでありましようか、如何なものでありましようか、重ねて御言明を得たいと思います。
  16. 小滝彬

    説明員小滝彬君) 先ほどの日赤社長お話にもありました通り、この問題は代表者のかたが興安丸でお帰りになればもう少しはつきりするのじやなかろうかと考えます。たしか今日天津をおたちになるのじやないかと思います。その報告もあるでありましようし、又電報交渉するということも全然不可能ではないと思います。そういう点を併せまして考えまして、入国を許すということになればお説のように極く早いほうがいいと考えますけれども、これまでの考え方としては一応全部引揚げさしてもらう。そしてその上で又考慮しようというような考え方を持つて来ておつた関係もございまするので、近く代表者のかたがお帰りになりますので、その上でできるだけ速かな機会に、できるだけ速かに決定をいたすよう考えておる次第でございます。
  17. 山下義信

    山下義信君 そのことは当局の御善処を期待いたしまして、是非希望いたしておきますが、この際私が伺いたいと思いますのは、ソ連の在留邦人のことですが、前からこれも問題になつておりまして、これがまあ一番問題で、今度日赤社長交渉その他によりまして漸次全貌が明らかになつて来ると思う。データーを収集中というのは何のことかわかりませんけれども、無益な想像は避けますが、いろいろ第一回の先ほど日赤社長が述べられたすでに公式に通知がありました千三百二十名の内訳を見ましても、従来タス通信等で発表されたものと符合しないような点が多々ある。そういうことは漸次明白になると思います。ともかくもソ連側邦人を帰されるという処置にだんだんなつて来たということは何としても慶賀すべきことでありますから、かれこれ今から先立つて数字上の在留邦人数等について無益なことを申上げる考えはないのでありますが、一応伺つておきたいと思いますのは、外務省ソ連の抑留邦人をどのくらいに見ておられましようか。又援護庁においての調査の結果は在留ソ連邦人はどのくらいあると考えておるのでありましようか。その点を一つ伺いたいと思います。
  18. 田辺繁雄

    説明員田辺繁雄君) お答えいたします。本年の八月一日に未帰還者集計表というものを外務省において発表いたしております。これは外務省引揚援護庁と共同いたしまして未帰還者の個個人について調査いたしました結果をとりまとめたものでございます。これは新聞にも発表せられたので概略御承知と思いまするが、ソ連中共、北鮮、千島、樺太の四地域に分けまして各々地域につきましてすでに死亡を確認しているもの、生存の資料……。
  19. 山下義信

    山下義信君 私が伺つておるのはソ連関係を承わつておるのです。
  20. 田辺繁雄

    説明員田辺繁雄君) 生死の資料のあるもの、それから不確実な資料のあるものという区分によりまして発表したのでありまして、それによりますと生存資料のあるものは一万二千七百二十二名、死亡資料のあるものは、不確実な死亡資料のあるものは三千二百二十名。それでこの生存資料のあるものは更に年度別に区分してございます。その区分はその人の最後の生存に関する資料のあつたその年毎に区分してございます。従つて昭和二十年に生存資料があり、而も昭和二十七年度において通信を寄越したというものは昭和二十七年度の生存資料欄に計上されておりまして、二十年度には計上されておらない。重複しておらないわけであります。従いまして昭和二十年なり二十一年の生存資料欄に載つておる人はその年における生存資料があるというだけでその後何ら情報がないということであります。日本側から申しますと実はそのことしかわからないわけでありまして、いわばカーテンを通して見ている数字でございますので、実態的に申しますれば生きているか死んでいるかどちらかと思いますが、カーテンを通して見るだけでございますので、我々といたしましては現地からの通信、乃至は現地から帰つて来た人の証言によつて得た結果しかわからないわけであります。それをただそのまま合せたものが一万二千七百二十二名という数字に相成つているわけであります。従つて常識で考えましても、昭和二十年なり二十一年頃の生存資料しかないということは入ソ直後の生存資料があるだけでございますので、その中にもすでに死亡した人があるとも想像できるのでございますが、それはわからないのであります。  いわゆる数字の食い違いということがよく問題になりますが、数字自身の対象が違つておりますので、そこに若干の食い違いが出て来るのではないかと考えられる次第でございます。山下さんのお尋ねは、この一万二千七百二十二名のうちで今日生存していると考えられる数字がどのくらいかというお尋ねでございますが、これは推定になります。これは昨年、昭和二十七年にソ連からの通信が再開されたのでございますが、これによつて通信の来ているものが今日までに一万二千およそ三十名ぐらいに相成つております。これは現に通信の来ている人でございますので、生存確実であることは明瞭であると思います。併しそのほかにも生存している者があることは、これは先般の交渉の際にソ連赤十字社の社長から言われた通りでございますので、我我は島津社長がお行きになつた機会に確実な資料が収集できることを強く期待いたしているような次第であります。
  21. 山下義信

    山下義信君 只今のはソ連本土だけですか。樺太地区等は含まれていないのですか。
  22. 田辺繁雄

    説明員田辺繁雄君) 樺太地区は含まれておりません。
  23. 堂森芳夫

    委員長堂森芳夫君) 山下委員に申上げますが、小瀧政務次官から何か御答弁があるそうです。
  24. 小滝彬

    説明員小滝彬君) 附加えて申上げますが、これもすでに御承知と思いますが、一九五〇年四月のタス通信では、政府機関のようなタスの発表したものによりますると、戦犯、当時は戦犯しかソ連にはいないという建前ですが、ソ連にいる戦犯者が千四百八十七名、それから中共へ送ることになつているのが九百七十一名ということになつておりますが、その後の発表はございませんのでその点は不明でございます。
  25. 山下義信

    山下義信君 生存として推定されましたものが一万二千七百二十二名でありまして、それは昭和二十年、二十一年の終戦直後の生存確認資料とは言いながら、今日確実に、最近に得た数字はその一割強という程度は、私はもつと生存者があるのじやないかと想像されるのですが、殊に先ほど日赤社長が公式の先方の帰還者数として発表せられた千三百二十名ですね、このうちの内訳を説明されたのですが、刑期終了者が二十二名、戦犯者が三百九十八名、約九百名の一般人がいるということを言われたのですね。これは今小瀧外務政務次官のタス通信を出されてのお話を聞くと、全部の戦犯戦犯しかいないといつた、まあ千四百八十七名の数字とも違いまするけれども戦犯以外の邦人があるのじやないかということが思われる節が副社長お話の中にありましたが、それはどうなんですか。若しそうであるとすると、いわゆるソ連からの戦犯が多数帰ると考えられた考え方が少し見込みも違いまするように、様子も違いまするように思いますが、その点ちよつと。
  26. 葛西嘉資

    参考人葛西嘉資君) 私の申上げる言葉が足りなかつたので非常に疑問をお持ちになつたので申訳ないのでありますが、九百名と申しますのは少し形容詞があるのでありまして、先方によりますと、右と同じ措置によつて釈放された約九百名の一般人犯罪人ということになつております。やはり何と言いますか、タス通信とは別だということは向うでも言つているのですが、ぐらぐらしておつたものではないことになつております。それをもつと詳しく申上げますと随分書いてあるのでありますが、三百九十八名の形容詞は、ソヴイエト最高会議の恩赦により、又は最高裁判所の再審査ののち釈放された三百九十八名の戦犯者及び右と同じ措置によつて釈放された約九百名の一般人犯罪人ということになつております。
  27. 山下義信

    山下義信君 そうですが、わかりました。私最後に一つだけ伺いたいのは、一体ソ連から帰る人たちはこれは戦犯というのですか。或いは又捕虜というのですか。捕虜と書いてあるようでもあるし、戦犯を帰すのだというし、一体この捕虜というのと、戦犯というのとはどういうことになるのですか。その点一つ政府のほうからどなたか教えて頂きたいのですが。
  28. 小滝彬

    説明員小滝彬君) 戦犯のほうは、向うの裁判が正しかつたか正しくなかつたかということは除きまして、国際法における、いわゆる戦時国際法に違反した人間を戦犯と言つているものでありまして、俘虜でありますと国際法による特権をもつておりますから、ソ連側の考え方から言えばこれは戦時国際法に違反した犯罪者という意味に取扱われるのだろうと私は考えます。俘虜でありますといろいろの特権をもつておりますから相当の保護があるのでありますが、向うのほうはこれについては特別な恩恵として万全な取扱い方をするというような考え方で進んでおるものと想像いたします。
  29. 山下義信

    山下義信君 やつぱりなんでしようね、戦犯という取扱い方になりますと国際公法上にいろいろな何があつて、そうして我がかたへの正式な通知であるとかいろいろなことがあり、又捕虜という形になりますというと、捕虜を帰すということになるならば、申すまでもなくソ連とは戦争状態がまだ終結されていない場合の扱いかたにつきましていろいろ問題があるわけで、それで結局こちらの受入れ態勢におきましては捕虜が帰つて来るという扱い方と、戦犯が帰つて来るという扱い方において何らか扱い方の上に差があるのかないのか、全くこれは同等に扱うのか、扱い方の上に、帰つたときは捕虜として扱うのか、やはり戦犯として日本政府は一方的にソ連が言つておるそのままを容認して我がかたに受入れるのかどういうことになるのですかね。我がかたにおいては捕虜になつた邦人が帰つて来たのを受入れるのだという考えかたのほうが私は正しいと思う。戦犯としての受入れかたをするのなら、ソ連の一方的な裁判による戦犯の刻印を我がかたとしてそれを承認するということになるのかどうかということについて、この日本としての、我がかたのほうの一体受入れ態勢の上におきましては、その関係はどういうふうになるのかということを一つ
  30. 田辺繁雄

    説明員田辺繁雄君) 受入れの際には未復員者として受入れるか一般邦人として受入れるかという点が出て来ると思います。お話の点は実は他の地域で申しまするというと戦犯として処刑されたかたは犯罪判決の宣告があつたときに復員を解除いたしております。未復員という身分を解除いたしておりまするから、帰つておいでになつたときにおいてはすでに未復員者としての取扱いをいたさないわけでございますが、ソ連の場合におきましては元軍人軍属はすべて未復員者という身分を今日でも保有いたしております。従つて我々としては未復員者として身分上の取扱いをいたす方針でございます。上陣した際に復員手続をして、こういう取扱いをいたす所存でございます。一般邦人につきましては、中共の場合における一般邦人の場合と同様に一般人として扱われることになると思います。
  31. 山下義信

    山下義信君 それはですね、未復員者としての扱い方があるのですから、それに入る。これは事務的にはそうですが、ではソ連戦犯が帰るとか捕虜が釈放されて帰るという名称は公式には政府は用いない、こういうことなんですね。
  32. 田辺繁雄

    説明員田辺繁雄君) ソ連側からは戦犯としてどうしたという通知が公式に一回もなされていないわけでございますので、我々としては一般の抑留者が帰つて来たという考え方で取扱う方針でおるわけであります。
  33. 山下義信

    山下義信君 それくらいにしておきます。
  34. 堂森芳夫

    委員長堂森芳夫君) 他に御質疑ございませんか。
  35. 湯山勇

    ○湯山勇君 先ほどの中国の紅十字招待の件でございますが、外務省のほうとしては集団帰国が終つてからにするということはすでに非公式なお話があつたように承わつております。そういたしますといずれにしても招待というのは時期の問題であつて、招待するということについては御異議がないのでございますか。
  36. 小滝彬

    説明員小滝彬君) 先ほど山下委員に答えまして申しました通り、目下この問題は検討中でありまして、何らの決定には達しておらない次第でございます。
  37. 湯山勇

    ○湯山勇君 その問題が非常にむずかしそうに考えられるのでございますが、そのむずかしい要素というのはどういう点でございますか。
  38. 小滝彬

    説明員小滝彬君) 外交の立場から御承知のように中共への、共産圏への入国は正式には認めておりませんし、同時にこれらの諸国からの入国はこれを認めない方針をとつて来ておるわけであります。これについてもいろいろ議論がありましようが、外務省といたしましては、そうした方針で法務省のほうとも協議いたしまして、この方針で進んでおりまするが、先ほど申しましたように、この紅赤十字代表者の入国の問題はあたかも日赤代表者が今回ソ連に行かれましたように、又中共引揚について日赤代表者中共へ行かれましたように、同じような意義を持つようにも考えられまするので、特別の考慮を払いたいという考え方で、できるだけこれを考えようという基本的な見方から目下本件を検討しておるような次第でございます。
  39. 湯山勇

    ○湯山勇君 最後に念を押してお聞きしたいのですが、外務省の態度としてはこれを認めようとする方向に立つて検討をしておられるのか、こういうふうに解してよろしいのでありましようか。
  40. 小滝彬

    説明員小滝彬君) 先ほど申しましたように、いずれ興安丸日赤代表のかたもお帰りになるでありましようし、いろいろ御様子を承わりました上で、決定をいたしたいと考えております。先ほど申しましたように、これは人道上の問題もあるので、できるだけ好意的に考えなければならないという気持でおります。
  41. 湯山勇

    ○湯山勇君 お願い申上げたいのですが、これは実際は、中国からの引揚ということは、本来赤十字社がやられるということよりも、国としてやらなければならない事業であつたはずでございます。で、これをいろいろな事情から現在のような形をとつておるわけですから、むしろこの問題に対しては国が直接交渉に当つて、そうしていろいろな交渉もするし、或いはそのほかのこともやつて行くということでなければならないと思いますけれども、それがこういうことになつたということでございますから、この招待ということが、そのことに対して先ほどからの話で随分大きな役割を演ずる段階に来ておるということにつきましては、ただ外務省の方針がどうだとかこうだとかということよりも、むしろ実際にこれらの人たちを早く帰す国民的な要請に応えるという意味合いで、いわゆる杓子定規な解釈に立たないで御善処を是非お願い申上げたいと思います。
  42. 小滝彬

    説明員小滝彬君) 御趣旨のほどを十分考慮に入れましてこの問題を考えて行きたいと思います。
  43. 堂森芳夫

    委員長堂森芳夫君) ちよつと速記をとめて。    〔速記中止
  44. 堂森芳夫

    委員長堂森芳夫君) 速記を始めて。  では暫時休憩いたします。    午前十一時四十八分休憩    —————・—————    午後零時二分開会
  45. 堂森芳夫

    委員長堂森芳夫君) それでは委員会を再開いたします。  紅十字社の幹部を日本に招待することを日赤が特に強く希望して参つたことに対しまして、我が厚生委員会におきましてもその趣旨に賛成いたしまして強く政府に要望するようにいたしたいと思いますが、御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  46. 堂森芳夫

    委員長堂森芳夫君) 御異議ないと認めます。
  47. 常岡一郎

    ○常岡一郎君 それではその案文を読みます。  「日本赤十字社より外務省に申出てある中共紅十字会会長等を日本赤十字社の賓客として招待するの件一日も早く実現されんことを要望す。」
  48. 堂森芳夫

    委員長堂森芳夫君) そのように決定することに御異議ありませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  49. 堂森芳夫

    委員長堂森芳夫君) 御異議ないものと認めましてさよう決定いたします。これを以て散会いたします。    午後零時四分散会