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1953-11-11 第17回国会 参議院 厚生委員会 閉会後第1号
公式Web版
会議録情報
0
昭和二十八年十一月十一日(水曜日) 午前十時三十四分開会
—————————————
出席者
は左の
通り
。
委員長
堂森
芳夫
君
理事
大谷 瑩潤君 常岡 一郎君 藤原 道子君
委員
榊原 亨君 中山
壽彦君
横山 フク君 林 了君 廣瀬 久忠君 竹中 勝男君 湯山 勇君
山下
義信
君 有馬 英二君
事務局側
常任委員会専門
員 多田
仁已君
説明員
外務政務次官
小滝
彬君
引揚援護庁次長
田辺
繁雄
君
参考人
日本赤十字社
副
社長
葛西
嘉資
君
—————————————
本日の
会議
に付した事件 ○
社会保障制度
に関する
調査
の件 (
ソ連中共地区引揚
に関する件)
—————————————
堂森芳夫
1
○
委員長
(
堂森芳夫
君)
只今
から
厚生委員会
を開会いたします。
ソ連
及び
中共地域
からの
引揚
に対する
状況
について、
参考人
として
日本赤十字
副
社長
の
葛西
君及び
外務省引揚援護庁当局者
の
出席
を願
つて
おります。先ず
参考人
の
葛西
さんから最近の
状況
についての
模様
を承わりたいと存じます。
葛西嘉資
2
○
参考人
(
葛西嘉資
君)
只今
、
ソ連
の
引揚並びに中共関係
の
引揚
について最近の
模様
を
お話
せよということでございますが、もう
委員各位
には
御存じ
だと思いますから極く簡単に申上げさして頂きまして、御
質問
に応じて
お答え
をすることにいたしたいと思います。先ず
ソ連
のほうの
引揚
の
関係
でありますが、御
承知
のように、今度の
引揚
のきつかけになりましたのは、本年七月二十二日に
モスコー
で
大山教授
がモロトフに
会つた印象
として、
日本人
の
戦犯
を
赤十字
の線を通じて返すことができるような
印象
を得たというような
新聞記事
が出たのでございます。早速その翌日、七月二十三日に
赤十字
のほうから
ソ連
の
赤十字
に当てまして、こちらのほうから
協力
をしたいから是非よろしく頼むというような
電報
を打
つた
ことにきつかけができまして、その後もう一回
大山
さんは
モスコー
に行かれて、九月の十九日だと思いますが、
向う
の
ソ連
の
赤十字
の
ホロドコフ
という
社長
に
会つたの
であります。そのときには
ホロドコフ
氏は
大山
さんの
手紙
によりますと、
日本赤十字
から七月の二十三日に
電報
を受取
つた
が、その問題について
ソ連
の
赤十字
として
検討
した結果、
日赤
と
協力
をすることにきま
つた
、この旨を
日赤
のほうに伝えてもらいたいというようなことを
ソ連
の
赤十字社長
が
大山
さんに話したそうであります。これは
大山
さんの
手紙
でわか
つたの
であります。そんなことで
交渉
が開かれまして、御
承知
のように、
島津社長
以下五人の
代表
が行きまして、
代表団
は二十八日の午後九時に
モスコー
に着いております。
モスコー
に着きますというと、すぐ三十日に
向う
の
連中
に会い、三十一日と今月の二日に
会談
が行われたのであります。第一回の
会談
は、私
ども
は当初はほんの顔合せというようなことであるし、それから
中共
などの場合ですと、大体
日本側
の
言分
を聞いて、そうしてそれではどうやるかというようなことで、
あと
から返答が出るだろうというようなことでや
つたの
でありますが、今回は逆に第一回の
会談
で
ホロドコフ社長
、それからシヤロノフ副
社長
など出ておりまして、相当具体的なものが示されたのでございます。それは本月の一日にその
電報
が来たのでありまするが、
内容
は
新聞
で
御存じ
だと思いますが、なお若干申上げて見ますというと、今回帰える
日本人
は、刑期を終えた者二十二名、それから釈放をされた者三百九十八人、それからそのほかに約九百人の一般人の
犯罪者
、これは概数であるから九百人のほうは変るかも知れない、こういうことのようでございます。仮に九百人だといたしますというと、
ソ連
から第一回に帰
つて
来られる者が千三百二十名ということにな
つて
おります。で、
向う
から出されたあれとしましては、同じでありますが、
ソ連
のほうから送り出すほうの
責任
は全部
ソヴイエト赤十字
が持つ。それから
日本
のほうで
日本赤十字
としてや
つて
もらいたいことは、船の
心配
、それから船の中の医療、それから食糧、飯を食わすというような点を
責任
を持
つて
貰いたい。で、
準備
ができたならば知らすから
通知
後十日以内に
ソヴイエト側
で指定する港へ船をよこして貰いたい。まあこんなようなことを言うたのが第一回の
会議
で出たもののようでございます。この
会談
には、これは
心配
してお
つた
んですが、随分自由に
会談
が許されると見えまして、その
電報
に、こつ
ちの
ほうからいろいろ
質問
をする
機会
が与えられたようでございます。で、その
質問
にもいろいろ答えてくれたのですが、私
ども
が最も今日問題にな
つて
おります
ソヴイエト
に残る
日本人
に関するいろいろな
データー
を
一つ
知らして貰いたいというふうなことを言うた
模様
でありますが、今はその材料を持ち合しておらんから、
一つそいつ
は調べて後日回答をすると、こういうふうなことのようでございます。第二回の
会談
が十一月の二日に開かれたのでありますが、ここでは電文が
内容
が
余り
はつきりしないのでありますが、
帰国
に関する根本的且つ具体的な諸問題に関し
意見
を交換した、こういうことを言
つて
おります。で恐らくその
意見
がまとまりますというと、これは
協定書
に作成されるであろう、こういうふうな
電報
が来ております。それだけでございまして、その
電報
にも、
革命記念日
が御
承知
のように先般ありましたものですから、あれで
向う
は
休み
になるだろうし、街は随分
革命記念日
の
準備
で賑
つて
いるというふうな
情報
があ
つたの
であります。
従つて向う
のほうからいろいろこつちが聞いた
データー
を出さなきやならんのでありまして、二日以後今日まで約一週間
余り
も
会談
が開かれないので若干
心配
をして頂いておる向きもあるかと思うのでありますが、七日の日に更に
電報
が参りまして、
ソヴイエト
のほうではいろいろこつちが言うたような問題について
準備
をしている
模様
である、必要の
データー
を収集しておるようなんで、これが集ま
つた
らば
会談
が開催されるはずであるというふうなことを申しております。それから我が
代表団
のほうとしましては
ソヴイエト
のほうの港が一体どこになるのか、こつちが船をやる港が一体どこになるのかというようなことを聞いておるのですが、
自分
のほうとしては
日本側
では若し
ソヴイエト
のほうで送
つて
くれるということならば一切の
準備
が整
つて
おるということを通達したと、こう言
つて
おります。それから
日本
のほうで使える船でありますが、これは恐らく
代表団
はあの四隻の船の
名前
を出したのだと思います。
興安丸
、
高砂丸
、
白龍丸
、
白山丸
、この四つを出したと思うのですが、これは
政府
のほうともいろいろ御
相談
をいたしまして、
高砂丸
と
白山丸
は一応必要がなかろうというわけで、丁度十一月の五日に
契約
の期限が切れたものですから、二つのほうはそれをやめまして、現在
契約
しておりますものは
興安丸
と
白龍丸
でありまして、そのことは今月の七日の日に
モスコー
の
代表団宛
に知らしておきました。併しこれは二隻というのは当分そういうことなんで、若し輸送が必要であ
つて
更に増さなきやならんということであれば、若干の余裕がありさえすれば船は増す、こつ
ちの
ほうの
準備
は
如何よう
にもいたしますというような
意味
の
電報
を
政府
と打合せの上で打
つて
おきました。まあ船、それからもう
一つ
は
ソヴイエト
の港へ
日本
の船が入るわけでありますから、いろいろ守るべき
規則
が必要にな
つて
参りますので、そういうふうな
規則
があるならばそれを指示願いたいということを書面を以て要求をしておいたというような
通知
も来ております。まあそんなような
状態
で、従いまして
会談
が二日以後行われないというのは専ら
先方
の
都合
であり、而も
先方
の
都合
も右申上げましたように
向う
のほうの好意あるいろいろ
資料
を整えるというための必要な日であると、こう見ておりますので、
会談
の進捗は相当円滑に私
ども
は行
つて
るものだと、かように考えておるわけでざいます。なお
ソヴイエト
の
引揚
に関連をいたしまして、先般あれは十一月七日だと思いますが、
日本
の
新聞
に
AFP
の
通信
としまして、オーストリヤの
戦犯
六百名が
ソ連
から釈放されて帰
つた
ときのその
情報
を集めるというと、
日本人
の
俘虜
が約一万人ばかり二十四カ所の
収容所
に抑留されておるというふうな
情報
があ
つた
というような
新聞記事
が出ておりましたので、これも
代表団
に
参考
のために知らすがよかろう、この知らすことは
電報
を打てば
向う
はわかりますけれ
ども
、大した
向う
の感情を害するというようなこともあるまいというようなことで、これを
AFP
の
電報
そのままを
向う
のほうへ知らしておきました。但しその
通信
、
あと
に一九四五年以来これらの
収容所
では約四千五百人の
日本人
が死んだと、こう書いてあります。そうして
日本人
は
ヨーロッパ人
よりも非常に悪く
待遇
をされておるというようなことが書いてあ
つたの
で、これは
ちよ
つと
新聞
の
記事
であるけれ
ども
、
余り
そういうことを書いてやるのはいけまいと
思つて
、悪い
待遇
をされておるという点だけはその今のニュースは省きまして、四千五百人の
日本人
が死んだという
情報
が
日本
の
新聞
に載
つて
お
つた
ということを知らしておきました。と申しますのは、今までの大体の
ソ連
に関するいろいろな問題、例えば対
日理事会等
においていろいろな問題が出たというようなこと、その後
ソ連
のほうの
新聞等
に出たような
情報
、
政府
などからいろいろな
情報
を頂いて
参つて
お
つて
、
代表団
としては
日本
の今までのこの
ソ連
の
引揚関係
の
基礎資料
というものは皆頭に入れて行
つて
頂いておりましたので、この新らしいこういうふうな
情報
がありましたものですから、これを頭の中に入れて、
機会
があればこういうものを持ち出すということが今後の
交渉
に役立つんじやないかというような心持で、そのことを七日の日に
代表団
に
電報
で知らしてございます。まあ大体
ソ連
の
関係
はそんなようなことでございます。 それから在
華邦人
の
引揚
の点でございますが、現在までに
中共地区
から
引揚げ
て参りました者が第一次から第七次までに二万六千百二十七人ございます。私
ども
最も最近
心配
しておりますのは、先般
国会
の
貿易使節団
でございますか、
向う
へ行かれましたときに、
向う
の
当局者
から七次をも
つて
集団的の
帰国
は
終り
だと、こういうふうに言われたということを聞いたのであります。それでその後そういうことが
新聞等
に出ますものですから、私
ども
の手許にも随分
自分
の親或いは夫は
中国
のほうにおるけれ
ども
帰ると言
つて
来てお
つた
がまだ帰らないんだ、七次で本当に打切なのかどうかというようないろいろな問合せの
手紙
なんか最近非常に頻繁に来ております。私
ども
としましては第七次のときに大阪の
赤十字支部
の高田という副参事が
参つたの
でありますが、これが
向う
へ行
つて
折衝
した結果、尤もこの
折衝
と申しますのは
北京
の本部で
折衝
したのでありませんで、天津の出先の
中国紅
十字会と
折衝
をしたのでありますが、ですからそうはつきりしたことはわからんのですが、それの
情報
によりますというと、大連、旅順の
地区
には相当まだ
日本人
が残
つて
おるというようなことを言
つて
おります。それからそのほか
向う
にお
つた浜中某
というような者の語
つた
ところによ
つて
も、まだ
引揚
は継続されるということを言うてお
つた
ということでございますので、私
ども
は七次で打切りだという何らの通報を受けておらない以上は、まだ七次で
以つて終つた
というふうに断念をしておらないような
状態
でございます。殊に私
ども
のほうは先般、もう一月半くらい前だと思いますが、
中国紅
十字会のほうへ三
団体
として、これは
赤十字
だけでありませんで、他の二
団体
、
平和連絡会
、
日中友好協会
と
一緒
の三
団体
の名において
中国紅
十字会に聞いてや
つて
あるのでございます。どういうことを聞いてや
つて
あるかと申しますと、これは最近
大分引揚者
の数が少くな
つて
来ておる、今度船を
日本
のほうは四隻傭
つて
あるんだけれ
ども
、先ほ
ども
申上げましたように船を傭う
関係
の
都合
もあり、今後の
中共
の
集団引揚
の
見通し
を
一つ
知らしてもらいたい、船を傭う
関係
上どうしても知らしてもらいたいということを書いてや
つて
あるのでございます。その
電報
を打
つて
あるのには何らの
返事
が実は来ておらんのでございます。そして突然
向う
の
当局者
が
国会
の
代表団
の方に七次で
終り
だと言
つた
ことはどうも了解ができない。これはその
新聞記事
が出ました当時も
赤十字
といたしましては他の二
団体
の者と
集つて相談
をしたのでございますが、どうも腑に落ちない、暫く
模様
を見ようじやないか。殊に第三次の華僑を送りました
興安丸
に
赤十字
の本社の
川合
君が
赤十字代表
としてこれは
北京
のほうへ行
つて
おります。そのときに実は
島津社長不在
でありますので、私の
名前
を
以つて中国紅
十字
会会長李徳
全女史に宛て
手紙
を書きまして、その
手紙
の中にも、実はこの前あなたのほうに聞いてや
つて
ある
中国
からの今後の
引揚
の
見通し
という点は
日本
が非常に関心を持
つて
おることであり、殊に差迫
つて傭船契約
の
関係
があるからして、是非この
情報
は速やかに知らして頂きたいということを
手紙
を
以つて李徳全
に聞いてや
つて
あるのであります。
川合
君からもその点については何もまだ
言つて参
つて
おりませんので、恐らくあの
代表
が帰
つて
来ますというとその辺の
模様
がわかることだろう、こう
思つて
おるようなわけでございます。大体今のところではそんなような
状態
でございます。 大変ごちやごちやいたしましておわかりにくか
つた
と思いますが、大体のことを申上げまして、
あと
は御
質問
によりまして
お答え
をいたしたい、かように考えております。
堂森芳夫
3
○
委員長
(
堂森芳夫
君) 次に
外務省当局
からお願いいたします。
小滝彬
4
○
説明員
(
小滝彬
君)
只今萬西
副
社長
から
お話
になりましたところによ
つてソ連
と現に
日赤
が
交渉
せられている
状況
はおわかりにな
つた
ことと存じますが、ただそれと離れまして、
ソ連
につきましてはこの八月の
俘虜特別委員会
、あの三人
委員会
のほうへ有田、
山下代表等
を送
つて
、あそこでいろいろ実情を述べまして、そしてあの会合において
報告
ができたわけであります。その
報告
はその後
国連
のほうへ廻りまして、
国連
では第三
委員会
というのがこの月末頃にこの問題を取上げまして
報告書
を作成するに至るだろうと期待いたしております。そういたしますれば、その第三
委員会
の結論に基いて第八回
国連総会
でこの
俘虜
の
引揚
送還というような問題についての
決議
ができるだろうというように私らは
情報
を得ているのでありまして、その際には
日本
も
沢田大使
も
向う
に行
つて
おりますので、
沢田大使
に
出席
してもらうような手筈になるだろうというように期待いたしております。 ジエネヴアの
会議
では残念ながらいろいろ
国連側
の
努力
がありましたけれ
ども
、
ソ連
の
代表
が
出席
してくれないので一方的な
話合い
だけにな
つたの
は残念でありますが、この
国連
における
決議
というようなものは仮に
直接的効果
を挙げなくても、国際的な
輿論
を喚起するという
意味
において、
輿論
の力で
以つて
だんだん
先方
のほうを説得して行くという
意味
で
効果
があるだろうというふうに考えております。 なお次には
中共
との
関係
でありまするが、
中共
からの
引揚
につきましては、先ほど
日赤
の副
社長
が
お話
の
通り
であります。ただ
戦犯
につきましての帰してくれという問題につきましては、すでにこの
委員会
で
外務省側
から
報告
したことがあろうと思いまするけれ
ども
、
曾つてインド
を通じて申入れしようとしたけれ
ども
なかなかその申入れが成功しない、結局
向う
へこちらの意思が達し得なか
つた
というようなこともありましたので、この
邦人
の
中共
からの
引揚
に際しまして
日赤
にもお願いいたしまして、その点について
話合い
をしてもらうようにお願いしたのでありまするが、現地の
状況
からいたしましてこの問題は遂に具体的には採上げられないで終
つて
おるような次第でございまして、これは非常に遺憾に存じます。他面
先方
で抑留されております者としましては漁船でひつつかま
つた
連中
が相当ありまするので、これについては
中共
の立場としては
政府
が
代表
を出して
政府
との
交渉
を非常に忌避いたしておりますので、
関係業者
のほうから
向う
へ行きたいというような
お話
もありましたから、
外務省
といたしましては、それが可能であるならできるだけ援助いたしたいという考でおりましたところ、その後
向う
へ
日本
の船を持
つて
行
つて
交渉
するということは或いは
却つて
一面に危険を伴い
効果
を上げるゆえんじやないのじやないかというような当事者の諸君のお考えでありましたので、この企ては現在
中止
の
状態
であります。
政府
といたしましてはできるだけこれは最も大きな人道問題でありますので、そうした面に直接
先方
とも
話合いたい希望
を持
つて
おりまするけれ
ども
、御
承知
の
通り相手方
のほうは
日本
の
政府
の存在さえも否定するような態度であるようであります。殊に過般
議員団
が行かれましたときの
先方
の
代表者
の発言や、
大公報
とか或いはその他の
新聞
を見ましても、又
議員
の
代表
の方は直接お聞きにな
つた
はずでありまするが、
日本
がアメリカとの
関係
を現状のように維持する限り、
向う
の言葉で言えば、
日本
が米国の
附随国
である限り、又
日本
が
蒋介石残余匪党
との
関係
を断たない限り、
中共
としては
国民政府
を相手にすることはできないというようなことをはつきり言明しておりまするので、
政府
のほうで直接呼び出すということは、仮にいたしましても、
先方
はこれに応じない
状態
でありますので、一貫した
方法
で何かの
緒口
ができましたならば、
政府
としてできるだけこれを援助するという
方法
で無事この問題を解決して行くという
方法
をとらざるを得ない
状態
でございます。以上が大体のこの問題の要点でございます。
堂森芳夫
5
○
委員長
(
堂森芳夫
君) 次に
引揚援護庁
からお願いいたします。
田辺繁雄
6
○
説明員
(
田辺繁雄
君)
ソ連
からの
引揚
につきましては、
引揚援護庁
といたしましては
日本赤十字社
その他
関係機関
と
十分連絡
をとりまして、
配船
その他の
準備
をいたしておるような
状況
でございます。
先方
から
通知
がありますればいつでも十日以内に指定する港に船を着けることができるように手続きをいたしております。帰
つて
来たかたの
受入援護
は舞鶴にいたしたいと考えております。
援護
につきましては、
中共
からの
引揚者
の場合とおおむね同様に取扱いたい、同様に
援護
をしたいと、こう考えております。
中共
の
引揚
につきましては、先ほど
葛西
副
社長
から
お話
のあ
つた
通り
でございまして、今後どうなりますか、その
状況
を見守
つて
おるような
状態
でございます。
堂森芳夫
7
○
委員長
(
堂森芳夫
君) 御
質疑
をお願い申上げます。
山下義信
8
○
山下義信
君
日赤
、
外務省
、
援護庁
からの
お話
を承わ
つたの
でありますが、先ず今、
日赤社長
が
ソ連
で
交渉
しておいでになるのですが、最近新らしい
報告
といいますか、
入電
はないでしようか。
新聞
で見ますると、七日前後でしたかに
向う
の
革命記念日等
があ
つて
、
交渉
が
ちよ
つと
中止
にな
つて
、その間
島津社長
はほうぼう見学などしておられるようでありますが、少し
交渉
が意外に長延いておるような気持なんですが、
情報
がわからねば、ただ徒らに
想像
するだけですけれ
ども
、何か
向う
で
準備
が整わないのか、或いは相当重要な人が
モスコー
に帰るまで待
つて
いるのか、どういうことで時間がかか
つて
おるか、よくわからんのですけれ
ども
、最近の
入電
というものはないのでございましようか。
葛西嘉資
9
○
参考人
(
葛西嘉資
君)
山下
さんからのお尋ねでございますが、公式の
電報
として参りましたのは先ほど申上げました七日の
調査課長
の木内君、これは
代表
にな
つて
おりますが、から来たのが最後でございます。その後
外国電報等
によりますと、今の
病院
を見たり、或いは工場を見たりして歩いておられるようであります。これは何も聞いておりません。それで
向う
のほうの七日の公電というものは実はこういうふうに、読んでみますとこう書いてあります。以下一文でありますが、「
ソヴイエト赤十字
は、港及びその他具体的な諸事項を
検討
中で、
会談
は
革命記念
休日後、
ソ連側
における必要な
データー
が収集され次第開催されるはずである。」こういうことにな
つて
おります。従いまして、
会談
は
心配
すべき
状態
じやないので、むしろよく言
つて
あてがい扶持で、もうそれでこれだけ返せばいいのだということじやなしに、こちらから、先ほど申上げました第一回の
会談
のときにすでに
質問
しておる。その
質問
は今持ち合せがないから後日
一つ
回答してくれというようなことを
返事
したというのです。そこで
データー
の収集をお願いしておるのだろうと思うのです。
ソヴイエト
としましては、過去においてはタス
通信
とか或いはその他のあれでいろいろ発表しておりますので、そういう数字なんかとの
いろいろ検討
とか何とか出す以上は、これはこつ
ちの想像
でございますが、相当の辻褄を合せて出さなければならんというような
点等
があるのじやないかと思う。私個人のほんの
想像
でございますが、そんなことで
検討
しているという。この
電報
と睨み合せますとかなりいい
方面
に進んでいる、あれはどうしよう、これはどうしようというようなことで進んでいる、そういうものを求める、なにか
休み
があ
つて
、随分あの前後続くのだそうでございまして、そういうことで
赤十字
としては恐らく
資料
が出せんと思うのであります。
ソヴイエト政府
のほうにいろいろ頼んであれなどせにやならんかと、これも
想像
されるのであります。そういうふうなことになりますと、なかなか
データー
を収集するという問題はなかなか長いこといろいろ発表しておりますから、そういうものとの
検討
などしますと、かなり私は日を取るのではないか、そう思うのでありますし、
会談
が非常に友誼的で、
代表
はナシヨナル・ホテルに泊
つて
るそうでございますが、迎えその他もよくや
つて
おりますし、随分友好的なうちに進んでいるように思いますので、近くそういう
データー
が集まりましたならばや
つて
頂く。それから見せて頂くことも実は非常に皆希望して
行つたの
でございますから。
代表団
の中にお
医者
さん等も行きました。これは
ロシヤ語
のできる
医者
であります。
従つて向う
の
病院
を見てくることも非常にいいし、それから私
ども
は
代表団
と話してお
つたの
でございますが、できれば
モスコー
の
方面
にあります
収容所
なんかにも
一つ
行
つて
みて、そうして見舞を述べると同時に、実際眼で見て来てもらうことは
却つて家族
に
いろいろ話
をしたりなどする場合に
都合
がいいから、これは
一つ機会
があ
つた
ら是非持ち出して、そうして一、二カ所は少くも
収容所
を見て来てくれ、そうしたいものだな、と言
つて
おりましたので、視察というものは案外私は得ることがあるのではないか、そんな
意味
でこれは快報を私
ども
は心待ちにしている。まだ
心配
すべき
状態
は起きておらん。私は留守の者としてそう考えておるわけであります。
山下義信
10
○
山下義信
君
ソ連引揚
につきまして、折角
日赤社長
が御
交渉
中でありますので、無用の
質疑
をいたしましたりして何かと雑音になりましてもいけませんので、私も
交渉
の経過が判明するまでお待ちしているわけなんですが、なお
ソ連在留
の他のいろいろなことにつきましては或いは
あと
で伺うかもわかりませんが、先ほど副
社長
の
お話
になりました
中共
の
引揚残留
の
邦人
が数千名まだ残
つて
いる。且つ又いろいろな
お話
を承わりますというと、各地に相当多数集結をして
引揚
の開始を待
つて
いる
人たち
も少なからんような
模様
で、中にはもう数カ月に亙
つて
第一次以前から待
つて
いる
人たち
がたくさんおられる。今
お話
を承わりますと、
中共
の
引揚関係
につきましては、
ちよ
つとまあ
交渉
の手がかりの糸が切れたような形にな
つて
、自然まあ放任ではありませんけれ
ども
、要するに今
向う
へ
電報
を三
団体
でお打ちにな
つて
も
返事
がないという、昨日の都下の
新聞
でありましたか、一人も残さんように帰すように
努力
せいという或る
新聞
の社説もあり、いろいろあ
つた
わけなんですが、この
中共残留
の
邦人
の
引揚問題
をそのままにして、成り行きに委せておくという手はないと思う。私
ども
としては考えている。それで今三
団体
で
一緒
に
電報
をお打ちにな
つた
というが、まだ御
返事
がない。最近、これは余談のことですけれ
ども
、
中共
に行かれた同僚
議員団
がこのことに関して何ら折角の御旅行にまとま
つた
お話
も土産話もなか
つた
ことは非常に遺憾とすることなんですが、先ほど副
社長
の
お話
の中に、
向う
の
中共
紅十字社の
社長
李徳全女史等とこの残留
邦人
の
引揚
について話合
つた
らどうかというお気持が見えたようですが、今あなたのほうの大阪支部の高田さんから天津の紅十字社等を通じて若干のそういう
話合い
があ
つた
が、或いは
島津社長
との間に何か
話合い
をするような筋というか、意図というか、そういうものがあるような気持がするのですが、それで
中共
の紅十字
社長
と
日赤
とが
中共
の残留
邦人
の残りの
引揚
について
話合い
ができたらば私はそれが非常にいいのである。若しそういうことができたらば、又できることが非常に好ましいことではあるまいかと思う、それについて
赤十字
社のほうではどういうふうに考えておられるか、又そういうことを望んでおられるかどうかということを承わりたいと思います。
葛西嘉資
11
○
参考人
(
葛西嘉資
君) お尋ねでございますが、実は当時の予定でも約三万人くらいのものが
日本
に
帰国
を希望する。三万人くらいが帰るということが大体
北京
会談
のときの両者の目標だ
つた
ように聞いております。二万六千幾らでありますから、まだ一割ぐらいのものが残
つて
いるというようなことに数字から見てもなりますが、実は先ほ
ども
申上げましたように、
川合
君が
北京
に行きまして李徳全或いは蓼承志などと会
つて
おるはずでございますので、そのときには恐らくこの話というものが私は出て来ているのだと思う。
川合
君などが帰りましたときには何かわかる。恐らく三
団体
としましても、その
川合
君の話を基礎にして、更に再
交渉
を
電報
でやるというようなことも、私
ども
あれすればやらなければならん、こう
思つて
いるようなわけでございます。なお
山下
さんからお尋ねでごさいましたので、私
ども
は非常に、そういうふうに一応集団が済みましても、今後個々に、又あのときには
中共
に残
つて
おりたか
つた
けれ
ども
その後
日本
に帰りたくな
つた
というようなもの、或いは在日華僑の点についてもそういうようなことがあるのでございます。第三次の送還を以て在日華僑の集団的な送還は一応これで終
つた
ことになりますが、ただ個々に帰りたいものがあ
つた
場合には我々
日赤
並びに他の二
団体
、いわゆる三
団体
が
協力
して個個に帰りたいものの帰る問題に
一つ
尽力をしよう、こういうことにな
つて
おるのであります、これに関連をしまして、実は具体的に今
政府
、特に
外務省
にお願いをしてあることが実は
一つ
あるのでございますが、これは
北京
会談
の際に、
先方
の相当の希望もあ
つた
ようでございますので、
会談
がまとまりました際に
一つ
引揚
が済んだらば、
中国紅
十字会の
代表
数名のものを
日本
に
一つ
御招待をしたい、併しこれは入国査証とか或いは経費その他いろいろな
関係
があるので、今ここでそうしますとお約束はできんけれ
ども
、
関係
の向きと
相談
をしなければならんけれ
ども
、
相談
をしてできるだけそういうふうに尽力をしたいということを言うたのでございます。これは非常に
向う
も希望してお
つた
模様
であ
つた
ものですから非常に喜んで待
つて
いる。だんだん集団
帰国
が済んで来たものですから、天津に参ります
赤十字代表
などには、よくあれはどうな
つた
、どうな
つた
と言
つて
、実は催促があるようなことのようでございます。先般、これも一月くらい前でございましようか、実は
外務省当局
にだんだん集団の
帰国
も少くなりましたので、
一つ
中国紅
十字会招待の件を
政府
としてお考えを願いたい、若しよろしいということであれば、我々のほうが
一つ
正式に
赤十字
のお客さんとして
日本
に
中国紅
十字会のものを呼びたいと思うということをお願いをしているのでございます。いろいろ外務当局でも御
検討
を頂いて、まだ
ちよ
つと待て、集団
帰国
が済んでからこれは考えるべきだというような御意向で、そういうふうな極くぼやつとしたことだけは
先方
に伝えてございます。そんなふうな
状態
です。若し
政府
のほうで御了解を得まして入国ということができますれば、或いは李徳全等も、或る
方面
から聞きますと相当
日本
に来たいという希望を持
つて
いるそうであります。廖承志な
ども
来るだろうと思う。そういう
連中
が参りましたならば、我々も勿論会
つて
いろいろ今後の問題を話しますし、或いは
政府
、
国会
等の
関係
のかたがたにもお会いを頂いて、特に留守家族のような
人たち
、先ほど申上げましたように、いろいろ
手紙
なんかがどんどん来ているわけであります。そういうふうな留守家族の真剣な気持を、
向う
から来た
連中
に会
つて
話す、そうして涙で、人情を持
つて
一つ
帰してもらうことに尽力をしてもらいたいというふうな話をする
機会
を持つということは、私は無駄ではないと思うので、
一つ
是非そういうふうにさせてもらいたい、こう
思つて
おるわけなんです。これは念のために申上げますが、三
団体
の
関係
は、
あと
の二
団体
はこれはまあ
交渉
がああいう経過でできておりますから、蔭では御援助をして頂かなければなりませんが、呼ぶのは
日本赤十字社
が
中国紅
十字会を呼ぶということになりまするし、来る資格は
日本赤十字社
のお客さんとして
日本
へ呼ぶ、こういうことになる。で、これは私
ども
としましては、できるだけ
外務省当局
にいろいろな
関係
がおありだろうと思いますが、成るべく、而もまあ済んでからということもそうですが、一応今のようなもやもやとした
状態
のときには、非常に今
山下
さんから
お話
がありましたように、
一つ
のきつかけにもなり、
電報
や
手紙
だけでなしに直接顔と顔で話す、而も留守家族などからいろいろ直接話をしてもらうということに非常にいい
機会
のような気がします。私のほうとしましては
政府
の御当局にできるだけ
一つ
速かに入国をさせて、我々のほうから少くもそういうふうな招待状を出せる
機会
が一日も早く来てくれることを希望しておるような次第であります。
山下義信
12
○
山下義信
君
只今
の問題につきまして、
外務省当局
におかれましては深い御理解のもとに御善処相成る御意思がありますかどうかということについて御所見を承わりたいと思います。
小滝彬
13
○
説明員
(
小滝彬
君)
只今
共産圏の諸国から
日本
へ入国せしめるようにという要求は、いろいろな
方面
から多数出ておるのであります。が併し、本件は、先ほど
葛西
副
社長
もおつしやいます
通り
、これは大きな人道問題でもありますので、私
ども
としては特別の考慮を加えなければならないと考えまして、目下問題を
検討
中でございます。
山下義信
14
○
山下義信
君 大変当局は政治的な問題と人道上の問題について理解ある区別をせられまして、特別の考慮を払う意思があるということでありまして、私は当局のその御考慮を多とするものでありますが、これは一日も遷延を許さんと思うのです。恐らく明日都内において全国
引揚者
家族大会でありますか御開催があるようでありますが、少くとも
中共
の残留
引揚
については
関係
者が非常にいろいろと希望をいたしておるのでありまして、諸般の情勢等から見まして遷延を許さないと考えられるのであります。今
日赤
副
社長
の陳述の中にありましたように、できるだけ早く実現を、同じく実現を見まするならば早く実現をみたいと考えますることは私
ども
も全く同感でありますので、当局は成るべく早い
機会
にこのことの実現を見るように御
検討
の結論を頂けるでありましようか、如何なものでありましようか、重ねて御言明を得たいと思います。
小滝彬
15
○
説明員
(
小滝彬
君) 先ほどの
日赤
副
社長
の
お話
にもありました
通り
、この問題は
代表者
のかたが
興安丸
でお帰りになればもう少しはつきりするのじやなかろうかと考えます。たしか今日天津をおたちになるのじやないかと思います。その
報告
もあるでありましようし、又
電報
で
交渉
するということも全然不可能ではないと思います。そういう点を併せまして考えまして、入国を許すということになればお説のように極く早いほうがいいと考えますけれ
ども
、これまでの考え方としては一応全部
引揚げ
さしてもらう。そしてその上で又考慮しようというような考え方を持
つて
来てお
つた
関係
もございまするので、近く
代表者
のかたがお帰りになりますので、その上でできるだけ速かな
機会
に、できるだけ速かに決定をいたすよう考えておる次第でございます。
山下義信
16
○
山下義信
君 そのことは当局の御善処を期待いたしまして、是非希望いたしておきますが、この際私が伺いたいと思いますのは、
ソ連
の在留
邦人
のことですが、前からこれも問題にな
つて
おりまして、これがまあ一番問題で、今度
日赤社長
の
交渉
その他によりまして漸次全貌が明らかにな
つて
来ると思う。
データー
を収集中というのは何のことかわかりませんけれ
ども
、無益な
想像
は避けますが、いろいろ第一回の先ほど
日赤
副
社長
が述べられたすでに公式に
通知
がありました千三百二十名の内訳を見ましても、従来タス
通信
等で発表されたものと符合しないような点が多々ある。そういうことは漸次明白になると思います。ともかくも
ソ連側
が
邦人
を帰されるという処置にだんだんな
つて
来たということは何としても慶賀すべきことでありますから、かれこれ今から先立
つて
数字上の在留
邦人
数等について無益なことを申上げる考えはないのでありますが、一応伺
つて
おきたいと思いますのは、
外務省
は
ソ連
の抑留
邦人
をどのくらいに見ておられましようか。又
援護庁
においての
調査
の結果は在留
ソ連
邦人
はどのくらいあると考えておるのでありましようか。その点を
一つ
伺いたいと思います。
田辺繁雄
17
○
説明員
(
田辺繁雄
君)
お答え
いたします。本年の八月一日に未帰還者集計表というものを
外務省
において発表いたしております。これは
外務省
と
引揚援護庁
と共同いたしまして未帰還者の個個人について
調査
いたしました結果をとりまとめたものでございます。これは
新聞
にも発表せられたので概略御
承知
と思いまするが、
ソ連
、
中共
、北鮮、千島、樺太の四地域に分けまして各々地域につきましてすでに死亡を確認しているもの、生存の
資料
……。
山下義信
18
○
山下義信
君 私が伺
つて
おるのは
ソ連
関係
を承わ
つて
おるのです。
田辺繁雄
19
○
説明員
(
田辺繁雄
君) 生死の
資料
のあるもの、それから不確実な
資料
のあるものという区分によりまして発表したのでありまして、それによりますと生存
資料
のあるものは一万二千七百二十二名、死亡
資料
のあるものは、不確実な死亡
資料
のあるものは三千二百二十名。それでこの生存
資料
のあるものは更に年度別に区分してございます。その区分はその人の最後の生存に関する
資料
のあ
つた
その年毎に区分してございます。従
つて
昭和二十年に生存
資料
があり、而も昭和二十七年度において
通信
を寄越したというものは昭和二十七年度の生存
資料
欄に計上されておりまして、二十年度には計上されておらない。重複しておらないわけであります。従いまして昭和二十年なり二十一年の生存
資料
欄に載
つて
おる人はその年における生存
資料
があるというだけでその後何ら
情報
がないということであります。
日本側
から申しますと実はそのことしかわからないわけでありまして、いわばカーテンを通して見ている数字でございますので、実態的に申しますれば生きているか死んでいるかどちらかと思いますが、カーテンを通して見るだけでございますので、我々といたしましては現地からの
通信
、乃至は現地から帰
つて
来た人の証言によ
つて
得た結果しかわからないわけであります。それをただそのまま合せたものが一万二千七百二十二名という数字に相成
つて
いるわけであります。従
つて
常識で考えましても、昭和二十年なり二十一年頃の生存
資料
しかないということは入ソ直後の生存
資料
があるだけでございますので、その中にもすでに死亡した人があるとも
想像
できるのでございますが、それはわからないのであります。 いわゆる数字の食い違いということがよく問題になりますが、数字自身の対象が違
つて
おりますので、そこに若干の食い違いが出て来るのではないかと考えられる次第でございます。
山下
さんのお尋ねは、この一万二千七百二十二名のうちで今日生存していると考えられる数字がどのくらいかというお尋ねでございますが、これは推定になります。これは昨年、昭和二十七年に
ソ連
からの
通信
が再開されたのでございますが、これによ
つて
通信
の来ているものが今日までに一万二千およそ三十名ぐらいに相成
つて
おります。これは現に
通信
の来ている人でございますので、生存確実であることは明瞭であると思います。併しそのほかにも生存している者があることは、これは先般の
交渉
の際に
ソ連
の
赤十字
社の
社長
から言われた
通り
でございますので、我我は
島津社長
がお行きにな
つた
機会
に確実な
資料
が収集できることを強く期待いたしているような次第であります。
山下義信
20
○
山下義信
君
只今
のは
ソ連
本土だけですか。樺太
地区
等は含まれていないのですか。
田辺繁雄
21
○
説明員
(
田辺繁雄
君) 樺太
地区
は含まれておりません。
堂森芳夫
22
○
委員長
(
堂森芳夫
君)
山下
委員
に申上げますが、小瀧政務次官から何か御答弁があるそうです。
小滝彬
23
○
説明員
(
小滝彬
君) 附加えて申上げますが、これもすでに御
承知
と思いますが、一九五〇年四月のタス
通信
では、
政府
機関のようなタスの発表したものによりますると、
戦犯
、当時は
戦犯
しか
ソ連
にはいないという建前ですが、
ソ連
にいる
戦犯
者が千四百八十七名、それから
中共
へ送ることにな
つて
いるのが九百七十一名ということにな
つて
おりますが、その後の発表はございませんのでその点は不明でございます。
山下義信
24
○
山下義信
君 生存として推定されましたものが一万二千七百二十二名でありまして、それは昭和二十年、二十一年の終戦直後の生存確認
資料
とは言いながら、今日確実に、最近に得た数字はその一割強という程度は、私はもつと生存者があるのじやないかと
想像
されるのですが、殊に先ほど
日赤
副
社長
が公式の
先方
の帰還者数として発表せられた千三百二十名ですね、このう
ちの
内訳を説明されたのですが、刑期終了者が二十二名、
戦犯
者が三百九十八名、約九百名の一般人がいるということを言われたのですね。これは今小瀧
外務政務次官
のタス
通信
を出されての
お話
を聞くと、全部の
戦犯
、
戦犯
しかいないとい
つた
、まあ千四百八十七名の数字とも違いまするけれ
ども
、
戦犯
以外の
邦人
があるのじやないかということが思われる節が副
社長
の
お話
の中にありましたが、それはどうなんですか。若しそうであるとすると、いわゆる
ソ連
からの
戦犯
が多数帰ると考えられた考え方が少し見込みも違いまするように、様子も違いまするように思いますが、その点
ちよ
つと。
葛西嘉資
25
○
参考人
(
葛西嘉資
君) 私の申上げる言葉が足りなか
つたの
で非常に疑問をお持ちにな
つたの
で申訳ないのでありますが、九百名と申しますのは少し形容詞があるのでありまして、
先方
によりますと、右と同じ措置によ
つて
釈放された約九百名の一般人犯罪人ということにな
つて
おります。やはり何と言いますか、タス
通信
とは別だということは
向う
でも言
つて
いるのですが、ぐらぐらしてお
つた
ものではないことにな
つて
おります。それをもつと詳しく申上げますと随分書いてあるのでありますが、三百九十八名の形容詞は、
ソヴイエト
最高
会議
の恩赦により、又は最高裁判所の再審査ののち釈放された三百九十八名の
戦犯
者及び右と同じ措置によ
つて
釈放された約九百名の一般人犯罪人ということにな
つて
おります。
山下義信
26
○
山下義信
君 そうですが、わかりました。私最後に
一つ
だけ伺いたいのは、一体
ソ連
から帰る
人たち
はこれは
戦犯
というのですか。或いは又捕虜というのですか。捕虜と書いてあるようでもあるし、
戦犯
を帰すのだというし、一体この捕虜というのと、
戦犯
というのとはどういうことになるのですか。その点
一つ
政府
のほうからどなたか教えて頂きたいのですが。
小滝彬
27
○
説明員
(
小滝彬
君)
戦犯
のほうは、
向う
の裁判が正しか
つた
か正しくなか
つた
かということは除きまして、国際法における、いわゆる戦時国際法に違反した人間を
戦犯
と言
つて
いるものでありまして、
俘虜
でありますと国際法による特権をも
つて
おりますから、
ソ連側
の考え方から言えばこれは戦時国際法に違反した
犯罪者
という
意味
に取扱われるのだろうと私は考えます。
俘虜
でありますといろいろの特権をも
つて
おりますから相当の保護があるのでありますが、
向う
のほうはこれについては特別な恩恵として万全な取扱い方をするというような考え方で進んでおるものと
想像
いたします。
山下義信
28
○
山下義信
君 やつぱりなんでしようね、
戦犯
という取扱い方になりますと国際公法上にいろいろな何があ
つて
、そうして我がかたへの正式な
通知
であるとかいろいろなことがあり、又捕虜という形になりますというと、捕虜を帰すということになるならば、申すまでもなく
ソ連
とは戦争
状態
がまだ終結されていない場合の扱いかたにつきましていろいろ問題があるわけで、それで結局こちらの受入れ態勢におきましては捕虜が帰
つて
来るという扱い方と、
戦犯
が帰
つて
来るという扱い方において何らか扱い方の上に差があるのかないのか、全くこれは同等に扱うのか、扱い方の上に、帰
つた
ときは捕虜として扱うのか、やはり
戦犯
として
日本
政府
は一方的に
ソ連
が言
つて
おるそのままを容認して我がかたに受入れるのかどういうことになるのですかね。我がかたにおいては捕虜にな
つた
邦人
が帰
つて
来たのを受入れるのだという考えかたのほうが私は正しいと思う。
戦犯
としての受入れかたをするのなら、
ソ連
の一方的な裁判による
戦犯
の刻印を我がかたとしてそれを承認するということになるのかどうかということについて、この
日本
としての、我がかたのほうの一体受入れ態勢の上におきましては、その
関係
はどういうふうになるのかということを
一つ
。
田辺繁雄
29
○
説明員
(
田辺繁雄
君) 受入れの際には未復員者として受入れるか一般
邦人
として受入れるかという点が出て来ると思います。
お話
の点は実は他の地域で申しまするというと
戦犯
として処刑されたかたは犯罪判決の宣告があ
つた
ときに復員を解除いたしております。未復員という身分を解除いたしておりまするから、帰
つて
おいでにな
つた
ときにおいてはすでに未復員者としての取扱いをいたさないわけでございますが、
ソ連
の場合におきましては元軍人軍属はすべて未復員者という身分を今日でも保有いたしております。従
つて
我々としては未復員者として身分上の取扱いをいたす方針でございます。上陣した際に復員手続をして、こういう取扱いをいたす所存でございます。一般
邦人
につきましては、
中共
の場合における一般
邦人
の場合と同様に一般人として扱われることになると思います。
山下義信
30
○
山下義信
君 それはですね、未復員者としての扱い方があるのですから、それに入る。これは事務的にはそうですが、では
ソ連
の
戦犯
が帰るとか捕虜が釈放されて帰るという名称は公式には
政府
は用いない、こういうことなんですね。
田辺繁雄
31
○
説明員
(
田辺繁雄
君)
ソ連側
からは
戦犯
としてどうしたという
通知
が公式に一回もなされていないわけでございますので、我々としては一般の抑留者が帰
つて
来たという考え方で取扱う方針でおるわけであります。
山下義信
32
○
山下義信
君 それくらいにしておきます。
堂森芳夫
33
○
委員長
(
堂森芳夫
君) 他に御
質疑
ございませんか。
湯山勇
34
○湯山勇君 先ほどの
中国
の紅十字招待の件でございますが、
外務省
のほうとしては集団
帰国
が終
つて
からにするということはすでに非公式な
お話
があ
つた
ように承わ
つて
おります。そういたしますといずれにしても招待というのは時期の問題であ
つて
、招待するということについては御異議がないのでございますか。
小滝彬
35
○
説明員
(
小滝彬
君) 先ほど
山下
委員
に答えまして申しました
通り
、目下この問題は
検討
中でありまして、何らの決定には達しておらない次第でございます。
湯山勇
36
○湯山勇君 その問題が非常にむずかしそうに考えられるのでございますが、そのむずかしい要素というのはどういう点でございますか。
小滝彬
37
○
説明員
(
小滝彬
君) 外交の立場から御
承知
のように
中共
への、共産圏への入国は正式には認めておりませんし、同時にこれらの諸国からの入国はこれを認めない方針をと
つて
来ておるわけであります。これについてもいろいろ議論がありましようが、
外務省
といたしましては、そうした方針で法務省のほうとも協議いたしまして、この方針で進んでおりまするが、先ほど申しましたように、この紅
赤十字
会
代表者
の入国の問題はあたかも
日赤
の
代表者
が今回
ソ連
に行かれましたように、又
中共
の
引揚
について
日赤
の
代表者
が
中共
へ行かれましたように、同じような意義を持つようにも考えられまするので、特別の考慮を払いたいという考え方で、できるだけこれを考えようという基本的な見方から目下本件を
検討
しておるような次第でございます。
湯山勇
38
○湯山勇君 最後に念を押してお聞きしたいのですが、
外務省
の態度としてはこれを認めようとする方向に立
つて
御
検討
をしておられるのか、こういうふうに解してよろしいのでありましようか。
小滝彬
39
○
説明員
(
小滝彬
君) 先ほど申しましたように、いずれ
興安丸
で
日赤
の
代表
のかたもお帰りになるでありましようし、いろいろ御様子を承わりました上で、決定をいたしたいと考えております。先ほど申しましたように、これは人道上の問題もあるので、できるだけ好意的に考えなければならないという気持でおります。
湯山勇
40
○湯山勇君 お願い申上げたいのですが、これは実際は、
中国
からの
引揚
ということは、本来
赤十字
社がやられるということよりも、国としてやらなければならない事業であ
つた
はずでございます。で、これをいろいろな事情から現在のような形をと
つて
おるわけですから、むしろこの問題に対しては国が直接
交渉
に当
つて
、そうしていろいろな
交渉
もするし、或いはそのほかのこともや
つて
行くということでなければならないと思いますけれ
ども
、それがこういうことにな
つた
ということでございますから、この招待ということが、そのことに対して先ほどからの話で随分大きな役割を演ずる段階に来ておるということにつきましては、ただ
外務省
の方針がどうだとかこうだとかということよりも、むしろ実際にこれらの
人たち
を早く帰す国民的な要請に応えるという
意味
合いで、いわゆる杓子定規な解釈に立たないで御善処を是非お願い申上げたいと思います。
小滝彬
41
○
説明員
(
小滝彬
君) 御趣旨のほどを十分考慮に入れましてこの問題を考えて行きたいと思います。
堂森芳夫
42
○
委員長
(
堂森芳夫
君)
ちよ
つと速記をとめて。 〔速記
中止
〕
堂森芳夫
43
○
委員長
(
堂森芳夫
君) 速記を始めて。 では暫時休憩いたします。 午前十一時四十八分休憩 —————・————— 午後零時二分開会
堂森芳夫
44
○
委員長
(
堂森芳夫
君) それでは
委員会
を再開いたします。 紅十字社の幹部を
日本
に招待することを
日赤
が特に強く希望して参
つた
ことに対しまして、我が
厚生委員会
におきましてもその趣旨に賛成いたしまして強く
政府
に要望するようにいたしたいと思いますが、御異議ございませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
堂森芳夫
45
○
委員長
(
堂森芳夫
君) 御異議ないと認めます。
常岡一郎
46
○常岡一郎君 それではその案文を読みます。 「
日本赤十字社
より
外務省
に申出てある
中共
紅十字会会長等を
日本赤十字社
の賓客として招待するの件一日も早く実現されんことを要望す。」
堂森芳夫
47
○
委員長
(
堂森芳夫
君) そのように決定することに御異議ありませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
堂森芳夫
48
○
委員長
(
堂森芳夫
君) 御異議ないものと認めましてさよう決定いたします。これを以て散会いたします。 午後零時四分散会