○鶴見祐輔君 その点は言葉尻をとるのでも何でもないので、御趣旨を聞くつもりであ
つたのですが、そうしますと、国際情勢が緩和して
各国が非常に平和の
状態になり、或いは
国連が強化されて戦争の準備が要らなくなるということは最も望ましいことで、
外務大臣がそれを
希望されることは我々全然同感であります。ただ今日のような情勢では、非常な危険が
日本にあるから、
日本をそういう
状態に置きたくないという
考えからい
つて、
日本が防衛力の揃わない国にな
つては困るという
考えがあるものですから、それがたまたま池田・ロバートソン会談の共同声明の中にも出ておりますから承わ
つたのですが、そういたしますと、ここに私ども
一つの疑問を持ちますのは、この間衆議院の予算
委員会で四人の
質問者が立
つて、主として総理
大臣、木村長官にお尋ねをして、軍とはどういうものか、戦力とはどういうものかとか、それから交戦権を認めるとか認めないとかいう抽象的な議論がありました。そのときの総理
大臣の
説明の限界は、私はわか
つたつもりでおりますが、それは当時の
質問者がその問題をもつと具体的にお尋ねにならなか
つた。これは私は
外務大臣にお尋ねするのは、少し場所が違うかも知れませんが、お尋ねしておきたいと思いますのは、戦力とか軍とかというものを抽象的に議論をしまして、も、議論は尽きないと思うのであります。問題は結局昨日の
外務大臣の
お話では、軍とか戦力は認めないという
日本の趣旨をアメリカは了解した、こういう
お話なんです。予算
委員会では、総理
大臣は、軍というものは定義観によるから、定義観によ
つては軍と認めてもよろしい、自分はそうは思わないという
お話であ
つて水掛論でありまするけれども、これは併し
一般の国民の常識の問題として、今
現実に
日本が非常な危険の前に立
つているのでありますから、自衛権があるのなら、自衛をする力も同時に持たなければ
意味をなさないということは、これは常識だと思うのであります。戦力という字は最近の言葉ですから、どういうか
はつきりしないけれども、併し戦力というものは、総理
大臣の言われているのは私はわかると思うのであります。そもそも私の解釈から言えば、国際戦争をするようなものは戦力であ
つて、国内の危険、それは直接或いは間接の危険を防止するのは戦力にはならんと、こういうふうに了解したのですが、これは
外務大臣にお尋ねしてもどうかと思いますが、そういたしますと、今MSAの
交渉をこれから
東京でおやりになるときに、軍というものと戦力というものは全然認めないという昨日の
お話であ
つて、会談をなされるとすぐ起
つて来る問題は、十一万の保安隊及びこれに対する経費が、二千億になんなんとしているのであるという場合に、これは全然軍ではない、戦力ではない、どれだけ殖えてもそうならないとい
つては、国民の常識としてはこれは納得されないと思うのであります。殊に
吉田・重光会談のときの表現が非常に抽象的であ
つて、よくわからなか
つたのですが、どうも予算
委員会の総理
大臣の御
意見を伺
つていると、我々が重光氏から聞いてお
つて了解したことと大変開きがあるのです、違うのです。でありまするから、昨日の
外務大臣の
お話で
はつきりして来たのですが、軍というものと戦力というものは
憲法に違反するから、
日本の今日の政府は作らない、それから私がさつき申上げましたのは、窮極においては三十万の兵隊を持つというようなことになりますと、たとえこれが今日十一万にしても、十八万にしても、それを軍ではない、戦力ではないということになると、私は
一般の人間の常識では受取れないと思うのです。ですからこれは非常に大事なことにな
つて来て、よその国、民主主義の国でも随分軍の機密に亙ることもどんどん
言つている。マーシヤル長官が、ヨーロツパには何箇師団を置くのだというようなことを聞かれたときに、とうとう思い切
つて六箇師団ということを
言つて、非常に問題にな
つておる。あそこまで言うのですから、
日本の政府も民主主義を守るということを眼目にしておいでになるのだから、もつと正直に
はつきりおつしや
つたほうがいいと思うのです。そこで今の、現に池田・ロバートソン会談の共同声明の文句と、昨日の
外務大臣の
お話は私は常識的に
考えて食い違
つて来ている、如何でございましよう。