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1953-11-28 第17回国会 衆議院 労働委員会人事委員会運輸委員会郵政委員会電気通信委員会連合審査会公聴会 第2号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十八年十一月二十八日(土曜日)     午前十時四十三分開議  出席委員  労働委員会    委員長 赤松  勇君    理事 鈴木 正文君 理事 持永 義夫君    理事 山花 秀雄君 理事 矢尾喜三郎君       池田  清君    黒澤 幸一君       多賀谷真稔君    井堀 繁雄君       竹谷源太郎君    山下 榮二君       中原 健次君  人事委員会    委員長 川島正次郎君    理事 赤城 宗徳君 理事 田中  好君    理事 永田 亮一君 理事 舘林三喜男君    理事 加賀田 進君 理事 受田 新吉君    理事 山口 好一君       田子 一民君    小山倉之助君       竹山祐太郎君    櫻井 奎夫君       池田 禎治君    長  正路君  運輸委員会    委員長 關内 正一君    理事 楯 兼次郎君 理事 川島 金次君       岡本 忠雄君    臼井 荘一君       山口丈太郎君    小林  進君       館  俊三君  郵政委員会    委員長 田中織之進君    理事 船越  弘君 理事 片島  港君    理事 吉田 賢一君       佐々木更三君    淺沼稻次郎君       中村 高一君  電気通信委員会    理事 松前 重義君       庄司 一郎君    上林與市郎君  出席公述人         慶応義塾大学教         授       峯村 光郎君         慶応義塾大学講         師       川田  壽君         朝日新聞論説委         員       江幡  清君         毎日書新聞論説         委員      井上縫三郎君         早稲田大学教授 野村 平爾君         慶応義塾大学教         授       藤林 敬三君  委員外出席者         労働委員会専門         員       浜口金一郎君     ――――――――――――― 本日の公聴会意見を聞いた事件  公共企業体等労働関係法第十六条第二項の規定  に基き、国会議決を求めるの件(印刷事業に  関する件)、公共企業体等労働関係法第十六条  第二項の規定に基き、国会議決を求めるの件  (専売公社に関する件)、公共企業体等労働関  係法第十六条第二項の規定に基き、国会議決  を求めるの件(造幣事業に関する件)、公共企  業体等労働関係法第十六条第二項の規定に基き、  国会議決を求めるの件(国有林野事業に関す  る件)、公共企業体等労働関係法第十六条第二  項の規定に基き、国会議決を求めるの件(ア  ルコール専売事業に関する件)、公共企業体等  労働関係法第十六条第二項の規定に基き、国会  の議決を求めるの件(国有鉄道に関する件)、  公共企業体等労働関係法第十六条第二項の規定  に基き、国会議決を求めるの件郵政事業に関  する件一及び公共企業体等労働関係法第十六条  第二項の規定に基き、国会議決を求めるの件  (電信電話公社に関する件)について     ―――――――――――――     〔赤松労働委員長委員長席に着く〕
  2. 赤松勇

    赤松委員長 これより前会に引続いて労働委員会人事委員会運輸委員会郵政委員会電気通信委員会連合審査会公聴会を開会いたします。  この際公述人各位に私より一言ごあいさつを申し上げます。公述人各位におかれましては本日は御多忙中のところを御出席を賜わりまして、ありがとうございました。ただいまより御意見を拝聴いたしまする公共企業体等労働関係法第十六条第二項の規定に基き、国会議決を、求めるの件(印刷事業に関する件)外七件につきましてはいわゆる仲裁裁定給与改訂問題として、広く世論の対象となつておるのでありますが、これはまた、官公庁百八十万職員並びにその家族にとりましては、死活的重大な問題であります。この際公述人各位におかれましては十分意を尽されまし腹臓なき御意見をお述べになつていただきたいと存じます。  本日の公聴会の議事の順序について申し上げますが、各公述人より意見をお述べになつていただき、ただちに質疑を行いまして、質疑が終りましたならばお引取りを願うことといたします。  それでは最初に慶応義塾大学教授峯村光郎公述人公述をお願いいたします。
  3. 峯村光郎

    峯村公述人 私は最近公労法に関するコメンタリーを書いて、すでに約束手形を出しておりますので、あるいは皆様のお目にとまつておるかと思いますが、ここで事あらためて、あそこで発表した意見と別な意見と申し上げるように、まだ私の研究はかわつておりません。というのは、公労法コメン夕リーにおいて発表した意見そのものが、今日私の考えている考え方でございます。  ただいま委員長から、今回の仲裁裁定をめぐる一般の問題について、何か意見感想を述べろという御指摘でございますが、一番問題になり得る点は、公共企業体等の各予算において、予算総則給与総額を決定しているというところに、今日の問題があるのではないかというふうに考えております。と申しますのは、公労法の十六条及び三十五条はあのような予算総則給与総額を決定し、それによつて一応縛るというようなこと、全然考慮していない規定なのであります。ですから、この予算上あるいは資金上可能という問題を考える場合に、簡単に予算総則できめた給与総額、これから予算上不可能だというような扱い法律の本来の精神ではない、こういうように考えなければならないと思います。ですから、予算支出の可能な場合というのは大体私は次の三つ考えられると思うわけです。  その第一は、労使間に結ばれた協定により資金支出が、それぞれ給与総額範囲内で行われ得る場合であります。このような場合にはその協定従つた給与支出が行われなければならないことは言うまでもございません。しかしながら、実際上は定められた給与総額範囲内に、このような余裕が存在するということはほとんどあり得ない問題でありますから、この場合は、実際上一応問題にならない。  ただ二番目の問題は、法律によつて給与総額変更可能として認められている場合であります。この場合は能率向上により収入予定より増加し、または経費予定より節減したときに、その収入増加額または経費節減額の一部分に相当する金額を、予算の定めるところにより特別の給与として支出する場合であります。この場合について、それぞれの組織法によつてはつきりと認められております。従つてこの場合、特別給与支払いが認められることになります。そうしてこれらの各組織法中の規定によつてそれぞれの公社予算及び特別会計予算中に、各組織法中の規定とほぼ同趣旨規定が置かれておることも御承知の通りだろうと思います。ただ、各公社及び特別会計予算においては、法が主管大臣承認を経てと規定しておるのに対して、主管大臣大蔵大臣と協議して定めることにより、主管大臣承認を経た場合、また日本専売公社に関しては、予算中に、前年度決算の結果、専売納付金の額が予定金額を越えた場合には、右の資金支出ができるのであります。すなわち給与総額変更を行い得る旨の規定があることに、注意しなければならないと思います。ここで収入増加というの、はつきりした収入増加があり、また経費節減とは、経費予定外余裕ができることで十分でありまして、必ずしも職員能率向上との間に明確な因果関係があることを必要としない。すなわち収入増加経費節減があれば、能率向上によるものと一応みなされ、その範囲内で協定に従わなければならないと思うのであります。またこの場合の支出を強制する協定は、必ずしも特別の給与という名目でなされている必要はないと思います。たとえばベースアツプ協定であつても、当該年度に右に述べた範囲内の支出履行が可能であるならば、その中で資金支出し、なお次年度からは予算作成義務づけられることになるわけであります。  ただこの点、あるいはあとで御質疑があろうかと思いますが、特に予算の定めるところにより特別の給与として出せるという文字解釈でございますが、この点予算の定めるところによりという意味は、予算上、いわゆる予算決定の当初においては見込まれなかつた特別の給与、すなわちスペシヤル給与支出という意味でございますから、何も特別の給与という形をとる必要はない、それは予算決定当初において見込まれなかつた年度内におけるべース・アツプという問題であつてもかまわないというふうにこの文言解釈すべきであろうと思います。  それから第三番目は、それぞれの予算中に、給与総額変更を可能として規定してある場合であります。もともと給与総額は、国会議決を経た予算において決定さるべきことが要求されていますから、予算中にその変更についての定めをするということも、もちろん適法かつ有効であります。それぞれの予算において給与総額変更を行い得るとされているのは大体次の二つの場合です。その一つ、それぞれの予算の基礎になつ給与準則を実施するため必要を生じた場合において、経費流用予備金の使用について給与総額変更主管大臣、国の経営する企業においてはもちろん大蔵大臣でありますが、主管大臣または大蔵大臣承認した場合、これが第一の場合であります第二の場合は、事業量増加により、その収入がそれぞれの予算予定した金額に比べて増加したときに、事業のため直接必要とする経費支出として給与総額変更主管大臣または大蔵大臣承認した場合であります。これらの場合には給与総額変更がなされ得るのでありまして、従つて給与総額を越えた資金支出が当然可能になるのであります。また日本専売公社に関しては、前に申し上げたように、前年度決算の結果、専売納付金の額が予定金額を越えた場合も同様であります。一の場合は、たとえば超過勤務、宿直、日直手当などが、給与準則従つた計算では給与総額を上まわるような場合などがこれに当るだろうと思います。また二の場合については先ほど述べました第二番目の場合とほとんど同様になろうと思います。  以上のように、予算資金支出が可能とされる場合で、資金支出内容とする協定が締結された場合には、以上述べたいずれかの方法によつて資金支出が可能であれば、支出可能な資金としてその支出義務を当然負うべきであります。この場合、資金支出に対して承認を与える権限を有する主管大臣または大蔵大臣は、その支出協定に基くものである以上、これは必ず承認しなければならない義務を負うものと解釈するのであります。  このように若干の場合には給与総額を越えた資金支出も可能であるのでありますが、前にも述べたように、給与総額予算中で確定し、これを原則としては動かさないものとして団体交渉の結果結ばれた協定履行を阻止するような制度に対しては、これは本来の公労法精神から考えても非常に疑問のあるところであります。以上述べたことは、仲裁の場合にもそのまま当てはまると思うのでございます。この点が第一でございます。  第二点は、今日まで問題になつておるところの十六条の第二項の問題であります。かりに一歩を譲つて給与総額を越えるような場合、予算上不可能というふうに今日の予算総則上は扱われるのでありますが、そう見たとしても、問題は十六条の規定にございますように、第二項で、前項の協定をしたときには、政府は、その締結後十日以内に事由を付し、これを国会に付議して所定行為を求めるという点でございますが、国会に付議すべきものは協定なり仲裁裁定なりを実施するために必要な補正予算案を付議すべきものなのであります。この点は、なるほど第二項には「これを」とありますが、これは当然この法文を解釈する場合には、論理解釈をしなければならないので、これを文字通り裁定なり協定を出すということは、本来法律上は意味はないことであります。というのは、協定当事者間において確定しておりますし、いわんや裁定の場合は御承知のように労調法三十四条の当事者間における協約と同一効力を持ちますし、裁定の場合は民事訴訟法第八百条に規定がございますように、仲裁の判断は当事者間において確定した裁判所の判決同一効力を持つというふうになつておりますので、すでに当事者間において確定した判決同一効力を持つものを国会に付議するということは、法律上は意味ないのであつて、むしろそういう確定した仲裁なり協定なりを実施するために必要な補正予算案が、まさに国会審議対象となり、国会審議権限に属することなのでありますから、当然補正予算案を付議し、その参考資料として事由を付して、なぜその補正予算案が付議されるに至つたかという理由の参考として協定なり仲裁なりを添付して出すという本来の意味なのでございますが、従来慣例上そういうように取扱われていないことは、はなはだ公労法立法精神を無視したやり方と私ども解釈するのであります。  三十五条の問題につきましては、今申し上げたように、最終的決定としてすでに当事者間において紛争が解決しておるのでございますが、ただ予算資金支出不可能な場合には国会所定行為すなわち国会補正予算案に対する承認があるまでは、その協定なり仲裁なりの履行が、履行としての資金支出が事実上さしとめられる、こう解釈しなければならないと思うのであります。ですから、もちろん支出がさしとめられている以上はその債権に基いて強制執行ができないことは言うまでもございません。かりに今度は国会で否決された場合にも、事実資金支払いという行為がさしとめられるということが確定しただけであつて裁定なり協定なりの効力は、それによつて一向影響を受くべきものではなくして、仲裁裁定に基く債権債務はそのまま存続する。従つて年度末に予算範囲内において万一履行が可能になつた場合には、当然その裁定なり協定なりの趣旨従つた履行がなされなければならないのでありますし、次年度においては予算作成に対して、十分その履行を可能にすべく、誠意をもつて予算作成義務があるというふうに思うのであります。  ただ、私の今日までの研究で、ちよつと明確に申し上げにくい点はでは、一体その債権債務は、いつまで残るかという問題でございます。国会で否決された、それがその年度末まで債権債務は残つておるという点は明確なのでございますが、次の次年度にわたつてもなお債権債務として残つておるのだろうかという点は、今後研究しなければならない問題だと思うのでありまして、今日までのところ、私は一応次年度予算作成に対してはその履行をなすべく、十分誠意をもつて予算編成上これを考慮し、これを組み込んで行かなければならぬというふうに考えて来たのですが、この考えに対して多少の疑問は、すでに一ぺん国会で否決したものをまた次の国会に出すということは、一事不再議の原理からいつてもおかしくはないか、あるいは労使関係というふうなものに、特に経済事情がかわらない限りは、やはり裁定判決同一効力を持つのだから、効力が存続して行くのじやないかという二つ意見があるのでありましてこの点今まではつきり考え抜く機会がなかつたのであります。しいて言えば、債権債務は残るというふうな考え方でありますが、では、いつまで続いて行くか、どこで打切るかという点に、今後研究すべき一つの問題がある。しかし一説には、すでに国会で否決されれば、それでもうなくなつてしまうという考え方をそのままとれないのは、会計年度の途中で否決されても、年度末に予算内で可能になれば、支払わなければならないのは当然なんですから、少くともその会計年度内債権債務として効力が存続して行く、事案支払いがさしとめられているというふうに考える以外に方法がないのではないかと考えるわけでございます。  最後に問題になりますのは、一体この問題は、公労法の本来の趣旨からいえば、結局予算資金上不可能な資金支出内容とした裁定の問題について、これの支出を一体どう扱うかという問題なのでございますから、私の考えを率直に申し上げれば、これは本来大蔵委員会の取扱うへき筋合いのもので、労働委員会本来の仕事ではない。おそらくこれは労働委員会は、そういうお見通しのもとに付託されたというような形で扱つていらつしやるのではないかと思いますが、法律本来の筋からいえば、補正予算案の問題なので、裁定協定内容は問題ではないというふうに、はつきり申し上げていいのではないかと考えるのでございます。  以上、簡単ながら、私の仲裁裁定についての感想意見を申し上げて、あと質疑にお答えしたいと思います。(拍手)
  4. 赤松勇

    赤松委員長 峯村公述人公述は終りました。峯村教授に対する御質問がございましたならばどうぞ。
  5. 楯兼次郎

    楯委員 簡単にお尋ねいたします。今裁定実施で問題になつておりますのは、いわゆる給与総額の項であります。政府の方としては、給与総額を上まわるから国会議決を求める、こういうことを常に言つておるわけでありますが、ただいま先生お話では、たとい給与総額を上まわつても、予算総則において流用をする場合にはさしつかえがない、こういうようなことでございますので、この点について、政府の常に声明をいたしておりますことが正当であるかどうか、もう一回お聞きしたいと思います。
  6. 峯村光郎

    峯村公述人 私の考えでは、先ほど申し上げましたように、公労法上問題になります点は、資金支出が可能という場合に、すでに法律給与総額変更可能として認めている場合と、給与総額変更を可能として規定している場合とがございます。本来ならば、この二つの場合には当然出さなければいけない。それをなお、予算総則で定めた給与総額を上まわるというようなわくをかけているのは――一体予算総則でああいうわくをかけるということは、全然公労法十六条、三十五条においては考えなかつたわけであります。あとでこういう措置を講じて来たのですから、そこに無理があるのじやないか。法本来の建前としては、少くとも今申し上げました給与総額変更可能として規定されている場合、変更可能として認められている場合には、当然支出可能な場合として取扱われなければならない、こういうふうに考えております。
  7. 楯兼次郎

    楯委員 それから、本日までにわれわれと政府質疑応答で明らかになつたことは、その給与総額を上まわつて支出をする場合は、いわゆる特別の給与である。要するに、臨時的の賞与というような形であるから、ベースアツプというようなものには適用しない、こういうようなことを盛んに言つているわけであります。その特別の給与の意義でありますけれども、私どもは、先生の今のお話と同じような解釈をいたしているわけでありますが、政府は、臨時的なものである、賞与的なものである、こういうことを盛んに強調いたしておりますので、この点について御意見を伺いたいと思います。
  8. 峯村光郎

    峯村公述人 その点は御指摘のように、日本国有鉄道法第四十四条の二項、日本専売公社法四十三条の二十一の二項、印刷局特別会計法十四条の二の第二項但書造幣局特別会計法三十六条の二の第二項但書国有林野事業特別会計法十七条の二の第二項、アルコール専売事業特別会計法十五条の二第二項但書郵政事業特別会計法四十一条の二の第二項但書日本電信電話公社法については、組織法上このような規定はございませんが、しかし予算総則第二十三条第二項に同様の趣旨がございます。それで予算の定めるところにより、特別の給与として支出する場合が可能として認められた場合――私は先ほど簡単に申し上げたのですが、予算の定めるところによりというのは、予算上特別の給与というのは、言いかえれば、予算総則によつて給与総額を定める当初において見込まなかつた特別な給与支出、こういう意味でございますから、特別給与というのは、何か賞与とか増産手当とかいうような特殊な限定する意味法律上はない、およそ予算作成当初に見込まなかつたスペシヤルな臨時に起つて来た予想外給与支出というふうに考えますので、もちろん今日のベースアツプは、予算作成当初においては考えなかつた特別な支出になるから、ベースアツプという形の支出もまたこの項目で明確に解釈ができる、またそういう意味にとるべきであるというふうに考えます。
  9. 楯兼次郎

    楯委員 それからいま一つどもわかりませんのは、増収になつて必要な経費支出する場合、主管大臣認定によつて流用が認められてさしつかえない、こういうことが言われております。増収の場合の必要な経費といいますと、人が非常に足らない、それで八をふやすということになりますと、人件費等いわゆる恒久的な給与というものが、その中に見込まれなくてはならない。しかも、これが給与総額を上まわつた場合には、主管大臣認定によつて流用さしつかえなし、こういうふうに解釈をいたしておるわけでありますが、それでよろしいかどうか。
  10. 峯村光郎

    峯村公述人 その点も、たとえば、二十八年度政府関係機関予算総則六条、八条第一項但書、十三条、十五条一項但書、二十二条、二十三条一項但書、これらは、もつぱら専売、国鉄、日本電信電話公社の分でございます。なお二十八年度特別会計予算総則八条、九条一項、五項、七項、十一項、十条、こういうものは、今御質疑にございましたように、その収入がそれぞれの予算予定した金額に比して増加したときには、事業のため直接必要とする経費支出として、いわゆる直接必要とする経費の中に増収のための人件費を含むということは当然だろうと思います。ですから、そういうふうに扱つた場合には、まさにこの予算総則給与総額変更法律規定している場合に該当するのであります。従つて質疑のような場合は、当然これによつて支出可能である、こういうふうに理解すべきものだろうと私は考えております。
  11. 楯兼次郎

    楯委員 そういたしますと、昨日もちよつとほかの先生にお尋ねしたのでありますが、十六条の予算上不可能という字句から受けるわれわれの感じというものは、いわゆる給与総額を上まわるから国会議決を求めなければならないという政府言い分と比べまして、非常に不適当であると言うか、違法の感じがするわけでございますが、もし給与総額を上まわるから主管大臣認定によつてやる場合もあるし、あるいは国会議決を求める場合もあると、私ども一歩譲りましても、そういたしますと、十六条の予算上不可能という字句の修正をすべきではないか。政府言い分が正当なりとするならば、そうしなければ、どうもつじつまが合わないように受取れるわけでありますが、給与総額を上まわるから国会議決を求めるという政府の態度と、予算上不可能という字句関連性について、少し御説明願いたいと思います。
  12. 峯村光郎

    峯村公述人 十六条の予算資金上文出不可能という場合は、私は立法論としては、あれでいいのじやないか。運用面において、予算総則なんという公労法が全然予想しない制度を各予算の中にとらせ、それで給与総額を決定させて、これが給与総額予算だという運用面が誤つておる。ああいう運用をやめれば、十六条の文言そのままでさしつかえない。むしろ運用上、公労法規定からはすつきりしないような無理なわくをかけて来ている。言いかえれば、給与総額予算中で確定して、これを原則として不動のものというふうな扱い方をして、それで団体交渉の結果結ばれた協定あるいは両者間に確定した判決としての効力を持つべき仲裁効力を阻止しようという、そういう運用の仕方が、法の精神を無視した運用じやないか。こういうふうに考えますので、十六条の「予算上」「資金上」の文字は、私はあつてしかるべきであり、およそ公社あるいは国の経営する企業においては、ああいう規定のようなことが起り得ることはそうふしぎではない、こういうふうに考えます。
  13. 楯兼次郎

    楯委員 それでは最後に一点御意見を伺うわけですが、そうしますと、どうしても給与総額というものを削除しなければ、いわゆる十六条の精神は生きて来ない、そういうふうに解釈いたしてさしつかえないですか。
  14. 峯村光郎

    峯村公述人 さようでございます。
  15. 中原健次

    ○中原委員 大体疑問の余地も残しておりませんが、この場合一、二点だけ伺つてみたいと思います。  ただいまの御説明でもわかりますように、政府が、いわば確定判決ともいうべきこの裁定の決定に対しまして、当然義務を行う責任が発生しておる、このように解しまするためには、今回――今までもそうでありましたが、仲裁裁定を受取りましたときに、政府が必ず出して参ります予算わくを越える云々によつて、何ら予算措置の具体的な方針を示さないで、そのまま投げ出して来るという態度が、やむを得ないものででもあるかのように考えられておる向きもあるのであります。従つて、それは国民の側から申しまして、一般の常識あるいは概念というものが、政府の申しますることはいつの場合でも妥当なことであつて、しかも正当なことであつて、それに抗議する方がいわば間違いを犯しておるのである、こういうふうに受取られがちのものであります。ことに、政府側に抗議をいたしますると、抗議をいたしまする側の者が、反国家的な、あるいは反国民的な動きをしておる、こういうふうに解されがちなのであります。それだけに、私は政府の当然行うべき義務については、かなり重大な責任が負わされてしかるべきだ、かように考えます。従つて具体的な予算措置を講じないでこのような議決を求めるの件を提出して来るという態度は、このままそれもいたし方がないというふうなことで過さるべきものか、それとももう少し何かこれに対して言うべきことがあるのではなかろうか、こういうふうに思うのでありますが、妙な質問になりましたけれども、教授のこれに対する御感想を承りたい。
  16. 峯村光郎

    峯村公述人 ただいまの御質問は、もつぱら十六条第二項の「政府は、その締結後十日以内に、事由を附しこれを国会に付議して、その承認を求めなければならない。」この法律の要求している措置を政府誠意をもつて行わない場合に、何らかの措置が講ぜられなければならないがどうかという御質疑でございます。この点は、従来非常に誤つて運用されておると思いますので、もう一ぺん、少し煩瑣でございますが、この二項の説明を簡単に申し上げてそれから意見を申し上げたいと思います。  付議しというのは、国会議決を求めるために予算案を国会へ提出することをいうのでございます。なおこの点について、本条第二項本文には「これを国会に付議して、」――「これを」というのは、協定をさしておるように見えるがどうかというように考え考え方もございます。文言上からすれば、協定そのものを国会に付議し、その承認を受けなければならないというように解されなくもないのでございますが、国会審議権は予算案についてであることは、もちろんのことであります。協定について国が審議する、裁定について国会審議するということは、法律上は意味のないことでございますから、国会に付議し、その承認を受けるべきものは、あくまでも予算案でなければならないと考えます。ところが従来政府は、協定だけを国会に付議して、あるいは裁定だけを国会に付議して、協定あるいは裁定内容履行するに必要な予算案を提出しなかつたのでございますが、これは従来の政府の態度が、十六条第二項の趣旨を曲解するもはなはだしいものであるといわなければならない。特に裁定について考えられますのは、御承知のようにわが国の公共企業体等職員についての仲裁裁定制度というものは、昭和二十三年七月二十二日のマツカーサーの覚書に基く昭和二十三年七月三十一日の政令二百一号によつて、スト権を剥奪したことに対する代償として認められた制度でございますので、もし当事者間における確定した判決としての仲裁裁定趣旨を実施するために法律が要求している態度を政府がとらないとするならば、一方でスト権を剥奪した代償としての仲裁制度趣旨政府みずからが守らないとするならば、その裁定または協定内容によつては、場合によつて職員側もまた禁止されたスト権が解除される、そう考えなければ、スト権禁止の代償として与えた仲裁制度というものの意味はまつたく没却されてしまう。この点は、政府が十分お考え願わなければならないのであつて、公益性、社会性、独占性を持つ公共企業体等が、いかにもスト権の行使に似通つたことをするというようなことを、世間ではとかく非難するのですが、そういう態度を挑発していること自体がどちら側にあるかということも、十分考えなければならない問題ではないか。従つて場合によつてはスト権の禁止は解除されるというふうに考えなければ、片手落ちになるというふうに考えるよりほかに、政府の不当労働行為の責任追究ということはちよつとここでは考えられませんので、そういうことが考えられるのではないかというふうに考えまして、御質問のお答えにかえたいと思います。
  17. 中原健次

    ○中原委員 非常によく理解できるような気がいたします。なおこの義務履行を非常にあいまいに、あるいは混乱に陥れる障害物としての予算総則給与総額わくでありますが、これはこの公労法が成立いたしました後に、いつのほどにか、と申しましては、国会側におる者としてはなはだ申訳ないのでありますが、このような総則のわくができて参つたのであります。従つてこれを構想し、かつこれを予算総則の中に割込ましめた、そういう操作をした政府則の意図だ、だんだん明らかに証明づけられて来つつあるかのように解するのであります。これは非常にひねくれた考え方にも受取れるかもしれませんけれども、特にこの裁定実施を期待しております労働者側から申しますと、もちろんはなはだ十分なことではあるのでありますが、不十分なりにも、一応三十五条で拘束をされるとなつておりますから、労働組合側はその拘束をそのままに受取りまして、その実施をともかく期待しておるのであります。しかるに、その立場から考えますと、予算総則あるいは給与総額というものがあらかじめきめられておる、しかもそういうわくがきめられてこれは簡単に動かせないというはめに陥れられますと、このような操作をやつた当時の発案者、あるいはその発案者の発案事項を取上げました政府側のそういう考え方に対して、おのずからすなおにこれを受取ることがきないようになつて来ると思うのであります。従つて、これははなはだ妙な言葉になりますけれども、いわば支払い義務を怠り、あるいは支払い義務を拒否するための措置であるというふうにさえ受取らざるを得ぬようなことになるのであります。そうなつて参りますと、労働者に対する一種の不当な行為として、このような措置がまた論議されてもよろしいのではないか、こういうことを思うのでありますが、この点についてはどのようにお感じになられましようか、一応承つておきたい。
  18. 峯村光郎

    峯村公述人 御質問というよりは、おそらく御意見を拝聴して、どう思うかという御発言のように拝聴したのでありますが、大体私も同様に考えます。というのは、予算総則給与総額というわくをかけて、なるべく予算上不可能だというふうな場合を多くするような一つの措置としてなされたという点は、結果から見て争いのないことだろうと思います。かりにそうだつたとしても、予算外の支出ならば、なぜそれを履行ずるために予算外の支出に該当するからといつて補正予算案なりあるいは追加予算案なりを国会に付議しないのかということ。しかも、予算案というものを付議しないで、何々の裁定に関する件というような形で、むしろこれを否定することが本来の目的なんだ、そういうふうにとりますと、かりに国会審議というものが、裁定なり協定なり協定なりの停止条件だ――まさか停止条件だとは私はとりません、私はそうは考えませんが、一歩譲つて停止条件だとしても、条件成就とおおむねこれがみなされ、当然支払わなければならない義務が出る。一歩譲つて停止条件説をとつても、そこまで考えられるのございますから、もしそういうわくを狭くしたら、狭くしただけではなくて、なぜこれを予算上の支出に該当する行為だとして国会補正予算案を付議し、国会所定行為を求めないのか、その誠実さに欠くるという点は、やはり非難されてしかるべきであるというふうに考えます。
  19. 赤松勇

  20. 多賀谷真稔

    ○多賀谷委員 先生公述を整理する意味において、御質問いたしたいと思うわけであります。それは専売公社は、昨年も数十億の余剰金を出しておりますし、仲裁裁定でも昨年同様の余剰金のあることを書いております。また電電公社は三十億の増収が期待できるということを書いておるわけであります。また印刷にいたしましても、九月分でもう予算通りの印刷は終つて、十月以降の印刷は増収分になつておるということを言つております。そういたしますと、これらの公社並びに現業におきましては、当然先生の言われる職員能率向上によつて増収ができておるのだから、特別の給与として支出しなければならないものである、かように考えるわけであります。でありますから、これは当然訴訟に訴えても、強制執行ができるものである。であるから、これは国会に付議すべきものでない。本来これは予算資金上可能なものであるから、すでに債権債務は確定し、当事者は拘束を受けておる。そうして行政官庁の主管大臣承認というのは当然義務づけられたものであるから、国会に付議すべきものでない、こういうように考えておりますが、その点をまず一点お尋ねいたしたい。  続いて、国鉄のごとく、現行の予算では若干財源がなくて、すぐ支出をすべきものであるとは考えられない。予算上の変更を見なければならないものに、ついては、当然これは裁定そのものを付議すべきでなくて、予算案を出して国会審議を願うというのが当然である。先生公述から要約いたしますと、かようにわれわれは感じたのでありますが、それでよろしいかどうか、お尋ねいたしたい。
  21. 峯村光郎

    峯村公述人 私の申し上げた趣旨をそのように御理解になられて、少し敷衍なさつたわけですが、結果においては、まつたくそれでけつこうだと思います。第一点、第二点とも、同様に考えております。
  22. 多賀谷真稔

    ○多賀谷委員 政府考えております給与総額についてでありますが、もし十六条の予算上という問題を、給与総額を越える分は全部予算上不可能であろ、かように政府考えたといたしますと、現在公労法は、団体交渉で解決するというのが本則でございます。そういたしますと、実際上団体交渉の余地はないわけでございます。公労法は憲法違反であると言われておりますが、ますます憲法意反が濃厚になつて来た、私はかように考えますが、先生はいかにお考えになるか、お尋ねいたしたい。
  23. 峯村光郎

    峯村公述人 公共企業体と公社、すなわち国の経営する企業、三公社五現業の予算総則給与総額を決定し、しかも当事者間に許された公労法八条の範囲内における労働条件その他労働者の処遇関係についての団交の結果を否定するような措置を講じてあることは、まさに公労法趣旨に反するのみならず、おつしやる通り憲法二十八条の団交権の否定であると考えてもいいと思うのであります。いわゆる予算についての措置、これを各予算について予算総則給与総額をきめろというようなことで、結果においては、より大きな憲法上保障された基本権すら否定する結果になるという点において、まさにその措置は公労法の違反でもあり、いわんや憲法違反になることも御指摘の通りだと思います。
  24. 多賀谷真稔

    ○多賀谷委員 昨日の公聴会でも問題になつておりましたが、私たちは、当然裁定があれば債権債務は発生すると考えておるわけであります。しかし政府は、予算上不可能な支出の場合は、国会承認があつて初めて発生するのであつて、これはまさに国会承認は形成権だと称しておるのであります。そういたしますとあるいは参議院と衆議院との意見が違い、調節ができない、両院議員総会をまたれないというようなことになる、あるいはまた会期が切れまして、審議未了となる。ともに審議未了でございますが、そういつた場合に、政府は後来これは承認しなかつたものである、こういう取扱いをしているわけであります。そうすると、われわれは一歩譲りまして、政府が形成権であると称しておりますその形成権と認めましても、これはきわめておかしいことでざごいまして、審議未了になれば、何もどちらの意思表示もしてないのでありますから、当然また次の国会に提出しなければならない義務を生じておる、かように考えておりますが、先生の御意見を承りたいと思います。
  25. 峯村光郎

    峯村公述人 形成権説は、私は採用いたしませんので、私は協定が有効に成立し、裁定が有効になされた場合には、まさに裁定労調法三十四条の団体協約と同一効力を持つて将来当事者を拘束いたします、仲裁裁定については、民事訴訟法八百条の当事者間において確定した判決になりますので、御質問のように、債権債務はそれで確定するわけでございますので、もしその債権債務の確定した政府側の債務を履行するためにとられた補正予算案が、国会によつて否認された場合、これは事実上支払いが不可能で、事実さしとめられるだけであつて債権債務は依然として残ることは先ほど申し上げた通りであります。ところが、両院のうち一院が否決した、あるいは一院がこれを可決した、他の院はこれを否決したという場合には、国会の意思は決定しなかつたのでございますから、御指摘のように、この問題は当然次の国会に付議さるべきものである点も、御質問の趣旨と私は同様に考えております。
  26. 赤松勇

    赤松委員長 他にございませんか。
  27. 館俊三

    ○館委員 ちよつとお伺いいたします。素朴な意味でお尋ねをしたいのですが、たとえば、労働委員会一つの決定を出されますと、この決定は、労使双方の中にきめられておるいろいろの、法律ではございませんが、規約というものがございます、その規約のいかんにかかわらず、これを引受ける、あるいは引受けてもいい、規約にこうあるから引受けられないというものではない。そこで、公労法が設置された時分の労働者の考え方は、そういうものを考えておつたのであります。ところが、公労法という法律で決定されましても、労働委員会のような場合と違いまして、使用者側の持つておる、諸規約といつてはおかしいですが、諸規約を制約する力を持つておらない。労働者側の分については、これは法律でございませんから、幾らも制約できる、こういうところに非常な公労法の価値のない点が、まず根本的に私はあると思うのですが、そういう点はどう考えてよろしいのですか。それで、こういう紛争の調停をするため、あるいは決定をするための法律というものは、私の規約であろうと、あるいは公の法律であろうと、それに優先してこれを決定する力が根本的になされていない以上は、この公労法は建前から履行が不可能であるという形に最初のところから置かれておるものである、私はそう考えるのですが、先生はどういうふうにお考えでしようか。
  28. 峯村光郎

    峯村公述人 御指摘のように、たとえば公社の場合などは、国の経営する企業公社制度をとつて独立性が認められ、特に独立採算制がとられておるのでございますから、給与の問題についても、本来ならばまつたく独自の地位が認められてしかるべきものでございますが、資本全額国庫出資というような公法人である公社制度企業においては、やはりある程度の資金あるいは予算というふうな問題について、国会議決によらなければならないというのは、企業公共企業であるという点から、その程度のことは認められるのでございますが、事労働関係についての協定であるとか、あるいは仲裁であるとかいうものは、御承知のように協定の場合には当事者が納得ずくで定めたものでございますし、裁定の場合では判決としての効力を持つのでございますから、その点はやはり判決趣旨仲裁裁定趣旨に沿つた態度は、政府もとらなければならないのではないか。ただ、政府がその趣旨に沿つて履行すべく、誠意をもつて努力したけれども国会審議権を持つ予算上について、これが支出まかりならぬという場合には、やむを得ないかと思うのでありますが、そこまでは当事者法律と同じように法律として拘束されておるということは、民間企業の場合とかわりはないのではないかと思います。ただ、政府がそういう態度をおとりにならない場合が、御指摘のように多々あるのでございまして、一応仲裁裁定によつて拘束されるという点にはかわりはないのであります。ただ、では仲裁裁定通り全部金を出さなければいけないかというと、法律の定めておる限り、出せる場合には全部出す、出せない場合には、国会補正予算案を出して、国会承認を得たら出せる。出せるまでは事実お金の出し方がさしとめられておるにすぎないわけでございます。ですから、一応そういうふうに見れば、公労法趣旨を守つただけでも、一応は協定なり仲裁なりの意味はあるのでありますが、今度は公労法全体の立場から申しますならば、私はこれはふしぎな法律で、まさに二十三年七月二十二日の、占領行政下における行政的異例措置として、端的に言えば、二一ストに対する責任追究、国鉄と全逓を引き離すという政策のもとになされたもので、独立国家になると同時に改廃さるべき趣旨のものであつたのでありまして比較労働法学上から申しましても、世界にわが国のような公労法規定を持つている国はごくまれであります。東洋にはございません。西洋といいますか、アフリカに少しあります。南ア連邦にあります。それから刑務所はからつぽで、おまわりさんは国務大臣以上の給与をもらつているスエーデンにあります。それから非常に平和な国といわれるオランダにございます。世界中でこのくらいなものでございます。あとはないのでてございますから、では、これがなかつたらどうするかというと、私は公益性、社会性、独占性の場合において、私鉄の場合と国鉄の場合とは、ニユアンスの相違だけであるから、労調法八条の公益事業として扱つてよろしいし、それが国民経済の運営を阻害する、個人の日常生活を危機に陥れる場合には、内閣総理大臣が政治的責任をもつて三十五条の緊急調整の決定をして、五十日ストツプさしてその間にあつせん調停という方法でやり得るのでございますから、そういう制度をとれば、やや国際的水準に近づくというふうに考えるのですが、公労法そのものはまつたく御指摘のような占領行政下の異例的措置として、占領行政の落し子である。こんな落し子をかわいがつて育てる気持、ちよつと私には日本人としりてございません。
  29. 館俊三

    ○館委員 まつたく不思議な存在であるということで、端的なお話は、その通りであると私は思うのです。そこで、この間連合審査会で、労働大臣に、占領法規というものは、いろいろ行き過ぎや間違いがあるということを政府が言われるのだが、政府の方では、自分たちの保守戦線に都合のいいものだけを改廃する。しかし基本的に、占領行政下においての諸法律で、いろいろそぐわないものがあるとするならば、この公労法はまさしくそれなのだから、これを撤廃する気持はないかということを聞いてみましたところ、これを撤廃する気持はないということを言われておる。これは当然向うの立場としてそう言うことを、私は予想して言つておるのでありますが、そういうことなのであります。そこで、今先生お話のように、私の話はもつともであるが、しかし全額国有財産でやつておられる公企体であるから、十六条で国会に付議するくらいは当然であるというお話です。その点は、私も譲歩してよろしいと思います。それにもかかわらず、公労法日本国有鉄道法が、二十三年の暮れに、占領行政の圧迫のために、むちやくちやに国会を通過させられた。その当時における日本国有鉄道法には今ある四十四条の規定というものはなかつた。その規定がないままに第一回の調停委員会、仲裁委員会が開かれておつた。そのとたんに四十四条が加味せられて来て、予算上上まわるものは支給してならないと、一方の当事者法律で縛り上げてしまつたということは非常に悪意に満ちた立法措置であろうと私は思うのです。この点を考えてみましても、公労法政府がすなおにやろうとする気持がない現われであると思うのですが、そういうことはどうですか。私のお聞きしたいことは、十六条まではよかつたが、四十四条を加えたことによつて、どれだけの拘束力を政府が持つたかという点についてお聞きしておきたいのであります。
  30. 峯村光郎

    峯村公述人 予算の中に予算総則給与総額を定めて、その総額を越えればすべて予算支出不可能だというならば、すべての公共企業体等予算給与総額の中には、べース・アツプを予想したものは全然ございませんから、あらゆる場合におよそ労働条件、給与に関する団交の余地はないということになりますので、公労法精神も死んでしまいます。その点では、御指摘の通りで、むしろ予算総則給与総額を定めて、これを越えるものは予算上不可能だというような取扱いは、公労法精神とも背馳するものであり、国鉄法その他一連の各公社規定にああいうものを盛り込んだことは非常に誤つた考え方で、公労法それ自体が、労働法の軌道から考えれば、先ほど申し上げたように、多分に異例的措置で、わが国の憲法上認められないような、いわゆる最高司令官の権限に基いて制定を強要されたものでありますから、その上に、さらに公労法ですら考えられないような措置を、国鉄法四十四条第二項というもので縛つてしまうということは、非常におかしなことだと思うのでありまして、御指摘の点同様に考えます。
  31. 館俊三

    ○館委員 そこで予算総則二十三条の問題は、先生からさつきお話があつたのですが、この点についてこの間の連合審査会で、特別の給与というものがあるから、この特別の給与という言葉をもつて、このベースアツプあるいは年末手当の分についての措置ができるのではないかという質問をいたしましたところが、これは臨時的な、何か水害とかそういうものがあつたときのためのものであるこういうふうに逃げておつたのですが、今先生お話を聞いてみて、こう思つた。法律を読む際に、しろうとは学校で習つた国文の解釈のような文章の続き方でいつも法律を読むのですが、てにをはを通して、これはまくら言葉であるとか、これは主格であるとか、こういう言葉で解釈しておつたのでは、いつも法律制定者から、しろうとはだまされるような気がするのであります。今先生お話のように、この順序で文章を運んで来れば、特別の給与というものは、最初予算総額で決定しておらなかつた、予測していなかつたものが起きた場合に、それが特別の給与である、こういう解釈でありますが、私も今言うたような主格、説明語から考えてそういうように思われる。私はそのときの質問で伺つたのです。それでは法律的に考えて特別の給与とはどういうものであるかということについて、政府わくがあるのか、説明があるのかないのかということを聞いたところが、政府は特別の給与というものについて聞かれると、いつも自分たちの都合のいい形でこの言葉を利用して返事をするのではないかという疑念に襲われるので、絶えず法律を読む際に、その当事者政府である場合には、政府の都合のいい文章の解釈ができるようなあやふやなものが私は法律だと思つておるのですが、権力を握つた者は、いかにりつぱな法律があつても、適当に解釈ができる、こういうことで国民は法律に対する信頼を根本的に失つて来ている、そういうことの考え方はいかがなものですか。
  32. 峯村光郎

    峯村公述人 予算の定めるところにより特別の給与ということを、もし御指摘のように政府解釈しているとすれば、どういう場合を特別の給与として扱うかということを予算が定めていなければいかぬということに、文字通りにそういう読み方があるとすれば、なると思います。しかし今日までのところ、水害の場合の水害手当だとか、あるいはどういう場合の年末の手当等をもつて特別の給与とするということは聞いておりませんので、やはり予算上定めるところというのは、先ほど申し上げた通り、その予算給与総額決定の当初においては見込まなかつた、特別に起つて来た給与支出というふうに読まなければならない。  実は議員各位を前にしてそういうことを申し上げると、非常におこがましいのですが、私ども法律解釈する人間は、法の解釈は、常に立法の立場より、より聡明でなければならないというふうに考えております。かりに牛馬つなぐべからずとなつた場合、これは馬と牛だけだ、ぶたときりんはないでもいいというふうには解釈いたしませんで、およそ牛、馬その他のたぐいは含むのであります。車馬通行を禁ずとあつた場合、なるほど乳母車も市であるけれども、これは通つてもいい。お母さんだけ通つて乳母車を置いて行つていいということではない。その点は御指摘の通りでありまして、それは法律の目的論的解釈、すなわちこの法律の主たる目的は一体どこにあるのかという点から解釈して参りませんと、法文は死んでしまいますので、これは世界の各国の共通の言葉として、法解釈の立場は立法よりも常に聡明でなければならない。今度はむしろ逆に、立法府で法の適用をお考えくださる場合に、そういうお考えをおとりくだされば、当然に今御指摘のような結論が出て来るのはごもつともだと思います。
  33. 館俊三

    ○館委員 そこで、多数を占めておりますところの政党、権力を握つておる政党は、日本の国の安全のために、あるいはまた人類の進歩のために、今先生のいわれた、きりんをつないでもよろしいという考え方を持たれるということは、今日の危機に臨んだ日本の運命をになつておる者は、慎まなければならないことだと私は考える。権力を握つた政党内閣の立場としては、非常に聞いてもらいたいことではないかと私は考えます。そういうことはおきまして、私こういうことを一つお尋ねしたいのです。  十六条で、予算資金上不可能な場合ということがありますが、この予算資金上不可能な場合ということを、公労法では一方の当事者である総裁が判断するのでありますか、政府が判断するのでありましようか。もちろん総裁が判断するのであろうと思いますが、これはだれが考え予算資金上不可能であるとするのでしようか。
  34. 峯村光郎

    峯村公述人 予算資金上不可能な資金支出内容とする裁定または協定というものは、いわゆるだれが見ても予算資金上不可能な内容を持つている、政府が見ようと、公共企業体等が見ようと、職員側が見ようと、第三者である私どもが見ようと、不可能なという意味は客観的に一定しておる、見方によつて、可能になつたり、不可能になつたりすることはないと思います。ですから、その場合、やはり法律趣旨は客観的に一定しておりますので、すなおに法律解釈すれば、政府が不可能と言うことは、職員にも不可能と見え、職員が可能と言うことが正しければ、政府もまた正しく見れば可能なのであります。また第三者の私どもが見ても可能なのであります。ですから、ここで十六条の場合には、そういう客観的に見て不可能な内容を持つているものによつて政府は直接金銭の支出義務づけられない。だから、今度はそういう政府義務づけられないようなものは、国会によつて所定行為があるまでは金銭の支出はさしとめられるのだ。政府裁定を実施すべきものと考えたなら、ただちに補正予算国会に出す、こういうことになりますので、その補正予算案を出す。これは政府が一応は考えても、それが不可能だから、こういう予算支出のために八十億いりますといつて、今回の国鉄裁定の場合のごとき、八十億の補正予算を組んで出すべきものですが、ただだれが判断しても、それが可能、不可能という点はかわつて来ない。もしこれがかわれば、――家主が見たら支払い期日が来ない、借家人が見たら支払い期日が来ている、こういうようなことはあり得ないことですから、どちらが見ても、法律は客観的に見て一定した内容を持つておる、こういうふうに考えなければならないと思います。
  35. 館俊三

    ○館委員 そこで、公労法当事者裁定によつて縛られるが、その時分に、一方の当事者は、予算資金上不可能でないといろいろ計算をして考えている。総裁の方は、まず予算資金上不可能であるということで、予算をつくつて運輸大臣に出している。そうすると、まず第一着に予算資金上不可能であると言つていることが、現実の問題としてある。これは総裁がまず認定をして、その次の段階に運輸大臣が認定するならば認定するという運輸大臣の段階がある、その次に内閣の認定があつて国会に出て来るわけなんです。ところが、ここにかけてみると、やはり予算資金上不可能であるかないかということの論議が国会内で行われておるわけです。従つて予算資金上不可能であるということは、現実の問題についてはまだ異論が存在しておるということであろうと私は考えておるのである。そこで、そういう問題はおきまして、先生はこの国会に提出された問題について、予算上と資金上という二つの言葉が羅列されて十六条の文句そのままで出ておるのですが、予算上不可能であるという点と、資金上不可能であるという点と、どちらが一体主になつて提出されておるかということについて、外からごらんになつてどうお考えになりましようか。
  36. 峯村光郎

    峯村公述人 これは結局予算上という言葉と資金上という言葉を、どう解釈するかという問題ですが、やはりごく平易に考えて、予算上というのは、公共企業体等の既定予算の上という意味解釈したらよかろうと思います。ですから、公共企業体等予算については、さつき申し上げました給与総額変更可能と認められる場合として規定されている。そういう場合には、予算不可能になつて参る。それから資金上というのは、財源としての資金の面から見て、予算はあるけれども、たまたま資金はないということはあり得る。もう一箇月待てば資金は持てるということはあり得るわけですから、おそらく今回の場合は、予算上不可能という点に力点が置かれているのじやございませんでしようか。そう言うと、私ども大蔵省のことはわかりませんので、あるいは資金がないのだというふうなことを言われるかもしれませんが、さつきも多賀谷さんから御指摘がありましたように、専売にしても、全逓にしても、印刷にしても、プラスになつているのですから、どちらを見ても資金はあるわけです。ですからそれを、予算上を予算総則給与額にひつかけて、予算上不可能なのだというところに重点が置かれてあるように、実は考えております。
  37. 赤松勇

    赤松委員長 そでれは峯村教授に対する質疑はこれで終りたいと思いますが、御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  38. 赤松勇

    赤松委員長 ではさよう決定いたします。どうも御苦労さんでした。  引続き慶応義塾大学の川田寿公述人より公述をいただきたいと思います。
  39. 川田壽

    ○川田公述人 川田であります。本日、今回の仲裁に関しまして皆様の参考になる意見を述べろと言われましたですが、私は峯村教授が述べられたような法律論より、むしろ労働関係の問題を専門にやつておりますので、労働関係一般からこの問題をどう見るかという点を、述べさせていただきます。  第一に、今回の仲裁内容でありますが、調停案を双方当事者がけつて仲裁に入りましたが、その調停案とまつたく同じでありますから、公労法という法的の制約がなければ、労働組合側としましては、当然非常に不満足な裁定だと思います。そればかりではなしに、調停案よりもはるかに実施期日を遅らせているという点から見ましても、公企体の労働者諸君は、たとい賃上げがこのまま通つたにしましても、非常に損をして行くことになります。これらの関係におきまして、外国などの例を見ますと、具体的に申し上げませんでも御承知と存じますが、遡及支給という場合、争いが起つたその時というふうに解釈されておりましてむしろ労働者の生活内容が、社会経済の関係から苦しくなつて来るという場合に、なるべくその苦しみを少くしようというような建前ができているのでありますが、わが国の場合は、どうしたことでしようか、むしろ労働者は苦しめておいた方がいいというようなふうに、われわれ第三者が見ましても、考えておられる方々が非常に多いというようにしか考えられないのであります。裁定内容は、さすがに長いこと大蔵省の官僚の立場にあられて、しかも給与面において非常に苦労されて、戦後の労働攻勢のはなやかな時代には矢面に立たされて、支払い側の当事者であつた方だけありまして、支払い可能性というような点につきまして、慎重に考えておられ、むしろ非常に当局側の見解を考慮しておられるというように、私どもには感得されるのであります。これに対して労働組合はむしろ当初の昨年から比べますと非常に控え目な、要求を非常に割引されても、裁定実施というようなことでお争いになつておる。はなはだ日本の労働者諸君は弱体で、自分たちの組織力からして、このくらいのことしかできないのかというような点から、私は非常に控え目な労働者諸君のこの裁定内容に対する態度に対しては、むしろ同情する立場であります。  しからば、この裁定内容自体が、そういうように、むしろ支払い者にとつては非常に合理的であり寛大である内容に対して、しかもなお、この裁定の実施問題が非常に足踏みされている。この点は、先ほど峯村教授が相当法的な立場から明快な解釈を下されておりましたあの点でありますが、やはり公共企業体に関する労働関係の法律が、非常に曲解される、あるいは悪用されているんではないかというように考えられる節が多いのであります。少くとも近代社会におきまして、労働者が、たとい官業の労働者でありましても、特に現業労働者に対して、労働者の最も基本的な権利の行使禁止という場合に、これに対応して仲裁制度が設けられたならば、仲裁の決定は裁判所の判決にひとしい権威を持つたものでなけれならない。峯村教授指摘された点、私もまつたく同感なんであります。なぜかと申しますれば、こういうことによりまして労働者は非常な自己主張の達成をゆがめられるのでありまして、それが公共の福祉、あるいは国家の直営の事業、いろいろな名義はありましようが、このような経済関係におきまして、今言つたような理由をもつてしで労働者の基本的な権利、あるいは生活上の重大問題が自由に決定されない、あるいは自由に決定することを著しく拘束される、こういうことに対する代償として考えてみた場合、これは国民全体から見ましても、この代償を労働者が許容するということ、これは非常に労働者側から見たら寛大な態度であります。国民の交通その他一切の生活の日常利益が非常に推進されて行くわけでありますから、国民は少くとも今言つたような代替物によつて労使の関係が解決されることに対しては労働者諸君にはその寛大な精神に対して同情し、なるべくそういうような禁止条項なしに、というよりも、より有利な条件が与えられることを希望するのが、これが常識的な考えではないかと思うのであります。  ところが、このたびの裁定内容、先ほど申したような私の考えでありますが、しかもなお、あの裁定内容から見ますれば、実現が非常に容易である。しかもなお、ごくわずかの予算上の措置変更、あるいは困難な問題というような点だけが技術的に取上げられて、公労法上の二つの食い違いを逆用してことさらにいやがらせをやるような態度が、われわれには理解ができないのであります。もし労働者諸君にストライキ権があつたとしたならば、事態はどうであつたろうかということを考えてごらんになられるならば、二・一のときに、ストライキはできなかつたが、その後引続き労働者の生活にしわ寄せされた現在の動き、このしわ寄せは、あまりに大きくなつて来ておりますので、今回の裁定以前の裁定におきましても、同様な態度に対して当然あのくらいの解決では満足できない大きなストライキが起つていたのではなかつたかと考えられるのであります。こういうことを考えました場合に、この裁定制度というものに対する国民的な利害の立場から権威づけをする、そうして裁定の実施のために政府当局が全力をささげるというのが、近代社会にあつては非常に常識的なものではないかと私は考えます。公労法上の問題点が、技術的にいたずらに論議されるということに対しては、まつたく理解することが困難であります。  ただこういうように法を技術的に運営して、労働者に対して常に経済的な苦しみのしわ寄せを与えるということを続けて行くならば、どういうことになるだろうかということを考えてみたいと思うのでありますが、諸外国の例を見ましても、無理な法律がいつまでも無理を通して行きますならば、必ずその法律は適用される面から無視されて行くであろう。日本の、特に公企体の労働者諸君は、先ほども申し上げましたように、非常に遵法的でありまして、無理であろうが、一応法律わくの中でということを、常々心がけられておるようでありますが、もし指導者がこういうようなことばかりやつておりましたら、せつかく非常に大きな出血をもつて切りかえられたああいうような労働組合の態勢がくずれて来るというようなことも、特に保守的なお考えをお持ちになつている議員の諸君に、考えていただきたいと思うのであります。でありますから、こういうような事態に対して、非常に穏健であり、冷静であられる中労委の会長でさえも、公企体の労働者にはストライキ権を与えらるべきだというような言を、最近発したかに伺つております。あの人をしてそういうような言葉を発せさせるということを、私ども臆測して考えたのでありますが、これはこういうような労使の平和的な関係を促進することに対してまつこうから反対した逆コースをとつている現在の日本の政治的な責任のあり方というものに対して、非常にあきれ返つた末の言葉ではないかと考えられるのでありまして、これが第三者から言われるだけならいいでありましようが、こういうことをあまり繰返しておりますと、いつかそう長くない将来において、労働者諸君は法律を無視した争議行為に突入するのではないか。その場合においてさえも、その責任はだれの手にあるか、平和的な労資関係を調節するこの機構の権限を無視した責任者でなければならない、私はこう考えるのであります。これは諸外国の幾多の事例を見ましても、労働者の動きというものがそういう必然の道をたどつているからなのであります。今次の裁定に関しましての一般的なことは、そのくらいにいたしまして、議員の諸君などは、地方に参りましているいろいろなことを申しておられますので、それらのりくつに関して、私の見解を述べさせていただきます。  第一には、国の金をもらつている労働者が、賃上げ闘争ばかりやる、けしからぬではないかという議論を、二、三の政党の代議士諸君が盛んに申しておられました。これは、今次の仲裁と関連して、国内の特に生活に苦しい人たちの中から、非常な反労働者的な輿論をまき上げようとしている意図であるのではないかと思うのでありますが、もしこういう議論が通るのでありましたならば、しかもその人たちが資本主義を支持する人たちであるとするならば、これは非常な錯覚である、矛盾であると思うであります。社会主義者がそう言うのであれば、一応りくつは立つと思いますが、資本主義支持政党の諸君がそういうことを申されるとなれば、聞き捨てならないことであります。われわれといたしましても、国民が、特にまじめに働く労働者が、十分に安定した生活ができないのに、なぜ輸入の自動車に乗つて歩く人たちが大手を振つて保護されておるか、そういう問題は無数に見かけるのであります。農村に行つたら電力が少くて、あるいは燃料が足りなくて、脱穀さえできないという場合に、都市の繁華街に来れば、ネオンサインがさんらんとしておる。私ニユーヨークにおりましたときよりも、より明るい、はなぞれしいネオン・サインが日本にあるというような事態を考えてみますと、公企体の労働者は、非常に謙虚な、内輪の裁定で満足しで行こうとして、その実施を非常に穏やかな形で懇願している。これは国のことを考えない、あるいは国民のことを考えないという議論にはまつたくならないのでありまして、もしこういう議論を貫徹させようとするならば、国民のすべてが同じような貧困の生活を甘受するために、まず身をもつて実践されない限り、りくつが立たないということであります。  それからもう一つは、企業は赤字だというようなことでありますが、先ほどある議員が申されましたし、また裁定の理由書にも明瞭にあり、委員長の方からも説明があつたのでありますが、これとても二、三の企業以外は赤字というものはない。赤字というようなことは、最も問題とされるのは国鉄でありますが、その赤字の多くの原因をわれわれが見て行きますと、アメリカでポーク・バーレルといわれる、いわゆる日本の議員諸君のおみやげとしてのいろいろな財政支出を伴うような、企業の独立採算と背馳するような支出が、国鉄事業と結びついて非常に多く行われておる。こういうようなことをまずはつきりと整理されての上であるならば、今言つた議論も筋が通るかと思いますが、国民が最も信頼し、あるいは少くとも信頼しなければならない議員の諸君がこういうようなことをやつておりながら、その口から、赤字だから国鉄の労働者はそんなふうに多くの給与をクレイムする権利がないというような議論は、まつたく成り立たぬのではないかと思うのであります。  その次に、これは国会とはまつたく関係がないと思うのでありますが、問題になるのは、民間企業家の非常に戦闘的な分子の方々から申されておると新聞に報道されておる件であります。政府は非常に弱虫であるから、あんなことでもたもたしておる。あんな裁定など問題にする必要はない、こういう議論であります。この人たちは、個々の企業における労使関係という問題は当然重視されますから、公務員の民間よりもはるかに低い賃上げの実施ということは、自分たちの企業における賃金問題と当然からんで来ることをおそれておることだと思うのでありますが、ここまで民間の資本が国会を無視し、あるいは合理的だとされておる労使調整制度裁定を無視して、自分の企業内の労使関係を有利に導くために、公企体労働者諸君全体の死活問題を非常に不利に導こうとして国会あるいは政府を鞭撻するやり方、これは公益をまつたく無視した行き方と思うのでありまして、公益関係を非常に重視されておる公企体労働関係法とも、まつたく矛盾したことではあると思いますが、新聞の論調などを見ますと、第三者のとかくの良心的な見解の表明などよりは、今言つたような資本陣営の中の戦闘的なチヤンピオンの言論が、非常に効果を発するのではないかというように伝えられておるのでありまして、この点は、国会議員の皆様におきましては、特に慎重にあつてほしいと考えるのであります。  また資本陣営からの議論といたしまして、公企体あたりの労働者の賃上げというものが、ただでさえ物価が上昇しかけて経済矛盾が大きくなつておる際に、一層のインフレーシヨンを誘発して来るというような議論が相当盛んであります。そしてわれわれのように経済学の端くれを勉強しておる者たちは、こういう議論に非常に幻惑されておるのでありますが、少くとも賃金問題と四つに組んで、しかもアメリカ資本主義制度を支持しようとしておるようなアメリカ経済学者サミユエルソンにいたしましても、あるいはアメリカの法学者グレゴリーのような人にいたしましても、賃金と物価のいたちごつこというような場合には、特殊な例外を除いては、物価は常に先行して、そうして労働者をして賃金値上げを必要ならしめるように、そのしわ寄せによつて賃上げの運動が起つて来るという事実は、ごく二、三の例外を除いては、全的に認めなければならない、こういうふうに言つておる点からしましても、現実の動きを見ましても、最近の物価が公企体の給与がまだ上げられないにもかかわらず、非常に上昇して来ております。あるいは自然的の原因もあるでしようが、これはまつたく公企体の労働者諸君の手取り賃金引上げということとは関係のない現実でありまして、われわれは、むしろこういうようなインフレーシヨンの原因を常識的に見ても、御了承いただいているような政治の一般的な方向ということに認めなければならないのではないかと思うのであります。こういうようにして見ますと、たかだか八十億の予算支出、これも仲裁の理由によりますと、実額八十億にならないようであります。そのわずかの金額の問題で、インフレーシヨンを誘発するからという理由で反対には、まつたくならない。確実な反対論拠にはなつていない。むしろインフレーシヨンの現在の状況を締めて行くという関係では、もう少し根本的な戦力のない軍隊というような問題の方が、大きな問題ではないかというように考えるのであります。同時に、国民的な利害関係、安定関係というような点ともからんで、インフレーシヨンを引起すから、公企体の賃金を引上げては社会政策上いけないという議論は、少くとも現在の日本にとつては当てはまらないというように私は考えるのであります。  以上のようにいたしまして、論議すれば尽きないことでありますが、結論いたしますると、少くとも近代的な労使関係として、公企体の労働者対使用者の関係は、たとい国家というもがそのの間に介在するにいたしましても、本質的に労使関係としてこれを見るべきではない。インダストリー・リレイシヨンの特質を全的に持つているものとして見るべきではないかということでありますが、そのことについてはあくまでも合理的に冷静に、しかも労働者を使う立場からすれば、労働者を奴隷的に低賃金で酷使するという立場ではなしに、むしろ、もつとヒユーマンな労働者の生活をよくする、しかもなお採算が立つ、しかもなお国民の利益になるというようなねらいから、問題が根本的に考えられなければならない。しかし、何か古い考え方が近代的な労使関係にまつわりついて、そういうような望ましい使用者の態度というものがゆがめられているのではないか。こういう点が、私どもとしては、一番憂慮にたえないのであります。私どもは、現代の制度がいいとか悪いとかいう前に、現代の制度にあつても、また相当矛盾を内包しているといわれている現在の法律の秩序内においても、もしこのような点についての非常に繊細な関心が払われて行くならば、まだまた国民、特に労働大衆の生活には余裕がつくれるのではないか。特に公共企業体の労働者諸君の生活の面においては、保障される多くの余地があるのではないかというように信じているものであります。この点と関連いたしまして、冷静な、しかも、どちらかといえば、中立あるいは保守的だといわれる人たち、労使関係において非常に責任をとつておられる人たちに、絶望の市をあげさせるような事態に対しては、責任ある方々の非常にに慎重な御反省を希望してやまないのであります。先ほど言われた公企体労働者にストライキ権を与えよという言葉が、労働者から出たのは問題でないのでありますが、世界中を視察して、そして資本主義の範囲の中で労使関係を最も円滑に運営して行く道を、非常に深刻な気持で熟慮しておられる方の口から、そのような言葉が出たというところに、今回こそはこの仲裁裁定に対して、もつと積極的な態度が望ましいのであります。これ以上の法的事実を、労働者に対して好意的でないような形でもてあそぶというようなことになりましたならば、非常に近い将来においてわれわれが意図するような円滑な労使関係というものは、破壊されることは火を見るよりも明らかではないかと思うのであります。温順で元気のない公共企業体の労働者諸君の中からも、いつかは声なき自分たちの組合の態度に対する猛烈な反対が起るでありましようし、そのときこそ、現在の法律わくの中では収拾のつかないような経済的な、あるいは政治的な被害を招来するのではないかということが、私は非常に心配になつてならないのであります。この点をお考えくださいまして、ひとつ労働組合があまり荒れ出さないような、円滑な労使関係精神的な役割を国会の皆さんが十分に実践されていただきたいというように、心からお願いしてやまない次第であります。  これで終ります。
  40. 赤松勇

    赤松委員長 川田公述人に対する質疑を許します。中原健次君。
  41. 中原健次

    ○中原委員 一点だけお伺いいたします。ただいまの御公述で、大体現下の労働問題に対する態度としての議論は尽き薫ると考えますが、たまたまここに仲裁裁定のもとになつておる公共企業体等労働関係法――これは御存じのように、もともとれ占領政策の一つの方便として出て参りましただけに、原案は横文字で書いてありまして、それを日本文章に書き直したともいわれておる特殊の法律でありますが、一応手続は日本の政府がこれを提案した。     〔赤松労働委員長退席、田中郵政委員長着席〕 ちようど、たまたまこの公企労法の提案者は、今の吉田内閣の手になつたわけであります。第二次でありましたか、その吉田内閣の手になつたのでありますが、たまたま今問題になつております問題を取扱つておるのが吉田内閣。この第一条にはつきりとこういうことがうたわれております。「苦情又は紛争の友好的且つ平和的調整を図るように団体交渉の慣行と手続とを確立することによつて、」云々ということを、明確に規定いたしておるのであります。従つて、このよき慣行をつくるために、いろいろなことが取扱われて行くというふうに考えられながら取扱われておる中にかかわりませず、ただいまも御指摘のように、また峯村教授も御指摘になられましたし、昨日の公述人の方々からも、大体一様に御指摘になられた点でありますが、どうも政府のただいまとつておりまする態度というのは、この第一条でみずから提起しておりまする問題点を解決するようにならない、むしろ問題点に近づくような、よき労働慣行に習熟して行くための努力が払われないばかりか、むしろ逆行しつつある、こういうふうに考えられるわけなのであります。もちろん、申し上げるまでもなく、この法律そのもの自身われわれは賛成するわけには参らぬのでありますが、何はともあれ、一応立法措置がとられているわけであります。     〔田中郵政委員長退席、赤松労働委員長着席〕 そうであつてみれば、みずからこのような有効的かつ平和的に調整をはかるように団体交渉のよき慣行をつくる、その習熱を企図してこのことがなさなければならぬということをみずから認めておりながら、ただいまとつておるような、これに逆行する態度が常に積み重ねられて今日に至つておるのであります。そうであつてみますると、私はこの法律自身を、今日の政府のとつておる態度自体が、みずから規定しながら蹂躪しつつある、こういうふうにさえ思うわけであります。そうであつてみれば、よく言われることでありますが、みずからつくつた法律をみずから破つておる、その法律の目的を達成せしめないように事を構えておるというふうに、われわれとしてはどうも解釈されてならぬのであります。こういう点について、第一条に明記されておりまするこれらの目標は、はたして今のような政府のやり方を通じて到達し得るのであろうかどうか、こういうことについて 一応先生の御見解を承りたいと思います。
  42. 川田壽

    ○川田公述人 その点で、実際に現業の場合を見ますと、給与のような問題を含まない部面では、やはり使う方の人たちは、使われる人たちとの調和がなければ、仕事の能率はとても上りませんのですから、末端組織におけるいわゆる労使における協力的な制度、あるいは苦情などをエリミネイトする制度を非常に努力して運営しておられるようでありますが、しかしこのような問題は、根本的な、特に日本で一番大きな労使関係といわれる賃金の問題等においての円滑な運営がなされないならば、基本的な望ましい労働関係、あるいはインダストリアル・リレーシヨンというものは、いかにうたわれても出て来ないということになるのではないかと思うのでありまして、一今おつしやられたことには同感であります。そうして特にあとの方に具体的に手段として現われて来る条項の重要部分を、条文上の矛盾点の一方に食い下つて、そうして仲裁規定の比重を非常に低くして行くということ自体の中に、むしろこの法が成立するときに期待された望ましい労使関係というものと背馳した行き方をとつているというふうに、私は考えているものであります。でありますから、仲裁裁定がなされた場合、だれが見ても不可能だというような事態以外には、多数派の政府がこの裁定の実現を防止するが、ごとき施策、あるいは行動というもの、そこに一番大きい問題があるのではないかと考えるのであります。
  43. 中原健次

    ○中原委員 そこで、ただいまもちよつとお触れになられましたように、大体仲裁裁定を実施をすべしときめました月は、八月以降これを実施すべしということになつている。ところが、これを一月からともかく実施するというような構想で進んでおるのが、今日の政府である。そうなつて参りますと、すでにその間に時間のずれが生じまするだけに、当該労働者は、せめても裁定で八月実施ときめられたのであるから、まあ八月からはもらえるのであろう、こういうことを期待しながら生活設計を立て、あるいは今までの赤字補填の方法考えて今日に至つておるわけであります。ところが、それがそうは行かないで、ようやく一月だということになつて参りますると、すべての生活設計はくつがえされてしまう。しかも節季が迫りまして大あわてにあわてながらこの節季のつじつまを合せて行こう、こういうかつこうになつておるのが現状であります。そうなつて参りますれば、いくらがまんしようといたしましても、もう労働者は実際の問題としてがまんがし切れなくなつて来る。これでは、何としてもこの瀬戸を越すことでがきない、こういうはめにいやおうなしに追い込まれて参りますだけに、その体験から、このままではいけないというので、おそらくそこにいろいろな苦悶が起つて参ることは必定でございます。そうなつて参りますと、もうそれだけ公企体や五現業の下で働いておる労働者諸君は、必要以上に、そのために大きな苦しみをかつがされておるために、非常なエネルギーがそれを打開するための努力に費されておるというのが現状であります。そういうような立場に追い込まれた労働者に、しかも、まつたく絶望的な立場に追い込まれた労働者に、よき慣行をつくれなどと申しましたところで、それではとうていよき慣行をつくるために何事もなし得ようはずはないのであります。そうなつて参りますと今回のこの問題をとにかく一つの突破口として、ここで今後のよき労働条件を維持するために、相当思い切つた闘争の態勢をいや応なしにとらざるを得ないということも、想像されないではないわけであります。そういうようなことができ上つた場合に、その責任というものが。この法律の示す範囲内においても追究されることがないとは限らないし、あるいはまた世間的に考えましても、どうも労働階級が他を顧みない、わがままを言う、こういうふうに考えさせようとする、そういう向きもないではないわけであります。しかもそのことを政府が、政府だというだけの立場から、大衆にも国民にも押しつけて、そういう印象を与えて行こう、こういうような構えもしばしばありがちなのでありますが、そういうことをかれこれ考え合せて参りますと、どうも労働階級の立つ立場というものは、非常に不利である。その不利を補うために、戦後いろいろな労働関係法規ができたわけでありますが、それもだんだんあそこを削り、ここを直し、ここを改悪し、また新たに労働権を蹂躪するような法規をつくりながら、またぞろ一層不利な立場に追い込まれておるという現状であります。そうなつて参りますと、やはり私はよき世論の批判といいますか、そういうようなものが、おのずからそこに盛り上つて来ることを期待いたすのでありますけれども、いずれにいたしましても、そういう事情の中に立たされておる労働階級、しかも先ほども指摘がございましたように、インフレーシヨンがまき起つて来るのは賃金が上るからであるというので、インフレーシヨンの責任も労働階級の賃金値上げ要求、あるいは賃金値上げの中にあるというようなことを一生懸命で宣伝する向きもあるのであります。もちろん最近の国民大衆は、だんだん知性も高まつて参りましたから、そのように簡単には受取つておらぬと思いますけれども、いずれにいたしましても、そういうような手も弁たれておるような状態の中にあるわけであります。そうなつて参りますと、私はやはりこの際非常に権威のある第三者的な批判といいますか、直接労働階級自身ではない、あるいは公企労法によつていろいろな関係を持つておる労働者じやない、他の第三者の立場から、これに対して厳粛な批判が大胆に打出されて行かなければならぬのではないか、こういうふうに思うわけであります。従つて、その厳粛な批判の出どころといたしましては、やはりどうしても最も知性高い学界あたりから、いろいろな形で、政府のそのような、みずからつくつた法律をみずからが否定するような措置をあえてとろうとしておるこの態度に対して、大胆率直な批判が投げつけられてしかるべきだ、そのことが、日本の国を正しき発展の方向へいざなつて行く大きな誘因でもあるというふうにさえ考えるのであります。このことを、ひとりあなたにぶつかけるようなものの言い方をいたしましたが、やはり私どもは、学界の皆さんにそのことを期待いたすのであります。従つて、この第一条の問題に関連して、今日とつております政府仲裁裁定に対する措置、とろうとしておる措置、あるいはこの態度等に対して、この第一条と関連してもう一応御見解を承つておきたいと思います。
  44. 川田壽

    ○川田公述人 第一条の関連では、先ほど申し述べましたように、私はやはり同じことを繰返すのみに終りますが、現在の政府に反感を持つておるとかなんとかいうことではなしに、日本の当面置かれた問題、特に問題になつておる今回の仲裁裁定と関連しまして、少くとも公共企業体の労使関係が円滑に、しかも現在の社会制度わくの中で運営されて行くような種をまくということが、裁定を忠実に実施するように努力することである、そういうような関係が、第一条の精神とは非常に関連があるのではないかというふうに考えるものであります。詳しい条文解釈に対しては、私そう用意しておりませんから、総括的に今何べんも繰返して申し上げる態度を、政府当事者にもあるいは国会の皆さんにも支持を訴えておるわけであります。
  45. 赤松勇

    赤松委員長 ちよつと私から午後の議事運営について御相談申し上げますが、公述人あと五人来ておられますので、正二時に再開して、一人の公述人公述及びそれに対する質疑を含めて三十分というふうにお願いしまして、それで質疑の方も、もう皆さんよくおわかりになつた方ばかりだから、あまり意見の開陳をするのも失礼なことだと思いますので、ほんの質疑にしていただいて、三十分の範囲内で公述及び質疑を終りたいと考えますが、午後の運営はそれでよろしゆうございますか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  46. 赤松勇

    赤松委員長 それではさようにとりはからいますから御了承願います。
  47. 多賀谷真稔

    ○多賀谷委員 川田公述人にお尋ねいたしたいと思いますが、一般的に国家が裁定を受ける場合あるいは判決を受ける場合に、各国ではどういうような事情にありますか、お尋ねいたしたいのであります。これはひとり労働関係だけではございませんが、そのときの政府の態度はどういうふうに行われておるかということを、一般的にお尋ねいたしたいと思うのであります。仲裁が実施されましてから、ほとんど実行されておりません。そこで仲裁委員会、調停委員会から、本年の三月に、こんなに政府裁定を実施しないでは困るという意見書まで出ておる状態でございます。そういう中で国鉄の紛争が、ございまして、今係争中でございますが、ともに高等裁判所は済んでおりまして、最高裁に行つております。こういう労使関係というのは、やはり下級裁で仮処分のあつた場合、解決しておかなければ、事実問題として時が過ぎれば支払い側に有利になるわけであります。ですから、時によつて解決しよう、こういう態度が常に見られる。ですから、外国においてはどういう事情にあるかお尋ねいたしたいのであります。
  48. 川田壽

    ○川田公述人 一般に国家が訴訟当事者なつた場合の問題に関しては、私、専門でありませんから、あまり意見を持つておりませんが、ただ労働関係におきまして、国家が責任を負担した場合ということになりますと、各国で相当違つた事情にあると思います。アメリカのような場合に、国家が負担する責任というものは、非常に分散しております。その形がちようど日本に移行したようなものだと思つておりますが、たとえば、日本の郵政に近いような組織でありますと、国会が決定しておりますから、予算の執行を伴うような決議をすることになります。公務員の場合にも、特殊の委員会がこれを決定しております。これは皆さん重々御承知のことと思いますが、たとえば公共企業体の見本になつたTVAのようなことになりますと、賃金決定は、客観的な賃金の平均率、ブリヴエーリング・ウエージということが基準になつて、それがほとんど自動的に調整されるという形、これの認定に関しての係争は、もちろん起り得るわけでありますが、しかし、認定の基準というものが非常にはつきりしておりますから、国家が国家の意思によつていたずらに訴訟の当事者になるようなことはないと存じます。イギリスのようなアービトラリー・コートというような形になりますと、大体仲裁裁定が出されて、主管大臣が同意を与えるというプロセスがとられておるようであります。それからフランスあたりになると、国営事業範囲というものは相当あると思いますが、むしろ非常に民間に近いような労使関係においては責任をとつておるわけであります。最近も非常に大きな炭鉱のストがありましたが、これはもちろん、国会がその責任を相当強くとるようでありますが、しかし裁定された判定あるいは裁判的な判決が、国家を拘束するというような建前にはなつていないようであります、むしろ国会が直接に決定する。その場合に問題になるのは、このようにいろいろ制度は違つておりますが、非常に特殊な関係の国でない限りは、相当の困難を冒しても、特に不可能でない場合には、これに対応しているということでないかと思います。自分の使用する労働者に対して、明瞭に支払い可能だというような場合においても、いたずらに法律の条文を技術的に利用して、これを一応けつてみなくては気が済まないというふうに第三者から考えられるような態度をもつて臨んではいないように、私には考えられるのであります。それ「以上、今度は手続的ないろいろな関係ということになりますと、私は現在ここでは知識を持ち合せていないのでありますが、全般的に言つて、今言つたような形、あるいは労働者の協力的な態度を求めるというような場合でも、一方的に国家権力をもつて臨むというような形ではなしに、むしろ労働者の企業運営内における発言権を大幅に認めて行く。いわゆる民主主義国家間では、西ドイツがそういう形でありますし、ソ連圏の諸国にありましては、むしろ労働者の責任も非常に重大化しているといわれておりますが、同時に発言権が非常に大きい。労働者も企業の所有者だという形を、国営事業がとつております。これは非常に根本的な財産関係その他の所有関係と違つて来ておりますので、ただちにわが国の事情と比較し得ないような、また違つたデイヴイジヨンにあると思うのでありますが、それにいたしましても、そういうようなことさえあるのだということは、われわれにも知らされて来ております。そういうような広い範囲から見ますと、資本主義体制の中でも、社会主義体制の中でも、労働者に企業の運営に対して積極的な責任を持たせる、あるいは労働者が円滑に労使関係に協力して行けるような条件を、それぞれ違つた体系のもとで慎重に考えているんじやないか、こういうように私には考えられるのであります。  御質問には満足を得た答えになつていないかと思いますが、もしあれでしたら、さらに研究して御報告いたします。
  49. 多賀谷真稔

    ○多賀谷委員 先生は不当労働行為の方にも権威者であると思いますが、公労法でも、不当労働行為の場合に、仲裁委員会が収消しの指示またな命令をすることができる、こういうことになつております。しかし御存じのように労働法ほどの拘束力を持つていないようでございます。それは訴訟関係はできますけれども仲裁委員会にその後の権限がない。こういう点で、労働組合側といたしましては、非常に不安に考えておる。今のように政府が行政機関の命令を守らないという状態であるならば、せつかくああいう制度があつても、おそらく守らないのではないか。法は当然守られることを前提に書いておるわけでございます。そういたしますと、そういつた欠陥が出て来ますが、外国の場合に、不当労働行為が行われるか、こういうふうな場合に、あるいは公平委員会といいますか、仲裁委員会がそういう指示を出して、それに従わなかつた、そして紛争が起きた、こういうような例がありますかどうか、お尋ねいたしたい。
  50. 川田壽

    ○川田公述人 不当労働行為という制度と、今言つた裁定制度に対する履行の不誠意という問題との結びつきということについて、事例を全然存じていないのであります。私こういう問題について、あまり考えたことがなかつたのでありますが、考えられます点は、不当労働行為という制度は、労働者の自主的な団結を阻害するという使用者側の行為が中心になつて発展を遂げたと思いますので、裁定に対して誠実に履行しないとする意思が、直接にはいわゆる労組法の七条関係と結びつくとは考えられないのであります。もしそういうことにして、現在の組合の指導者がおもしろくない、組合のあり方がおもしろくない、ほかの指導者であるならばそれは裁定に従う、現在の指導者である限り裁定に従わないというような事例が起つたとしたならば、それが公労法で窓口のあけられておる労組法七条の適用という問題が当然起つて来るとは思います。ただ、その適用が実体的に手続上どういうようになつて行くかということは、相当複雑だと思いますが、少くとも今までの事例で見れば、仲裁委員会に持ち出すこともできるでしようし、それよりももつと率直に裁判所に問題を持ち出し得ると思います。しかし公企体関係の全体の幾つかの企業体の仲裁に対して、同一な態度をもつて臨んでおるという場合には、何か特に労働団体側に対して支配介入する、あるいは個別的な差別待遇をするとかいう問題とは直接に結びついて来ていないのではないか。これは不誠意の問題であるし、あるいは一般的に言つて不当な態度だということはいえるかもしれませんが、不当労働行為にいう違法性とは、非常に違つたものであるというように考えられます。
  51. 多賀谷真稔

    ○多賀谷委員 裁定と関連して聞いておるわけではありませんが、今政府法律を守らない、こういう態度は、仲裁委員会等が、不当労働行為に対してその行為の取消しを指示しまたは命令をしても守らないのじやないかという危惧を抱くわけであります。それは訴訟関係はございますけれども、あるいは労働委員会が持つております緊急性に対して裁判所に命令を求める、こういうこと、それに違反するものの罰則、こういう規定はないわけであります。ただ政府はおそらく守るであろう、こういう前提で指示し命令することかできる、こう書いてあるわけであります。そこで労働組合も、またわれわれも非常に不安なのは、もしそういう事案があつて仲裁委員会が命令し指示しても、政府は守らないのじやないか、そのときにはどうにもならないじやないか、こういう危惧を持つのですが、体それに対して、諸外国ではどういうように扱われておるかということを、お尋ねしておるわけであります。
  52. 川田壽

    ○川田公述人 その点は、私も十分に具体的な事例について思い当るものを持つておりません。ただ外国の場合に、先ほども一般的に申し上げましたのですが、法律というものが無理になつて来た場合には、法律わくを破つた行動が常に行われたし、そういうような形によつて労使の実体関係――現在われわれ望ましい労使関係と称するような実体関係に到達したということでありまして、一般論でありますが、非常に無理な場合に、違法とされた行為が何べんか繰返されて行つて、そういうようなことがあたりまえになつて合法性を確保しておる、これが労使関係について、どこでもそうだと思うのであります。もちろん後進国にあつては、支配従属の関係から、先進国のものをそのままうのみにさせられて、近代的な労使関係法律的にでき上つているところ、ちようどわが国のような事例は相当あるわけであります。しかし、実質的に労使関係が近代性を持つて来たそのプロセスからいえば常に今言つたような法律わくを労働階級は闘つて広げて行つたということが、一般にいえるのではないかと思います。特に政府が故意に望ましい労使関係を規制して行くわくをつくつて、労働者がそれに従つていながら、政府がなるべくそれをゆがめて行くというような場合には、これは非常に重大な問題でありまして、私は、政府の態度にもしそういうようなものがあるとすれば、あるいはあるように誤解される、あるいは第三者にあるように指摘されるような非常に微細な点でもあつたら、それは改めてほしいということを繰返し申し上げて、要するにそれに私の供述は尽きたといつてもいいくらいなのであります。
  53. 赤松勇

    赤松委員長 ただいま藤林先生に来ていただいたのでございますけれども、電車の故障等で少し遅れました。なお私鉄のストの問題で、労働委員会の方をやつておられまして、昼からその方があるのでというお話で、ございました。先ほど決定しましたように、二時まで休憩ということになりましだので、先生公述をいただきたいのでございますけれども、そういう事情でございまして、はなはだ残念でございますが、これをとりやめたいと思いますから御了承願います。それでは二時まで休憩いたします。     午後一時三分休憩      ――――◇―――――     午後二時三十分開議
  54. 赤松勇

    赤松委員長 休憩前に引続き会議を開きます。  休憩前に各委員の皆さんにお願いしておきましたように、公述及び質疑を含めまして、一人三十分以内に御協力をお願いいたしたいと思います。  なお慶応義塾大学の藤林公述人は、先ほどお見えになりましたが、ちようど休憩前でございまして今日は明日の私鉄のストライキの調停等がございまして、やむを得ず帰つていただきました。御了承願います。  それでは朝日新聞社の江幡清論説委員公述をお願いしたいと思います。江幡公述人
  55. 江幡清

    ○江幡公述人 私は一人の市民としての立場から、この裁定について若干意見を述べてみたいと思います。この裁定を見まして私が最近一つ矛盾を感じて来ておりますのは、公労法なり、あるいは仲裁裁定というものと、一般の総合的な物価政策というものが、一体どういう関係に立つかということであります。もし、われわれの当面しておる危機を考えますならば、このインフレ傾向を抑制し、さらに、できるならば物価を引下げるために、異常な決意が要求されておるときであります。またそういう立場から、物価対策、あるいはその一環としての賃金政策というものも、総合的に考えてみなければならない段階に近づいておると私は思います。そういう一つの要求がありまして、しかも片方に公労法あるいは仲裁裁定というものがあります。仲裁裁定の立場といいますのは、総合的な財政政策、あるいは物価政策、賃金政策、そういうものとは無関係である――無関係とは申しませんが、そういう立場に立つて裁定ではありません。つまり仲裁裁定といいますのは、国鉄、専売その他のいわゆる三公社五現業の、それぞれの個別企業あるいは現業官庁の当事者、当局と職員との間における団体交渉、その結果としての調停、さらにその結果としての仲裁というように、それぞれの個別企業の立場に立つて、それぞれの当事者の主張の上に立つて行われるものであろうと私は思います。つまり、総合的な物価政策の立場ではなくて個別的な企業の立場に立つて行われるものであろうと私は思うのであります。もちろんそれでよろしいと思いますが、ただ今日のわれわれの経済を考えますと、その点において若干公労法の限界が生れて参つておるのではないかという疑問を、漠然とした感じとして私は持つのであります。しかしながら、そういうことは、もちろんこの裁定内容が妥当でないとか、あるいは不当であるとかいう意味ではありません。あるいはまた、公労法を無視してよろしいという意味ではありません。少くとも、公労法がある限り、あるいはまたそれに基いて仲裁裁定が行われておる限り、これを尊重することはきわめて当然であります。すなわち、公労法があります限り、その法律によりまして行動することが、今のわれわれの任務であろうかと思うのであります。もちろん公労法の十六条には、予算資金上不可能なときは政府を拘束しないとか、あるいは国会承認が必要であるという規定があります。しかしこの規定は、先ほど申しましたような物価政策とか賃金政策とか、そういう立場から考える、つまり裁定をそういう立場からながめるというような意味ではなくて、全然別の意味だろうと思います。つまり、もし公労法ができました精神考えますならば、あの職員諸君から罷業権を奪うかわりに仲裁裁定制度を設けた趣旨から考えますならば、資金上あるいは予算上不可能な場合と申しますのは、要するにその当事者において、仲裁裁定は出たけれども、これを実現するのに財源がないという場合に、どうして財源を発見するか、どうして予算上あるいは資金上の隘路を打開するか。国会がそういう資金的隘路の打開に努力する、あるいは財源の発見に努力する、そしてその裁定を実施できるようにする。そういう意味が、やはりあの十六条の立法精神にはあつたのではないか、そういうふうに思われます。つまり、裁定をチエツクすることではなくて、これを実現することに努力するのだ、それがおそらくあの十六条の規定ではなかつたか。私は法律のしろうとでありますから、確信を持つて言うのではありませんが、それでなければ、少くも憲法に保障されている争議権を奪つて、そのかわりに裁定を設けたというその趣旨は成り立ちません。そういうふうに思います。  従つて、そういう意味におきましては、たとえば今政府が提案しておる予算面に計上されてない、あるいは給与総額わくを上まわつておる、従つて不可能と思うが、よろしく議決願いたいという提案の仕方は、形式的には筋は通つているかもしれませんが、公労法の立場から申しますならば、至つて誠意のない方法であると考えざるを得ないのであります。つまり政府は、もし公社あるいは現業官庁の当局に、その裁定を実施するに必要な予算あるいは資金がないならば、これに必要な財源を発見し、それに必要な予算を組んでこれを国会に提出する、おそらくそういうふうな責任があるのではないかというふうに、私は思うのであります。  それと予算資金上の問題、あるいは給与総額の問題につきましては、いろいろほかの公述人の方から仰せられておりますから、私は申し述べませんが、ただ給与総額の問題といいますのは、どうもあの公労法をつくり、そうして両当時者の団体交渉によつて賃金問題を決定して行くという立場から申しますならば、非常におかしな制度であると私は思います。あの予算総則の中の給与総額というのは――もちろん総則に従えば、あれを変更するには国会承認が必要ではないかと私思いますが、しかし、そのために国鉄法四十何条ですか、少くとも団体交渉の一方の相手である当局側に、ほとんどその団交に応ずるだけの適格性が欠けて来る。つまり、賃金要求というものが、これは多くの場合、絶えずべース・アツプの要求になりますが、べースを上げれば、ごく特別の場合を除きまして、やはり給与総額わくがかわつて来ることは当然であります。それが上まわることは当然だろうと思います。しかるに、給与総額わくがあるために、それを上まわるような意思表示というものを、当局はなすことができない。少くともそういうふうに追い込められるだろうと私は思います。従つて、現に公社あるいはその他の組合の団体交渉の状況をいろいろ聞きましても、ほんとうに民間の組合のような、あるいは労使関係のような団体交渉は行われていないようであります。これもまことに当然の話であり、さらにまた調停委員会におきましても、常に公社当局側はこれを拒否しておる、これもやはり給与総額とか、そういう制度から出て来るのではないかと思うのであります。ということは、要するに、公労法が第一条において目的とした労使間の正常な慣行をつくり、それによつて業務の正常な発展を期する、そういう労使関係の立場から見ますれば、これはまことに不都合きわまるものと申さねばなりません。  もう一つ問題は、あの裁定の実現についてであります。私はあの裁定内容については、別に批評するつもりはありません、非常に妥当な裁定と思いますが、ただあそこで問題は、あの裁定を実現することがインフレを促進することになりはしないか、そういう一つ考え方であります。もちろん、一般に給与がふえる、それによつて購買力が増す、あるいは通貨が膨脹するということは、ある場合においてはインフレの要因になります。しかし今日インフレが進行しておるのは、政府のインフレ資本政策のためであり、さらにその政策によつてインフレが進行し、その上に立つて給与の増額がそのインフレを促進する一つの、わずかな要素になる。それだけの話でありまして、別に給与が上つたから、それが主たる原因になつてインフレが促進されるわけではありません。インフレの原因は、現在の二十八年度予算あるいは補正予算、あるいはその他の大きな問題にあります。従つて、この裁定を実施しただけで、それによつてインフレが促進されるのだ、そう一方的にしわ寄せすることは、妥当でないと私は思います。むしろ、給与を受けます方から申しますならば、政府のインフレーシヨン政策によつてたどえばこの一年間におきましてもCPIが七%上り、勤労者CPSが二〇%近く上つている。そういつた状況のもとにおいて実質賃金がそれだけ低下して来ておる。しかも、これは勤労者の責任ではなくて、政府の政策の結果である。そういう点から見ますれば、当然職員側としてはこの新しい賃金改訂を要求する権利があり、さらにまた、この実現を期待する当然の権利を持つておるわけであります。ことに、あの裁定書を読みますと、専売においても電通においても、あるいは国鉄におきましても、もちろん資本側の努力もございますが、職員側の努力によつて生産性が非常に高まつておることが報告されております。またある点においては労働の強化も行われておるようでありますが、少くとも労働側の努力による生産性の向上に対しましてある程度の分を職員側に還元するのも、これまた至当な方法であろうと思います。従つて、そういう点から見れば、あるついは先ほど申しました公労法精神からいたしましても、この裁定はやはり実施しなければならない、その結論が当然に出て来るわけであります。  ただ、私どもとして希望を申しますならば、やはりインレフをできるだけ促進しないような方法をとらねばならない。現にインフレ政策が行われておりますけれども、それを促進するような方法は、できるだけとつてもらいたくないということであります。そのためには、結局あの裁定に必要な財源は、各公社あるいは現業官庁の自前の財源でまかなつてもらいたいと思います。もちろん公社あるいは現業官庁の自前の財源でまかなうとして、これをかりに剰余金で振り向けるにいたしましても、そうすれば、政府年度末の予算の剰余金が少くなりますから、その点で一般会計を若干圧迫することにはなりますが、しかし、これも公労法精神からすれば、やむを得ないのじやないか。むしろ、これを自前でまかなうということによつて、幾分なりともその立場が貫かれるのではないか、そういうふうに思うのであります。そうして裁定書を見ますと、大体において全逓、国鉄を除きましては、公社の自前の財源でまかなえるようであります。もしまかなわれるといたしますれば、これを拒否する理由は見出しかねる。政治的に考えれば別でありますが、公労法の立場、少くとも罷業権を奪つて仲裁裁定をつぐつたあの立場から見ますならば、これをチエツクする立場は当らない。問題は、国鉄あるいは全逓のように、あの裁定においても示されておる財源が非常に困難なところがございます。そのために、たとえば運賃の値上げが必要である、あるいは郵便料金の値上げも必要だろう、そういうふうなことが、ある程度裁定書においても示唆され、さらにまた政府考えておるというのが実情であります。私は国鉄郵政の経理の内容をよく存じませんので、少くとも裁定書に書いてあるくらいしかわかりませんから、何とも申しかねるのでありますが、しかし、これもやはり一般会計にできるだけ負担をかけることなく、その公社あるいは郵政当局の財源をもつてまかなつてもらいたい。給与増額の結果として運賃を値上げし、あるいは郵便料金を値上げすることは、もちろん新年度の問題でありますが、まだその時期にはない、そういうふうに思われます。そうしてもしどうしても自前でまかなえないのだ――私はそうだと思いませんが、もしそうであるならば、これもある程度ほかのところと差がついてもやむを得ないのではないか。これは個別的に考えれば、しかたがないと思う。しかしながら、国鉄の経理を考えてみましても、先ほど川田先生が新線建設を申されましたが、あの三十一の新線を考えてみましても、あれは現在の国鉄の事情その他の事情から見ましても、急を要しない事業であります。あのために国鉄は、本年度においては八十何億かの金をつぎ込んでおります。また来年度はもう少しふえるようであります。それからまたあれができれば、赤字が将来ふえて来る、四十五億からの赤字がそれがために出ることになつております。そういうものはバスにかえたり何かしてやめてもらつたらどうであろうか。あるいは現在の国鉄の経理は、私はよく知りませんから、申し上げることははばかりますし、すでに十二月になつておりますから、むずかしいかもしれませんが、少くとももう少し経営というものを独立採算的に行われるように法規を改め、あるいは経営者内部の努力によりましてその経営を健全化して行く、そうすれば相当程度、今の国鉄でもあの裁定を実現する能力があるのではないか、こういうふうに私は考えます。  要するに、結論といたしましては少くとも公労法の建前をとる限り、あの精神を尊重する限り、裁定は実現されねばならない。しかし、ただ現在のいろいろな条件を考えますならば、これはできるだけ一般会計に影響を及ぼすことなく、あるいは物価その他への影響を及ぼすことなく、自前で実現してもらいたい。そのためにはこれは個別に考えねばならないだろう、そういうことであります。  非常に簡単でありますがこれで一応終ります。
  56. 赤松勇

    赤松委員長 江幡公述人に対する質疑がございましたら……。
  57. 楯兼次郎

    楯委員 一点だけお尋ねしたいと思います。ただいま国鉄あたりの財源の点について、いろいろお話がございましたが、新線建設あるいは社会政策上の財源について政府がめんどうを見たならば、裁定の実施ということは私は簡単であると思います。まためんどうを見なくても、仲裁裁定指摘をいたしておりますように、本年度は水害がございました。水害の損害は大体百五億円であります。本年度は八十九億円を支出することになつておるわけでありますが、仲裁裁定裁定書から行きますと、大体八十億くらいで裁定の実施ができる、こういうふうになつておるわけです。現在水害の財源については、やはり自前でまかなつておるわけです。今あなたの御説明では自前で裁定の財源をまかなつて行け、こういうふうなお話でございましたが、水害の復旧費は自前でまかなつておる。さらに、国鉄の自前でまかなつて行つこうということになりますと、その財源をどこからまかなつたらいいかという点について、非常に疑義が生れて参るのですうが、あなたとしてはどこからその財源をまかなつた方がいいか、何か具体的にめどがございましたならば、御指摘願いたいと思います。
  58. 江幡清

    ○江幡公述人 私、国鉄の経営につきましては、そう詳しいものではありません。ときどき国鉄の当局者あるいは組合の方からお話を聞くことはありますが、先ほどの新線建設でありまするが、これは国家がまかなつたらよろしいじやないか、そういう御意見であります。     〔赤松労働委員長退席、山花労働委員長代理着席〕 確かに、あれは国有財産でありまして、従つて国費をもつて建設するのが当然である、そういう議論も出るかと思います。つまり、一面において独立採算を強調されておる国鉄に、そういうふうな初めから不採算線、しかもほとんど必要のない線を国鉄の独立採算でやらせるのは、おかしいじやないか、そういう議論もあります。しかし、今の私ども考え方からすれば、もちろん国鉄でなくて、国家がやることもよろしいでありましようが、今の政府の財源、金の使い方から申しますならば、政府があれをやるのではなくて、要するに国鉄もやめたらよろしい、政府もやめたらよろしいということであります。それで、もしそういう金があるならば、ほかのもう少し有益な方にまわしたらどうか。それからまた、あの新線建設に伴つて当然国鉄の方も若干経費が浮くわけであります。そういう点であります。  それから水害でありますが、確かに国鉄はあの水害がなければ、石炭費の節約その他いろいろな条件によりまして、七十億か八十億の剰余金が出るところでありました。それが水害のために飛んでしまつた。従つて、水害がなければ、あの裁定は実施できた、そういうふうにも言われます。それでは、その水害を国鉄が負担するのはおかしいじやないか。たとえば、私鉄ならば私鉄を考えてみますと、私鉄の場合には災害補助法によりまして、あの災害に対しては幾らかの補助金が出ております。そのほかの産業についても同様であります。たまたま国有企業であり国有財産である国鉄に対しては、その金が出ていない。それを国鉄の自前までまかなわせておる、それはおかしいじやないか、こういう議論も出るかと思います。ただ公労法の立場から申しますならば、その水害があつたために、給与に向ける財源がなくなつた。つまり、あの水害がなければ月給が上げられたのに、水害があつたために給料が上げられない。そういうふうになることは、やはり裁定の建前、あるいは職員側の建前とすれば、これは非常におかしなことだと思います。従つて当然御説のように、国があの水害については何らかのめんどうを見る、あるいは借入金をするなり、そういう議論も出ようかと思います。問題はそこをどう解決するかという点でありますが、ただ私どもの気持といたしましてはこれは水害があつたのだから、すぐ政府が補助しろというのではなくて、もう少し国鉄自体においてほかに何か節約する余地はないかどうか、そういうことがまず考えられておる。それから、もしやむを得なければ借入金にたよる、そういうふうな考え方を国鉄当局はしてもらいたい、そういう希望であります。
  59. 楯兼次郎

    楯委員 私は運輸委員会における関係でお伺いするわけですが、公社になるときに、すでに戦災を受けて今非常に荒廃した施設、ぼろぼろになつた施設を、お前の方で独算制で経営をしてやれ、こういうことで国鉄が現在、それを引継いで経営をしておるというところに、今日の問題があると思います。それで自前でいろいろ節約をしてやつて行くということはもちろんでありますが、私ども常識的に考えまして、今次の裁定を実施するだけの財源はとても出て来ない、こういうふうに考えておるわけです。諸外国の例をいろいろ聞いてみますと、たとえば、定期旅客運賃を割引をしう、そういうときに、国会において公益命令というような形で、それだけの損害を一般会計の方から負担をするから、定期旅客運賃の割引をこれだけせよ、こういうようなことでやつておるということを聞いております。また交通の安全というような面で踏切りの看視人でありますが、これらも、無数にありますところの踏切りに対して全部つけよ、あるいはこの範囲はつけよ、こういうようなことが安全という面から要求をされております。これを全部国鉄の費用でまかなつて行くということになりますと、厖大な費用になる。これはやはり一般会計の方から政府の公益命令というような形で、これだけの財源は補償するからやれ、こういうようにやつて行くのがほんとうの現在の国鉄を育てて行く道である、こういうように考えておるわけです。それから前年度の話でありますが、大体貨物運賃それからいろいろな割引運賃があるわけですが、これらをざつと合計いたしますと三百三十億くらいになると私は記憶をいたしておりますが、これらもやはり国家の政策の面から実施をしております。これらも補助をされなくてはならない。仲裁裁定も、私鉄補助法を今日国鉄に適用したならば、百四十億くらいの金を補償をして行かなくてはならない、こういうようなことを仲裁裁定指摘をしておるわけです。しかし、これらを現在の日本において全部補償をしてもらうというふうなことは、とうてい考えられませんので、このうちから優先的に政府が補償をして行く問題は何であるか、こういう点を私ども考えまして、非常に困つておるようなわけでありますが、あなたとしてはまず優先的に政府がめんどうを見て行く問題はどこから始めるべきであるかという点を、もう一回具体的にひとつお示し願いたいと思います。
  60. 江幡清

    ○江幡公述人 どうもお話が国鉄の専門的なことになりまして、非常に恐縮でありますが、もちろん御説のように、現在の国鉄を育てて行くために、たとえば六・三制の問題あるいはいろいろの問題に対するように、国家が助成をして見てやらなければならない、そういう御意見もありましよう。ただそれだけですと、私は確信を持つて申し上げつるのではございませんが、それは国鉄に対してあまりに甘い見方ではないかと思います。もしあれが民間の経営でありましたならば、経営の方式ももう少しかわつて来るのではないか。たとえば裁定書の中には広告の問題あるいは高架線下用地の問題、いろいろの財源があげてあります。しかし、ほとんど実行されていない。それから一般の民間の経営と比べて、私はやはりどこか違う点があるように思います。その点は結局現在の国有鉄道件の問題であり、あるいは予算制度の問題であり、さらにまたあそこに完全な独立採算制がとられていない、そういう問題であろうかと思いますが、とにかくあれをほんとうに独立採算にふさわしい企業にするように当局が努力する、そういうことが、国の補償々々と言う前に、大事ではないかと私考えるのであります。それから、もし国が補償するとすれば、どこから優先的に手をつけて行つたらよろしいか。これは私にもはつきりした考え方はございませんので、お答えできかねますが、ただはつきりしていることは、何と申しましようか、国鉄に私鉄並の補償を与えれば百四十億になるということでありますが、私鉄の場合は税金を払つておる企業であり、国鉄の場合は国家のためにある程度奉仕している企業である。もし補償を優先的に考えて行かねばならないといたしますと、いろいろあろうか思いますが、その点は私も今急に考えつかないので、お答えいたしかねる、そういうふうに申し上げたいと思います。
  61. 楯兼次郎

    楯委員 もう一つ簡単にお伺いしたいと思いますが、大体新聞社の方あたりのお話を聞いておりましても、裁定は実施をして行かなくてはならない、こういうようなお立場であるように記憶をいたしております。ところが、政府が完全実施をやりませんので、組合あたりが政府の反省を促すために、盛んにいろいろな宣伝をやつております。ところが、この宣伝のいわゆる合法か非合法かという線は、人によつておのおの違うと思いますが、最近では、新聞あたりの論調も、裁定は実施しなければならないという線より、国民に迷惑を及ぼしてはいけないという論の方が強くなつて来ているように考えるのであります。私どもは、あるいは国民に多少の迷惑はかかるかもしれませんけれども、やはり政府が自分からきめたところの裁定というもの、完全実施して行かなくてはいけない。そのためには、ある程度のこともやむを得ない、こういうふうに考えておるわけでございますが、あなたとしては、今各公社の組合がやつておりますいろいろな宣伝につきまして、どの程度のところが妥当な線であるかというような御意見を、ひとつ聞かせていただきたいと思います。
  62. 江幡清

    ○江幡公述人 どうも労働組合の幹部にものをお伺いされるような御質問でありまして、非常に困るのでありますが、問題は、たとえば先ほど川田さんあるいは峯村さんから申されましたように、つまり政府が実施しなかつた場合、一体組合がどこまでやる権利があるか、そういうことが一つあろうかと思います。それからいま一つはその場合にどこまでやるのが効果的か、戦術上の問題があると思う。お尋ねの点はどこまでやつたらよろしいかという程度の問題だと思つたのでありますが、私はやはりこういうふうに考えなければいけないと思うのであります。つまり問題は、政府公労法を尊重しないところに起つておるのでありますが、それならば、またその公労法を尊重しない政府、あるいはそういうふうな守られない法律に対する不信というものがそこに起つておるのでありまして、従つてこういう状態が続きますと、先ほど川田先生が申されましたように、労働運動にとつてあるいは日本の民主主義にとつて非常に嘆かわしい状態が起ります。その辺のことを政府はまず考えなければならないでありましよう。それからまた、それにもかかわらず政府があの裁定を実施しない場合の組合側の態度につきまして、それならば政府が実施しないのだから、一体おれたちは法を破つてストライキでも何でもやつてよろしいのか、そういうふうなお尋ねになりますと、これは法律の問題はともかくといたしまして、やはり問題は、結局それを受取る一般の市民あるいは第三者の側の受取り方にあろうと思うのであります。政府がそういう考えならば、国鉄は一週間でも十日でもゼネストをやつてよろしいということが、論理的には成り立ちましようとも、実際の行動の上で、はたして市民がこれは正しいのだというふうな反響をもつて受取つてくれるかどうか、あるいは逆にそれが組合運動に対する一つの反感をそそることになりはしないか、要するにそういうふうな問題があるのではないか。これは結局ある意味から申しますれば、程度の問題ということになるかもしれぬと私は思うのであります。そういう点で、ある特別な目的を持ちますならば、これは別でありますが、やはり裁定の問題というものは政府が実施し、それを国会が実施するように努力するのが当然であります。また公労法の建前から申しますならば、国会議員はそれを果す責任があると私は思うのであります。それならば、国会に大いに働きかけることも必要でありましよう、それから、もちろん国民の輿論も考えなければならぬでありましよう。しかし、ただ論理的に幾らやつてもいいのだ、それだけの理由で、一般大衆にあまり大きな不便をかけるようなことになると、一般市民の輿論というものはどう動くかわからない、そういうふうな危険が、まだまだ日本の社会にはある、そういうことではないかと私は思います。
  63. 楯兼次郎

    楯委員 完全実施をやらない、従つて労働組合が十七条を抹殺して争議行為を行つてもやむを得ない、こういうような考えになるということは当然であるというふうに私たちは考えておるわけです。こういう組合の動きについて、あなた方としてはいろいろな問題があると思いますが、支持をされるのかどうか。  それから、具体的な現われといたしましては、昨年の暮れ、国鉄がいわゆる争議行為――私たちはそう考えておらないわけですが、少しやりまして、三名の指導者が処分されております。あのときには、やはり裁定というものは完全実施になつておりません。こういう政府の取扱い方についてどう思われるか、この点をひとつお伺いしたいと思います。
  64. 江幡清

    ○江幡公述人 非常に問題が具体的になりまして、はつきりしたのですが、実施するかどうかということであります。やはり私どもの立場といたしましては、裁定の実施を政府並びに国会に要望するとともに、同時に組合員に対しましては、法律を破らない、そういう建前をとつて来ることが大事だろうと私は思います。  それから、昨年度の処分の問題でありますが、これは私一個人の感じを申しますならば、少くともあの処置は一方的である。もしあれを組合の幹部にやるならば、あの裁定の実現のために努力しなかつた国鉄当局は一体どう考えておるのか。昨年私そういつたことを書いたことがございますが、やはりそういうふうな感じがいたします。そういう意味では非常に一方的である。
  65. 山花秀雄

    ○山花委員長代理 次は、毎日新聞論説委員井上縫三郎氏が参られておりますので、井上公述人の方から御意見をお述べ願います。井上公述人
  66. 井上縫三郎

    ○井上公述人 昨日、今日と、いろいろな方が公述人にお立ちになりまして私はお話申し上げるような新しいこともないと思いますが、若干私の感じております点を述べさせていただきたいと思うのであります。  私、一番問題の点は、公労法に基くところの仲裁裁定が行われ、それが実際はなかなか完全に実施されない、絶えずこれが一般公務員との関係に置かれて政府の方で取扱われているという傾きが非常に強い、この点に私は、法の実体ということを離れて、現実の問題として一つの問題点があるのじやないかと考えます。この場合におきましても、一般公務員の方の人事院勧告、一方に三公社五現業の仲裁裁定、こういうものをからみ合せまして、そこから来年の一月実施という問題が出て来るのであります。この点、どうも公務員の方と公企業体の方との関係というものが、すつきり割切られていない点が一つの問題点じやないか。と申しますのは、一般公務員の方にいたしますと、これは予算の関係というふうな問題が出て来る。それと裁定内容というものとをからませて行くという形があります。その原因がどこにあるかということを考えた場合において問題になつて来る点が、実は法の方にもあります。法の方の問題につきましてはいわゆる三十五条と十六条の問題で、皆さんがお話なつた点だからして私も大体同じような考えでございましてあえて申し上げる必要はないと思います。ところが、実際においては、いわゆる三公社五現業というものの中に――三公社の方は全部一つ公社制度になつておりますが、五現業の方を考えた場合に、たとえば一つの郵政というものを考えると、郵政の局長、課長、課長補佐というところ、これはやはり一般公務員として取扱われている。そうすると、それ以下のいわゆる公企体の組合員となつている人、これが一つの組織の中において二つの異なつたものがおる。これが実はどうしても一般公務員と公企体の人とのベースの問題とからませて行く一つの根拠になつて来る実態があるのじやないか。この点を私は何とかすつきり割切ることが必要じやないか。たとえば、郵政の場合でありますならば、郵政の監督乗務は、一般行政に属する部分と郵便事業そのものを動かすものと、はつきりわけてしまうとかいうことにしてこれが公社ということでいかなければ、最近に出ておりますが、官社といいますか、そういうふうなことにして人的関係においてその混雑がないようにすることが、公企体の人と一般公務員をすつきりわけて行く一つ方法ではないか。  もう一つは、仕事の内容の面から、一体どういうふうに考えたらいいか。公企体の人は、一般には、一般公務員というふうなものから公企体の人にわかれておるというような考え方が強いが、実際にやつておるところの仕事の内容というものは、一般の行政の仕事と質を異にしておる。これは民間で行われておる事業と同じような、一般産業に従事する民間産業と同じ仕事をやつておる。ただ仕事の内容が公共性が非常に高い。国家が直接これをやらなくちやできないような性質のものであるが、仕事の質というものから行くなら、これは一般産業と同じ、むしろそういう一般産業との面に近いところの作業内容、仕事の内容であるという点がはつきり私は認識されなくちやできないじやないか。この点、作業の本質というものと一般公務員とは違うという点をはつきりし、そういう観点に基いて一般公務員と関連させないで仲裁裁定が実行されるような、具体的に現実的にそれを割切つて行くところの方法というものが、私は非常に大切な点じやないか。これは私は法律の問題よりも、むしろその方を急速に片づけて行くことが大切な問題ではないか、こういうふうに考えるわけなんです。  そうして来ると、私は今日とつておるところの独立採算という問題は、もつとはつきりした形において出て来るんじやないか。公企業関係の仲裁裁定が出ても、なかんかそれが行われてないという原因は、いろいろなものがあるが、その点がはつきりして来るならば、私は仲裁裁定というものが、それに基いて行われる――各三公社五現業の独立採算というものに基いて行われて行くならば、もつと私はどしどしやられ得る形がとれるんじやないか。従つて、その裁定というものをすみやかに実行し得るという形がとられると思う。現在の仲裁裁定というものは、実はそれが法制的な面において、すでにいわゆる予算総則に基く給与総額というもの、これで国会に持つて行くということ、これは私はナンセンスだと思います。こういうことは実際において仲裁裁定を置いた意義がないわけでナ。必ずそういうふうにひつかかつて来るというふうなばかげた体制はないと思う。そうすると、そこから持つて来るものは、どうしても独立採算をはつきりさせるということ。独立採算をはつきりさせるということになれば、三公社五現業それぞれ別個のものが出て来、あるいは実施の時期に来て給与ベースにアンバンスが出て来ても――それでなければ独立採算を設定した考え方というものは、意味がないと私は考えます。従つて、たとえば国鉄の場合、あるいは専売の場合、個々の場合においてアンバランスができても、民間企業においても、産業によつていろいろな相違が出て来る、企業によつて相違が出て来るのはいたし方ない点である。そこまで行かなければ、公労法の設けられたほんとうの意味が徹底しないというふうに私は考えるわけです。この点をこれからもう一度皆さんの手で御検討くださいまして、機構的にどうするか、同時に独立採算としてどうやつて行くかという点が、私は今日公労法を完全に生かして行く場合において、一番基本的な大きな問題じやないかと考えます。  そういう観点から行きますならば、企業の努力によつて働き出して来る、働き出した人がそれに応じてそれに相当するところの賃金を受けて行くということは当然だと思う。そういうことによつて、各企業体の責任者も、ほんとうに自分の責任を痛感して行つて、そこからむだのない能事的なものが生れて行く、こういうことになつて来ると思うのです。ほかにもいろいろありますし、実は書類も用意して参りましたが、その点はあとで述べたいと思います。  もう一つ、これは現実に差迫つた問題でございますが、期末手当の問題です。この期末手当の問題は、年間を通じて期末手当と勤勉手当とで二箇月分という、はつきりした人事院の勧告が出ております。従いまして、この期におきましては一・二五箇月分というものが支給されることになつておる。ところが仲裁裁定の場合は、各別に見ました場合、その多くが両者の協議によつて決定するということになつて裁定が下されていない。従つて、この前の六月に〇・二五だけ公務員と同じにふえておりますが、一・五ヶ月分に〇・二五が加わつたものだけになつて参りますから、今期に支給されるものは一箇月分ということになつておる。私が前に申し上げましたような方法によつて、一般公務員ときつぱり離して行く態勢ができておればいいですが、現実問題としてそれがそういうふうにされていないで、一般公務員とごつちやにしているのでありますから、それも均衡をとるという形において行われておるならば、少くともこの場合において三公社五現業の期末手当においては、足並をそろえたものを支給することが必要じやないか。この点については、これから先、さらに両者間に協議が行われるかと思いますけれども、少くとも政府が出す場合において一・二五が公務員に出される以上は、公共企業体の方においても足並をそろえたものを出して行くのが当然じやないか、こういうふうに考えます。  ほかの点につきましては、あとで御質問でもあれば申し上げることにして、簡単ですが、以上で終ります。
  67. 山花秀雄

    ○山花委員長代理 委員諸君に質疑はございませんか。
  68. 山口丈太郎

    山口(丈)委員 二、三点御質問申し上げたいと思います。私の質問したい点は、朝日、毎日の論説委員の方からお述べになりましたので、主として新聞による輿論指導の面からどうお考えになるかについて、お伺いしたいと思います。  御承知のように、公企労法に基きます裁定、そうしてこれの実施につきましては、法理論上から申しても、また一般的な考え方から申しても、当然実施するのが建前である。しかるに、今日とられております政府の態度等から見ると、どうもこの公労法のできた精神に合致しない行動のように見えるというのが、今までたびたび行われました公聴会における公述人の方々の公述趣旨であります。一面から申しますと、組合が、仲裁裁定が出てから、その裁定実施のための闘争をやるというふうなことは、実は変則的なんだ。仲裁裁定そのものを有利に出させるようにやるというのはわかるけれども仲裁裁定が出てからやるというのはどうも変則的だ、こういう意見であります。私もそう思いますけれども、今日の状態におきましては、先ほど申しましたように、政府が実際に公労法精神にのつとつてこれを実行しないという態度をとるところに、今日の組合の問題が大きくクローズ・アツプされるものと私どもは思うのでありますが、これについて輿論指導をされる報道陣の第一線におられる方としては、どのような見方をされておるか、お聞かせ願いたいと思います。
  69. 井上縫三郎

    ○井上公述人 私は、何も輿論を指導しておるということもございませんし、一論説委員であつて、社を代表する者でもございませんで、ただ個人として参つておるわけでありまして、新聞を代表して御答弁いたすということは、なかなかむずかしいし、また僣越のそしりを免れないと思いますが、大体において各新聞の論調といいますか、これは皆さん、ごらんになつておる通りに、これを尊重すべしという立場が多いと思います。ただ、その場合に出て参りますことは――各新聞の性格もありますが、いろいろ出て書ます点は、先ほど江幡君もちよつと述べたと思いますが財政をできるだけ大きくしないということ――これは一般公務員の場合も含めての話でありますが、財政を膨脹させないという点、これが物価をつり上げて行くきつかけになるようなことをしてはいけないという点。結局裁定は立法の精神として尊重しなければいけないが、現実問題として、日本の現在の経済情勢は、インフレが出て来る危険性が非常に多いから、そのわくの中で何とか始末するように、これがおそらくどの新聞でも共通した考え方だろうと思う。この点については、各新聞も、おそらく政党においても、その考え方は違つていないと思うのです。しかしこの点についてどういうふうにするかということになつて来ると、各社によつて違うだろうし、なかなか問題だろうと思いますが、この点を尊重しなければならないという点においては、どの新聞においても、私は何らかわりはないというふうに存じております。
  70. 山口丈太郎

    山口(丈)委員 もちろん公労法を実施するという点についての輿論といううものは、一般に実施せよということに間違いがないよう、だ、私もそう思うのでありますが、しかしそう実施をさせる一つ方法としては、今申したように、実際には裁定をなるたけ有利なものを出してもらつて、それを最終的な決定にする、公労法精神から申しますとそういうことになるが、しかしその時期を越して実際にその変則的な仲裁裁定を実施して来る、そこで輿論としても実施すべきだ、こういう輿論であるとすれば、もちろんこと国会を中心とする議会政治においても、あるいはまた今日ありまする法律を建前とする法治国家にあつては、もちろんそれを尊重すべきであるが、どうしても尊重しない。そこに今井さんのおつしやるように、なるほど公企体の中には、公務員とそうでない公企労法に関係する二つのもとのからみ合せもあつて、非常に問題が生じる。たとえば、これを実際に実施しても、人事院の給与ベースの勧告に従う勧告と、仲裁裁定に基きますベースの勧告とでは、これまた違つておるわけでありまして、一定にならない。こういつた面については、輿論指導上からも、こういう矛盾をなくするために努力がしていただけるものと私は思うのでありますが、こういつた点については、今御意見がありましたが、その一般的な輿論も、日本という国は、そのときに文書に出るとか、あるいは具体的に大きな動きがないと、なかなか卒然と輿論というものが出て来ないのを遺憾に思います。その具体的な輿論を動かす場合においても、新聞社としての役割も非常にまたこれは大きなものだと思いますが、  一体それらについてはどのような輿論指導をしていただけるものか、さしつかえなければ、もう一度意見を伺いたいと思います。
  71. 井上縫三郎

    ○井上公述人 山口さんから盛んに輿論の指導についておだてられておるのかしれませんが、私、何もそういう立場にありませんので申し上げかねますけれども、やはり公労法というものがあり、この公労法というものが現実に沿わない点がある。そうすると、この公労法というものをかえるということも必要であるし、もう一歩手前の努力としては、公労法が尊重されるような環境をつくるということの事実をつくつて行くということがもう一つ必要な点じやないかと私は思う。そういう点から申しまして、一つ企業体といいますか、政府機関といいますか、その中に、二つの違つた法律の適用を受けるような形の組織体というものがあるのは好ましくないじやないか。そういう点からして、現実にそういうふうに持つて行き、公労法を尊重せざるを得ないようなふうに持ち込んで行くという行き方を、ひとつ私ども考えなくちやならぬし、この点については、議員の皆さんにおいても、今後より一層努力していただくことが必要ではないか。ほかにもまだあのるかもしれませんけれども、私はこの問題が起きてから、特に最近私の考えついたことをむしろ述べたという点にすぎませんし、皆様方に何か御参考にしていただければという程度のことでありまして、そういうことを外がらお聞きしておるわけじやありませんし、またそういうことをやれば、いろいろなプラス面、マイナス面もあるでしようし、これは皆さんの御研究にひとつお願いしていただかなくちやならぬ点として、一つの素材として提供したという点でごかんべん願いたいと思います。
  72. 山口丈太郎

    山口(丈)委員 これは具体的に伺うのはどうかと思いますが、たとえば国鉄の問題にいたしましても、私ども国会で申しておるのは、実際に民間企業としてこれが運営されるということになりますならば、今日のような国鉄の全路線のうちにわずか一割程度しか黒字路線がないというような、そのようなことはあり得ない、こういうふうに考えるわけです。御承知のように、鉄道会館の問題にいたしましても、あるいは高架下の使用の問題にいたしましても、実際には国鉄に対する収益などはほとんど重要視されないで、まつたく等閑に付されたような形で、しかもそれを運営している者、あるいはそれを利用している者は、実際に利用している者よりほかの者が、あらゆる団体を使つて高架下を使用する、こういうふうなことでありまして、実際には国鉄の運営そのものが、いわゆるあまりにもお大名運営といいますか、きわめてずさんな運営になつている。であるから、そういう点からも大きな財源を喪失している、しかも利用者はそれで決して利益をこうむつていない。いわば不当利得者が不当な利益を得て、実際に国の所有物であるものによつて、その使用者を不当に苦しめている。こういうような観点からいたしますと、これらのものを整理すれば、国鉄には相当の資源が入ることになるし、また利用者も、それにによつて適正な契約を結ぶことができて、利益を得ることができ、双方いいことになると思うのですが、こういつたことは、新聞関係としては一体どのように見ておられますか、ひとつ御見解があれば承りたいと思います。
  73. 井上縫三郎

    ○井上公述人 ただいまの山口さんの御質問の東京会館等の問題は、きよう私に出された問題と離れた問題かと思いますが、ただ私はこういう点について、非常に関連が生じて来ると思います。と申しますのは、今度の八つの公共企業体の裁定の中で、難色があり、現行の予算内でまかなうことができないと一般に言われておりますのが、鉄道と郵政である。そうしました場合において、鉄道の考え方政府考え方か知りませんが、とにかく貨物はすえ置きにして、族客運賃だけを一割でも上げようという話がある。これは政府では来年の四月から運賃値上げをやりたいというようなことが新羅上に報道されている。こうした場合に、運賃を上げる前に、国鉄の中でもつとやつて行かなくてはならないことがあるのじやないか。それは企業の中における経営というものをもつと圧縮するといいますか、努力して行くということ、少くともほかから見た場合において、ガラス張りのものにして行くということが  必要じやないか。そういう場合において、国鉄の運賃値上げはけしからぬしいうふうなことが、それと関連はなくても、鉄道会館の問題であるとか、そういう鉄連ついて最近いろいろ伝えられる問題とからんで、国民の反対をおそらくあおつて行く材料になつて来ると私は思う。この点は、そういう問題がなくても、国鉄当局として鉄道の経営というものをすつきりしたものにして行くということ、それは場合によつては、進んで組合の前に公表して行くということにすることが必要じやないかと思います。  それから、さらにもう一つ、これは別個の問題になりますが、どうしても運賃を上げなければ、この裁定がのめないかどうかという問題です。もし国鉄がこれをのんだ場合に赤字になるというのは、どういうところから原因して来るか。先ほど来お話が出ましたように、これが昨年の六十何年ぶりというふうな水害による鉄道の被害復旧のためにということであるならば、どうしてもそういう点において赤字を補つて行かなければならぬ。そうした場合において、それを運賃に求めて行くか、場合によつては、災害というものに対しては――民間のいろいろな復旧に対しては、国はそれぞれの補助金を出してやつて行くという方法をとつておるし、そういう意味において、一般会計から若干の繰入れをやる、あるいは借入金をする、あるいは特別の融資をやるということがいいか。私は現在直面しておる問題のインフレにとつて、どちらの方が妥当な処置であるかということは、かなりいろいろの判断があるのではないかと思う。鉄道運賃を上げる、郵便料金を上げることが、さらに電気料金とかいろいろなもの歩上げるフアクターになつて来るとす  るならば、むしろ私は一般会計から若干の繰入れ、あるいは借入金なり融資なりすることによつてそれを見て行くということがいいのではないか。これは私も結論は出せませんけれども、少くともこの裁定の場合において、実行不可能というところの原因が突発的な事故のものであるか、恒久的な性質のもので、やむを得ないものであるか、そこのところをつかむことが大事な点ではないかと思います。それによつて処置がかわつて来なければいけない。どうしても運賃にそれを転嫁するということは賛成できないという気持を持つております。
  74. 山口丈太郎

    山口(丈)委員 非常に適切な観察を下しておられるのでありますが、実際は私もそこに持ち込むという意図があつたわけであります。実際この裁定を実施することによつて、ただちに運賃を値上げするとか、あるいは郵便料金を上げる、そういうことを考える前に、まず私は今申したようにこの裁定を実際に実施しても、本年こうむりました水害の復旧のためにする経費支出にいたしましても、私はここで国鉄が八十億か百億の借金をしても、そのことによつてただちにこれが運賃の値上げに響くとか、あるいはこの裁定を実施したからただちに運賃、郵便料金の値上げに響くとかいうことは、私は考えられない。あなたのおつしやるように、国鉄の運営をもう少し緻密にやりさえすれば、ここで五十億、百億の企業努力はたちまち生れて来る。また本年度国鉄職員の諸君が努力をいたしまして、三十億ないし四十億近い予算以上の収益を上げ、節約によつて、それだけの余裕金を生んでおりますから、この事態をもつていたしたならば、ただちに運賃値上げのような変動を来さなくても済む問題じやないか。それを努力しないで、それを口実にして安易な運営を求めようとすることはこれまた非常に不当なやり方ではないかと思いますが、こういつた点、私は新聞をながめて、いつでももう一つそういう点に念が届かない、十分な把握ができていないのじやないかという気がいたしますが、新聞界としては、おおむねこういう企業体の運営の実際面についてどういう観察を下されるか、今後また運賃の値上げやそういう問題が起きたときにどういう観察を下されるか、非常に関心を呼ぶところであります。新聞報道というものは、非常に輿論を大きく左右するものと思います。新聞の皆さん方の努力による観察の結果というものは、非常に大きな影響を持つておりますので、ひとつそういう点をどういう観察をされるか、お聞かせを願いたいと思います。
  75. 井上縫三郎

    ○井上公述人 私たちのそういう考え方が紙面に現われていない、そういう感じを一般に持たれておることは非常に残念だと思いますが、そういう気持をもつて新聞に従いたい。これは皆さんの方におきましても、そういう点において私たちと同じような気持で、事業の向上と同時に、また日本の経済自立という点において相ともに一緒にやつて行かなければならないと存じます。
  76. 山口丈太郎

    山口(丈)委員 これは非常に非難するようになるかもしれませんが、そうお受取りにならないで、ひとつ聞いていただきたいと思います。どうもこういうような問題が起きて参りますと、どうしても安易な考え方をすれば、組合にとつては多少不当であつても、組合が妥協することが問題の解決を早めることである。一面から申しますと、それが一番安易な考え方でありまして、出す方にすれば、永久に苦しまなければならぬ点もありましようし、また他の経営に対する影響も考えられますが、出す方の影響が大きいものですから、最近の新聞論調を見ておりますと、往々にして、どうも安易な方をたたく、というと語弊がありますけれども、多少そういう弱い方の主張をすなおに輿論として反映されないうらみがあるのではないか。そうして実際に困つておる多くの人々よりも、困らない少数の人々の方が、どうも有利な報道になりがちになるのではないかと思います。多分そういうことはないだろうと思いますが、もしそういうように受取れるような新聞記事があるとすると、新聞の輿論的観察は少し片寄つて行く傾向にあるのではないかと思いますが、そういう点について、井上さんはどういう観察を下されるか、ひとつお伺いしたいと思います。
  77. 井上縫三郎

    ○井上公述人 何か新聞の代表に推されたようなかつこうで意見を求められたのでありますが、最初にお断りしておきましたように、新聞の代表ということではなくて、私の感じを述べたわけでありまして、新聞が労使の問題の場合に何か安易な道を選んで行くというふうにとられるとすると、これは一種の誤解に基くものだと思います。私たちが今日一番絶えず頭の中にありますものは、高い立場から――一つの立場からではなくて、いろいろ日本の置かれておる立場という問題、労使の問題にしましても、階級的な立場からばかりでは割切れない問題もある。やはり日本の現実から、今後の方向というものを考えて行かなければならないという点から、いろいろな悩みを持つておるということは、新聞といえども日本国家と同じであると私は信じますので、そういう場合において単純に割切らないで、幾つかのデータといいますか、基本になるところのもの――私は今日それを考えます場合においては、階級的な一つの立場というもの、同時に日本の民族国家という立場、それだけではなくて、さらにそれが世界に通ずる道でなければならない。この三つを絶えず私は少くとも頭に置いて、いやしくもそれを取上げる場合においてどういう見方をするというのではなく、その点において日本の動向を誤らないようにしたい。ただいま私はそういう気持でやつておることを、御了承願つておきたい、こう私は存じます。
  78. 山花秀雄

    ○山花委員長代理 松前重義君。
  79. 松前重義

    ○松前委員 ひとつ井上さんの御意見を承りたいと思います。私はこの間中国へ行つて来まして、あそこの給料のあり方を、調べたというほどでなく、一応見て来たのです。ところが、大体あそこは、昔の日本の武士に対する禄のようなもので、メリケン粉何袋、あるいは米何斤、こういうことを大体の給与のべースにしております。それを物価に応じて換算して月々支給しておる、こういうやり方をしておりますので、もし団体交渉その他があれば、一ぺんでよろしい、あとはずつと機械的にやればよろしいということになつております。要は物価の問題で、物価が高くなれば、給与をよけいにやらなくちやならない、こういうことになるのでありますが、今度の仲裁裁定の問題は、一応そういうふうな概念が頭の中に入つてつて、それをあのように多少物価が上つたからベースを上げて、あるいはまた仲裁裁定として少し色をつけてやる、こういう仲裁機関ができて、その裁定に従うか従わぬかというようなことでがたがたやつておる。これはまことにまずい話で、当然これは従うべきものであるし、実施しなければならぬものであるということは、もう大前提として私は認めておるのでありますが、とにかくそういう立場から物価の問題が一切のこれらの問題の中心になるんじやないかというふうに私どもは思うのです。たとえば、私はかつて全逓との間に争議をやつたことがある。私は、今社会党に属しておるが、昔は経営者の立場で争議をやつたことがあるのであります。われわれも月給取りで、別に資本家でもなんでもない。けれども、そこにそういうような条件が社会的に出て来るのは結局経済政策の失敗から来るということは申すまでもないのです。ですから、先ほど朝日の方がおつしやつたように、この問題が何といつても中心的な問題である。年末手当の問題にしても、二箇月なんというものは、よくも遠慮したものだと実は思うのですが、とにかくこういうふうな状況では、いつになつてもがたがたして、結局日本の国の生産というものは上りはしない、こういうことを私は今非常に強く感じておる。いろいろやり方はありましようが、言いかえると、少し予算を厖大にすればインフレになるというような方式でもつて、こんなことを考えておるけれども、これは自由主義経済の立場においての話なんであります。計画経済のもとにおいては、しかるべき方途が十分に講ぜられる。現にそれを実行しておる国もあるというのでありますから、そういう大所高所から見て、このような仲裁裁定あるいはまた人事院勧告等の制度に、もちろん欠陥もありましようし、政府がこれを聞かないといたうようなことは、もつてのほかのことでありまするが、とにかくこのような一般的な、大局的な立場から見て、制度とそれから今の一般の物価の問題、経済政策の問題、そういう点を、特に経済的に明るい論説委員であられる井上さんから、御意見を承りたいと思います。
  80. 井上縫三郎

    ○井上公述人 私、実は物価の問題も考えて参りましたが、いろいろ皆さんお話になりましたから省略いたしましたが、私は物価の問題が、非常に大きな問題ではないか。朝鮮事変以来、日本の物価だけが六割も七割も上つておる。アメリカは一割くらい、イギリスは二割ぐらいである。その物価の上つているものが、正当なる生産費の向上によるものであつたかどうか。私はその後の政府の物価に対する政策というものが、ほとんど何ら手を打たれていないということ、一方において業者が思惑をやつて物価をつり上げて来ておるということではないかと考えております。こういう点が、日本の物価を国際的に他の国に比較して引上げて来ているということではなかつたかということが、大きな問題であると思う。私公述人として各政党の政策を批判する意味合いではないのですが、少くとも朝鮮事変以後今日まで、日本の物価に対する適切な方策がとられていなかつたということは、断言していいのではないか。そうしますと、今日一番大切なことは、勤労階級の納得を得るようなはつきりした物価政策を立てて国民にこれを示し、インフレに対するところの協力を求めることが第一段階ではないかと痛感しておるのであります。個々の問題につきましては触れませんが、今日一番大切なことは、ベース問題よりも、国民全般に対して物価を高騰せしめないところの政策が断固としてとられなければ、インフレを防ぎ得ないということは言い得るのではないかと思います。
  81. 松前重義

    ○松前委員 今、仲裁裁定制度の問題については、御意見を承らなかつたので、それと関連して承りたいと思うのですが、今のように朝鮮動乱以後における政府の施策は全然無能に終つたということによつて、このような仲裁裁定が出て、それはインフレを助長するから困る、こういうことで、まるでいたちごつここでやつている。日本は昔からそうでありますが、私が逓信院時代に労働争議の矢面に立つておりましたころも同じような悩みがあつた。そこに私ども根本的にこの問題を考えるときに、仲裁裁定だけは政府が押しつぶされてのむ――これは当然のむだろうと思うのでありますが、そのようなことだけでなく、一歩進んで、現在の政府などは相手にしない、とにかくどういうふうにあるべきかという根本問題を考えるときだと思うのです。非常に公平な立場の論説関係の方から御意見を承りたいと思いますが、もしも物価政策に失敗したがゆえに、このような困難が、政府が法を守らないために起つたとするならば、そういう裁定をのみ得ないということによつて、むしろ政府はその責任をとるべきだと考えます。しかし、りくつ通りになさらないのが現在の姿です。この辺について、ちよつと御意見を承りたいと思うのです。
  82. 井上縫三郎

    ○井上公述人 どうもますます追い詰められて行くようでありまして、これ以上出て行くと、何か公述人の立場を離れて来るようになりますから、御了承願いたいと思いますが、少くとも今日の仲裁制度というものについては制度そのものがやつて行けないと同時に、先ほどから申し上げておりますように、一般公務員と公労法の適用を受けている人は違う。そういう人たちを、最後は民間に近いところでということでありますからしてその点に一本はつきりした線を引き得るような組織にして、その上に立つて仲裁制度の改正というようなことも考えたらいいのではないか。現実の問題につきましては、私は公労法の中身は大体においてこれはやり得るということであつたならば、当然これは完全実施さるべきである。それから旅客運賃の一割値上げの問題があるが、それは企業の中でまかなえる範囲のものでないか。もし鉄道がまかなえないというような場合、それが風水害などによるものであるならば、インフレという点からも、一時金なり一般会計からの繰入れなりによつて防いだ方が、他の物価には影響が少ないのじやないか、私はこういうふうに考えております。
  83. 多賀谷真稔

    ○多賀谷委員 井上公述人から、ことにこの法の実態から離れて、国家公務員との関連において給与がきめられておるじやないか、むしろそういうことはやめにして、慣行事実においても、やはり企業別に独立採算制の建前からいつてきめるべきではないか、ことに立法機関としては、そういうふうに考えるべきではないか、こういうような示唆に富んだ公述があつたわけであります。そこで、われわれも、現在公労法規定しております事業内容から見ますと、ほとんど独立採算制でやつて行き得るような事業内容を持つておる。単に現業だからということではなく、現業の中でも、そういうむずかしいのは省いておる。そういう点から見ますと、そういう感じを一層深くするわけであります。そこで、私は現在これと同じような、いな、むしろこれよりも公共性を持つておるものに、日本銀行があると思うわけであります。日本銀行の経理に対する政府の監督権を見ますと、やはり予算を提出して、そうして大蔵大臣の認可を得るようになつております。しかしながら、給与を一々かえるとか、そういうことについては、全然許可がなくてもよい納付金の問題でも、なるほど専売公社も、国有鉄道の関係も、あるいは電通にいたしましても、やはり納付をしなければならぬということになつております。ところが日本銀行も積立金、五分の配当金以外は納付しなければならぬということになつておるのであります。そういう点から見ますと、私は経理に関する政府の監督権は、日本銀行法程度でよいのではないか、かように考えるわけでありますが、これに対してどういう御意見か、承りたい。
  84. 井上縫三郎

    ○井上公述人 私は、日銀が現在の公共企業体と同一であるかどうかという点は、なかなかむずかしい問題だと思います。これについてどうもはつきり見解を述べることはできませんけれども、現在の公共企業体を、すつかり一つの独立採算の形にしてしまうときに、問題が出るのは郵政関係の現業だけで、あとはほとんど民間の企業体と同じような形のものじやないかと思います。人によりましては、アルコール専売などは、もう専売をやめてもいいのじやないか、こういう考えもありますが、この点については私は的確なる判断を持つておりませんから差控えます。しかし、そういう企業体にしてやつて行つた場合、たとえば、タバコ専売などは、いわゆる税に属する部分と一緒になつておりますから、こういう点を、はつきり分配する部分とそうでない部分を割つて、そうでない部分は予算の監督なりあるいは各企業に対してそれぞれの予算経理準則というものをがつちり立てて行く。同時に外から――組合もでしようが、国会といいますか、そういうところからして経理の監査を厳密にやつて行く。同時に、かせいで来たものは、その企業体の中でわけるという形にして行くと、結局中で働いておる人も、もつと能率的になつて来るのじやないかと思います。そういう態勢をつくつて行くということ、これは法の改正と同時に、ある意味では法の権衡を主張することになるので、その方面のことがこれから先相当検討されてしかるべきじやないか。特に、今日政府において行政機構の改革ということを言われるならば、こういうものもあわせて取上げられて、公共企業体の人が、能力によつてもつとよい賃金をとつて行くというふうな形に持つて行くべきじやないかと存じております。
  85. 赤松勇

    赤松委員長 次は早稲田大学教授野村平爾氏が見えられております。御意見をお述べ願います。野村公述人
  86. 野村平爾

    ○野村公述人 早稲田大学の野村平爾氏です。私の申し上げますの、法律面から見たこの問題についての意見であります。この点につきましては、私以外のたくさんの人たちが、公労法精神とか、あるいは公労法の十六条、三十五条の精神とか、規定解釈とかいうようなことにつきまして、意見を述べておられるように伺つておりますので、たさくんの点では重複して来ることもあるかと思います。従つてごく概略申し上げまして、もし御質疑がありましたら、その点で私の意見を述べさしていただきたいというふうに考えております。  これはすでに新聞社の方にも申した点でありますけれども公労法精神の問題にかかわるわけでありますが、ちようど思い出しますと二十三年の暮れの国会におきまして、公労法が提案になりました折り、私もその問題について公述を求められて、この国会意見を述べたことがあるわけであります。その際伺いました提案理由、それによりますと、公共企業体の職員には国家公務員に認められるその地位に関する特別の保障がありませんから、これにかえて、完全な団体交渉と適正迅速な調停と厳正な仲裁との制度を確立することによつて職員の生活安定を保障する必要があるのでありまして、これに関する法制的措置を講ずることを必要としたのであるということが、仲裁裁定を設けられた提案理由として出ておるわけであります。そうしてさらにこまかい説明をしまして、職員の争議行為を禁止いたすことにいたしておりますが、これは公共企業体が完全国有法人でありますので、これに対して争議行為を行うこと、ひいては国家に対する脅威を及ぼすことになると述べまして、そうして、このような事情でやむを得ず争議行為禁止の措置を講ぜざるを得なかつたのでありますが、しかしこの反面においては、団体交渉の完全な方法と公正な調停及び仲裁機関の迅速的確な活動によつて職員の地位の向上については十分な保障がなされることになつておりますというような説明を政府がしておつたのであります。もちろん、このようなことが言われましたのは、二十三年の七月二十二日のマツカーサー書簡というようなものに述べられておる趣旨によつて、現業公務員が当時争議行為を禁止されたということの見返り的の意味において、こういうようなものが制定されなければならないことが要請されておつたというような事情もあるわけでありますし、単にそのような歴史的な事情だけでなしに、法律全体系の中における論理的な構造としましても、憲法の中に争議権を保障している。その建前からいつて、争議権をかりに奪うというならば、その奪うことにかわるだけの制度を設けなければいけない。なぜかといえば、争議権は勤労者の生存権の保障の一つの手段であるからなんだ、その手段を奪うというならば、他に、これにかわるところの手段を設けなければならない、こういう論理的なことを前提として、初めて公労法そのものの合憲性とでもいうべきことが一応成り立つような、そういつた関係のもとにこういうことが言われたのだというふうに考えておるわけであります。  従つて、私は二つの点が言えると思うのであります。強制仲裁制度というのは、この公労法の中に設けられた調停の制度と一緒に、公共企業体職員の賃金向上のための十分な保障制度となるべき使命を持つておるということが一つの点であります。それからもう一つ意味は、その意味では、争議行為を禁止したところの一つの代償的な意味を持たなければならないということであります。従つて、この二つのことが前提されまずと、その結果として次のようなことが言われなくてはいけないのではないかと思う。それは、裁定内容というもの少くとも職員の地位の向上の十分な保障たり得るような内容を備えなければならないという点であります。それから第二の点は、仲裁裁定は、その運用が迅速であるということを必要としなければならないということ、迅速的確に実施されるということが要求されるのであります。  以上のような意味でもつて考えますと、従来の裁定結果というものを検討したときに、その迅速さという点においても、内容の完全実施という点においても、必ずしも十分なものではないということが考えられるわけであります。ごく簡単に申し上げてみましても、たとえば内容の点からいつて裁定通り完全に実施されたというのが、第十回までのものを計算しますと、三回ばかり認めるわけです。そのほかに、もちろん当事者間において申請を却下して、それによつて当事者間の話合いでまとまつてしまつたというようなものもありますけれども、大体他のものについては、国会の審議決定という手続まではかりまして、そうして一部実施という形になつたのが五回ばかり、私の見ましたのでも数えられるわけであります。それから時間の点におきましては、早くても要求を出してから解決に至るまでが大体四箇月、これが一番早いものであります。遅いものになりますと、一年を越えているものもあるわけであらます。ですから、迅速的確という点から行きましても、内容の実施という点から行きましても、必ずしもこの制度がその目的の通りに運用されていないというようなことを感ずるわけであります。  そこで、もちろんそうなりますと、それではどうしてそれを改めて行くかという問題が考えられて来ることになるわけです。一つは、どうしてもこれは立法の問題として考えなければならないということが、当然考えられるわけですが、もう一つは、現在の法律の状態のもとにおいて、どうしてそれを実現して行くかという、一つの大きな問題が考えられて来るわけです。もちろん、そういうことを考えます場合には、日本におけるいろいろ経済政策全体の問題というようなこともありましよう。それから先ほど来話されておつたような公務員とのつり合いの問題というようなこともありましよう。いろいろありますけれども、私たちのこの法律的な立場から見る場合には、やはりこれは裁定の効果というものを十分に発揮させるような法律解釈というものが、大体できる限り努力されなければならない。そこで、それを裏づけるところの政府の積極的な努力というものがなければならない、こういうふうに考えるわけです。ちようどそれに対応するような意味におきましても、この公労法の第一条が、すでにそういつた精神をうたつておるわけでありますし、それから迅速にやらなければならないという点で、たとえば裁定の実施というような点につきましても、これを国会に付議する場合につきましても、非常に早く急いでやらせるような法律趣旨というものも規定の中に現われているわけであります。従つてそういう精神政府が積極的にこれを努力するという以外には、今のところ救う道がないのではないか、かように考えるわけであります。  ただ、そうなりました場合に、それが具体的に現われて来るのはどこの問題であるかというと、技術的な点として、たとえば十六条の解釈の問題というようなことに、実はかかつて来ておるわけです。これにつきましては今日までかなりいろいろな意見も出ております。そして公述をされた峯村教授などは、すでにそれについては非常に詳しく解説を書いております。私たちも、しばしば意見を交換したりする関係上、大体考え方も同じでありますので、あまりこまかな点まで繰返す必要はないかと思いますが、私の考え方を、ひとつ要約的に申し上げてみたいと思います。  裁定が下ると、その裁定について、予算資金支出が可能であるかどうかということを考えなければならない問題が、論理的には出て来るわけであります。その論理的に出て来る過程においては実際問題としては、たとえば国鉄その他公社、現業官庁等もそうでありますけれども、可能であるかどうかということを考える場合に、その間には、たとえば国有鉄道法の場合であつたならば、四十四条の二項というような規定があるといつたように、ああいう規定について、とにかく積極的な努力をするということがそこで考えられるわけです。その点についても、どうしてその裁定を実現して行くかということに、そこで努力しなければならないということが裏打ちされて、初めてこの規定精神が生きることになるのではないか。そうして可能だということになりますれば、これはもう全面的に確定的な効力として、将来までも生じて来るということになるわけでありましよう。しかしそこで、不可能だ、どうしても出ないということになりますと、御承知の通り事由を付して国会にこの裁定についての承認を求めなければならないことになるわけですが、裁定そのものの内容については、しばしば議論されるように、私たちはこれは国会で左右すべき性質のものではないというふうに考えているわけです。そこで事由を付して国会承認を求めるという場合には、やはりその事由というものは、一体どういうことを言つているのかということと、その裁定予算資金政府としては実現できないから、これこれの法律をもつてこれを実現しようと思うがどうであるか、こういう形において出されるべき性質のものではなかろうかというふうに、実は考えているわけであります。そこでこの不可能ということが決定してから国会承認を得るまでの間においては、政府は一切の手段を尽して――と申しましても、これはその財政関係の法律やその他のいろいろの問題があると思いますが、そういうことの手続において十分に尽して、その精神、その裁定そのものを生かすという努力をするということがなされなければならないものだというふうに考えております。  そこで、ひとつぜひ申し上げたい点があるのでありますが、本来現業庁はもとよりのこと、公社の場合においても、すでに国鉄は、これは国有法人的なものであるということが、その当初からいわれておつたように、その資本の面においても、監督の面においても、人事の面においても、これはまつたく政府と密接不可分的な関係において結びついておるものであるわけです。法規上、一応形は国鉄当局ということと政府というものは別建になつております。しかしながら実質的には、これはまつたく一体をなしている関係にあるというふうに考えてもさしつかえないものではないかというふうに思われるわけです。そこでこういうような政府がほとんど公社当局と離れない関係、不可分の関係、密接に結びつけられておる関係において、その公社とその職員との間に問題が起つておるという関係になつた場合には、つまり、政府はどちらかというと、公社側の立場に立つているものだ、こういうふうに考えなければならないわけであります。そこで仲裁裁定制度でありますけれども仲裁裁定制度は、そういうふうに意見の一致しない両当事者の間に立つて裁定を下すという地位に立つわけでありますから、実はその裁定が下されるまでの立場は、政府公社側の立場に立つことは私はもとよりさしつかえないと思うのであります。ところが裁定が下つたということになりましたならば、政府はその精神としてはその裁定に縛られて、そうしてそれを実現することに努力するということになつて行かなければならない。そうではなくて、もし政府が、自分が公社当局とはまつたく別のものであるという立場に立つて、この裁定内容を左右するような権限をそこに振うということになつて来ますと、公労法全体の精神というものはこわれますし、今言つたような仲裁裁定における両当事者と、それから仲裁裁定者というものとのこの三者的な関係というものはこわれて来るのではないか。もちろん、そういうこと自体が無理なんだということになるならば、これは立法的な改正問題になるわけでありますけれども、少くとも現行法の建前は、そういう建前になるんじやないか。そこでそういう建前に立つならば、その制定を尊重しなければならないことになるだろうし、従つて尊重するということになる限りにおいては、今度裁定が下つたならば、その裁定については、政府裁定に服するるという精神的拘束のもとにこれを、実現して行く努力をする。そうしてそれについての是非ということは、もちろん国会予算審議権というようなことにかかわるわけでありますから、国会が独自の立場に立つてこれを判断するということが、この十六条の基本的な精神にならなければならないものだというふうに私は考えているわけであります。  こういうことを法律的な言葉で言い直しますと、いろいろこまかな問題が出て参ると思います。しかしそのことにつきましては、先ほど来たくさんの人の意見があつたようでありますので、お断りしましたように、私としましては、質問に応じまして私の考えを、述べてみたいというふうに考えるわけであります。従つて具体的には、私はこの予算資金上の支出の不可能という問題でありますが、これは実際の問題として考えてみますと、いわゆる給与に関する予算総額というもの、大体きまつていて、それを一応国会承認をしたという形をとつておるわけでありますから、従つてそういう形で、その給与総額の中から、何かその要求を満たすような方法が実際においてとられるかというと、ほとんどとられることの可能性というものはないんじやないかというふうに考えるわけであります。そうすると、この予算資金上の可能性のある場合というのは、ほとんどわずかのものであつて、実際にはほとんどそういう可能性の余地というものが考えられないことになつてしまう。実際に考えられないようなそういうもので、一応考えたものとして、それ以上のことについては、全部政府としてはいれられないということになると、初めからいれられないという主張が、裁定を経てもやはりいれられないという主張となつて現われるのと、実質においては少しもかわりなくなつてしまう。そこでその弊を救うということになるならば、やはりこの制度精神から制度精神からいつて政府予算的措置というものを考えてそれを一緒にあわせて、この裁定というものについての国会承認を得るというような形に持つて行かなければ、この制度が私は死んでしまうのではないだろうかというふうに考えるわけです。ですから、むしろ私は、この問題について審議するなら、もし付議をして審議するということならば、委員会としては、どうしても大蔵関係の委員会というものが、これに携わらなければならないものではないだろうか、このように考えているわけであります。  なお、こまかい点につきましては御質問いただきたいと思いますが、大体私の根本的な考え方は、今言つたような点でございますので、これで公述を終りたいと思います。
  87. 山花秀雄

    ○山花委員長代理 野村公述人公述は終りました。質疑がございましたら……。
  88. 中原健次

    ○中原委員 一点だけ伺います。昨日来いろいろ各公述人の御見解を拝聴いたしました。ただいままた野村教授の御公述を拝聴いたしまして、大体共通する御見解でもありますし、また私も実際の経験の中から、そのように感じて参つた点でありますが、すなわち第十六条の二項の解釈であります。この第十六条第二項の取扱い方が、従来政府によりましては、不承認を、あるいは裁定の不履行承認を求めるという立場に立つて国会に提出されて参つたのが実際の姿であります。そうなつて参りますと、第十六条第二項の解釈というのは、政府がもうすでに根本的にこれを間違わしておる。政府のそういう考え方の上に立つたそのことが、すでに違法である。法解釈を間違わしておるのであるから、そのことがもうすでに、その態度自体がもうすでに許されないと同時に、効力がない、こういうことになるのではなかろうかというふうに判断ができるわけであります。そうであつてみれば、今まで政府がやつて参りました態度というものが、もうすでに間違つておるのでありますから、根本的に今日までの仲裁裁定に対する政府の態度を否定されてしかるべきだ。だから、むしろ政府予算措置を講じて、少くともこれを実施するための条件をそろえて、そのことを事由として、その事由を付して国会に出すという手続に出ない限りこれは間違いである、こういうふうにもなつて来るのではないかと思うのであります。そういたしますと、今後公労法解釈自体に大きな問題が起つて参りますので、かりにこのことについて組合側が異議を唱えて、提訴するというようなことにもなることが考えられますが、そうなつて来ると、政府は大きな責任を、勢いしよわなくちやならぬということにさえなるのじやなかろうか、こんなふうに判断をいたすのであります。従いまして、これらのことについて、大体わかつておりますようでありますけれども、もう一度御見解を拝聴したいと思います。
  89. 野村平爾

    ○野村公述人 大体私の申し上げた考え方も、そのような考え方に立つているわけであります。ただ、政府の責任というものが、一体どういう形のものにになるだろうかということにつきましては、必ずしも私まだ十分に考えておりません。政治的な責任にとどまるのが、あるいは法律上何かの救済手段というものが講ぜられるのかという点については、私も十分考えておりません。あやふやなことを申し上げるよりは、もう少し別の機会に譲らせていただきたいと思います。考え方としましては、この十六条第二項の考え方はどうしてもこれは今のように、政府予算措置を講じて持つて来なければいけないのじやないか。政府はむしろ、下つた裁定範囲を具体的に左右するような努力というものをしてはならない。それを国会が、全体の予算の建前の上から判断をすべきものだ、こういうふうに考えております。そうでないと、現業などの場合については、ことに政府それ自体が当局になつているわけでありますから、密接でありますし、先ほど言いましたように、公企業の場合におきましても、まつたく不可分の形になつているわけでありますから、従つて、そうでも考えない限り、この制度全体が何のためにできたのか、しわからなくなつてしまう、こういうふうに思つているわけであります。
  90. 中原健次

    ○中原委員 従いまして、労働者側の立場から言いますと、ともかく公労法の合憲あるいは違憲の論は別といたしましても、いずれにいたしましても、この法が効力を持つておるわけであります。そこで、やむを得ずこの公労法に縛られながら、今日までいろいろな苦労を続けて参つた。その労働者といたしましては、このせつかくのそのようにして保障さるべき一つの保障が、政府の一方的な意思でどのようにでも取扱われて行く、いや、これが蹂躪されて行く。それをしもやむを得ずとしてただ見守つていなければならないという立場に置かれていることが、考えられるわけであります。そうあつてみますと、やはりこの第十六条第二項の責任は、もちろん政治責任でもありましようが、同時に、法律的な、あるいは経済的な、そういう責任もずつと関連して来なければ、意味がないというふうに思いまするし、従つてこれは今後当然この問題については、一層深い関心を各界からお寄せいただけることとは考えます。もちろんこういう問題については、労働階級がせつかくの争議権を放棄せしめられてまでの条項でございますだけに、少くともこの第十六条の二項は、かかる意味において、単に政治的な責任ということだけではなしに、さらに突き進んだ責任を政府が負うべきものであるということにつながつて参りませんことには、やはり第十七条であのような制約を加えたことが、まつたく不当なことになつてしまうと思います。もちろん、それでなくても、われわれは不当だと考えますけれども、百歩譲りましてこれを認めるといたしましても、この第十六条第二項がいつまでもそういう解釈のもとにおけるその権威を続けて来ないことには、どうしても争議権を否定されたことを、やむを得ずとして参るわけには行かないことになつて来るかと思うのであります。実はこの点につきましては、あまりお尋ねする必要もないかと考えますが、当然そういつた関係から、第十七条がすぐにそれとつながつて関連をして来るであろうと私ども解釈しますし、また沼田教授も峯村教授も、大体同様のことを御指摘になられたかというように記憶いたしている次第であります。そういうことで、私は今後公社並びに現業関係の解釈、取扱いの問題については、さしづめ今度のこの経験をさらに発展せしめて、十七条の問題へ当然これが論及されなければならないと考えるわけであります。ことに政府は、今度この経験からむしろ逆に、公労法を労働階級のために非常に不利なものに改悪して行こうかのごとき気配があることをうかがい知るわけでありますが、そうなつて参りますと、いよいよもつてこれは恐るべき反動化でありまして、むしろそういうやり口をやるといたしますれば、これは明らかに一つの憲法無視であると同時に、一種のフアツシヨ的な大きな偏向を冒すものだというふうにさえ思うものであります。もちろんこれにつきましては、当然学界におかれては、相当敏感に政府のそういう動向については、御注目のことと考えますが、もし万一この公労法の十七条の今後の取扱いの問題について、今度の不履行の結果として、このままでは相ならない、十七条はそのために自動的に効力を喪失するものであるという解釈になることの逆に、むしろかえつてこの公労法が改悪でもされようということになつて参りますれば、これに対して、労働者としてはどれだけの抗議が妥当であるかということについては相当の問題をここにはらんでおるものと思うのであります。これらの点について、何か一つの示唆をお与えいただければと思いまして、お尋ねいたします。
  91. 野村平爾

    ○野村公述人 すでに現実の問題は十七条にかかるか、かからないかというような事態に動いているように見受けるわけであります。ところが、十七条に関連しまして、十八条で、この違反をした者に対する解雇の規定があるわけであります。この違反をした者に対する解雇の規定は、これは精神としては懲戒規定であります。従つて懲戒というのは、懲戒に値する正当性を持つておるかどうかということが、基準にならなければならない、従つてこの懲戒規定に基くところの解雇が有効になるのかならないのかというような問題については、そのときの条件の中において行われた行為の正当性というものが判断されなければいけないわけなのであります。従つて、単に今言つた条件の中で行われました場合には十七条の言葉に違反したような形が出たからといつて、それがただちに十八条における解雇を正当ならしめないという法律的な問題はあろうかと思います。ですから、現にたとえば昨年の暮れに行われました国鉄の組合幹部の解雇問題につきましては、十分争い得る余地のある問題を提供しているというふうに、私たちは見ているわけであります。  この公労法の改正問題ということが、今問題になつておるかのごとく申されましたが、実はそれほど敏感に私たちはそういうものは知つておらないのであります。ただ二、三日前の新聞でもつて、大体公労法改正の方向が幾つかあるのだということを解説してありましたものを、私たちは見ているにすぎない。少くとも私は見ているにすぎません。従つてこういう問題について、さらに現在よりももつと労働者、職員のために不利益な形で改正されるかどうかという問題につきましてはまだ十分に考えておりません。もちろん、そうあつてはならないのだというふうには考えております。なぜかと申しますと、私は公労法制定の当時から、そういう考えをしばしば述べておるのでありますが、大体公労法のような形におきまして、現業公務員並びに公社職員というものを取扱うことそのことが間違いだ、これは一般労働者と同一の形において取扱うべきものであるのだというふうな建前を持つておりますから、従つてこういうような制限のわくをますます強くする方向への改正ということであれば、これはとんでもない間違いではないかというふうに考えております。法律論や立法論として申し上げる点はいろいろあるかもしれませんけれども、まだ具体的に材料の出ていない際でありますから、意見はこのくらいにさせていただきたいと思います。
  92. 吉田賢一

    ○吉田(賢)委員 ちよつと一つ伺いたいのですが、すでに法律質疑応答が相当ありましたので、これはもう解明済みかもわかりませんが、その点はお許し願いたいと思います。  この十六条の一項の解釈の問題でありますが、前段によると「公共企業体等予算上文は資金上、不可能な資金支出内容とずるいかなる協定も、政府を拘束するものではない。」この支出の可能不可能の問題が「予算上又は資金上」ということになつております。予算上と限定しておらぬ、資金上にもかかる。一体資金上とは何か。この企業体等の当時の財政経理等の状況がこれをきめるのであるかどうか。一体資金上とは何か、こういう点であります。予算上というのは、大体われわれの国会の常識によつても、簡単に解釈し得ますが、資金上とは何かという点について、今のような疑問を私は持つのでありますが、どういうふうに解釈すれば適当でありましようか。
  93. 野村平爾

    ○野村公述人 この資金上の問題でありますが、この資金上ということにつきましては、私は各公社並びに現業庁の関係の詳しい内容を実は知らないのであります。従つて、私たちが考えておりましたのは、そこの財政の中における資金というふうに指定されたものだというふうに考えておつたのでありますが、それ以上のことを実は存じないのであります。
  94. 吉田賢一

    ○吉田(賢)委員 バランス・シートで資金ということになつて来ると、これはまた流動資産等の支出運用使用可能なものをさしているようにも一応常識上考えられますが、しかしまた、みずからの企業体における最高の、経済的支出をなさねばならぬ義務づけられた問題に当面したときの資金というようなことになれば、これはやはりかなり広汎に資産状態を全面的に検討をして、可能か不可能かということを考えるべき筋合いでなければならぬ。余つている金があるからどうの、一旦きめた予算余裕があるからどうの、こういうものであれば、これは意味ないことになる。やはり三十五条の前段の絶対的な最終決定として当事者双方が服従の義務規定しておりますのは、私は相当権威がなければならぬと思う。但書ということは、同条但書の、十六条の規定事項についての裁定については十六条によるという、これは真にやむを得ざる場合の例外でなければならぬ。その但書が、公共企業体の財政経理に関する責任機関において、単紙にぞうさなく日常の資金繰り関係といつたような程度にこれが扱われるということであれば、この資金なるものの意味は、公労法をこれによつて抜いてしまつて、むしろ脱法的な穴をここでこしらえておるとも言い得るほどに、実に害をなす規定になるおそれがあると、私はこう考えるのでありますが、あなたは法律御専門でもありますし、立法当時から何かと御参画になつておりますので、その辺は一体どういうことをここに法律としては用意したのであるか、こういうふうな点からひとつ御説明賜われましたら……。
  95. 野村平爾

    ○野村公述人 実は私のような考え方をとりますと、その点があまり問題にならないのであります。なぜそうかと申しますと、資金上不可能だと考えた場合には、政府予算措置を講じて国会承認を得るように努力をするわけでありますから、従つて政府自身が資金上不可能だという形でもつて予算措置の方へ移すか、あるいはその資金の中でできるものとして努力をするように監督し指導して行くかという問題のいずれかになるのだというふうに自分は考えておつたわけであります。従つて資金という意味がどんなものをさすのかということについては、実はこまかく考える必要はないというふうに思ておりました。しかしながら、今いろいろ御質問を伺つておりまして――もちろん私の考え方はできるだけそれを努力すべきだという建前を終始とつておりますから、お考えのような形でなければ意味をなさなくなるということはごもつともだというふうに考えております。  ただ、もう一つつけ加えておきたいと思いますのは、実は資金関係の内容については、具体的なものを私は存じませんということと、この立法ができましたときに参画したというふうにおつしやいましたが、私は実は公述人として法律的な意見を求められただけでありまして、別にこの立法等に携わつたわけではないのでありますから、その点は存じないのであります。
  96. 吉田賢一

    ○吉田(賢)委員 これを協定並びに裁定が行われた後の運用の現実面から見てみますと、政府が独自の立場において企業体の財政経済の実情のいかんにかかわらず、裁定趣旨を尊重してそれぞれの予算措置を講ずるということが、私は最も妥当ななさねばならぬ政府のあり方であろうということは、それは同感でありますただしかし、現実の面におきまして考えますと、たとえば国鉄にしましても、郵政にしましても、そういつた面の若干の予算の経理とか資産の管理とか、あるいは資金の計画とか将来の事業の計画とかいうようなものの実情を見てみますと、やはり政府といつたところが、それなら郵政の場合に、郵政省を無視して大蔵省がどうするわけではございません。やはり独立採算制を前提にした一つの現業庁でありますので、財政経済の面は、一応郵政省並びに国鉄なら国鉄みずからを主にしまして、いろいろと措置を講ずる、それを無視して他から、一般会計その他からあるいは資金を捻出するとか、その他財政の措置を特別に講ずるとかいうような考え方は、現実にほとんどないだろうと私は思つております。端的に素朴な言葉で申せば、お前たちの方は独立採算制の企業体だから、その方でまかなえるものはまかなつたらいいだろう、悪ければ直せばいいだろうといつたようなことが、通常両者間に存する関係だろうと思うのであります。そういう点から見てみますと、仲裁裁定の三十五条の趣旨精神を尊重して、裁定が下つた以上は、政府は独自の立場においてその実現にできるだけ努力する、こういうことはたいへんけつこうなことでありますけれども、ここにやはり国会で問題になるのは、そのような態度が見えぬので、問題になるのでありますから、そこで私はもう一歩前へもどつて予算はともかくとして、一体資金とは何か、可能、不可能とは何か、こういうことがやはり十六条の解釈といたしましても、相当明確になつて来なければ、この運用の適切を期することはできぬのじやないだろうか、こう考えます。たとえば法律にあなたのおつしやいましたように、政府といたしまして事由を付して国会に付議するという段階に至つた以上は、政府みずから独自の立場において仲裁裁定の実現のために努力をするとかいう、何か法律的の規定でも相当明確になつておりまして、第十六条の一項をさらに補充するといいますか、その困難なのを、仲裁精神従つて何か妥当適切なる案を出し得るように政府が努力する根拠が、法律上明確になつておるといいと思いますが、その点も私寡聞にしてはつきりしないのであります。そう考えますと、十六条の一項というものは二項の政府行為の前の段階におきまして、やはり精細に的確にその不可能かいなやの状態は判定されることがなければならぬ、こういうふうに考えるのですが、これは重ねて伺うようなことになりますけれども、御意見があれば伺いたい、こう思います。
  97. 野村平爾

    ○野村公述人 解釈上、もちろん予算上とか資金上可能であるとか不可能であるとかいう点については、ある程度まとまつた考え方というものが、もうできて来ているというふうに私たちも考えております。ただ、私がその点につきまして、なぜ主として政府のことを申し上げたかといいますと、すでに現実の問題がむしろそちらへ動いて来ていたものですから、そこで私はそういうことを申し上げたわけです。しかしながら、まだ問題が公社自身の手にあるとか、まだ現業官庁それ自身の手うちにある場合に、それに対して努力をしないで、通常の方法だけでもつて、今資金がないからというような形で、すぐこれを政府に移してしまうというようなことが妥当だというふうに申し上げたわけではなかつたわけであります。大体、私はあまりこまかい点を存じませんから、それ以上は……。     〔山花労働委員長代理退席、赤松労働委員長着席〕
  98. 吉田賢一

    ○吉田(賢)委員 そうしますと、やはり一応私どもは、心得として解釈はつきりしたいと思うにすぎない問題点でありますが、可能、不可能を、たとえば国会が審査する上におきましては、政府が介入して来る以前の状態であろうと、しからずして政府事由を付して国会に付議するという段階に来ておるといなとにかかわらず、総じてこれは検討を加えまして、そして政府が間違つておれば、これを責めて行くということもなし得るのであります。そこで、そういう意味におきましてお尋ねしておきたいのですが、資金上あるいは予算支出が可能かいなやということは、一体どこが最終的にきめるのでありますか、その点どういうことになるでしようか。
  99. 野村平爾

    ○野村公述人 この点につきまして、結局国会へ持つて来ますまでの判断はそれぞれ公社においてできるか、できないか、公社自身は公社自身として判断をし、政府はそれに対して監督的な立場において権限のある点については発言する。だから主務大臣において取扱うべき事項、それから大蔵大臣において認むべき事項というものが、たとえば予算についてはあるわけであります。そういうような権限に基いて考えられるのだというふうに私は考えております。資金の問題につきましては、やはり公社自身は、資金上それを実現し得るやいなやということについて、一切の努力を傾けて、実現に努力するようにやらなければならないものだというふうに考えております。
  100. 吉田賢一

    ○吉田(賢)委員 私の伺いますのは可能とか不可能とかいうことが前提になつて、たとえば不可能な場合には政府を拘束することができない、可能であれば拘束することができる、法律解釈ではそうなるだろうと思います。そうすると、可能であれば政府を拘束しますから、可能である場合に、不可能だと言つてつては、これは仲裁の権威を没却しますし、またこれに従事する職員の生活権を奪われるという結果になりますから、そこで可能、不可能はどこが最終的に認定するのでありましようか、こう聞くのであります。
  101. 野村平爾

    ○野村公述人 もちろんこれにつきましては、たとえば国鉄裁定に関しましては、すでに訴訟になつた問題もあるわけであります。訴訟になつて参りましたような場合には裁定効力がどこまで及ぶとか、あるいはどう拘束されるかということにつきまして、すでに判例も出ているような状態でありますから、従つてそういう意味の御質問でありましたならば、裁判所に提訴すれば、裁判所がきめるということになるだろうと思います。もちろん不可能であるということになつて、そしてそれに対して職員側が何ら異議も述べないし、不服もないという形でもつてそのままに納まつてしまえば、問題にならないだろうと思います。ただ国会におきまして、その取扱い方が適切でないだろうということで御審議になる分には、政治的な問題として幾らでも問題になるのではないか、そういうふうに実は考えます。
  102. 館俊三

    ○館委員 関連して……。さつき峯村さんに、予算資金上不可能であるというのをだれがきめるのだと私はお尋ねした。そういう簡単なお尋ねでありましたから、だれが見ても予算資金上不可能なものがそういうのだというお答えでした。これは、私の質問が簡略であつたものですから、そうなつたと思う。  そこで、公労法でいつておる予算資金上不可能なものであると最初に判断するのは、当事者の一人である総裁であろうと私は思う。そういうことで、総裁はそれを裁定でくくられた立場にあるにもかかわらず、予算資金上不可能であるという結論を見出さざるを得なかつた。そこでこれを履行することができない。そこで現実の問題として、総裁が予算をこしらえて運輸大臣に出している。これは企業体でまかなうことができないので、政府からの借入金を延期してくれとか、あるいは政府予備金を出してくれとかいうことを目安にして、予算を運輸大臣に出している。そこで予算資金上できないというものが、企業体の中においてできないという、総裁が予算をこしらえて出すということは、これは総裁の権限を逸脱してやつているものかどうかということ。  もう一つ、そうでないとするならば、予算資金上可能であるという――予算ができたんですからこれは可能であるのではないかということなんです。  もう一つ、これを受取つた政府が、予算資金上不可能であるといつて国会に提出したことは、企業体の中において予算資金上不可能であるということではなくて、国全体の立場において予算上質金上不可能であると言つているのか。それとも企業体の中において予算資金上不可能であるから政府もそうなんだ、こう言つているのか。予算資金上不可能だという点をだれが一番先に判断すべきであるかという点と、それから予算資金上というのは、企業体内における問題なのか、一般国の予算の中における問題なのか、こういうことなんです。
  103. 野村平爾

    ○野村公述人 たいへんむずかしい問題ですけれども、私十分に研究しておりませんのでわかりませんが、私たちの間で考えておりましたのは、峯村教授も答えられたのは、だれが見ても客観的なものだというのですが、じや客観的なものをだれが判断するかといいますと、これは手順として、どうしても公社公社自身として一応の判断はしなければならないと思います。そこで、公社は客観的な立場に立つてこれが出し得るものであるならば、出し得るようにみずから努力をしなければならない。従つて、その努力の方途としまして、それをどういう形で持つて行くかということになりますと、主務官庁の監督を受けなければならないということにつきましては、そのような手順を踏まなければならないでありましようし、それからあらためて予算を別途必要とするというようなことになりますと、これはもう公社の手には負えないということになつて来るのではないかというふうに考えるわけであります。ですから、私御質問の意味つとしまして、ただ一点自分として自信を持つてお答えできませんのは、公社みずからが予算を編成して、それを出すということが、適法であるかどうかという点につきましては、十分に私研究しておりませんので、明確にいたしません。
  104. 館俊三

    ○館委員 そこで野村先生にしろ、どなたにしろ、よくおつしやつているけれども、十六条の第二項によつて予算をつけて出さなければならない、出すのが法の解釈上正しいのだということに基いて、総裁は補正予算をこしらえて監督官庁へ出しているものと思うのであります。それでは予算資金上不可能であるという点は、総裁の現実の行動によつて不可能でないということを実証しているのだ、こういうふうに考えられるわけです。もしそうでなかつたならば、予算資金上、公企体内においてはできないのであるという返事しか運輸大臣にはできない。そこで、予算資金上不可能であると法律でいつていることは、公企体内において不可能であるということなのか、それとも全体の予算において不可能であるということを言つているのかどうかという疑問が、私は起きて来たのです。八つの企業体においては、公企体内において可能なものも事実あるわけです。そういう場合には問題でないのですけれども、不可能な場合にどういうことかという疑問が起きて来たのです。
  105. 野村平爾

    ○野村公述人 さつき私たちが考えていましたのは、公企体内部のことについて、そうだというふうに考えたわけです。ところが、例の国鉄の第一回裁定の場合でも問題になりましたように、裁定になりまして、そして公社の中で支出可能だと認めたものは、たしか大蔵大臣も、一部分については可能であるという判断をされたという例がありましたが、あのことにつきましては私たちは納得が行かないというふうに考えておつたのであります。
  106. 吉田賢一

    ○吉田(賢)委員 今の点はその程度にしておきまして、これは政府事由を付して国会に付議しておりますが、国会承認しなかつたら、法律上どういうことになりますか。
  107. 野村平爾

    ○野村公述人 承認しなければ、理論的にはやはり債務だということになると思います。私たちの考え方にしますと、債務だといいましても、それは一体具体的にどうなるかというと、その年度内については意味があると思いますが、年度を越した場合には新しい予算の建前で行くわけです。今度は予算の中に、予算審議を拘束するほどの力を持つたものが残るかということになると、そこまでは議論としても意味をなくするじやないか。つまり、実際の幅の問題になるだけでありますから、それは議論としては意味がなくなるように実は考えております。
  108. 吉田賢一

    ○吉田(賢)委員 しかしながら、予算資金上不可能であるという認定が、企業体ないしは関係の政府においてありとすれば、これは前段によつて拘束されないことになる。第二項の、承認は求めたけれども承認をしない、こういうことになると、拘束するのでありますか。その年度内はそれはどうなるのでしようか。前段第一項との関係はどうなりますか。
  109. 野村平爾

    ○野村公述人 私が拘束すると申しますのは、国会は独自の判断をするわけでありますから、国会を拘束するわけではありません。しかし、債務としてあつても、その債務を現実に支出する資金の関係における責任関係が制約されるのだというふうに私は考えております。私が債務を弁済すべき責任関係において拘束を受けるという意味ここに書いてある拘束ではなくて、つまりその関係から規律されるものだというふうに考えるわけであります。
  110. 吉田賢一

    ○吉田(賢)委員 今の御説明によりますと、公共企業体自体は仲裁裁定内容通りに拘束を受くべきものだ、こういうふうなことになるのです。そうしますと、すでに不可能であるという前提に立つて、その趣旨が説明せられ、事由として書かれて国会に付議した。国会の所見は違つた、ないしは別個の理由によりまして、たとえば政府の建前とするところは、可能、不可能の問題よりも、他の何かの理由、努力が足りない、資金があるじやないかというような、いろいろな理由があると思いますが、ともかく、いずれにしましても、国会承認しなかつたという場合に、不可能だという場合は、第一項によりまして、政府は拘束を受けるはずであります。そうすると、仲裁裁定の結果、当事者は拘束を受ける。当事者政府である場合――たとえば郵政の場合、財政的には独立の企業体でありますけれども当事者政府でありますから、今の御説によりますと、政府は当年度は拘束を受ける、こういうことに私今伺いましたが、それはどういうことになりましようか。
  111. 野村平爾

    ○野村公述人 私の申しますのは、とにかく裁定を受けたものは尊重しなければなりませんから債務としては残るわけです。ただ、財政的にどうしても責任が果し得ない関係にあるわけです。そこで、責任の関係につきましては、予算資金上の制限を受けて、そして可能不可能の問題が出て来るわけであります。けれども、それはつまり債務を弁済できるか、できないかというその関係になるだけでありまして、債務そのものが成立したことにはかわりはないと思います。そこで支出不可能だということでもつて、今度国会承認を求めるという手続を経て、そして承認を求められれば、問題はさかのぼつては出て来ないのであります。そこでそれが不承認だということになりますと、そのときには出すことはできないということになるわけです。しかし公社としては、負うている債務がありますから、その年度内資金上可能な状態が出て来るならば、これは別にまた債務を弁済することは少しもさしつかえないわけです。ただその場合、再度そういう条件が出て来たときには、やはり資金上可能であるかどうかということは、可能であると認めるかどうかという問題について、これは別に考えなければならない問題が出て来ると思いますが、その場合に、では可能であるということが現実問題としてもう一度出て来るだろうかというと、これは職員団体側から何らかの要求がなければ、出て来ないという形になるわけですから、その点において、新たなる争いという形にまたもう一度発展する可能性もあるじやないかというふうに考えるわけです。そこで実際問題として、たとえば、もしその年度内に特別な余力が予算資金上に現われて来るという事態があつたときに、じや職員団体の方はどうするかというと、おそらくは前の債務が残つている、だから、その債務は払えるような状態が出たから払つてくれないかということになると、そこで払える可能性があるかどうかということがもう一度争いになるじやないかと思います。
  112. 吉田賢一

    ○吉田(賢)委員 これは少し現実の問題になりますので、法律の一般的解釈質疑をする際に、やや不適当かもわからぬとも存じますけれども、何か私の見るところによりますと、十六条一項、二項というものは、少しごたごたした規定のように感ずるのであります。今、教授のお答えくださつたところによると、当該企業団体、仲裁裁定内容趣旨に従う債務を負担しておる。しかしながら、十六条一項の後段によりますと、国会によつて所定行為がせられるまでは、いかなる資金協定に基いて出してはいかぬ。この出してはいかぬというのは、当事者が出してはいかぬという趣旨であろうかと存じます。当事者が出してもよいということであれば、これは厳重に国会所定行為云々をいう必要はないわけであります。今の国会承認の結果起きた当事者間に債務は生じておる。そうすると職員組合は、もし裁定規定された、たとえば給与の引上げ、その差額等について支払いのない場合は差押えしてもいい。たとえば国鉄にしても、その他にしましても、御承知の通り郵政あたりにいたしましても、数十億くらいの金はいつでもどうでもなると思います。これはどういう方法でもとれると思います。でありますので、そういう不都合なしというか――不都合と言つたら語弊があると思いますが、どうも理解しにくいような結果が生ずるのであります。債務は発生しておる。そうしたら、この一項後段に資金を出してはいかぬと書いてあるけれども、債務だから債権者の方は権利実行をしてもよい、こういうことに解釈していいのですか。
  113. 赤松勇

    赤松委員長 ちよつと野村先生つてください。ちよつとお願いしますが、野村教授は五時にどうしても用事があるということです。もうすでに五時十分過ぎました。先生のあれもございますので、ぜひどうぞ……。
  114. 吉田賢一

    ○吉田(賢)委員 それではごく簡単に済ましていただきます。
  115. 野村平爾

    ○野村公述人 これらのことにつきまして、私は債務と責任ということを、その面について先ほど私引離して一応考えていたわけであります。ですから、御承知の通り、債務があるからすぐに差押えができるとか、国家の強制力に服し得るということには、必ずしもならないわけであります。ただ、予算資金上可能な点についてならなり得る。債務と権利とは一致し得る、こういうふうな見解を持つております。
  116. 吉田賢一

    ○吉田(賢)委員 それでわかりますが、もう一点それで実はまた逆もどりで、可能不可能の問題になつて来るわけでありますが、資金があるとかないとかいう問題は、現実の問題でどうとでもとらえられます。預託しておる金もあるし、銀行に預金しておる金もあるし、国鉄にいたしましても、御承知のように毎日現金はとつておりますから、年間二千数百億の金があるのであります。ですから、国鉄の労働組合が、資金があるという事実をつかめば、これは可能である。そうしてあつた場合に、責任も生じかつ債務もあるというのなら可能である。だから、そんなことは、客観的に何人が見ても現実に資金はあるのでありますからというようなことが、ここに具体的に生じて来るのであります。そこで私は、何とかしてこの法律のごたごたは、現実とぴたつと一致して明らかにさるべきではないだろうかということは、政府企業体と、かつ労働組合との関係、政府みずからのなすべき措置についての規定それから可能不可能、資金予算、その認定権限の所在――裁判所とおつしやいますけれども、裁判所の前の段階におきまして当事者がありますし、政府がありますし、等々いたしますので、その辺がどうも明確に筋が通つて疑義がないという状態に法律的な整理が、ぜひもう少しほしいという感じを持ちますので、こういうお尋ねをするのでありますから、何か御意見があつたら伺つて、これで打切ります。
  117. 野村平爾

    ○野村公述人 私はこの規定、必ずしもこれでいいのだというふうには考えていないのであります。もつと整理しなければ、これはわからない。現に裁判所におきましても、第一審の裁判所と第二審の裁判所とは、若干違つた見解を表示しておる。たとえば、差押えができるという場合もあるし、できないと考えるところもあるというふうに、裁判所そのものの問題にいたしましても、幾つかの意見にわかれるような規定であるということは確かに問題であるというふうに考えております。
  118. 赤松勇

  119. 多賀谷真稔

    ○多賀谷委員 今、吉田委員から資金上の問題が出ましたが、この点についてお伺いいたしたいと思います。実はこれは政府が言つているかどうかはつきりしないのですが、少くとも労働省の前法規課長松崎氏の本によりますと資金上というのは日本の法制上意味がないのだ、こういうことを言つておるわけであります。それはアヴエイラブル・フアンドという英文で、公労法の原文が来た場合に、実はよくわからないで聞きに行つたところが、これは自分でもうけた金を自分で使うのだ、こういうことである。これは日本では御存じの通り、公社は全部納付しなければならない。そこで自由に使い得る金はないのだ、こういうことになりまして、現在の日本の法制上は無意味な言葉である、こういうように言つておるわけであります。それであるかどうかわかりませんが、今度の裁定は、資金上という言葉は使つておりません。予算上不可能である。給与総額を越えるから……、こういう理由だけでございます。切り離して出しておる。また東京高裁に不服であるとして控訴しました政府の控訴の訴状を見ましても、公労法第十六条にいう資金上とは、日本国有鉄道公共企業体の資金を供給するため、特別の機構を設けられる場合を予想しての規定であるが、現在はこのような機構はいまだ存していないので、ここでは問題にならない、こういうことを政府は出しております。そういうところから見ますと、今の日本の法制では、どうも政府考え方は、資金上不可能という資金上というのはないのだ、かように考えているようにも見えるわけであります。ところが、最近の峯村先生の本を見ましても、やはり資金上に何か異議があるように注釈がついておるようでありますが、先生はどういう御意見であるか、一言だけお伺いしておきたいと思います。
  120. 野村平爾

    ○野村公述人 実は私は先ほど一番最初に申し上げましたように、資金の内部関係がどういうふうになつているかということがわからなかつたわけであります。それで予算のほかになお使い得るところの資金というものを各公社は持つているものだというふうに考えていたわけであります。それが現状において判断して、支出不可能なりと判断された後においても、また別の条件が加わつて可能になることもあるというふうに考えて、実は債務というものはそういう中でもつてやはり責任と結合することがあるだろうというふうに実は考えていたわけなんです。
  121. 赤松勇

    赤松委員長 これにて公述人各位の御意見公述並びに質疑は終了いたしました。  公述人各位におかれまして、御多忙にもかかわらず、本連合委員会に御出席くだされ、貴重な御意見をお述べいただきましてありがとうございました。本委員会を代表して、委員長より厚く御礼申し上げます。  本日はこれにて散会いたします。     午後五時十九分散会