○川田
公述人 川田であります。本日、今回の
仲裁に関しまして皆様の
参考になる
意見を述べろと言われましたですが、私は
峯村教授が述べられたような
法律論より、むしろ労働関係の問題を専門にや
つておりますので、労働関係一般からこの問題をどう見るかという点を、述べさせていただきます。
第一に、今回の
仲裁の
内容でありますが、調停案を双方
当事者がけ
つて仲裁に入りましたが、その調停案とまつたく同じでありますから、
公労法という法的の制約がなければ、労働組合側としましては、当然非常に不満足な
裁定だと思います。そればかりではなしに、調停案よりもはるかに実施期日を遅らせているという点から見ましても、公企体の労働者諸君は、たとい賃上げがこのまま通つたにしましても、非常に損をして行くことになります。これらの関係におきまして、外国などの例を見ますと、具体的に申し上げませんでも御
承知と存じますが、遡及支給という場合、争いが起つたその時というふうに
解釈されておりましてむしろ労働者の生活
内容が、社会経済の関係から苦しくな
つて来るという場合に、なるべくその苦しみを少くしようというような建前ができているのでありますが、わが国の場合は、どうしたことでしようか、むしろ労働者は苦しめておいた方がいいというようなふうに、われわれ第三者が見ましても、
考えておられる方々が非常に多いというようにしか
考えられないのであります。
裁定内容は、さすがに長いこと大蔵省の官僚の立場にあられて、しかも
給与面において非常に苦労されて、戦後の労働攻勢のはなやかな時代には矢面に立たされて、
支払い側の
当事者であつた方だけありまして、
支払い可能性というような点につきまして、慎重に
考えておられ、むしろ非常に当局側の見解を考慮しておられるというように、私
どもには感得されるのであります。これに対して労働組合はむしろ当初の昨年から比べますと非常に控え目な、要求を非常に割引されても、
裁定実施というようなことでお争いにな
つておる。はなはだ日本の労働者諸君は弱体で、自分たちの組織力からして、このくらいのことしかできないのかというような点から、私は非常に控え目な労働者諸君のこの
裁定内容に対する態度に対しては、むしろ同情する立場であります。
しからば、この
裁定の
内容自体が、そういうように、むしろ
支払い者にと
つては非常に合理的であり寛大である
内容に対して、しかもなお、この
裁定の実施問題が非常に足踏みされている。この点は、先ほど
峯村教授が相当法的な立場から明快な
解釈を下されておりましたあの点でありますが、やはり
公共企業体に関する労働関係の
法律が、非常に曲解される、あるいは悪用されているんではないかというように
考えられる節が多いのであります。少くとも近代社会におきまして、労働者が、たとい官業の労働者でありましても、特に現業労働者に対して、労働者の最も基本的な権利の行使禁止という場合に、これに対応して
仲裁の
制度が設けられたならば、
仲裁の決定は裁判所の
判決にひとしい権威を持つたものでなけれならない。
峯村教授が
指摘された点、私もまつたく同感なんであります。なぜかと申しますれば、こういうことによりまして労働者は非常な自己主張の達成をゆがめられるのでありまして、それが公共の福祉、あるいは国家の直営の
事業、いろいろな名義はありましようが、このような経済関係におきまして、今言つたような理由をも
つてしで労働者の基本的な権利、あるいは生活上の重大問題が自由に決定されない、あるいは自由に決定することを著しく拘束される、こういうことに対する代償として
考えてみた場合、これは国民全体から見ましても、この代償を労働者が許容するということ、これは非常に労働者側から見たら寛大な態度であります。国民の交通その他一切の生活の日常利益が非常に推進されて行くわけでありますから、国民は少くとも今言つたような代替物によ
つて労使の関係が解決されることに対しては労働者諸君にはその寛大な
精神に対して同情し、なるべくそういうような禁止条項なしに、というよりも、より有利な条件が与えられることを希望するのが、これが常識的な
考えではないかと思うのであります。
ところが、このたびの
裁定内容、先ほど申したような私の
考えでありますが、しかもなお、あの
裁定内容から見ますれば、実現が非常に容易である。しかもなお、ごくわずかの
予算上の措置
変更、あるいは困難な問題というような点だけが技術的に取上げられて、
公労法上の
二つの食い違いを逆用してことさらにいやがらせをやるような態度が、われわれには理解ができないのであります。もし労働者諸君にストライキ権があつたとしたならば、事態はどうであつたろうかということを
考えてごらんになられるならば、二・一のときに、ストライキはできなかつたが、その後引続き労働者の生活にしわ寄せされた現在の動き、このしわ寄せは、あまりに大きくな
つて来ておりますので、今回の
裁定以前の
裁定におきましても、同様な態度に対して当然あのくらいの解決では満足できない大きなストライキが起
つていたのではなかつたかと
考えられるのであります。こういうことを
考えました場合に、この
裁定制度というものに対する国民的な利害の立場から権威づけをする、そうして
裁定の実施のために
政府当局が全力をささげるというのが、近代社会にあ
つては非常に常識的なものではないかと私は
考えます。
公労法上の問題点が、技術的にいたずらに論議されるということに対しては、まつたく理解することが困難であります。
ただこういうように法を技術的に運営して、労働者に対して常に経済的な苦しみのしわ寄せを与えるということを続けて行くならば、どういうことになるだろうかということを
考えてみたいと思うのでありますが、諸外国の例を見ましても、無理な
法律がいつまでも無理を通して行きますならば、必ずその
法律は適用される面から無視されて行くであろう。日本の、特に公企体の労働者諸君は、先ほ
ども申し上げましたように、非常に遵法的でありまして、無理であろうが、一応
法律の
わくの中でということを、常々心がけられておるようでありますが、もし指導者がこういうようなことばかりや
つておりましたら、せつかく非常に大きな出血をも
つて切りかえられたああいうような労働組合の態勢がくずれて来るというようなことも、特に保守的なお
考えをお持ちにな
つている議員の諸君に、
考えていただきたいと思うのであります。でありますから、こういうような事態に対して、非常に穏健であり、冷静であられる中労委の会長でさえも、公企体の労働者にはストライキ権を与えらるべきだというような言を、最近発したかに伺
つております。あの人をしてそういうような言葉を発せさせるということを、私
ども臆測して
考えたのでありますが、これはこういうような
労使の平和的な関係を促進することに対してまつこうから反対した逆コースをと
つている現在の日本の政治的な責任のあり方というものに対して、非常にあきれ返つた末の言葉ではないかと
考えられるのでありまして、これが第三者から言われるだけならいいでありましようが、こういうことをあまり繰返しておりますと、いつかそう長くない将来において、労働者諸君は
法律を無視した争議
行為に突入するのではないか。その場合においてさえも、その責任はだれの手にあるか、平和的な労資関係を調節するこの機構の
権限を無視した責任者でなければならない、私はこう
考えるのであります。これは諸外国の幾多の事例を見ましても、労働者の動きというものがそういう必然の道をたど
つているからなのであります。今次の
裁定に関しましての一般的なことは、そのくらいにいたしまして、議員の諸君などは、地方に参りましているいろいろなことを申しておられますので、それらのりくつに関して、私の見解を述べさせていただきます。
第一には、国の金をもら
つている労働者が、賃上げ闘争ばかりやる、けしからぬではないかという議論を、二、三の政党の代議士諸君が盛んに申しておられました。これは、今次の
仲裁と関連して、国内の特に生活に苦しい人たちの中から、非常な反労働者的な輿論をまき上げようとしている意図であるのではないかと思うのでありますが、もしこういう議論が通るのでありましたならば、しかもその人たちが資本主義を支持する人たちであるとするならば、これは非常な錯覚である、矛盾であると思うであります。社会主義者がそう言うのであれば、一応りくつは立つと思いますが、資本主義支持政党の諸君がそういうことを申されるとなれば、聞き捨てならないことであります。われわれといたしましても、国民が、特にまじめに働く労働者が、十分に安定した生活ができないのに、なぜ輸入の自動車に乗
つて歩く人たちが大手を振
つて保護されておるか、そういう問題は無数に見かけるのであります。農村に行つたら電力が少くて、あるいは燃料が足りなくて、脱穀さえできないという場合に、都市の繁華街に来れば、ネオンサインがさんらんとしておる。私ニユーヨークにおりましたときよりも、より明るい、はなぞれしいネオン・サインが日本にあるというような事態を
考えてみますと、公企体の労働者は、非常に謙虚な、内輪の
裁定で満足しで行こうとして、その実施を非常に穏やかな形で懇願している。これは国のことを
考えない、あるいは国民のことを
考えないという議論にはまつたくならないのでありまして、もしこういう議論を貫徹させようとするならば、国民のすべてが同じような貧困の生活を甘受するために、まず身をも
つて実践されない限り、りくつが立たないということであります。
それからもう
一つは、
企業は赤字だというようなことでありますが、先ほどある議員が申されましたし、また
裁定の理由書にも明瞭にあり、
委員長の方からも説明があつたのでありますが、これとても二、三の
企業以外は赤字というものはない。赤字というようなことは、最も問題とされるのは国鉄でありますが、その赤字の多くの原因をわれわれが見て行きますと、アメリカでポーク・バーレルといわれる、いわゆる日本の議員諸君のおみやげとしてのいろいろな財政
支出を伴うような、
企業の独立採算と背馳するような
支出が、国鉄
事業と結びついて非常に多く行われておる。こういうようなことをまず
はつきりと整理されての上であるならば、今言つた議論も筋が通るかと思いますが、国民が最も信頼し、あるいは少くとも信頼しなければならない議員の諸君がこういうようなことをや
つておりながら、その口から、赤字だから国鉄の労働者はそんなふうに多くの
給与をクレイムする権利がないというような議論は、まつたく成り立たぬのではないかと思うのであります。
その次に、これは
国会とはまつたく関係がないと思うのでありますが、問題になるのは、民間
企業家の非常に戦闘的な分子の方々から申されておると新聞に報道されておる件であります。
政府は非常に弱虫であるから、あんなことでもたもたしておる。あんな
裁定など問題にする必要はない、こういう議論であります。この人たちは、個々の
企業における
労使関係という問題は当然重視されますから、公務員の民間よりもはるかに低い賃上げの実施ということは、自分たちの
企業における賃金問題と当然からんで来ることをおそれておることだと思うのでありますが、ここまで民間の資本が
国会を無視し、あるいは合理的だとされておる
労使調整
制度の
裁定を無視して、自分の
企業内の
労使関係を有利に導くために、公企体労働者諸君全体の死活問題を非常に不利に導こうとして
国会あるいは
政府を鞭撻するやり方、これは公益をまつたく無視した行き方と思うのでありまして、公益関係を非常に重視されておる公企体
労働関係法とも、まつたく矛盾したことではあると思いますが、新聞の論調などを見ますと、第三者のとかくの良心的な見解の表明などよりは、今言つたような資本陣営の中の戦闘的なチヤンピオンの言論が、非常に効果を発するのではないかというように伝えられておるのでありまして、この点は、
国会議員の皆様におきましては、特に慎重にあ
つてほしいと
考えるのであります。
また資本陣営からの議論といたしまして、公企体あたりの労働者の賃上げというものが、ただでさえ物価が上昇しかけて経済矛盾が大きくな
つておる際に、一層のインフレーシヨンを誘発して来るというような議論が相当盛んであります。そしてわれわれのように経済学の端くれを勉強しておる者たちは、こういう議論に非常に幻惑されておるのでありますが、少くとも賃金問題と四つに組んで、しかもアメリカ資本主義
制度を支持しようとしておるようなアメリカ経済学者サミユエルソンにいたしましても、あるいはアメリカの法学者グレゴリーのような人にいたしましても、賃金と物価のいたちごつこというような場合には、特殊な例外を除いては、物価は常に先行して、そうして労働者をして賃金値上げを必要ならしめるように、そのしわ寄せによ
つて賃上げの運動が起
つて来るという事実は、ごく二、三の例外を除いては、全的に認めなければならない、こういうふうに言
つておる点からしましても、現実の動きを見ましても、最近の物価が公企体の
給与がまだ上げられないにもかかわらず、非常に上昇して来ております。あるいは自然的の原因もあるでしようが、これはまつたく公企体の労働者諸君の手取り賃金引上げということとは関係のない現実でありまして、われわれは、むしろこういうようなインフレーシヨンの原因を常識的に見ても、御了承いただいているような政治の一般的な方向ということに認めなければならないのではないかと思うのであります。こういうようにして見ますと、たかだか八十億の
予算の
支出、これも
仲裁の理由によりますと、実額八十億にならないようであります。そのわずかの
金額の問題で、インフレーシヨンを誘発するからという理由で反対には、まつたくならない。確実な反対論拠にはな
つていない。むしろインフレーシヨンの現在の状況を締めて行くという関係では、もう少し根本的な戦力のない軍隊というような問題の方が、大きな問題ではないかというように
考えるのであります。同時に、国民的な利害関係、安定関係というような点ともからんで、インフレーシヨンを引起すから、公企体の賃金を引上げては社会政策上いけないという議論は、少くとも現在の日本にと
つては当てはまらないというように私は
考えるのであります。
以上のようにいたしまして、論議すれば尽きないことでありますが、結論いたしますると、少くとも近代的な
労使関係として、公企体の労働者対使用者の関係は、たとい国家というもがそのの間に介在するにいたしましても、本質的に
労使関係としてこれを見るべきではない。インダストリー・リレイシヨンの特質を全的に持
つているものとして見るべきではないかということでありますが、そのことについてはあくまでも合理的に冷静に、しかも労働者を使う立場からすれば、労働者を奴隷的に低賃金で酷使するという立場ではなしに、むしろ、もつとヒユーマンな労働者の生活をよくする、しかもなお採算が立つ、しかもなお国民の利益になるというようなねらいから、問題が根本的に
考えられなければならない。しかし、何か古い
考え方が近代的な
労使関係にまつわりついて、そういうような望ましい使用者の態度というものがゆがめられているのではないか。こういう点が、私
どもとしては、一番憂慮にたえないのであります。私
どもは、現代の
制度がいいとか悪いとかいう前に、現代の
制度にあ
つても、また相当矛盾を内包しているといわれている現在の
法律の秩序内においても、もしこのような点についての非常に繊細な関心が払われて行くならば、まだまた国民、特に労働大衆の生活には
余裕がつくれるのではないか。特に
公共企業体の労働者諸君の生活の面においては、保障される多くの余地があるのではないかというように信じているものであります。この点と関連いたしまして、冷静な、しかも、どちらかといえば、中立あるいは保守的だといわれる人たち、
労使関係において非常に責任をと
つておられる人たちに、絶望の市をあげさせるような事態に対しては、責任ある方々の非常にに慎重な御反省を希望してやまないのであります。先ほど言われた公企体労働者にストライキ権を与えよという言葉が、労働者から出たのは問題でないのでありますが、世界中を視察して、そして資本主義の
範囲の中で
労使関係を最も円滑に運営して行く道を、非常に深刻な気持で熟慮しておられる方の口から、そのような言葉が出たというところに、今回こそはこの
仲裁裁定に対して、もつと積極的な態度が望ましいのであります。これ以上の法的事実を、労働者に対して好意的でないような形でもてあそぶというようなことになりましたならば、非常に近い将来においてわれわれが意図するような円滑な
労使関係というものは、破壊されることは火を見るよりも明らかではないかと思うのであります。温順で元気のない
公共企業体の労働者諸君の中からも、いつかは声なき自分たちの組合の態度に対する猛烈な反対が起るでありましようし、そのときこそ、現在の
法律の
わくの中では収拾のつかないような経済的な、あるいは政治的な被害を招来するのではないかということが、私は非常に心配にな
つてならないのであります。この点をお
考えくださいまして、ひとつ労働組合があまり荒れ出さないような、円滑な
労使関係の
精神的な役割を
国会の皆さんが十分に実践されていただきたいというように、心からお願いしてやまない次第であります。
これで終ります。