○
三木(武)
委員 多分、私がかように申しますると、はなはだ気に入らぬ方々もあるかもわかりません。しかしこれは国家の重大事に際してはやむを得ない。この点に限局しようと思うが、しかしその私が
お尋ねしたいという事柄を申し上げる前に一言申し上げておきたいのは、そもそもこの再
軍備というようなことが問題になりましたのは、朝鮮事変が勃発して、
日本における
アメリカ進駐軍がその方に移動しなければならぬ、この移動があ
つたあとは、
日本の国内の治安というものは、単なるその当時の警察力では十分でないというところから、単純なる警察力の補充といいますか、その
意味であの警察予備隊が、
吉田総理の発案であるか、
アメリカ進駐軍の慫慂であるか、それは私は存じませんが、できたものと解します。それがもととなりまして、次には
保安隊となり、やがては
自衛隊となる。そうしてただいま聞いておりますと、そのうちには
憲法の
改正もしなくちやならぬようになることは
政府も予期しておるようだ。
憲法の
改正をするという場合においては、
侵略戦争をするに耐えるほどの
軍隊をつくるというようなことも、一応想定せられるようなただいまの質疑応答であ
つたのであります。ところがそもそも今日の
保安隊、やがて来るべき
自衛隊の最初の警察予備隊というものをつくられた当時の
吉田総理大臣の
考え方というものは、
憲法上から
言つても、また実際の必要から言うても、私はまことに適切なる
考え方であ
つたのじやないか、こう思うのです。
吉田総理大臣は、もはや御記憶から消えておるかもわかりませんが、私が最近人に聞き――その人というのは金森君でございますが、金森君に聞き、はてそんなことがあ
つたのかというので、当時の速記録、これは明治
憲法を今の
日本憲法に
改正した当時の
吉田総理大臣の
憲法問答、この衆議院における
憲法問答の中に、この
憲法第九条では、
軍隊というようなものは
一つも持てぬことにな
つておるが、いやしくも人寄
つて国をなしておる以上は、
自衛権というものはあるはずだが、
自衛権はあるのかないのかという質問をせられた方がある。それに対する答えとして、
吉田総理大臣は、はつきり
自衛権はあるのだという答えをせられておるのであります。その
自衛権があるのだというその答えは、今日なお終始一貫しておるのでございまするが、その
自衛権があるのだというその答えに対して、議員の方からは、
自衛権がある以上は当然
自衛力、すなわち自衛軍を創設することができるのであろう、こういう問いが出ておるのです。それに対して
吉田総理大臣は、
自衛権はあるけれ
ども、
自衛力、それをつくることはできないのだという答えをせられておる。そうしてその答えには、
憲法第九条の第一項及び第二項を見れば、
武力は持てない、
戦力は持てない、
国際紛争の解決とかその他すべての問題について、いかなる場合においても
自衛力、
軍隊は持てないと書いてあるのだから、持てないということを明説せられておる。私はこれは速記録ではつきり見た。実は速記録を持
つて来るつもりだ
つたが、どこかへ落しちや
つた。(笑声)ここで読み上げればはつきりするんだが落しちや
つた。しかしこれは
吉田総理御自身が、大事なところで問答せられたのだから御記憶にあるだろうと思う。だが金森君がわれわれに対し、われわれが金森君の
憲法論、
憲法の歴史の話を聞いたときに、ほんの十日ほど前でございますか、公開の席ですからここにおられる新聞記者も聞いておるが、皆で聞いた、この話は。私はこの
吉田総理大臣の
考え方というものは正しいのだ。はつきり私は正しいと思
つておるのです。そしてこれは今日そう
解釈するここも正しいが、その当時はなお正しか
なつたのです。何となれば、その当時は中共――中共というんじやなか
つたから、そのときは
国民政府でしようが、中国もソビエトも
アメリカも、いわゆる国際連合の一員であ
つた。世界における
戦争その他の紛争というものを、もう
武力で解決するというようなことは
考えてはいかぬのだ。世界はもう今日限り、
日本とドイツとイタリアが往生をした限りは、もう
武力戦争なんというものは起るものでないんだというような
考え方を当時は持
つてお
つた。だから国家の性格、性質上から言うて、いやしくも国あれば
自衛権があるのだということは当然のことであるが、その
自衛権を
行使する
武力なんというものは必要ないんだ。いわんや
日本というような物騒な国に、たとい
自衛権というものを持たしても、いずれのときにかまた自衛の名のもとに出兵をする、
侵略するというようなおそれがあるから、これには絶対持たせないんだという観念がこの
憲法の上に現われておる。そしてこれは
アメリカに押しつけられたんだかどうか知りませんが、こういう
憲法ができたわけです。その当時の歴史からも、その当時の環境から言うても、また
憲法それ自体から言うても、
自衛力を持てないということは、この
日本憲法の精神であるということだけでははつきりしておるのです。だから私は、
アメリカ進駐軍が朝鮮に移動せられたあとでつく
つた、いわゆる警察予備隊というものは、名実ともに警察力によ
つて日本国内の治安が維持のできない場合に、これを補充する、強化するという
意味であ
つたのであ
つて、これは
吉田総理大臣の発案であるかどうか知らぬが、非常にけつこうなものであ
つたのです。ところがだんだんと、
日本をとり囲む国々との間の国際情勢というものが危険になり、人によればあの朝鮮
戦争は、
日本侵略の足場をつくるものだというようなことを公々然と言うておる人すらもあるのであります。
日本は共産国家群に対して、非常な危険な
状態にある。そこで同時に、特に国内ににおける共産勢力の地下運動というものが、ほとんど軍事組織を持つ
程度にまで進展しつつあるというようなことからして、この警察力では間に合わぬ。もう少しこれを強化せなければいかぬ。これも
吉田総理が
考えたのか、
アメリカが
考えたのかそれは知りませんが、そういうところからこの警察予備隊というものを
増強して、名も
保安隊と改めた。この
保安隊と改めたときはすでに警察予備隊とはやや性格が異
なつたもの、ところがやや性格が異
つておるのが、今度は外敵の侵入に当ることのできるような
自衛隊、こう来たのだから、これには一体飛躍がある。よく新聞なんかで、おたまじやくしとかえるのことが
日本の
軍備のことについて出ておりますが、私はあれは実にいいたとえだと思う。最初の警察予備隊ができたときには卵です。だれが見ても、この卵がかえるになるのか魚になるのかわかるものじやありません。これはかえる専門家ならばともかく、普通の人にはわからない。ところがこのだれが見ても一応これは魚の卵かと思うような卵が、だんだん進歩して今度はおたまじやくしに
なつた。おたまじやくしに
なつたときには、ははあ、これはかえるになるのじやないかというくらいのことは、だれもが
考えるのでございますが、しかしおたまじやくしはどこまでもおたまじやくしで、かえるじやないのです。これは強弁せぬでも、これはかえるになるのじやないのだ、あるいはかえるじやないのだということが、言い切ろうとすれば言い切れると思うのです。しかし私は当時の新聞を見て、またこの前の
国会のどなたかとの質問応答を見て、
吉田総理大臣が、
保安隊の何かのときに
言つていた、諸君は国軍の基礎である、将来の国軍の基礎であるとか言われたという。これは
吉田さんからいえば、そんなことはありやせぬぞというかもしらぬが、とにかく新聞にそういうことが出ておりました。あの国軍の基礎だというこのおたまじやくしは、やがてかえるになるのだという
程度のことは、もう大体わか
つておる。しかしそんなことは言うたことはないと言い、またこれは
軍隊になるのじやない、
戦力になるのじやないと言い切れば、まだおたまじやくしで通るかもしらぬ。ところが今度は
自衛隊とな
つて外敵の侵入に対処するのだ、こう来ますと、もうおたまじやくしで済まぬのじやないか。おたまじやしくがかえるになる途中の、あのおたまじやくしに手か生えたり、だんだん足がついて、しつぽが抜けた
程度に行くのじやないか。そうしてそれがまた日がたてば、もう隠そうにも隠されない厳然たる
軍隊になる。そこで
吉田総理の最初の
考え方はいいのだけれ
ども、もう
保安隊のときに何らか
考え直さなければならぬのであ
つた。今日に
なつたならば、いわゆる心機一転、よく世間で君子の豹変とかいいますが、君子だろう君子でなかろうが、もう豹変しなければならぬときにな
つておるのだ、私はこう思うのです。私はきよう議論をしようというのじやない。そこでこうなりますと、今日までの
吉田総理の言責というもの、ここには
木村君おられるが、
木村君の言責というものが、さらに問題になるというおそれがありますけれ
ども、そういう一
内閣や一閣僚の
責任というような小さな問題ではない。その
責任なんということを声高らかに叫ぶ人も、あまりに再
軍備の問題を軽々しく見過ぎる。またそれを恐れるにしても、あまりに自己の立場に汲汲として、国家の大事を誤るというきらいがあるから、そんなことはかれこれ言わぬで、もうこの辺で心機一転をして、思い切
つて、今までのことはよろしい、今まで
軍隊でないと言うたのだから
軍隊でなくてよろしい、
戦力ではないと言うたのだから
戦力でなくてもよろしい、とにかくせつかくここまで言い張
つて来たのだから。この
程度まで来たならば、もうこれは
軍隊だ、これは
戦力だということをはつきり言うて、この問題の解決に当ることがよろしいのである。私はそれを非常に願う。なぜ私がこういうことを言うかといえば、今日これを
軍隊だ、
戦力だということを言うて、しがもはつきりそれを表わして、もし
憲法の
改正をしなければならぬければ、
憲法の
改正をするもよろしい。大体において衆議院の三分の二あるのです。これは私ははつきり申し上げる。社会党両派の諸君ははなはだお気に召さぬかもしらぬが、(笑声)社会党以外のいわゆる保守三党というものは、はつきりこれを
軍備ということにしたらいいのじやないかということを言うておる。もちろう改進党は
憲法を
改正せぬでもやれるじやないかと言われておるが、(「そんなことはない」と呼ぶ者あり)改進党の中の一部では。(笑声、拍手)これもせんじ詰めてみれば、
国民の間において、
憲法を
改正しなければいかぬとかいいとかいう議論があることはよく御
承知の
通りである。いやしくも
軍備をつくるという以上は、議論のあるようなことはいかぬ。すつきりして、それで再
軍備をするのはよろしい、自衛軍をつくるのはよろしいという意見に同意しないはずはない。むしろそのことを言われておる人は、
憲法改正というと、また反対が出てうるさいぞ、あるいは
国民投票というやつは今まで試験してみたことがないから、うまく行くかどうかわからぬ、だからそんなことをやると言うて、
憲法改正でストップを食
つたときにはたいへんなことになる、
憲法改正はしなくとも、今
言つたように単なる自衛ならできるという
解釈もできるのだから、まずそれで行うじやないかという
程度の
解釈論で、いわゆる保守三党というものはこぞ
つて再
軍備を持たなければいかぬ、持つときには
憲法改正が必要なんばということに一致ができるのでございます。むろん社会党は、そういうことになると、(「反対」と呼ぶ者あり)盛んな反対をしましよう。
責任論も出しましよう。しかし衆議院でわれわれには三分の二以上のこれに対する同意者があるのです。参議院のことは私は存じませんが、参議院においても、社会党、共産党以外の人は、もちろんわれわれと同じ意見になり得べき可能性が十分あるのでございます。すでに衆参両院で三分の二以上ある。これが
国民に訴えた場合に、何で
国民の過半数が同意しないということが
考えられましようか。もちろんこれは今までや
つたことのないことだし、確信をも
つて申し上げるわけには行かぬが、少くとも私
どもは昨年以来、再
軍備ただ一本で
日本国中遊説をいたしておりまするが、初めは非常な反対もあるようでございますが、じゆんじゆん乎として説けば、反対する婦人のごときは大多数われわれよりも熱心な賛成者になる。また徴兵という制度は青年はいやでございましようが、いわゆる義勇兵制度、志願兵制度ならば、断じて青年諸君も反対であるとは私は思わない。もう情勢がそうな
つておる。そうして
憲法論も、
軍備であるとかないとかいう論も、もはや終局点に来ておるんです。私はあえてこの鉄は熱しておるとは言いませんが、閣僚及び保守三党が結束して
国民の理解を求めたならば、立ちどころにこの鉄は灼熱
状態になる。灼熱
状態になることは大体において疑いがないのだから、ここで思い切
つて憲法改正、自衛軍の創設というところに邁進していただきたい。これは自衛軍のためにも、
国防のためにも、また
国民をして安心せしむるためにも必要である。また
吉田総理初め閣僚諸君は、
憲法を
改正する必要がないんだ、
戦力がどうだ、
交戦権がどうだ、ずいぶん聞いてお
つてもお気の毒なように苦しい、この苦しみからも脱却して朗らかに国の政治に当ることができる、さよう私は
考えておりまするから、どうかそういうふうにおやりになる気持にな
つてほしい。なりますかなりませんか、それに対する
答弁を聞きたいと言うと、ここでかどが立
つて、うんそうか、それじやそうしようとはむろん言えますまいし、せぬと言えばまた議論になりますから、私はそれに対する
答弁は聞きませんが、私のこの言葉というものはいわゆる他山の石として慎重に
考えてもらいたい。前口上が少々長くなりましたが、これだけまず申し上げておきます。
それから質問応答でずいぶんお苦しみにな
つておるがということを申し上げたのは、これは
総理に申し上げるよりは、
木村長官に申し上げた方がいいと思う。
木村長官はただいま
戦力とは
侵略戦争可能な
武力を言うのだ、私の聞き違いかもしらぬが私はそう聞いた。言葉は違うが
侵略戦争可能な
武力が
戦力というものだ、従
つて侵略戦争可能な
状態にまで行けば
憲法の
改正をするが、そうでなければ
憲法の
改正の必要はない、こういうことを言われた。これだけは私は取消してもらいたい。いずれは
憲法を
改正しなければならぬことはわか
つておる。だれが
考えてもわか
つておる。ところが
総理及び
木村君のこの
答弁が速記録にな
つて永久に伝えられる、またこれが海外、特にアジアの諸国に伝わ
つたときに、
日本が
憲法の
改正をしようとするときに、いよいよ
日本は
侵略の準備にかか
つたという疑心暗鬼を生ずるおそれがあるのであります。もちろん今の
日本人は
侵略戦争をやろうなんということは
考えている者は一人もありません。絶対にない。あの軍国主義の権化とわれわれが見ておる旧軍人ですらも、
侵略戦争というようなことを
考えておる者は一人も今日ありません。その
日本人にかりそめにも諸
外国のものが
侵略戦争にいよいよかかろうとするつもりで
憲法の
改正をする――むろん
外国の人もそんなことを思う人はないかもしらぬが、そういう口実を与える、それを与えた場合の
日本におるわれわれ
日本人はどうなるか。だから
木村君の
答弁、
総理大臣の
答弁の中のこの言葉が、どういう
意味で言われたのか、どういう言いまわしをしたのか存じませんが、少くともここで聞いてお
つた人人の耳には、私が申し上げたように響いた。これだけはお取消しに
なつたらいい。これを私は国家のために忠告申し上げる。(「男なら取消しできないぞ」と呼ぶ者あり)いや、できないことはありません。なに人間というものはあやまちを改むるにはばかることなかれで、このためにもやつぱりすつきりした方がいいのだ。思い切
つておやりに
なつた方がいい。社会党の諸君はこれをとがめますが、私
どもはこれをとがめません。
それからなぜ私はそういうことを特に言うかというと、
木村君は何のふしぎもないで
侵略戦争に対処できるような
軍備はいけないのだ、また聞く方も
侵略戦争、
侵略戦争でむちゆうにな
つておられる。
侵略戦争とい
つたつて一体だれを相手の
侵略戦争を想定しているのか、だれを想定するのか。ソビエト中共というものに
侵略するというようなことになれば、一体そんな
軍備が
日本にできるのか。こんなことはできると世界中の人たれも
考えてやしない。今の
侵略戦争、
侵略戦争というのは小さい弱いものというものを目標に想定せられる、そうするとそもそも
侵略戦争は何を相手に言うかと言われた場合にどうします。今の南朝鮮を相手にする、南朝鮮を相手にすると
言つたつて、きのうも
木村君もここで話があ
つたようだが、外務
委員会で外務省の局長とかが速記をとめてまで言うたからよほど重大だと思
つたのですが、そんなもの速記をとめるとかいう重大なものじやない、朝鮮には陸上部隊四十万あり、ジェット戦闘機が百四十機ある、巡洋艦が何ぼある、フリゲート艦が何ぼある、とうてい
日本の及ぶものじやないのだ、その上によけいなことを言う、
武力の背景がなければ外交などというものはやれるものではない、今
日本にはそれに対応できるだけの
武力がない、だから朝鮮があんなことを言うても外交的にか
つてに行きませんというような
答弁をしたというような、これは属僚ですから大してとがめなくもいいが、岡崎君も気をつけなければならない。その朝鮮を相手に
侵略戦争するとい
つてもたいへんだ。あなた方は
日本の地上部隊を二十万いるか二十二万いるか、
アメリカが大きなことを
言つたつて四十万も五十万
もつくれというのではない、それではたして朝鮮に
侵略ができるか、すると
日本が三十万や四十万の
軍隊をつく
つても、朝鮮に対する
侵略戦争はできぬのだからかまわぬ。もしそれ台湾の
国民政府を相手だというのならば、これよりうんと小さくていい。さらにインドネシア、ビルマということになれば、輸送する船さえあれば十万か二十万でいい。そうするとどこを相手に
侵略戦争というものを言うのか、何とこれを
木村君及び
総理も認めなければならぬ、
侵略戦争のできない
範囲の
軍備は
憲法でや
つてもいいのだ、あるいは
戦力でないのだということも非常に大きな間違いと同時に誤解を持つ、これをおやめに
なつたらいい。そこでそう何もかもやめたら
戦力は何かわけがわからなくなる、どだいこれはわけのわからぬことなのだ、一体
戦力なんというものは法律上の言葉かどうか、法律上の言葉でない、法律上の言葉でないものをどさくさまぎれにふつと使
つて、
戦力という言葉もあれば、
武力という言葉もある、わけのわからぬ言葉に
なつた、わけのわからない言葉を無理に
意義づけようということそれ自体が根本的に間違
つている。その観点からこの再
軍備論争というものは、もう一回出直して行く方がいいと思う。それから えらい忠告ばかりするが、忠告から先へ申し上げておく。これは
総理に、
ほんとうに真剣だから攻撃するのではなくて、忠告です。
国民の義務だ。外敵が
日本を侵したときには、
国民の義務として今の
保安隊がこれに対処することはむろんのこと、
国民全体がそうすべきなのだ。何も
保安庁法は何であろうが、かんであろうが、そんなことは問題じやない、こう言うたが、これも
考え直してもらわなければならない。
国民の義務とは何ぞや、私
どもは
日本国民として、
日本の安全を保持するという道義上の
責任は持
つております。また法律で規定せられた行為の
責任は持
つております。しかし法律上の義務といわゆる
国民の義務とは違うのです。むろん
総理は
国民の義務といえば法律の義務のようなお
考えで言われたのだろうが、
国民の義務すなわち法律の義務というのでないということをはつきりしてもらいたい。これは昨日の
防衛問答の中でも、
総理は多少混同してお
つたようだ。
木村君は最初は混同してお
つたようだが、しまいには法制上の職務、
責任、それから人間として、
日本人としての
責任というか道義ということをはつきりわけて言われたようだから、
木村君はそれでいいが、その同じ気持がきようここの
答弁にやはり出ている。職責上国家から
日本防衛の
責任を持たされておる者は、法律上の義務として当然国難に一身を賭して殉ずべきものであるけれ
ども、一般
国民は法律上の
責任はない。ただ
日本人としての道義上の
責任はあるのだ。しかしいやしくも一国の政治をあずか
つておる者が、道義上の
責任があるから
国民はいざというときにはみな行
つて死ね、敵のたまに当
つて来いということは、言うべきことじやないのじやないか、これは慎まなければいかぬ。そういう
考え方が、太平洋
戦争の途中から敗戦の終末に至るまで、あの軍閥官僚を支配してお
つたことが、
日本の今日をしてこのまことに情ない境遇に陥らしめた
一つの大きな原因にな
つておる。むしろそういう人間があ
つても、いやこれは国軍によ
つて守るのだ、お前さんたちは後方でも
つて兵隊が戦いいいように、一生懸命に商売に励んでくれ、産業に従事してくれ、それぞれの仕事に夢中にな
つていそしんでくれ、職場には行く必要がないぞ、これを
政府というものは言うべきものじやないか。もしそうでない
考え方というと――
ちようどあの琉球が最後のときに、琉球の娘さんたちが白百合部隊、ひめゆり部隊とかいうて悲壮な最後を遂げた、あれはある
意味においては、
日本としてはまことに後世に伝うべき美談であるかもしらぬが、ああいう美談を残すような
日本の政治というものは、根本的に間違
つていたと思う。(拍手)ああいう悲惨なことは、二度と再び
日本国民の中では起さないようにしてもらいたいというのが、私の念願であるし、また政治をあずか
つておる人の心構えでなくちやいかぬ。そこで
国民の義務であるからみな守るべきだということは、これは学校の先生か何かが道徳的に言うのならいいが、
総理大臣とか保安庁長官はこういう言葉は慎んでもらいたい。
ここで私は最後に
お尋ねしたい。これは
お尋ねです。簡単に申し上げますが、ただいま申した
通り、もはや、現在の
保安隊、やがて生れかわるべき
自衛隊は
軍隊でない、
戦力でないということを言い張ることのできる限界点に達したのだから、この限界点を越えてまでも、
国民に疑問を持たせ、また参衆両院で相かわらずの議論をするというようなことをさせないように、きれいさつぱり朗らかな空気の中で自衛軍を創設するのだ、これは
軍隊だ、だから
憲法は
改正しなければいかぬ、
憲法を
改正するには多少の時日を要するのみならず、環境が必要にな
つて来るのだから、ただちに
憲法改正の準備――これを研究と言おうが、調査と言おうが、そんな言葉はどうでもいいが、ただちにその挙に出て、そうして諸般の準備が整
つたならば、
憲法の
改正をするのだということをここで言明してもらいたい。もし今ただちに言明できないとするならば――これをするとまた
責任問題になると言われはせぬかというおそれも多少あるから、私はそれを心配する。年寄りというものは先の先まで心配してあげるもので、(笑声)それがさしつかえるなれば、少くとも、
憲法改正のことについては
考えないこともないのだ、また自衛軍の創設というか名前がえというか、それをするときにはそれはやらなくちやならぬ、だが、それには間に合うか合わないかわからぬから、努めて迅速にそういうことをするということの言明を伺いたい。なさるかなさらぬか、なさらなければなさらないとここではつきりおつしやればよろしい。ただいままで新聞等で伝えるところを見ておりますと、
憲法を
改正するかせぬかということは、まだまだこれから先の模様だ、しかし
憲法の研究だけはしてもよいというようなことは言われておる。
改正するかせぬかの方向をつけないで、
憲法の研究だけをするというが、ここは学校じやない、法律学生の集会じやない。
憲法の研究をするなんということは、いまさら始ま
つたことじやない。政治家があるいは政党が
憲法の研究をする、調査するということなら、
憲法を
改正すべきものだという前提のもとに、いついかなる
方法で、いかなる内容で
改正するかということの研究をするのが
憲法改正の研究なんであります。その
意味において、
憲法は
改正する、ただ、それにはいかなる
範囲で、いかなる
方法で、いかなる時期でやるかということを研究するのだという
程度のごとくらいは、
お話になることはできるのであります。それができない。研究するということは言えるが、
憲法を
改正するかせぬかわからぬ、
改正するのは
日本に
侵略武力ができるときに
なつたらやる、そんなことでは何が何だかわかりませんから、その点、私は苦情を言うのでもない、怒るのでもない、また
責任を問おうというのでもない、
ほんとうに
日本の自衛軍をりつぱに育て上げたい、
国民歓呼の中で自衛軍はつくり上げたい、これは社会党の諸君は怒るかもしれない、(笑声)怒るならか
つてに怒
つてもよいが、そういうことにしたいという
ほんとうの誠心誠意であります。
答弁はただこの一点でよい。御
答弁を願いたい(拍手)。
〔「
総理から答えろ」「
総理が先だ」と呼び、その他発言する者、離席する者多し〕