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宮川参考人 三池炭鉱の労働
組合の
組合長の
宮川です。ただいま御質問がありました現在の三井鉱山の首切りの問題について、この問題に関連して大牟田において、
警察官が出動し、若干の
事件が起りまして、十六名の
検束者を出したうち五名が起訴され、あとの者は一応釈放にな
つておりますが、この問題についての概要を御説明申し上げたいと思います。
三井鉱山が、労働
組合に相談もなく、一方的に四千五百六十六名という大量の人員を解雇した。この問題に端を発しまして、九月四日にこれが効力を発しておるわけでありますが、その後依然としてこの対立
状態が続いております。
会社側が一方的にこのような措置をと
つておることは、労働協約やあるいはその後締結いたしました覚書によりましても、企業の合理化については十分
組合と話し合わなければならないにもかかわらず、一方的に義務づけて四千五百何がしを首を切
つておる。こういう
状態の中にあ
つて、
組合としては非常に条件の悪い抗内で作業をしておるにもかかわらず、経済情勢の若干の変動、あるいは貯炭というような
状態を
理由に、一方的に大量な馘首をやられるということでは、とうてい
労働者が安心して働くことができない、こういうことで、鉱山保安法にきめてありますところの坑内
労働者一人一人が守らなければならない事項を完全に守ろうではないかということで、これを指令して全員が申合せをいたしまして、保安法の完全実施ということを
行つたわけであります。そういうことを実施した
関係上能率は低下いたしました。
従つてこの能率の低下に基いて、
会社側は賃金を差引くという措置に出て来たわけであります。しかし賃金を差引くということは間違いではないか、法律で当然守らなければならない事項を完全に守
つたので、能率が下るということは当然であ
つて、これは
会社の施設その他が完全でないので下るのであるから、当然ではないかということを申したわけであります。賃金の協約に基いて、
会社の責により能率の上らなか
つた場合には、補償をするという労働協約がありますので、この項を適用して補償すべきであるという
団体交渉の申入れを
行つて、十月の八日から
団体交渉に入
つたわけであります。
その大要は文書にな
つておりますが、
組合はあくまで法律を守るので、守
つたがゆえに賃金が下るということはあり得ない。遵法闘争の闘争という字をかぶせようがかぶせまいが、鉱山保安法には個人々々が守らなければならないということが規定してある。そういうことを完全に申し合せて守ろうということを行
つたのに対して、賃金を差引くという法はない。これに対して
会社は、遵法闘争という
名前がついているので賃金は払わない。こういう論争を繰返したわけであります。
同じ三井鉱山は
九州に三山ありまして、三池、田川、山野、北海道に三山ありまして芦別、砂川、美唄、計六山が全部集ま
つて三井鉱山になるわけでありますが、他の五山は遵法闘争による賃金は差引かないということで全部払
つておる。しかるに三池一山だけがそういうふうに差引を行うということを主張して譲らない。他の鉱山がいかに払おうとも三池においては支払わないということを強硬に主張いたしました。
この
団体交渉には、
組合員並びに家族が非常なる関心を持
つておりましたので、多数の方が心配をして、
組合の
交渉団に対する激励と、
会社に対する抗議の
意味を兼ねて、各地域と、あるいは
職場と婦人団体等が逐次激励あるいは
会社に抗議のデモをや
つて、
団体交渉の席上にたくさんの人が交互に参
つたわけであります。その都度
交渉員はその大衆に対して、
会社側の態度、
組合の主張、こういうような経過を逐次報告をいたしておりましたが、大衆は
会社側の一方的な強硬な主張に対して、非常に憤激をいたしまして、
会社が誠意を示すまでは帰らないというような情勢にもな
つて参りまして、その数も千、二千、三千と逐次多くな
つて参りました。
その
交渉が八日の午後二時五十分から始まりまして、途中で
ちよつと休憩いたしましたが、夜の十時半ごろまで続きました。十時半ごろになりまして、どうしても
会社の強硬な態度が依然としてかわらないというので、
書記長以下三名が中間報告に席を立
つて出たわけでありますが、その間に
会社側よりしばらくの間休憩をしたいという申入れがありまして、一旦休憩に入りました。
会社側はあらかじめ用意してあ
つた控室に行き、
組合側交渉委員は
組合の控室に帰
つたわけであります。その間中間報告をして
書記長以下が会場に入ろうとしたときに、周囲にたくさん詰めかけてお
つた大衆の中に一緒について入ろうというけはいがありましたので、それを阻止いたしましたところ、玄関口で戸がしま
つたのでそのまま引上げた。さらに中間報告に出た執行
委員から、
交渉委員は中に入
つてくれという連絡があ
つたので入ろうとした際に一緒に、人員は確認しておりませんが、数名と思われる者が入
つて憤慨してお
つたので、そこで傍聴させるということで、中に数名入
つた模様でありますが、そのとき
会社は休憩室におるし、
組合側は
組合の休憩室にお
つて、
団体交渉の会場はからであ
つたのであります。たまたま永吉人事係長というのがその廊下の付近にお
つたが、それがつかま
つて、お前の
会社の態度はけしからぬではないか、大衆の前で説明しろとい
つて連れ出された。そのとき本人は行く行かないで、ばたばたしたそうであります。見ておりませんが、それが連れ出されて
組合のニユース・カーのところまで連れて行かれた。その間約三十メートルあります。夜中の十二時でありましたか、大衆が千、二千とおるニユース・カーのところまで連れて行く間に、若干負傷をしたということでありますが、大衆が非常にたくさんおりましたので、どこでだれがどうしたというようなことはだれもわかりませんが、ニユース・カーの中にそのまま入れておいたわけであります。そのとき百五、六十名くらいだと思いますが、
警察官が出て参りまして、前方に進み出て、
組合員がたえずたくさん集ま
つている門の前に、逆にピケを張るようなかつこうにな
つて来たわけであります。それで
警察と
組合と
話合いをして、穏便に話をしようではないかということで、一定の線に双方引くべきであるという
話合いがついて、引きました。その後
警察の警備課長から永吉人事課長を返してもらいたいという要求がありまして、ニユース・カーの中におるそうだからということでありますので、それではさつそく返しましよう、そのかわり
警察も全部引揚げてもらいたいということで、返すことと
警察が引揚げるということで
話合いが円満につきまして、
書記長が
行つて、
組合のニユース・カーの中から大衆の中を通
つて、
会社側に永吉人事係長を返す。
警察はそのまま引揚げたわけであります。しかるにその後
会社側は、永吉人事係長が若干の負傷をしたということを
理由にして、
団体交渉を拒否いたしました。われわれは
組合の責任において
統制をとる、
暴力行為は絶対に起さないから、
団体交渉をするように主張いたしたわけでありますが、
会社はただ単に
暴力行為が若干あ
つたということを、
一つの大きな
理由に取上げて、
団体交渉に対する
自分たちの態度に対する反省などをするということもなく、
団体交渉でどうにもならないというための口実として、永吉人事係長の
事件をことさらに誇大に計画して断
つているというふうにわれわれ感じました。その後
組合がいくら
団体交渉を要求いたしましても、
団体交渉はしない。
従つて大衆はますます
団体交渉をしないとはおかしいじやないかということで、次から次へとふえまして、もちろん交代して帰る人もありましたが、その数はずつとふえて参りまして、その翌日までもさらに続いたのでありますが、
会社側は絶対に
交渉はしませんということを
理由に、奧の一室にとじこも
つて出て来ない。こちらから
行つていくら催促をしても出て来ない。そうするうちに九日も過ぎるという
状態はなりまして、九日にな
つても依然として
会社側は強硬な態度で、
団体交渉をしないと言
つておる。われわれは
団体交渉をするまであくまで待つということで、
両方に対峠してお
つたわけでありますが、九日の夜を過ぎまして、十日の午前零時二十分に市警と
福岡の
国警が約五百名と想定されますが、参りまして、
組合の代表と
話合いをしたい、こういう放送でありまして、
組合の方もただちにそれに応じて、
交渉団を派遣したわけであります。
交渉団の中には
ちようどそのとき参議院議員の阿具根登氏もおりまして、先頭に
国警の方と市警の方の代表の方と
交渉いたしたわけであります。
組合側の主張は、あくまでもこれは
会社側が強硬に
団体交渉をしないと言うから大衆は帰らないだけであ
つて、われわれは絶対に
暴力行為をしようということは考えてないし、責任を持
つて統制をとるので、こういう
労使間の問題に
警察が介入してもらいたくない、こういうことを主張いたしました。特に
国警に対しては、大体われわれに対してどう考えておるのか、暴徒だと考えておるのかどうかという質問もいたしております。
国警の持
つて来た装備を見ますと、あるいは防毒面、このようなものを持
つておるということも明らかになりまして、催涙ガスをまくつもりであ
つたろうと想像されます。われわれを暴徒を考えているのかどうかという点を追究いたしたのでありますが、何名ここへ来ておるということについても答えない、そういういろいろの質問に対しても答えられないという
状態でありましたが、市警の岩本主任に一応中へ
状態を見に来てもらいたい、そして
会社側がどのように強硬な
状態をと
つておるので大衆がおこ
つておるのか、われわれの要求がどのような内容であるのかという点を確かめてもらいたいということで、
交渉団とともに岩本主任
——隊長でありますが、参りまして、入りましたのですが、その席上、円満に
会社側が
団体交渉をするならば、暴力というようなことは当然考えられないし、また
会社側が誠意を見せれば、大衆も円満に
解散するだろう、こういうことで内容を十分調べてもらいたいということで来ていただきまして、
会社側の方にまず当
つてもらいたい、
会社側にも
団体交渉をするようにひ
とつ勧めてもらいたいということで、岩本主任も
会社側に参りまして、それを申し伝えたそうでありますが、
会社側は
団体交渉をする意思はありません、
組合の方にそう伝えてください、こういう
状態であ
つた。岩本主任もそのとき
組合の方に来まして、実は
組合の方の
実情を
会社に話しましたが、
会社は巨体
交渉をする意思はありません、断
つてくれということであります。
警察の主任にに対してそういう
会社側の態度であ
つた。そのときには岩本主任も若干不愉快な感じであ
つたというふうに漏らしておりました。それで、もう一時間ほど時間を与えますから、できるなら
組合と
会社で自主的に
交渉を持つようにしてもらいたいということで、岩本主任は帰
つたわけであります。その後何ぼ
会社側に
団体交渉の要請をいたしましても、全然聞く意思がなか
つた。それから経過いたしまして、十日の午前五時二十分ころに
警察隊のニユース・カーから放送が開始されました。その放送の概要を申し上げますと、現在
組合のと
つている行動は心情は察するに足るが、法のもとに許されることではない。すみやかに
解散をされたい。応じられない場合は、実力を行使せざるを得ないので冷静な行動を希望する。こうい
つた放送が
警察際の方から開始されたわけであります。これに対して
組合側は、かかる
事態の起
つた原因並びに本団交における
会社の不誠意は当然責めらるべきである。われわれは暴力をも
つて警察を迎える意図は毛頭なく、ただ権力と金力なきものは、憲法二十一条、二十八条に
保障される同志愛と団体行動権によ
つて、自己と家族を守る以外に道のないことを知るがゆえの行動である。
警官隊の賢明なる了解を期待する。
従つて民主的なこの
労使間の問題・労働
組合のこの問題に対して
警察権力が介入することは非常にまずい結果になる。決してわれわれは暴力はいたしません。
団体交渉をしたい。こういう意思のほかはないのであ
つて、
警察が入ると、かえ
つて困難が起るであろうということを再三マイクで繰返して申し上げ、
警察とのマイク応答も四、五回
行つております。われわれとしては
警察官が来た際も、決して
警察に挑発されるような
行為をしてはならない。われわれの行動が正しいのだという確信と信念を持
つて、われわれの主張を最後まで貫く、こういうことを
警察の方にも訴えてお
つたわけであります。しかるに、なかなか時間が
たちましたが、そのまま対峙した
状態でありましたが、午前六時ごろ
警官隊は一応全部引揚げました。しかしこれは
警察署に待機しているという
状態が情報でも入
つておりまして、目の前に見えないだけで、前の
状態とかわらないのではないかという印象を、われわれも受けましたし、また
会社側も
警察が待機しているから絶対大丈夫だということで、さらに強硬な態度をも
つて団体交渉を拒否し続けている。遂に十一日の朝までた
つても、
会社は絶対に
団体交渉をしないということで、
組合の方は次から次へと大衆が押し寄せて、多いときは七千から一万近くの人が集ま
つたのではないか。徹夜して三日三晩ほとんど三千人を下
つたことがないと考えておりますが、十日の夜から十一日の午前にかかるころにおきましては、婦人の方などは
帰つてもらいたいと
組合から呼びかけをいたしましても帰らない。徹夜でかがり火をたいてお
つたような
状態であります。しかし
会社の方としても強硬な態度でありまして、
組合としてもこのままの
状態を続けるということは、今後さらに不祥事を招くおそれがあるのではないかということになりまして、最終的には午前五時に一応
解散をするということにしました。この間にあ
つて福岡県の労働部長あるいは大牟田労政事務所長等のあつせん、あるいは職員
組合の幹部のあつせん等もありましたが、
事態は全然進展しておりません。こういう
状態の中で三池の
状態が終始いたしまして、
警察官の出動によ
つて、さらに
会社側は強硬な態度に出たということが、われわれとしては強く感ぜられますし、正面衝突こそしなか
つたけれ
ども、あの中に出動されたということは、やはり労働
組合運動に対しての介入であるとわれわれは考えております。それと同時にその日起
つた問題に関連して、これは
国警ではありません、自警でありますが、十六名の
検束者を出しております。これもその後起訴に五名な
つておりますが、あとは釈放されております。しかしこの中のひどい例を申し上げますと、炭坑の三番方で上
つて来て何も御飯を食べておらない、一晩中寝ずで仕事をして家へ
帰つて来たとたんに、食事も与えないで、あるいは着がえもさせないで、そのまま
警察にひつぱ
つて行く、このようなむちやなことをしている点もあります。それでわれわれとしては、あのような
状態の中にあ
つて、催涙ガスまで持ち込んで
国警が出動しなければならなか
つたかということが、非常にわれわれとしては疑問に思
つておりますし、こういう点は十分究明して、今後の正常なる
労使の運営ということに対する
警察権力の介入ということは、かえ
つて事態を悪化させるだけであ
つて、何の効果もないというふうに感じております。
これが大体
三池炭鉱に起きた八日から今日に至るまでの経過であります。